また、多くの方の目についたことで、たくさんの誤字報告も頂きました。ありがたい話です。
それではここで一つ怖い話をしましょう。
実は投稿前に2回か3回必ず通読して誤字脱字や表現が変な部分がないかをチェックしています。それなのにこれです。
スーパースローによるビデオ判定の結果、百分の一秒の差で、将輝の勝利となった。
そのスーパースロー判定を、誰しもが息を呑んで待つ中、深雪と達也はなぜか観客席を早足で離れていった。
「深雪! 落ち着け! 深雪!」
「ハーッ、ハーッ、ハーッ」
人気のないホテルの裏側。深雪は荒くなる呼吸を必死で整えて気持ちを落ち着けようとするが一向に収まらず、鬼のような形相で、サイオンを暴走させてまき散らしていた。
周囲に少しでも悪影響がないように達也は魔法を用いて必死で抑えるが、絶え間なく深雪からサイオンは溢れ続ける。
「深雪!」
「お兄様! だって、あいつは、お兄様のっ!」
「俺は気にしていない! だから落ち着くんだ!」
深雪は、まるで癇癪を起こした子供のように叫び、嗚咽を漏らしながら大粒の涙をこぼす。
「お兄様のっ……『分解』をっ……!」
深雪は、入学当初からずっと、文也に心を乱されていた。
世界で一番素晴らしいと信じて疑わない兄を全く恐れず、対等に決闘し、対等にエンジニア技術で渡り合い、深雪にとって兄だけの特徴だった『パラレル・キャスト』をいとも簡単に兄よりこなし、何度も何度も面倒に巻き込み、兄との時間を奪い、しかも『トーラス・シルバー』としての兄を脅かす『マジカル・トイ・コーポレーション』製のCADを多用する。
――それに加えて、達也の専売特許であり、かつ兄の最大の得意技にして秘術である『分解魔法』を、一度ならず二度までも目の前で使って見せた。
そう、文也が先ほど将輝の氷柱を両断したときに使った魔法のうちの一つが、『分解魔法』だったのだ。
将輝の『情報強化』を分解して無効化し、そのあとに両断する魔法を使ったのである。
一度目は、練習試合の時だった。
深雪の『インフェルノ』を乗り越えて苛烈な攻撃を仕掛けてきた文也相手に、深雪は『インフェルノ』の防御能力が半減以下になるのを承知で『情報強化』を自陣の氷柱にかけた。すると文也は、足を一回踏み鳴らして、靴底に仕込んだCADで、その『情報強化』を分解しようとした。しかしその分解は不完全に終わり、またとっさに深雪が『領域干渉』に切り替え、さらに怒りが爆発した深雪の『インフェルノ』の威力が増し、文也がトラウマになるレベルの灼熱を以て完封した。
あれから文也は分解に改良を重ね、実戦レベルで投入できるようにし、その過程でCADも改良してあの剣になったのだろう。そうして将輝の強力な『情報強化』を打ち破るに至った。
――深雪にとって、達也は特別な存在だ。
それは互いの関係という意味でもそうであり、兄の卓越した能力は、一つ一つがほぼありえないものである。しかしその兄の能力は、普通の尺度では評価されることはなく、母親からも不完全な魔法師として見られ、学校では二科生として扱われる。深雪には兄の不遇がこの上なく不満だった。そしてその不満の反動として、世間に評価されないその能力を、達也の、達也だけの、兄だけの『聖域』として特別視していた。
『パラレル・キャスト』も、世界トップのエンジニアとしての能力も、分解も、兄が本当はすごい、ということを証明する『聖域』のはずだった。
しかしそれらを文也は、すべて実行して見せた。それどころか、部分的には達也を超越してすらいる。
「お兄様、お兄様……お兄様は、あんな奴に負けないんですっ……お兄様は、世界で、一番、すごい人なのですから……」
「大丈夫だ。俺は負けない。絶対だ。だから、安心して、さあ」
深雪は達也の胸に縋り付き、兄の服がしわになるのではないかというほど強く掴み、胸に顔を押し付け、絞り出すように兄に語り掛ける。しかしその様子は、兄に語り掛けているというよりも、兄に縋り付いて存在を確認し、自分自身に語り掛けることによって、自分を安心させているように達也は感じた。
達也は妹を安心させるように抱きしめ、絹もかすむような髪をなでてなだめながら、ある一つの結論にたどり着いた。
(あいつは、やっぱり……)
☆
「強くなったじゃねえかマサテル」
「だからマサキって呼べ! ……お前もさらに強くなったな、文也」
