Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
7分割を統合しただけで内容は同じです。
既に読んだ方は続きからで支障ありません。
巧の能力ってAngel Beats! の仕組みと似てますね。
かく言う僕はAngel Beats! も大好きな天然の未です。この文を書いたせいでAngel Beats! もう1周したくなりました。最後のシーンとか涙腺崩壊ものです。
第三話のサブタイトルは「幻だけのあなたに」。
今回は斉藤の名を持つ人物が登場します。
Keyきってのスターキャラ斉藤は、どんな進化を遂げているのでしょうか。
ご覧下さい。
また、夢を見ている。
天井のない夢を。
進むべき方の夢を。
また女の子が泣いていて、彼女の兄は彼女には見向きもせずにこちらに近付いてくる。
夢だからだろうか。
あの女の子が泣いている理由が分からないからだろうか。
何も感じないのだ。
悲しいとも思わない。
ただ、この無限に広がる密室に、彼女の泣き声が響いて、反射して、だんだんと、ぼわんぼわんと形の無いものに変わっていく、というその事実だけを、夕輝は頭の片隅で理解した。
女の子が泣いていることと、男の子が歩いていることだけを、理解していた。
しかし、夕輝には未だに、あの男の子に何故その泣き声が聞こえないのか、というその理由を理解してはいなかった。
何故、女の子が兄を追いかけないのか、も。
やがて、その泣き声が消えた頃、夕輝は現実世界の食卓にいた。今朝のおかずは、ブリの照り焼きと無限ピーマン。無限ピーマンというのは、細く切ったピーマンとツナをごま油やら何やらと混ぜ合わせるだけで出来る、お手軽で簡単な料理だ。無限ピーマンというだけあって、無限に食べていられるのではないか、と思う程に美味しい。ピーマン嫌いの人にも是非おすすめしたい一品だ。
今朝も、食卓に肉はいない。
正直、肉というものが恋しい。肉を食べたい。出来ることなら毎日。......しかし、春はいつも、魚しか出してくれない。肉料理を振る舞ってはくれない。悲しいが、しかしやはり作ってもらっている立場の夕輝には、それを言うことが出来ない。
......とは言え、美味しいことに変わりはないので、夕輝はありがたくそれを頂くと、普段通りの身支度をした。
夕輝は、「んじゃ、行ってくるな」と春に伝えると、玄関扉のドアノブを捻り、ぐっと前に押した。夕輝はまず最初に風を感じて、それから涼しさに身を浸し、それもつかの間、すぐに日向の強い日差しを受けた。6月25日。今日も天気が良い。つい1、2週間前の梅雨の時期と比べると、それはもう、空の雲全てが間違って、あの碧い宇宙空間に吸い込まれて消えてしまったのではないか、というくらいしっかりと晴れている。
「よっす、夕輝」
マンションを出たところの交差点で、夕輝は巧と遭遇した。
「ああ、おはよう」
それとなく挨拶をして、夕輝は学校の門をくぐる。
「お前、今日は無傷なんだな」
「え?」
夕輝は冗談混じりにそんなことを言ってみた。巧は、
「そりゃ毎日車に轢かれてちゃ、死なないとは言え参っちまうぜ」と答えた。
ガヤガヤと生徒の声が大きくなっていく下駄箱。楽しそうに会話をする女子3人組や、夕輝たちのような男子の2人組や、部活動の朝練を終えた雰囲気の背の高い少年たちがいた。
「......生徒会、どうだ? 結構、やりがいあるだろ」
巧は夕輝にそう尋ねた。夕輝は「ああ......」とその問い掛けを受け取りつつ、答える。
「まだ、よく分からないんだ。......やりがい、って言うと、正直今はまだ感じられないな......」
「そうか......」
夕輝のそんな応答に、巧は考えるようにそう言葉を漏らしてから、
「ま、金曜のはちょっと特殊だったからな。普通は、もっと、何だ......単純さ」と言った。
「単純?」
その言葉が気になり、夕輝は階段を上りながら繰り返してみた。
「ああ。生徒会で活動してりゃ、すぐに分かる」
「? ......そうか」
訳は分からず、ただそう言っておいた。そんな風な会話をしているうちに、気が付けば2人は教室へ辿り着いていた。そうして夕輝は扉をがらがら、と開け、その中へと入っていった。
教室に入ってまず始めに夕輝の目に映ったのは、大きな海老フライだった。もう少し詳しく言えば、遠くの方で大きな海老フライを頬張っている少女。もう少し詳しく言えば、彼女の名前は友利茜だ。窓側の席で3人ぐらいのクラスメイトと楽し気に話している。
「どうした? 夕輝」
「へっ?」
夕輝は自分が立ち止まって彼女のことを見ていることに自分でも気付いておらず、巧が後ろから顔を出してきて心配そうに見つめてきたことに驚いた。それから、巧が夕輝の見ていた方と夕輝の目とをキョロキョロと確認すると、
「お前、まさか......茜のこと見てたのか?」と言った。
「え?」
突然にそんなことを言われたせいで、夕輝は一瞬頭を真っ白にしてしまった。
「いや、いやいや、別に見てたって言っても、特に変な意味はないぞ?」
そして、そのせいで変に動揺してしまった。それを面白く思った巧はニヤニヤと夕輝の方を楽しそうに、一瞬は見ていたが、すぐに神妙な顔になって、
「......茜、なぁ。あいつはやめといた方が良いぜ」と言った。
「確かにあいつ、それなりに可愛いけどさ」
「それって、どういう意味だ?」
巧がいつもと違う表情をしたので、不思議に思って夕輝は聞いてみた。
「どうもこうも、あいつ結構変わってるからさ。......それに茜は、何て言うか......かなり無茶苦茶なやつだぞ」
「無茶苦茶?」
夕輝は巧の言葉を尋ねるように反復する。
「ああ、前なんて、能力者に能力のことを説明するためだけに、『骨を折ってみせて下さい』って言って来たんだ。これが無茶苦茶以外の何だって言うんだよ?」
巧は自分の被った害を訴えるように夕輝にそう言った。が、その言葉が彼の口から出た途端に、夕輝は何だか阿呆らしくなってしまい、はあ、とどうでも良さそうにため息をついた。
「いや......お前、カレーを食べるためだけに飛び降り自殺するじゃないか」
「......む」
巧は夕輝の言葉を否定できなかったため、言葉に詰まってしまった。そうして、取り繕うように、「そういうことじゃなくてだな......! 何と言うか......とにかく無茶苦茶なんだよ!」と言った。
「何の話ですかー?」
無感動にそう言うのは、例えるならば幽霊のように、いつの間にか目の前にいた友利茜だった。夕輝も巧も驚いて、「うおっ!」と悲鳴のような声を上げると共に、2人同時に飛び跳ねた。
「お前、いつから......」
巧が唖然として茜の方を見る。
「いえいえ、何やら男子2人が楽しそうに私の噂をしているようだったので、気になりましてー」
茜は、無感動、と言うよりは、どこかに不満そうな面持ちを持っている。そんな彼女が目を細くして睨んでくるので、巧の額にはだんだんと汗が滴ってきた。斜め上を向き、後ろに手を組んで口笛を吹いている。と思いきや、突然焦り出して、
