Way to Abyss   作:栗粉塵爆発

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夏になると、シリウスは太陽と共に昇る。まるで、いつまでも手に入れる事のできない光を追う犬ように。


ドッグ・デイズ

あれから、二年近く経った。私は相変わらずボスの元で衛生兵として働いている。ボスのカリスマ性故か、行く先々で人が彼のもとへ集ってゆく。一個小隊ほどだった私たちも、もはやかなりの人数になった。

続々と入ってくる隊員達に比例して、私も古参の部類になり、今や医療班のチーフに収まっている。

ボスも相変わらずどんなに危険な任務でも自ら前線に出て戦い、必要とあれば一人で任務を遂行する。

指揮官としては相当な型破りな人ではあるが、その豪放磊落な親しみやすい人柄は、隊員たちのみならず現地の住民からも慕われている。

誰よりも戦場の非情さ、命の尊さを知っているからこそ出来るのだろうか。私にはまだ分からない。しかし、隊員達の死と共に増えてゆくボスの傷は、決して涙を見せない彼の悲哀の痕のようにも見えるのだ。

 

ここ数年で一番の変化といえば、カズヒラ・ミラーという男の存在だろう。彼はまだ若く、古参兵の中にはボスの右腕というポジションに収まっているのを快く思わない輩もいる。だが、彼の卓越した経営センスと交渉力は、私達のような『ならず者』の集団を一端の傭兵部隊…いや組織(カンパニー)として機能出来るまでに成長させた。

 

この功績はボスも認めざるを得なかった。彼がいなければ私達は明日の飯すら困る有様になるのだ。また、彼のわけ隔てない明るさや、仕事に人一倍、時には寝食すら忘れて熱心に取り組むという日本人独特の気質が、徐々に彼を副指令として認めさせていった。

私達に付けられた名前は、『国境なき軍隊(Militares San Frontieres)』

国家、思想、イデオロギーにとらわれることの無い軍隊。戦う者たちの理想郷(ユートピア)。

その旗印は海賊旗のような髑髏と、幻の大陸と呼ばれたパンゲア大陸をモチーフにしている。

自分たちの旗が出来た時、いい歳をした男達が子供の様に喜び、涙する者もいた。皆、ボスの下に集ったことを誇りにも感じているのだ。私も、その一人だ。

やがて私達が国境なき軍隊として機能し始めた頃。その話はやってきた。

 

「カリブ海に、ですか?」

「ああ。コスタリカ沖の元採掘用プラットフォームでな。二ヶ月後に入る予定だ。悪いが、引っ越し準備をしておいてくれ」

「分かりました。随分と急ですね」

 

ボスが医療テント内の簡易椅子にどかりと座った。彼はいつもそうだ。指令室というものが性に合わないと言って、いつもどこかしらうろついている。ボスは無線で呼び出さないと駄目だと、ミラー副指令がぼやいていたのを思い出した。

おもむろにボスが胸ポケットに手をやるのを見て、私は笑顔で人差し指を振った。ここは禁煙だ。それはボスとて同じことである。

彼がおどけたようにその分厚い肩を竦めた。愛煙家の彼には悪いが少しだけ我慢していただこう。

 

「カズが話を持ってきた…んだが、少し胡散臭い案件でな。まあ、それは俺達で対処する。新居は少しボロいだろうが我慢してくれ」

「いえ。このテントよりはマシだと思ってますよ。スタッフには私から話しておきます」

「ああ。頼んだ」

 

それだけ言うと、ボスはさっさとテントを出て行った。すぐにでも葉巻の煙を吸いたいのだろう。相変わらずのヘビースモーカーだ。

幸い、最近は大きな戦闘もなく私達医療班も暇を持て余している。私はボスの指示を伝えるために、スタッフを集めた。

カリブ海沖に作られたという件のプラットフォームは、予想を遥かに超えた立派な代物だった。だが、年月が経っているために腐食したり、痛んでいる場所も少なくはなかった。

 

「ここが俺達の家になる。少しずつでも修繕して増設していけば、かなり立派になるぞ。その為にはもっと人員を集めないとな」

 

錆の浮いた鉄製の壁を叩きながら、ミラー副指令は誇らしげに言った。確かに、中古とはいえ立派なものだ。百人は収容できるだろうそのプラットフォームは、かつては労働者たちで溢れかえっていた名残が感じられた。その役目を終えて朽ち錆びて行く運命にあったそれを、私達のような傭兵が生き返らせるというのはなんだか不思議な話だ。

そんな物をおいそれと提供する依頼人とは何者なのだろう。

他の隊員達は、これまでの放浪生活から抜け出し、自分たちの城が手に入ると大はしゃぎだった。私も喜ばしいと思う。今までの私達はノーマッド(放浪者)同然だったのだから。

 

「だけど、これを掃除するのか……結構根気がいるぜ」

 

隊員の一人が、錆びた手すりにでろりと垂れ下がった海藻らしき残骸を指さした。確かに。1週間で終わるようなものじゃないと私も思った。

 

「ほらそこ、やる前から諦めんな!始めるぞ!」

 

副指令の檄が飛ぶと、私達は新たなホームの大掃除を始めるべく動き出した。

 

