Charlotte Bravely Again(st)   作:天然の未

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 どうも、天然の未です。
 今回は意味深なタイトル通り意味深な展開だらけです。
 この辺りから原作キャラをちょっとずつですが登場させるので、キャラを壊さないように最大限の注意を払い書いていくつもりですが、僕自身の想像・解釈が含まれる部分もあるかも知れませんのでご注意下さい。
 ところでところで、最近のKeyが物凄く物凄い件について。
 Summer Pockets Reflection Blue の情報が公開されました。
 のみき、静久のヒロイン昇格、うみちゃんルートの追加、新ヒロインの追加にシナリオ増加で追加コンテンツは他にも盛り沢山......!
 これは楽しみで楽しみで仕方ありません!
 そして、ヘブバン(これはビジュアルアーツとWFSによるものですが)!
 我らが麻枝様が13年ぶりにゲーム......しかもスマホRPGを作るということで、これも凄く楽しみですね!

 そして、まあ二次創作をしている身なのでこれは嬉しくてしょうがないのですが!
 Angel Beats! に続いてCharlotteの再放送も決定しましたね!
 放送は1/4のBS日テレ!
 偶然この二次創作を開いてしまった方も、何かのご縁ですので是非Charlotteの再放送を観てみて下さい。
 なんならこちらへもどうぞ(少々強引)。
 さて、前書きはこのくらいで、本文をお読み下さい。


第七話 時間が彼女を忘れた日

 9月19日。水曜日の朝は、お祭り気分のリビングから始まった。と言っても、本当にお祭り気分なのは約1名のみだが。

 

 

「ハッピーバースデー!」

 

 

 まるで風船が爆発したかのような猛烈な破裂音の後に、妹の春の楽し気な声が響いた。夕輝が手に持ったクラッカーからも、七色の紙テープがするすると宙を舞って落ちていった。蛇のようだ。

 

 

 今朝、夕輝がいつもより早く起きてしまったのは他でもない、この大層なパーティーのせいだ。妹の春が朝早くから何やら準備していた音で目が覚めてしまったのだ。

 

 

 リビングは色とりどりに装飾されていた。青は勿論、赤、黄緑、黄色、紫に黒まで......。今日、9月19日はスライまるが異世界に転生した日らしい。別名を『スライまるの日』などと言う習慣すらついてしまったらしいこの日は、公式でもスライまるの誕生日として認められた記念すべき日なのである。しかし、春よ。

 

 

「なあ春」

 

 

「何?」

 

 

 せっせと朝食を運んでいた春にそう声をかけた。そこには、アメリカ人でも目を見開いてびっくりするような地獄の光景が広がっていた。

 

 

「これは......何だ」

 

 

 純粋な疑問として夕輝はそう尋ねた。皿の上には、いくつものサンドイッチが広がっている。

 

 

「色んなスライまるだけど......何か変?」

 

 

 何か変? じゃない。何もかもが変だよ、と全力で突っ込みそうになっていたのを必死に押し殺して夕輝はもう一度皿の上を見渡した。色とりどりのスライまるが、三角のパンに挟まれているではないか。

 

 

「そうだな......。じゃあ順番に日本語で、何サンドなのか教えてくれ」

 

 

 的確な返答ができた。春は「えぇ......」と文句のような声を漏らしながらも答えた。

 

 

「えっと、そっちから順番に玉子サンドでしょ、キャベツサンドでしょ、紫キャベツサンドでしょ、後は......ブルーベリーサンドに、ケチャップサンドにイカ墨パスタサンドに......」

 

 

「待て待て待て」

 

 

「何?」

 

 

「何? じゃない。玉子サンドはともかく......ケチャップサンドにイカ墨パスタサンドって何だ! せめて人間の食べ物を出してくれ!」

 

 

 いくら何でも、と夕輝は声を上げた。最近、以前に増してスライまるの自由度が高まり続けていたので、この日を危惧していたのだが、やはり春は夕輝の予想を上回ってとんでもないスライまるをこれでもかと提供してきた。拷問の一種だろうか。

 

 

「それに、キャベツサンドと紫キャベツサンドは一緒でいいだろ!」

 

 

 渾身の突っ込みのつもりだったのだが、春は呆れたようにこちらを見てご丁寧に説明してくれた。

 

 

「......あのね、兄ちゃん。キャベツと紫キャベツじゃ色が全然違うでしょ? 緑色はスライまるが何かを吸収した後の色。紫色は」

 

 

「嘘をついてるときの色。......そんなことは分かってる、そうじゃなくて......って、おい、どこ行くんだ?」

 

 

 夕輝は反論を試みようとしたのだが、春は夕輝が話している途中、何を思い立ったか突然にどこかへ行ってしまった。廊下に向かったので、恐らく自分の部屋だろう。10秒程立ってから、彼女は何やら国語辞典ほど分厚い本のようなものを右手に携えて、小さい歩幅で走ってきた。そして夕輝の目の前に到ると、それを差し出して「はい、これ」と言ってきた。急に「はい、これ」と言われても。夕輝に渡そうとしているようなので受け取っておいたが、その本を手に取るなり夕輝はそれが何なのかはっきりと理解したのだった。堂々と表紙にタイトルが書いてあったし、何よりでかでかとそこにヤツが踏ん張っていたからだ。

 

 

「『スライまる大全集』......?」

 

 

「違う、『スライまる大全集!』だよ。エクスクラメーションマークが足りない」

 

 

「何の話だ」

 

 

「言い方の話」

 

 

 腕を組みながら、妹はその低い背とともに威張っていた。顔はどちらかと言うと不機嫌そうだ。たちの悪い女上司に説教をされているような気分である。

 

 

「んで、これを何で俺に?」

 

 

 ぱらぱらとページを捲りながら夕輝は春にそう聞いた。

 

 

「兄ちゃん、もうスライまるが召喚される前の世界に送られるところまで読んだでしょ?」

 

 

「ああ」

 

 

 そう、物語の終盤、ラスト3巻というところで、スライまるは自らのもといた世界に帰ることになるのである。伏線のようなものはいくつか張られていたが、唐突に主要キャラクターのスライまるがいなくなってしまうという展開は読者からも賛否両論だった。夕輝も丁度その回を読み終えたところだったので、あのときの少し寂しいような気持ちを今でも鮮明に覚えている。

 

 

「だから、ここでもっと兄ちゃんにスライまるについての知識を知ってもらおうと思って」

 

 

 春は今度は表情を豹変させ、得意気な様子だ。鼻息は目に見えるようだった。そんな春はまだ子供っぽさの残る中学3年生。

 

 

「なるほど......。じゃ、いただいとくよ」

 

 

 そう言って夕輝は、一旦キッチンのカウンターにその青く分厚い本を置いた。急に腕が軽くなった。

 

 

「じゃあ、朝ごはん食べよっか」

 

 

「......あぁ」

 

 

 表情が強ばった。自分でも、眉間がぴくぴくと動いているのが分かる。拒否反応だろう。本能は正直だ。汗まで流れてきた。晴れない心持ちのまま、夕輝は春と一緒に椅子に座って手を合わせた。先程の必死の抗議など気にする素振りもしないので、有無など言わせないつもりだろう。こうなってはもう食べる他ない。

 

 

「いただきます」

 

 

「......いただきます」

 

 

 しかし春の怖いところはここで、その日の朝食はそれなりに美味しかった。ケチャップサンドは健康に悪いかと思われたが、中は殆どスカスカのハリボテサンドだったため、夕輝は何とか血糖値の上昇を免れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッピーバースデー!」

 

 

 先程の比ではないクラッカーの音が鳴り響いたのは、夕輝の教室だった。1人の少女が飛び散った色とりどりの紙テープや紙吹雪の餌食になっている姿は、端から見てもかなり微笑ましいものだ。しかし夕輝はと言うと、そこで何が起こっているのか知らずただぽかーんとしていた。まさに扉を開けて教室に入ろうとしていた瞬間だったからだ。

 

 

 教室後ろの大きな黒板を背景に、制服を来た生徒たちが戯れていた。その中心には彼女がいる。

 

 

「お誕生日おめでとう、沙良ちゃん!」

 

 

「おめでと~!」

 

 

 赤髪の彼女は、先週まで学校を休んでいた岩下沙良。心なしか、少し髪の毛が伸びたような気がする。

 

 

「ああ、ありがとな、美紀、桜」

 

 

 軽く笑みを浮かべて、彼女は答えた。いつ聞いても美しく透き通った声だ。笑ったことで細くなった碧い瞳がサファイアのように綺麗なのは、彼女がイギリスと日本のハーフだからだ。

 

 

「おはようございます」

 

 

 と、突然目の前から日常的な朝の挨拶が聞こえた。夕輝はその声を聞くなり、すぐにその声の主が分かった。今では聞き慣れた声だ。遠くにやっていた目を手前に持ってくると、薄いクリーム色の流れるような髪の毛がそこにはあった。目の前にあるせいで一本いっぽんがよく見える。細い糸のようなそれは束になり、今すぐにでも触れてみたくなるくらいにふさふさだった。動物の尻尾みたいだ。

 

 

「あ、ああ、おはよう」

 

 

 そんな心中を知っていてかどうかは分からないが、茜は「夕輝くん、朝から若干目が気持ち悪いですよ」と言ってきた。的確な指摘だ。

 

 

「ところで、今日は沙良の誕生日なのか?」

 

 

 半ば茜を無視するように夕輝は尋ねた。今も耳元には沢山の騒ぎ声が聞こえる。やはり夕輝の思った通りなのだろう。

 

 

「ええ、夕輝くんは知らなかったんですね」

 

 

 馬鹿騒ぎしているクラスメイトの中には、雪や巧も混ざっていた。今朝、いつもの交差点から巧がやってこなかったのはそういう理由だったのか。夕輝は沙良に少し申し訳ないような気持ちになってしまった。

