Way to Abyss   作:栗粉塵爆発

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第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。


ブラック・スター

私達に決定的な分岐点を与えたあの日から、三ヶ月後。マザーベースに漂う雰囲気が明らかに変わったと思うのは、気のせいではないだろう。

甲板や廊下に響いていた騒がしい笑い声や、フットサルに興じる歓声は絶えて久しく、代わりに慌ただしく出動する靴音と風を切るヘリのローター音が日に日に増えていった。

午前中が患者の診察や回診で慌ただしく過ぎ去り、決して旨くはないレーションを流し込むようにして腹に収める。座る間も無く医療プラットフォームで医療品や薬品の荷受けをすると共に、受け取りたくない荷を受け取る。それが、最近の私の日常だ。

輸送ヘリから降ろされる、カーキ色や黒色のシートに包まれた、人のシルエットをしたもの。

それは数日前に送り出した仲間達の変わり果てた姿だった。

 

「チーフ。今回の戦死者のリストです」

 

医療スタッフのイーグレットが淡々と事務的な表情でファイルを差し出す。彼はとても優秀で子供好きで、思いやりに溢れたスタッフだ。

よくチコやパス、孤児たちと共にデッキでフットサルに興じていた。いつしか副司令やボスまでもが割り込んできて、暗くなるまで歓声と笑い声が絶えなかったものだ。

だが、あの【事件】が彼、いや、彼等を変えてしまった。

規律は一層厳しくなり、訓練のメニューも増え、新しい武器や装備が毎日のように搬入されてくる。

コスタリカの一件で、私達の名は良くも悪くも表と裏の世界にも広がり、【国境なき軍隊】は国家間の戦争から麻薬カルテルの闘争まで多岐にわたる戦いに身を投じている。

今はキプロス島の紛争に大部分の人員が割かれていて、私は、毎日のように現地から送られてくる戦死者のリストを見て暗鬱とした気持ちを飲み込みながら、部下たちに指示を出さざるを得なかった。

何故人間は人種や国境という垣根があるのだろうか。その垣根をいつか馬鹿馬鹿しいものと気付く日が来るのだろうか。それは、私にもわからない。

だが、今言えるのは、来る日も来る日も運ばれてくる歪なボディバッグと、コードネームしか書かれていないリストを見る事が、いつしか当たり前の日常だと思えてきた。

それはあまりにも、命というものが軽く失われる世界。

私達は、そういう世界で生きているのだ。そして、それを選んだのは、自分自身だ。

 

「ああ。分かった。回収された遺体は検査に回してくれ」

「分かりました」

 

戦地で回収した遺体は、感染症や細菌兵器、化学兵器により汚染されている可能性がある為、直ぐには水葬にすることはない。詳細な検査により、化学兵器や細菌兵器への対抗手段を見つけることが出来るかも知れないのだ。

リストが挟まれたバインダーをイーグレットに手渡すと、彼は短く返事をした。前回の検査の報告書をまとめる為に端末へ身体を向ける。

昔は万年筆を片手に質の良くない紙とにらめっこしながら仕上げたものだが、技術の進歩というものは素晴らしい。誤字をする度に紙を丸めてゴミ箱へ放り投げなくても良くなったのだから。

未だ慣れないキーボードに四苦八苦していると、イーグレットの手がデスクの端に何かを置いた。栄養剤の小瓶だ。

 

「チーフ。暫く碌に休んでいないでしょう。貴方の事ですから本当の事は言うはずないと思いますが」

 

彼がやれやれと肩を竦めるのを見て、私は気まずそうに笑うことしかできなかった。むしろ当たり過ぎているのだから。

 

「判るかい? 流石うちのスタッフだね」

「何年一緒にいると思っているんですか。先生の考えている事などお見通しですよ」

 

イーグレットは、私がコロンビアにいた頃からの付き合いだ。そう。あの時、脚の銃創を治療した若い兵士が彼だ。

聡明で思慮深いイーグレットは、私の優秀な部下でもあり、誰にも言えない悩みを打ち明けられる唯一の友でもあった。

 

「パスを【彼女】に重ねたのでしょう?」

 

その言葉に、私は栄養剤を流し込む手を止めた。かつて、コロンビアで出会った、天真爛漫で、弟想いの、心優しい少女。だが彼女は無残に殺された家族の為に復讐を誓った、哀しきスパイだった。

 

「そうかもしれない」

「でも、それは貴方のせいでは…。現にあの女【パシフィカ・オーシャン】は、我々を裏切った。あの女のせいで、死ななくてもいい仲間が沢山死んだ」

 

イーグレットが忌々しそうに舌打ちした。私にも、彼の気持ちは痛いほどによくわかった。

 

「私達に戦う理由があるように、敵には敵の戦う理由がある。私はエゴイストだから、死にたくないし、傷つきたくはない。

それでも、戦場で傷ついた人の命を救いたい。それは、贖罪でもあり、自分自身を保つ安全装置のようなものなのかもしれない。イーグレット。私は君が思っているような清廉な人物ではないよ」

 

栄養剤を一気に流し込むと、遣る瀬無い気持ちを振り払うように息を吐いた。イーグレットが心配そうに私を覗き込んでいる。

 

「いつか、私達が要らなくなる平和な時代が来たら。彼女達のような不幸な子供達が救われたら。そう考えた事もある。でも」

 

壁のコルクボードに無造作に留められた写真を見た。全員で撮った集合写真。彼女はあの時のまま美しく微笑んでいる。

 

