文也はまだしばらく戻ってこない。駿は真夏の長い日が暮れかけた海を眺めながら、思わずあくびをした。水平線はなく、向こう岸があり、そこには無粋な工場が立ち並んでおり、景色としての美しさは微塵もない。この海浜公園に人気がない理由の一つだ。
「……あ、そうだ、忘れてた」
何の気なしに退屈を紛らわすためにポケットをまさぐっていると、指先が固いものに触れる。駿は気の抜けた声で呟きながらそれを取り出した。
小さなプラスチック製のおもちゃのような拳銃だ。これは先日の九校戦で、『モノリス・コード』に挑む際に文也から渡された、防御用の魔法が登録された専用CADだ。色々ごたごたしていたから借りっぱなしで、今日返そうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。
そして同時に思い出したのが、突然崩れた天井が迫ってくる光景だった。理不尽な事件によって自身を証明する機会を奪われ、崩れかけていたプライドがついに崩壊したあの出来事は、駿の胸に強く刻み込まれていた。
そして、同じような経験を、実はすでに一度している。
駿は少し自嘲気味な笑みを浮かべて、その時の記憶に思いをはせた。
☆
「手はず通りいくぞ」
「おう」
文也と駿は、正面口から突入した陽動役の三十尾に注意が引き付けられているうちに裏口から侵入した。隼は驚異的な運動能力を以て魔法を使わずビルからビルへ飛び移り、単独で屋上から突入している。二人はまだ中学生ということで、コンビで動き、またなるべく戦闘を避けるような役回りになった。
二人が腕につけている端末にビル内部の人の動きが表示される。二人はそれを参考にしてこっそり侵入し、また必要に応じてこっそりと中にいた不良たちを気絶させて中へと進んでいく。
「井瀬の父親はすごいな。こんなことができるのか」
「機械いじりが趣味なんだよ」
二人はビルの中の敵の動きがわかるので、最低限の戦闘だけでスムーズに進むことができる。
文也は連絡の際、工場の安全確保だけでなく、突入作戦の成功率を高める根回しも行っていた。本当は文雄を突入部隊に入れたかったのだがあいにく急に駆けつけることができる場所にはおらず、代わりに川崎工場からある機器が送られてきた。
その機器はやや大型のドローンだ。自動制御で文也のもとにたどり着いたドローンは、現在屋上から侵入した隼の操作で、ビルの上空に浮かんでいる。
そのドローンの効果はリアルタイムでの建物内部の索敵。魔法を一切使わず、赤外線や超音波やサーモグラフィーや生体センサーなどの探査機能を多種搭載しており、それらを同時に駆使することで、高速・高精度で建物内部の構造探査や索敵が可能だ。そしてドローンとペアリングした端末にその探査情報をリアルタイムで送信する。
対象の建物の上空にずっと滞空していなければならないので破壊されやすく汎用性はないのだが、こうして建物内への急襲をする際には無類の効果を発揮するのだ。
(あれだけ連絡していたのに何も協力が来ないと思ったら、こんなのを持っていたのか)
駿はあらかじめ場所がわかっていた不良を物陰から飛び出して魔法で気絶させながら内心で感心する。
駿から見て、文也はかなり長いこと誰かと連絡していたようだが、これといった協力を取り付けられているように見えなかった。しかしこの探査ドローンの効力を体感すると、あれだけ長い時間かけて呼んだ甲斐があるように感じた。
そんな風に予定よりもはるかに楽にことが運んだせいか、逆に不都合ともいえる結果が二人の前に立ちはだかった。
「どうしたものかな」
二人がたどり着いたのは、ひと際豪華な木製のドアの前だ。探査によるとこの部屋だけ広く、中には二人ほど人間がいることがわかっている
「ボス部屋ってやつだな」
「不良よりは強いだろうから、俺らが入るのは止めておく予定だったけど……」
