Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
何としても今年度中に終わらせて、来年度は某小説大賞に応募してみようかと思っております。
毎日、暇があればこの小説を書き、暇かつ小説を書けない時間は小説大賞に出す小説のアイデアを練りまくって、という感じです。
まだ掴めてはいませんが、たぶんやりとげます。
そんな天然の未です。
これを投稿する日ぐらいには第十話の途中を書いているぐらいなのですが、既に投稿予約している九話がめちゃくちゃ長くなりました。
あらかじめご了承下さい。
前書きが長くなりましたが、第八話のスタートです。
2人は必死になって、沙良を探した。
沙良の手掛かりを探した。
彼女の存在の証明を──。
真っ先に向かったのは、生徒会室。松山なら覚えているだろうと信じた。
しかし彼は、巧と同じ反応をしただけだった。沙良のことを覚えてなどいなかった。何故、と思っても無駄だった。
次に、沙良の家へと向かった。夕輝や茜と同じマンションだった。友人の夕輝と茜が彼女のことを覚えているのだから、彼女の母親や弟の怜が、忘れているわけがないと思った。
しかしやはり、これもまた無駄だった。母親に話しかけると『どちら様ですか』と聞かれた。夕輝は初対面だったが、茜はそうではなかったのだ。つまり、その質問はおかしい。
何より気になったのは、そこにやって来た怜の、頬の傷がなくなっていたこと。彼には自らの姉の記憶どころか、昨日チンピラ2人組に誘拐された記憶までもが残ってはいなかった。
だから、茜は彼に電話をかけた。昨日と同じ、『シュンスケ』という男にだ。すぐに応答があり、また昨日と同じ『ゼロカイ』という言葉が出たあと、しばらく時間があって、そして恐らく『シュンスケ』という男が電話に出た。夕輝はそのやり取りを、ただ見ていることしかしなかった。できなかった、とも言える。
茜が真っ先におかしいと思ったのは、隼翼の最初の言葉が『もしもし、茜ちゃん、久しぶりだね』だったからだ。何故。昨日、電話で話したばかりだったではないか。しかし、これが言葉のあやであることを信じ、茜は彼に説明した。岩下沙良がいなくなったということ。誰もその記憶を認識していない、ということ。
『イワシタサラ......?』
しかし、隼翼の口から出たのは、やはり他の人間と同じものだった。知っていないはずがないのである。隼翼は、生徒会のメンバーを全員認識しているはずだ。それは、例えば夕輝が彼のことを認識していずとも、だ。そういう立場の人間のはずなのだ。なのに。
本来なら説明するべきであった。隼翼なら間違いなく、この状況を馬鹿らしいとも思わず真剣に聞いて、冷静に判断するだろう。しかし、今の茜にはそんな思考は働かなかった。それよりも先に、もっと大きな虚無感が襲ったから。立ち尽くした。その場に立ち尽くした。
「夕輝くん......」
決して彼女はこちらを見ず、そして表情を見せず、呟くように吐き出したのだった。
「......科学者の仕業です......。間違いなく......」
何でそう言えるんだ、とは今は言えなかった。ただ茜の感情を受け止めることだけに徹しなければ、夕輝だって混乱しているのだ、やられてしまう。どちらかが冷静でいなければ。
「彼女のときも......琴羽のときもそうでした......。彼女の母親までもが彼女のことを忘れたんです......!」
そういう理由か、と夕輝はそこで初めてこの不審な茜の感情の揺れ動きの意味に気付いた。
琴羽というのは、科学者に連れ去られた茜の親友のことだ。茜は彼女を救うために生徒会に入り、今は『ある人』の指示で能力者たちの勝手を止めているという。『ある人』というのは、あの電話の相手......『シュンスケ』かも知れない。
「今すぐ科学者を......! 琴羽と沙良を......!」
「茜、落ち着け。そもそも能力者でもない沙良がどうして科学者に捕らえられるんだよ」
夕輝はできるだけ冷静さを保つようにそう彼女をなだめた。彼女にとって最善の行為だからだ。今、夕輝までもがこうして焦った茜の言葉に惑わされ、更に混乱を招くような事態があってしまってはいけない。できるだけ落ち着けなければならない。
「こんな状況で......落ち着けるわけないでしょう!」
「こんな状況だからこそ落ち着かなきゃならない。お前は俺らのリーダーで......友利茜だろ」
「分かってますよ、そんなこと!」
夕輝だって、焦っていないわけがなかった。困惑していないわけがなかった。つい先程、巧と雪の、そして松山の、おかしなものを見るような瞳を見てしまったばかりだったから。裏切られたような気分でもあったし、ショックでもあったし、わけがわからないし、何より沙良がいないことに誰も何も感じていないことに憤りすら感じていたのだ。
けれど、それ以上に今の茜は危うい。あのとき──出欠確認のとき、彼女は焦りすら、説得しすらしなかった。ただその虚ろな目でどこかこの世界にはない部分を見つめていただけだった。だからこそ、夕輝は昂る感情だって必死に抑えて、冷静であらなければならなかった。
「茜、まずは落ち着いて話を......」
「無理ですよ! 無理です! 無理です......!」
それから、それ以上の言葉が何も出なかった茜は、走っていってしまった。同じマンションの廊下だ。夕輝はその茜の階段を駆け下りる姿を、言葉も出せず、止めることもできず、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
5日が経って、隣の席の茜はもう、人間とは思えない廃れっぷりだった。以前、巧の母の件に際し、能中のことで散々悩んでいたのとは訳が違う。隈は彼女の目下を真っ黒に染め、ろくな食事もとっていないようで、げっそりしている。ちゃんと睡眠は取っているのだろうか。朝弁もしていないし、昼御飯だって少し食べてすぐにやめてしまっていた。
明らかにいつもの彼女ではない。それもそのはずだ。夕輝だってあの日以来、ちゃんと眠れたためしがないのだ。沙良とは中学以来の付き合いだという茜からしたら、そんな突然の別れは到底受け入れがたいものだった。当たり前だ。だから夕輝も茜を責めることはできなかったし、それ以上何もすることはできなかった。
あの日以来、彼女と口を利いていない。利けるはずもなかった。あんな別れ方をして、どうして気軽に話したりできようか。