 

 

 それにしても、まさかスライまると誕生日が被るなんて。

 

 

「俺も声をかけてくるよ」

 

 

「はい」

 

 

 夕輝はそのまま後ろの方の席に戻り荷物を机の上に置くと、馬鹿騒ぎの中にそれとなく加わった。沙良はそれに気付いてこちらを見るなり「よう、夕輝」と挨拶してきた。

 

 

「誕生日おめでとう、沙良」

 

 

 窓側のこちらは朝の光がちょっと眩しい。東から日が来る分、こちらには丁度良い角度で入ってくるのだ。まるで、今日の主役を飾るように。

 

 

「ありがとな」

 

 

 その眩しさに決して負けないように、彼女は微笑んでみせた。素直な笑顔だ。

 

 

「沙良~」

 

 

 横から声が聞こえた。見ると、先程沙良を真っ先に祝っていた女子3人組だった。彼女たちが持ってきたのは、両手のひらにギリギリ乗らないくらいの箱。いかにもプレゼント、という感じの、リボン付きの箱だ。

 

 

「これ、プレゼント! 私たちからの!」

 

 

 高校に持ってきて良いのかは微妙だが、まあ良いだろう。自分がいるべきところではないな、と思って夕輝は後ろの席に戻った。隣では今日も、茜がマイペースに朝弁当を食らっていた。今日は親子丼だ。見ただけでもよだれが垂れてきそうなとろっとろの卵にとじられた鶏肉を、ご飯と一緒にスプーンに乗せ一気に口に放り込む。この光景がほぼ毎日。実に茜らしい。

 

 

「にしても、沙良は本当に人気者だな」

 

 

 本心からの言葉だった。たぶん、沙良みたいな人間を、人々は『勝ち組』と称するのだろう。クラスに空気のように存在する『ヒエラルキー』なるものがあるのだとしたら、頂点にいるのが彼女だ。

 

 

「ほぉえふ、え......」

 

 

「口の中が空になってから喋れ」

 

 

 もぐもぐと茜はいくつか噛むと、ごくりと飲み込んで言い直した。

 

 

「そうですね......。夕輝くんとは大違いです」

 

 

「なっ」

 

 

 また茜は余計なことを言ってくる。夕輝はクラスでは結構ガリ勉だと思われているし、実際少し前まではその自覚もあった。しかし今それがないのは、生徒会活動のせいで結構勉強時間がないからだ。

 

 

「なんて、冗談ですよ」

 

 

 茜はそう言いながら、分かりやすく鼻で笑った。

 

 

「思ってないだろ」

 

 

「ちぇ、ばれましたか」

 

 

 全く、いちいち気に触ることを言ってくる。こんなことを言っている茜だが、生徒会では夕輝たちを率いるリーダーのような存在としてまあまあしっかりやっているので、悔しいながらも凄いと思う。この幸せそうに親子丼を食べている茜が、だ。

 

 

 と、そのとき、不意を突くようにチャイムが鳴った。モノトーンのこのチャイムは担任が入ってくる合図なので、クラスでは『鈴木ラプソディ』などというダサい名前までついている。勿論考えたのは馬鹿な男子だ。頭の使い方を完全に間違っている。最早何がラプソディなのか教えて欲しいほど、ラプソディとは真逆の平坦な音楽である。

 

 

 夕輝もふと、このチャイムに名前をつけてやろう、と思った。それは、この茜を見た瞬間思ったことだった。毎朝見てきたこの顔は、いつ見てもやはり見物だ。

 

 

「......朝弁......終曲?」

 

 

 自分で言って、何の捻りもないと思った。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

 

「ん? 夕輝くん、何か言いましたか?」

 

 

 チャイムが鳴ると朝のホームルームが始まるのでしぶしぶ弁当箱を仕舞っていた茜。その茜を見て先程の思い出したくもない言葉が口から出たのだが、それを彼女自身に拾われてしまった。

 

 

「いや、親子丼食べたいなって」

 

 

 出来るだけ自然に返した。茜は納得したような面持ちで、うんうん、と頷いていた。

 

 

「そうですよね、親子丼美味しいですもんね」

 

 

 何とか何事もなく収められた。茜には一度捕まるとめんどくさいので、これは大きな収穫だ。

 

 

 間もなくして、担任の鈴木先生がラプソディした。

 

 

 

 

 

 今日は朝ごはんのせいでサンドイッチ恐怖症になり、仕方ないのでおにぎりを3つ買った。全ての具材が肉類なのは、家では妹が肉料理を出してくれないからだ。

 

 

 そんな購買から教室に戻ろうとしていたところ、音楽室から旋律が聴こえた。4階の教室なので僅かだが、しかししっかりと夕輝の耳に届いてくる。最近では珍しく思う生徒も減った。よくある昼休みの光景。だが夕輝はそのとき何を思ったか、気付けば階段を上っていた。何となくだが、そちらに足を進めていたのだ。2階から4階まで上がる階段は本当にすぐで、気付けばその扉を開けていた。一応防音のつもりなのか重厚な扉だが、中の窓が開いていては仕方がない。夕輝はそんな風に、窓から入る涼しい風に髪をたなびかせながら歌っている少女を見て、ここまで堂々としているのは凄いな、と思った。曲は『Scary Ballade』。彼女の中では割とマイナーな曲であるにも関わらず夕輝がそれを知っているのは、初めて聴いた彼女の曲の1つだったからだ。

 

 

 珍しく、彼女がアコースティックギターで演奏する、切なくて、優しい曲。もし天使が傷を負ったなら、こんな歌を歌うのだろう。そんな風に感じさせる歌だった。こんな歌を、目の前で独り占めするように聴くことができるのは、実に贅沢だと思う。この権利を売ったら、一体いくらするのだろうか。彼女のバンドのチケットは、それこそ世界規模で超高額で売られる。アメリカでのライブなど、転売で何十万、何百万といった目を疑う高値で売られたりしている。それを買う人間がいるのだから余計に驚くばかりである。

 

 

「沙良」

 

 

 彼女が曲を歌い終わり一息つくと、夕輝は彼女に声をかけた。こちらを振り向く。

 

 

「ああ、夕輝か。どうした?」

 

 

 彼女はアコースティックギターを傍らに、ペットボトルを捻って水を飲んでいた。汗が滴るのがまた、彼女の存在感を際立たせる。

 

 

「いや、特に何て言う訳でもないんだけどな」

 

 

 彼女の喉に水が通る音と共に夕輝はそう答えた。すると沙良は、はっは、と高らかな声で笑った。どういうわけか、その笑顔すら魅力的で夕輝は何となく見とれてしまった。

 

 

「お前、前もそうだったじゃねえか」

 

 

「......そうだったか?」

 

 

「そうだよ。全く、この岩下沙良サマの歌声に聞き惚れて来ちまったのか?」

 

 

 強めの口調も、彼女の魅力を上手く引き立てているようだ。

 

 

「......まあ、そんなとこかな」

 

 

 こういう人間的な魅力も、成功している人間に共通する魅力なのだろう。夕輝は沙良に、自分とは程遠いものを感じた。沙良は本当に凄い。クラスで人気なのも、こういう性格故だろう。この口調を嫌味と感じさせないのが彼女の凄いところである。前にクラスメイトのことを『ミーハー』なんて言っていたけれど、決してそんなことはない、と夕輝は思った。

 

 

「もう1曲聞いてくか?」

 

 

 にやり、と沙良は笑った。挑戦的なような、挑発的なようなそれは、まさに彼女の性格そのものを示していた。

 

 

「じゃあ......頼むことにするよ」

 

 

 夕輝は、教室で夕輝の帰りを待っている巧のことを思い出しながら軽く笑った。

 

 

 

 

 

 沙良がすうっと、息を吸った。またアコギの曲だ。その瞬間、音の消えた夜の海のような空間に、ギターの音と彼女の声とが同時に鳴り響いた。いきなり鳥肌が立ってしまったことは言うまでもない。この曲は、と夕輝はすぐに分かった。初めてここで沙良を見つけたときも、彼女はこの歌を歌っていた。あんな鮮烈な思い出を忘れるわけはない。

 

 

 言葉を失った。先程まで彼女を形容する固定観念として存在した、『魅力』なんてものが一気に消えてしまった。

 

 

 それ以上。

 

 

 彼女の歌声にはそう思わせるものがあった。まるで自分の血液のように、体内を違和感なく巡る。それが心地よい。他に何も感じられない程、彼女の歌声だけを感じる。

 

 

 『Badbye to Bad you』。この曲をここで聴いたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 I'll go without you.

 

 

 I'll not be back,even if you believe in me.

 

 

 I'm just gonna have a look.

 

 

 I'll not see you again.