「い、いや、別にお前が無茶苦茶なやつだとか、そんな話してねぇっ!」と分かりやすく言う。
「しっかり白状してるぞ」
夕輝の冷静なツッコミに、しまった、というような顔をして、巧は膝から崩れ落ちた。
「ま、いいんですけどね」
興味無さそうに茜が言った。朝の8時20分に仁王立ちをしながら海老フライを食べている彼女は、端から見ればかなり浮いている。
「にしても海老フライ、美味しいなぁっ。......夕輝くん、もしかして欲しいんですか? ......仕方ないなぁ、尻尾だけですよ」
夕輝は茜のことを、巧の言った通り変なやつだな、と思って見ていたのだが、彼女にはそれが、どうしてか、海老フライを物欲しそうに見ているように感じられたようで、言葉通り少し不満そうに海老の尻尾を差し出してきた。夕輝は「いや、いいよ」と言ってから付け足すように、
「海老の尻尾って、ゴキブリの羽と同じ成分らしいぞ」と言った。
「え゛」と漏らしたのは、巧。その一方で、しかし茜は動じない。
「そんなこと知ってますよ。全く、成分が同じだけでどうにかなるなら、石炭だって高額で買い取ってもらえます。一気に億万長者です」
なるほど、確かに。茜は嫌な顔1つせず、ぱくり、と微妙に衣のついたさくさくの尻尾を食べた。
「今の話聞いて、よく食えるよな......」
夕輝の隣で、巧が若干引いている。
「さ、そろそろ席に着きましょう。予鈴も鳴りますし」
茜がそう言うと同時に、モノトーンの、丸い空洞を通って形を失ったかのようなチャイムが響いた。
「そうだな」
そう言ってから、夕輝は一番左後ろの自分の席に向かった。巧も同じく自分の席に座り、茜は同じ動作のあと、一通り平らげた弁当を素早く仕舞い、机の横に掛けた。
本鈴と共に、担任の教師が教室の扉を開けた。
昼の授業は、あっと言う間に終わった。夕輝は4限のノートをきちんとまとめると、ちょうど巧が目の前にいたので、「食堂、行くのか? 付いてくよ」と話しかけた。
「え? ああ、いや、今日は弁当持ってきてるんだ」
「そうなのか?」
先日、死に物狂いで、というか本当に死ぬような勢いでカレーを目指した彼を思い出したため、夕輝は意外だった。普段はあんなことはしないのだろうか。
「お前、弁当持ってきたか?」
「ああ、いや。今から購買で何か買ってくるよ」
巧は、こちらの方が日常であるのか、夕輝の前の席の椅子を拝借すると、夕輝と向かい合わせに座り、
「じゃ、俺、先にここで食ってるよ」と言った。つまるところ、一緒に昼食を食べよう、ということになるのだろうか。夕輝は「ああ、分かった」と返事をすると、席を立ち、そして教室を出た。
購買で夕輝は、玉子サンドとカツサンドを購入した。思っていたよりも長い列が出来ていたので、買うのには時間がかかった。カツサンドは最後の1つだったため、夕輝の1個後ろに並んでいた年上の男子生徒が落胆のため息を漏らしていたのが分かり、少し申し訳ないような、後ろめたいような気持ちに夕輝はなった。
教室に帰る道で、夕輝はある女子生徒に遭遇した。遭遇、と言うよりは、その声に誘き寄せられた、と言った方が正しいのかも知れない。夕輝は、自分の頭よりも上の方から聴こえる音色に、その声色に惹き寄せられたのだ。
階段を上って、もう1つ上って、目の前にあった教室。
そこに、岩下沙良はいた。
彼女は、歌を歌っていた。
彼女はとても美しかった。彼女は、1種の神のように完璧で、淀みのない存在のようだった。
夕輝が音楽室なる教室に入ってしばらくの間、歌を歌っていた彼女は彼に気付かなかったため、夕輝は椅子に座りアコースティックギターを弾いてその英語の詞を歌う彼女を眺めていた。
歌詞を聞き取ることこそ出来なかったが、夕輝はその綺麗な声に、そして作り物でない音楽性に引き込まれた。
彼女が一通りその曲を歌い終えると、夕輝は飲み物を口に運ぶ彼女に話しかけてみた。
「岩下......じゃなくて、沙良」
ペットボトルの口を自らの口にあてたまま彼女はこちらを見ると、驚いたような顔をして、そしてそのペットボトルを机に置き、
「おう、音永じゃねーか。どうした?」と尋ねてきた。夕輝は一度言葉を濁したが、結局、
「ああ、いや、お前の声が聴こえたからさ、つい来ちまっただけで、特に用事はないよ」と返答した。
夕輝はそう言うと、「邪魔だったか?」と彼女に確認した。
「いいや、全然。むしろ有り難いぐらいだ。あたし以外のヒトってのは皆、あたしにインスピレーションをくれるからな」
彼女はそう言った。そして、その言葉には何度も心の中で唱えたものであるかのような、上手く言えない、妙な説得力みたいなものがあり、それ以外の意味も含んでいるようだった。彼女は後に「良くも悪くも、な」と小さな声で付け足した。その青眼は、どこか途方もないような、一生かけてもたどり着けないような遠くを見ていた。今一、現在の彼女の心境を上手く受け取れなかった夕輝は、当たり障りのないように「今日は、眼鏡かけてるんだな」と言った。
「......ああ、普段はコンタクトなんだけどな」
「目、悪いのか?」
特に感情なく夕輝はそれを言ったのだったが、沙良はその言葉に妙に心を揺るがされたように、「......まあな」と、どこかに気になる感情を含ませて言った。なんだか空気を悪くさせてしまったように感じたので、夕輝はとっさに、
「......クラスでも、人気の的じゃないか」と言った。
「え?」
急に何を言い出すのかと、沙良は不思議そうに聞き返した。
「金曜日もさ、新曲が凄い、とか、YouChooseの曲も凄かった、とかさ」
夕輝は彼女の機嫌を取ろうとか、そんな無粋な心で言った訳ではなかった。どちらかと言えば、彼女のことをもっと詳しく知りたい、という気持ちの延長にその言葉が存在しただけだった。しかし、彼女はどこか楽しそうに笑って、
「......あんなのは、ただのミーハーさ」と言うだけだった。
「ミーハー?」
夕輝はそのように、皮肉のようにも取れる言葉を返してきた彼女のことが不思議だった。何故ならば、昨日沙良と会話をしていた彼女らは、友人として、沙良のことを確かに応援しているように見えたからだった。
「ミーハーだよ」
「......そうなのか......?」
沙良は、多少意味は違えど、ストイックな人間なんだな、と夕輝は思った。
「そうだ、俺、巧待たせてるからそろそろ行くわ」
「ああ、そうか」
巧の存在を思い出した夕輝は、そう言って音楽室を出ると、二重の扉をガラガラ、と開け、閉め、そして階段を降り、自らの教室へ向かった。
「悪いな、遅くなった」
「お、待ってたぞ」
教室に後ろの扉から入り、直進したそこには弁当を半分ほど食べ終えた巧がいた。
「あの購買並ぶだろ。仕方ないぜ」
それもあるのだけれど、と夕輝は思ったが、言葉に出すのは止めておいた。夕輝は自分の席に座ると、玉子サンドを開封した。
まさにそのとき、目の前に彼女が来た。来てしまった。
「生徒会室、行きますよ」
お馴染みの、友利茜の声だった。
「またか......?」
夕輝は、今日も能力者が現れた、という趣旨だと理解したため、落胆のため息をつく。