鈴木シンフォニーの時間だ。ラプソディではなかったのか、と聞かれれば、やはりどこかの馬鹿な男子が、ラプソディはおかしいという理由でシンフォニーに変更したのだ。シンフォニーの意味を分かっているのだろうか。ソナタ形式で4楽章からなる管弦楽器のための音楽のことだ。まだラプソディの方がましだった。教室の角で、彼らは先日の夕輝たちの奇行を完全に忘れて笑っている。そして、担任の登場により彼らはちょっとしたお説教を受け、席にきちんと座った。
無論、茜の目にはそんなやり取りなど、全く見えていなかったようだったが。
どうしたものか、と夕輝は深いため息を吐いた。お先真っ暗だ。
「茜さん、大丈夫ですかね......」
雪が心配そうに後ろの彼女をちらりと見た。こんな広い歩行車道を、とぼとぼと歩いている。生気なんてあったものではない。能力者がまた現れたので、夕輝たち一行はその能力者のもとへと向かっていた。夕輝が先頭を切り、巧と雪がその後ろについて、茜は一番後ろだ。この程度の距離であると言うのに、心なしか遠く見えてしまう。
「さあな......」
夕輝は雪の心配そうな顔に、やり場のない感情を抱いた。口から出た言葉とは裏腹に、心の中ではそんな答えなどとっくに出ていた。茜が大丈夫なはずがない。本来なら、雪だって、巧だって真っ先にいなくなった沙良を探して飛び回るべきなんだ。松山も気にかけて、母親は警察に捜索届を出して、世界中が行方不明の一流アーティストの安否に一喜一憂するべきなんだ。なのにどういうわけか、世界中を飛び回っても沙良のことを覚えている人間なんていないだろうし、何故か夕輝と茜だけが彼女のことを覚えているのだ。付き合いの浅い、夕輝が覚えていて、彼女の家族すら彼女のことを忘れている。
夕輝だって辛い。あんな茜を励ましてもやれない自分も憎い。
「そんで......」
巧が話を転換するように、もう一度だけ後ろを振り向いた。茜のことを気遣ってはいる、という無意識のサインなのだろう。根っからの良いやつなので、夕輝は余計に困ってしまう。
「今日の能力者はどこにいるんだ?」
「ああ、えっと......」
夕輝はポケットからスマホを取り出し、トークアプリを開くと、松山から送られてきた位置情報をタップした。3次元的なマップが表示された。
「この交番だそうだ」
「交番?」
今回の能力は『暴露』。他人に、心のうちを全て暴露させてしまうという恐ろしい能力だ。悪事に使ったら、それはそれは悲惨な結果だって見えそうなその能力を所有するのは、恐らく『手塚』という名の青年だそうだ。最近趣味で始めたパトロールで、怪しい人間を見つけるとすぐに自白をさせて警察に連れていく、なんて言うことを幾度となく繰り返し、都知事なんかから賞を頂いたりしているという青年らしい。
まだ正義のために使っていたようで、夕輝はほっとした。一次的な災害はまず防げたようだ。しかし、真に生徒会が防ぐべきはにし二次災害。これらの能力を使ったあとに来る、もうひとつの危険だ。
「お、あれじゃねえか?」
と、そのとき巧が遠くの方を指差した。その人差し指の向く方を見ると、確かに先程の3D地図と同じ交番があった。傍らに立っているハリボテの鳩のキャラクターが一致している。
「よし、行こう」
そう言った夕輝の意識の半分は、今なお後ろの茜に集中していた。夕輝だって当然、立ち直りなんてできなかった。沙良とはそれなりに仲良くしていたのに、どうして彼女がいなくなってしまったことに、この2人は焦りすらできないのだろうか。そう思うといても経ってもいられないようなどうしようもない感覚に襲われてしまう。
それでも、今夕輝が先頭を切らなければ、他に代わりなどいないのだ。そもそも、夕輝がこの役目を担ったって、茜ほどちゃんと振る舞えるかは定かではない。可能性は低いような気がするのだ。
「......」
それらの気持ちを無理にでも振り払うために、夕輝は走るしかなかった。歩こうが走ろうが、大差はないのかも知れないが。
「ちょ、夕輝! 何で走るんだよ!」
「......こうしてる間にも、能力者が逃げちまうかも知れないだろ!」
巧は夕輝を追いかけ、雪は茜とそちらをきょろきょろした後、走る気など毛頭ない茜と仕方なく歩くことにした。
「茜さん......」
声すら聴こえているのか怪しい。完全に魂が抜けてしまっている茜に、雪はもう声をかけることすらできなかった。
交番から彼が出てきたのは、15分経ってからだった。色々と事情聴取をされていたようだ。交番の中から出てきた、正義感の強そうなやや筋肉質の青年。でかい彼は今、こんな時間に堂々と泥棒をしていた愚か者を警察に届けたらしかった。
「......落とし物かい?」
彼が夕輝たちを見て発した第一声がそれだった。交番で何やら貧相な男とガタイの良い青年が事情聴取を受けていたので、入りづらくて待っていたのだとでも思われているのだろうか。
この瞬間はやっぱりだが、緊張した。初めて能力者に声をかける瞬間。
「いえ、僕たちは......」
これを茜は何度も繰り返しているのだから、彼女のリーダーシップと言ったら、他の人間には到底真似できないものだ。しかし、夕輝だってこんなところで怖じ気づいてはいられない。 まだ始まりに過ぎないのだ。
「......あなたに用があって来ました」
「え?」
ガタイの良い高身長の男は、想定外のことに驚くような反応を見せた。その顔は、まさに先程松山が提示した『手塚』という男そのものだった。
「......あなたは普段、犯罪者に自白をさせて警察に連れていっているんですよね?」
「......? そうだが」
急にどうしたのだろう、と夕輝に惑った表情を見せてくる。
「どうやって自白させているんですか?」
怖じ気づいてはいられない、とは言いつつ、夕輝は若干怖じ気づいていた。それも当然だろう。夕輝は茜のように堂々とした人間ではないし、相手はこの大きな青年だ。3年生の先輩の中に1人いるかいないかぐらいの男。
この手の心理的な探り合いは本当は避けたいが、しかしやらなければならないことも分かっている。何せ、茜がずっとあの調子なのだから。さっきから、一言だって発してはいない。
「どうやって......と言うと、まあ説得をするしかないんだがね」
苦笑いを顔に作って、彼は頭を掻いた。しかし、夕輝だってこんなところで負けてはいられない。松山の示した場所にいたのだから、彼が能力者で間違いないとして、一体どうやってそれを引き出せばいいだろう。
やはり、茜のように単刀直入に言うしかない。
「本当ですか?」
「え?」
きょとん、と手塚が目を開く。急に疑うようなことを言われて、一体どうしたというのか、と困惑した表情を浮かべた。これはまだ、この高校生たちが自分の能力に気付いているとは思っていない顔だ。夕輝は続ける。
