Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
7分割を統合しただけで内容は同じです。
既に読んだ方は続きからで支障ありません。
本当にごめんなさい。
投稿凄く遅れてしまいました。
天然の未です。
前回プライベートが暇になったとか小説を書く時間が増えたとか言いつつめちゃめちゃ遅れてしまいました。
そんな未の書くCBA 第四話に突入します。
どうか末長く読んでいただけたら......。
ところで、前回の前書きでAngel Beats! の話を少し挟んだのですが、そのAngel Beats! が、なんとBS日テレ様の方で再放送することになりましたね!
現在第3話が終わったところ。あの悲しい回ですね。
My Song、破壊力凄いです。
......という感じで、毎週初心に還った気持ちで楽しく観ていきたいとワクワクしているところです。
ちなみに記憶を消せるのならCLANNADの内容を忘れてもう一度観たいですね。
第四話はKeyは野球会となっております。
僕自身が野球の知識に疎いため、ルールを改変されたり単調だったりな試合になるかも知れませんが、どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです。
「春、これは?」
夕輝は食パンをひとくち食べてから、そう尋ねた。
「緑色のスライまるだよ」と春は答えた。
それが、今朝の会話だった。妹の春がまた摩訶不思議なモンスターを食べさせてこようとするので、夕輝は安堵し、そして不安を覚えた。
「春」
「何?」
「本当に申し訳ないんだが......俺に、緑色のスライまるを食べる勇気はなくてだな......」
目の前のツルツルの半球は、今にも動き出してしまいそうな程の確かなスライまるだった。緑色は濃く、LEDの光を反射してピカピカ光っていた。夕輝は知っている。スライまるはあらゆるものを吸収することができ、そして吸収している間は赤色、吸収した後は緑色に変わるのである。
「抹茶まん、作ってみたんだけど」
が、春はあっさりとその『スライまる』の息の根を止めてしまった。
「抹茶まん......」
夕輝の方はというと、しかしながらだが、そのモンスターの正体を理解してはいなかった。
「抹茶、まん......? 中身は?」
「中身じゃなくて餡。......抹茶パウダーと生クリームで美味しくしてみたの。食べてみて」
春はそう言うと自らの両手を合わせて、いただきますをした。朝から抹茶スイーツモンスターと遭遇することになろうとは思っていなかった夕輝は、ちょっと重そうだなと心の中で思いながらも丁寧にいただきますをして、そしてそのモンスターを頬張った。
ぱくり、と頬張ってから舌に触れるまでの、刹那の間のことである。夕輝の口の中に入った抹茶まんは、入ったその瞬間に見事に溶けた。溶けて、消えていった。抹茶パウダーという言葉に対して感じていた口の中のパサつく感覚はどこにもなく、ただなめらかにクリームと調和して、ただひたすらに口の中で消えていく。それはまるで、自分の口内が溶けているのではないか、と思う程だった。重くも感じないし、これはいける、と夕輝は思った。
「美味いな」
「でしょ? 何せ、研究期間1ヶ月の集大成だからね」
堂々とした口調と落ち着いた表情は、この抹茶まんの餡のようにはマッチしていなかった。しかしながら、そこからは確かな自信が感じられもした。そういえばここ最近、帰ると微妙に抹茶の香りがしていたが、それはこの抹茶まんの研究の残り香だったのか。夕輝はそう思いながら、もうひと口頬張った。
春が心置きなく、そして兄をぎゃふんと言わせるために抹茶の研究を続けられたのは恐らく、兄が夜遅くまで帰ってこないことに慣れ、そしてそれを確認していたからであろう。兄は休日すら、生徒会の仕事をしてくる、と言っては家から駆け出していくのだ。しかも最近勉強している姿を以前よりは見なくなったので、実は女でも出来たのではないかと思っている。
実際は、至って異様な生徒会活動故である。
「ごちそうさま」
共に添えられていたコーンスープと、魚肉ソーセージの入った体に優しいサラダもしっかりと平らげると、夕輝はそう言って食器を下げ、コーンスープの入っていた小さなカップに水を張った。
「じゃあ、行ってくるな」と春に声をかけて玄関を出ると、夕輝は真っ先に空を見上げた。空というのは、あの、広い広い、碧空のことだ。太陽の眩しいあの空。雲ひとつないあの空。
夏の始まりを告げる空。
夕輝は、今すぐにでも叫んでやりたい気持ちになった。
いつもより少し早く家を出てしまった。太陽が眩しかったせいだろうか、普段より30分も目が覚めてしまったのだ。春は抹茶まんを作っており、そのため兄の登場に驚いた。今まで兄を驚かせるためこっそり研究していた抹茶まんの存在を、最後の最後で知られてしまいそうになったからだった。慌てて隠していたものが抹茶まんであったことを、夕輝は食卓で初めて理解したのだった。
夕輝は、若干の陽炎が視界を歪めるあの交差点の隣を歩いていた。その世界はさしずめ8月15日の午後12時半くらいのようだ。
もっとも、今日は7月20日であり、今は午前7時50分である。
「......あいつだったら、余裕で生き延びるな」と夕輝は小さな声で言った。青髪の少年を思い浮かべながら、である。しかし、いつもとは違う時間帯であったために、夕輝の思い浮かべていた、普段一緒に登校している彼はその交差点でトラックに轢かれることも、点滅した青信号を走って渡ることもなかった。
しかし、代わりと言っては何だが、後ろから少し高く、薄い声が聞こえた。
「音永くん!」
それは、毎日のように聞いている、ひとりの少女の声だった。夕輝の振り返った目線の先には、長い黒髪の乙女がいた。
「お、雪じゃないか」
夕輝が「おはよう」と挨拶をすると、彼女も同じように挨拶をし、そして駆け足で夕輝の隣へと向かってくる。
その途中で雪は転んだ。
「きゃっ!」
「お、おい!」
突然のことに、夕輝はびっくりした。そして無意識に彼女のもとに走った。
「いたた......」
「大丈夫か?」
「はい......」
「立てるか?」
「ええ、大丈夫です」
彼女はそう言うと、すくっと立ち上がった。幸いどこにも怪我はないようで、少し安心した。
「今日は、早いんですね」
雪は歩きながら、夕輝にそう話しかけた。
「ああ、ちょっと早く起きたんでな」
「そうですか」
「......足、痛くないか?」
「ええ、心配しないでください」
「......そうか」
夕輝は白柳雪という少女に、少し不思議なものを感じていた。彼女はとても落ち着いており、清楚で可憐な印象を人々に与える。しかし一方で、こんなにもか弱さを十分にまとっている人間はなかなかいないのだ。それは、例えば捨て猫のそれと同じ系統の、しかも捨て猫のそれより大きなものである。
「......なあ、雪」
「何です?」
夕輝は、何を思い立ったのかそんな雪にそう話しかけ、そして続きを言った。
「あのさ......生徒会って楽しいか?」
その質問は、遠回しではあれど、確実に夕輝が本当に知りたかった部分を必然的に彼女に答えさせるものだった。雪はそう言われると、ほんの少し驚いたような顔をして夕輝を見、そして「楽しいですよ......とても」と答えた。
「うち、お父さんもお母さんも忙しくて、きょうだいもいなくて、家に帰るといつもひとりで寂しかったんですよ。......だから、生徒会みたいな、賑やかな場所って、凄く楽しいんです」
雪は、こちらを見て微笑んだ。その顔は決して作り物ではなかったと思う。
「そうか......。なあ、薄々気付いていた、ってか、まあ今の話を聞いて確信したんだが、雪のお母さんって......」
夕輝は一旦、そこで言葉を止めた。『確信した』と言葉では言えど、1%の間違っている可能性を疑っていたからだ。
しかし当たっていたのは99%の方で、雪はこくり、と頷いた。
「ええ、私の母は『白柳ホールディングス』の社長です」と彼女は言った。やっぱり、と夕輝は思った。彼女は普段から、それを感じさせる言動をたびたび見せていたのだ。
白柳ホールディングス。夕輝だけでなく、日本人なら誰もがその名を耳にしたことがある、有名な会社だ。ヨツイやヨツビシといった古くからの大手企業に並んで、現在様々な方面でビジネスを展開し、そしてそのどれもを着実に成功させている日本のトップ企業の1つである。雪に『お金持ち』というイメージはなかったが、しかし彼女の姿形、礼儀、立ち振舞いといった、彼女を取り巻く様々な要素が、その育ちの良さを物語っていたのだ。
大変だな、とか、そういう言葉をかけるのは違うと思っていたので、夕輝は適当に相づちを打ちながら歩いた。
そして気が付けば、いつもの下駄箱にいた。
──彼女も、普段その時間に登校しているようで──
茜も、ちょうど下駄箱で靴を替えたところだった。彼女は夕輝が彼女に気付いたのとほぼ同じくらいのタイミングで彼らに気付くと、「おはようございます」と挨拶をした。
「夕輝くん、今日はいつもより少し早いですね」
「ああ、早起きしたもんでな」
夕輝は靴を揃えて下駄箱に入れながら、そう答えた。
「昨日の能力者は厄介でしたね。帰宅は2時を過ぎてしまいましたが......眠れましたか?」
茜にそう聞かれた夕輝は、「ああ、ぐっすり眠れたさ」と軽く答えた後に、付け足してこう言った。
「もう慣れっこだ」
『3週間』という数字を見ると、たったそれだけの期間で『慣れっこ』になるのか、と他人には思われるだろうが、実際上夕輝が能力者と対峙した回数は、全部で15回だ。その辺のラーメン屋ならとっくに『常連客』のレッテルを貼られるレベルである。それだけの回数能力者と対峙していれば、『慣れっこ』になってしまうのも仕方がない。
「そうですか。睡眠は大事ですからね、しっかり寝ないといけませんよ」
茜はすたすたと廊下を歩きながら、夕輝にそう言った。言われた側の夕輝はというと、やはり廊下をすたすたと歩いていた。
やがて教室に入り、彼らは各々の席に着いた。夕輝は真ん中の列の一番後ろ、茜はその隣だった。席替えというシステムもしっかりとあるその学校は、見た目だけではただの平凡な、少し賢いだけの高校だ。
「なあ、茜」
「何です?」
夕輝は席に着いた後も、茜に話しかけていた。少々気になったことがあったからだ。
「沙良はいつ帰国するんだ?」と夕輝は素朴に聞いた。
見渡せど、教室に岩下沙良はいない。勿論教室だけではない。日本のどこを探し回っても沙良は見付けられないだろう。彼女は今、日本にいないのだから。
「明後日には帰ってこられるそうですよ」と茜は、鞄から教科書やノートを取り出しながら言った。「そうなのか」と応える夕輝を隣に置いて、彼女は今、机に何か別なものを構えた。その四角い物体は、カパ、と音を立ててバラバラになった。......つまるところ、それは弁当箱だ。
「お前、いつもそれだよな」
「え?」
「朝弁。朝飯食べてないのか?」
「いえ、ちゃんと食べています。食べていますが、それとこれとは別ですよ。別腹ってやつです」
「......そうか」
彼女は当たり前のようにそう言うが、夕輝は知っていた。この弁当箱の、余りにも大きいということを。そして、その中身は......