「さ、早くしないと能力者が逃げてしまいますよ」茜は言った。例によって3人は、生徒会室に移動した。せめて、玉子サンドくらいは食べたかった、と夕輝は思った。
「ごめん、待たせたな」と言ったのは、最後に入ってきた岩下沙良だった。「歌ってたら着信気付かなくって」
「全く、沙良はとことん音楽バカだな」
「あん? バカは余計だろ、喧嘩売ってんのか?」
巧が余計なことを言うので、例のごとく拗れた。「まあまあ」といつも通りに雪がそれを止める流れがあり、そして松山の咳払いとともに、今回の話が始まった。
「能力は......『幻覚』。対象の深層心理にある幻を対象自身に見せる、といった能力ですね」
松山は相変わらずの低い声でそう告げる。
「しんそうしんり、か......。そいつは恐ろしいな......!」
巧の馬鹿が炸裂した。そこにいた巧以外の5人全員が、彼が『深層心理』というワードを理解していないという事実に気付いていた。その理由は明白で、イントネーションが漢字を連想できていない人間のそれだったからだ。
「巧くん、いいですか? 深層心理とはですね」
「心の奥深くの、意識すら及ばない部分の心の有り様や動きのことですね」
最早わざとなのか、茜は松山を遮るようにそう説明した。説明も完璧で、簡潔な言葉で『深層心理』をまとめた彼女はまるで人間国語辞典。茜に先を越された、というか仕事を奪われた松山は、物言いたげに茜のことを見ながら、
「まあ、そうですね......」と言った。
「しかしまあ......そんな能力、何に使うんでしょうかね。私には見当もつきません」
茜は、考えるように、丸めた人差し指を鼻の下に置いていた。が、考えていても仕方ないと思ったようで、結局茜は「ま、逃げられる前に行ってみましょう」とだけ言い、歩き始めた。
「皆さん、くれぐれも気を付けて下さいね」
松山は夕輝たちに能力者の居場所を教えると、彼らを丁寧に見送った。
夕輝たちは学校を出ると、まず電車に乗り、いくつかの乗り換えの後、最終的に地下鉄を出た。先程とは打って変わって太陽が雲の間から遠慮がちにこちらを覗いているのが、何故だか小さな不快感を彼らに与える。あつらえ向きな大きさのこの街並みは、どこか懐かしいような、馴染みある彩りを含んでいた。
「んで、この交差点で合ってるんだよな?」
「ええ、会長は確かにここを差しました」
巧が疑わしそうに聞いたので、茜はそう答えて周囲を見渡した。中央が広い十字路を横に見てから、信号が青になるとそれを渡った。
「どこ行くんだ?」
夕輝は信号機の青を眺めながら茜に付いていった。その色は、背景の空の中に消え入ってしまいそうに淡く光っていた。
「周辺の人たちに聞き込みです。というか......付いて来ないでくださいよ」
「え?」と声を出して後ろを振り向くと、巧も雪も沙良も、それぞれ別方向に分散していた。聞き込みを効率化するためだろうが、こういうところは何だろうか、チームワークがしっかり働いているな、と夕輝は思った。茜はそんな夕輝に、やれやれ、と思いながらも、「まあ、いいでしょう。今日は私と行動して下さい」と軽くため息を吐いた。夕輝は言われた通り、彼女に付いていくことを続けた。
間近で見る彼女は、しっかりしていて、そして肌の白い腕が細く美しい、という印象を思わせ、しかしその頼れる背中や小さな体はすぐにでも壊れてしまいそうな人形みたいに繊細にも見えた。聞き込みをするのにも彼女ははきはきと喋るのだが、その話し方が何か別な側面を含んでいるようにさえも感じてしまうのは、ただの夕輝の大きな勘違いなのだろうか。彼女は「さ、次行きますよ」と言うのだ。物言わぬロボットのような、繊細な人形のような、そんな両面性を持って、である。......いや、それとも、そもそも自分の感受性が的外れなだけだろうか。そんな風に夕輝は考えていた。
しかし彼女は「何ボーッとしてるんですか? 早く行きますよ」とだけ言うのである。
やがて「茜さん!」と大きな声で横断歩道越しに彼女に呼び掛けたのは、黒い髪の白柳雪だった。信号機が青になるのを待ち、やがて鳩の鳴くような軽快な音が始まると、茜の後ろを夕輝も歩いた。
「何か目ぼしい証言があったんですか?」
「ええ」
もう1つ信号を待って巧と沙良もこちらに向かってきた。
「さっきまで、ここで占い師のような人物が怪しげなテントを張ってたって」
「ほう」
興味深そうに夕輝は相づちを打った。
「こんな道にテントよ? 興味を持ってそのテントに入ってみたらね、19才くらいかしらね。魔法使いみたいな格好の男の子がいて、『今から私のイリュージョンをお見せします。気に入っていただけたならこのイリュージョンハットの中に好きなだけお代を入れて下さい』って感じのことを言ったもんで、まあ200円ぐらい入れようかしらと思ってちょっとその『イリュージョン』ってのを試してみたのよ。......びっくりしたわ。亡くなったお父さんが目の前にいるみたいな幻を見てね? 何だか嬉しくて涙が出ちゃって、ありがとうね、あの人のこと久々に思い出せたわ、って言って言って、1000円も入れてしまったわ」
一連の話を聞き終わると茜は、「なるほど、そう言うやり口でしたか」と言った。
「イリュージョン、か。大々的にやらないだけまだいいが、これを誰かが噂し始めたりしたらまずいな」
茜は感心したように「そう言うことです。生徒会の趣旨をよく分かってるじゃないですか」と言って夕輝の方を見た。雪は道路沿いに真っ直ぐ伸びた歩行者道の方を指差して、「能力者はあちらの方に向かったそうです」と言った。
「なるほど、ではもしかしたらまだいるかも知れませんね。いなくなる前に、急ぎましょう!」
茜はそう言うと、誰よりも先に走り始めた。
「え? おい!」
急に走り始めた茜に夕輝は多少驚いたが、他のメンバーが何も言わずに走るのを見ると、こういうことも慣れっこなのか、と夕輝は思った。「夕輝、お前も走れ」と巧がこちらを振り向いたので、夕輝もすぐに走り始めた。
「どこまで走るんだ?」
走りながら沙良がそう聞いた。茜は「能力者が見つかるまでです」と言いながら、スピードは緩めなかった。なるほど、これならあのひょろひょろの松山が付いてこられない理由も分かる。結構この距離を走るのはきついな、と夕輝は思った。途中、メンバーの1人である雪がだんだん息遣いを荒くしていたのが分かった。
「ここは二手に別れましょう」と茜は言った。途中で曲がり角が出現し、真っ直ぐ行く道と左折する道の2つがあった。結果的には、少しバテている雪には巧と沙良が付いて、夕輝は茜と行動することになった。巧たちと分かれると夕輝は彼女に付いて細い道に曲がった。そこは昼間だというのに薄暗くゾンビでも出そうな道だったが、少し進むと広い道に出た。そして一本の道をひたすら進み、人の少ない商店街のような場所に出たところで、夕輝と茜はある人物に気付いた。
「なあ、あれ」
「ええ、間違いありませんね」