事前の作戦会議で、不良たちが主な構成員だが、彼らを束ねる大人たちや、さらにその大人たちを束ねる人物もいることは予測していた。そしてその人物たちは、母体であろうブランシュまたはそれに準ずるような組織から派遣されてきているだろうことも予測できる。
そして、このブランシュは大亜連合が日本の魔法国力を落とそうと送り込んできたスパイであるというのが国の予測であり、公安の監視対象にもなっているほどだ。今まで相手にしてきたそこらの不良のなれの果てとはわけが違う。おそらくプロのスパイであり、その実力も相応にあるだろう。
そのことを考慮して、まだ中学一年生である二人は、それらしい部屋を見つけたら突入せず、隼か三十尾に連絡してそちらに突入してもらい、子供二人組は露払いに回る予定だった。
そこで文也はそのドアや周りを警戒しながら携帯端末で三十尾に通話をかける。
「センセ、ボスっぽい部屋見つけたんだが」
『それはよかった。しかし、こちらはそれどころではない』
そんな三十尾から返ってきた返事は、言葉こそ穏やかだが声音はだいぶ焦っている。
『子供だけかと思ったら、かなり腕のある魔法師がいた。勝てないことはないが、かなり時間がかかってしまう』
「おいおいまじかよ」
そんなやり取りをしている横で、駿も父親と同じようなやり取りをしていた。
『手練れの魔法師が二人いた。このテロ計画、捨て駒だと思ったら思ったより「本気」だったらしい』
「どれくらいかかりそうだ?」
『怪我無し、となると、だいぶ時間がかかりそうだ』
(あの親父ですらそんなにかかるほどの相手なのか)
駿は内心で愕然とした。
駿から見れば父親は目標であり、絶対的な強者だ。そんな父親ですら相応の時間をかけなければならないとなると、駿自身ではまず勝てない相手だろう。
「どうするよ駿」
「井瀬、この部屋の報告だけしてここは撤退しよう。思ったよりやれる奴らみたいだ。俺らでは無理だ」
井瀬の問いかけに対し、即座に判断をして、予定通りの撤退を文也に促す。ここまで引っ掻き回せばテロ行為ももはや不可能だ。最低限の目標は達成できている。時間さえかければ大人二人組も合流するだろうし、もう駿たちに大きな仕事は無い。ちなみに文也は普段は「森崎」と呼んでいるのだが、この突入作戦の時に限っては、文字数が少なくて済む「駿」と呼ぶことにした。駿からは「井瀬」も「文也」も変わらないのでそのままだ。
「よく考えてみろ。この中にいるボスを捕まえなきゃ、また別のところで起きるだけだ。あいつらを待ってたら逃げられるぞ」
「それでもいい。最低限今のテロは止められただろう。俺らがでしゃばるのはおしまいだ」
扉の向こうに聞こえないよう小声で、ただし文也は語り掛けるように、駿は強い口調でそれぞれの主張を口にする。
常識で考えると、駿の言っていることの方が正しい。今まで森崎家の一人息子として習ってきたすべての知識や事例に照らし合わせてみても、この二人で突入するのは無茶だ。とりあえずおひざ元でのテロさえ止められれば森崎家としては十分だし、常識的に考えてもこの少人数で大事になることなく未然に防げたのなら大金星だ。
そんな駿の主張を聞いた文也は、なにか諦めたようにふっと息を吐く。
納得してくれたか。
駿はその様子を見てそう安心した。
しかし、文也の口から放たれたのは、そんな安心と真逆の言葉だった。
「そうか、わかった。確かに無茶だな。じゃあ俺が一人で突入するから、お前は帰れ」
「なっ」
思わず駿は絶句してしまう。
文也は駿の言ったことを理解した。理解したうえで、もっと無茶なことをやろうとしている。
確かに中学生が突入するには危険な状況だ。文也はそれを認めたうえで、拒否する駿を省いて、自分だけ突入しようとしているのだ。
(そんな滅茶苦茶――)