「うっわぁ美味しそうだなぁ!」
興奮した面持ちと高い声で嬉しそうに弁当箱を見る彼女の目と鼻の先には、それはそれは美味しそうで、そして朝の胃腸には不似合いなキムチと温泉卵がトッピングされているカルビ丼がどっしりとたたずんでいた。
「いただきますっ!」と元気に彼女は言うと、その丼のカルビをまず先に頬張った。前に、彼女が穴子丼を食べているときに穴子からかじっていたのを不思議に思った夕輝がそれについて聞いたところ、「丼ものは、始めはおかずだけを頂くものなんです。常識ですよ?」と彼女に言われたことを、彼は思い出していた。そして今回もやはり、彼女はそのルールを厳守している。
もぐもぐと美味しそうに食べている途中で、茜の耳には鐘の音が届いた。始業を告げるチャイムは、今の彼女にとっては不都合なものだった。仕方なく弁当を仕舞うと、彼女は担任の起立の礼で気だるそうに立ち上がった。夕輝も彼女に合わせるように、ちらちらと茜を見ながら起立した。
今日の数学は少し難しかったなあ、とか、そんな何でもないことを考えながら昼休みの2階廊下を曲がったところで、夕輝は彼女を目にした。購買からの帰りである。
「ああっ」と慌てふためく彼女は薄い黒髪の雪。周りには何か文字の書かれた白い紙や、少し厚い本や、クリアファイルが散乱していた。彼女がそれらのうち幾つかを綺麗なまま、そして無造作に左腕に抱え込んでいるため、それらを落としてしまい拾っているのだと推測できた。
「大丈夫か?」と声をかけて夕輝はその紙たちを丁寧に拾い集める手伝いをする。すぐに彼に気付くと雪は少しびっくりした表情になった。
「音永くん......大丈夫です、私ひとりでやっておくので」と夕輝の拾う手を止めようとする彼女に、夕輝は左手にサンドイッチの入った袋を軽く握ったまま「いや、こんなんすぐだから」と答え、雪が幾度となく「大丈夫です」と言って彼を止めるのを半ば無視するように紙を拾い集め続けた。
「ありがとうございました......」
結局、雪は最後まで夕輝に手伝われてしまった。俯いたまま感謝の言葉を述べる雪。何だかこんな程度の些細なことをひどく気負っているようで夕輝には不思議だった。
「いや、全然。こんなことでいいならいつでも呼んでくれよ」
夕輝は特に何の気もなくそう言ったのだが、雪はとても落ち込んだ様子だった。
「......どうした?」
そんな雪を少しだけ疑問に思って、夕輝はそう尋ねてみた。彼にとって、特別なことではなかった。......彼女はその細く薄い唇を重たく開き、
「......昔からこうなんです」と答えた。
「え?」
「誰かの役に立ちたくて何かをしても、そのせいで逆に誰かに迷惑をかけちゃうんです」
「......」
突然そんなことを言われたので、夕輝は何とも言えない感情を抱いた。そこまでのことを夕輝は考えていなかったし、雪が考えているとも思っていなかった。ましてこれは落とした書類の話である。そこまで発展する要素はどこにもない。夕輝の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「いや」と夕輝は、しかし彼女に反論する。まだ現状、彼女の心境を正確には把握していなかったが、何かは言うべきだと思ったからだ。それは、殆ど無意識のうちに出てきたものだった。
「俺は別に迷惑だなんて思ってない」
「え?」
「お前が誰かの役に立ちたいように、俺もお前の役に立ちたいんだ」
「それは......」
雪は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに
「でも......他の人はそうじゃありません」と言い返した。夕輝の言ったことは紛れもない本心であったが、彼女には意味をなさなかったようだった。
「そんなことないさ」
夕輝は彼女を精一杯元気づけたつもりだった。純粋に、彼女をできる限り励ましたつもりだった。......しかしそれが彼女には逆効果だったようで、雪は「そんなことあるんですよ......」と俯いたまま言った。
「そんなこと、あるんです......!」
彼女のその言葉は夕輝に有無を言わせなかった。圧力と言っても殆ど齟齬がないそれは、夕輝を唖然とさせた。
「......」
雪はそんな夕輝を見てやっと我に返ったようで、「いや、あの......。すみません、私......」としどろもどろになり、そして考えた末に「音永くん、あの......本当にありがとうございました」と深く頭を下げると、駆け足で廊下を奥へと進んでいってしまった。呆然と、夕輝は彼女をただ見ていた。そして、決して声をかけることも、追いかけることもしなかった。
その理由は明白で、夕輝がそんな彼女を半分ほど理解してもいたからだ。
「今日の能力者は『質量変化』。物質の性質をそのままに、質量だけを変化させる能力です」
茜がそう言ったのは、放課後の生徒会室だった。松山はいつも通り仕事を奪われ、物言いたげに彼女を呪い睨んでいた。夕輝はというと、茜が語ったその能力に疑問を持った。
「......それって、色々アウトじゃないか? ほら、質量保存の法則とかさ」
夕輝がそう言うと、茜や松山は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに茜は
「能力なんて分からないことだらけですからね、恐らく物理法則に反しないように出来ているのでしょう」と言った。夕輝は納得したような、いや、全く納得できていないような複雑な気持ちになったが、心の中に仕舞っておいた。
この中に、話に付いていけていない少年が若干1名。
「ええと......? しつりょうほぞんの法則ってのは、どんな法則なんだ?」
夕輝は心底意外だった。巧がバカなことは知っていたが、質量保存の法則も知らずにこの高校を受かってこられるだろうか。それどころか受験すらさせてもらえないのではないだろうか。深山巧という男を夕輝はあまり理解できなかった。
「ま、夕輝くんの疑問も分かりますがね」と茜は、何か含みを持った台詞を小声で言った。夕輝だけではない。この疑問は、当時雪が生徒会に入ったときにも彼に対して感じたことだったのだ。
「簡単に言えば、100グラムのものは110グラムになったり90グラムになったりしない、ってことですよ」
そう説明したのは、雪。しかし、簡潔な説明が逆に巧には不適切だったようで「......そんなん、当たり前じゃねえか」と言われてしまうに至った。確かに当たり前ではあるのだ。
「......しかし今回の能力者は、100グラムのものを110グラムや90グラムにできる厄介者、ということです。......もちろん特殊能力ですから、それには限界があるでしょうが......」と重ねて茜は説明した。
「確かに厄介だな。......それに、物凄く強力な能力じゃないか」
夕輝は彼女に応えるようにそう反応した。その能力の脅威を、夕輝はある程度理解していたのだ。
結局、「考えていても仕方ありません。ひとまず向かってみましょう」という茜の提案によって夕輝たちは生徒会室を出た。
「皆さん、気をつけて」と言って松山は彼らを見送った。その『皆さん』の表す人数は、実にたったの4人である。
「見ろよ、これ」と夕輝に差し出したのは巧。移動の電車の中の、ほんの僅かな時間だった。
夕輝はそれを見ると、すぐに彼の意味する『これ』なるものについての理解に至った。
「沙良のライブ映像か」
「ああ、すげえよな、あいつ」
巧は純粋に彼女に敬意を込めてそう溢した。生徒会メンバーの1人、岩下沙良は今、彼の提示したスマホの中で歌っている。勿論電車の中なので音量はゼロだが、彼女の歌う表情や滴る汗からは確かな熱気と熱量が感じられた。
彼女がボーカリストとして所属するバンド『Rest Arts』は現在、アメリカで大きなライブを開催していた。これはその映像である。生中継ではないが、まさしくそれのような迫力がそこにはあった。ライブに無関心なアメリカの闇に、数多のペンライトが噛みついているのが分かった。そしてその観客の抵抗に応えるように彼女らは演奏を続けるのである。
「かっこいいな」と夕輝は言った。うわべではない、紛れもない本心である。音こそ聴こえないが、しかしそれだけである。彼女たちのライブにはそれ以上のものがあり、音など僅かな問題に感じられた。