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前聴いたときとは違い、恐ろしいくらいに歌詞が聴こえてくる。頭の中ですんなり理解できる。それを不思議に感じさせない沙良の歌声は、最早人間のものとは思えない。例えばその辺の石ころと純度100%の純金が違うように、である。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 彼女が歌い終わった後も、しばらく呆然としていた。声を出せずにいた。今まで不思議な世界にいたせいで、まるで体がここにないような気分になる。

 

 

「どうだ? すげぇだろ」

 

 

「あ、ああ......」

 

 

 沙良に声をかけられたことで、ようやく夕輝は声を発することができた。まだ体の特殊な緊張は解けないままだ。

 

 

「この曲はさ、あたしが初めて作詞した曲なんだ。だから、気に入ってもらえたみたいで嬉しいよ」

 

 

「そうなのか......」

 

 

 最早、何十万とか何百万とかでは到底足りないような気がした。こんな貴重な経験は、恐らくどんなに熱心に働いたって決して訪れない。凄い。沙良は凄い。

 

 

 それにしても、とやっと感覚を取り戻してきた体と頭で夕輝は考えた。完全に時間の経過を忘れていた。

 

 

「お、また教室に深山でも置いてきたのか?」

 

 

 沙良は何でもお見通しのようで、しかしそんなことまで覚えているとは驚いた。夕輝も流石にそんな何ヵ月も前のことは覚えていない。

 

 

「ああ、悪いな」

 

 

「いや、聴いてくれてありがとな」

 

 

「また聴かせてくれよ」

 

 

「ああ」

 

 

 そうとだけ言うと、夕輝はすぐに音楽室を出た。あれ以上いると、本当に永遠に沙良の歌声に虜になってしまうような気がした。

 

 

 沙良は凄い。彼女には誰にも真似できない才能がある。本気でそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、生徒会に収集がかかった。今度はどんな能力者だろう、面倒な能力じゃないといいな、とか思いながら生徒会室に入る。

 

 

「お、来ましたね」

 

 

 今現れた夕輝を見るなり茜は言った。夕輝はと言うと、その光景に少し驚いた。そうだ、と夕輝は思い出した。こんな光景は、7月のあの日以来だ。つまり、巧の誕生日以来。沙良は目隠しをされ、白い椅子に座らされていた。室内は色とりどりに装飾されていたが、こんな光景は家の中でお腹いっぱいだ。またあのサンドイッチのことを思い出してしまった。見た目は残酷、中身は美味しい、違和感だらけのサンドイッチ。真実はいつも1つ。

 

 

「では沙良、目隠しを外して下さい!」

 

 

 茜は楽しそうに言った。今日は能力者のことで収集されたのではないようで、少し安心した。

 

 

 沙良が目隠しを外したのと同時に、夕輝も他も、茜に持たされたクラッカーを発射した。1日3クラッカーになることとは思っていなかったので、夕輝は何だか変な気分でその紐を引っ張った。

 

 

「ハッピーバースデー!」

 

 

 

 

 

「では、ケーキを食べましょう」

 

 

 突如ケーキが登場した。チョコレートケーキだ。こういうのをやりたがるのは茜。やりたいこともやるべきことも、何でも自分1人でこなしてしまう彼女の行動力には毎度驚かされるばかりである。しかしまあちょっと呆れた。どれだけハッピーバースデーをしたいんだ、お前は、と。茜は沙良を今日中に成人させるつもりなのだろうか。残念ながら何度言ってもハッピーバースデーは1年に1度だ。

 

 

「蝋燭を立ててます。ほら、夕輝くんも」

 

 

 夕輝の視界に茜が入った。蝋燭を2本渡してくる。

 

 

「ん......これでいいか?」

 

 

「バッチリです」

 

 

 適当な位置に蝋燭を立てた。沙良を祝う言葉の書いてある横長のホワイトチョコレートを邪魔しないように立てたので、茜も満足そうで良かった。巧、雪、沙良も蝋燭を立て、最後に松山がケーキの後方に蝋燭を挿した。これでぴったり16本だ。雪は自分より先に1歳年上になってしまった沙良を祝うため、周りに気を付けて蝋燭に火を着けた。勿論燃えそうなものはちゃんと仕舞ってある。不本意ながら窓も開けた。高校で火の元を扱うのは色々な意味で危険なので、早めにこの儀礼は済ませてしまおう。電気は夕輝が消した。

 

 

「せーのっ!」

 

 

 茜の声で、立ったまま一同歌い始めた。

 

 

「ハッピーバースデー、トゥ、ユー。ハッピーバースデー、トゥ、ユー。ハッピーバースデー、ディア、沙良ー。ハッピーバースデー、トゥ、ユー」

 

 

 歌い終えると、すっかり気分に乗った沙良は一息で蝋燭の火を消してしまった。すぐに消えたそれを茜が手際よく回収し、一旦小皿に乗せた。

 

 

「それでは、皆さん座ってください! ケーキを食べますよ、ケーキを!」

 

 

 一体どこから、どんなルートで密輸されたかは分からないが、高校の生徒会という場に不似合いなそれは異色を放ってたたずんでいた。ぱっぱとそれらをどこからか持ち出した包丁で切り分け、皆に提供する。やっていることは無茶苦茶だが、巧のときのようにあからさまにびびってはいない。彼女はこういう人間なのだと認識できているから。

 

 

「では皆さん、手を合わせて......」

 

 

 メンバー全員が手を合わせる。いただきます、と言おうとしていたまさにそのときだった。

 

 

 ──プルルルル

 

 

「......電話だ」

 

 

「誰ですか?」

 

 

「すみません、僕です」

 

 

 タイミング悪く、松山の携帯が鳴った。古そうなスマホ。電話を知らせるその音は、今では珍しい、淡白な着信音だった。

 

 

「ちょっと出ますね」

 

 

 松山はその場で応答ボタンを押し、耳に当てながら席を立った。

 

 

『星ノ海学園生徒会だな?』

 

 

 びくり、と全員が反応したのは、松山の電話から大音量で鼻にかかった男の声がしたからだ。恐らく以前電話したときにスピーカーフォンにしたのだろう、この少人数の狭い空間では皆の耳によく届いた。

 

 

 違う。

 

 

 そんなことは関係ない。

 

 

 今、男は何と言っただろうか?

 

 

『星ノ海学園生徒会』? 学校にではなく、『生徒会』に?

 

 

 嫌な予感がした。全員がそれに警戒し、注目した。

 

 

「......どちら様でしょう?」

 

 

 松山はイエスともノーとも言わずそう尋ね返した。冷静な口調だ。相手の方は、それが肯定の意味であることに当然気付いた。

 

 

『そうならそうと言え。余計なことはしない方が身のためだ』

 

 

「身のため......?」

 

 

 何やら物騒な言葉がスマホ越しに聞こえてきた。

 

 

『そうだ、黙って言うことに従え。こいつの命が惜しいのならな!』

 

 

 男は突然声を荒げた。スマホの向こう側から、ガタガタ、と音がした。それに、ひっ、と声をあげたのは雪だけだったが、実際は、皆怯えた。音だけで分かる。物騒な音だ。そしてその後聞こえたのは、聞き覚えのない男の子の声だった。

 

 

『誰か、助けて! 姉ちゃん!』

 

 

 誰だ? 最初にその思考が頭を巡った。中学生くらいの男の子だとは見当がついたが、夕輝には全く心当たりがなかった。茜にアイコンタクトを取るも、彼女もまた首を振った。茜の知り合いではないらしい。

 

 

 と、がたん、と今度はこちら側から音が聞こえた。夕輝より後ろからだ。驚いて返り見ると、それは、椅子が倒れた音だった。焦った形相で彼女は身を乗り出した。赤い髪が印象的だった。

 

 

「怜......? 怜!? おい、怜!」

 

 

 レイ、という名前は、やはり彼らには聞き馴染みのないものだった。しかしこのとき沙良が必死になって叫んでいた理由は、恐らくこの少年が彼女の知り合いだからだろう。

 

 

『姉ちゃん! 助けて!』

 

 

 少年はその奥で必死に叫んだ。男のひとりが『もういいだろう』と言ったのが聞こえた。

 

 

『分かったか? こいつを返して欲しければ、一時間以内に岩下沙良を連れて来い。場所のデータは送る。ただし、お前らの上の連中にでも報告してみろ。こいつの命はないぞ。お前らだけだ。分かったな!』

 

 

 そう言うと男は電話を切り、生徒会室にはつー、つー、と短く切れる音がただ鳴り渡った。この場の誰が、上手く状況を理解できよう。まともな判断は誰一人できなかった。突如起こった非日常な出来事に、流石の茜や松山も戸惑った様子だった。

 

 

「......Shit!」

 

 

 そんな中、沙良が下を向いたままあからさまに怒鳴った。一同がそちらを振り向く。

 

 

「......沙良さん、何か心当たりが?」

 

 

 恐る恐るといった感じで尋ねた松山を、茜はちらりと見て、それからまた沙良に注目を戻した。彼女の表情は長い前髪で見えない。

 

 

「......ないよ。......けど、あれはあたしの弟だ」

 

 

 やはりそうだ。先程あの中学生くらいの少年が『姉ちゃん』と言っていたのは、紛れもなく彼が沙良の弟だったからだ。

 

 

 松山のスマホが小刻みに振動する。恐らく位置情報が送られてきたのだろう。その振動が、ゆっくりとだが夕輝たちに事の現実味を与えた。ただし、それは決して鮮明には映らないものだ。

 

 

「......何が起こってるんだよ......。何で急に......! 今のは何なんだよ! ジョークなら笑えないぜ!」

 

 

「落ち着いて下さい、巧くん!」

 

 

 急な出来事に余りにも戸惑った巧を、一際大きな声で茜が制止した。しん、と生徒会室に静寂が染み渡って行く。

 

 

「......まずは......落ち着きましょう」

 

 

「落ち着いてられっかよ! あいつら何て言った? 生徒会って言ったよな! ......科学者じゃないのか!?」

 

 

 夕輝にだってそんな考えが及んでしまったのだから、巧がそう言うのも当然と言えばそうだった。言われたくないことを言われたように、茜は声を詰まらせた。

 

 

「っ......。違うとは言い切れませんが、しかし......そうだとしたら、なおさらです。まずは落ち着かなければいけません。状況を整理しましょう」

 

 

「......何で、こんな状況でそんな冷静なんだよ......」

 

 

 夕輝も正直、巧の心理に同意しないわけではない。が、茜はすぐに場を取り仕切るようにして考え始めた。鼻の下に指を据えている。

 

 

「......恐らく、彼らは科学者ではありません」

 

 

 そしてすぐに、核心とも取れる答えを導き出した。

 

 

「何でそう言えるんだ?」

 

 