掃除や修繕は二週間もかかるほどの大仕事だった。だが、綺麗になった私達の家を見上げた時、清々しいほどの達成感と喜びが皆の疲労を吹き飛ばした。錆でボロボロだった壁を新しく塗り直し、手摺りを新しいものに変えて床を磨き上げれば、小さいけれど、洋上の要塞とも名乗れそうな立派な風体に様変わりしていた。

 

「どうだ。これが俺達の要塞だ。そして、俺達の家(マザーベース)でもある」

 

モップを肩にかけ、汗みずくになった副指令が誇らしげに見上げる。私達もそれに倣って新たな家を見上げた。中には感極まって泣き出すものも出る始末だった。このマザーベースには私達にとっての希望であり、唯一の居場所なのだ。この時、全員が新たな明日を夢見ていた。その時は、まだ。

そして、ボスがコスタリカでの長期任務に出ている頃、このマザーベースに新たな住人が入った。ニカラグアで活動していたFSLNの残党たちだ。驚いたことに彼らの司令官(コマンダンテ)はまだ若いアマンダという女性であった。そして、彼女の弟であるチコ。彼らはここに来た時は酷く衰弱していたが、元々タフなのかみるみるうちに回復していった。いきなり患者が増えてベッドは満杯になるで、医療チーム私達もてんてこ舞いになっていた。

 

 

「チーフ! チコがいません! あのガキまた抜け出しやがった!」

「ハァ。またか。もう何回目だ?数える気すら起こらないぞ」

 

点滴を替えに行ったスタッフの怒声に、私は頭を抱えたくなった。チコは十二歳にしては体が小さい。栄養状態のよくない環境で育ったためだろう。だがゲリラと共に育ってきた割にはすれていないその性格や、人懐っこさはスタッフたちにも可愛がられているようだ。注射嫌いでベッドから抜け出す度に色々なところを探す羽目になるのは勘弁ではあるが。

今日も何回目かの脱獄を果たしたようで、担当のスタッフがこめかみをひくつかせていた。安静だとあるスタッフが見かねて縄で縛りつけてもするりと抜け出してしまう。これには私も舌を巻いた。どうやら彼の将来はあまり良くない方の意味で有望なようだ。

 

「……あの、よかったら私が探してきましょうか?」

 

さて困ったと私が頭を掻いていると、後ろから可憐な声音が響いた。振り返れば、太陽の光をそのまま糸にしたような金色の髪の小柄な少女が、遠慮がちに佇んでいる。彼女はパス・オルテガ・アンドラーテ。今回私達に仕事を依頼してきたクライアントでもあり、マザーベースに加わった新たな仲間でもある。

ザドルノフという大学教授の元で平和について学んでいるそうだが、ボスはあの教授の話は全く信用していないように思えた。私も同意見だ。ザドルノフは信用に足る人物ではないが、その教え子であるパスはどう見ても平凡な女子学生で、何かを企んでいるようには見えなかった。

彼女がマザーベースに来てからはその可憐な容姿や健気さも相まって隊員達からは絶大な人気を誇っている。

彼女は真っ先に医療班の手伝いをしたいと申し出てくれて、慢性的な人手不足に悩んでいる医療チームとしてはありがたい。仕事も真面目に取り組むし、なにより患者に対しても献身的だった。パス目当てにここに来る不届き者も後を絶たず、幾度蹴りだしたかは定かではない。

彼女を見ていると、どことなくコロンビアの軍病院で出会ったあの娘を思い出す。彼女も文句ひとつ言わずに、患者たちには献身的だった。彼女の痩せた体がパスに重なり、つきりと胸が痛むこともあった。いや、違う。私が勝手に重ねているだけだ。パスは彼女(アルマ)とは違う。

 

「ああ、パス。ありがとう。そうしてくれると助かるよ。彼のことだ。おそらく食堂かヘリポートあたりにいるかもしれないな」

「ふふ。先生はチコのいる場所が分かるんですね」

「その先生はやめてくれよ。私はしがない衛生兵(メディック)だ」

「わかりました。『先生』。チコを見つけたら今日の夕食は無しだと言っておきますね」

 

パスはそう言うと、まるで悪戯好きの猫のような軽やかさで医務室を出て行った。やはり女性相手には口では勝てない。言いくるめられる私が面白かったのか、スタッフ達が笑いながらこちらを見ていた。

 

「さすがのチーフもパスには敵いませんね」

「ああ。全く恐れ入るよ。ここの女性陣のタフさには。それに彼女達が来てからここも明るくなった」

 

だが、天真爛漫な彼女のベイビーブルーの瞳の中に、ほんの少しだけ哀しみの色が見えたのは錯覚ではないと思う。無理もない。彼女は祖国を蹂躙され、自身も被害に遭ったのだ。私達のような『傭兵』と共にいる事は十代の少女にとっては恐ろしい事だろう。それでも彼女は私達…いや、ボスを『頼ってきた』のだ。その強さには敬服せざるを得ない。

程なくして、しょんぼりと肩を落としたチコが金髪の少女に連れられて医務室に戻ってくることだろう。

私はあのやんちゃな小さな戦士にどう説教しようと考えながら、目の前の作業に取り掛かった。

ボスがコスタリカの長期任務に赴いてから数日後、まだ日も昇り切らぬ内に私は副司令室に呼び出された。何か良からぬことが起こったのだろうかと胸騒ぎを感じながら、重い足取りで副指令室に向かう。いくつかの階段を上がり、『副指令室』のプレートが掲げられたドアをノックすると、「入れ」といつもより硬い声が響いた。