勝敗の判定が出た後、櫓の下で文也と将輝は言葉を交わした。
しばらく会っていなかったのだが、激戦を通して今の互いの力を確認した二人は、お互いの力を認め合い握手をする。
井瀬と一条の関係といえど、この二人は縁があって互いのことをもとから認めていた。しばらく離れるうちに将輝のライバル心が家系の恨みと結びついて過剰な敵意になってしまっていたが、それももうなくなっていた。
「まったく、君には驚かされるよ文也」
「ようジョージ。お前も久しぶりだな」
そこに現れたのは真紅郎だ。こちらは将輝のように家系の恨みの様なものはなく、強いていうなれば悪戯を何べんも仕掛けられたことぐらいだ。もともとエンジニア肌の二人は、優秀なエンジニア同士通ずるものがあり、仲は悪くない。真紅郎の態度は最初から友好的であった。
「ところで文也、聞きたいことがあるんだけどいいかな」
「おう、いいぞ。明日の『陣取り』に影響しない範囲でな」
「それは問題ないよ。で、本題だけど、まあ『インフェルノ』はこの際置いておこう。最後のあれ、いったい何をしたんだい?」
真紅郎が気にしているのは、文也が最後に使った二つの魔法だった。彼ほどの知識と観察力を持っていても、未知のものであった。
「まず一本目の剣で使ったのが、マサテルの『情報強化』を分解する魔法だ」
「マサキだ」
「ええ……そんなのありえるの……」
将輝が挟んだ言葉は無視された。
「で、分解して好きに壊せるようになったところで使ったのが、俺のオリジナル魔法、名付けて『切り裂君』だ」
「名前がダセェ」
「同意」
そして文也の渾身のどや顔による解説は、将輝と真紅郎の辛辣な正論により退けられる。
詳細は二人とも気になったが、オリジナル魔法ということは、あまり教えたくないものの可能性がある。特に真紅郎はあとで調べてみることにした。オリジナルだから同じ魔法は出てこないだろうが、似たような魔法は出てくるだろう。そう考えてそれ以上は追及せず、二人は不満顔の文也に別れの挨拶をすると、勝利に沸く自陣へと戻っていった。
☆
「あ、ふみくん!」
「わりぃ、負けた」
二人と別れた文也は一高テントに戻ってくる。それを真っ先に感じ取り、あずさは一目散に文也の下へと駆け寄る。
「ううん、ふみくん、すごかったよ! 負けちゃったのは残念だけど、惜しかったし、すごい戦いだった!」
あずさは目を輝かせて文也を褒めたたえる。
それを見た文也は、安心して競技の緊張状態が解けたのか、気の抜けた笑みを浮かべ――膝から崩れ落ちた。
「ふみくん!」
あずさは文也が倒れてしまわないよう、一瞬で反応して文也の体を支える。
「は、はは、スマンスマン。さすがにちょっと疲れちまった」
「そんなのはいいから、ほら!」
文也は笑っているが顔色は悪く、額には汗が浮かんでいる。目の焦点もあってないし脚にも力が入らないようで、あずさと遅れて駆け寄った範蔵に支えられ、備え付けの簡易ベッドに寝かされる。
「無理しすぎだよぉ……」
か細い今にも泣きだしそうな声であずさが文也に注意をする。そう言いながらも手は動かし、体をふくために用意していた温かいおしぼりを仰向けで寝る文也の目に乗せ、もう一つのおしぼりで額と首筋の汗をぬぐう。
体を動かすことによってスタミナを消費し、魔法を使うことによってサイオンを消費する。今の文也の状態は、魔法競技によくあるそのどちらにも当てはまっていない。体を動かす競技でもないし、大魔法を何回も行使したものの、次の試合を見据えて冷静に調整していたため、サイオン量は十分だ。
しかし、大規模な魔法や強力な魔法は、術者の体に負担を与える。もともとこの世を改変するという荒業が魔法であり、それの強力なものは、人ひとりが抱え込むには大きなものだ。これといって特別な適性がないにも関わらず大魔法を何度も行使した文也は、その負担によってこうなってしまったのだ。
「つ、次の試合は大丈夫なの? 無理しちゃだめだよ?」
「なんて声、出してやがる……あーちゃん……」
あずさの心配に、文也は息も絶え絶えになりながらも、笑い交じりに言葉を紡ぐ。
「だって、だって……」
「俺は天才魔法師、イノセ・フミヤだぞ……。こんくれぇなんてこたぁねぇ……」
文也はそう言いながら、目にかけられたおしぼりを持ち上げ、あずさを見て、口角を上げて笑った。
