蛇がダンジョンに潜入するのは何かの間違いである 作:Zero Stella
ミノタウロス。それは第二級冒険者の登竜門とも呼ばれるモンスター。
殆どの冒険者が初めて遭遇する、ギルドにLv.2指定されているモンスターでもある。
なぜそのような評価をされているかと言えば、上層で培ってきた全ての知識と能力を要求されるからだ。
それらの総復習であると共に、更なる一歩目というのがこのミノタウロスなのであり、同時にその難易度から中層に入りたての冒険者からは恐れられてもいる。
並の冒険者ならその風貌に恐怖心を抱くだろう。
そう、並の冒険者なら。
スネークは違った。
(見事な牛だ。ステーキにするのもいいが、どうせならアレを食ってみたいな)
そう、彼がミノタウロスを見て抱いたのは、恐怖ではなく食欲だった。
常人ならそもそもモンスターを食事にしようなど考えもしないだろうが、この男、過去には毒キノコを『食ったら美味しいかもしれない』と言って食したり、核実験の影響を受けた可能性が十分にある動植物を平気で生でかぶりついたり、寄生虫の恐れすら『噛めば死ぬ』の精神で生きてきたのだ。むしろ牛の見た目をしているミノタウロスはご馳走に見えたに違いない。
食欲の為なら惜しみなく力を振るうスネークは、ミノタウロスを今にも木っ端微塵にしそうな勢いのリューを片手で制す。もちろん、大事な食材の為だ。
今日だけでも相当に酷使しているナイフを構え、自分の2倍はありそうな相手に対峙する。
ゴブリンやコボルト、リザードマン等に通じたCQCも、これだけの体格差があるミノタウロスには通用しないだろう。技を力で押し潰される。
だからこそ、今最も信用できる武器はこのナイフ1本。折れるなんて心配はしていなかった。
最初に仕掛けたのはミノタウロス。持ち前の高ステイタスを活かした俊敏な攻撃。
右手に持った石斧を思いきり振り下ろし、スネークの頭をかち割ろうとする。しかし、蛇には当たらない。
スネークは大きな予備動作から繰り出すこの攻撃を見切っていた。動きは確かに速い。速いが、それは結局ゴブリンやアルミラージと比べたらというくらいのものだ。スネークにとって大した速さとは言えなかった。
飛行するムササビをナイフで捕らえる事すら可能な彼からすれば、その一撃は蝿が止まるという言葉が相応しいものにすぎない。縦の振り下ろしを体をひねることで紙一重で避けると、お返しとばかりにナイフで赤色の腕を斬りつける。しかし、その手に返ってきたのは手ごたえではなかった。
流石に第二級冒険者が硬いと評すだけはある。その肉体は伊達ではなかった。人間と比べるのがおこがましく感じるほどに分厚い筋肉繊維は、それを斬る者にまるで堅牢かつ柔軟なゴムを割いているような感触を与えるだけでなく、半端な刃の侵入を許さない。
そしてその半端な刃という評価は、スネークのナイフにもつけられたようだ。
「っ馬鹿な!」
アメリカ軍で制式採用されているサバイバルナイフは、この異世界において十分な装備とは言えなかったらしい。その鉄の刃による斬撃は、ミノタウロスの皮膚を僅かに裂く以上の攻撃とはならなかった。
元々推奨レベルに達していないスネークは、さながら岩を斬りつけているように感じたことだろう。その感覚を知って初めて彼はリューの言っていた意味が分かった。
(確かに、武器を貰っておくべきだったか)
そんな事を今悔いてもしょうがないと割り切り、どうにか突破する方法を模索する。
狙うならどこだ? 攻撃を終わらせる腕か? 移動を阻害するために脚か? それとも、いや、決まっている。
(こいつは仕留める)
スネークはあくまでもミノタウロスを仕留めるつもりだ。それを崩さない以上、狙うのは一か所のみ。首だ。
別に完全に攻撃が通らないわけじゃない。限りなく少ないダメージに抑えられているだけだ。なら限りなく同じ場所を何度も斬りつければ、いずれ刃はその肉を断つ。
狙いを絞った蛇は、半牛から距離を取った。彼の持つ得物の特性上、距離を取るのは悪手のように見えるがそうではない。この行動で彼が狙うのは、攻撃ではなく回避だ。
距離を取られたミノタウロスが行うのは、対近距離の小振り攻撃ではなく、最初の一発と同じ力一杯の大振り。その予想は見事に的中する。左手に持ったバリケード製の木槍による突きが小さな人間に向けて放たれ、それに呼応するようにスネークは強化された脚力を最大限に活用して跳躍を行う。