「私は一度死んで、ボスに拾われた。帰る故郷も家族も無い。此処が、私の居場所なんだ」

 

その為に、人を救う技術を使い、また新たな戦いへ送り出す。

なんて、滑稽でエゴに満ちた笑い話だろう。

 

「俺は、ボスの為ならいくら命を賭けたって構いません。でも、あの時チーフに救われたから今此処に居られるんです。貴方を尊敬してる奴は、大勢いるんですよ」

 

イーグレットが静かに笑った。やはり彼は頼りになるスタッフだと、私は改めて思う。

 

「……それでですがチーフ。最近少し気になる事がありましてね」

 

少し潜められた声に、思わず私も身を乗り出す。

 

「チコの様子が、最近おかしいんですよ。どこか、上の空というか……」

「パスの一件があったからじゃないのか?」

「それは確かにあると思います。でもアイツは賢い。何もなければいいんですが」

 

確かにチコはあの日から塞ぎ込むことが多くなっていた。自分が報告していれば、あんなことにならなかったかもしれないと、嗚咽を漏らしながら、私に語ってくれたのを思い出す。

ゲリラと共に銃を手に山野を駆け、生きる為に大人顔負けの知識を身に着けてきたとしても、まだ彼は子供だ。慕っていた少女を目の前であんな風に失くして、心に傷を負わないわけがない。

彼の為に何ができるのだろうか。奇しくも私もパスの最期の姿を見た。翅を焼かれた蝶のように、青い海に堕ちてゆく彼女を、私は手を伸ばす事すらできなかった。そんな私が、彼に何と言えるというのだろうか。

いつも明るく、基地のムードメーカー役だったチコの元気のない姿に、隊員たちは少なからず気に掛けているようで、イーグレットもその一人だった。

 

「そうだな。合間を見て話してみよう。ありがとう。イーグレット」

 

頼りない私にいつもついてきてくれる彼に改めて感謝の意を述べると、イーグレットはちょっと驚いたように、そして照れながら「どういたしまして。先生」と笑った。

 

 

副司令から近いうちにIAEA(国際原子力機関)の核査察が入ると聞かされたのは、その翌朝だった。

言葉少なに言い渡されたその命令に、疑問を持つことは許されないのだと感じた我々は、その口を固く閉じ、黙々と査察までの業務をこなすしかなかった。

数十人の傭兵集団から形成されていた私達は、もはや千人を軽く超す大所帯だ。ボスの伝説的な功績に加え、副司令の卓越した運営や用兵が、このMSFをここまで大きくしたのだろう。

それは諸刃の剣でもあったのかもしれない。もはや世界中の紛争地帯に隊員たちが派遣され、あらゆる情報を得る為に潜入工作員が潜伏している。

既に私達は、傭兵集団の範疇を超えていたのかもしれない。それは、一つの国家とみなされてもおかしくないくらいに。

核査察時は、査察団に怪しまれぬよう、ZEKEは勿論、武装や人員も最低限にしなければならない。

私達がクリーンな集団であるという事をアピールするというのがエメリッヒ博士の主張であるが、私には所詮、茶番だという印象しかなかった。

 

査察があと半月に迫った頃、キューバで活動しているアマンダから支援物資の要請があったと副司令から聞かされた。

彼女も、コスタリカでボスと共に戦った勇敢な戦士だ。今はMSFの任務と並行して、故郷であるニカラグア復興のため日夜奔走していた。

ボスはかつての戦友の為に支援要請を快諾し、副司令は核査察の雑務に加えて支援物資の手配に追われる羽目になっていた。

 

「え?チコを?」

 

日々の激務に少しやつれ気味のミラー副司令に栄養剤を点滴していた時、彼が漏らした言葉に眼を見開いた。本当は少しでも睡眠を摂るべきだと進言したが、彼は頑として首を振らず、私は上官達の頑固さに頭を抱えそうになった。

 

「ああ、査察時にチコのような子供や民間人が傭兵部隊にいたら心証が悪いだろう。そうでなくとも俺達に対する世論の風当たりは強い。子供を無理矢理拉致し、戦わせている等という流言飛語が出ないとも限らない。だからチコは今度の支援物資の輸送時に、この基地にいる民間人たちと共にアマンダの元へ行かせる。これはボスとも話し合った結果だ」

「チコは素直に従うでしょうか?」

「二日後の明朝、物資を積んだ貨物船がハバナ港へ向かう。チコにはその旨は伝えてあるし、本人も了承済みだ」

 

言いながら、副司令がトレードマークのサングラスを外して私を見た。そのコスタリカの海のような碧眼には、疲労の色が色濃く滲んでいた。

最近、査察に関してエメリッヒ博士と副司令の間で軋轢が生まれているのではないかという噂は私の耳にも入っている。

あくまで平和主義で、クリーンな組織だという事をアピールするべきだと主張するエメリッヒ博士と、国家、思想、イデオロギーに囚われない我々MSFにそんなものは不要だと言う副司令。

ボスはどちらかというと副司令側の意見であったが、エメリッヒ博士が半ば強引に査察を受け入れてしまい、激怒する副司令を宥める立場となっていた。

 

「副司令。やはりお休みになったほうがいいと思います」

「無理だな。あいつが勝手な真似をしてくれたおかげで、俺のデスクには未処理の書類が山積みだ。査察団へ配布する資料もまだ終わってない。今日も徹夜だなまったく」

 

苛々とサングラスの弦を噛む副司令の愚痴を聴きながら、私はチコが今どうしているだろうと考えていた。

 

 