「勝利を持って帰んのは、俺の仕事だ」
その眼には、もうすでに、力が戻っていた。
☆
この九校戦は、魔法を世に認めてもらうために、大々的に公開されている。故に、たとえ国防軍のおひざ元であろうと、大学や大企業、魔法競技団体のスカウトだけでなく、海外のスパイにとっても、この国の未来を担う魔法師の調査をするには、実に都合がよい。
(なんてことだ……これは夢であってほしい……)
観客に紛れ込んでいたUSNAのスパイである男は、あまりの衝撃に現実逃避をしてしまいそうになるが、すんでのところでこらえ、これからについて思考をめぐらす。
彼の所属はUSNA軍諜報部。特に魔法関連の情報収集を専門とするスペシャリストだ。
彼の目線の先、文也と四高生徒による最後の『アイス・ピラーズ・ブレイク』の試合は、一瞬で勝負がつきそうであった。
四高選手はかなり健闘したといえるだろう。先の一戦で『情報強化』よりも『領域干渉』のほうが有効であると鋭敏に察して『領域干渉』で氷柱を守っているが、文也はその領域外の空気を硬化魔法で極薄に固め、それを移動魔法によってぶつけてすぱすぱと切り裂いていく。それに動揺した四高選手は、かろうじて残った最後の一本に渾身の硬化魔法をかけて守り抜こうとする。しかし文也が背中の剣を抜いてスイッチを押すと、その最後の氷柱も『両断』された。
(やっぱり、あれは……)
氷柱を切っている、ということには変わりないが、最後に使われたのは、さきほどの文也VS将輝の激戦の最後で使われた魔法と同じだ。そして、この魔法が、スパイの男の悩みの種となっているのである。
これを文也はオリジナル魔法と言っているが、実はすでに先人によって開発され、秘匿されていた。
文也は『切り裂君』と名付けた魔法に近いものを、USNAでは『分子ディバイダー』と呼んでいる。
真紅郎ですら知らなかったその魔法は、USNA軍の機密術式だ。魔法の存在自体は隠していないのでしかるべき手順を踏んで調べれば、その効果だけはわかるようになっているものの、その術式自体は秘匿されている。
USNA軍では、この魔法の使用のために専用のコンバットナイフ形態の武装デバイスを使っている。その刃の延長線上に分子間結合力を反転させる力を持った細長く薄い仮想領域を作り出し、それに触れた物体はその部分の分子間結合力が反転させられ、『斬られる』ことになる。その部分が気化させられる、と表現するのが本来は正しいのだが、結果は変わらないのでわかりやすい表現が使われている。
正確には、文也が使用したのは、『分子ディバイダー』とは言い難く、別物と言っても差し支えはない。
まだ式はかなり不完全で元の『分子ディバイダー』と違って触れた部分の分子間結合力が反転するのは、仮想領域が触れている間のみで、一瞬通り過ぎただけでは物理法則によって分子間結合力が元に戻り、切れ目こそ入るもののまたくっつきあってしまうため、『アイス・ピラーズ・ブレイク』のルール上破壊したと認められない。
よって、分子間の相対距離を離す仮想領域を作り出す収束系魔法を重ねることで完全に両断した。こちらは通り過ぎた後も効果が残るレベルまで出来上がっており、一瞬だけといえど『分子ディバイダー』で離れる力が強まった分子をすんなり離すことができれば、あとはまたくっつくことなく離れたままになり、そのまま滑り落ちる。
しかし、いくら大幅に劣化してるといえど、秘匿している術式と同じ仕組みであることには変わりない。
そんなUSNA軍機密の魔法を、日本の高校生が、こんなにも人目が集まる場で、しかも一番注目されるタイミングで、使用した。
はっきり言って、USNAからすれば、あまりにも異常事態である。
(とりあえず、すぐに本国に連絡しなければ……)
男はいそいそと立ち上がり、すぐに連絡を取るためにその場を離れた。
☆
幸運なことに、文也の最後の試合までの間隔も準備が間に合わずそこそこ空いたので、文也はある程度回復した状態で挑み、勝利した。対戦相手の四高選手はもともと組み合わせと作戦で勝ちあがってきたようなものなので、優秀ではあるものの力比べでは文也の足元にも及ばない。これまた文也にとって幸いなことにあっさり終わった。
その後、さすがに疲れた文也は明日の『フィールド・ゲット・バトル』に備えて、夕食を待たず、高エネルギーゼリー飲料だけ飲んで、部屋に戻って感覚遮断カプセルの中で深い眠りに入った。