完全にその映像に夢中になっていた2人は時間の経過を完全に忘れていた。電車の窓の外から広がる大きな大きな海や砂浜などは一切視界に入っておらず、それはまるで時間が止まっていて、その中を彼女たちのライブが後天的に彩っている、というそんなような感覚だった。実際はライブのせいで時間が止まっていたのだが。
間もなくして「着きましたよ」と茜は言った。夕輝と巧はすぐさま現実に引き戻されると「ああ」と返事をして、スマホをスリープさせた。それから電車を出、また1つ乗り換えをし、何駅かの後歩いてようやく目的地に到着した。
「ここって......鈴宮高校じゃないですか」
「鈴宮高校?」
雪は驚いたような表情で
「その通りです!」と元気に声を出すのは茜。彼女は胸を張って得意気に語り始めた。
「鈴宮高校と言えば、誰もがその名を知る超超超有名な野球名門校! 今年の甲子園の優勝候補です!」
こういうのを温度差と言うのだろう。実に楽しげな茜、それに乗っかる巧、驚いて口を両手で隠す雪に対しての、この夕輝。
「知らないな......」
夕輝が茜の先の言葉をあっさりと否定するようにそう溢すと、その彼女は、とても信じられないといった顔でこちらを凝視し、「えっ? 君、鈴宮高校も知らないんですか!?」と大声でぶつけてきた。1ヶ月の間毎日顔を合わせていれば茜も夕輝に常識がないことなど気付けていたが、ここまでだとは思っていなかったのだろう。
「鈴宮高校ですよ? 甲子園ですよ!?」
「小6までは野球をやってたんだが、今は野球なんてやらないし、観もしないからな」
「そんなっ......!」
茜は明らかにショックを受けた様子でいた。彼女の中では、野球は常識中の常識なのだ。そんな2人のやり取りを止めるように、巧が口を開いた。
「ま、それはそうと入ってみようぜ。能力者の目処は立ってるんだろ?」
それを聞くと、やっと本来の目的を思い出したようで茜は我に返り、「......そうでした、じゃあ行きましょうか」と言った。夕輝は少しだけ複雑な気持ちになって、口を尖らせた。
その後、4人はその門をくぐり鈴宮高校へと足を進め、野球部が練習を始めようとしているグラウンドに目をやった。飛び交う声が陽炎にゆらめき、ぼんやりと形なき形だけを残して夕輝たちの耳元に届く。それが暑さを増幅させる。
と、突然に彼らの頭上を白い物体が飛んでいった。うっすらと赤い色の線を伴ったその白いものは、学校の敷地を守るようにはるか高くまで張り巡らされた金網フェンスを軽々と越えて敷地外へと逃げていってしまった。
夕輝がそれを目でぼーっと追いかけていると、グラウンドの端の方から「おい、西口!」と太い怒鳴り声が聞こえた。
「練習のときは抑えろっていつも言ってるだろ!」
声を荒げるその男性は、どうやらその野球部の顧問かコーチかの類いのようだ。
「すんませんっ!」と大きな声で謝罪をしたのは黄ばんだユニフォームの少年。茜はその少年を見るなり、目標を定めたかのように鋭い目を見せた。夕輝はこの短い付き合いでも、茜のこの目が何を表しているのかを十分に心得ていた。
西口と名を呼ばれた彼は、鈴宮高校野球部の期待の新星である。高校2年生にしてその名を日本中に知らしめた天才高校球児。それが西口だった。
彼の凄さと言えば、やはりそのバッティング力にあるだろう。彼は決して筋肉質であるようには見えないが、しかし彼は間違いのない豪腕を有しており、プロ野球からも注目を浴びていた。
そして何より、圧倒的なホームラン率。少しでも甘い球が飛んできてしまえば、彼は間違いなくそれをホームランへ導く。1試合のうちにホームランを複数回成功させるなど日常茶飯事だ。
そんな人間を、茜が認知していなかったはずはない。疑わなかったはずもない。茜は彼を試すように睨んでいた。
「あいつか?」
「恐らくですが、そうかと思います。......ボールの重さを変えてホームランを叩き出しているんですね」と茜は夕輝に答えた。
「......そんなことが本当にできるんですね......」
茜は驚いたような、感心したようなそんな表情を浮かべた。そしてそれと同じように夕輝も驚いた。物理法則的に矛盾が生じているのは言うまでもない。極端にボールを軽くしても重くしても、それは遠くまで飛ばすには逆効果になる可能性が十分にあるのだ。が、しかし現に彼はそれをすることでホームランを幾度となく成功させている。それだけは揺るがない事実だ。
「......早速行きましょう」
丁度休憩の時間に入ったようだったので、4人は西口に近付いた。彼は木陰で目を瞑り、ペットボトルの水を飲んでいた。
「すみません」
彼は茜の声に気付くと瞑っていた目を開け、そしてこちらに向かってくる4人組に目をやった。
「......あなたたちは?」と彼は聞いた。西口は、夕輝と同じくらいの身長の男だった。青い帽子を被った彼の印象は、まさに好青年。野球部のユニフォームは良く似合っていた。
「どうも、私たちは星ノ海学園生徒会です」
茜は率直にそう答えた。
「......星ノ海学園の生徒会? そんな方々がどうしてまたこんな学校へ?」と言う西口の疑問もある意味当然だった。星ノ海学園と言えば、少し距離の離れたこの地域の人間でも知っているような有名校だったので、そんな学校の、しかも生徒会が直々に自分のもとへ来たとあれば、驚くのも当たり前だった。
「単刀直入に聞きます。......あなたは特殊な力を持っていますね?」
茜は率直にそう聞いた。少なくとも今回はその方が手っ取り早いのだろう。茜の予想は見事に的中し、彼はピクリ、と肩を反応させた。
「特殊な力......? なんのことです?」
とっさにそう切り返した彼の言葉は一見本当に何も知らない人間のもののようにも見えるが、茜はそこにある確かな動揺を見逃してはいなかった。
「とぼけても無駄です。あなたは野球のボールの重さを変える能力で数々のホームランを生み出している......。違いますか?」
茜が『物質の重さを変える』という言い方をしなかったのは、西口自身が能力をただ単に野球ボールの重さを変えるものだと思い込んでいる可能性があったからだ。その場合、下手に本当の能力に気付かせるべきではない。
「......ボールの重さを変える? そんなことが人間にできるわけないでしょう......」
西口は依然、何も知らない素振りを続ける。それを聞いた茜は頭を掻きながら、「......仕方ないですね、ではお見せしましょう」と言った。
「え?」
「雪、お願いします」
「え、ええ」
雪はいつものように、西口が握っていた空のペットボトルを引き寄せた。
「っ!」
突然の出来事に大層驚いたようで、西口は言葉を失った。
「とまあこんな感じで、この世界にはあなた以外にも沢山の能力者がいます。認めてください」
茜はその驚きを材料に、表情を険しくして一気に彼を問い詰めた。
「っ......ええ、そうですよ。僕は確かに、色々な物を軽くする能力を持っています」
彼は諦めたようにそう言った。先の茜の心配には及ばなかったようで、彼はその能力を正確に認知していたようだ。
「やはり、そうでしたか......」
観念して白状した西口に、茜は少しほっとした様子だった。中にはシラを切り続ける能力者も多くいるからだ。
「で、用事は何でしょう?」と西口。
「この能力を使って僕に何かをさせようってことなら、お断りですよ」と彼は不機嫌そうに言う。
「いいえ、むしろ逆です」
「逆?」
「私たちは、あなたのような能力者に能力を使わないよう促しているんです」
茜は、そこまで西口に言い放った。
「......え?」
西口は一瞬彼女の言っていることを理解できなかったようで、ただ困惑の声を漏らした。
「その能力を使い続けていれば、あなたは悪い科学者たちに見付かって実験台にされるかもしれません」
「......科学者? 実験台?」
「ええ、世界には特殊能力を悪用しようとする科学者たちが、今も大勢います。科学者に実験台にされ、廃人と化してしまった能力者も、ね......」
「......」
それらの事実を告げられると、西口は唖然とした表情でただただ黙りこくることしかできなくなった。現実離れした話ではあるものの、茜の表情や声色から来る妙な説得力に、とても嘘だとは思えなかったのである。