部屋の中ではミラー副司令が深刻そうな顔でデスクに広げられた作戦マップを見つめていた。

 

「ミラー副司令、お呼びでしょうか」

「ああ、悪い。ちょっとトラブルが発生した。座ってくれ」

 

促され、近くのパイプ椅子に腰掛けた。副司令が私を見つめて、大きく息をついた。

 

「ボスが捕らえられた」

 

副司令から言い渡されたその言葉に、私は目を丸くした。まさか、と知らず知らずのうちに声に出していたようだ。副司令は私の考えを読んだように、安心しろと肩を叩いた。

 

「隠し持っていた無線機で辛うじて連絡は取れている。急遽救出チームを編成した。だがこれはMSF全体の士気に関わる事だ。他言無用に頼む」

「副司令、私もチームに加えて下さい」

「わかってる。その為に呼んだんだ。アンタの医療スキルはここで一番だからな。二時間後にここを出る。モルフォワンに搭乗してくれ」

「了解」

 

私は急ぎ医務室に戻り、必要になりそうな医療器具や薬、応急キットを揃えるとデッキに向かった。絶対にボスは大丈夫だ。そう自分に言い聞かせながら。医務室を出ると、チコが心配そうな顔で私を見上げていた。おそらくアマンダ達には伝えられているのだろう。青ざめた顔で、チコが「スネークは…大丈夫だよな?」とつぶやいた。

 

「……ボスは大丈夫だ。絶対に」

「おれも行く!」

「だめだ。君はここにいろ」

「おれは子供じゃない!銃だって……」

「チコ!!」

 

自分でも驚くほどの怒声が出ていた。びくりと肩を震わせたチコが、怯えたような眼を向けているのを見てはっとした。

 

「チコ…君は確かに立派な戦士だ。でも銃で人を殺すことだけが戦いじゃない。銃で傷ついた人間を救うこともまた、戦いだ」

「……でも」

「君はここで何を学んだ?銃の撃ち方やナイフの扱いだけじゃないだろう?」

 

チコはまだ十二歳だ。確かに世界中に少年兵はいる。私もベトナムで幾人もの少年兵の命を奪ったことがある。しかし、私には目の前の子供に銃を持たせて戦わせるなんてしたくはなかった。例えそれが本人の選択だとしても。偽善者だと謗られようとも、無垢な子供の手を血に染めるなどしたくはない。束の間、潮風が窓を叩く音だけが廊下に響き、俯いていたチコが顔を上げた。

 

「先生。やっぱりおれも行く。先生の助手としてだ。おれはスネークに命を拾われた。だから今度はおれが助ける番だ」

「チコ……」

 

さっきまでの聞き分けのない子供の顔は消え去り、代わりに確固たる決意を秘めた男の顔になっていた。それはさながら死地に赴く戦士のような。

そんな彼にもはや私が言える事はなかった。

 

「わかった。副司令には私から言っておく。一緒に行くからには君は私の助手であり部下だ。分かっているな」

「はい!」

「分かったならさっさと準備をしてくるんだ。もう時間がない」

「Sir.YesSir!」

 

慌ただしく駆けてゆく小さな背中を見つめる。あのやんちゃだったチコの成長ぶりに驚いた反面、気づかされたような気がした。

どうしてボスの元に来たのか。そして私はボスの為に何が出来るのか。

今度は私が彼を救う番なのだと。

 

 

戦闘班や諜報班、そして支援班の隊員が忙しなく動く中、私たちはヘリポートで待機していたモルフォ・ワンに乗り込んだ。緊張からか、いつもよりチコの表情も強張っているように見える。

コックピットからパイロットが離陸の合図を出すと、メインローターの回転数が上がり始めた。するとふわりと機体が上昇し、マザーベースがどんどん小さくなった。

 

「チコ。大丈夫だ」

 

隣に座る小さな肩を軽く叩くと、彼は強張ってはいるが力強く頷いた。良い目だ。彼は将来立派な人間になるだろう。願わくば、戦いとは縁遠い人生を送って欲しいと思うのは、私の傲慢であろうか。だが今、私たちは皆同じ想いを胸にここに居るのだ。

 

『一度自ら銃を取ったなら、どんな結末も覚悟するしかない。たとえ誰であろうとも。』

 

ボスのあの言葉が脳裏に蘇り、私は苦いものが胸の中に広がるのを感じながら、金色に染まり始めたカリブ海を見つめた。

 

コスタリカ上空の森林地帯に差し掛かり、青々と茂った緑の海が一面に広がっているのが見えた。ジャングルにはあまりいい思い出がない。

否が応でもあのベトナムの戦場を思い出させるのだ。ナパームで数百人のベトナム兵を焼き尽くした時の、植物と動物が焼けて一つになってしまったあの異臭は、未だ私の頭の中にこびりついて離れない。

 

「確か、先生はベトナム帰りなんだろ?」

 

どこで聞きつけたのか、チコが興味津々に聞いてきた。

 

「誰から聞いたんだ?そんなこと」

「ミラーさんが言ってたよ。すごく強いって聞いた」

「……私は戦場が怖くて仕方なかった。だから衛生兵になったんだ」

「へえ。そんなもんなのかな」

「チコにはまだ早いさ。出来れば……」

 