金色の夕陽が、茜色の海に沈む。世界で有数の美しい景色が、明日をも知れぬ傭兵部隊の基地で見られることが、奇跡のようにさえ思える。

 

「綺麗だな」

 

私は素直に感嘆の台詞を口にした。隣の欄干に寄りかかっていた少年が、ゆっくりと私を見上げた。激務の中ようやくもぎ取れた束の間の休息。私はどうしても彼に話したかった事があった。

過酷な状況で生き残った人間に起こる罪悪感。心的外傷ストレス症候群の一種であるそれは、ベトナムで生き残った私にも深く深く傷跡を残している。

パスを失くしたチコも、同じような状況下であると考えられた。

 

「うん。そうだね」

 

あの元気な面影は欠片もなく、私は茜色に染まり切ったチコの横顔を見つめることしかできなかった。

 

「なぁ、チコ。君に言っておきたいことがあるんだ」

 

私は、彼に昔ベトナムからコロンビアで起きた全てを伝えた。私が経験してきた全てを。

ベトナムで戦った事、国を棄てた事、そして、コロンビアでアルマに出逢い、ボスと出逢った事。

話し終えた時、彼はじっと沈みゆく太陽を見つめながら、ぽつりと言った。

 

「先生は、後悔してる?」

 

その短い問いは、ゴルゴダの丘に続く道に背負う十字架のように、私の胸に重くのしかかった。

 

「していないと言ったら、嘘になる。でも、ボスと共に戦う道を選んだことは後悔していない。決して」

 

本心だった。私は沢山の過ちや罪を犯してきた。でも、彼の為に戦う道を選んだのは、あくまでも私の意志であり、この世界に対する私のささやかな抵抗だった。

 

「……そっか」

 

チコが笑みを浮かべて私を見上げる。いつもの気持ちいいくらい晴れやかな笑顔が、茜色に染まっていた。

 

「話してくれて、ありがとな。先生」

 

少し生意気だけど、心優しい小さな友人の笑顔を見たのは、この時が最後だった。

私が此処で違和感に気づいていれば、彼の運命を変えられたかもしれない。

すまない。チコ。本当に、すまない。

 

 

明朝、チコを乗せた貨物船がハバナへ出発した。だが折悪しく急患が入ってしまい、私は彼を見送ることが出来なかった。

久しぶりの姉弟の再会だから、彼も喜ぶだろう。その時はそう楽観的に考えていた。本来ならば彼は普通に学校へ行って教育を受け、家族や友人と過ごす年齢だ。

どんなに気丈に振舞っていたとしても、まだ子供だから。

 

「チコはどうしていた?」

 

仕事が入ってしまった私の代わりにイーグレットが見送りに行ってくれたので、一息ついていた頃、丁度医務室に戻ってきた彼に問いかけると、彼はポケットから一枚の写真を出した。

コスタリカの蒼い海をそのまま映し出したかのような美しい翅を持つ蝶の写真。

 

「モルフォ蝶?」

「チコが、チーフにと」

「私に?」

「ええ。俺にそれを押し付けてさっさと行っちまいやがりました。薄情な奴だぜ」

「はは。チコらしいな」

 

肩を竦めるイーグレットは憎まれ口を叩いてはいるが、本心は寂しいのだろう。ムードメーカーであるチコが居なくなったのだ。

 

「ああ、それと」

 

イーグレットが思い出したかのように私を見た。

 

「ニュークの世話を頼むよ。先生。だそうです」

 

私は彼と【彼女】が可愛がっていた黒猫の姿を思い浮かべ「了解」と笑った。

 

「ニューク。いるかい?」

 

少しだけ和らいだ陽光が海面にきらめき、清涼な潮風が吹き抜ける。医療プラットフォームのヘリポートの南側。彼はこの時間はここがお気に入りのようで、

大体タラップの陰で涼んでいる。この広大なマザーベース全てが彼の縄張りなのだ。

にゃあ、という声と共に、階段の陰から小さな黒猫が姿を現した。

糧食班の隊員が持たせてくれたステンレスの小さな器を差し出すと、彼は艶々の尻尾をピンと立たせて、催促するかのようにもう一度高い声で鳴いた。

 

「はいはい。ちょっと待ってくれよ」

 

まとわりつくニュークを避けながら器を足元へ置くと、それ来た!と言うかのようにがっつき始めた。

その隣に腰を下ろし、黙々と平らげる黒猫の背をそっと撫ぜる。

ふわふわの柔らかな毛並みと掌に確かに感じる温かな体温。この小さな猫を慈しみ、可愛がっていた彼等はもういない。

私はニュークの背を撫でながら、金色に変わり始めた雲を見つめた。

 

「寂しくなるな……。なぁ、ニューク」

 

その意味を分かっているのかいないのか、彼はぺろりと口元を舐めながら一声鳴いた。

 

―――ああ。そうらしい。何でも死にかけてた所を漁師に拾われたって噂だ。

―――あの女の事だ。色仕掛けでも使ったんだろう。

―――俺達の家をあんなにしやがった癖に……しぶとい女だ。

―――あんな女、さっさと死んじまえばいいのさ。でなきゃ、あの女に殺された奴らが浮かばれねえよ。

 

チコが出立してから四日後。私は朝から言いようのない胸騒ぎに駆られていた。何といえばいいのだろうか。胸の中で蝶が羽搏いている様な、何とも落ち着かないものだ。

チコから到着の連絡はまだない。そろそろあってもいい頃だろうと思っていたし、ニュークの事を心配していた彼に一言大丈夫だよと言いたかった。

 