 夕輝は少しでも場を落ち着かせようと、茜の論理的思考に参加することにした。勿論自分だって落ち着いてはいないが、少しでもそうするべきだと思ったのだ。皆の目が彼女に向く。

 

 

「......彼らは『沙良を連れて来い』と言いました。唯一能力者ではない、沙良をです。おかしいと思いませんか? 科学者ならば、少しでも研究材料を増やすために能力者を連れて来いと言うはずです。......恐らく、金目的の誘拐かと」

 

 

「......なるほど」

 

 

 確かにそうだ。彼女の言うことは的を射ている。以前、茜から『科学者は能力者について研究をし、使えなくなれば新しい能力者を研究材料にする』と聞いたことがある。その理論で行けば、確かにこれはおかしい。

 

 

「でも」と口を開いたのは雪。怯えた表情が抜けていない。「じゃあどうして、生徒会なんでしょうか? 親に連絡するとかじゃ......」

 

 

「それも簡単です。よく考えてみて下さい。彼らの立場で考えれば、できるだけ確実に金を徴収したいはず。ヘマはしたくありません。彼らは恐らく、2段階に渡って誘拐をしようと考えたんです。確実に沙良を手に入れるために」

 

 

「えっと......つまり?」

 

 

 雪が首をかしげた。まだ何やら、という感じだったが、夕輝は茜の言いたいことはだいたい理解できた。

 

 

「要は、まず先に沙良の弟である......レイくんを誘拐し、そして生徒会に電話をかける。......彼らは恐らく何かしらの能力者でしょう。生徒会が警察や公的なものの協力を仰げないことを知っています。声もまだ若いものでした」

 

 

 茜は淡々と続けるが、途中途切れ途切れになるのは恐らく、考えながら喋っているからだ。雪は頷きながら聞いている。

 

 

「そして、彼らは『能力者である』という特殊な条件のもと、沙良を呼び寄せます。弟さんと引き換えに沙良を確実に手に入れるため。......後は分かりますね? 身代金とか......何にせよ、大きな行動を起こすのはそこからです」

 

 

 なるほど、確かに辻褄が合う。慎重な人間ならここまでぐらいならするだろう。そもそも沙良がいつどの段階で1人になるかなど行動パターンを熟知していても難しい。彼女は仕事によってはずっとバンドメンバーと過ごすときだってあるのだ。だから誘拐は少々難しい。

 

 

「しかし、沙良1人で来いと言わないあたりは少し気になりますね......」

 

 

 その上で、茜はどうも分からない、と考えていた。一瞬でここまで頭が巡るのは凄い。

 

 

「ま、考えていても仕方ありません。考えてる時間もありませんし、ね」

 

 

 そう言って茜は松山に視線を向けた。位置情報を教えろ、ということだ。

 

 

「......行くんですね?」

 

 

 松山はまだ少し受け取りきれないといった表情で携帯をとる。探るようにそう尋ねたのは、それが彼女への問いかけではなく、確認だったからだ。

 

 

「ですよね、沙良」

 

 

 その瞬間、皆の視線が一気に沙良に向いた。沙良は悔しそうな表情だったが、同時に少し怯えた様子だった。それもそうだろう。いくら弟のことがあるとは言っても、沙良にだって同様に恐怖は訪れるのだ。奴らは自分を狙っている、と分かったのだから。

 

 

 しかし、沙良はそれを認識し、理解した上で決断した。いいや、もとより決まっていたと言った方がきっと正しいのだろう。

 

 

「......行かなきゃならないさ。何とか怜を取り返す。あたしも無事で帰るさ」

 

 

 そこで初めて、夕輝は沙良の声が震えていることに気付いた。よく見ると、体も震えている。沙良だって人間、ましてまだ高校生なのだ。怖くないはずがない。

 

 

 それでも、彼女に行かない選択しなど毛頭ない。彼女にとっては当たり前のことだ。

 

 

「そうですよね......。じゃあ会長、お願いします。一刻を争うと思いますから」

 

 

 相手がどんな連中かは知らないが、何しろ急がなければいけないらしい。

 

 

「はい......これです」

 

 

「......都内ですか、意外ですが......手間は省けました、とっとといきましょう。私のスマホに位置情報を送っておいて下さい」

 

 

 いつも通り、松山は行かない前提になっている。それもそうだろう。そもそもこの状況で迂闊に生徒会を無人にするべきでもないので、妥当だと言えばその通りだ。相手が何を考えているかは分かったことではない。

 

 

「皆さん、気を付けて」

 

 

 松山の声を背中に捉えながら、足早に生徒会室を出た。急がない手はない。夕輝たちはその足でそのまま目的地へと急いだ。

 

 

 生徒会室に、まだ手のつけられていないケーキを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「不気味だな......」

 

 

 巧がそう呟いたのは、30分が経過した頃だった。ドラマでよく見る、廃工場のような場所。所々にずっと放置されていると思わしき段ボールや、プラスチックの箱が散らばっていた。埃まみれで慎重に息をしないとすぐにむせてしまいそうだった。

 

 

 夕輝たちは現在、指示された位置情報を辿ってここにやってきた。いかにもチンピラや悪い組織の人間がここで銃を発砲したりしていそうで、巧の言う通りとても不気味だった。すきま風のような音が時折どこかから重なって聴こえることも、恐ろしくてならない。

 

 

「本当に......ここで合っているんでしょうか?」

 

 

 それなりに広い空間だが、薄暗さのせいで妙に狭く感じる。

 

 

「むしろ、誘拐なんてこういうところ以外でどこがあるんだよ」

 

 

 巧が突っ込みを入れたが、残念ながらいつものような覇気はない。怖じ気づいてしまっている。......それも当然だろう。こんな場所に来て、茜さえも警戒心を剥き出しに少し怯えているのだから。先頭をきって歩けるのだけでも凄いと思える。

 

 

「にしても、一体どこにいるんだ? まさか嘘ってことは......」

 

 

 夕輝がそこまで言うと、茜以外の全員が驚くようにこちらを向いてきた。ほんの冗談のつもりだったのに、割と本気で焦っている。

 

 

「それはないでしょう」

 

 

 茜は呆れたような顔でこちらを振り向いた。からかうな、というニュアンスだろう。「そんなことをして、何のメリットが......」

 

 

 そう彼女が言い欠けた瞬間だった。まさにそのとき、全員がガコン、と上から音がしたのに気付いた。それまでが静かだったため余計に、その遠くまで響く音に驚いて上を見ると、紐で吊るされていた鉄柱の重心が2本の紐のうち片方に向かっているのが見えた。するするとこちら目掛けて傾いて行く。つまるところ、片方の紐が切れた、ということだ。

 

 

「まずい!」

 

 

「逃げて下さい!」

 

 

 夕輝と茜は、考えるより先にそう叫んだ。20年に1度感じるか感じないかの、直接的な命の危険。それを直感したからだ。皆が皆、走った。

 

 

 完全に紐と鉄柱とが離され、そしてそれは逃げ遅れた雪の頭上に迫っていた。まずい。ドラマとかでよく見る鉄柱とは違い、無慈悲にも高速で落ちてくる。このままでは雪は潰されてしまう。そう思ったときだった。

 

 

「おらよっ!」

 

 

 雪の背中を、全速力で走ってきた彼が突き飛ばした。巧だ。あと0.1秒遅ければというところで、雪はその運動エネルギーにより安全圏に猛スピードで到達した。尊い1人の犠牲を孕んで。

 

 

「巧っ!」

 

 

 がらがらと、次々に巧を鉄柱が襲った。4本はある。鉄柱が落ちた衝動で舞う埃に視界を塞がれながらも、彼がみるみるうちにミンチにしてゆくのを見た。夕輝はその光景に、思わず吐きそうになってしまった。埃がなければ流石にやばかっただろう。巧の血がこちらに飛んできた。

 

 

「深山くん......!」

 

 

「見ちゃいけません!」

 

 

 音が鳴り終え、埃が落ち着いて視界が晴れたのと同じタイミングで状況を解した雪が振り向こうとしていたのを、茜が必死で止めた。流石に、雪にこんな光景を見せられない。巧が肉に帰してくたばっている、こんな残酷な光景を。

 

 

「くっ......あいつら、俺たちを殺そうとしたのか......どういうつもりだよ......!」

 

 

 そしてその残酷な肉の中から、声が聞こえた。相変わらずの生命力である。早速頭が再生したのだろうか。位置エネルギーを失った鉄柱を押し退けるようにむくむくと育っていく。

 

 

「お前、ゾンビかよ」

 

 

 半分首の繋がった巧がこちらを向く。逆に言えば半分は首がもげているのでよく曲がるが、気持ち悪すぎる。

 

 

「へっへ、どんなもんだ」

 

 

 どんなものか、と言われたら、グロテスクなものだとしか答えられない。モザイクをかけても十分に吐き気を催せるレベル。これから観るあらゆるホラー映画にも勝るグロテスク(物理)だ。

 

 

「ちょっと待っててくれよ、体の再生には時間がかかるんだ」

 

 

 もはやその手の能力が使える宇宙人か何かのように解説をするので、逆に緊張がほどけた。

 

 

 いいや、ほどけてしまっていてはいけない。現に今、夕輝たちは命の危機にさらされたのだから。もう少し気付くのが遅ければ全員やられていた。相手は正気の沙汰ではない。

 

 

 と、そのとき。

 

 

「ちっ、3人やりそこねたか」

 

 

 左から声がした。巧から見ると目の前上方向、茜から見ると右上方向。

 

 

「兄貴、怒んないで下さい。獲物(岩下沙良)は目の前っすよ!」

 

 

 そこには、2人の人間の影があった。太った体型の大男と、細長い金髪の男だ。

 

 

 どこからどう見てもチンピラとかの類いだ。

 

 

 ただし、かなりやばい雰囲気の。

 