その一方で、達也たち一高生徒は、食堂で一斉に食事をとっていた。
当然、今日の話題の主役は、深雪と文也、それに惜しいところで負けてしまったが絶技を披露した雫である。やはり優勝した深雪とそのエンジニアの達也についての話が真っ先に盛り上がり、その次に同じ女子の流れで雫とそのエンジニアである達也の話で盛り上がった。
そしてそのあと、ついに文也の話題となった。
彼のおもちゃ箱を理解できるのは達也しかおらず、さっきまで話題の主役として引っ張りだこだったのに、今度は解説役の仕事が集中することになった。ちなみに深雪は文也の話題になるや否や、すぐに別の席に移って談笑を始めた。どうにか落ち着いたものの、まだあまり話は聞きたくないのである。
「あいつが最後に使ったのは、まず一つ目が一条の『情報強化』を消すための分解、そしてその次に一気に斬り裂いたのは、仮想領域に触れた部分の分子間の相対位置を離れさせる魔法だ」
達也は『分子ディバイダー』の存在をすでに知っているし、またそれがUSNA軍の機密術式であることも知っているし、さらに文也がそれを不完全と言えど使ったことも気づいている。
故に文也が『分子ディバイダー』を使ったとは口の分子間結合力が反転させられても言えず、『斬り裂君』の一面しか説明できない。
ちなみに、文也の父・文雄も達也と同じような状況であり、顔を真っ青にして文也に連絡を取ろうとしている。しかし眠りこけてる文也は当然電話に出ず、「バカ野郎あれ『分子ディバイダー』じゃねえか」、「アメリカ軍の機密術式だぞ」「再現するものにも限度っちゅうもんがあるだろ」「暗殺されてもしらねぇぞ。月が出てない夜に気をつけろ」などのメールを必死で大量に送り付けている。目が覚めた文也がそれを見たらどんな反応をするだろうか。
そちらの状況はいったん置いて、話を戻そう。
達也は求められるままに説明しながら、先の一戦に思いを巡らせた。
達也はあの一戦を見ただけで、文也の作戦事情をすべて看破していた。
文也の『斬り裂君』は強力な切断力がある魔法だが、不完全な『分子ディバイダー』のほうは相手の『領域干渉』や『情報強化』を明確に超える干渉力が必要であり、最初から使えばいい、というわけにはいかなかった。なにせ文也は、強いといえば強いものの、将輝を明確に上回る干渉力は持ち合わせていないからだ。
故に、文也は『情報強化』を分解する切り札を用意してきたのだ。この場にいる人物では達也しか知らないが、文也の先祖も第一研究所の出であり、『情報強化』には詳しいのだろう。しかし分解魔法は詳しい『情報強化』に対するもののみで、『領域干渉』に対するものはさすがに無理だったようだ。
だから、最初に『領域干渉』を使っていた将輝に対して『斬り裂君』が使えなかったのである。
文也自身、将輝と知り合いであり、また同じ第一研究所出身の子孫を持っているので、将輝が『情報強化』を守備の要にしてくることを予想していたのだろう。結果的にそれは半分外れで半分当たりであり、その点では将輝の切り札である『情報強化』を引きずり出した文也の奮闘が、あの最後の接戦へと持ち込んだといえる。
「なあ、それってよ、もしかして『硬化魔法』の反対じゃねぇか?」
レオが説明を聞いていて、思い浮かんだことを口にする。
「正解だ」
『硬化魔法』に特化し、それに詳しいレオだからこそ一瞬で分かったその正解に、達也は笑顔で頷いた。
『硬化魔法』の定義は、相対位置の固定だ。故に相対位置をもとの状態から動かす文也の『斬り裂君』はその逆とも言える。
「井瀬の最後の試合の、あの最後の一本。あれを守るために相手が使ったのは『硬化魔法』だ。最後は、反対の性質を持つ魔法のぶつかり合いだったといえるな」
嘘だ。そんな真正面からのぶつかり合いではなく、文也は『分子ディバイダー』でサポートをしたうえで打ち破った。達也の見立てでは、そのサポートなしでは互角になっただろうと分析している。ただし、それならそれでほかの抜け道はいくらでも用意してあるだろうから、文也の圧勝は揺るがなかっただろう。
(あとは明日が心配だな)
文也は明日も体力勝負の競技が控えており、また、それにはチームを組んで達也自身も出る。今日の試合でコンディションが乱れて負ける、なんてことにはなってほしくない。