「僕たちは......あなたが、何か他人にはないような特別な力を使っているのではないか、と考えているんです」
「......えっ」
この一言でも十分過ぎる緊張だが、緊張に見合う収穫もあった。彼は今、全くもって身構えていなかったため、感情を表に出してしまったのだ。夕輝はそれで、一気に確信を得た。この手の対話は嫌いだが、苦手ではない。他人の感情など、表情を見ればある程度察しなんてつく。
「具体的には、他人に隠し事を暴露させるような力です」
「......!」
どうしてそれを、とでも言いたそうな表情だった。感情が分かりやすいくらいに出ている。こんなどんよりした空模様の中でも、暗さで隠せたりはしない。
「あなたはその力を使って、犯罪者に自分のしたことを認めさせている。違いますか?」
声が震えているのがばれてなければ良いのだが、と夕輝は心配したが、その必要もなかったようだ。彼は今、この状況を上手く処理するのに精一杯なようだ。夕輝がいつもより涼しい気候の中、いつもより多く汗をかいていることには気付いていない。
「......否定しないってことは、心当たりがあるんですね」
「君は......君たちは一体......?」
よし、何とか認めさせることはできた。恐らく根が真面目なんだろう。端から隠そうとしている感じでも無さそうで、本当にただ困惑しているだけ、というように感じられた。
「すみません、申し遅れました。僕たちは、星ノ海学園生徒会です」
「......生徒会......?」
「ええ、世の中には、あなた以外にも能力者が存在します。雪」
夕輝は自分のスマホをポケットから取り出すと、後ろにいる雪に向けた。それに雪が遠くから手をかざすと、スマホは宙を浮き、力を抜いて投げた野球ボールくらいの速さで彼女の手へと到達した。
「なっ......」
手塚は非常に驚いた様子で、1歩後ろにたじろいだ。信じられない、という表情だ。それもそうだろう。物理学者ならば、今の現象を信じてはいけない。からくりがあるとでも思わなければならない。
しかし、現実はそうではない。
「他にも、例えば彼女は他人の五感を奪える能力を持っていますし、他にも世界には様々な能力者がいるんです」
「まさか......」
口ではそう言いつつも、信じるほかないのも彼は分かっていたのだろう、なんとかこの行き過ぎた話を整理しようとしているのが分かった。
「......確かに僕はこの力を使って犯罪者に自白をさせている。さっきのこそ泥もそうだ。......力を持つのは僕だけではなかったのか」
「その通りです」
夕輝はまだどきどきする心臓の音をできるだけ落ち着かせようと思ったが、しかしそう思えば思う程変に意識してしまう。このガタイのいい男に聴こえていなければいいのだが。
「それで、何でそんなことを伝えに?」
来た。この質問だ。心臓が一気にどくんどくんと跳ね始めたのが分かる。この質問が一番緊張する。茜が対話しているときですら、端から見ていて緊張するのに、自分が言うのはその比ではなかった。
「......僕たちは」
と言いかけて、一旦言葉を飲んだ。息を落ち着かせる。
「僕たちは、あなたに金輪際能力を使わないでいただきたいんです」
「......え?」
何とか、自然に言いきることができた。手塚は混乱している。突然そんなことを言われてしまった能力者たちは、まずこう尋ねる。
「それは......どうしてだろうか?」
夕輝はこの後が怖かった。納得しない場合が少なからずあるのは、能力が欲望によるものだからだ。一度叶えられた夢を捨てることは、叶えられずに夢を捨てることよりも何倍も辛いことだから。
「この世には、能力者を研究する科学者と呼ばれる人間がいます。彼らは野放しになっている能力者を見付けては、研究材料......モルモットにして、彼らが廃人になるまで彼らを弄びます。あなたがそうなることを防ぐために、僕たちはあなたのような能力者に注意をしているんです」
「......」
黙ってしまうのも無理はない。にわかには信じられない話だからだ。まして、こんな風に淡々と非日常の事実を並べられてしまっては、どうしたって簡単に認めてしまってはいけない気がしてくるのも事実だ。夕輝だって初めてこの話を聞いたときは、自分の能力を思い出してなお、心のどこかで疑ってしまっていた。そんなことを考えている中、手塚は口を開いた。
「でも、僕は......」
最初はうやむやな感情を抱えたままのはっきりしない感情だったが、そんな最初でさえ夕輝は、何を彼が言い出すかなど予想がついていた。巧と雪もじっと見守る。警戒している。
「そうだとしても、僕はやります。犯罪で悲しむ人がこれ以上増えるのは耐えられない。1人でもそうなる人を減らすために、やらなければならない」
敬語になったのは、決意の証だ。比較的低い彼の声には、説得力のようなものが嫌でもあってしまった。そしてこれは、警察の人間が万人に敬礼をするのと同じ原理。彼はそういう行動原理で動いている。今回の能力者も、一筋縄ではいかないようだ。
「しかし」
「僕のことは心配しなくたって結構です。僕がもしその科学者に捕まってしまったとしても、それで悲しむ人は......僕の家族は犯罪者に殺されましたから」
どくん、と胸が痛くなるぐらいに飛び跳ねた。彼の言葉が夕輝を突き刺した。あの日知った事実。水族館に行った日、気付いてしまった事実。知らなければきっと後悔していただろうが、知っていても重たい。『また、欲望だ』。
「でも......」
夕輝は何か言わなければ、と思った。彼の傍らには自転車がある。松山の能力上、一度逃がしてしまえば、次に見付けるのは結構大変だ。SNSをやっている人間や、『治療』の能中のようなパターンを除けば、殆ど不可能に近い。
だから、何か言わなければいけないのだ。
何か言わなければ。
けれど。
「ま、待って下さい」
「......僕はこれを使命だとすら思っているんだ。止めないでくれ」
「でも......!」
手塚が自転車に乗ってしまった。まずい、このままだと行ってしまう。
こんな辺鄙な場所には信号機もなく、逃げられたらあっという間だ。
「待って下さい、お願いだから!」
手塚はしかし、とうとう何も答えなかった。ゆっくりと自転車が動く。重そうなペダルをぐっ、と踏んで彼が進む。
「手塚さん! 待って下さい! 手塚さん!」
だんだんとそのスピードが上がっていく。最初は走って追いかけていたが、彼は何の反応も見せずにそのままスピードを上げ続け、やがて見えなくなるまで遠くに行ってしまった。またパトロールの続きでもするのだろうか。ただ真っ直ぐを見つめていた彼は、頑固そうな男だった。自分の決意に忠実な、真面目そうな青年だった。