以心伝心という訳ではない。心が通い合っていたのでその人物に確信を持ったのか、と言えばそうではなかった。いや、しかし、恐らく5000人の人間に聞いたうちの5000人は「あいつが能力者で間違いない」と言うだろう。そのくらい奇抜で、おかしなファッションで、そして分かりやすく紫色のマントをたなびかせていたのだ。頭に被ったマジシャン用のハットが煩いほどに輝きを持っていた。夕輝たちはすぐにその男に近付くと、こう話しかけた。
「すみません、あなたって......」
するとその男はバサッ、とマントを振りかざし、やたらに大きな動きでこちらを振り返った。
「ややっ? もしかして君たち.....私のイリュージョンの噂を聞いてきたのかなっっ!?」
彼は、がばっ、とこちらを向きながら、右手で茜を指差し、左手でマントを持ち上げ、そして足をがに股にして開いていた。......決めポーズは、とてつもなくダサかった。
「はい。あなたがどうやら占いのようなことをしているそうなので、是非1度お会いしたいと思いまして」
茜はそのダサさに取り乱すことなく、冷静沈着に話を続けた。すると、その男は首を横に傾けた。
「え? 占い、かい......? 私は占いなんてしていないよ」
そして、ごそごそ、と水色でラメの主張が強いバッグから小さな紙のようなものを取り出した。彼はその赤と緑のクリスマスカラーの紙を差し出して、茜に「私はこういうものさ」と言った。それは、名刺だろうか。
そこには、子供のもののような大きな字で(恐らく手書きで)、「世界を揺るがすイリュージョニスト・チョリソー斉藤」と書いてあった。
「チョリソー......斉藤?」
ここから分かったことはたった2つだけ。彼の名字が「斉藤」であることと、そして彼が総じてダサい人間である、ということだけだった。驚き、というかショックのあまり夕輝はぽっかーん、と大きな口を開けてしまった。
「ああ、私はイリュージョニスト・チョリソー斉藤! 占い師などではなく、マジシャンさっ!」
やたら長い前髪を今、彼はマントを持っていた左手でふさあと撫でた。その反動で被っていたハットが落ちたのを、彼は気にも留めなかった。
「マジシャン、ですか......。あなたはマジシャンになるのが夢なんですか?」
茜は奇抜な斉藤と話しながら、小さな声で(沙良たちに連絡を取ってください)と言った。耳元で聞く彼女の囁き声に夕輝は少しどきりとしてしまったが、すぐに(分かった)と言って巧にメッセージを送信した。
「いいや、私は既にれっきとしたマジシャン! チョリソー斉藤さ!」
その見た目や声にはどうしても不似合いな喋り方で斉藤は答える。自信に満ちた様子の彼は、上から釣糸で引っ張られているのではないか、というくらい口角を上げていた。
「はい、それは分かりました。......では、1つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」
茜はこの癖の強いキャラクターに対して、決して冷静さを失うことなく聞く。が、それは遮られてしまった。
「すまないね、お嬢ちゃん。今日のイリュージョンはもうおしまいなんだよ。また明日、いつもの交差点で待っているからね」
そして、彼は落ちたハットも拾わずにどこかに行ってしまいそうな勢いで手を振りながらすたすたと歩き始める。
「待って下さい」
世界にあるあらゆるマイペースを凝縮したようなチョリソー斉藤を、茜は食い止める。
「......どうしたんだい、お嬢ちゃん? はっ、もしかして、私のサインが欲しくて......」
「違います。話を最後まで聞いて下さい」
「まさか......! お嬢ちゃん、ありがとう! このイリュージョンハットを落としていたのを教えてくれようとしたんだね? 気付かなかったよっ」
「それも違います」
茜は依然、冷静ではあるのだが、しかしどこかめんどくさそうに彼を留めた。
「回りくどい言い方ではいつまで経っても終わりそうにないので、単刀直入に聞きます。あなたは他人に幻覚を見せる能力を持っていますね? 違いますか?」
めんどくささがピークに達した茜は、とうとうそう聞くに至った。そうするべきだと判断したのだった。聞かれた方であるチョリソー斉藤は、というと......ただひたすらに眉をひそめていた。
「他人に幻覚を見せる......? いいや、まさかそんな力を私が持っているとでも? あり得ないよ、お嬢ちゃんっ」
しらばっくれているだけなのか、それとも何かのジョークだと思ったのだろうか、どちらにせよ彼は、「わっはっは」と楽しそうに笑っている。「ナイスジョークだよ、お嬢ちゃん!」
「いえ、ジョークではありません。私は本気で聞いてるんです」
段々と、その茜の碧眼がうざったいものを見るそれに変わってきた。
「あなたはあのテントの中で、何をしていたんですか?」
「え?」と彼は反応した。この女の子は何を言っているんだろう、と言った表情で茜を見ていた。
「それは勿論、イリュージョンさ」と彼は当たり前のように言った。
「イリュージョン? 具体的に、どんなものです? 他人に幻覚を見せていた訳ではないんですか?」
「いいや、イリュージョンさ」
埒が明かなかった。彼は依然として「イリュージョン」というアバウトな横文字を述べただけだった。
「だから、そのイリュージョンってのは......」
夕輝が流石にイライラしてきて、彼にそう聞こうとした瞬間。
「おーい、夕輝!」
その声は聞こえた。どう考えてもそれは巧のものに他ならなかった。振り替えると、巧、雪、沙良の3人が並んでゆっくりと歩いてきた。雪だけが、不自然な歩き方をしていた。
「......こいつか?」
「ああ、間違いないと思うんだが、もしかすると自分の能力を自覚してないかも知れないんだ」
「......え?」
巧は不思議そうにそこにいる煌めく紫の少年を見た。こういう場合、どうするのがベストなのだろうか。茜がまた話し始める。
「では、あなたは自分の『イリュージョン』をどういうものだと思っているんですか?」
チョリソー斉藤は左上を向いて、何かを思い出している様子だ。
「それは......人を、驚かすほどのパワーさ! イリュージョンを使えば皆が喜んだり、泣いたりするんだよ! それがイリュージョンなんだ!」
訳のわからない回答ではあったが、そのおかげで夕輝も茜も、そして後から来た3人すらも彼が確かに自らの能力を自覚していないんだと理解できた。茜は彼に対してこう言った。
「そうですか......。実は、そのイリュージョンを使って、あなたは他人に幻を見せていたんです」
「マボロシ?」
「ええ。そしてそれを見たとき、人は喜んだり泣いたりしたんですよ」
茜はそう彼に説明した。そして恐らく、その説明で申し分ないのだろう。全ての辻褄があっている。
「なるほど、私にはそんな力があったんだね......! これで、私はマジシャンとして世界進出できるよ!」
彼はとても嬉しそうにそう言うと、「ありがとう!」と言って、再びハットを拾わずにどこかへ行こうとしてしまった。今度はスキップだ。
「おい、待てよ!」と慌てて沙良が言った。チョリソー斉藤はこちらを再び振り替えると、今度はなんですかと聞いてきた。
「その能力を使ってはいけません。もし使い続ければ、あなたは悪い科学者に捕まってしまいます」
茜が今、大きな声でそう告げた。