動揺で一瞬空白になった脳内に、一気に感情が湧き出てくる。
駿の言いたいことは違う。自分が危険だから自分が突入したくないのではなく、「自分にとっても文也にとっても危険だから、二人とも突入するべきではない」と言っているのだ。
文也が一人で行ってしまっては、意味がない。むしろ、さらに文也の危険が増すだけだ。
駿は思わず文也を睨みつける。その文也の顔は、もう決意に満ちていた。自分にかなりの危険があるのはわかっていて、それでも行かなければならないと決めているのだ。
(こいつ……)
そしてそれは、負けると分かっていても行かなければならないというような表情でもなかった。
危険は百も承知だが、一方で勝算の高い作戦がある、自信に満ちた顔だ。
この自信に満ちた表情はこの数日で何回も見た。授業で難問を答えろと当てられた時も、少し難しい魔法を練習するときも、筆記でも実技でもランク付けされる時も、いつも文也に「不安」はなかった。
そしてその不安のない自信は、そのままの形で結果となっている。
ただの自信家ではない。事前に準備をし、今までの自分の積み重ねを信じているからこその「自信」だ。
その自信に満ちた顔を見て、駿の心に湧き上がってきたのは「怒り」だった。
まず湧き上がってきたのは、文也への怒り。いきなり現れて駿が積み重ねてきた成績や成果や実力を嘲笑うかのようにほぼすべての面で上回って見せた。しかも本人はそれを鼻にかけるわけでもなく、努力をしたということを誇示するわけでもなくヘラヘラとしている。川崎に来て急に呼び出されたかと思えばテロ事件を未然に防ぐという大きな出来事に巻きこまれる。しかも質の悪いことに、自分たちが動かなければ自分たちにとってもっと大きな被害が出ていたことは間違いなく、巻き込まれたことに文句を言うこともできない。そして巻き込まれてからも、文也は自分の言うことを聞こうともせず、自分の身だけを危険に晒そうとしていて、さらにそれでも高い勝算がある顔だ。
そうして湧き上がってくるのが、駿への、自分自身への怒り。
ここまで涼しく負かされ、なんの抵抗もなく巻き込まれ、そして最後は自分だけが安全な道を示され、文也は一人で突っ込もうとしている。
どこまでも駿に主体性はなく、全部文也は駿を超え、文也が動き、そして終いには駿だけが危険のない選択肢を提示された。
情けない。唐突に表れたどこの馬の骨ともわからないチビに、森崎家の一人息子として英才教育を受け不断の努力を積み重ねてきた自分が、こうも軽々しく「子ども扱い」されている。
「待て、井瀬」
駿に背を向け、そのまま突入しようと汎用型CADの準備をしている文也の背中に声をかける。文也は振り返らない。駿の制止は、もう聞かないつもりだ。
駿はそれから一度深呼吸をして、湧き上がる恐怖や不安を押さえつけ、もう一度口を開いた。
「お前ひとりにはいかせない。俺も行く」
そう言った瞬間、文也はぱっと振り返り、驚いたような顔で駿を見つめた。
ようやく意表がつけたか。
全く場にそぐわない謎の満足感に苦笑しながら、駿はさらに続ける。
「お前の悪戯を、この一週間誰が抑えてきたと思ってる。お前のやんちゃを見過ごすなんて、この俺がするわけないだろうが」
驚きで呆けた顔のままその言葉を聞いた文也は……数秒経ってようやく駿の言葉の意味が呑み込めたのか、いつもの口角を上げた悪戯っぽいものでなく、心の底から嬉しそうな晴れやかな笑みを浮かべた。
「ありがとな、駿」
そう言うと、また口角を吊り上げたいつもの悪戯っぽい笑みに戻る。
顔だけでなく体ごと振り返り、覚悟を決めた駿に正面から向き合い、手を差しだす。
その時に少しまくれた長袖から、腕につけていたらしい幅広のブレスレットが見えた。
なんのブレスレットだろうか、と少し気になりながらも、駿はその小さな手を強く握り返し、文也の顔を見て笑みを浮かべる。