「何だよ......」
夕輝にはどうしようもなかった。
帰り道、夕輝たちは皆、とぼとぼと帰っていた。うち1人は、もともとこうだったが。また明日も彼を探すしかない。しかし、どうやって。見付ける手段が見当たらない。彼の性格上、SNSなどきっとやっていないだろうし、彼だってもう夕輝たちには会いたくないだろうから、あの辺りとは別のエリアでパトロールするかも知れない。第一、見付けたとして、どうやって説得すれば言い。茜ならどうする。
そう思った瞬間、夕輝はやっと彼女のことを思い出した。今まで忘れていたのは、それぐらい余りにも色々なことが重なって行き場のない状態だったからだ。言い訳の仕様もない。
茜を見た。ずっとあの調子の茜を。彼女は一体何を見ている。一体どうしてしまったんだ。いいや、夕輝は答えなくても分かっているのだ。けれど、全世界のどこを探し回っても、夕輝以外に分かる人間などいないのだ。
──何て顔してんだよ──
「くそっ」
こんな投げやりな感情の吐き散らしかたをしたのは、少なくとも生徒会メンバーの前では初めてだった。斉藤のときや巧のときのように、真っ直ぐ吐き出すこともできない。やり場がない。そうして思い切り道端の石ころを蹴った。自分が嫌いになりそうだ。
「夕輝くん......」
雪は心配そうに夕輝を見ておどおどしているが、正直気遣わないでほしい。どんなに気遣われたって、彼女は沙良のことを思い出したりなんかしない。仮にするのならば、もう思い出すには十分な時間が経った頃だ。
......こんなのは虚しいだけだ。
「すまん、ちょっと取り乱しちまった」
夕輝は何とか平静を取り繕ったつもりだったが、しかしどうしても感情を表に出さないことなどできなかった。隠すことなどできなかった。
手塚とのやり取りは非常に短かったが、移動時間が長かったため、午後の7時間目の授業も受けられそうにない。それどころか、帰ったら5時くらいにはなってしまうだろう。
曇り空のせいで、それだけでこんなにも憂鬱だ。
茜は口も開かない。
「お帰り、兄ちゃん」
「......」
返事がない。妹の春が兄に飛び膝蹴りをするのも時間の問題だった。廊下を直進すると、冴えない顔面の兄を見て、深呼吸をし、そして。
「ぐえっ!」
みぞおち狙ってジャンプキックだ。胃が飛び出るかと思った。夕輝は玄関に倒れる。
「音永家三大ルール! おはよう、お休みを忘れない! いただきます、ごちそうさまを忘れない! 行ってきます、ただいまを忘れない! でしょ!」
地面に突っ伏して春の膝より低くなった兄を見下ろしながら春は威張った。
「全く......って、兄ちゃん、聞いてる?」
答えは簡単、話を聞く耳などたてられない。今日は最悪だ、と夕輝は絶望を溜め息にして床にぶつけた。沙良が急にいなくなって4日が経ち、彼女がいた記録が世界中から消え、茜と自分以外誰も彼女を覚えておらず、しかもその茜と言えば口すら聞いてくれず、ちゃんとご飯を食べているようにも、ちゃんと睡眠を取っているようにも見えない。挙げ句の果てに能力者を逃がし、落胆の気分で家に帰り、血の繋がった妹に飛び膝蹴りを食らう。こんなのってないだろう。
夕輝はもう、何にも手がつけられない程絶望していた。
「兄ちゃん......」
そんな兄の心持ちなど知るよしもない妹の春は、一応夕輝の腕を掴んで強引に脈を測り、生きていることを確認すると、繰り返し兄を読んで、比較的辛辣な暴言を吐いた。
「兄ちゃん......彼女と喧嘩でもした?」
胸が痛い。この絶望に加えて、こんな遠回しに彼女がいないことを貶されるとは。
「......彼女なんていない」
しかし、このまま玄関に突っ伏していては、兄として、ひいては人間としての面目が立たないので、仕方なく口を開き、ゆっくりと立ち上がった。
「......嘘だ」
「嘘じゃない」
「だって私見たもん」
「......何を」
「兄ちゃんが私服の可愛い女の子と2人で駅に行くの」
「え」
がたん、と立ち上がった。足下の靴たちが四方向に飛んでいく。もとより4足だけしかないが。落胆など一旦その辺に放り投げても、弁解しなければならないことがあった。
「違う、それは......」
「兄ちゃん、あの日水族館行ってたんでしょ? 大体、生徒会に行くって家出てって、何で帰ってきたらこんなものを渡してくるわけ?」
ペンギンをまとったスライまるのぬいぐるみ。これは水族館のマスコットとスライまるとがコラボした期間限定のグッズである。
「それは......」
何と言えばこの妹は納得するだろうか。よもや、兄が悪い科学者から超能力者を守るために水族館に言った、と言ったところで信じるまい。第一、そんなこと言って良いはずがない。これらのことは機密事項だ。生徒会に関わる人間にしか喋ってはいけない。
「あれだ、生徒会は水族館以外にも色々な人気の施設で国民たちがどのようなサービスや気配りを求めているのかを知り、より良い学校作りに貢献しているんだ」
「......」
擬態語をつけるなら、『しら~』だ。『しらー』ではなく『しら~』。完全に呆れている。疑いの目を向けている。正直一緒に暮らしている妹に変な疑いをかけられると、生活しづらいので止めてほしい。結構心に堪える。
「何だその目は」
「疑いの眼差し」
「何故疑う」
「兄ちゃん、嘘ついてる」
「ついてない」
そうだ、生徒会活動で水族館に行ったというのは事実なのだ。良い学校作りに貢献しているかは分からないが、少なくとも住み良い世の中作りには多少貢献しているつもりではいる。そう、一部の虚偽を除けば事実ではある。だから後ろめたいことだってない。
「あのな、お前は俺が女に現を抜かすような人間だと思っていたのか?」
「うん」
「即答すんな!」
「だって、兄ちゃん割とイケメンじゃん」
「実の妹にそんなこと言われて誰が喜ぶんだよ......」
「世の中にはそういう変態さんもいるんだよ」
「それは怖いな。俺がそうじゃなくて良かった」
「うんうん。......って、話を逸らさない!」
「逸らしたの......俺か?」
この後、魚料理を食べながらずっと春を説得し、何とかその場を収めることに成功した。信じてもらうことには成功していない。何と頑固な妹だ。
しかし、少しだけエネルギーを得ることもできたかも知れない。明日、もう一度頑張るだけのエネルギーを。妹属性という言葉をスライまるの出てくるラノベで目にしたことがある。深い意味は分からなかったが、妹を総称してそう言うらしい。そして、妹属性は強いらしい。
春には感謝をしなければ、と思った。