「......え?」
チョリソー斉藤は茜を見ると、素頓狂な声で尋ね返した。
「その力は病気のようなものなんです。科学者はそういう類いの特殊能力を持つ人たちを、ぼろぼろになるまで研究し続けるんです」
「え? 一体何を......」
チョリソー斉藤は、まだ状況を飲み込んではいなかった。
「能力者を研究する悪い連中に捕まって、廃人になってしまってもいいんですか?」
彼女は平常運転で恐ろしい言葉だけを並べた。斉藤はと言うと、何の話なのか分からず首を傾げていた。
「科学者? マジックの話をしているんではなかったのかい?」と、彼は言った。
「違います」と茜は言う。「その能力を使っていては危険です。金輪際、その能力を使うのは止めてください」と彼に強く告げた。
「え? え? イリュージョンは?」
斉藤はただただ戸惑っている様だった。彼は戸惑うあまり、挙動不審にすらなってしまっていた。
「自分の命が惜しいなら、イリュージョンなんて使うのはもう止めて下さい。これは、全てあなたのためなんです」
茜がそこまで言うと、彼は真に戸惑った様子で、
「そんなの駄目だよ! 僕はこのイリュージョンで、世界一のマジシャンになるんだ!」と言った。
彼はとうとう、恐らく取り繕っていたのであろう、一人称を間違えてしまった。喋り方も若干、子供っぽくなっていることに夕輝は気付いた。そんな彼に対し茜は、次の事実を告げる。
「しかしいずれにせよ......その能力は思春期が過ぎれば消えます」
そして、斉藤は困惑した。
「へっ? ......へ?」
彼は、初めはその言葉の意味すら理解をしていなかった。できていなかった。が、茜はそんな彼など置いてきぼりに続ける。
「あなたの場合、それは明日かも知れません」
「うん? え?」
斉藤は、そんな事実までも理解してはいなかった。理解をしようとしなかった。
「何を......」
「あなたは、もうその力を使えない、とそう言っているんです。分かりませんか?」
「何で......」
「科学者によってモルモットにされ、廃人と化してしまう可能性があるからです」
「どうして......」
「彼らが特殊能力を悪用しようとしているからです」
「それは......」
みるみる青ざめて行く斉藤。
「特殊能力は病です。あなたはそれを使ってはいけないし、使い続けようが、やがてそれは消えます」
「そんな......」
やっと話を理解し始めたのか、彼は絶望の表情を見せた。
「そんなの、嫌ですよ......」
「嫌でも仕方ないんです。能力を使わないのが、あなたのためでもあるんです」
「無理です! 僕はイリュージョンで皆にハッピーを与えるんです! 邪魔しないで下さいよ!」
彼は考えることを止めてしまったようで、暴力的に叫んだ。
「邪魔じゃありません! あなたを助けるためです!」と雪が言った。それに重ねて茜も、「マジシャンには自分の力でなって下さい。あなたならきっとできますよ」と励ましの言葉をかけた。しかし、それがむしろ逆効果であったことに、そのとき彼女らは気付かなかったのだ。
そうして、ぷつん、と彼の中の何かが切れてしまったようで、彼は声を荒げた。
「マジック? ......できるわけないでしょう......できませんよ! 僕はっ......僕は不器用なんだっっっ!」
しん、と場が凍りついた。マイナス1000度の空気を感じた。そうして刹那の後に、夕輝たちは思った。
(マジシャンなのに!?)
(マジシャンなのに!?)
しかもあろうことか、斉藤は飛び跳ねて、逃げていってしまった。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「お、おい! 待てよ!」
沙良が全力で叫んだが、無駄だった。彼の思考は最早働いていない。茜はすぐに走り始め、そして夕輝もそれに付いていこうとしたが、すぐに「茜!」と彼女の名を呼んだ。
「何です!?」
「白柳が......!」と夕輝が見ていた先には、地面に座り込む雪がいた。よく見ると、足首を負傷している。先程二手に分かれた際に、怪我をしてしまったのだろうか。
「大丈夫です、茜さん。先に行ってください」
「大丈夫なもんかよ! お前、足怪我してるじゃねえか!」
雪は心配をかけまいと思ったのだろうが、巧は雪を心配して彼女を咜りつけた。そして、
「仕方ねえな......雪は俺に任せて、茜たちはあのイカれた野郎を追いかけろ!」と茜や夕輝に向けて言った。
「あたしも残るよ! 茜、音永、頼んだ!」
沙良も真剣な瞳でこちらにそう言い放つ。夕輝は、一瞬は躊躇したが、「白柳は頼んだぞ!」と言って走り始めた。茜は自分すら追い抜いて行ってしまった夕輝に少し驚きながら、しかし、雪たちを振り返らずに夕輝に付いて行く。
「やつは!?」
「左に曲がったはずです!」
「分かった! 先行くぞ!」
夕輝は茜より少し足が速かったため、少しずつ彼女との距離が遠くなった。そして夕輝が曲がり角に差し掛かると、茜の目から彼の姿は消えてしまった。
夕輝は大通りに出ると、見える方に真っ直ぐ走り続けた。途中で分かれ道に差し掛かれば、近くの人に彼の行く方を聞いた。とても目立つ格好の青年が奇声を上げて走っているのは人々にとっては印象的だったようで、斉藤がどちらに向かったのかは全て筒抜けだった。いくらか走ったところで、1度は狭い道に入りながらも、最終的に彼を見つけたのはやはり大通りだった。
「おい! っと......チョリソー!」
まるでラスボスの名前でも呼ぶかのように、夕輝は公道の真ん中でソーセージを叫ぶ。周りの人間の目が少し痛いが、今はそれどころではない。夕輝は斉藤を目掛けて走った。
「おい、待てよ!」
彼は夕輝の存在に気付くとさらにその速度を速めたが、しかし既にバテていたのだろう、疲れて呼吸を荒くしていた。走り方も、おおかた人間のそれではない。手足の曲げ方を大幅に間違えている。だんだん彼の足はスピードを緩めていったのだ。そして夕輝は彼に近付いた。
もう少しであの紫色のマントに届きそうな程近付いたとき、彼はこちらを見ながら絶望したような表情で叫んだ。
「く、来るなぁぁぁ!」
買い物帰りのおばさんが彼の方を見る。彼の周りの鳩が驚いて飛び立つ。彼は、殆ど理性というものを残していなかった。しかし斉藤の叫びも虚しく、夕輝は必死になって彼を追い掛け続けた。
「止まってくれよ......! 面倒だなあ!」
夕輝は足を決して止めずに天を仰いだ。夕輝にも、流石に疲れが来ていた。この天候には似つかわしくない汗が滴り、体は熱を増した。
と、そのとき。
チョリソー斉藤は何もないところで、足の疲労からかつまずいて転び、そして膝から落ち、顔面から落ちた。
夕輝はそれを見ると、チャンスだ、という思いと、疲れと、純粋に彼のことを心配する気持ちの混ざったぐちゃぐちゃの感情になり、彼のもとへ一心を乱しながら走った。その形相は斉藤にとってはただの恐怖でしかなかったようで、夕輝が目の前まで近付いて来てしまうと、彼は疲労感と焦りから、殆ど無意識のうちに叫んでいた。
「ひっ......! ヒィリューージョンっ!」