「ましてあなたは有名人。既に科学者たちに目をつけられていてもおかしくありません」
「そんな......」
西口は迫り来るいくつもの事実に、驚きと不安を隠せなかった。
「今からでも間に合います。もうそんな能力を使うのは終わりにしましょう」
茜にそう言われると西口は何かを考えるような素振りを見せて、
「......分かりました」と言った。夕輝はこのとき西口が納得してくれたとばかり思い込んでいたので、
「でも......今年の甲子園が終わるまでは、待っていただけないでしょうか」と言ってきたのには驚いた。そんな夕輝とは裏腹に茜はそう言われるのをある程度予想していたのか直ぐ様、「それはできません」と返したのだった。
「......どうしてですか」
「こうしている間にも、科学者たちはあなたに目をつけているかもしれないんです。これ以上能力を使えば、本当にただではすまない事態に陥ってしまうかもしれないんですよ」
強い視線で彼女は西口にそう言ったが、彼はどうしても譲れないようだった。
「そうだとしても、僕は必ず甲子園に行って、この学校を優勝に導かなければならないんですよ」
冷静な口調の裏には、何か別の感情も潜んでいるようだった。
「強情ですね......」
「ええ、それだけは譲れません」
「廃人になるとしても?」
「それは嫌ですが......チームメイトに迷惑はかけられませんから」
「......そうですか。甲子園で勝つためには、あなたの能力を使うしかない」
ふー、と軽く息を吐く茜。仕方ない、という顔だったので、夕輝は認めてしまうのかと一瞬不安になったが、茜は逆に、こんな突飛な提案をした。
「じゃあ、こういうのはどうでしょう。私たち星ノ海学園と、あなた方の野球部で試合をする、というのは」
「......え?」
と声を漏らしたのは、そこにいた茜以外の全員。
「おい茜、いくらなんでも......」
巧が慌てて茜の発言に物申そうとしていたが、茜は無視だ。
「あなたは能力を使っても構いませんが、私たちが勝ったら金輪際、あなたは能力を使ってはいけない。どうですか?」
理にはかなっている。つまり、茜が言いたいのはこういうことだ。
「なるほど、確かに甲子園に一度も出場したことのない星ノ海学園の野球部に能力をもってしても勝てないのなら、甲子園でその能力を使う必要なんてなくなるな」
全員がそう言う夕輝を見た。
「そういうことです。その代わり、私たちが負ければあなたはこれからも自由に能力を使える。......問題ありませんよね?」
茜はにやり、と楽しそうな表情で西口を見た。流石にこうまで言われてしまうと、できないとは言えない。むしろ西口にとっては好都合な条件である。
彼はため息を吐いて「......分かりましたよ。監督には話をつけておきます。では練習が始まるので」と言って、やや不満そうにグラウンドに戻っていった。
「......いいのか、あんなこと言って?」
夕輝は背の低い茜を見て、不安そうに問い掛けた。
「さあ? 分かりません」
比較的楽観的に、彼女はそう告げた。
「はぁっ!? 勝機があるからあんなこと言ったんじゃねーのかよ!?」
巧はそんな彼女に驚いてしまって、思わず声を大きくした。
「まあまあ、落ち着いてください。勝機がないわけじゃありません。ただ、可能性としては、もしかすると低いかも知れませんね......」
「なんだよそれ!」
「茜、聞かせてくれ」と夕輝は言った。
「何か作戦があるんだろ?」
茜は夕輝にそう聞かれ、彼を見上げて、「ええ、確かに作戦はあります」と言うと、加えて「但し」と言った。
「但し?」
「但し、それには夕輝くんと......」
黙って歩いている彼女を指差して、
「雪。2人の力が必要です」と言った。突然にそう言われた雪はびっくりしたような目で茜を見る。
「私......ですか?」
7月21日。土曜日のこの日は、恐らく多くの地域で夏休みを快く迎えている、そんな日だろう。鈴宮高校がそれだった。対して星ノ海学園は来週やっとそれを迎える。私立高校だと、しばしばこういうことがあるのだ。
「お願いしまーす!」
少なくはない数の大きな声が響いた。ここは鈴宮高校のグラウンドだ。グラウンドの端にあるホームベースを境にして片方に薄紫のユニフォームを着た少年8人と白いユニフォームにアームスリーブの夕輝と巧、同じく白のユニフォームに白のアームカバーの茜と雪が並び、もう一方には全員統一されたユニフォームの男子12人、計24人の少年少女らが並んで立っている。厳かな鈴宮高校野球部の男子たちは総じて、やや不満そうに相手高校の女子2人を見ていた。
やがて、その2つの団体は別れて反対側に進んでいく。
「......不安です」
まるで負け試合をしろと言われているかのごとく表情で雪は下を向いている。それもそのはずだ。野球経験の一切ない雪が、あんな作戦を聞いてしまえば。
「大丈夫です。なんとかなります」といつまでも楽観的なのは茜だ。雪は不服そうに彼女を見つめる。
「もし......失敗したらどうするんです?」
そして茜にそう問いかけた。彼女の答えはこうだ。
「......そうですね、まあ約束は約束ですから、彼の好きにさせることしかできません」
「そんな!」
呆けたような茜に雪は必死な表情で食らいつく。心外です、というまさにそんな顔だ。しかしそんな茜だったが、数秒間の後ベンチの陰で歩行を止めると優しい笑顔でこう言った。
「雪、期待してますよ」
「......え」
上半身だけ日陰に浸かった彼女の笑顔はまるで、屈託ないという言葉が今この瞬間のために遥か昔作られたのではないか、と思うほどにそれが似合うものだった。彼女の真意は分からないが、少なくとも雪には思うところがあった。雪は俯き、小さな声で「私は......茜さんみたいな人じゃありません」と言った。先程から手を頭の後ろで組みながら横目でその会話を見ていた青髪の少年だけが、その言葉を聞き取っていた。
「プレイボール!」
相手高校監督のその一声で試合は始まった。1回表は星ノ海学園の攻撃。
「行け!」
と威勢良くチームメイトを激励するのは巧。その声を合図にして、星ノ海学園野球部の1番バッターはバットを自らの右肩に担ぐように構えた。
相手ピッチャーが、投げる。まずは様子見、という感じで本気で投げてはいないが、その速球は早くもバッターから三振を奪った。
「ストライク! バッターアウト!」
快いほどのアウトを食らってしまったところで、1番バッターはベンチに戻ってきた。
「出た! 鈴宮高校3年ピッチャー杉野の超豪腕ストレートっ!」
茜がまるで野球観戦にでも来たかのように興奮した様子で詳しく解説をした。何だかとても楽しそうだったので、夕輝は眉間にしわを寄せながら「お前はどっちの味方なんだ」と聞いた。
「そりゃあもちろん、星ノ海学園に決まってるじゃあないですか」
何を当たり前のことを聞いているのか、といった表情で彼女はこちらを見ていた。頭の上にクエスチョンマークすら見えたので、夕輝は何故か自分が間違ったことでもしたかのような錯覚に陥った。
「ただ、折角の鈴宮高校ですから、楽しまなきゃ損じゃないですか」
「随分と楽観的なんだな」
「いいえ? 相手を知ることは作戦を立てるのにも重要ですから、こうして見ることもまた、勝利への第一歩なんです!」
もっともらしいことを言っているようで、それは屁理屈にも聞こえた。やがて3番バッターがピッチャーの豪腕によって三振を取られると、またも茜は「決まったぁ! これじゃあ太刀打ちのしようがありません!」と嬉しそうに声を上げた。
「......同じストレートしか投げてないのに打てないなんて、うちのバッターは大丈夫か?」
茜の隣でバッターを見守っていた夕輝は、そんな不安を漏らした。と言っても独り言なのだが、茜は俊敏に反応した。
「『同じストレート』......? 全く、夕輝くんは全く分かってませんね」と彼女は首を振りながら呆れたように物申した。
「え?」
「ちゃんと観てなかったんですか? ......彼はボールに緩急をつけてたんですよ、それも、とても大きな」
「緩急?」
「ええ。通常ならチャンスボールになってしまうような緩い球も、最速151キロの豪速球の後では撹乱に最も有効な武器になるんです!」
熱心に語る彼女の目はまっすぐ、ベンチに帰るあのピッチャーを見ていた。きらきらとしたその目の真意が夕輝には分からず、苦笑も出なかった。