私の言葉を遮るように、ヘリの内部にけたたましいアラートが響いた。

 

「スカッドミサイルだ!掴まってろ!」

 

パイロットが叫ぶように言うと、全員が緊張に包まれた。窓の外を警戒していた隊員が、「十時方向だ!」と叫び、その言葉にすぐさま大きくヘリが傾いだ。フレアが発射され、すぐ脇をミサイルがかすめ飛んでいった。さすがに背筋が総毛立った。そのままヘリは森の木々を掠めるようにして飛行を続ける。モルフォ・ワンのパイロットはかなりの腕を持っているようだ。しかし安堵したのは束の間、次のアラートが鳴り響く。

 

「四時の方向!」

 

後部の窓に噛り付くようにしていたチコが叫んだ。私は反射的にドアガンに取り付き、凄まじい速さで向かってくるミサイルに向けてM60の弾を撃ちまくった。ミサイルよりわずかに右に逸れた射線を修正すると、派手な音を立ててミサイルが爆発した。ここまで熱気が伝わってくる程だ。あと二秒遅かったら巻き込まれていたかもしれない。

 

「やるね!先生!」

 

チコが喜色を滲ませた声を上げた。汗が背中や額に滲んだ。前線に出たのは本当に久しぶりだったからだ。私はチコに「油断するなよ。まだ来るかもしれない」と注意すると、チコは幼い顔を戦場に初めて立った新兵のように強張らせて、「了解」と言った。

幾度かのミサイルを迎撃、もしくは神業のようなテクニックで回避した後、『それ』は現れた。

 

「なんだ……あれは……」

 

パイロットが茫然と呟いたのを、私も同じような気持ちで聞いていた。鋼鉄の歪な四足で大地を掘り返すように蹂躙し、無機質な球体の頭にはぞっとするほど不気味な赤い光が点っている。『ピース・ウォーカー』なんて名前は、このおぞましい兵器に相応しい筈がない。

 

「化け物……」

それはさながら、黙示録の終末に奈落から現れ、世界を死よりも恐ろしい苦しみで満たすという奈落の王、『アバドン』のような。

突如それが咆哮を上げた。不快で恐ろしいその声は、ヘリの内部までも轟いた。

 

「ねえ!あそこ!スネークだ!」

 

チコの悲鳴に私は我に返った。下手すれば下に落ちるのではないかというくらいに身を乗り出し、チコが指す方向を見た。

 

「ボス……!」

 

巨大な鋼鉄の獣に、果敢に挑みかかっているのは、見慣れた野戦服にバンダナ、そして眼帯の男。だがその姿は血と埃にまみれていて、ここからでも決して軽傷ではないのが見て取れた。

 

「あんな化け物に…無茶だ!」

 

パイロットが叫ぶ。そうだ。あんなものに、独りで立ち向かうなんて無謀過ぎる。ドアガンの照準をあの忌々しい兵器に合わせようとした、その時だった。

 

「!」

 

ボスが私を見た。あの力強い眼差しではない、哀しみと苦しみに満ちた表情で、「撃つな」とそう言われたような気がした。

 

「おい!なんで撃たないんだよ!」

 

チコの怒声にも私の指は動かなかった。なぜ撃たなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。

 

「後方から敵機多数!気をつけろ!」

 

その声にはっと我に返った。振り返ると、3機のハインドが高速で近づいていた。

 

「急速旋回する!奴らをぶち落とせ!」

 

ぐん、とヘリが傾くと私の真正面に三機のハインドが見えた。ドアガンの引金を引く。夥しい量の薬莢がちゃりちゃりと音を鳴らしてヘリの床に当たって下へ落ちていった。敵のミサイルがこちらへ向かっているのが見えた。照準をミサイルに合わせる。私はあまり重機関銃の扱いが得意ではない。

当たってくれ!とほぼ祈るように撃ち続けると、ミサイルが空中で爆発した。

夢中で引金を引く。隣ではチコが小さい体で大きなAKを構えて応戦していた。

M60の弾丸が一機のヘリのメインローター部分に当たり、コントロールを失ったヘリは、別の一機を巻き込んでジャングルへ落下していった。

大きく息をつく。汗が全身を濡らしていた。

 

「やったぞ!」

「あと一機だ!くそ!速い!」

 

我々の攻撃を逃れた一機が、ボスとピースウォーカーへ一直線に飛び去ってゆく。

 

「スネーク!」

 

チコが外に乗り出すようにして悲鳴を上げた。私は彼の軽い体が落ちないように押さえることしかできなかった。

その一機は武装をしていないようだった。その分軽量で、重武装していた我々のヘリは到底追いつけない。

これまでか…!と誰もがそう思った時、そのヘリはボスの頭上を越えて、山の向こうへ飛び去ろうとしていた。そして、その後を追うようにして鋼鉄の異形が地響きを立てながら歩き去ってゆく。

ボスが白馬を駆り、それを追う。その姿はトロイアで最強と謳われたヘクトールの如き雄々しさだった。だが、馬の脚ではあの速さに追いつけそうにない。ピースウォーカーはあっという間にニカラグアの国境を越えて、山の向こうへ消えていった。

 

≪ボス!駄目だ!一旦体勢を立て直そう!≫

≪……わかった≫

 