夕輝の悪いところだった。
とは言え、と夕輝はまた落胆の溜め息を漏らした。原因は明確。翌日、25日の火曜日になっても、相変わらず茜は隣の席でこんな調子だからだ。こんな茜は見ていられない。心配で仕方ないし、親御さんは心配していないのだろうか。
それに重なって、今日はあの手塚青年の手掛かりすら掴めていない。一体どうやって彼を探すと言うのか。
「......どうしたもんかな」
夕輝はまた、深い溜め息をついた。今朝からだけでも合わせて十数回はしている。何でこう、上手くいかないことは重なるんだろう。そもそも沙良がいなくなって何日も経つと言うのに、その核心的な理由には全く近付けていない。それどころか、夕輝も茜も、手掛かりの1つも掴めていないのだ。沙良は死んでいないだろうか。ちゃんと生きているのならば良いんだが、茜が言った通り科学者に連れ去られたのだとしたら、こんな風に学校で呑気に考え事をしていて良いのだろうか。
しかし、とも思った。やはりできるだけ早く手塚を止めなければ、彼みたいな正義感の塊は容易に命を投げ捨ててしまう。しかも、消防士などが火事の家の中に取り残された小さい子を救って殉職するのとは、正義感という面では同じでも、余りにも違い過ぎる。誰にも称えられないし、悲しむ人さえいないなんてあんまりだ。
例えばここで、「どう思う、茜?」なんて聞けたら楽だったかも知れない。けれど、現実は無慈悲にも夕輝にその全てを委ねてくる。隣の茜を見たら、この状態の最悪さが手に取るように分かる。
担任が、今日はコンツェルトした。ピアノだろうか、ヴァイオリンだろうか。そんなことはどうだって良かったが、そんな下らないことでも考えなければ呼吸すらできない程、夕輝は追い込まれていた。現実逃避の時間も必要と言うことだ。
5時間目の授業が終わり、今は休み時間だった。昨日は茜を心配していたクラスメイトも、今日になってしまえばもう、どれだけ彼女に話しかけたって無駄だと気付いたのだろう。話しかけてこなくなっていた。夕輝はと言うと、そんな茜を隣にスマホを弄っていた。できるだけ考えたくなかったのだ。それは、決して逃げているからではない。ここで何をしても、茜に話しかけることと同程度にそれら全てが無駄だと分かっていたからだ。
「夕輝」
声がしたので見ると、巧だった。
「お前、大丈夫か?」
「......心配はこいつにしてやれ」
スマホを眺めながら、やる気なく茜を指差した。巧だって本当は、夕輝よりも茜の方がまずい状態だと分かっている。でも、率直に言って手の施しようがない。
夕輝はネットニュースを開いた。理由があったわけではない。けれど、他にやることもなかったので、気付いた頃にはその画面をタップしていたのだ。
「......『ボストンレトリバー・高橋、不倫か』。『今週の星座占い』。『牛沢あさ、新曲・Discrive me で日本人初のミリオネア音楽賞受賞』......。夕輝、こんなん見てて楽しいか?」
「......」
楽しい訳がない。楽しい訳が、あるはずがない。巧が読んだ最後の記事は何だ? ミリオネア音楽賞と言ったら、何ヵ月も前に沙良が受賞していた賞ではないか。全くもって、日本人初の賞なんかではない。彼女はハーフだが、日本国籍で日本人だ。そんな風に思っていた傍ら。
「おい、夕輝これ」
巧が指差したのは、1つのニュース。時間は『1分前』となっているので、たった今更新されたばかりのニュースだろう。夕輝は何かと思い、時間の下に書かれた見出しを読んだ。
目を見開いた。
がたん、と椅子が倒れる勢いで夕輝は立ち上がった。休み時間を有意義に過ごしていたクラス中の生徒たちの視線がこちらに向いた。きっとこう思っている。『近ごろ挙動不審な音永が、また変なことをし出す』と。けれど、夕輝にはそんなことどうでも良かった。
その記事にはこう書かれていたのだ。
『受賞の18歳青年、立てこもり犯を説得』。
説明不足な見出しではあったけれども、夕輝は確信した。間違いない、手塚のことだ。そうであってくれなくては困る。
「巧、行くぞ」
「......今から行くのか?」
「今向かえば、まだいるかも知れないだろ! 雪!」
教室の角で友達とお喋りを続けていた雪に怒鳴るように叫んだ。今更クラスメイトにどう思われようが、知ったことではない。雪はぴくりと反応する。「行くぞ!」と叫んだ夕輝に、訳が分からない風ではあったけれど、それでも駆け寄ってきた。
最後に夕輝は、茜を引っ張る。
「茜、お前も立て」
夕輝に腕を掴まれた彼女は、何の抵抗も見せずのらりくらりと立ち上がった。やる気はないようだが、付いて来てくれれば十分だ。
夕輝たち4人はろくに荷物も持たず、急いで教室を後にした。
ネットニュースの画像は、彼が立てこもり犯を説得している最中のものだった。
「俺はあの場所に心当たりがある! あの場所を知ってる! ここからそんなに遠くない! 電車で二駅だ!」
「あの、音永くん、急にどうしたんですか!」
雪は半ば叫ぶように尋ねた。走っているせいで声が大きくなってしまうのは仕方のないことだ。
夕輝は何も答えなかった。本当に焦っていたから。茜の手を引いて、ただひた走ることしかできなかった。
それでも良かった。今は一縷の望みにかけることで精一杯だった。
息を切らして、ようやく4人はこの場所に到着した。実に20分くらい。駅で丁度電車が来たのが幸いした。道に全く迷わなかったのもまた幸いした。ビンゴだ。まだ彼はあそこで、大量のマスメディアにインタビューを受けている。立てこもり犯が立てこもっていた家の辺り一帯は警察によって封鎖されており、その黄色い規制線テープが視界の端に見える場所で、彼ははきはきと喋っていた。
彼にゆっくりと近付いた。見物人はとても多い。この中に科学者がいたらどうするんだ、とか思いながら、ゆっくりと人混みを分け行った。
やっと、マスメディアたちの後ろまでやってくると、彼自身が夕輝たちに気付いた。最初は驚きながらも無視をしたが、そのままメディアたちの間を割いて近付こうとハッタリをかましたところ、降参したようにマスメディアに告げた。
「すみません、これから用事がありますので」
そうして、マスメディアの間を分け言って進むと、彼らに有無を言わせぬよう走って逃げた。彼らとしても、真に追いかけるべきは国民の反感を勝ったり失言をしたりした、ネタにできる政治家とかなので、それ以上後を追ったりしなかった。世も末だ。
追いかけたのは夕輝たちだけ。彼を決して見失わないように、必死になって茜を引っ張った。
こんなのが女子とちゃんと手を繋ぐ最初の機会だなんて、できれば信じたくもない。
「しっかりしてくれよ.....」
