「……無理か……」
俺は先ほど道の片隅に止めた車の中で、胸元に下がるストップウォッチに手をやる。
そこに表示されている数字は、もう何度も見た見慣れた自分のタイムだった。
「……まだ赤星の記録には勝てないな……車の差じゃない、なにかが足りないはずなんだ……」
赤星のAE111はテンロク(1600CC)エンジンである。対する恭也のインテRのエンジンはイチハチ(1800CC)である。
しかも、恭也の乗るインテグラタイプRはメーカー純正のチューニングカーと呼ばれるHONDAのタイプRだ。
ましてや、HONDAのエンジンと言えば、最高傑作とよばれるほど他のメーカーの追従を許さないデキである。
その中でもインテグラタイプR、DC2に登載されているエンジンは、通常のインテグラに搭載されているB18Cをベースに数え切れないほどの専用パーツを組んだ、特注品だ。
特にHONDA独自の高回転システム゙VTEC゙のおかげでその力は計り知れないモノがある。
「腕の差か……だが、それだけじゃないはずだ」
恭也はけして下手ではない。今なら赤星に匹敵するほどである。
しかし、赤星とのタイム差は一向に縮まらない。それはなぜか?
……確かに恭也には才能がある。その証拠に短時間の練習で、経験者の藤代に勝った事が証明している。
「……やはり、行くか……」
そう、一人こぼすと、恭也は自分の愛車に火を入れた。
ズァギャアァァァ
タイヤを滑らせ一台の車が夜の闇を切り開いていく。
闇に映える青い車。
それは、奇妙な車だった。
見る人間が見れば一目で解る、特徴的なフロント。通称イチサンと呼ばれるシルヴィアS13の物である。
ところが、後方には180SXと書かれた文字。
そう、通称シルエイティと呼ばれる改造車である。
特に、この碓氷峠の青いシルエイティと言ったら「インパクトブルー」と呼ばれるほどの凄腕の走り屋である。
碓氷最速はインパクトブルーだ!
それは、この峠に来ている走り屋、誰もが認めている事である。
「次、インベタ、グリップで!」
「うん!」
助手席に座る女性……沙雪から、運転席に座る女性……真子に指示が下る。
それを、真子は完全なラインでクリアしていく。
「……ねえ、真子?」
ふいに、沙雪がミラーを見ながら隣の真子に声をかけた。
「……うん、一台近づいて来る……ここの人達じゃないみたいだけど……」
「そうね……どうする、パスさせる?」
「私は逃げるつもりはないけど」
「……そうね、派手に行くわよ、真子!」
「うん!」
(一気にペースが上がったな……よし、これからが勝負だ!)
青いシルエイティから離れる事数メートル。
そこに恭也のインテはいた。
すぐさまギアを4速に入れて加速するインテ。
回転数が上がってきたところでエンジンの起動音が変わる。
VTECが発動した証拠だ。
俗にHONDAサウンドとも比喩される、心地よい排気音。
一気に背中に張り付くような加速感。
これが、数々のHONDAフリークを生んだ、タイプRの真の力である。
その力は、NAであるのに関わらず、ターボ車であるシルエイティに追いついて行っている事が証明している。
(俺に足りないのは、実戦経験だ。相手はこの峠で最強と言われているらしい……だけど!)
「……戦えば勝つ……それが御神流だ、負けるつもりはない!」
「インテグラ!? また、やっかいなのがきたわね」
猛スピードの中、助手席で毒づく沙雪。
後方から物凄いスピードで追いかけてくる、一台の漆黒の車。
「ノンターボでストレートに食いついて来る……一体、どんなエンジン作ってるのよHONDAは!?」
「……大丈夫、抜かせない!」
半ば興奮気味の沙雪にお対して、運転席の真子は冷静だった。
的確に、いつもの最速のラインをなぞって行く。
やがて、目の前に大きなヘアピンコーナーが見えてくる。
「対向車なし! いつも通り、流しちゃって!」
「うん!」
驚くほど鮮やかなブレーキングドリフトでコーナーを舐めるように滑っていくシルエイティ。
対する恭也は……。
「なっ!?」
相手のブレーキランプに気を取られて、予想以上に減速してしまう。
(あのスピードで、あの位置からブレーキングするのか?)