槍は肉塊を作る事はできず、ただ空気を切り裂いただけに終わる。そして跳躍したスネークは槍を踏み台とする形で加速する。その身を一閃の弾丸のように見立て、ミノタウロスの肩上を通過する。すれ違いざまに首筋に斬りかかりつつだ。
『ヴゥヴォッ!?』
その素早さはレベル差を感じさせない。ミノタウロスの回避行動を許さなかったそのナイフだが、やはり火力が足りない。薄皮が切れた程度だ。
だが、もう驚く事すらないスネークは、淡々と次の一撃に向けての準備を続ける。
同じ相手に二度同じ行動が通用しないという事をスネークは知っている。だからこそ、いくつ必要になるか分からない手段を数え切れないほど引き出しから取り出して思考する。
対するミノタウロスは、ことごとく外れる攻撃にイラついたのか、元々狂暴だというのに、更に攻撃的な姿勢に変化していた。スネークに考える時間を与えないと言外に告げるように、乱暴に石斧を振り回し、槍を無作為に突き出す。それはスネークにとって良いとは言えない状況だった。
小刻みの攻撃ほど反撃は難しい。カウンターは相手の大振りを狙うのが基本であり最も有効な手段でもある。
だからこそ、この状況で彼が導き出した答えは
攻めることだった。
石斧の横振りを屈んで避け、槍の突きをローリングですり抜け、もう一度来る斧を今度はジャンプで躱し、タイミングを合わせてミノタウロスの腕に着地、すぐに再びの跳躍で首を斬りつける。先程の斬撃で裂いた皮の上を寸分違わずに沿い滑らせるように斬る事い成功し、とうとうミノタウロスから赤色の液体が流れ始める。
攻撃が効いている事を示す明確な合図に思わずスネークは半笑いし、逆にミノタウロスはその顔を驚愕と痛みで怒りに歪ませる。
『フウッ……ヴオオオオオオ!』
赤から血の色に変わった自らの外皮を見たミノタウロスは、鼓膜を破かんばかりの怒声を鳴り響かせ、スネークをその場に釘付けにしようとするが、直接的な攻撃だけではなく、音による攻撃すらスネークには通用しない。
ベトナム戦争を潜り抜け、数多の戦場を生き延びた兵士である彼にとって、戦車の砲声にすら負ける音では静止させる材料にはならない。
耳を塞ぐ事すらせずに懐に潜り込み、力の限りを尽くして半牛の左足を蹴りつける。
バランスを崩したミノタウロスは、倒れる事こそしなかったが、その片膝を地に落とすことになった。
この状況を狙っていた蛇は、この戦闘初の大振りでの攻撃を仕掛ける。それは今までの斬撃とは一線を画す攻撃。突きだった。
うっすらと見える首の傷口に鉄の刃を突き立て、奥へと差し込む。それだけでは完全に埋まらなかったため、更にスネークは、拳を握りしめ、ナイフの柄を思いきり叩いた。釘のようにナイフはその刀身をミノタウロスの首に突き刺さった。
人間なら数回は死んでいる一連の攻撃だった。スネークも手ごたえを感じたが、それは一種の慢心を生んだ。奴はそんなに柔な身体の作りをしていないのだ。それでは死ななかった。
『ウヴォオオオッ!』
「ぐあっ!」
ミノタウロスは痛みに必死に耐え、さながら鬼のような形相になりながらも思わず槍を手放した左手でスネークを吹き飛ばした。
火事場の馬鹿力と生来の怪力によるそれは、素手だったといえど大人の人間が軽々と宙を舞う程に強力だった。それを空中で姿勢制御をしつつ着地し、四肢をフル活用してしっかりと戦闘態勢に戻る事ができたのを見れば、流石スネークだと言わざるを得ない。
首にナイフが刺さった状態でミノタウロスは再び立ち上がり、右手の石斧を得物にゆったりと蛇の方へと向かってくる。
スネークはスネークでさっきの衝撃で右肩が脱臼しているのを確認し、力と技をもって自力で元に戻してから立ち上がる。
双方ともに傷を受けたこの状況。しかし有利なのはミノタウロスだった。なにしろスネークの唯一無二の得物だったナイフは、ミノタウロスの首に刺さったままなのだから。
それが分かっているのだろうか。確認するまでもなくミノタウロスの攻勢は再び始まり、それにスネークは防衛に手一杯になっていた。武器がなければさしものスネークにもお手上げだった。
だがそれは、スネーク一人であったならの話。ここまではスネークの言う通りに見物に徹してたリューが、懐に入れておいた一振りのナイフを取り出す。無駄な装飾がいっさいない、飾り気のない銀のナイフだが、その刀身は磨き上げられており、鏡面のように眩い光を纏っていた。
鞘から引き抜いたその短刀を持ち、蛇に向かって大声で叫ぶ。