「チーフ、大丈夫ですか?」

 

彼に何かあったのかもしれない。そう考えていると不意に声をかけられた。

余程思いつめた顔をしていたのか、イーグレットが心配そうに私を覗き込んでいたので、私は誤魔化すように笑うしかなかった。

 

「ああ、大丈夫。ちょっと疲れが出たのかもね」

「貴方は我が隊の数少ない名医なんですからここで倒れちまったら困りますよ。ちょっと休憩しましょう」

「ありがとう。三〇分ほど休憩にしようか」

「もっと休んだっていいんですよ。全く。ワーカホリックも程々にして下さいよ」

「ははは。敵わないなぁ君には」

 

後はやっておきますから。と言うイーグレットの申し出をありがたく受けて、私は一足早く休憩を取ることにした。医務室を出て、ふと思い立つ。

副司令なら、何か分かるのではないだろうか。

私は踵を返して、副司令達のいる司令部に向かうことにした。

今思えば、あれは【虫の知らせ】というものだったのかもしれない。

 

司令部への長い階段を上がり、扉の前まで来た。入室の許可を得る為に声をかけようと息を吸ったところだった。それを聞いてしまったのは。

 

「……罠だ」

「だが行くしかない」

 

副司令とボスの声だ。酷く真剣で焦燥が滲んでいるようだった。

 

「あの女の生死はわからんが、少なくとも、チコは生きているはずだ」

 

副司令の言葉に、一瞬息が止まり、背筋に冷たいものが流れ落ちた。生きているはず?チコに何かがあったのか?

 

「場所は特定できたのか」

「キューバ南端、グアンタナモ湾岸にある収容キャンプだ」

 

何という事だ。よりによってあんな場所に彼は居るというのか。ベトナム時代、元中央情報局所属の男に聞いたことがあった。

南米に法律や倫理すらすり抜けた場所がある。そこは名目上難民キャンプという看板を掲げているが、中身は非人道的な拷問で情報を得る為の収容所らしく、そこに収容されたら最後、生きて出られることはない。

私は、もう黙っている事なんて出来なかった。

 

「私も、同行させてください」

 

戸口に立つ私に副司令が驚いたように振り向いた。

 

「メディック!聞いていたのか」

 

だがボスだけは私の存在を最初から知っていたかのように、ゆっくりと胸のポケットから葉巻を取り出して、口に咥えた。

 

「……いいだろう」

「スネーク!」

「こいつの口の堅さは俺が保証する。それに救出時にメディックが居れば二人の生存率も上がる。だがこれは極秘作戦だ。少数精鋭で行く」

 

その厳しい声音と視線は、ボス自身が救出に向かう事を意味していた。射貫くような隻眼を真っ直ぐに見つめる。久しぶりに見る、死地に向かう兵士の顔だった。

 

「ありがとうございます。ボス」

 

私は任務に就くにあたって副司令から事のあらましを全て聞いた。パスが生きている事。チコがサンチアゴで船を降り、単独で救出に向かった事。そして、キャンプオメガと呼ばれる収容所に捕らわれた事。

二人で夕陽を見たあの時、彼が見せた笑顔は、これから起こることへの覚悟だったのかもしれない。

 

「メディック。お前が何を思っているのかは知らんが、これはあくまで救出任務だ。私情に囚われ過ぎるな。己の任務を果たせ」

 

副司令のデスクの前の窓に背を寄りかからせていたボスが私を見た。彼には全てお見通しだ。昔からそうだった。どんなにポーカーフェイスを通してもすぐに見破られてしまう。

 

「イエス・サー。ボス」

 

昔を思い出して反射的に敬礼する。身も心も引き締まる思いだった。彼はおもむろに近づくと、にやりと笑って私の肩を二回叩いた。

 

「三時間後に出るぞ。準備しておけ」

「はい!」

「カズ。留守を頼んだぞ」

「ああ。任せておけ」

 

ボスの後に続いて部屋を後にしようとした時だった。副司令が「メディック」と私を呼んだ。

 

「ボスを、頼んだぞ」

「ええ。任せてください」

 

あの時、何故彼が私にあんな事を言ったのか、この時はまだ解らなかった。

 

私はオフィスに戻ると、急な任務が入ったとイーグレットに留守を頼んだ。彼は心配そうに私を見たが「お土産は要りませんからね」と笑っていたので、少しだけ気が紛れた気がした。

最低限だが、治療に役立つ器具や薬品を選びケースに詰め込む。

二人は無事だろうか。考えれば考えるほどにずぶずぶと冷たい泥の底に沈んでゆくような感覚に捉われる。

捕虜になった人間がどのような末路を辿るのか。嫌という程見てきた。救出されるのはそのごく一部であることも。

コロンビアでの悲劇を繰り返すのではないか。

ほっそりとした指が、こめかみに当てた銃口の引き金を引く。その瞬間の記憶が鮮やかに再生される。

私は、またあの悍ましい瞬間に立ち会うのではないかと心のどこかで恐れていた。

それを振り払うかのように、私は、目の前の任務を確実に遂行することが最優先だと、準備に没頭していた。

 

「モルフォ・ワンより管制塔。各計器等異常なし。天気、気圧共に良好。離陸の許可を求む」

≪了解。離陸を許可する。もうすぐ日没だ。幸運を≫

 

三時間後。私はヘリの中にいた。今回のミッションは、スタッフの中でも副司令を含むごく一部しか知らされていない。

ボスに同行を許されたのはモルフォ・ワンのパイロットと、私のみ。

それが逆に、この任務がどんなに重要であるかを思い知らされる。

 