しかし、荒い息と混ざった必死の叫びは、夕輝の耳には届いていなかった。目の前にいたのに、である。それは、つい先日茜に五感を遮断されたときとは違う感覚だった。即ち、彼の、チョリソー斉藤の能力である。
「え?」
気付けば夕輝の目の前にいた斉藤や、町並みや、そして体の熱や汗の感覚は消えて、まるで夢でも見ているような気分になった。そして、すべてが真っ白になった。
あの、道の夢と同じ白だ。
あの夢と同じ、一本の道だった......。
周りには何もなく、人々の声も雑音も全て消えた、魔法みたいな世界だった。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
しかし、先程まで何をしていたのかも覚えていなかった。
──やがて夕輝は、目の前にいる2人の大人にすぐに気付いた──。
初めは、物凄く戸惑った。
あり得ない、と思った。
こんな場所に、こんな近くにいるわけがないのだ。
いるわけがなかったのだ。
そのはずなのに。
直感はそれを否定した。
気のせいじゃない。
間違いない。
見間違えるはずがない。
あれは.......あれは。
自分の、父と、母だ。
夕輝は彼女に、何故そこにいるのか、と聞きたかった。
「母さん! なあ、母さん! 母さんって!」
夕輝は叫んだ。追い掛けた。そこにいたのは、確かに本物の母だった。夕輝はだんだんとそのスピードを上げた。
やがて、父の歩みが止まる。そして父はゆっくりと膝から崩れ落ちる。何故かは分からないが、母だけが、前に進んで行くのだ。夕輝は母を追い掛けた。地面にうずくまって泣いている父を、絶望の顔を追い越して、母を追い掛け続けた。
「母さん! なあ、気付いてくれよ! 母さん! 勝手に行かないでくれよ! 母さん!」
母は歩いているのだ。ゆったりと、歩いている。しかし、夕輝がどれだけ走っても母に追い付けはしなかった。それどころか、彼女に夕輝の声は届かなかった。届けよ。届いてくれよ! ......どんなに願っても、そのことに全くの意味はなかった。
そうして、やがて、母は見えなくなった。
「何で......! 何でっ......!」
夕輝は呼吸を乱した。そして、意味がないことは分かっていても、何故だろうか、手を伸ばしてしまった。彼女の進んだ方向へと、手を伸ばしてしまったのだ。
母は消えてしまっていた。
母が消えてしまっていた。
そして、夕輝がもう一度叫ぼう、と思い深く深く息を吸った、
そのとき。
うしろのほうからこえがきこえた。
そうだと勘違いしていた。
こえだと勘違いしていたのだ。
それは、見知らぬこえだと思い込んでいた夕輝の純粋な、そして余りにも鮮明な勘違いだった。
違う。
何故、気付かなかったのだろうか。
何故、気付けなかったのだろうか。
あれは、こえなんかじゃない。
後ろの方から、声が、聴こえた。
声が、聴こえた──。
「ねえ! 兄ちゃんっ!」
「......春?」
意識の片隅にあった理由を持ってして、夕輝は後ろを振り向いた。しかし。
「夕輝くん! 大丈夫ですか!?」
「......ここは?」
夕輝は茜の声によって目を覚ました。そこは八方に街が広がる歩行者道で、もう少しで顔が触れ合ってしまいそうな距離に茜がいた。茜しかいなかった。
「これは......? これは......。そうだ! あいつの......斉藤の能力だ......」
やっと、夕輝の頭に今までのことが蘇ってき、それらを処理するに至った。自分は『幻覚』能力によって動きを止められ、その隙に彼は逃げたのだ。
「あっちだよ......! あいつはきっと、あっちに逃げたんだ! 俺は......!」
「夕輝くん、落ち着いて下さい。大丈夫です、私が見ていました。確かに彼はあっちに逃げました。一緒に追いかけましょう」
夕輝は少しずつ色々のことを思い出していたのだが、それよりも、混乱や、困惑や、自身の心にある虚無に気を取られ、上手く思考できていなかった。つい先程の、あの幻覚のせいで。
「夕輝くん......?」
茜が心配そうに、不思議そうにこちらを見ているのが夕輝には分かった。すぐに取り繕うように、「ああ、ごめん、行こう」と言ったが、茜は、「そうではなくて、いえ、それもありますが」と夕輝につられたように困惑していた。
「どうした?」
夕輝が茜に聞くと、恐る恐る茜は、そして探るように聞いた。
「夕輝くん、何で、泣いて......?」
「......え?」
その後、夕輝と茜は周囲の人間に斉藤の行った方向を聞きながら進んだ。そして最後に入ったのは、薄暗く細い道。雲のかかっている空は時間帯を正確に告げないが、しばらく時間が経ったことだけを夕輝は知っていた。
「やっと、追い付きました」と茜は言った。彼女の目線を延長すれば、そこにはやたらに派手なマントがあった。
「終わりです。もうその能力は使わないでください」
彼は、その道の行き止まりに体育座りをして、そして自らの両足に顔を埋めていた。
「嫌です......」
その彼は、まるで子供のように、時折しゃっくりをしながら泣いていた。
「僕は人をハッピーにするんですよ......! 人をハッピーに出来る人間になるんですよ......!」
その彼の姿は、わがままを言う子供そのもの。先程茜が「思春期が過ぎれば消える」と説明したし、それは彼も分かっているはずなのに、である。
「何故、そこまでしてその能力を使うんですか?」
茜は彼に聞いてみた。正直なところ、彼を理解できてはいなかったのだ。
「だって......。だって、かっこいいと思ったから!」
斉藤はこちらを見た。訴えるように、同情を望むように、こちらを見ていた。
「テレビで見たんです! 泣く子も黙る天才マジシャン・ルパン13世! 僕は、彼みたいになりたくて......! 彼みたいに、見ている人を元気に出来る人間になりたくて......!」
彼は、悲痛の叫びを続けた。
「なのに何で! 何で僕には才能がないんだよ! 何でできないんだよ! ......だからせめて、せめてさ......僕からイリュージョンを奪わないでくれよ!」
彼の話を聞いているうちに、夕輝は徐々に、とある感情を抱き始めた。
「僕は人をハッピーにするんだよ!」
不当な、苛立ちを。
「僕だけが授かった力だ!」
理不尽な、怒りを。
「僕がどうなろうと、僕の勝手じゃないか!」
そしてそれらが大きくなってゆき、頂点に達したとき。
とてつもない量の、怒りが
「ふざけんなよ......」
後から考えてみれば、それが何だったのかは分からない。混乱と、困惑と、焦燥と、煩雑と、寂寞と、空虚と──。そして、あの曇り空のせいだったのだろうか。単なる状況の組み合わせならば、どれだけ幸せだったのだろうか。
「おーい、茜」
後ろから空気を伝わってきた沙良の声も、今の夕輝には聞こえていなかった。そして、夕輝は一瞬の、ほんの一瞬のうちに、憤慨を爆発させ、怒号した。
「お前は!」
びくり、とそこにいた斉藤と茜、それに遠くから近付いて来ている最中の沙良と巧と、巧に背負われている雪が反応した。その叫び声は、地球の裏側まで聞こえるのではないか、と思う程に、大地震のように響いていたのだ。