夕輝はそんな茜を見て、不安以外のどんな気持ちにもなれなかった。どうしたって、普通じゃない。いつもの茜じゃない。もうこんな茜は見ていたくなかった。こんな風なテンションに付き合わされるのも御免だった。
しっかりしろよ。
リーダーだろ。
心の中で、何度も文句を呟いた。
何度も、何度も。
けれど。
それでも。
それを、自分の使命だとも思ったから。
自分にしかできないことだと思ったから。
夕輝は決して茜の手を話さずに、強く、強く握り締めた。
やらなきゃならない。
何としても、手塚を説得して、そして──。
何分か走って、とうとう誰もいないところに来た頃だった。目の前に彼を見据えて夕輝は叫ぶ。
「手塚さん! 待って下さい!」
彼は、当然夕輝たちが追いかけてきていることになど気付いていた。気付いていたからこそ、すぐに立ち止まったのだった。
「......何なんだ、いい加減にしてくれないか」
こちらも振り向かず、彼は言った。右手に木の繁った公園を構えた、細く、あまり目立たない露地だった。天候は昨日より悪化し、黒い雲が完全に日の光を閉ざしているので、5時間目の休み時間に出てきたと言うのにこんなにも暗い。
「......僕たちの義務は、あなたに能力を使わせないこと。そしてあなたを守ること。あなたが納得するまで、何度だって来ますよ」
夕輝は淡々と告げた。もう、緊張なんてしない。こんな茜を見ていては、緊張なんてしていられない。
「......迷惑だ。僕は大丈夫だと言っているだろう」
手塚はやっとこちらを振り向いた。前会ったときよりも、心なしか背は低く見える。夕輝たちを迷惑に思っている手塚のことだから、わざわざ立ち止まったということは恐らく、今回で完全に話をつけてしまうつもりだからだろう。
「......放っておけません。......そうやって、人生を復讐に使うつもりですか」
「......」
ここで、例えば『能力は思春期が終われば消える』と言ってしまっても良かった。そうすれば、もっと説得は簡単だったかも知れない。けれど、夕輝にはそれができなかった。そんなちんけな問題じゃない。彼は、犯罪者を恨んでいる。それを原動力に生きている。彼には過去しか見えていない。そんな人間は、きっと能力が消えたぐらいでは止まらないだろう。
そんなの、駄目だ。
「何が......何がいけないんだ」
彼は夕輝を睨んだ。
「僕の勝手だろう! 僕は......他人を悲しませる犯罪者が許せないんだ! 何もしていない人たちを悲しませる犯罪者が許せない! ......止めないでくれよ、お願いだから......」
彼の気持ちは、夕輝には痛い程にしか分からなかった。そして、手塚は痛みを失う程に、犯罪者を恨んでやまないのだろう。それが夕輝と手塚の違い。
「......できません」
「どうして!」
「そんな風に生きることが......あなたの、亡くなってしまったご家族の......望みですか?」
「っ!」
痛みは取り戻さなければならない。例え本意でなくても。
「うるさい......」
手塚は拳を強く握っている。リンゴくらいなら潰せそうな大きく筋肉質な拳を。目には涙が溜まっているのがこの距離でも分かった。
「うるさい、うるさい! 君たちは、誰も失ったことがないからそんなことが言えるんだ! 分かってたまるか!」
そんなことはない。誰かを失うことの辛さは、痛い程分かっている。
しかし、以前の夕輝とはもう違うのだ。
信頼できる仲間が出来たから。
同時に、茜が今の手塚の言葉で、初めてその瞳に熱を宿したこと。その事実に、そこにいる誰も気付かなかった。
「確かに......僕には分からないかも知れません。でも」
「分からないなら放っておいてくれ! 僕は......君たちみたいに子供じゃないんだ! やるべきことを分かってる!」
茜の表情は、まだ見えない。雪はこのときやっと、ちらりと見た茜の様子がおかしいことに気付いた。いや、未だ無言だし、一見先程と何も変わっていないようにも見えるのだが、少なくとも雪には、先程までのそれとは何か違うものを今の彼女に見出だしていた。
「茜さん......?」
彼女は、何かを呟いているようだった。しかし、余りにも小さいその声は、雪には聴こえなかった。
「僕は! 僕は、やらなきゃいけない! この力を使って、善良な一般市民を救わなきゃならないんだ! 悲しませないために! ......誰も悲しませないために!」
「......」
夕輝の口からそれ以上言葉は出そうにもなかった。夕輝は何を言うべきか迷っていると言うよりは、彼に何を言っても無駄だとすら思ってしまっていたのだ。
理由は単純。
似ている。
あの頃の......茜たちと出会ったばかりの頃の自分に。
あるいは、もっと前からずっと。
いや、若しくは──。
「何なんですか......」
そんなときだった。
「何なんですか......」
声が聴こえたのだ。後ろから、小さな声が。
こんな天気で、こんな空気で、こんなに静かな場所と状況じゃなければ聴こえないような小さな声だった。
聞き馴れた声。彼女の可愛らしい顔を連想させるような声。
でも、それは決して夕輝たちの知りうるものではなかった。
「何なんですか......!」
茜のもの。だんだんと声量を増す。
彼女は気付いた頃には歩き出していた。
「おい、茜......」
声をかけた巧にも、知らんぷりという感じ。聴こえてすらいないように、一心不乱に彼に向かって歩き続けていた。
今日初めて、彼女の表情を目にした。
夕輝の知らない顔だった。
「何なんですか......!」
それ以外の一切の言葉を忘れたように、茜はその言葉を言い続けた。彼女の、隈の出来た鋭い目の先には手塚がいる。
「何なんですか......!」
夕輝を追い越し、茜はそのまま手塚の目の前まで歩くと、立ち止まった。このとき、今この場で何が起こっているかを1ミリでも把握している人間などいなかった。茜が何をしているのか、何がしたいのか、夕輝には全く分からなかった。雪にも、巧にも、手塚にも。
茜にも。
「何なんですか! あなたは!」
瞬間、茜の声が露地を突き抜けた。この1000メートルはある長い道を、そしてあの黒い天井を。公園の木々はざわめき、大地が怯んだ。
手塚や夕輝たちと丁度同じように。
その迫力に気圧された手塚は、腰を抜かして思いきりその場に尻餅をついてしまった。
目の前で、手塚がしっかりとその少女の表情を凝視し、そして畏れていた。その少女の表情は、夕輝たちには見えなかった。
「あなたは! そうやって家族を救えなかった自分のやり場のない感情を発散しているだけです! あなたの方がよっぽど子供じゃないですか!」