 

「お友達は事故死ってことにしたかったのになあ、全く、運のいい坊っちゃんたちだこと」

 

 

 低い声の男。そしてその男を『兄貴』と分かりやすい上下関係設定で呼んだのは、先程の電話と同じ鼻にかかった声の男。

 

 

 空気が違う。夕輝たちとは縁もゆかりもない存在。あってはならない存在。やばい、と体が拒絶反応を起こしているのが嫌でも分かる。心臓がばくばくと動き、体は震えて動こうとしない。完全に立ちすくんでいる状態だ。

 

 

「ま、ここまでは予想通りだ」と太った男がどこかを睨んだ。そしてすぐに、男が見たのが沙良だと分かった。

 

 

「岩下沙良を渡してもらおう」

 

 

 男は完全に20代後半くらいの感じで、どこからどう見たって大人だった。それが余計に怖い。こうして立ちはだかるのが子供か大人かでは、恐ろしさの度合いが違いすぎる。

 

 

「......沙良をどうするつもりでしょうか」

 

 

 そこで、唯一怖じ気づかずに彼らを睨んでいるのが茜だ。いいや、そうと言っては嘘かも知れない。怯えた上で、その恐怖を自制しているのだろう。声が少し震えている。

 

 

「あなたたちの目的を教えて......」

 

 

「うるせえ!」

 

 

 茜の言葉を遮って叫んだのは細長い金髪。「余計なことを言うと、こうだぞ!」と後ろに縛られて控えていた少年を引っ張り出してきた。

 

 

「......怜! 怜!」

 

 

「姉ちゃん!」

 

 

 怜なる彼は完全に怯えた表情だった。沙良への応答は、その怯えた中で必死に振り絞った一言、と感じられた。

 

 

 と、その瞬間。

 

 

 ぴっ、と何かが切れるような、耳を必死に傾けないと分からない小さな音がして、それと同時に、少年の頬から何かが飛んだ。知っている色。先程見たばかりの色。巧が潰されたときと同じ......

 

 

 血の色だ。

 

 

「っ!」

 

 

 悲痛な怜の声と共に、彼の頬が縦に線を描くように血の色が広がるのが分かった。()()()()()()

 

 

「怜!」沙良が叫ぶ。

 

 

「あんまり騒ぐと、俺の能力でこいつが死ぬぞ? いいのか!?」

 

 

 覇気こそない細い方の男は、しかし絶対的な力を振りかざした。触らずに傷付ける能力......?

 

 

「黙って岩下沙良を渡せ!」

 

 

 夕輝の横からガタン、と音がして、地面に鉄が衝突した音だと分かった。見ると、巧が完全復活している。目には憎悪の念が宿っているのが嫌でも分かる。

 

 

「この野郎......!」

 

 

「巧くん、いけません!」

 

 

 茜が必死になって止める。しかしそれすらも制止するように、男が言った。

 

 

「ストップ、そこまでだ」

 

 

 太った大人の男は、完全にその場を制圧した。有無を言わせぬ圧力。それが恐ろしかった。直接的に本能の部分を怯えさせるのだ。

 

 

「我々は、手荒い真似は嫌いでな」

 

 

 バキバキと指をならなしながら、男は巧を見下ろした。言っていることとやっていることが矛盾しているではないか。彼らにとってその言葉は、『やろうとすればいつでもお前らを痛い目に合わせられるぞ』という暗示に他ならない。それが余計に恐怖を増幅させる。

 

 

「......分かったら、早く岩下沙良を渡せ! 余計なことはするなよ。下手なことをするとこいつどころか、お前らだってどうなるか分からないぞ!」

 

 

 細い男がもう一度念押ししてきた。この広く薄暗い廃工場には、その声が反響して耳がおかしくなりそうだ。その音がだんだんと形を失うにつれて不気味な静けさが襲い、緊張感が漂った。

 

 

 すると。

 

 

「仕方ねえな......潔く行くとするか」

 

 

 何とこの誰も口を開こうとしない状況で、初めて声を出したのは沙良だった。何故だかぶっきらぼうな感じだが、平静を取り繕っているのかも知れない。

 

 

「......沙良......」

 

 

 駄目です、と茜が言えないのは、人質がいるからだ。流石の茜にも、ここで何をすべきかなど見当がつかなかった。

 

 

 しかし、だからこそ夕輝たちは先程、作戦会議をしたのだ。

 

 

 その場で何か怪しまれるようなことをすれば、怜少年や夕輝たちが痛い目に遭いかねない。最悪の場合だって当然考えられる。彼女は歩き始めた。

 

 

「Chanceは1度きりだぞ」

 

 

 と、沙良が小さな声で前を見たまま夕輝に言った。あちらには聞こえないような小さな声で。夕輝たちにはその意味が分かった。返事をしないことが返事だった。沙良はそのまま横にある古びた階段に到達し、それを上っていく。一段一段、足をかけるたびにギシギシと金属の軋む音がする。今にも崩れるんじゃないかと不安になる。そんな階段を、1歩、また1歩と彼女は進んだ。13段を上りきると、そこには男2人と弟が待ち構えていた。

 

 

「待っていた。物分かりが良くて助かるよ」

 

 

 太った男が勝ちを確信した顔でそう言った。

 

 

 その表情は遠くの夕輝たちには見えなかったが、沙良は何故こんなタイミングでもう既に勝ったような気でいるのか不思議でならなかった。

 

 

 しかしながら、そんな疑問も、目の前の大男の一言であっという間に氷解してしまった。

 

 

「君は──」

 

 

「......え......?」

 

 

 その言葉を言われた瞬間。

 

 

 初めは思考が追い付かなかった。その男が言った意味を理解できなかった。

 

 

 次に、やっとこのことでそれを理解し、その上で困惑した。もしかしたら、とは思っていたのだ。しかし、実際に聞いてしまうと、今まで自分に何とか言い聞かせていたことを崩されてしまい、目の前が真っ暗になる。

 

 

「......何話してんだ......?」

 

 

 巧は不審そうにそのやり取りを眺めていた。夕輝だってそうだった。いくら何でも長すぎる。

 

 

「分かってくれたようで何よりだ。さ、弟君は解放しよう」

 

 

 沙良の目の前で男がそう微笑んだ。勿論そこには威圧以外の何もない。

 

 

「何で......」

 

 

 沙良はまだ、状況を上手く飲み込めずにいた。これは自分を動揺させるためのやつらの作戦だ。そう言い聞かせてもなお。

 

 

「何ヵ月も、君を手に入れるために試行錯誤したさ。君はもっと自分の立場を弁えた方が良い」

 

 

 男はそう言いながら、怜を連れてきた。「やれ」

 

 

「へい!」

 

 

 すると、彼は怜の手足と体を縛ったロープを能力で切断した。さくり、といとも簡単に切ってしまったのだ。

 

 

「姉ちゃんっ!」

 

 

「怜! ......ごめん、怖い思いさせたな」

 

 

 怜はすぐにこちらに駆け寄り、沙良を抱き締めた。今まで流したくても畏怖で流せなかった涙を、やっとここで流した。

 

 

「茶番はそこまでにしておけ」

 

 

 大男はそう言った。

 

 

「もう分かっただろう、岩下沙良。さっさとこっちに来るんだ。下手なことをすれば、お友達にお前の──を話さなければならなくなる」

 

 

「っ......」

 

 

 沙良はまだ戸惑っていた。動けずにいた。

 

 

 ()()()。沙良はそれを待ち続けた。

 

 

「怜、お前は帰るんだ」

 

 

「え......?」

 

 

 沙良にそう微笑みかけられた怜が、困惑の顔を浮かべた。「姉ちゃんは......?」

 

 

「あたしはちょっと、まだやんなきゃならないことがあるみたいなんだ」

 

 

「そう、君にはやってもらわなければならないことが沢山ある」

 

 

 沙良はもう、殆ど諦めるように言った。そこに細い男がロープを回収しているのを見ながら。

 

 

「でも、姉ちゃん......」

 

 

「いいから早く!」

 

 

「っ!」

 

 

 心配するように、右頬の傷の癒えない弟は沙良を見たが、怒鳴られたことによって怖じ気づいてしまった。彼は「うん......」とだけ答え、階段を下りようとした。

 

 

 沙良はまだ、それを待っていた。

 

 

 と、そのとき。

 

 

「兄貴、ロープっす」

 

 

「ああ」

 

 

 子分の細身が、大男にロープを渡したその瞬間。

 

 

 この時を待っていた。

 

 

 今だ、と思い沙良は叫んだ。

 

 

「夕輝!」

 

 

 工場内の至るところに、その声は響き渡った。子分が沙良を振り返った。

 

 

「てめぇ余計なマネ......え?」

 

 

 子分は一瞬、何が起こったか分からなかった。何故か、自分の手を親分の大男が握っていたのだ。沙良はずっと、この瞬間を狙って待っていた。子分と大男の距離が極限まで近くなるこの瞬間を。

 

 

「おらっ!」

 

 

 大男は自らの子分の腕を捻り、そのまま彼にのし掛かった。この時間実に1秒足らず。

 

 

「ぐえっ!」

 

 

「ナイスだぜ、夕輝! 怜、急いで降りるぞ!」

 

 

 大男に乗り移ったのは夕輝。そして自らの体に戻る頃には、茜と巧は薄暗い廃工場の中を走り出していた。

 

 

「沙良! レイくん!」

 

 

 一方、階段の上では魂の戻った大男が自分の状況に唖然としていた。

 

 

「兄貴......重いっすよ!」

 

 

「まさか......。ちっ、なめたマネしやがって、やっちまえ!」

 

 

 大男はすぐに立ち上がると、子分にそう命じた。子分は何が起こったのか分からないといった様子だったが、しかし言われるまま沙良のもとへ向かって走った。

 