やがてバッターが「あんなの無理だろー」とか何とかぐちぐち言いながらこちらのベンチに戻ってくると、ようやく茜は本来の目的を思い出したようで、しかし何事もなかったかのように言った。
「次は、君の番ですね」
夕輝はごくり、と唾を飲んだ。
「......ああ」
出番と言っても、夕輝が投手を務めるわけではない。キャッチャーをするわけでもない。夕輝は一塁手である。そして夕輝の務めは、相手バッターに決して球を打たせないことである。
「......行くぞ」
仲間のピッチャーが投げる。決して速球とは言えないストレート。チャンスボールである。
こんなボール余裕だ、と相手バッターは思っただろう。が、勿論茜はそんなことを決して許さない。
「......なっ......!」と声を出したのは、相手バッター自身である。その瞬間に自分の身に何が起こったのか、彼は理解できていなかったのだ。
その相手バッターは、バットを振らなかった。余りにも緩いチャンスボールを見逃し、ワンストライクである。
彼がボールを見逃す約1秒前に、1人の少年がグラウンドに倒れた。そう、音永夕輝である。これらのことは、友利茜の作戦によって説明付けられた。
「作戦その1。相手の攻撃の際、夕輝くんは相手バッターに乗り移って下さい。乗り移るタイミングは仲間のピッチャーが投げた瞬間です」
「......なるほど、お前の作戦なだけあってせこいな」
星ノ海学園のピッチャーが、投げる。できるだけゆっくり、である。
──つまりですね──
相手バッターは動かない。まるで試合を放棄したように、バットを構えたまま突っ伏しているのである。
──俺は見逃し三振製造機、ってわけか──
「......アウトっ!」
審判は鈴宮高校野球部に何かしらの関わりがある人間であったため、呆然と目の前にある事実を受け入れられないまま叫んだ。
「何が起こってるんだ......」
信じられない、といった表情の相手バッター。一方、ベンチにいる相手のチームメイトは不服そうだ。
「ふっふっふ。これが私たちの力です!」
先程とは打って変わって、こちらの守備の成功に嬉しそうな表情を見せる茜。二塁ベースを踏みながら得意気に腕を組んでいる。
『私たち』という言葉に少し疑問を感じながらも、夕輝はそのまま1回裏を乗り移りで守りきった。流石に3人のバッターが空振りで抜かれると、他のメンバーは不服だなどと言えず、何故彼らがバットを振らないのか、それが不思議で仕方なかった。
「よっし! すげえぞ前島!」
一方、ずっと緩いストレートを投げ続けていたピッチャーは自慢気にベンチに戻っていった。同じ星ノ海学園でも彼は能力のことを知らない一般の生徒なので、夕輝の仕業を認知していないのである。てっきり自分の球で相手バッターをねじ伏せたと勘違いしている。
「さ、ここからが勝負ですよ」と二塁から帰ってきた茜が言った。帽子の向きを再度整えている彼女の姿は勇ましい。
「ん? 次はまだ2回だぞ」
当然のようにショートで守備をしていた巧は、その茜の発言に疑問を持った。
「巧くん、彼は4番バッターですよ」
茜は振り向いてそう言った。彼女の指差す遠い方向には、つい昨日話をしたばかりの少年が立っていた。
「能力者の、ええと......西田」
「西口です」
「そう、それだ。......でも、夕輝の能力でさっきみたいに何とかなるんじゃないのか?」
「それはできません。西口は能力者ですから、もし夕輝くんが乗り移れば夕輝くんの能力は上書きされ、西口の『質量変化』の代わりに『先入』能力が消えてしまいます」
生徒会活動に不可欠だと茜に判断されたため、夕輝は最初の活動でコピーした『先入』能力を保持している。実際、これまでの活動では『先入』能力は非常に役に立ってきたし、ある種解決の鍵となる能力であったのだ。
「なるほどなぁ......。で、じゃあどうするんだ? あいつは能力でホームランをばんばん叩き出すんだろ?」
「ええ、ですからここで、作戦その2です」
「作戦その2。相手バッター西口の本塁打は、雪の能力で防ぎましょう!」
「......え?」
それを言われた瞬間、雪は戸惑っていた。
「高く飛んだボールを雪の能力で引き寄せて、ホームランを防ぐんです!」
作戦会議は円滑に進んでいたが、ここで初めて雪は疑問を抱いたのである。
「あの......茜さん、それって、敬遠じゃダメなんですか?」
雪の言うことはもっともであった。何故なら、仮にここで彼を一塁に送ってしまったとしてその後をアウトにし続ければ問題ないからである。
「それではいけません」と茜は疑問に答える。
「彼に本来与えるべきは、『能力を使う必要などない』......。その事実です。ですから、彼が能力を使った上でそのボールをアウトにする必要があるんです。彼が能力を使う目的を絶やす必要があるんです」
なるほど、と夕輝は思った。しばらく生徒会で活動をしてきてある程度この活動の主旨を理解しているつもりだったが、こういうところで気付かされるものはある。
「できますか、雪?」
茜は雪にそう問いかけた。彼女は少しの間下を向いていたが、やがて顔を上げるとと茜を見て言った。
──やります──
4番バッター西口が打席に立つ。1回のこともあるので、ピッチャーを警戒している。
「いけ! 西口!」
あちら側のベンチから、男子の力強い声が響いて来た。続けて、いくつもの「西口! かっとばせ!」という仲間たちの声がグラウンドを飛び交う。
バッター西口の表情が変わる。
そしてやがて、グラウンドが静まり返る。
一瞬が一時間のようで、空気が熱い。
星ノ海学園のピッチャーが、投げる。
皆の期待があるから──。
皆のこれからを背負っているから──。
「俺はやらなきゃいけないんだ!」
西口はそう叫びながら、打てと言わんばかりの低速ストレートを傷だらけの金属バットで仕留め、そして遠くへ飛ばした。
茜たちの予想通りだが......それは、半ば物理法則を無視した軌道で空高く飛んでいった。
「よし! やったぞ、西口!」
相手ベンチは歓声で溢れ返った。一方で、事情を知らない星ノ海学園の野球部員たちは、落胆の声を上げていた。もう駄目だ、と彼らが頭を抱えたとき。
これもまた物理法則を無視した軌道で、高くまで飛んでいたボールが、墜落していくのだ。
「なっ!?」
西口が驚いたように声をあげる。何より彼の能力上、一度力の向きが変わってしまったボールを再度、ホームランに繋げることなどできなかったのである。
「雪! 行け!」
巧が雪を激励する声が届く。
「んんんっ!」
引き寄せをする彼女は、必死な様子だ。彼女は空を見上げる。白い球が物凄いスピードで、自分めがけて落ちてくる。そしてそれが近くなるにつれて──
恐怖は大きくなるのである。
「きゃっ!」
とうとう彼女は、役目を放棄して自己防衛をした。両腕で頭を隠し、目を瞑る。
野球ボールが速度を失い、ゆっくりと墜落した。雪の腕にぽこ、と当たり、地面に落ち、ボール3個分転がった。
「あっ!?」
まずい、と思ったそのときには遅かった。急いで1人の部員がそれを拾いに走ったが、駄目だった。
ボールを投げようと彼が構えたときには西口はホームインを達成していた。ボールの軌道が変わったところで、彼は焦ったのだ。
「よしっ!」と相手チームの仲間が拳を握りしめて喜びを噛み締めていた。
「......やられました」と茜。
「ここで1点とられてしまいましたか」
一方、雪はグラウンドで力を失ったように崩れている。茜と共に夕輝は彼女に駆け寄る。
「雪、大丈夫か?」
彼女の性格から、もちろんその質問の答えはイエスではなかった。
「また......」
「え?」
「また......皆さんに迷惑をかけました」
その彼女の声は、心なしか少し震えている。
「私......何もできませんでした......! また、私のせいで......!」
「そんなこと思っちゃいないよ、雪」
夕輝はできる限り、昨日の昼のように彼女のことを励ましたつもりだったが、それも意味のないことだった。
「ごめんなさい......! ごめんなさい......!」
確かに、彼女は泣いていた。声が震えていたし、時折しゃっくりのような音が聴こえたし、何より彼女の顔を拭う手がそれを示していた。これ以上、何も声をかけることはできなかった。