「離陸します」

 

パイロットの言葉に、ボスは静かに、だが力強く頷いた。轟音と共にヘリがふわりと宙に浮き、空高く舞い上がる。

外を見ると、群青色の海と空の境界線に、黄と赤の滲んだような太陽の残滓が消えようとしていた。

宵闇が辺りを覆い尽くすと、空と海の境界線すら判らない。本当の闇だ。ふと、その闇が私を見つめている様な気がして、私は窓から視線を外し、ボスの方を見た。

優秀な開発班によって開発された最新鋭のスニーキングスーツに身を包んだ彼の肉体はまるで鋼の鎧だ。強靭という言葉をそのまま体現するとしたら、このような肉体になるのかもしれない。

淡い空色の隻眼は、朝凪の湖のように静謐の中にあった。だが、その湖底は如何なる生物も生息を許さぬほどに深く冷たい厳しさに満ちているだろう。

 

「どうした。腹でも痛いのか」

 

不意にボスが私を見て笑った。そんなにも難しい顔をしていただろうか。

 

「いいえ。ヘリ内で喫煙はどうかと思いましてね」

「う……」

 

彼は片方しかない眼をぱちくりさせて、銜えていた葉巻に火を点ける手を止めた。どんなに重傷を負っても、少しでも目を離せばどこから調達したのか満足そうに煙を吐いている。何度言っても聞かないのでもう諦めてはいるのだが。

 

「ま、それは冗談として。これ以上貴方の傷を縫うのはごめんですからね。私は裁縫は苦手ですから」

「ははは。ぼろ雑巾みたく縫われちゃ敵わん。努力はするさ」

「その言葉、今まで何度聞いたでしょうね」

 

降下地点までのほんの短い時間。私達は久しぶりに笑いあった。他愛のない雑談だったが、初めて出会った頃を思い出させるような、束の間の安らいだ時間のように感じた。

 

「まもなく、ドロップポイントに到達します」

 

パイロットの言葉に一気に緊張が張りつめる。ライトに照らされた隻眼が、冴え冴えとした冬の月のような鋭い光を放っていた。

ボスはゆっくり立ち上がり、一気にヘリの扉を開ける。猛烈な雨風がヘリの内部に吹き込んできた。

 

「酷い雨です。崖を登るのは危険では……」

 

パイロットの言葉にボスは首を振った。

「いや、ここでいい。別のポイントだと遠すぎる。雨と風は物音を消してくれるからな。丁度いい」

 

最新鋭の暗視ゴーグルを装着しながら、降下の準備を始めたボスの背に、私は言った。

 

「ボス!……幸運を」

「ああ。行ってくる」

 

口の端をわずかに上げると、彼は激しい風雨が吹きすさぶ、漆黒の真ん中に飛び込んでいった。

 

「一旦、サンチアゴで給油する」

 

パイロットの言葉も耳に入らないくらい、私はボスが降下した場所を見つめていた。彼なら大丈夫、でも。二人はどうだろうか。そんな事しか考えられない自分が情けなかった。

その時、「先生!」とモルフォのパイロット、メイフライが声を上げた。

 

「大丈夫ですか?」

 

その言葉に私はハッと我に返り、上の空だった自分を恥じた。

 

「すまない。メイフライ」

 

彼は「いいんですよ」と笑うと、ヘリを転身させ、サンチアゴの補給所へ向かわせた。

サンチアゴの補給所には既にFSNLの兵士たちが私達を待っていた。副司令が迅速な対応をしていてくれたおかげで、スムーズに彼等から物資を受け取ることが出来た。

その中には、チコの姉であるアマンダの姿もあった。彼女は以前より大分伸びた髪を一つに束ね、きびきびと部下たちに下知している。

彼女は私達を見ると、笑みを浮かべて迎えてくれた。

 

「先生。久しぶりね」

 

たった二、三カ月ぶりなのに、彼女はすでに堂々たる一角の指揮官の表情をしていた。

 

「ああ。久しぶりだね……アマンダ、チコの事だが……」

 

既に彼女の耳に入っているだろうが、言わずにはいられなかった。だが、彼女は静かに首を振り、私を見つめた。

 

「あの子は、もう子供じゃない。戦士よ。戦士は、自らの選択に責任を持たなくてはならない」

 

その言葉に、私は厳しい世界に生きる彼等の価値観をまざまざと見せつけられた気がした。例え血を分けた弟が捕らえられたとしても、彼女に従う沢山の部下たちを放り出す事は許されない。恐らく、チコもそれを分かっているのだろう。

なんて哀しく残酷な姉弟愛なのか。

それでも、私は彼女を責める資格も権利もない。

指揮官には時として、良心すら捨てねばならない事がある。

それを教えてくれたのは、他ならぬボスだった。

でも、私は、衛生兵だ。人を、仲間を生きて帰還させるのが、使命なのだ。

 

「それでも、私はボスを信じてる。大丈夫、必ず一緒に帰るよ」

 

アマンダはその言葉に大きく眼を見開いた。そして酷く悲しそうに笑い、次の瞬間には倒れこむように私に抱きついて来て、私は慌てて彼女の身体を支えた。そこにいたのは故郷の為に戦う戦士では無く、たった一人の弟を心配し、憔悴した姉の姿だった。

 

「お願い……お願い。あの子を、あの子に逢いたいわ」

 

今の私には、震える声で幾度もそう呟くアマンダをそっと抱き締める事しか出来なかった。

 