手塚だけではない。全員が恐怖した。4人と彼以外に誰もいないこの場所で、空気を伝わった彼女の声がびりびりと鼓膜を伝う。
しかも手塚と来たら、とうとう涙まで流している。
それは多分、茜に言われていることの意味をちゃんと理解して、そして恐らくは、本当はそんなことを自分でも自覚していたからだろう。
「茜......」
「そうやって、自分の命に対する責任を放棄しているだけです! 他人のことなんて考えてはいません! 全部自分の勝手で......私たちにまで迷惑をかけないで下さいよ! 沙良を......沙良を探させて下さいよ!」
その言葉を聞いた瞬間、夕輝は頭が真っ白になった。それは、例えば悪事がばれたときのそれと
まずい。
このままではいけない。
彼女は今、自分が何をしているかになんて気付いちゃいない。
「あなたみたいな人間がいるから! あなたみたいな、自分ばかりが大事な人間のせいで! 琴羽も! 沙良も!」
そして夕輝は、先程茜に重ねていたものを、今度ははっきりと思い出した。見たことのある光景だったから。
似ている。
あのときの、自分に。
あの日、今の茜のように感情を制御できなかった自分に。
見当違いなことしか吐き出せなかった自分に。
そして夕輝は思考を巡らせた。
あのとき、自分を救ってくれたのは。
彼女なら、どうする。
彼女なら。
茜なら──。
思ったときには飛び出していた。夕輝にしかできないことだから。この場で、彼女のことを唯一理解できる、音永夕輝にしかできないことだったから。
「茜!」
茜は夕輝の声なんか聴こえていない。けれど夕輝は走った。こんな茜は見たくない。心の底からそう思った。
「琴羽と沙良を返して下さいよ!」
「茜! もうやめろ!」
夕輝は、とうとう手塚の胸ぐらまで掴んだ茜の手を掴んで、思いきり引き離そうと引っ張る。
「やめて下さいよ、夕輝くん!」
「それはこっちの台詞だ! お前は何をしてんだ! 沙良のこととこの人は、関係ないだろ!」
「そんなこと分かってますよ!」
茜は必死に夕輝の腕を降りほどこうとする。しかし、夕輝だって男だ。そう簡単に負けはしない。とうとう、手塚の胸ぐらを掴む茜の手を彼のもとから離した。
「分かってないだろ! 今のお前は何も分かってない! 自分の立場を自覚しろ!」
今の茜はかなりやばい。こんなに冷静な思考を失っている茜を、夕輝は未だかつて見たことがない。だから絶対にこの手を離してはいけない。
「離して下さい!」
「できない!」
「何でですか!」
「言ってるお前の方こそ、自分のことしか考えちゃいないだろ!」
「っ!」
一瞬、反射的に茜の手が離れた。それを、握っていた右手で追いかけて掴む。茜が初めて夕輝を見た。睨んでいる。
と。
「っ!?」
突然、五感が消えた。茜の仕業とすぐにわかった。何も感じない。今まで手のひらに触れていた茜の低い体温も、嫌な空気も、何もかも感じない。
こんな風に、理性なしに能力を使うなんて、茜らしく無さ過ぎる。流石に夕輝も始めは、十分にそれを把握できなかった。
でも。
彼女の能力は、あらゆる情報を遮断する、という能力。一見、凄い能力のようにも思えるが、裏を返せば、ただそれだけ。
自分が動いていると信じれば良い。
感覚がなくても。
例えば、こんな風に。
10秒経って、夕輝の目には戸惑っている茜と──。
決して離さなかった彼女の手が映った。
「何で......」
あり得ない、という表情の茜。それも当然だ。夕輝だって、成功するとは思わなかったのだから。
けれど、感覚がなくたって、頑張れば力を込めることはできる。そう自分が信じてさえいれば。
「もういいだろ......」
殆ど、無意識だ。無意識のうちに、夕輝は足を1つ前に出し、左腕で茜を覆っていた。
雪の白い顔が、途端に真っ赤になった。
「もう、やめてくれよ......」
茜の体に一瞬力が入り、そしてすぐに抜けた。急に夕輝に抱き締められて驚いているのかも知れないし、それによってやっと冷静になったのかも知れない。それ以上言葉を発しなかった。
「やめてくれよ......」
悲痛な夕輝の声に、感情に、やっと気付いたからかも知れない。それ以上、何もなかった。
雲は晴れないままだ。
手塚も、地面に座ったまま立ち上がれない。
それだけ。
先入能力を使っているときのこと。
「あなたはもう、能力を失った。......これから能力を使おうとすれば、あなたは死に、犯罪者の絶えない世界が生まれる」
言っている間、夕輝はおかしな感覚に教われていた。先入能力を確かに使っているはずなのに、彼の目を見ていると、今にも手塚に乗り移ってしまいそうな感覚に襲われる。コピーと先入が混ざっているような。それを抑えるのに必死だった。何だか危ない。
「っ......何だこれ」
初めての感覚。先入能力とコピー能力が1つになって、体が飲み込まれそうだ。
気のせいだろう、最近乗り移りをしなかったから慣れずにそうなっているだけだろう。今はそんな風に考えておいた。もっと重要なことはたくさんある。
ひとまず手塚を何とかできたので安心したが、しかしこの茜を何とかしなければならない。落ち着いたようで何よりだが、しかし今日のような調子でこれからもいられてしまっては困る。
だから、巧と雪には先に帰ってもらった。もう授業もとっくに終わっている頃だ。巧も雪も、気を遣って何も言わずに帰ってくれた。沙良のことを忘れた2人だから、さっきの出来事のせいで変な勘違いをしたのだろうとは察しが付いていたが、そんなことは関係なかった。
「茜、取り敢えずここに座ってろ」
すぐそばに公園があったので、ひとまずそこのベンチに茜を座らせた。色々なことを、ちゃんと向き合って喋らなければならない。例え、どんなに拒絶されても。やらなければならない。沙良のことも話さなければならない。
公園を出てすぐの自販機でお茶を2本買った。最近、一度も茜が水分をとっているのを見ていない。あまり水分をとらない夕輝にさえ心配されるということは、相当だ。
公園のベンチに戻る。ぼーっとした茜の隣に座り、お茶を渡した。辛うじて受け取ってくれて、彼女はそれを一口飲んだ。それだけでちょっと安心する。
しばらく沈黙が続き、夕輝はやっとのことで口を開く。思考を整理しなければならなかったからだ。
「茜」
彼女は答えない。夕輝は彼女のことも見ず、続けた。茜のことだから、返事をしなくてもきっと聞いているだろう。
「沙良のことなんだけどさ」
公園には、2人を除いて誰もいない。それなのに、こんな茜といるのも比較的嫌ではなかった。
「ほんと、あいつどこ行っちまったんだろうな。いなくなるなら、さようならぐらい言えってんだよ」