「......どうすっかな」
巧がそんな言葉を漏らしたのは、自分の守備位置に戻りながらである。
その後、何とか2回を西口の1点、3回をプラスマイナス0点で抑えたが、依然として星ノ海学園側が不利である。
来る4回表。
「ここらで1点、返しましょう」と茜が言った。冷静な顔だ。また帽子を直している。
「作戦その3です」
「......ああ」
バッターボックスに立ったのは巧。そしてピッチャーと巧を結んだ線の延長、その巧側に雪が立っている。
「本当に......いいんですか?」
雪は不安そうにベンチの方に目を向ける。茜はそんな雪に対してぐっと親指を立てた。満面の笑みである。
「分かりました......」
そうして、『何も知らされていない』巧はバットを構えた。相手ピッチャーが投げる。先程のピッチャーと変わらない程の豪速球だ。
「うおおお!」
巧がバットを振ろうとした、その瞬間。
球の軌道が変わった。見事に右に曲がったボールは、巧めがけて飛んでいった。
「うおおお......お?」
『彼女の能力上』、そのスピードは更に増し、最終的には物凄い速度で巧の顔面を打撃した。
「ふごぁっ!」
巧は奇妙な声と共に後ろへと倒れた。溢れんばかりの鼻血が吹き出し、顔面が現代アートの如く変形した。
しばらくの間場が凍りついていたが、やっと審判が口を開いた。
「ひ......ヒット・バイ・ピッチ!」
ヒット・バイ・ピッチ。つまるところ、
「いっでえええええぇ!」と巧は叫んだ。すぐに相手ピッチャーは「すいません!」と謝ったが、そうではない。
──作戦その3の1! 雪の引き寄せで巧くんをデッドボールに導きます!──
血も涙もない作戦だが、ある意味血は吹き出す。そうして巧は一塁に出塁した。
「大丈夫です。すぐに治ります」
「だからって......」
夕輝は唖然とした。この前巧が言っていたことの意味が分かった気がした。
続いて茜が作戦その3の2であるバントを成功させて巧が何とか二塁に回ると、やっと夕輝の番だ。流石に自身でピッチャーに乗り移る作戦は上手くいかないので、別の方法を考えた。
「頼むぞ......」
相手ピッチャーが投げる。初めはまっすぐ飛んできたが、急に沈んだ。フォークボールだ。それを夕輝は必死になってバットに当てた。打つ打たないの判断が遅れてストライクを取られては意味がなかったし、本命は巧の1点だったので夕輝は言わば『当てるだけで良かった』。ボールをとる必要もなかったのである。
転がったボールはすぐにピッチャーに拾われると、既に走り始めていた巧を仕留めるため二塁ベースに向かっていた。そして二塁手の手に届きそうになったそのとき。
「っ......! 頼む!」
巧の口からそんな言葉が漏れたのと同時に、なんと、二塁手は──
自分の頭上に来たボールを取りこぼした。
「なっ!」
守備を務めている相手チーム全員が唖然とした。
「何やってんだよ水野!」
チャンスだ、と思い巧は二塁ベースを踏み、そのまま三塁を通過、ホームに向かって走る。
「いっけえええ!」と茜の力強い声。二塁手の代わりにもたつきながらボールを拾ったショートが捕手に向かってボールを投げる。物凄い速度で飛んだそれに追い付かれそうだった巧だったが、全力を振り絞り走った。そして汗をたらしながら、本塁に飛び込む。一方捕手がボールをキャッチして巧をタッチしようとする。
「うおおおおお!」
そして、グラウンドが静まり返ったとき。
「どうだ!?」
審判が、動じたような表情で、そして『決して交わらぬ2つの手を見て』叫んだ。
「せ......セーフ! セーフっ!」
星ノ海学園のベンチが、湧いた。
「うおおおっ! やったあああ!」
「巧くん、やりましたっ!」
「......へへ、やってやったぜ」
巧は土まみれの顔とユニフォームで地面に接したままこちらを向き、ピースサインを掲げてみせた。
「そんなっ......」
一方で、相手陣地は落胆の空気に満ちている。
「俺たちが......あんな無名の高校に......」
動じていなかったのは、1人だけ。
「大丈夫です、先輩方」と彼は言った。
「西口......」
彼は立ち上がると、グラウンドの方だけを見て言った。
「俺が取り返しましょう、必ず」
彼はグラウンドへと歩いていった。
バッターボックスに立った西口は、やけに冷静だった。何かを研ぎ澄ませているような表情である。
「頼むぞ、西口......」
星ノ海学園ピッチャーがマウンドに立つ。
腕を上げ、左足を曲げて右足の手前へと運ぶ。
緊張感が漂う。
目を見開く西口。
ピッチャーが腕を振りかぶる。白い球が飛んだ。
「んんっ!」
腹に力を込め、鼻から大きく息を吐いて西口はバットを振った。
「いけっ!」
カキン、とバットとボールの衝突する金属音が鳴り響き、その音が守備をしている夕輝の耳に届く頃にはボールは宙を舞っていた。
「行った!」
相手陣地がワアッと一気に燃え上がる。清々しいほどの歓声だ。そんな中で、星ノ海学園にはまだ策があること、それを彼女の一言が西口にだけは伝えたのだ。
「雪! お願いしますっ!」
茜がそう叫んだ。遠くにいる白柳雪の耳元にまで届く。びりびりと、力強い芯のある声。それが彼女の鼓膜を揺るがす。
「は......はいっ!」
雪の応答の声がやや裏返った。足が震えているし、その目には光を無機質に反射する何かが滲んでいる。まだ怯えているのだ。怯え、立ちすくんでいるのだ。
だが、彼女は今現在、先程のボールに怯えているわけではない。
それが彼女の本質なのだ。
「え......えいっ!」
必死にそう叫んだ。ぶるぶると体を震わせながら、彼女は怯え続けた。
──やらなきゃいけないのに──
心の中で、そう唱えた。
──私がやらなきゃ、皆に迷惑をかけるのに──
彼女は唱え続けた。
しかし彼女は、圧倒的な不安と恐怖に取りつかれていた。
体が、動かなかった。
──どうして──
頭上の白を見て、彼女は思った。
無理だ、と。
そのときだった。
「うぉらっ!」
彼が飛び出したのは。
「......?」
雪は、突如隣からしたその声に驚いていた。それが聞き覚えのある声だったから。
思わず目を開けて上空を見ると、先程まで白のあった場所が茶色のグローブで覆い隠されていた。そのグローブからしなやかに伸びた腕を順にたどっていく。
「深山くん......!」
白い歯を見せて笑っている巧がそこにいた。
彼はやがて着地する。
「......アウト!」と審判が叫んだ。半ばやけくそだ。
歓声が起こった。グラウンドにまばらに存在していた意識が、声がすべて彼の方に向いた。
「あっぶねぇ......」
汗を吸わないユニフォームで額を拭いながら巧は安堵のため息をついた。呆然としていた雪だったが、すぐに声を取り戻した。
「......あの、深山くん......」
巧はやっと雪の方を向くと、グローブを押さえた右手を下ろして、どうしようもないことを叫ぶ子供のように、そして叱責するように彼女に言った。
「雪、お前なぁ......変に気負うんじゃねえよ!」
「っ......」
突如として自分の背徳を言い当てられたような気持ちになった雪は言葉を失ってしまった。しかしそんな雪とは裏腹に、すぐに巧はこんな言葉をかけた。
「......誰もお前が悪いなんて思わねえからさ」
「......え?」
「大丈夫だ。お前ひとりで気負う必要もない。もしキャッチできなくてもさ、今みたいに俺がカバーしてやるから」
巧はそう言うと、ぽん、と自分より背の低い彼女の頭に手をやった。何か言いたげな雪だったが、その瞬間何かどうでも良くなったようで、今までの自分が恥ずかしかったのだろうか、はたまた別の理由か、頬を赤くして言った。
「ありがとう......ございます」
うんうん、と満足気に頷くと巧は、「さ、まだまだこれからだぞ。集中しろよ」と軽く言ってベンチに戻った。スリーアウト、チェンジである。段々と太陽が西に傾いてきた頃合いだった。
その後、互いに無得点のまま試合は続いた。
星ノ海学園はできる限り守りだけを固め余分な得点はせず、対する鈴宮高校もそれを破れなかったために得点はできなかった。
そして、舞台は7回裏へと差し掛かる。
2番、3番バッターを夕輝の能力で抑えると、もう一度、4番西口の攻撃だ。