「メディック、副司令から連絡だ!ボスがチコを確保したらしい。ランデブーポイントへ向かうぞ」

 

補給を終えたメイフライが緊張を滲ませて叫んだ。その声に私達はハッと顔を見合わせた。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「先生、チコをお願いね」

「ああ。必ず」

 

私は不安げに揺れる彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて頷いた。

既にメインローターは稼働し始めている。急いでヘリに戻り乗り込んで、外を見た。アマンダや彼女の部下達がこちらを見つめている。

小さく敬礼すると、彼女は大きく手を振って何かを叫んだ。だが、ここからではエンジンとローターの風切り音で聞こえなかった。

私達を乗せたモルフォ・ワンが離陸し、彼等の姿が小さくなり、やがて夜の闇の中に消える。私はふとチコから託された写真の存在を思い出した。胸のポケットに手をやり、小さな革の手帳の間に挟んでいたそれを取り出す。

深く青い深海をそのまま切り取ったような美しい蝶。だがその命はひと月だけの儚いもの。

写真の裏側を見やる。そこには、掠れた文字で何かが書かれていた。ライトを斜めに当てると、辛うじてドイツ語という事が分かった。

 

「『お前が長く深淵を覗き続けるならば、深淵もまた、等しくお前を覗いているのだ』」

 

言葉にし終えて、ぞっとする寒気が全身を襲っていた。ニーチェの【善悪の彼岸】の一節。怪物と戦う者は、自分自身も怪物にならぬよう心せよ。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

そうか。この写真は。私はそこで考えるのを止めた。この写真が誰のものだったか、今更どうでもいいことだ。

私は、もう既に深淵の底にいるのだから。

蒼い空の下には戻ることはないだろう。

美しい蝶の写真を手帳に仕舞うと、私は眼を閉じて深く深く息を吐いた。

 

雨と風は益々強くなり、容赦なく視界を奪おうとする。ヘリを飛ばすには最悪な天候だが、メイフライの卓越した操縦技術の前ではさしたる障害にはなり得ないようだ。

ヘリは基地の監視塔のライトを避けながら進み、収容所から少し離れた入り江の端に辿り着いた。すると、発煙筒のピンク色の明かりが岸壁の暗がりからチカチカと光っているのが見えた。双眼鏡を覗くと黒いスニーキングスーツ姿のボスと、その足元にもう一人を確認した。

オレンジ色の囚人服を着た、小さな身体の。

 

「あそこだ。チコもいる」

「寄せるぞ。ハッチを開けてくれ」

 

彼の言葉に、私はハッチを開けた。途端に物凄い風と雨が吹き込んでくる。ヘリは慎重に岸壁に近づき、漸くはっきりと二人の姿が見えるようになった。

 

「ボス!」

 

更に近づく。風の音にかき消されないように声を上げると、ボスは座り込んだままのチコを抱え上げ、機内の床に彼をそっと下した。

急いでずぶ濡れの小さな身体に毛布を掛ける。体温の低下で震えが酷い。意識の混濁も見られている。早く温めなければ危険な状態だった。

 

「メディック」

 

手早く処置の用意をしていると、機内から降りようとしていたボスが振り返った。

 

「チコを頼んだぞ」

「……はい」

 

彼は頷くと、もう一度嵐の中へ戻っていった。

 

「チコ、チコ。聞こえるか……」

 

毛布を被ったままのチコの肩に手を置いた。その細い肩が怯えたようにびくりと身を震わせた。だが、早く治療をしなければならない。酷く殴られたのだろう。痣や裂傷が顔に痛々しく残っていた。

 

「身体を見せてくれ。大丈夫。治療をするだけだ」

「いやだ!やめろぉ!」

 

毛布に手をかけた時、チコは聞いたことのない悲痛な悲鳴を上げて、暴れ出した。半狂乱と言ってもいいくらいに滅茶苦茶に手足を暴れさせる姿は、彼があの場所でどんな目に遭ったのかを物語っていて、はらわたが煮えくり返りそうだった。

鎮静剤を打つため、暴れていた両手を掴むと、かかっていた毛布が落ちて彼の裸足の足が見えた。

それを見て、愕然とした。

 

「うっ……。うう」

 

あの場所で起こっていたのは、私の想像を遥かに上回る、非人道的で残酷なものだった。

彼の両脚の腱に埋め込まれた金属を見て、私は自分の日和見な頭をぶん殴りたくなった。

すすり泣くチコを茫然と見つめる。

何故彼がこのような目に合わなければならなかったのか。

まだ、子供である彼が。

もっと素晴らしい未来があったはずなのに。

どす黒い怒りが、私の視界を塗りつぶしていくような気がした。

 

「ごめん、ごめんよ。パス」

 

嗚咽の合間に、彼は壊れたカセットテープのように小さく呟き始める。その痛々しい姿に、私は思わず小さな身体を抱きしめていた。

 

「すまない。チコ。遅くなって、すまない」

 

チコは一瞬身体を強張らせると、私の野戦服を強く握りしめ、初めて大声で泣いた。

もう二度と彼は元のようには走れないだろう。

喉元まで出かかった薄っぺらい言葉を噛み潰すように、奥歯を強く噛み締める事しかできなかった。

 

少しずつ落ち着きを取り戻したチコだったが、未だショック状態からは抜け出せてはいない。

私は無理に会話をしようとはせず、細心の注意を払って治療に当たった。脚のボルトに関しては機内の設備では治療ができない。

俯いたままのチコは先程からずっとパスへの謝罪を呟いている。嗚咽交じりのその言葉は、胸が潰れそうになるくらいに痛々しい。

それでも私は彼に掛ける言葉がない。

どんな言葉も気休めにしかならないからだ。

 