副司令の声が無線から響く。暫くして、馬の嘶きとともに悔しそうにボスの声が聞こえてきた。

私達の乗るモルフォ・ワンが、ボスの真上でホバリングを始め、ゆっくりと下降する。

白馬から崩れるように降りたボスが見え、その姿に驚きを隠せなかった。白馬の毛並みが赤く染まるほどの出血、焼け焦げた野戦服。

これだけの傷で動けるのが不思議なくらいだ。

私は医療キットの箱をチコに渡すと輸血と点滴の指示を出し、まだ着陸しきっていないヘリから飛び降りた。

 

「ボス!」

 

駆け寄ると、火薬と血の匂いが鼻をついた。ボスは私の声が聞こえていないかのように、ピースウォーカーが去った方向を睨みつけている。

出血による意識の混濁を懸念した私は、ボスの目の前で手を振り、先ほどより大きな声で呼びかけた。

 

「ボス!聞こえますか!」

 

はっと、我に返ったようにボスの青い瞳が私を見る。

 

「お前か…。すまん。迎えに来てくれたんだな」

 

ふらりとボスの足元が揺らぎ、慌てて支える。さっきよりも濃厚な血の匂いに私は顔をしかめた。なぜ、彼はこんな過酷な戦いを続けるのだろうか。

それが俺の罪であり、業だ。と彼が言っていたが、私には自分にふさわしい死に場所を求めている気がしてならないのだ。

いや、それは私も同じことだ。過去を清算することはできない。過去という十字架を背負って生きてゆくしかない。いつか、その日が来るまで。

 

「歩けますか?」

「ああ……肩を貸してくれ」

 

血だらけの腕を自分の肩に回すと、ずしりとした重さを感じた。彼の背負っているものを少しでも軽くできたら…と苦い思いが私の中に広がる。それができないのはわかっている。だが、そう思わざるを得ないのだ。

 

「……いい腕だ」

「え?」

 

直ぐ隣から聞こえてきた言葉に、私はすぐ反応することができなかった。

 

「あの状況で三機のヘリを相手には出来なかった。お前のおかげで助けられた」

 

血まみれなのに、いつものように笑う彼に私は何も言う事が出来なかった。

ボスに肩を貸しながら、ゆっくりとヘリへ歩く。私は胸の内を押し隠し明るく言ったが、うまく言えていただろうか。

 

「ボスに何かあったら副司令に、いえ、みんなに顔向けできませんよ」

「はは……なあメディック、その、一本点けてもいいか……?」

 

私は面食らった。ここまで酷い怪我でまだ葉巻を吸おうとしているのに。恐るべき愛煙家と言うべきか。

本当は吸わせてやりたいが、治療を最優先させるために心を鬼にする。

 

「駄目です。怪我人は大人しくしていてください」

「…やれやれ。俺の主治医は厳しいな」

「当然です。さあ、乗せますよ」

 

ボスの身体をヘリに乗せる。チコが心配そうに彼に話しかけると、心配するな。と小さな頭をぽんぽんと撫でた。

 

「さあ、脱がしますよ。腕を上げて」

 

私は血だらけの野戦服を脱がすのを諦め、ハサミで袖から切ってゆく。血に濡れた布がヘリの床に落ちて赤く染めた。

腕、肩、胸のいたるところが銃創や切創、やけどにまみれていて、チコが苦しそうな顔で眼をそむけた。

いくつかの銃創には、弾がまだ入ったままだ。医療キットから麻酔を取り出そうとした時、ボスの腕が私の手を掴んだ。

 

「……麻酔は使うな」

「しかし……!」

「奴はニカラグアの米軍基地へ向かった。このまま向かう。おい!このペースならどれくらいで到着する?」

「あ……こ、この調子なら6時間程で到着するはずですが……」

「無茶です!今の状態では!」

 

彼は私を制してパイロットに話しかけた。とんでもない話だ。通常の人間なら失血による意識混濁で命すら危ないのだ。今、この状態で正気を保っていられるのは彼の信じられないほど強靭な精神力のおかげだろう。だが、このまま戦闘を続ければどうなるかはわかっているはずだ。

 

「死ぬ気ですか!?これ以上の戦闘は……!」

「メディック」

 

静かだが、それでいて何者をも抗うことすら許されないようなボスの声に、ヘリ内の全員が息を飲んだ。

 

「奴を止められるのは、俺しかいない。大丈夫だ。必ず生きて還る」

 

真っ直ぐなボスの眼差しが、私を射貫く。ああ、やはり貴方には敵わない。医師として、『メディック』として、全力で貴方の力になろう。

 

「私は医師失格ですね。かなりの荒療治ですよ。覚悟はいいですか」

「お前の腕は俺が知ってる。遠慮なくやってくれ」

「わかりました。チコ。メスと鉗子、それと縫合の用意、それと点滴と輸血だ」

「り、了解」

 

 

『メディック』は先生と呼ばれるのを嫌う。なんでかわからないけど。でもオレにとっては先生だ。先生はオレがマザーベースに来てすぐの頃、栄養失調とCIA(ラ・シーア)共から受けた傷を治療してくれた。最初はでかくてちょっと怖かったけど、すごく優しい声で笑うんだ。だからすぐにいい人だって思った。

でも、たまにその笑顔がちょっと悲しそうに見えるから、なんだか放っておけないんだ。何だろう、こう、でっかい犬みたいな、そんな感じ。姉ちゃんはスネークみたいな強い男が好みらしいけど、オレは先生もかっこいいと思うけどな。ちょっと地味だけど。あ。先生に聞かれたら怒られちまうな。