 

「レイくんと沙良はこっちへ! 巧くん、応戦お願いします!」

 

 

「くっそ、やっぱ俺がやるのかよっ!」

 

 

 階段を下りて沙良と怜は茜のもとへ走り、そのまま彼女に従って安全な方へと進んだ。巧はというと、上から下りてきた細い男に向かっていった。

 

 

「ガキが邪魔すんなぁ! 『切り裂き』!」

 

 

 男はそう叫びながら、手を振りかざした。巧の腕に切り傷が入る。

 

 

「いってぇぇ! なんだこれ! どうなってんだよ!」

 

 

 と文句を言いながらも巧は果敢に男に立ち向かった。彼の半径1メートルに近付く。

 

 

「捨て身タックル!」

 

 

 普通ならばそうなのだろうが、巧の場合は不死という能力のせいで殆ど自分にデメリットがない最強のタックルとなってしまう。

 

 

「ぐっ! まさか、俺の『切り裂き』を受けてびくともしないだと!?」

 

 

 一対一での戦いとなると、子分は急に雑魚のように見える。

 

 

「このガキ......さっき鉄柱で潰されたはずじゃねえのか!?」

 

 

 手前から大男が加勢するために近付いてきた。巧の目の前に、2人の男が立ちはだかっている。

 

 

「あんたらよぉ、2対1はフェアじゃねえぜ!」

 

 

 そう言いながら巧は彼らに向かって突進しに走った。子分は『切り裂き』、親分の大男は本物のナイフを手にして巧に攻撃をしかける。

 

 

「『切り裂き』! 『切り裂き』!」

 

 

「うおおおおおおっ!」

 

 

 巧の体に次々に傷が出来る。体の色々な部分から、血が吹き出る。しかし彼は怯んだりはせず、そのまま子分の懐に潜り込んだ。

 

 

「その切れ味は......」

 

 

 子分はその俊敏な巧の動きに追い付けない。

 

 

「料理にでも使えっ!」

 

 

 巧はその拳で子分を捉えた。長い顎に必殺アッパー。子分は飛び跳ねて宙を舞い、時間差で尻から倒れた。埃が舞った。見ると、完全に気絶している。

 

 

「よっしゃ、K.O.だ!」

 

 

 夕輝は、最悪の場合加勢するために茜の指示でここに置いていかれた。この計画だけは残念ながら合理的な判断とは言えない。巧が最強過ぎて、加勢など全く必要ないからだ。

 

 

「ナイスだ、巧ー。ファイトー」

 

 

 なので適当に応援することにした。誰も見ていないので、若干虚しい。先程までの緊張感が嘘のように形勢逆転している。

 

 

「このやろおぉぉっ!」

 

 

 親分は猛烈な怒りを体にまとわせ、ナイフを巧の体に突き付けて、巧に突進した。流石の巧も避けきれず、深々と腹に刺さる。

 

 

「ぐっ!」

 

 

「やった!」

 

 

 男がその手に確かな手応え感じていたので、まずいか、と一瞬夕輝は思ったが、それは杞憂だったようで、次の瞬間には巧はそのナイフを握っていた。

 

 

「......何っ!?」

 

 

 大男の顔を見て、巧はニヤリと笑った。驚いたのかナイフを握る手が緩んだので、腹に刺さったそのナイフをすぐに引き抜いた。これがなかなか痛い。

 

 

「つっ! いっってええぇ!」

 

 

 その破天荒っぷりに、もう男は唖然として立ち尽くした。何だこいつは、という顔だ。

 

 

「そんな......あり得ない、不死身か......?」

 

 

 男は腰を抜かして、その場に尻餅をついた。巧は、はぁ、とため息をつく。半分演技の呆れた表情だ。

 

 

 かと思うと、すぐに男を睨んだ。

 

 

「もうちょっとちゃんと勉強してこい! 俺は不死身だっ!」

 

 

 言い放つとすぐに、大男にもストレートを食らわせてやった。

 

 

「うぐおっ!」

 

 

 間抜けな声と共に、男はぶっ倒れた。ハリ○ッドさながらの展開で、瞬く間に彼はK.O.されたのだ。

 

 

 巧の、生徒会の勝利である。こういう廃工場でバトルをすると少なからず物が破壊されたりプラスチックの箱なんかが散乱しそうなものだが、巧が早めに片を付けてくれたおかげでそうはならなかった。......かと言って、何か秘密兵器があるようにも見えなかったのだ。ここまで容易いとは思っていなかったので、流石に夕輝も拍子抜けした。

 

 

 勝利を喜んで巧がこちらにやってきたので何と言う理由もなく身の危険を感じたが、どうやらハイタッチをするために走ってきているだけだったようだ。しかし、体は正直だ。

 

 

「何で避ける!」

 

 

「いや、何となく」

 

 

「何となくって何だ!」

 

 

 それを言葉にするなら、余りにも強すぎる巧が次は自分に襲いかかってきたりしないか、と脳が危険信号を発していたと言えよう。

 

 

「巧くん、夕輝くん!」

 

 

 声のした方を振り向くと、茜が雪とこちらに来ていた。よく見るとその後ろに、怜と沙良がゆっくりと歩いていた。

 

 

「......レイくんは無事か?」

 

 

「はい。ですが......」

 

 

 茜が後ろを返り見る。とぼとぼと姉弟が歩いてきていた。弟の方は安堵の表情、姉の方の顔は見えなかった。俯いているからだ。

 

 

「沙良......」

 

 

 彼女はずっと、言い聞かせていた。

 

 

 自分のせいじゃない。

 

 

 全部あの人たちと、怜を誘拐した2人組のせいだ。

 

 

 怜に怖い思いをさせた。

 

 

 癒えない傷を心にも、体にも植え付けてしまった。

 

 

 でも。

 

 

 それもこれも全部、自分以外の人間のせいだ。

 

 

 あたしのせいじゃない。

 

 

「姉ちゃん、大丈夫?」

 

 

「え?」

 

 

 弟に声をかけられ、はっ、と気付いた。横を見れば確かにその声をかけた弟がおり、前では薄汚い廃工場に差し込んだ夕日が、茜と夕輝、雪に巧を照らしていた。不思議な光景だった。

 

 

「さあ、こいつらをさっさと縛り上げて帰りましょうか」

 

 

「えっ」

 

 

 雪が驚きの声を漏らした。終わったと思っていたら、まだやり残していたことはあったようだが、縛り上げる、と言っただろうか。クエスチョンマークが浮かんだ。

 

 

「えっと、茜さん」

 

 

「何でしょう」

 

 

「縛って......どうするんですか? 警察に届けるとか?」

 

 

「そんな危険なことはしません。一応左の彼は能力者ですから」

 

 

「じゃあ......」

 

 

 茜は雪の言葉の続きを待たずに、ポケットからスマホを取り出した。何だろうと思って見ていると、彼女はどこかに電話をかけ始めた。応答待ちのコールの間に、彼女は「ほら、男共、早く縛ってください」と命令した。余りにも雑な指令に文句を言おうとしたときには電話が繋がったようで、仕方ない、と茜に渡されたロープで渋々彼らを縛り始めた。

 

 

 その作業に取りかかろうとすると、茜の電話の声が聞こえた。相手は誰だろうか。この男たちを処理できるような人間? 見当もつかなかった。

 

 

「あ、もしもし、零階の方ですか? 隼翼さんをお願いできますか? ......はい、友利茜と言えば分かるかと思います」

 

 

 何やら知らない単語がいくつか出てきた。ゼロカイに、シュンスケ? 後者は人の名前だろうか。少し楽しそうな口調だ。

 

 

「夕輝、ちょっとこっち持ってくれ」

 

 

「あ、ああ」

 

 

 巧に頼まれてロープを持った。ぐるぐると体を縛っていく。気絶した2人は余りにも間抜けな面だ。最早、何の覇気もない。

 

 

「慎重な連中かと思っていたが......下調べは良いけど作戦が雑だったな。能力を過信し過ぎているし、巧の能力さえ知らないなんて」

 

 

「全くだぜ、ほんの雑魚だったってことさ」

 

 

 少しの違和感を抱きつつそんな話をしながら、手足とを完全に縛り上げたあと、胴体もぐるぐる巻きにしていると、また茜の声が聞こえた。心なしか、今度は先程より明るい口調に聞こえる。

 

 

「あ、もしもし、隼翼さんでしょうか? お久しぶりです。......ええ、実は......」

 

 

 事情を説明しているようだ。一体、どんな権限を持つ人間と会話しているのだろうか。少し気になるが、今は早く縛るのを優先するべきだ。目覚めて、暴れられでもしたら困る。

 

 

 ぐるぐるぐるぐる、とロープを巻き付け、決して動けないようにする。これだけ縛れば安心だ。彼らの力は計り知れないが、物理法則は嘘をつかない。2冊の本を1ページずつ重ねるのと同じように、摩擦でロープを決してほどけなくしてやった。おまけに口を縛って塞いだ。完璧だ。

 

 

「これでよし、と」

 

 

 達成感を感じながら腰に手を当て、立つと同時にポロン、と気の抜けた音が茜のスマホから漏れた。

 

 

「協力者を呼びました。後は彼らに任せましょう」

 

 

 協力者、ということは、少なくとも能力のことを知った上で生徒会に協力をしている者、ということなんだろう。もっと簡単に言えば、夕輝たちの味方、ということだ。そう考えて問題ないだろう。

 

 

「置いてくのか?」

 

 

「どうせ目覚めたって動けないでしょう、こんなに縛っているんですから。......念のため、先入能力を使っておいた方が良いですかね?」

 

 

「先入を使うのか?」

 

 

「......ええ、前に自分の能力で眠った能力者に使えましたから、気絶していても問題ないでしょう」

 

 