真子たちのシルエイティが恭也の想像をはるかに超える動きだった。それゆえに、普段冷静な恭也から判断力を奪ったのである。
では、なぜ恭也の想像を超えていたのか?
それは、駆動方式の差である。
恭也の乗るインテグラはFFと呼ばれ、前輪に駆動があり、前に重心がかかりやすい。
対する真子たちのシルエイティはFRと呼ばれ、後輪に駆動がある。
駆動が変われば、バランスや安定性の差から、コーナーへの突入タイミングも変わる。
その差なのだが……。
恭也はこれまでFR車との対戦経験がなかった。
なにしろ回りは自分と同じFFばかりである。
それが、今回恭也の視野を狭めた原因だった。
立ち上がりの加速で恭也のインテを引き離していく、シルエイティ。
(くっ! ……こんな所で負けてたまるか!)
珍しくあせりを見せ、追い上げる恭也。
しかし、その差は変わらない。
(何か手はないか……)
その時、恭也の頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。
「……やってみるか」
恭也は、そう呟くと、ギアをシフトアップさせた。
「……どうやら追いついてきたみたいね」
ミラーを確認しながらつぶやく沙雪。
「真子……次で決めるよ。C121、振りっぱなしで」
「うん!」
碓氷名物コーナーC121をドリフトで突入する、真子。
後ろから追い上げてる恭也は……。
「な!? いくらグリップでも、そんなスピードじゃ!?」
沙雪の目にはオーバースピードにしか見えない、速度で突入してくるインテグラ。
「いくらなんでもそれはムチャよ!?」
目の前にガードレールが迫ってくる。
ここで、恭也はさらに意識を集中させる。
やがて、恭也の視界が灰色に染まっていく。
それと同時に、物凄いスピードで動いていた風景がスローモーション中のビデオのように切り替わる。
そう、神速だ。
今の膝では、戦闘行動では神速は使えない。
では、そうでなければ?
答えは可だった。
モノクロの世界の中、車体を少しずつ修正していく恭也。
ハイスピードの中、細かい修正は不可能だが、神速状態なら別だ。
細かいソーイングで立て直していく恭也。
アウトからシルエイティをとらえ、そして……。
「……負けたわ……まさか、C121で抜かれるなんてね……」
「いえ……運がよかったんですよ、そちらも強かったですよ」
沙雪の言葉に笑顔で答える、恭也。
「そんなに謙遜しなくていいよ、あれだけのテクニックを持ってるんだからもっと勝ち誇ったっていいんだから」
「……はい」
微妙に照れながら答える、恭也。
「……でも、見ない顔よね? どこから来たの?」
「海鳴からです」
その一言で真子と沙雪の顔色が変わる。
「……まさか、今度、プロジェクトDと戦うとか言う……」
「はい、そうです」
「……そう、でも、私達に勝てたからって、あの二人に勝てるとは思わないほうがいいわ。なにしろ、下りの拓海クンは初めてここを走って私達に勝った最初の人間だからね……まあ、これで二回になっちゃったけど」
「……すいません」
「なに謝ってるのよ! こっちはかえってスッキリしてるんだから。目標が増えたしね」
少し消沈した恭也に、笑顔で返す沙雪。
「……ウン、次は私達があなたの地元で勝つ番だから……」
今まであまり話に参加しなかった真子もそう返してくる。
「はい、お待ちしてます」
そう言って、走り出す、恭也のインテ。
後に残った二人は……。
「ねえ、ちょっと真子、見た! あの子凄くカッコイイんだけど! ……う~ん……拓海クンの可愛さも捨てがたいけど、あの子の落ち着いた中にある渋さもすてがたいな……」
「もう……沙雪ったら……」
本当に落ち込んでいなかったらしい……。
インパクトブルーの二人は頭文字Dの中でも人気の高いキャラだなーと思います。
おかげで池谷先輩が叩かれること、叩かれること……。
個人的には京子なんかも好きなキャラだったりします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。