「この大馬鹿! 受け取りなさい!」
リューは叫びながらナイフをスネークに向かって投げつけた。それを見たスネークは、半歩下がり、右腕の後ろに伸ばしてキャッチしようと試みる。
だが同時にミノタウロスも攻撃を仕掛けていた。石斧による容赦のない一撃。再びの脳天狙いの一撃。
ナイフを握るのが先か。それとも石斧が振り下ろされるのが先か。一瞬を争う状況が生み出され、ミノタウロスの腕が下がった時、その音は発せられた。
ズシリという何かが落ちた音。
思わず目を瞑っていたリューがその瞳を開くと、そこにあったのは生首ではなく真っ二つにされた石斧だった。
飾り気のない銀のナイフは、その刀身に宿す確かな切れ味を遺憾なく発揮し、ダンジョンによって生み出された自然武器の斧を使い物にならないガラクタに変貌させた。その結果は実際スネークが一番驚いていたが、彼はそれを顔に出す事だけはせずに再びの攻撃態勢を取る。
今度はミノタウロスが武器を失った。形勢逆転である。
慌てて落としていた槍を拾おうとしたミノタウロスに向かって、スネークは駆け出し、その股下をスライディングで抜けつつ、両足のアキレス腱部分を切断した。バチンという音と半人半牛の怪物のうめき声がダンジョンに響くが、まだスネークの攻撃は止まらない。
アキレス腱への攻撃が有効なのを知ったスネークは、容赦なく人間にとっての急所への攻撃を仕掛ける。
関節や骨をも簡単に銀のナイフは断ち切り、あの分厚いゴムのような筋肉装甲をまるでバターのように楽々と切り裂く。
先ほどまでは首に一筋の血が流れるだけだったのに、今やその身体は血に汚れていないところが見当たらない。それだけスネークの狙う部位は有効な部位だったのだ。
「終わりだぁ!」
十分な血が流れたのを確認したスネークは、首元目がけて横一文字に一閃。ミノタウロスの頭と胴体を分断した。
いかに彼らが怪物だとしても、頭と体が別々になって生きていけるものは少ない。その大多数の方に属しているミノタウロスは、ついにその息を引き取った。
数分間という短い時間での死闘は、しかしスネークを疲れさせるには十分な程に過酷で、熾烈なものであった。葉巻を小さなポーチから取り出し、口に加えながらダンジョンの壁に寄りかかって休憩を取る。
「まったく……だから武器を買っておこうと言ったんです」
呆れた表情を浮かべたリューが近づいてきて、小言を幾つも言う。
レベル差を考えろだとか、私が武器を渡していなかったらどうなっていたことだかとか。とかとか。
そう言いながらも、武器が無くなった時にミノタウロスを粉砕するのではなく武器を渡すのみにした辺り、リューが自分の事をある程度信用してくれているのだという事が分かり、スネークは少し微笑む。
「なにを笑ってるんですか」
「いや、案外信用されているようで良かった。それだけだ」
「そんなわけないでしょう! あなたが馬鹿だって言ってるんです!」
今度は照れながらも怒るところを見て、スネークはこのエルフがただ気難しい性格なだけで、本来はコロコロと表情を変えるどこにでもいる少女なのだと理解した。本人に言えば否定するだろうが。
そんな些細な掛け合いをしたすぐ後、戦闘の疲れが出たのかスネークはダンジョンの壁に寄りかかって思わず尻を地につけた。
なんとなく自分の老いが隠せていない事に顔を顰めていると、リューはポーチの中のポーションを手渡した。
「やっぱり、無理していたんですね」
「戦闘中だった。ああするしかないだろう。脱臼ぐらいは軽いもんだ」
骨が折れてたら考えたかもなと笑うスネークに、リューはコメントできず、ただその手に握ったポーションの瓶を逆さまにして肩にその中身をかけることしかできなかった。
《》
「本当に、食べるんですか?」
若干引き気味のリューの問いに、スネークはさも当然かのように返す。
「当たり前だ。いいか、腹が減っては戦はできぬというジャパンの諺があってだな」
その諺の意味にはさしものリューも賛同する。むしろ異論はない程に。
だが、その食事の内容はとても問題だ。
オラリオ内のレストランに委託した弁当。問題はない。
ファミリア内の食事当番で作らせた弁当。一部の人物を除けば問題はない。
冒険者用の保存食。味はともかく問題はないだろう。
だが、
そもそもダンジョン内のものといったら鉱石やモンスター、ごく一部の階層にある植物な訳で、それも18階層に自生する
それなのに、それなのに!