 そう言えばそんなこともあった。まだ先入能力をコピーしたばかりの頃、他人を眠らせる能力に目覚めた能力者がいたのだが、その手段が余りにも分かりやすい催眠ビーム的なものを浴びせて眠らせるという結構なものだったために、抵抗して眠らせてこようとしたところに一か八かで鏡を構え、ビームを跳ね返したのだったろうか。変な能力者だった。

 

 

「じゃあ、やるぞ」

 

 

「待ってください」

 

 

「何だ?」

 

 

「どうせなら......」

 

 

 何かまた変な悪巧みを思い付いたのだろう、茜はニヤリと楽しそうに笑っている。何を言い出すのやら、と思っていると、茜は夕輝に耳打ちしてきた。

 

 

「......なるほど、それも良いかもしれないな」

 

 

 数分後にここに駆けつけた協力者は、果たしてこいつらを見てどう思うだろう。きっと戸惑うに違いない。そんな風に思いながら、先入能力を使った。

 

 

「お前たちは......」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話が鳴った。少し前に機種変をしたスマホだ。最近ではもうすっかりこの状態の目にも慣れてしまって、音だけでスマホの位置だって正確に分かるようになった。

 

 

「もしもし。......ああ、悪いな、もう一般人のお前らに頼んじまって。......え?」

 

 

 スマホ越しに、彼女は呆れたような声を漏らしていた。

 

 

『何なのよ、こいつら。さっきから、『許されないことをした』とか、『早く功徳を積まなければ』とかずっと言ってるのよ』

 

 

 スマホの向こうで何が何だか分からない、と話しているのを聞くに、恐らく生徒会が最近入手したらしい『先入』という能力を使って何かしたのだろう、と察しがつき、苦笑いをしてしまった。茜の行動力には驚かされるが、無茶なことをするな、とも思った。

 

 

「取り敢えず、何とかしてこっちまで運んできてくれよ。頼んだ」

 

 

『え? ちょ、隼翼!?』

 

 

 抗議をされる前に電話を切ってしまった。2人なら何とかするだろう。1階には七野だっている。最悪あいつに頼めば良い。

 

 

 信頼できる友達がいるというのは、心強いことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ただのチンピラですか、良かった」

 

 

 ()()は安堵のため息を漏らした。これが大規模な組織だったとしたら、また1つ大きな仕事をしなければならなかった。今はそんな面倒事には付き合っていられない。電話がかかってきたときには警戒したが、心配には及ばなかったようだ。

 

 

『彼らが全部暴露してくれたから、彼らに協力しているチンピラたちも特定できて、一気にまとめて懲らしめてやったよ』

 

 

 はっは、と楽しそうに笑っている顔が、電話越しにも目に浮かぶ。

 

 

「......相変わらずですね、隼翼さんは」

 

 

 苦笑いがこぼれた。

 

 

『でも、念のため......』

 

 

「分かってます、そのうち彼女をそっちに向かわせます」

 

 

『助かるよ』

 

 

 乙坂隼翼は、そうして気さくに話していた。明るく振る舞っていた。何も知らなければ、恐らくその明るさの裏に隠れた感情を解していなかっただろう。まして、電話の相手は彼女である。

 

 

 合わせる顔なんてない。

 

 

「では、また」

 

 

『......うん』

 

 

 電話が切れた。こんな地下の研究施設で、彼女はもうどれだけ過ごしただろう。いつからか、彼女はこの生活に慣れてしまっていた。大切な人たちにも嘘をついて、彼女はここにいるのだ。

 

 

 こうするしかなかった。

 

 

 救い様がなかった。

 

 

 重厚な扉を、彼女はその小さい体で思い切り押した。他の扉はセンサー式だが、この部屋だけは特別だ。彼女の部屋だから。

 

 

「皆さん、今日はもう休んでください」

 

 

 そこにいる何人もの白衣の大人たちに、彼女は声をかけた。

 

 

 

 

 

 沙良はまだ、考え事をしていた。日はすっかり暮れて、マンションの中。夕輝や茜と同じマンションだ。

 

 

 部屋は広い。4人分の椅子が大きなテーブルを囲んでいる。木目のフローリングの廊下には、いくつかの扉がある。

 

 

「お帰りなさい......って、2人一緒なの?」

 

 

「うん、ただいま、母さん」

 

 

 沙良はそんな言葉など耳に届いていなかったようだったので、母の言葉に答えたのは弟の怜のみだった。沙良は下を向いたままだ。この部屋が嫌いだ。ここにいることが、嫌いだ。

 

 

「......沙良、どうしたの?」

 

 

「......」

 

 

 母の声が聞こえた。

 

 

 母の、自分を心配するような声が聞こえた。

 

 

 それが嫌だった。

 

 

 何も、反抗期だなんてものではない。それを沙良は自覚している。自覚した上で、本当に嫌だったのだ。彼女は母親を確かに嫌っていた。

 

 

「って、怜! 怪我してるじゃない! どうしたの!」

 

 

 急に、その声のボリュームを大きくした。それが不快でならなかった。弟を心配する母親のことを恨んでいた。

 

 

「何で、心配なんてできるんだよ......」

 

 

 ぽつり、と呟いた。母親と怜は、その小さな声に気付いて沙良を振り返った。

 

 

「どうしたの? 沙良、体調でも......」

 

 

「何で怜のことを心配なんてするんだ!」

 

 

 と思うと、すぐさま沙良は叫んだ。びくり、と怯えたように反応したのは怜だった。母親の方はというと、何が何だか分からないという顔をしている。

 

 

「元はと言えば......元はと言えば、あんたのせいじゃないか! あんたのせいで! あんたの!」

 

 

 気付けば溜め込んでいた感情を全て爆発させていた。今まで溜め込んでいた感情を。声は荒くなり、叫び声は部屋中に響いた。隣の部屋や外には聞こえたりしない。このマンションは完全防音だからだ。

 

 

「ちょっと沙良、どうしたの......」

 

 

 母は、何が何だか分からずただただ困惑している、という様子だった。

 

 

「あんたがあたしの金ばかり見てるから! あんたが金のことばかり考えてるから、怜が......怜がどんなひどい目に遭ったと思ってるんだ!」

 

 

 そう叫ぶと、それに萎縮したように部屋は急にしんとした。母の目も虚ろになってしまったまま、沙良を見ていた。

 

 

 沙良でない何かを見ていた。

 

 

「何......? 怜がどうしたの......?」

 

 

「あんたのせいだ!」

 

 

「やめてよ、姉ちゃん」

 

 

 怜の制止する声は、白熱していた沙良には届いていなかった。こうなってしまってはもう止められない。

 

 

「沙良、落ち着いて話を......」

 

 

「落ち着けるか! あんたが金にばっかり目をくらましてるから! 姉貴だって! 怜だって!」

 

 

「姉ちゃん、もうやめてよ......」

 

 

 沙良は怒っていた。体が熱い。母が沙良を見ていないように、今の沙良にも母が見えていなかった。叫ぶことしかしなかった。

 

 

 そうして、言い聞かせていた。

 

 

 蓄積していた感情を爆発させて母のことをひたすら恨めば、うやむやにできる気がしたから。何も考えたくないのだ。今、自分は成功している。何も問題なく、成功の1歩を辿っているのだ。汚すような真似は許せない。どうしたって、怜が傷付いたのは母親のせいなんだ。

 

 

「......怜さえも! 怜さえあんたにとっては息子でも何でもないのか! 姉貴みたいに捨てるのかよ!」

 

 

 母がショックを受けたような表情になった後、次に敵意を剥き出しにした顔になった。その言葉が、母にも火を付けたようだ。

 

 

「捨てるだなんて......言い方があるでしょう! 母親を何だと思ってるの! 誰が育てたと思ってるのよ!」

 

 

「そういうとこだよ! あんたのそういうとこが、あたしは大嫌いなんだ!」

 

 

 今日は誕生日だった。岩下沙良の、16歳の誕生日だったのだ。しかしそれすら彼女にはもう見えてはいなかった。いいや、どちらにしたってあってもなくても変わらないようなものなのだ。誕生日なんて所詮、仮初のものなのだから。

 

 

「沙良、あんた......親に何て口利くのよ!」

 

 

「うるさい! あんたなんか親でも何でもない!」

 

 

「何ですって......?」

 

 

 互いに、怒りはヒートアップしていた。合わせ鏡のようにきりがない。2人にはもう止められなかった。そして。

 

 

「いい加減に......!」

 

 

 と母が沙良以外の何かに怒鳴ろうとしたときのこと。

 

 

「もうやめてよ!」

 

 

 一際大きな声で、少年は叫んだ。中学3年生の少年の声は、まだ幼い。再び部屋は静まり返った。

 

 

「もう......やめてよ、姉ちゃんも、母さんも」

 

 

 少年は、半ば泣きそうな顔で沙良を見ていた。沙良より慎重が低いせいで、その顔はしっかりと見える。

 

 

「怜......」

 

 

 すっかり熱くなってしまっていた。いや、勿論冷めたりはしない。が、沙良は我に返った。

 

 

 そして、怜はこんな風に言ったのだ。

 

 

「僕なら大丈夫だから......。心配しないでよ、こんなのすぐ治るから」

 

 

「......」

 

 

 それから、怜はそんな顔を無理矢理取り繕うように──

 

 

「ほら、この傷......。父さんとお揃いだよ」

 

 

 ──優しく、微笑んだ。

 

 

「っ!」

 

 

 その笑顔を見た瞬間、とうとう沙良は気付いてしまった。

 

 

 違う。

 

 

 違う。

 

 

 言い聞かせたって無駄だった。

 

 

 信じたって無駄だ。

 

 

 何で、今の今まで気付かなかったんだ。

 

 

 違う。

 

 

 気付いていたんだ。

 

 