達也は、明日の戦いがどうなるか、と、説明の片手間に思いをはせた。
☆
「あーちゃんは、井瀬君のあれは知ってたの?」
「はい。とはいっても、少しお手伝いしただけなんですけど……」
同時刻、食堂の別の席では、文也の魔法に興味を持った真由美と摩利と鈴音があずさに質問していた。そばの席で別の生徒と話している克人も気になるようで、少しだけ聞き耳を立てている。
真由美たちが諦めた中、あずさだけは諦めてなかった。彼の力を信じている、という美しくも根拠に乏しいようなものではなく、明確な逆転の一手を持っていると知っているようなものだった。
「『情報強化』の分解……『分解』という高等術式を使ったことはこの際置いておきましょう。魔法というのは、どんなものにしろその存在を知覚できなければ発動できないはずです。魔法式の構造情報は見えないはずですが……」
「えっと、わたしもよくわからないんですけど、ふみくんは昔から、魔法式がなんとなく『視える』って言ってました」
「あら、じゃあ達也君と同じじゃないの」
「でも司波君ほどはっきりわかるわけじゃなくて、ふみくんは、うすぼんやりと、なんとなく『ある』ってことしかわからないそうです」
達也はイデアにアクセスしてその世界を視れる『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』によって、物理的に見えない物体だけでなく魔法式の存在や構造情報を知覚することができる。
しかし、イデアにアクセスする、ということができるのは達也だけの特殊技能ではない。
そもそも魔法自体が、イデアに魔法式を投射して使うものであり、その点では、魔法師は全員がイデアにアクセスしている。達也のはその深度がとてつもなく深いものと言えるだろう。
そして、それが人より深いのは、文也も同じだ。
ただし達也に比べたら圧倒的に劣り、投射された魔法式を、なんとなく、うすぼんやりと知覚することしかできない。
しかし、魔法式があるとわかり、それがどんな魔法であるかさえわかれば、ある程度の対応は可能だ。
そして文也は度重なる経験から何度も見るような魔法と、そして家系の事情で詳しい『情報強化』だけは区別がなんとかつく。
故に、『情報強化』の分解だけは、なんとか実戦レベルまで練り上げることができたのだ。
「じゃあ、その次に一気に氷柱を両断した魔法はなんだ?」
次の質問の口火を切ったのは摩利だ。家の影響もあり、切断などの『魔法剣』関連に、摩利は強い関心を持っている。
「えっと、それがわたしにも難しいからよくわからなくて……剣の延長線上に仮想領域を作って、その仮想領域で斬っているってことはわかるんですけど……」
「なるほど。一か所に集まっているものを一気に壊すには、長い長い剣の一振りで両断するほうが早いというわけですか。でも、仮想領域で干渉するには『領域干渉』も『情報強化』も超えなきゃいけないですから、『情報強化』だけになったところを分解して、ようやく使えるというわけですね。それにしてもすごい長さの仮想領域ですね」
「はい。ふみくんは、フィールドの端から端まで届く長さを得るために、魔法の強度をある程度犠牲にしたといっていました」
「なるほど。だから『領域干渉』の外側で作って貫く、ということができなかったわけね。そう考えると、あのガキンチョにも限界がちゃんとあるようで安心したわ」
真由美はわざとらしく、ほうっ、とため息を吐いた。
ちなみに、真由美らは話に夢中になって食事が進んでいないが、これは彼女らはちゃんと自覚している。胃の調子が悪くて食欲が湧かないのだ。その三人に巻き込まれてうっかり話に夢中になって食べそこなってしまったことに気づいたあずさは、このあと内心で三人を恨みながら、売店で軽食を買う羽目になった。
☆
「よし、よし、新人戦は三高が有利だ」
横浜の巨大なビルのワンフロア、壮年の男性たちが豪華な夕食を囲みながら話題にしているのは、九校戦の状況だった。
彼らは心の底から三高と四高を応援していた。
一高に優勝してほしくないがために、優勝争いに食らいついている二校を応援しているのだ。
本戦の前半は肝を冷やしたが、新人戦は今のところ悪くはない。