先程とは打って変わって、彼は非常に焦ったような表情だった。原因は勿論、先程のアウトである。能力を使ったのにも関わらず、彼はホームランを2度逃し、そして2回目に関しては得点すらできなかったのだ。
「ここで抑えれば......」と茜。真剣な眼差しで西口を見つめる。
ピッチャーが腕を振りかぶる。手からボールが離れ、キャッチャーのグローブめがけて直進する。
「かっとばせ、西口!」と声援が聞こえる。彼はその言葉に応えるように、バットを振った。言葉通り、かっとばすつもりで、全力で。
そしてボールが飛んだ。今となっては見慣れた光景だ。西口はボールの質量を巧みに変化させる。
「よし! 行けぇぇっ!」
声援が強く響く。それは、ショートの巧、二塁の茜を突き抜けて一気にセンターの雪へと貫けていく。
「っ......!」
その圧倒的な迫力と、依然自己をがんじがらめにしてくる不安とが相まって雪は怖じ気づいてしまった。また足が震える。
──それでも──。
それは雪にとって、満点解答だった。
彼女の中の意志と義務の一致が、そのとき彼女の中に同じように存在していた恐怖や不安を淘汰していたのだ。
それが、彼女の本質なのだ。
「んっ......!」
強く力を込めて、宙に浮いたボールの軌道を変えた。物凄い速度の球が彼女をめがけて墜ちてゆく。
日光が眩しい。
暑い。
逃げたい。
怖い。
それでも、そうだとしても、彼女にはやる理由があったから。
ゆっくりと、彼女の頭上を白い球が落ちる。くるくると回りながら、肌色のグローブに引きずり込まれていく。やがて雪はその球の質量を掌に感じる。そしてその球を決して話さないよう握りしめ、左手を上げて球を隠すようにグローブを覆う。
球が、息を失う。
──音が消える。
「......やった......のか?」
夕輝は驚きに満ち溢れた表情でグローブを頭上に構えたままの雪を見る。当人はというと、それはそれは夕輝の非にならないほど驚いていた。
「わ、私......」
彼女がそれを確実に認識するよりも先に、それは他のメンバー達に認識されたようで──。
ワアッと今日一番の歓声が起こった。
「すげぇぞ! やった! やったぞ雪!」と巧が彼女に駆け寄る。満面の笑顔だ。
「深山くん......私......私、やりました!」
「ああ、そうだ! 雪、すげぇぞ!」
次々とメンバーが集まり、雪に祝福の雄叫びをあげる。夕輝もそこに向かって、歓びを分かち合った。
そう巧たちが喜ぶ傍ら、である。
「......クソッ! 何でなんだよ!」とおもむろにバットを地面に叩きつけるのが西口。怒りとかではなく、悔しそうな表情だった。彼はそのまま無言でベンチに戻っていった。
「......さ、あと一点返せば勝ちですよ」とちょうど今そこに来た茜は、彼をおもむろに無視するように言った。
そうして7回が終わった。
「引き締まっていきますよー!」
茜が声を出す。8回の表は野球部の生徒がバッターボックスに立っていたため、得点はできなかった。夕輝たちは同点のまま9回を迎えてしまったのである。
「ぐぉぁぁぁぁっ!」
まずは巧が雪との合体必殺、
「では、次は私の番ですね!」と言う。
「茜! 頑張れ!」と夕輝も精一杯の声で応援する。
相手ピッチャーが投げた球は、ボール球。まずは見逃す。
「ボール!」
続いてピッチャーは、高速のボールを投げてきた。誰にそれがスライダーだと見抜けただろうか。茜はバントを無理に当てに行った結果、ボールを後ろに落としファウルを食らってしまった。
「流石ですね、甲子園優勝候補は......」
しかし、彼女は依然楽しそうな表情を浮かべたままだった。それが不思議だったのか何なのか、次にピッチャーが投げたストレートは甘かった。
「よし!」という茜の声と共に、カキン、と気持ちのいい音が響いた。巧が走り出す。
「行け、巧!」と夕輝が叫ぶ。彼をもともと警戒していた相手チームの守備は、一塁側に転がったボールを一塁へと送り、すぐに二塁手のもとへと投げた。先程の得点故巧は危険だと判断されたのだ。
「藤田!」
二塁手は上手く身を乗りだし、ボールをキャッチする。汗ばむ巧など気にも留めず、無慈悲にも彼は二塁ベースを踏んだままでいる。
「っ......くそっ」
巧はあと1歩、というところでベースを踏むことができず、その場で動きを止めた。
「......まずい......ですね」と茜がベンチに戻ってくる際小さな声で言っていたのを、夕輝は決して聞き逃してはいなかった。
「どうする?」と夕輝は彼女に聞いた。
「......作戦通りです」
彼女は落ち着いたままでそう言った。
「いけるのか?」
「それは君次第......いえ、君たち次第です」
ごくり、と夕輝は唾を飲んだ。
「ああ......そうだな」
バッターボックスに、夕輝は立った。2アウトのこの状況。
相手ピッチャーが構える。変化球を巧みに操る彼のピッチングは、プロ野球からも一目おかれているらしい。茜が一際彼に興奮していたのも、そういう理由だ。
「ストライク!」
声が響く。
「ストライーク!」
無慈悲なまでのコールが響くのだ。
「ボール!」
夕輝にとって、余りにもギリギリの戦いだった。プロですら通用するようなピッチャーなのだ。まずい、このままではやられてしまう。そうも思った。
しかし、だからこそ彼女がいた。
「ボール!」
ピッチャーは違和感を感じ始めた。
「ボール!」
いいや、違和感なんてものではない。明らかにおかしい。今はストレートを投げたはずだったのだ。
「ボール! フォアボーール!」
彼がフォアボールで相手バッターを出塁させてしまったのは。
「やりました!」
何を隠そう、雪の仕業だ。先程の
「......準備は整いました。次で勝負がほとんど決まります。雪、お願いします」
茜は夕輝が一塁にいるのを確認すると、雪にそう言った。
無茶苦茶な作戦だ、と雪も、夕輝も思っていた。それでもやる必要があった。勝利のために。
「えいっ!」
「上手い!」
雪が上手くバントを当てる。本来バントはここでは愚作だ。2アウトを既に取られているため夕輝がどう動こうと関係なく、一塁で雪をアウトにさえすれば終わりだったからだ。
そう、本来なら。
「三谷!」とゴロを取ったピッチャーが一塁手にボールを投げる。彼は構えた。確かに、そのまま行けば十分にボールをキャッチすることは。
しかし。
「任せ......」と言いかけて彼はそのボールを、気付けば見逃した。取りこぼしというわけでもなく、ただ物言わぬ人形のように腕を下ろし何もせず突っ立っていたのである。
ボールがファウルゾーンへと飛んでいく。
「な!?」
『何が起きたんだ』と言おうとした相手チームの守備たちも、途中でその言葉を失った。唖然としたのである。
それとぴったり同時に。
夕輝は、『今まで倒れていた体を起こすと』二塁へと走り始めた。雪がセーフを獲得し一塁で動きを止める。相手陣地は乱れ、夕輝が三塁にたどり着く頃やっと、1人の守備がボールを手に取っていた。
「村瀬!」
遊撃手は
しかし、捕手の目前にあるのはボールだけではなかった。
それは、夕輝。夕輝はボールとほぼ同じタイミングでホームに飛び込んだ。
そのとき。
ボールが僅かに逸れた。
「んなっ!」
慌てたピッチャーはしかし瞬時にそれに反応し、それをキャッチするため身を右に乗り出した。
そんな一瞬で、自分の足がホームベースから離れたことなどどうして気が付けるだろうか。
夕輝の手は確かにホームに触れていた。
「......これは......」と茜が声を漏らした。その次の瞬間に、審判が言った。試合において彼が言ったことこそが真実となる、あの審判だ。
「......セーフっっ!」
どっ、と歓声が巻き起こった。夕輝がやったのだ。甲子園優勝候補の高校から逆転の1点を勝ち取ったのである。
いや、夕輝だけではない。夕輝はすぐに立ち上がると、泥だらけで雪のもとへ向かった。
「雪! ......ありがとうな」
「え?」
「最後の
「......ああ、そのことですか。作戦にはありませんでしたけど、つい体が動いてしまって」
少し嬉しそうな、そして恥ずかしそうな表情で雪は俯いた。
「にしても」といつの間にかそこにいた茜は言った。
「ん?」
「作戦その3の3、上手くいって何よりです。先程の1点も、今も」
「......ああ、そうだな」