 その上で、無視していた。

 

 

 今日、怜を誘拐した男は何と言っていただろう。

 

 

 

 

 

 君は──。

 

 

 

 

 

「あたしのせいだ......」

 

 

 そんなことは分かっていた。気付いていた上で、自分に、全てに嘘をついた。つかなければならなかったのだ。自分の存在を肯定するために。

 

 

 そうだ。

 

 

 母のせいに、人々のせいにしようとしていた。金しか見えていない周りのせいに。

 

 

「......ごめん、ちょっと寝るな」

 

 

 静まり返った部屋にそう告げると、扉を開いて自分の部屋にこもった。

 

 

 今更、遅かった。

 

 

 どうしようか。

 

 

 どうすれば償えるのだろうか。

 

 

 全部が裏返しだ。

 

 

 怜にも、姉にも、今頃有名になっていたであろう人々にも、どうして償うことができるだろうか。

 

 

 沙良は何となく、手元のスマホを眺めた。

 

 

「......」

 

 

 どうやったら償えるか。

 

 

 その問いに対する1つの答えが、沙良の中で出ていた。

 

 

 もう、こんなことは終わりだ。

 

 

 夢の時間は終わりだ。

 

 

 気付けば沙良は、茜に電話をかけていた。耳にスマホをあて、コールの音をただひたすらに聴き続けた。

 

 

 間もなく、茜が電話に出た。

 

 

「もしもし、茜か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「春、あのなぁ......」

 

 

 夕輝は困惑しているというより、最早呆れていて言葉も出なかった。

 

 

「だから、今日はスライまるの誕生日だって言ってるでしょ?」

 

 

 分かった上で言っているのに、この妹というのは全く、おかしなことばかりする。そろそろちゃんと常識を教えた方が良いだろうか。

 

 

「あのな......一般人はラノベに登場するキャラクターのためにこんな大層な、芸能人の結婚式みたいなケーキは作らないんだよ」

 

 

 物凄く大きいケーキ。2人で食べることを考慮しているのだろうか。それとも、これが夕飯だとでも言うまい。いや、そうだったとしても多すぎる。高さ30センチはあるそれは、階層が8段にも渡る大きなケーキで、全体としては白。各階に色の違う砂糖菓子スライまるがちょこんと乗っており、色とりどりだ。頂上にはやはり、青のスライまるがその細い目で威張っている。

 

 

「こんなんどうやって食べるんだよ......」

 

 

「余ったら冷蔵庫で保管しとけばいいでしょ。誕生日には誕生日ケーキだなんて当然じゃん」

 

 

「でか過ぎると言ってるんだ。冷蔵庫に入るのか? ってか、誕生日に何でその主役を食べるんだよ!」

 

 

「細かいことはいーの」

 

 

 春は、まるで自分の言葉が100%正解であるかのようにめんどくさそうに夕輝の突っ込みを流す。いくらなんでも立場が逆だろう。

 

 

「いただきまーす!」

 

 

 一体、どれだけの時間と労力と費用を注ぎ込んで作ったのだろうか。将来は間違いなくパティシエになれる。手先が器用過ぎないか。

 

 

 いいや、感心している場合ではない。

 

 

「これ、2人で食うのか?」

 

 

「勿論。しばらくはケーキ生活だよ」

 

 

 嘘だろ。そんな生活をしていたら、ケーキ恐怖症、甘いもの恐怖症、スライまる恐怖症を催すに違いない。こんなでかいケーキ、一体何日あれば食べきれるんだ。

 

 

 しかし、夕輝にこの春の行動力を止めることなどできやしない。

 

 

「何てこった......」

 

 

 落胆と絶望のため息を漏らした。お先真っ暗だ。

 

 

 唯一の救いは、今日あった恐るべき事態を何とか丸く納められたことだ。本当にヒヤヒヤした。危うく死ぬかも知れなかったのだから。

 

 

 そう言えば、さっき帰り際に茜に、生徒会室に残していったケーキはどうするのか、と聞いたところ、松山に全部食べるよう頼んだと言うから驚いた。あの細い体のどこに、6人分のケーキが入ると言うのだ。

 

 

 とは言え夕輝もそれを考えると、松山も頑張っているのだからと何だか諦めがついた。仕方ない。このケーキは食べるしかないんだ、と見切りがついた。

 

 

「......いただきます」

 

 

 渋々、夕輝は手を合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後の話は、全て茜と夕輝だけが知っている。

 

 

 

 

 

 翌日、沙良は学校には来ていなかった。

 

 

 

 

 

「あれ? 今日は沙良はいないのか?」

 

 

 出欠確認の1分前で、殆どの生徒が机に座っていたと言うのに、沙良はまだ席についていなかった。

 

 

「変ですね」

 

 

 茜は昨夜、少しだけ沙良と話したが、沙良から欠席するなんて話は聞いていなかったので、少し不思議だった。

 

 

「何かあったんでしょうか......?」

 

 

 そんな風に喋っていると、担任の鈴木先生が扉を勢いよく開けて教室に入ってきた。起立、礼、着席、という委員長の合図に合わせて一同が「おはようございます」とばらばらに挨拶する。やる気のない感じ。いつもの風景だ。

 

 

「出欠取るぞー。青柳。伊藤。石田......って、まあ大丈夫だな、いないやつ手ぇ挙げろー」

 

 

 どっ、と笑いが起こった中、茜が手を挙げたので彼女は少し浮いた。皆が茜に注目する。

 

 

「あの、先生。沙良を忘れてます」

 

 

 飽くまで普通の口調で言った。が、担任は惚ける。

 

 

「......沙良って言うと......?」

 

 

「え......岩下さんです」

 

 

 担任なのに自分の生徒の下の名前も把握していないようだ。全く、とんだ担任だ、と夕輝は思った。

 

 

 最初は、そう思えていた。

 

 

 しかし、ここで担任は想像の斜め上を行く言葉を発した。

 

 

「岩下......? そんなやつ、このクラスにいたか?」

 

 

「......は?」

 

 

 思わず夕輝の口からそんな声が漏れた。担任がそんな寝ぼけたことを言うとは思いもしなかったからだ。きっと教室内に笑いが起こって、また馬鹿な男子にネタにされるんだろうと夕輝は思っていた。

 

 

 しかし、そんなことが起こることは決してなかった。

 

 

 異変に気付いたのはそのときだった。教室が静まり返っている。何故か笑い声がどこからも飛んでこない。

 

 

 それだけじゃない。

 

 

 クラスメイトの、茜を見る目がおかしい。皆が彼女を冷たい目で見ている。その目のうちの殆どが、空気の読めない人間を哀れむそれだ。

 

 

 思わず茜を見上げると、やはり混乱したようだった。自分が何を間違えたのか、必死で考えているように見える。考えることもできず、頭を真っ白にしているようにも見える。

 

 

 何かがおかしい。そう思ったときには夕輝も立ち上がっていた。

 

 

「おい、皆......? 沙良だぞ? 岩下沙良だぞ?」

 

 

 そう言っても、誰も夕輝に答えようとはしなかった。まずい、と思って、思考するより先に、沙良のファンだとか公言して誕生日を盛大に祝っていた女子の連中を見た。席が近い彼女らは、こちらを見て何かひそひそと話している。

 

 

「なあ、岩下沙良だよ。出席番号24番の、岩......」

 

 

 そう言い欠けたとき、夕輝は言葉を瞬時に失った。見えてしまったからだ。その目が見えてしまったから。

 

 

 青い髪の少年が、

 

 

 深山巧が不審そうな目でこちらを見ているのが見えてしまったから。

 

 

「なあ......おい、嘘だろ? 嘘って言ってくれよ、何の冗談だ? ......おい、巧!」

 

 

 夕輝はその目を見たまま気付けばそんな言葉を発していた。びくり、と巧の肩が動くのが分かった。

 

 

「夕輝、お前どうしたんだよ......」

 

 

 やっとのことで彼は口を開いた。しかし、依然として夕輝たちに対立する立場だった。

 

 

 雪を見た。彼女もやはり、こちらを不審そうに見ている。夕輝はふと思い付いた。

 

 

「そうだ、ネットで検索したら出てくるじゃないか」

 

 

 ホームルーム中だと言うのに、そんなことはお構いなしで、必死になって検索画面に『岩下沙良』の文字を入力した。出てこないはずがない。彼女は一流のミュージシャンなのだから。

 

 

 しかし。

 

 

 ──『岩下沙良』に一致する情報は見つかりませんでした。

 

 

「は?」

 

 

 素っ頓狂な声が出た。声が裏返った。けれども、それ以上の言葉は夕輝の口から出て来なかった。

 

 

 何で。

 

 

 何で何で何で何で何で何で何で何で。

 

 

 一体、何が起こってる。

 

 

 この世界に何が起こった?

 

 

 沙良はどこに行ってしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕輝のスマートフォンが、教室の床に落ちて鈍い音を立てた。友利茜の目は虚ろなままどこか一点を見ている。

 

 

 焦ることすら放棄しているのは、こんな経験が2度目だからだ。

 

 

 

 

 

 奇しくもこの日の前夜、岩下沙良の偽の誕生日の日の夜、音永夕輝と友利茜のたった2人だけを残して、時間は──。

 

 

 時間は、岩下沙良を忘れた。




 第七話もまた、色々変なギミックばかりばらまいてすみません。まいた種は実を結ぶまで育てる未です。お任せください。
 先入能力で夕輝が何をしたのかはお察しを......。
 急展開を迎えたCBA。
 まだまだ見逃せません。
 Charlotteに二期があったら、という妄想から始まったこの二次創作はまだまだ続きます。
 今年度中にCharlotte Zhiendまで終わらせるのが目標です。できるかなぁ......。
 今回も、ご閲覧ありがとうございました。
 この後の展開に注目です!
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