 

だからオレは先生が本気で怒ったのを見た時は驚いた。なんていうか、すごく怒っているのに、泣きそうで、オレまで悲しくなっちまう。そんな眼をしてた。

先生は昔ベトナムで戦ってたと別の兵士から聞いた。実はMSFで五本の指に入るほど強いってことも。

あの優しい先生が戦場で人を殺してたなんて信じられなかった。別に人殺しが悪いことなんて今更言うほどオレも子供じゃない。でもあの人を見てもなんていうか、そんな姿を想像する事が出来なかった。

ヘリの中から機関銃で敵を狙う先生の眼は兵士そのものだった。狼(ロボ)が獲物に食らいつこうとするみたいな、そんな怖い目をしていた。

ああ、この人は兵士なんだって思った。でも、スネークを見るなりヘリから飛び降りていった先生は、必死で目の前の命を救おうとしている医者の姿だった。

オレは、ほんの少しだけ先生の笑顔の底にある哀しみの正体が分かった気がした。

命を救うための手で、人を殺さなきゃならなかった先生は、ずっと苦しんでたのかもしれない。

だから先生は、先生と呼ばれるのを躊躇った。自分はただの『メディック(衛生兵)』なんだって頑なに言い続けて。

だけどオレにとっては先生は先生でしかないし、過去なんて別にどうでもいい。

先生はオレの命の恩人なんだから。

 

 

ボスの傷の処置は、揺れるヘリの中で行った。輸液と輸血用のチューブをつけたまま、麻酔なしで体内に残った弾を取り除き、傷を縫合する。

その間、ボスは声を上げることも苦痛に身体を捩ることもなく、少し横になると言ってそのまま眠っていた。並の兵士でさえ痛みに呻くというのに、彼の並外れた忍耐力と精神力には心底感服する。到着まであと二時間弱。それまでに少しでも体力が回復していればいいのだが。

処置が終わり、助手をずっと務めてくれていたチコもほっとしたように息をついた。彼も私も汗だくだった。

「チコ、君も少し休め」

私の言葉に彼は頷くと、窮屈なシートと機材の間に寄りかかって眼を閉じた。二人の穏やかな寝顔に、私も少しだけ緊張の糸を解く。

ボスの方を見る。上半身は痛々しく血の滲んだ包帯に覆われ、死んだように眠っている。

止血帯を取り換えようと、傷だらけの身体に手をかけた時だった。

 

「ボス……」

 

彼の口から今まで聞いたことのない、苦しそうな、それでいて悲しげな声が聞こえた。私は思わずその手を取ろうとして…やめた。

 

「ボス……行くな……」

 

彼の口から放たれた『ボス』という言葉の底に、並々ならぬ想いが沈んでいるような気がしたのだ。彼の言う『ボス』が誰のことを示しているのかは、その時私には分からなかった。私は、こんなに悲しそうなボスを見るのが辛くて、燃えるような赤からどろりとした藍色が混ざり始めた空を見つめることしかできなかった。

 

ヘリは無情にも目的地に到着した。ボスの命令だとは分かっている。だが、彼の体力は6割も回復していないだろう。これ以上の戦闘は主治医として是が非でも辞めさせたい。だが、私はボスの【メディック】なのだ。彼の命令に抗う手段を私は持っていない。

「ボス、到着しました」

そう言う前にボスは既に目覚めていたようで、その肩に触れる前に力強い腕が私の腕をつかんだ。

 

「ああよく寝た……大丈夫だ。俺はしぶといからな」

 

そういいながら、彼は装備品を身に着け、ヘリから夜の闇へ躍り出た。分かっている。彼が強いことなど百も承知だ。

でも、どんなに強い奴でも弱点はあるのだ。ダビデに滅ぼされたゴリアテのように。

ボスにとっての弱点は、彼が叫んでいた【ボス】という言葉に関係しているのかもしれない。

 

「ボス!」

 

ボスの姿が暗闇に消える前に、私は思わずヘリの上から叫んでいた。

 

「必ず、必ず無事に帰ってきてください!もう、貴方の手術をするのはうんざりですから!」

 

彼はいつものように片手を軽く上げて返事をして、暗闇の中へ消えて行った。

 

私達は、ニカラグアとコスタリカの国境近くにある、FSLNの仲間が潜伏しているという村に一時待機することになった。アマンダが話をつけてあったからか、彼らは多くを語ることもなく、物資や弾薬を快く提供してくれた。おそらく、アマンダの弟であるチコの存在が大きいだろう。

サン・ファン河の傍だからか、湿気を含むじっとりとした暑さが容赦なく体力を奪う。私は滲み出る汗を拭いながら、ヘリの整備を手伝っていた。

 

「先生、ちょっとは食っておかないと参っちまうぜ?」

「ああ、ありがとうチコ。」

 

チコがナカタマル(トウモロコシの粉を練ったものに野菜や豚肉を入れ、バナナの葉で包んで蒸した料理)を持ってきてくれた。この暑さで食欲が低下していたが、チコの言う通り体力をつけておかないとならない。今この瞬間、ボスはたった一人で戦っているのだ。私が倒れるわけにはいかない。