「作戦その3の3! 出来るだけ無駄な得点はしたくありませんが、どうしても得点をしなければなくなった場合。ピンチに陥ったら夕輝くんは相手守備に乗り移ってください」
生徒会室にて、作戦会議の真っ最中のことであった。
「あれ、結構難しかったぞ」
「だから、上手くいって何よりです、と」
そう、今回の得点、合計2得点とも、相手の取りこぼしやボールの見逃しは全て、夕輝の能力によるものだったのである。
残りは9回裏だけ。敵は現在、状況的にも精神的にも窮地に立たされている。何より、混乱しているのだ。状況をある程度まで理解できているのはただの1人。
そして西口は気付いた。
この状況を、唯一打開する方法を。
うだうだ言っていても仕方がない。
「先輩方、俺に考えがあります」
考えとは本当に上手くいくのか。今も9回裏だと言うのにあっけなく見逃し三振をして2アウトを取られている。大丈夫などとほざくことのできる状況ではなかった。
「西口のやつ......本当に大丈夫なのか?」
そろそろメンバーも彼を疑った。先程から一度もホームランを取れていない。普通のことにも思えるが、いつもの彼ではあり得ないことなのだ。
星ノ海学園のピッチャーは、いくら残りワンアウトであるからといって、実際のところ物凄く西口を警戒していた。そもそも1点差であって、しかも相手はあの西口だ。
「行くぞ......」
西口は、もうそれかしないと思っていた。遥か向こうで構える雪。逃げられないだろうと思っていたからこそ。
ピッチャーが投げる。緩いストレート球だ。
いける。
西口がボールを打つ。そしてその瞬間、鈴宮高校も星ノ海学園も含め、彼以外の全員が唖然とした。
「ば......バント!?」
それは余りに無謀な策だった。しかし完全に注意散漫だった前方の守備は、一瞬判断に遅れた。西口が一塁を回る。
しかし、そこまでだと思われた。二塁に回るまでに、そのボールを拾った守備員が二塁に送ればゲームセット。一塁で止まったところで意味がないと西口は理解していたし、自分が1点を取らなければ後はないと知っていた。
だからこそ、こんな奇策に出たのだ。
「おい、何やってんだよ!」と星ノ海学園の野球部員の1人が言った。すぐに夕輝がそちらを見ると、その先にはボールを拾わないままいる守備がいた。語弊がある。
ボールを『拾えないままいる』守備、である。
「まさか!?」
西口は二塁に回っていた。まずい、と誰もが思った。
「これは......あいつがボールの質量を最大限まで高くしてるのか!?」
察しの良い夕輝はすぐにそれに気付いた。いや、気付いたとして。彼はもう三塁も目前だ。
まずい、まずいぞ。
気付くと夕輝は、考えるより先に走り出していた。そのボールのもとへ。
西口が三塁を回ると同時に夕輝が重たくなったボールにたどり着き、思い切り引っ張る。しかし、どうしても持ち上がらない。
まずい。まずい、まずいぞ。このままでは彼が得点してしまう。
そう思っていた矢先。
西口が必死の表情で食らいついていた、まさにそのとき。
──突然、走っていた西口が倒れた──。
目の前にホームベースを構えて、であった。
ボールの力が抜ける。夕輝は慌ててそれを拾うと、思うよりまずそれを捕手に向かって投げた。
そして。
捕手がボールをキャッチする。
理解できていたのはそうだが、余りにも突然だったのだ。
審判が、「アウト!」と大きな声で言った。
ゲームセットである。そう、これは確かにゲームセットなのだ。夕輝たちの勝利なのだ。
──しかし、歓声は起こらなかった。夕輝はそこに立ち尽くし、そして鈴宮高校の野球部員たちはすぐに倒れたままの彼のもとへ走った。
「に......西口っ!」
後で話を聞いたところ、彼の能力には制限があったようで、付与ないしは剥奪した質量とその時間とに比例して体力を奪われる、というペナルティの大きい能力だったのだ。西口はそれを知っていた上で、彼の作戦に出た。一か八か、というつもりだったのだろう。漠然としか能力を把握できない松山は、それに気付けなかったのだ。
目覚めてすぐ、彼はそこがどこなのか気付いた。カーテンと、天井と、狭い空間のせいだろう。
「約束通り、もうその能力を使うのは止めてもらいます。今回の試合で分かったでしょう。あなたの能力を持ってしても、勝てない試合はあるんだ、と」
日はとっくに暮れてしまっていた。
「......僕の......僕の敗けですね。分かりました、言う通りにします」
鈴宮高校の保健室で横になっている西口と、カーテン越しに座っている4人の生徒。ただしそれは、別の学校の。
「ありがとうございます。......それと」
夕輝はそんな風に優しく口を開いた茜を、ただ何と言うわけでもなく見つめ続けた。
「それと、あなたをここに運んで下さったのは、あなたと同じチームの方々ですよ」
「え?」
そんなことを言われ、西口はびっくりした。しかし、その後言われたことにはさほど驚かなかったようだ。試合後倒れてからここに至るまでで、とっくにそんな気持ちもなくなっていたから。
「あなたが全て気負う必要なんてどこにもないんです。あなたの仲間の方々は、あなたを責めたりしません。だって、あなたが倒れて皆さん、試合の勝ち負けなんて忘れたようにあなたのところへ走っていったんですから」
「......良い人たちですよ、ほんと」
西口は、驚いてこそいなかった。が、カーテン越しに聞こえる僅かな嗚咽や微かにふるえた声は、夕輝たちに彼が、彼の心情がどうあるのかを教えた。
それで十分だった。
だから夕輝たちは、黙ってその場を後にした。西口がいつまでそこでそうしていたのかは、誰も知らない。知らなくていいことだ。彼はもう、能力を決して使わないだろう。
「皆、お疲れさまでした」
帰り道、地下鉄を降りて地上に出たところで茜が口を開いた。
「ほんっと、疲れたぜ」と巧も肩の力が完全に抜けた様子で、舌を突き出しながら吐き出した。少しして、巧と3人が分かれるところまで来ると茜が言った。
「では、また明日ですね」
「え? 明日は日曜だぞ?」と夕輝は、突然茜がそんなことを言うので何かの勘違いかと聞いてみた。しかしそれは遮られ、巧が「ああ、そう言えばそうだったな。ごちそうになって悪いな」と言うのだ。夕輝は混乱してしまった。そんな夕輝を見て、茜が思い出したように言う。
「ああ、そう言えば君にはまだ伝えていませんでしたね。明日は沙良が日本に帰ってくるのでお祝いのパーティーをします」
「......つまり?」
「焼き肉パーティーです。私の奢りですよ?」
「......え?」
彼女の言う通り、初耳だ。それに茜の奢りだなんて......。
「聞いてないし、それに......いいのか?」
「ええ」
彼女はそれを聞かれるのを分かっていたかのように瞬時に答えた。
「折角の機会なんです。親睦を深める意味も込めて、皆でパアッとやりましょう!」
夕輝は何だか少し申し訳ないな、と思いながらも、茜がそう言うならと「......ああ、分かった。奢られることにするよ」と答えた。
巧と別れ、その後真っ暗な闇の中を歩いて行くと最終的には雪、茜とも別れの挨拶を適当にして帰宅した。
身体中に疲労を感じながら、夕輝は家の扉を開ける。
今日もキッチンから良い匂いがする。
遠くから聞こえた「おかえりなさい」というまだどこか幼い声に、夕輝は返事をした。
第四話に来て、文字数が最多となってしまいました。
本当は毎回20000文字程度で抑えようとしているのですが、どうも上手くいきませんね......。
夕輝が雪のことを名前で呼ぶようになっていました。約3週間の時間の経過により少し親しくなったのでしょうか。
ところで、3週間で15人の特殊能力者が現れた、とは少々多すぎやしないか、と思われた方、多いのでは。恐らく原作では、ここまで多くの能力者は想定されていません。
その辺りはまた次の機会に......。
(CBA内では明かされないでしょうが)
そして次回、とうとう第五話がやってきてしまいます。
第五話のサブタイトルは『倫理と世界線』。
この話は、CBAの続編である
『Charlotte Done Edition(s)』に直結しているため、かなり複雑になっております。
そろそろ物語が動き始めるところですので、ご了承下さい。
今回は本当に、遅れてしまって申し訳ございません。
第四話もご愛読ありがとうございました。