新人戦は二日目を終え、一高は68ポイント、三高が84ポイント、四高が66ポイントだ。しかし一高は『バトル・ボード』ですでに予選で全員敗退しており、三高と四高は順調に予選を突破している。明日の結果次第ではいよいよ逆転優勝も見えてくる。
「小早川選手を落とし、さらに抽選の組み合わせに積極的に介入したのが幸いした……」
その中の一人が、ほっとしたようにそうつぶやく。
ここは『無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)』の東日本支部。九校戦を使って大口の『裏』の客たち相手に営業をかねて、オッズを胴元側で決める特殊なブックメーカー方式の『賭け』を開催していた。
そして、なんと彼らは、優勝最有力候補の一高に、怪しまれない程度に高めのオッズをつけたのだ。
当然、金は一高に集中した。このまま一高が優勝してしまえば大損、逆に一高が優勝しなければ大儲け、という形になっている。
なんとも無茶な状態だが、彼らには腹案があった。
九校戦に積極的に介入し、一高を妨害し、優勝を阻止する。そうすることで、彼らは確実に儲けようとしていた。
急な競技の変更などのトラブルはあったものの、事故を意図的に起こして棄権にさせたり、組み合わせに介入して一高が負けるようにすれば、一高は優勝できないはずだった。四高に優秀な講師が入って生徒たちの地力が底上げされたとの情報もあって、計画としては四高を中心として一高にぶつけ、三高が勝つという方向に持っていこうとした。
しかし、一高はどこまでも常識外だった。
『スピード・シューティング』と『アイス・ピラーズ・ブレイク』で当然のように男女そろって優勝してしまう。『アイス・ピラーズ・ブレイク』では抽選に強く介入して女子代表が不利になるように仕向けたのに、急に力を伸ばして優勝をかっさらわれてしまった。
『バトル・ボード』は上手くいった。妨害工作で事故を起こすというバレるリスクの高い危険な手段だったが、今のところ尻尾を掴まれたという話もない。
そして問題の『フィールド・ゲット・バトル』。集団競技である分、順位で大きく点数が変わってしまうこれではなんとしても一高が優勝してほしくなかった。
しかしなんと、一高はまさかの男女優勝を遂げてしまう。インクガンは専用CAD、持ち込みCADも入れるのはスペシャルのみ、ということで、妨害工作を働きづらいルールが災いした形だった。
普通に考えれば、下馬評の段階でこの計画が無茶だったことはわかる。一高で大活躍した本戦の選手はほぼ三年生であり、去年から圧倒的な実力を世に示している。しかしこの男たちは、なんとそのことを深く考えずに計画を立てたのだ。
よって本戦では頭を抱える結果となった。しかし、幸い新人戦は組み合わせに特に強く介入したこともあって上手くいっている。
「明日は『フィールド・ゲット・バトル』と『バトル・ボード』の決勝まで、か」
「『バトル・ボード』は一高がいないから何かする必要はないし、『フィールド・ゲット・バトル』は仕掛けにくい。明日は様子見でいいな」
「そうだ。仕掛けるとしたら……『モノリス・コード』と『ミラージ・バット』だな」
そんな計画を話し合い、それぞれ、自分の不安を打ち消すように笑う。
大損失は逃れなければならない。さもなくば、自分たちの命が危ない。いや、もっとひどい目にあうこともあるだろう。
そのことを彼らはわかっているはずなのに、なんとも無茶な計画である。
『無頭竜(ノー・ヘッド・ドラゴン)』改め『無能頭竜(ムノー・ヘッド・ドラゴン)』東日本支部のドタバタ大迷惑が、本格的に始まろうとしていた。
斬り裂君
名前がダセェ魔法。文也のオリジナル魔法だが、その内容は半分ぐらいUSNA軍の『分子ディバイダー』と被ってしまった。
もう半分の、分子間の相対距離を離すことで斬ったようにする魔法はオリジナル。分子間の相対距離を離すのは収束系魔法の定番だが、その実、上級者向けの定番である。物体間ではなく、それよりもはるかに小さく深度が深い世界である分子に干渉するには、技能と理科学知識の両方が必要となる。
分子間で組みあっているという情報を分解して離す『分解』、分子間で結合している力を斥力に変化させて離す『分子ディバイダー』、分子間の相対距離を離れさせることで分離させる収束系魔法、結果は同じだが、過程は違うという、『魔法科高校の劣等生』の魔法でよくある親戚関係である。