≪こちらスネーク。パスを確保した。ランディングゾーンの座標を送る。迎えを頼む≫

 

機内に響いたボスの声に、私は思わず操縦席の無線に目をやった。俯いていたチコも顔を上げ、ほっとしたような、悲しそうな複雑な表情で前を見つめていた。

 

「モルフォ・ワン、了解」

 

ヘリは転身し、漆黒の嵐の中を進む。暫くして、基地から少し離れた場所の岩場に彼等の姿が確認できた。

チコより大分背が高いが、細身のオレンジ色の影は、座ることすらできずにぐったりと横になっている。一刻を争う状態だという事が、ここからでもわかった。

急いでハッチを開けると、ずぶ濡れのボスが入ってきた。ほっそりとした捕虜を抱えて。だが、私はその人物が彼女だと一瞬判らなかった。

 

「行け!行け!」

 

ボスの声でヘリは高く上がる。眩いライトと共にサイレンが鳴り響いた。

ごとりと、彼女が傾いた床と共に転がる。それを押さえようと手を伸ばすと、あのいたいけな少女の面影は微塵も感じられない、傷つき憔悴した彼女の姿をまざまざと見せつけられた。

痩せ衰えた身体、酷く傷つき、腫れあがった顔、がたがたに刈り上げられた髪、元の色が分からないくらいに血と汚れがついた囚人服。

どれだけ身体を、尊厳を傷つけられたのか、私には想像すら及ばない。

こんな事をしたのが、自分と同じ人間だと思うと、吐き気すら覚えた。

だがいつまでも私情に囚われている暇はない。すぐに彼女の脈を図る。

 

「脈拍が弱い。酷い衰弱だ。強心剤を投与します」

 

ボスにパスを長椅子に寝かすように頼むと、私は点滴の用意をする為に立ち上がった。

 

黙々と点滴の用意をする。そうでもしなければ私は、怒りでどうにかなってしまいそうだった。

ふと、マザーベースでの思い出が蘇る。泡沫の平和だったかもしれないが、私達にとってもそれは忘れがたく、尊いものでもあった。

しかし、ボスの言葉を思い出して、我に返る。

 

『一度、自ら銃を取ったなら、どんな人間も悲劇的な結末を覚悟するしかない』

 

その通りだ。チコも、パスも。己の目的の為に銃を取り、他人の命を屠ることを選んだ。その瞬間から自らもそうなる運命を覚悟するしかないのだ。

 

「スネーク、スネーク!」

 

チコの声が機内に響いた。そしてすぐに「メディック!」という切迫したボスの声が聞こえた。私は作業を中断してすぐに彼等の元に向かった。パスの腹部の着衣が捲り上げられている。血みどろの華奢な腹部をよく見れば、V字型の傷が大きく残されていた。滅茶苦茶に縫われたそれは、治療するというより、切り裂かれた布をただ縫い合わせたような酷いものだ。

その傷を見て、すぐに最悪の可能性に思い当たった。

 

「罠だ…。人間爆弾か!」

 

ボスの声が焦りを帯びた。私は「すぐに取り出します!」とラテックスの手袋を素早く装着する。

呼吸が浅い。麻酔は間に合わないだろう。

 

「麻酔間に合いません。なしで開腹します」

 

手術用の器具を手早く用意する。ハサミ、鉗子、メス。

 

「押さえるんだ。早く押さえろ!」

 

ボスの声が響き、パスの身体を二人が押さえる。道具を揃え、戻り患部を診る。夜間の機内での手術はあまり経験がない。

 

「暗い。ライトを向けて。早く!」

 

時間がない。爆弾の起爆までどれくらいかわからない以上、早急に取り除く必要がある。

ボスが機内の懐中電灯を持ってきて手元へ向けるよう固定した。

 

「しっかり押さえていて」

 

がたがたに縫われた傷口の糸を一つ一つ切っていく音が、無言の機内でやけに大きく響く。寒いはずなのに、酷く汗をかいていた。

糸を全て切り終わった。私は一度だけ息を吐くと、ゆっくりと傷口に両手を差し入れた。

腹圧に負けぬよう一度大きく傷を開くと、ぐちゃ、と嫌な音を立てて傷から血が流れ出る。てらてらとライトに照らされた小腸がむわりと生臭い臭いを放った。しかし爆弾は確認できない。更に両手を差し入れて探る。

 

「ああああああああ!」

 

パスが絶叫を上げた。「腸管(ダルム)を押さえろ!」私も指示を出しながら泡を吹いて死に物狂いで暴れるパスの腹の中を探る。指先に骨でも内臓でもない硬い人工物が触れた。

 

「これか!」

 

血液や体液で滑りそうだ。両掌でしっかりと掴んだ。想像以上の重量感だ。

体内からずるりとその姿を現した爆弾は、赤黒く濡れ、ひたすらに禍々しい。

信じられない事に爆弾の表面には、ピースマークが描かれていた。

悪趣味にも程がある。こんな事、人間のする事ではない。

鬼畜の所業だ。

 

「ボス……」

 

爆弾は不気味な電子音を発していた。ボスは顔を顰めて私が差し出したそれを掴み、ハッチを開けると、外に放り投げた。

束の間、ほっとした空気が私達を包んだ。

パスが苦しそうに喘ぐ。直ぐに処置に取り掛かからなければならない。

 