「お前は......自分が好きなだけだ! 自分が大切なだけだ! 他人の幸せなんて願っちゃいない!」
全ての音が消え失せた。その夕輝の瞳からは、確かな苛立ちが感じられた。そして同時に斉藤のそれからは、臆病と萎縮の念だけが伝わってきた。夕輝は彼の胸ぐらを掴み、彼を無理矢理立ち上がらせた。
「おい、聞いてんのかよ! なあ!」
誰も、夕輝がこんな風になる姿を見たことはなかった。短い付き合いであるから、というだけではない。この短い付き合いでも分かる程、夕輝は冷静で、自分を客観的に俯瞰でき、そして決して感情的になるような人間でないのは明らかだったのだ。
「ち、違う! 僕は......他人を幸せにしたくて!」
斉藤は怯えながら、夕輝に必死で反論した。しかし、夕輝にとってその言葉は、ただの、怒りを増幅させる材料でしかなかった。
「何が他人の幸せだよ......! お前が望んでるのは他人の幸せなんかじゃない! 全部自分自身の幸せだ! お前は......才能がないことから逃げてるだけの卑怯者で! 大義かざして自分が気持ち良くなりたいだけの......臆病者だ!」
「違う! 違う! 僕は、僕は......!」
夕輝の熱量は、留まるところを知らなかった。ここまで来てしまうと夕輝は、もう留まることを知ることができなかった。
「僕は幸せを与えたくて!」
「お前はそうすることで自分が偽善に浸りたいだけだ! お前みたいな救い様のない人間が......俺は一番嫌いなんだよ!」
夕輝がそこまで言い放ってしまうと、辺りすべての音たちが自分の姿を隠し、奇妙な静寂だけがそこに残った。夕輝の頭は真っ白で、空っぽだった。例えるなら、あの夢の中の世界のように。
突然のこと。
バチン、と鈍い音が静寂を殺した。
夕輝の左頬と茜の右手に、ヒリヒリと焼けるような痛みだけが残った。
「もう、良いですよね......」と茜が言った。
夕輝は我に返るとも怒り続けるともなく、ただ呆けていた。少なくとも、自分が今、何をしたかは理解していたからである。
そして、その場にいた全ての人物の中で、その光景を最も強く覚えているのは、夕輝でも、斉藤でもなかった。夕輝は、ひとまとめで言ってしまえば同族嫌悪にあたる感情を放っていただけだったから。斉藤は、自分に向けられた的確な怒りを否定するのに必死だったから。
そして、人はときに直接言われるよりも、間接的に自分の醜い部分を指摘されたときの方が、むしろ胸に強く刺さるものであるからだ。
岩下沙良は、その日の夕輝の憤怒を決して忘れないだろう。
先入能力が斉藤の能力を間接的に奪うと、沙良は斉藤のハットを彼に渡し、夕輝たちはその場をあとにした。誰も、必要以上の言葉は発しなかった。
「なんか......ごめんな。俺......」
「何、気にすんなって。誰にでもああいうことはあるさ」
日のすっかり沈んでしまった地下鉄の中。夕輝はまだ、ぼーっとしていた。こんな気持ちは、生まれて初めてのものかもしれない。抱いたことのない、上手く表せない感情。
「迷惑です」と彼女は言った。
「......」
誰一人、茜を責めることも、夕輝を庇うこともできなかった。それだけのことができる十分な言い訳がなかったから、である。
「次はありませんよ」と茜は、窓の外の薄暗い空間を見つめながら言った。電車はガタゴトと自分勝手に揺れている。
ここで話すべきだと思ったのだろう。
「......私には、仲の良い友人がいました」
茜はその目線を動かさずに、語り始めた。
「小さい頃からずっと仲が良くて、いつも一緒に遊んでいました。彼女の名前は美田琴羽。とても優しい子でした。中学1年の頃転校してきた沙良とも、とても仲が良かったんです」
おおかた、この話の意図に関する予想がついた。何故話し方が全て過去形なのか、そして彼女は今から何を話そうとしているのか、を。だから夕輝は、口を開かなかった。
「本当に驚きました。彼女はある日、突然引っ越しをしたんです。びっくりしませんか? 親友の私に何も言わずに、ある日急にいなくなったんです。私が星ノ海学園に転入する前の、中学3年の春のことでした」
その嘲笑には、皮肉めいた方面の感情が十二分に含まれていた。夕輝も、恐らくもともとそれを知っているのだろう3人も、そんな彼女の話に、静かに耳を傾けていた。
「彼女は、能力者だったんです。能力は『未来予知』......。未来を見る、という能力でした。もうお分かりかと思いますが......能力発現から間もなくして、彼女は科学者に捕まりました。行方不明のまま、1年が経過して......安否は未だ分かりません」
「......」
夕輝は何も言えなかった。言うことができなかった。
「彼女を救うために私は星ノ海学園に入学し、そして生徒会に入りました。元々学園にいた沙良も私に続き、同じ目的をもって生徒会に入り......現在は、ある人の指示で、能力者の保護や注意喚起をしています」
警笛が1度、大きく鳴る。トンネルのそれぞれの面を反射して一通り響いたあとに、地震のように電車が強く振動する音がトンネルを駆け巡った。やがて、目的の駅へ到着するアナウンスが入った。
「降りるか......」
巧は、こういうときに一番空気が読めるのかも知れない。出来るだけ慎重に、皆を気遣ってそんな風に喋るのである。そして始めに自分が降りると、後ろで他のメンバーがしっかりと降りたかどうかを最後まで確認し、歩き始めた。
「......雪、足、大丈夫か?」と巧は聞いた。
雪はひょこひょこと、歩くことを覚えたばかりの子馬のように歩みを進めていた。
「ええ」と答えると、彼女は言った。「心配しないで下さい」と。
夕輝たちはもう少し歩くと、改札を通り、そして出口へと続く階段を上った。
「深山くん、さっきはわざわざおぶって頂いて、本当にありがとうございました」
雪はそう言うと、先程まで先頭にいた巧を見送った。彼は、併設マンションには住んでいないのだ。
「私たちも帰りますか」
茜がそう言ったので、夕輝たちはとことこと歩き始めた。そうして歩いていると、夕輝はやがてどこからから来た、美味しそうな匂いに気付いた。暗がりの月が覆い隠される商店街の、明るい灯りの中に、それはあった。
「......良い匂いですね」
茜が、ふと気付いたようにその匂いの方を見た。彼女は鼻が良い。そうして彼女は目線の先に、大きな文字で『コロッケ・須田』と書いてあったのに気付くと、そそくさとそこに向かった。
「私、これ食べてきます。......皆さんは先に帰ってて下さい」と彼女が言った。そんな風に目の前にあったものをすぐに買って食べようとする文化は自分にはないな、と夕輝は思った。夕輝は、「じゃあな」と言って帰ってしまおうとする沙良とその隣でぺこりとお辞儀をした雪に付いていこうと思ったが、しかし、ここでもう一度、彼女に謝っておきたいという心理が働いたことから逃げられず、「俺も、コロッケ買うよ」と言った。
「え?」
茜は夕輝がそう言ってこちらに近付いてきたことが意外で、思わずそう声を漏らした。先程彼に対して辛辣なことを言ったと理解していたために、彼がわざわざ、自ずから自分に近付いてくるとは思っていなかったのだ。そして、夕輝が茜に近付いていくのと同じ具合に、沙良と雪が見えなくなった。