バナナの葉をはがすと、何とも言えない食欲をそそる香りが漂ってきた。

 

「スネーク、大丈夫かな……」

 

チコはナカタマルを頬張りながら心配そうに言った。私も同じことを考えていた。あの出血と怪我の中、満足な治療もできずに送り出したことを後悔もし始めていた。

 

「……」

「そういえば、なんであの時撃たなかったんだ?」

「え?」

 

隣を見れば、チコが怪訝そうな、そして少しだけ非難の入り混じった表情を向けて言った。あの時、撃てたのにもかかわらず、ピースウォーカーへ向けてドアガンを撃たなかった事を言われているのに漸く気づいた。

 

「……あの時、ボスに『撃つな』と言われたような気がしたんだ」

「まさか。自分が死んじまうってのに……」

「ああ。でも、あの兵器と対峙していたボスはどこか哀しそうだった。なぜかあの中へ立ち入ってはいけないような感じがしてね。…やはり私は兵士には向いていないな。戦いの中にそんな感情を持つなんて」

 

ヘリの中で、小さく【ボス】と呟いた彼の姿を思い返す。深い哀しみと激しい怒りが入り混じったその声は、私の胸にずしりと重い何かを残していた。

 

「そんなことないよ。ヘリから機銃を撃つ先生は兵士そのものだった。正直、ちょっと怖かったんだ」

 

チコからそんな言葉が出るとは思わず、私は少し驚いた。なんといっていいものかわからず、二人の間に何とも言えない空気が流れた。

 

「チコ……」

 

そう言いかけて、上空からヘリのローター音を捉え、敵襲と思った私達は同時に身を固くした。

しかしそれは杞憂だった。目を凝らせば、MSFのエンブレムとモルフォ蝶をあしらったマークがその機体に描かれている。モルフォ・ツーだろう。副司令が応援を寄越してくれたのだろうか。

モルフォ・ツーが砂塵を巻き上げながら着陸する。その中から現れた人物を見て、チコが驚きの声を上げた。

 

「姉ちゃん!?」

 

まだ完全に傷が癒えていない筈のアマンダが、その手に銃を携えてヘリから降り立つ。

 

「チコ。あんたの言うとおりだ。あんたはもう戦士よ。覚悟があるなら、あたしと一緒に来なさい」

 

アマンダがその手をチコに差し出した。その眼は弟を見る姉の眼ではなく、兵士を見る指揮官のそれであった。

チコは暫く無言でそれを見つめ、「先生、ごめん」と小さく言い残して静かにヘリに乗り込んでいった。何も言うことはできなかった。彼の選んだ道だと自らに言い聞かせて、私は黙ってその小さな背中を見送った。

離陸する時、アマンダが私を見た。幼い弟を戦地に伴うという事に彼女も自責の念を感じているのだろうか、覚悟の中に悲しみと後悔を色濃く滲ませ、「それでも、私達はこうやってしか生きる術を知らない」と言ってるような気がして、

私はやり切れない思いと共に遠ざかっていく機影を見つめるしかできなかった。

もしもここで私が何か言っていれば、彼の運命を少しでも変えられたのではないのだろうか。今更ながら後悔している。

たとえそれが私自身のエゴであったとしても、そう思わざるを得ないのだ。

 

アマンダ達がボスを間一髪のところで救い出す一部始終を私はヘリの中の無線から聞いていた。私達も共に応戦したい衝動に駆られていたが、私達には退路を守るという役割があり、ここを離れるわけにはいかなかった。

副司令から到着したとの連絡が入った。心強い援軍だった。

「ベンセレーモス!」という声と共にけたたましい銃声が響き渡る。歓声と共にボス自身から無事だと無線が入り、私達はホッと胸を撫で下ろした。

 

≪こちらミラー。ザドルノフ、コールドマン共に確保した。コールドマンは重傷だ。帰還する≫

 

ミラー副司令の無線が響き、ヘリ内は歓声に包まれた。

ザドルノフとコールドマンが後ろ手に拘束された状態で後部のカーゴに乗せられる。コールドマンの胸部からはかなりの出血が認められた。早急に治療をしなければマザーベースまでたどり着くのも難しいだろう。私は応急処置の準備の為に必要な器具を揃えようと立ち上がった。

その時、一瞬だけ見えたコールドマンの不気味な笑みが、私には不吉なものに感じられた。

 

「貴様!何をしている!」

 

突然、機内中に副司令の怒声が響いた。驚きと共にそちらを見れば、コールドマンが胸倉をつかまれ、スタッフたちに囲まれている。

傍には小型のアタッシュケースが開いたまま転がっていた。端末らしき機器とディスプレイが見える。何が表示されているのか、私の所からは見えなかった。

 

「…ふ、ふふ…最後に勝つのは私だ…野良犬風情に止められるか?お前達は平和という偽りの状態の中では疎まれ、

 やがて野垂れ死ぬだろう。どうあがいても、闘争という麻薬からは逃れられない哀れな犬の集まりだ…」

 

がくりとコールドマンの首が冷たい床に落ちる。呼吸が弱い。非常にまずい事態だ。私は戸惑う様に彼を囲んでいるスタッフ達に指示を出した。

 

「そこに寝かせてくれ!くそ、意識レベルが下がっている。心臓マッサージの用意!」

「り、了解!」

 