「呼吸は大丈夫だ。アクティブな出血は無し。閉腹する。押さえてくれ。連続縫合でいく」

 

チコに手伝ってもらいながら、縫合を行う。早く適切な処置をしなければ。

その途中で、メイフライがマザーベースへ作戦が完了した旨を連絡しているのが聞こえた。

 

「ボス、貴方に」

 

メイフライがボスに回線を渡す。

会話からして、エメリッヒ博士からのようだ。査察は順調に行っているのだろう。

パスの腹部の縫合を終え、私は額に滲んだ汗を腕で拭う。チコが安堵した表情でパスの額をそっと撫ぜた。

酷い一日だった。

本当に。

もっと酷い事がこれから起こることも知らずに、私達は我が家を目指していた。

 

先程より幾分か安定した呼吸のパスを、心配そうにチコが見守る。パスほどではないにしろ、酷い怪我を負っているチコにも休むよう言ったが、彼は頑として首を振らなかった。時折、苦しそうに魘される彼女の手を握り、まるで同じ苦しみを背負うような表情でチコは彼女に寄り添っていた。

 

「こちらモルフォ・ワン。管制塔、応答求む」

 

メイフライの焦ったような声が響く。

 

「通じません。回線は異常なし……」

 

管制塔と連絡が取れないらしい。もう管制塔から我々のヘリが目視できてもいい距離だ。

 

「なんだ……あれは」

 

メイフライの茫然とした声に、窓の外を見た。

 

「先生、あれ……」

 

チコが信じられないという表情でそれを見ていた。私も、自分の目の前に広がっている光景が、夢だと思いたかった。

 

「マザーベースが……」

 

赤々と燃え上がるプラント。大きな爆発と共に、その一つが火柱を立てながら真っ黒な海の中に吸い込まれていく。

響き渡る銃声。鉄筋が倒れる耳障りな音。

破壊しつくされた私達の居場所。

言葉もなく、その光景を見つめていると、メイフライが叫んだ。

 

「ミラー副司令!」

 

辛うじて無事だったヘリポートで、生き残った隊員と副司令達が奮戦していた。敵は何者なのか、ここからではわからない。

ボスがアサルトライフルで副司令達を援護する。私はチコとパスに自分の身体を盾にするように覆い被さった。

パスが苦しそうに呻く。まだ意識は戻らない。チコは震えながらパスにしがみついていて、私は安心させるように彼の肩をさすった。

大きな爆発音が背後で聞こえ、熱風がちりちりと首筋を嬲った。

 

「スネーク!」

 

副司令の声が発砲音の中に聞こえて、彼がヘリに乗り込んだことを知った。

 

「退けぇ!」

 

ボスの怒号に、ヘリは勢いよく上昇する。すぐに大きな爆発が起こった。

誰もが、言葉すらなく、目の前の光景を茫然と見つめていた。

真っ赤な炎を噴き出して、私達の家は、無惨に燃え堕ちていった。

 

ハッチを閉まる。座り込んだ副司令は本当に酷い有様だった。仲間か自分かも分からないほどに血と煤に塗れ、中程度の火傷を負っている。

私は彼の応急処置をしようと準備をしていると、不意に副司令がぽつりと言った。

 

「査察は、全くの嘘だった」

 

その言葉は、無念と憤怒が入り混じった慟哭そのものだった。私の頭の中に無数の疑問が浮かび上がっていた。

査察は嘘?では、エメリッヒ博士は……?

 

「奴らに嵌められたんだ!クソ!あれは、あれは俺達の!」

 

激情に駆られた副司令は、機内の鉄の壁を思い切り殴った。静まり返った機内に荒い息だけが聞こえる。そして、ゆっくりと横たわるパスに眼をやった。

 

「こいつ……」

 

ゆらりと、副司令がパスに近づく。その姿はまるで復讐に駆られた鬼のようだった。私は彼を止めようとしたが、思い切り体当たりされ、体勢を崩してしまった。

 

「貴様!貴様のせいだ!起きろ!おい!」

 

彼がパスの身体を力任せに揺すった。だめだ!傷口が!そう言いかけた所で、彼女の眼がかっと見開き、血の塊を吐き出した。

目を覚ましたパスは怯えるように副司令から数歩後退ると、周りを見回した。

 

「ばくだんは……?」

 

目を覚ましたばかりで、その言葉は若干おぼつかない。ボスが安心させるように掌を彼女に向けた。

 

「大丈夫だ。摘出した」

 

しかし、パスは酷く怯えたまま視線を彷徨わせ、私達を見つめた。

 

「ちがうの……」

 

ゆっくりと後ずさりすると、ハッチのスイッチを押す。冷たい潮風が一気に吹き込んできた。

 

「爆弾は、もう一つ……」

 

その言葉に、私は取り返しのつかないミスを犯した事に気づいた。

あれは、囮だ。

本物は、まだ。

彼女の身体が、暗闇の中に舞った。翅をもがれた蝶のように、吸い込まれてゆく。ボスが彼女の身体を捉えようと手を伸ばした。

 

「止せぇ!」

 

無意識に体が動いた。誰よりも速く。何よりも、疾く。

私は、この時の為に生きていたのかもしれない。

真っ白な閃光が、視界を覆った。

光の中に、一瞬だけ、ひらりと舞う蒼い蝶を見たような気がした。

すぐに灼熱と衝撃が全身を襲った。何かがひしゃげた。警告のブザー、宙に浮く身体。激痛。何かに叩きつけられたような。冷たい。何も、聞こえない。

そして、【私】の意識は真っ黒に、塗り潰された。

 

 

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