笑って、諦めたように言った。そうすれば、きっと茜は『必ず見付けます』なんてことを言うと思ったから。けれど、返答はなかった。代わりにと言っては何だが、先程から小さな音が聴こえる。自転車のタイヤに空気を入れるような音だ。
「俺、あいつに弟がいることも知らなかった。なのに......勝手にいなくなって、ほんと何してんだよ」
だんだん、それが独り言になっていることに気付き始めた。ここまで返答がないと、ちょっと不安になってくる。いいや、返答がないことに対してはさほど不安になっていないのだが、何となくどんな表情をしているのか、どんな反応をしているのか気になったのかも知れない。だから、そんな言い訳を作って彼女の顔を見たときには驚いた。
何と、すー、すー、と寝息を立てて寝ているではないか。子犬のような顔で、無防備に眠っている。何て度胸だ。
「......」
余りにも気持ち良さそうに眠っている茜。しかしその一方で、目の下にはやはり隈があり、嫌な夢でも見ているのではないか、という顔だ。
何て有り様だ。
茜らしくない。
夕輝は深くため息をついて、「文句言うなよ」と反応なんてするはずのない電源の切れた彼女に声をかけ、背を向けてしゃがんだ。起きないように慎重に背中に背負う。一口しか飲んでいない彼女のペットボトルも忘れず持った。
公園を出る。この状態で電車に乗るのは色々問題があるので、地下鉄2駅分を歩くしかない。一駅一駅がそこまで長いわけではないので、歩けば30分程度だろう。それにしても、こんなことを言っては悪いが、思っていたよりも重い。今にもずり落ちてしまいそうだが、そうなる度に何度も跳ぶようにして持ち上げる。これで起きないとは、隈から考えても、一体どれだけ眠っていなかったんだ。死ぬ前にやめてくれて良かった。
それにしても、と夕輝は思った。何故、自分はあの場所を知っていたんだろう。立てこもり犯が立てこもって、手塚が能力を使って犯人を説得していた場所。周りの風景なんかを見て、あそこまでのルートまでもが当然のように頭に浮かんだ。そして、今も普通に帰れているのはどうしてだろうか。来たことなどあっただろうか。いいや、あったとしても、ここまで鮮明に行き道まで知っているなんて、どうしてだろう。不思議だ。
まあいいか、そんなこともあるだろう、とそんなに気にしないことにした。それより、周囲の人間の視線が痛い。こちらを明らかに不審な目で見ている。
「あっ」
だというのに、こんなところで、大事なことを思い出してしまったせいで、思わず声が出て周囲の視線をより引き付けてしまった。つまり、教室に荷物を全て置いてきてしまったということを。今頃全て職員室だろう。明日、朝一で取りにいかなければならない。それとも、松山が全て回収してくれたりしただろうか。......ないな、と思った。何故なら、彼は一般人を遥かに凌駕する低体力の持ち主なのだから。4人分の荷物など、運べるわけがない。
もう一度、よっこいしょ、と茜を持ち上げた。耳元で寝息を立てられると、何だかやる気がなくなる。一方で、ちょっとドキドキもしてしまう。こんな小柄な体で、彼女と一緒にいたのが狼のような男だったら、と考えると怖くなってしまいもする。危機感が無さすぎる。非常識だ。
「しっかりしてくれよ、リーダーだろ......」
とぼとぼと、その道を進んだ。
やっとのことでマンションに到着すると、エレベーターが点検中だったせいで階段を上る羽目になった。パーキングエリアのある地下に続く階段を横目に見つつ、夕輝は階段を上り始めた。1歩1歩が辛い。思っていたより大変だ。
そして、上ってから気付いたことがある。それは今、夕輝は結構困った状況にいる、ということだ。この状況で、このぐっすり眠っている茜を果たしてどうしようか。起こす? ......最終手段はそれだが、こんなに気持ち良さそうに眠っている茜を見ると何だか憚られる。しかし、彼女の家に連れていくのも立場が危うい。生徒会は秘密裏に活動しているのだから、どこに行っていてどうしてこうなったのか、と茜の親御さんにでも聞かれたら結構まずい。じゃあ、起きるまで自宅で眠らせるか。いやいや、それはもっとまずいだろう。春がいるからといって、許された行為ではない。
「はぁ」
ため息をついて、仕方ない、茜の家に連れていくか、と思った。シチュエーションの説明を求められたら、教室で泥のように眠っていたからおんぶしてきた、とでも答えれば良い。いや、ご両親は茜が生徒会に入っていることを知っているはず。むしろ、生徒会室で眠っていたと言った方が自然だろう。そうしよう。最悪、自分がやばいやつだと思われるだけで済む。
1歩、1歩と足を進め、茜の家の前へ。
何故か、凄く緊張する。
やっぱりやめた方がいいだろうか、と少し迷う。茜を起こしてしまった方がいいだろうか。いやいや、やっぱりそれはしづらい。
......もういい、やるしかない、と思い、半ばやけくそでインターフォンのボタンを押す。......しばらくしても、応答がない。不在なのか。その場合は仕方ないから起こそう。そう思っていると。
「あ、あ......茜っ!」
焦った様子で、おっさんが飛んできた。髪の長いおっさんだった。声は低く、瞳の色なんかが茜そっくりだ。髪の色も恐らくこの人から遺伝したんだろう。茜より濃いが、茜と同じ系統の色だ。
父親だろう。
「あの......」
「母さん! 大変だ! 茜が彼氏を連れてきたぞ!」
「は?」
どこをどう見たらそうなるのだろうか。まず、夕輝は茜の彼氏ではない。そして、語順が逆だ。夕輝が茜を連れてきたのであって、茜が夕輝を連れてきたわけではない。茜の父は、どたどたと廊下を走っていってしまった。
不安だ。
一体ご両親からどんな処罰を受けてしまうのだろう。
夕輝はまた、深い深いため息をついた。
春に怒られない程度の時間に帰れれば良いな、とだけ思いながら......。
どうも、後書きを書き忘れ、今更ながら書いている天然の未でございます。申し訳ございません。
某小説大賞に応募する作品の案は出来上がって来たのですが、反面Charlotteの創作スピードが相関的に落ちていっているのに焦りと不安とエトセトラを感じています。
投稿ペースはちゃんと守るべく努力をしていきますので暖かい心で見守っていただければありがたい限りでございます。
ちなみになのですが、投稿ペース・投稿方法の関係と、この時期は暇でどんどん続きを書けていたということと、後書きを忘れていたという色々様々紆余曲折が原因で、前書きと後書きとには3週間程度の時差があります。ご了承下さい。