この死に損ないが!と副司令が忌々しそうに床を蹴った。そして大声でマイクに向かって叫んだ。

 

「くそ!やりやがった!コールドマンがピースウォーカーを起動した!核発射の偽装データも同時にだ!送信先は……NORAD……」

NORAD。地球上の核ミサイルや戦略爆撃機などの動向を監視する専門機関。千五百本のICBMがアメリカ本土に向けて発射されたという偽装データが送信されたというのだ。

恐らく今頃は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。

いや、そんなものでは収まるはずはない。もし、NORADがこれを偽装と見抜けなかった場合、取る行動は一つ。

 

「報復攻撃……」

 

誰かがぽつりと漏らした言葉に機内がしん、と静まり返った。ベトナム、いやそれすら凌駕するほどの泥沼の闘争が世界中を焼き尽くすだろう。冷たい戦慄が背筋に走った。

 

『カズ。ピースウォーカーの現在地を教えてくれ』

「ボス!ダメだ!あんた一人でどうにかなるシロモノじゃない!」

『分かってる。だが、あれは俺が止めなければならないんだ。これ以上政治屋共の玩具にされる前に、俺が破壊する」

「ボス……」

 

聞いている方が苦しくなるような声が、無線機から響き渡る。副司令はそれ以上何も言うことはなかった。

そうこうしているうちに、ヘリ内のミサイルアラートが鳴り響き、私達はその場を離れた。眼下にはボスが乗ったAPCがピースウォーカーへ向けて走り出していたが、私達には彼の無事を祈ることしかできなかった。

ピースウォーカーとの戦闘は文字通り熾烈を極めた闘いになった。

無線越しにもわかるくらい、凄まじい攻撃の嵐がボスを襲い、彼はそれを驚異的な持久力と瞬発力で避け、的確に攻撃してゆく。ボスは私よりも年下だが四十も間近の人間の体力とは到底思えない。やはり伝説の兵士と謳われているのは伊達ではないようだ。

しかし、相手は一機で一個大隊、いや一国を殲滅できる程の鋼鉄のAI兵器。たった一人でどうにかなるものではない。ピースウォーカーへのダメージは確実に増えているが、ボスの体力は既に限界に近かった。

一際大きな爆発音が響き、私達は下を見た。凄まじい風と衝撃がヘリを揺らした。

度重なる攻撃によって外装がひしゃげたピースウォーカーが、がくりと姿勢を崩し、AIポッドが地面に倒れた。すかさずボスがハッチをこじ開け、中に入る。

基盤を外せば、AIの思考ルーチンが停止するとここにいる全員が思っていた。

 

『ダメだ! データの送信が止まらない!』

 

エメリッヒ博士の悲鳴がスピーカーから流れる。

焦燥と絶望が、ここにいる全員を支配した。

 

『俺には……俺にはわからない! 教えてくれ! ボス!』

 

無線越しに、ボスの悲痛な咆哮が響く。それは、誰に向けたものだったのか。

もう、止められない。私はこんな所で見ているしかない自分の無力さを嘆いた。

 

『ジャック』

 

鳴りやまないアラートの中、私は確かにその【声】を聞いた。酷いノイズにまみれていたが、強い意志を感じさせる女性の声だった。

そして、私達は【奇跡】を見たのだ。

 

 

 

全てが終わった。

ピースウォーカーは自らを湖に沈め、世界は危機を脱した。それが代償とでもいうように、世界中の命を救った英雄に消えることのない傷痕を遺して。

ボスは無言でピースウォーカーが沈んでいった湖面を見つめていた。

湖畔には、名も知らぬ白い花々が咲き乱れている。白い花弁が風に舞い、湖面に白い花を咲かせる。その花の蜜につられたのか、沢山のモルフォ蝶が花弁と戯れるように飛んでいた。

もしも天国があるのだとしたら、このような光景なのだろうか。私には確かめる術もないのだが。

ボスは静かに湖面に佇んでいた。今立っていることすら不思議なくらいに、満身創痍の状態だった。

副司令たちとの話が終えるのを見計らって、私は応急処置をするために彼の元へ向かった。

「……すまん。センセイ。また無茶をしちまった」

血と土埃に汚れた顔が辛うじて笑みとわかる表情になった。こんな状態になってまで冗談を言えるのかと呆れたが、その額に彼のトレードマークだったバンダナは巻かれていない。

「さて、今まで何度それを聞いたでしょうね。もう慣れましたよ」

治療をするため、私は彼をヘリに促した。が、彼は動こうとしない。

「ボス?」

「『……美しいだろう?』」

ぽつりと、ボスが呟いた。それは彼自身の言葉なのか、それとも誰かの言葉だったのか。

「え?」

「……いや、何でもない」

「でも、天国がもしあったら、こんな光景なんでしょうかね」

光の中を白と青の花びらが舞う美しい世界に、私は思わず呟く。

「さぁな。確かめる術はないさ。俺達がいずれ堕ちるのは地獄だ。それに、俺達の居場所は【天国の外側(アウターヘブン)】にしかないんだからな」

天国の外側(アウターヘブン)。

その言葉は、いつまでも燃え尽きない熾火のように、私の中に燻り続けることになる。

そして、それの本当の意味を知るのは、もっとずっと後の事だった。

それと共に、私達の盛夏(dog days)がもうすぐ終わろうとしている事など、その時は知るべくもないままに。

 

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