「すいません、コロッケ2つ下さい」
「おう」
その、恐らくこの店を1人で切り盛りしているのであろう店主は、夕輝の声にすぐさま反応した。声は低く、心地よく、そして職人気質な印象を彼に与える。
少しの間の沈黙の後に、その店主は「お待ち」と言い、コロッケを夕輝と茜に手渡した。夕輝たちは代わりに、それぞれ150円を彼に差し出した。
「毎度あり」
黒髪に、紺鼠色のベレー帽を被った男性だった。
帰り道。先に、さく、という軽快な音を静寂の中に放ったのは、茜だった。それに続いて、夕輝もそのコロッケを頬張った。
「ん......これ美味しいですね」と彼女は言った。そしてまた、夕輝もそう思った。恐らく今まで食べた牛コロッケの中ではトップレベル。まるで力を加えずとも溶けてしまうような衣を優しく噛んだ先で、熱々のじゃがいもと牛が圧倒的な調和を完成させている。そして湯気が一斉に空へ飛び立った。
「あっつ!」
夕輝は思わずそんな声を出してしまった。
すぐに「......いけど、美味いな」と言ったのも、間違いなく本心であったが。
「ええ、凄く美味しいですね」と隣の茜も、夕輝に共感する反応を見せた。そして同時に、何故だろうか、暗闇に昇り消えていく湯気をふー、ふー、と揺らす彼女から、夕輝は目が離せなくなってしまった。そのことに自分では気付いていなかった夕輝は彼女のことをじっと見つめたまま、コロッケをもう一口かじった。
「あっつ!」
そしてまた、同じ失敗をしてしまった。夕輝はぼーっとしていたせいで、そのコロッケの熱いことを忘れていたのだ。
そして──人間というのは不思議で──、まさにその瞬間、夕輝の中に決して忘れられないことが1つ増えてしまったのもまた、変わりのない事実だった。
初め、友利茜は同じ失敗をした夕輝をきょとん、と訳のわからなそうに見ていた。そのせいで夕輝は何だか恥ずかしい気持ちになってしまい、話を逸らすのと同じやり口で横を向いてしまった。
しかしそのときのこと、彼女、友利茜は何が可笑しかったのか、ぷっ、と吹き出して、そして段々と大きくなる「はははっ」という、余りにも楽しそうな声と共に笑い始めた。クリーム色の髪が揺れた。彼女の感情が空を転げた。商店街の店店にに彼女の声が木霊した。
夕輝は何故彼女がこんなに可笑しそうに笑うのか、というその理由が分からず困惑し、「な、何で笑うんだよ!」と照れたように言った。しかし彼女は返事をすることもなく笑い続けた。そうしているうちにやがて、夕輝は彼女が笑う理由を知ろうとすることも何だかどうでもよくなってしまって、そして彼女と同じように声を出して笑った。腹がよじれた。茶色の髪が飛び跳ねた。もう1つの声が木霊した。
2つの声が、美しく重なった。
それだけである。それだけが今起きたことで、そして夕輝にとって、決して忘れられないことだったのだ。夕輝は、彼女の笑う顔を見ていた。純粋無垢な、楽しそうなその笑顔を見ていたのだ。お腹から声を出して笑うその声を聞いてもいた。木霊する自分と茜の声を聞いていたのだ。
それが夕輝にとっては不思議なくらいに印象的で、そして彼の瞳に、鼓膜に、皮膚や脳に直接、鮮明に、強烈に焼き付いたことでもあった。
150円のコロッケを買った本当の目的など、夕輝はそのときにはもう忘れてしまっていた。
別段、それで良かったのかも知れない。
その目的は今、手段によって完全に失われてしまったのだから。
黒い空が全て吸い込んでしまったのか、やがてそのコロッケから湯気は出なくなった。
夕輝はそれを平らげ、茜も同時に平らげてしまい、しかし何を喋るという訳でもなく2人は無言で同じマンションに入った。
「同じ階だったんだな」
「ええ、そうですね」
「知らなかったな」
「ま、君はついこの前引っ越してきたばかりですからね」
マンションの3階で、そんな社交辞令を交わした。
「じゃあ、また明日な」
「ええ、また明日」
ガチャリ、と扉を開けて、茜は自宅に戻った。夕輝はそれを最後まで見届けると、もう少し進んだ先の自分の家まで向かい、その前に立ち、扉を開け、中に入った。リビングでは食事と春が待っていた。
「お帰り、兄ちゃん」
「ただいま」
夕輝は無意識のうちに手を洗うと、食卓へ出来上がった食事を運んだ。......勿論、自分が運んでいる得体の知れない赤色の半球に疑問を持ちながら。
「いただきます」
「春」
「何?」
「これは?」
「赤いスライまる」
「ああ、それは分かる」
「スライまるが色んなもの吸収できるのは知ってるよね?」
「勿論、多少は読んでるからな」
「吸収するとき、スライまるって何色になるっけ?」
「赤だな」
「うん、だから赤」
「つまり?」
「半分に切ったトマト」
「そうか、じゃあ有り難く、いただきます」
最近のこのやり取りは簡素になってきた気がする。主に、春がめんどくさがるのが理由だ。夕輝はスライまるをスライまるとして食べたくないのだ。
「兄ちゃんどこまで読んだ?」
「まだ3巻に入ったところだな」
「あそ」
彼ら兄妹は、どこまでを説明すれば良いのかを理解しあっている。長い間2人で暮らしてきたせいか、そんなチームワークを身につけてしまった。少なくとも夕輝はそう思っている。
食事を終え、風呂に入り、夕輝はそれから少し本日の授業の復習をして、自分の部屋、寝室に入った。夕輝は布団を敷き、棚から春に借りているライトノベルの3巻を取り出して、布団の上でそれを読み始めた。
主人公がスライまると旅を始めたところだった。彼らの目的は、『魔族』と呼ばれる黒魔術を使って世界を支配しようとする悪魔のような存在を1体残らず倒すこと。彼ら『魔族』は、人々の中の100人に1人だけが持つ特別な魔力を吸収し、それを原動力に黒魔術を使い続け、主人公はそれを止めるために旅をする。世界観にはとても引き込まれるのだ。
しかし、現実は必ずあって、時計を見てみると夜は遅かった。夕輝は電気を消して、布団に入り目を瞑った。
そのせいで、またあの幻を思い出してしまった。
夢の中よりも夢のようだったのに、夢の中よりも具体的だったあの幻を。
父と母のことを。
春のことを。
泣いていたのが、幼い春だったことを。
歩いていたのが、幼い自分だったことを。
何故、春は泣いていたのだろうか?
何故、自分は歩いていたのだろうか?
何故、父は泣き崩れたのだろうか?
何故、母はどこかに消えたのだろうか?
夕輝は今日も、見て見ぬふりをした。
1日だけが過ぎた。
未だ時は止まったままだ。
ぶりの照り焼きなのか、ブリの照り焼きなのか。
どちらで書いても違和感を感じてしまい、投稿直前までどちらにするか悩んでいました。
次話、第四話は『変わるもの』というタイトルで執筆致します。なお、全話のタイトル一覧はプロローグの前書きにあります。
最近プライベートの方で忙しい時期を抜けたため、ちょっとした喪失感に苛まれながらも、小説を書くスピードを上げられることに歓びを覚えております。
毎日楽しいです。
第三話もご愛読ありがとうございました。