「モンスターを食すなんて前代未聞ですよ」
「そうなのか? どうして誰も考えなかったんだろうな?」
さも当然のように言いながら魔石を取り出さない事で塵芥と化す事ができなかったミノタウロスの肉は、スネークの肉屋の店主もかくやという手際で瞬く間に薄切り肉と化していく。見た目だけは確かに牛肉だ。誰も言わなければミノタウロスの肉だと気づくこともあるまい。
だが、その解体現場を目撃したリューはそうもいかない。
慣れた手つきで自然武器の破片から火をおこし、金属製の鍋を火にかけてポーチから調味料を取り出す。
「ここまで立派な肉だとステーキにしたいところだが……今回は試してみたい食い方があるからな」
そのためにわざわざ薄切りにしたのだと自慢気に言いながら、スネークは取り出した黒っぽい液体を鍋に入れる。すると、途端に甘くもどこかしょっぱい独特な匂いがダンジョン内に広がり、リューの鼻を刺激する。
ミノタウロスの薄切り肉を鍋にいくらか広げ、黒い液と一緒に焼く。
火が通るまでに少々の時間がある。そこでさらにどこからともなく卵と底の深い皿を二つ取り出し、片方に卵を割り入れてリューに皿ごと渡す。
「その卵、どこに入れてたんですか」
「いいかリオン。世の中には知らない方がいいこともある。俺のポーチの中身のようにな」
言うつもりはないのだと認識したリューは、素直に皿を受け取り、更に出された二つの竹でできた棒も手に取る。
「これは?」
「それは
こう使うんだと言い、なかなかどうして器用に二つの棒を操ってスネークは再び鍋に追加の肉を入れていく。
そろそろ最初の肉が焼ける頃、スネークは箸で卵を溶いてさながらソースのように変化させた。そして火が通った肉を一切れ取って、卵のソースの中に肉を通す。黒い液の色と卵の黄色が混ざり合って、なんとも言えない色に変化する。
そのまま口の中まで肉を運び、咀嚼する。その瞬間だ。
リューはまるでスネークの目が黄金色に光ったかのように感じた。実際光っていたのかもしれない。そう感じさせる程に、彼の表情は喜びに満ちていた。
「美味すぎる!」
その叫びは、ここがダンジョン内だという事をリューが一瞬でも忘れ去るのには十分な程のインパクトがあり、本当に大丈夫なのかと心配になる程のものだ。
一応周囲のダンジョンの壁は破壊してあるが、この声を聞いてやってくるモンスターがいないのかが気がかりで仕方なかった。
「やはりジャパンの料理を試してみてよかった。牛肉の旨味とこの『砂糖醤油』なる調味料の調和性は凄まじい。甘じょっぱいという言葉を聞いた時には、甘いのかしょっぱいのかどっちなのかはっきりしてほしいと思ったが、いや確かにこれは『甘じょっぱい』だ。それ以外に説明がつかん。そしてこの卵。濃い味をマイルドにするだけでなく、肉の持つ熱を取って食べやすく変えている。肉は丸焼きとステーキに限ると思っていたが、いや、それは間違いだったようだ。ほらリオン、お前も食ってみろ。美味いぞ」
いやに饒舌になったスネークにリューはぽかんとしながらも、その皿に置かれた肉をまじまじと見つめる。
ミノタウロスの肉。モンスターの肉を食べようなんて考えた奴は、一応、大昔にいた……らしい。その人物は一口食べた後に、もう二度と食べたくないと口にしたというが、スネークが言うにはとても美味だという。
一応、出された物はヤバいものでもなければ食べる精神のリューは、意を決して不慣れな箸を握る。
親指と人差し指を上手い具合に使い、卵をとかして肉を通す。黒い液体が染みた肉が、黄金色の衣を纏って煌びやかに輝く。目を瞑ってそれを頬張るとその口内に広がったのは、想像の真逆の味。
信じられない程に美味しいのだ。
普通に流通している牛の肉と比べても遥かに少ない筋。しかし、かといって柔な肉という訳ではなく、しっかりとした肉質はミノタウロス特有のものだとはっきり分かる。噛めば噛むほど広がる肉汁と旨味が口の中を瞬く間に占領していき、そこに『サトウジョウユ』なる甘くもしょっぱい不思議な味が加わり踊りだす。その濃い味わいを卵が口の中を駆けまわる事で中和し、信じられないほど後味は残るのにサッパリ食べられる。
こんな料理食べた事がない。それがリューの感想であった。
「悔しいけど、美味しいです」
「そうか! 気に入ったか! まだ肉はあるからどんどん食ってくれ!次は、野菜も用意して食いたいなぁ!」
戦利品を使った食事は、まだもう少し続きそうだ。
復帰です