それを見た文也は、より一層口角を上げ、悪戯っぽいを通り越してあくどい笑みを浮かべ、口を開いた。
「やんちゃ坊主二人、悪い大人への真夏の反抗期と行こうじゃねぇか」
☆
「だ、誰だっ!?」
「ひ、ひぃ!」
合図と同時に一斉にドアを蹴破り、二人は突入してCADを構える。
その音に驚いたのか、部屋の中にいた二人の小太りの中年男性は、窓際に立ってなにかやっていた途中で入り口のほうを一斉に振り返り、情けない声を上げた。片方は黒髪で、もう片方はわざとらしく染め上げた金髪だ。
「ハーイ、ナイスミドル。こんなにいい天気なんだ、引きこもってないで一緒に遊ぼうぜ」
駿がにらみつける横で、文也はあくどい笑みを浮かべてまるで本当に友達の家に遊びに来たかのような軽い声で男たちに話しかける。駿がお手本のようにピシッと構えているのに対し、文也はリラックスしてCADを構えている。
文也は声をかけながら、男たちの服装や何をやっていたかを油断なく観察する。真夏だというのに暑苦しい高そうなスーツを着ているが冷房が過剰なほど効いているためそう暑くはないだろうに、顔中に玉のような汗が浮かんでいる。そんな風に冷房が効きすぎている割には窓は開けられており、窓枠には太いロープの様なものがぶら下がっていた。
「逃げようとしても無駄だぞ」
文也と同じく観察をしていた駿は、ほぼ同時に何をしようとしていたか結論にたどり着く。
二人は、服装や大きなツボや壁に飾られたいくつもの絵画などの部屋の内装からしてこのビルのリーダーだろう。突然の侵入者の情報は当然受け取っていたみたいで、今から窓からロープを伝って脱走しようとしていたように見える。逃げるにしてはずいぶん遅いが、おそらく侵入者は隼と三十尾だけだと思っていて、まだ足止めできていると油断して逃げるのを先延ばしにしていたようだ。また文也と駿が彼らに報告が行く暇もなくイコールの構成員を気絶させて高速でここにたどり着いたため、余計に間に合わなかったのだろう。
「はは、おいおいなんだ、まだ子供じゃないか」
「今すぐ何も見なかったことにして、大人しく帰ってパパと遊んでもらってママの美味しいご飯でも食べて寝なさい。そうすれば見逃してやろう」
顔に汗を浮かべておびえていた二人は、文也と駿の姿を見ると、すぐに安心して余裕のある笑みを浮かべて演技がかった手ぶりを交えてからかうようにそう言った。しかし動かしているのは左手だけで、右手は腰のあたりに構えている。
「お前らこそ大人しくお縄につけ。そうすれば捕まってからの多少の便宜は図ってやらないでもないぞ」
「不良どもを集めたテロごっこは失敗だったな。真夏の自由工作で打ち上げ花火を作るには頭が足りなかったようだ。上手いのは季節感だけだぜ」
そんな男たちに対し、二人は当然ひるまずに言い返す。駿も文也に倣うように口角を吊り上げて嗤い、こちらの有利をアピールする。
「そうか。ならば仕方ない。やんちゃな子供を導くのも大人の仕事だ」
「おいなんか不良どもを扇動してテロ起こそうとした不良中年がなんか言ってるぞ。ブーメ……」
文也たちの言葉を受けた金髪の男は、わざとらしく悲しいとでも言いたげな口調でそう言うと、文也はそれをからかう。
しかし文也が言い切る前に、男二人は同時に動き、体型からは想像もつかない機敏さで右手を動かして拳銃を構えるとすぐに引き金を引く。
構えていたにも関わらず先制攻撃を食らった形になったが、二人ともこの展開は予測していた。準備していた魔法をそれぞれ展開する。
この距離で拳銃から弾を放たれたら普通の魔法師ならば魔法の展開は間に合わない。しかし二人は、すでにプロの魔法師に匹敵するほどの魔法速度を持っている。
駿が感心するほどの早業で放たれた弾丸は、文也の障壁魔法により阻まれ、次に放たれようとした弾丸は駿が拳銃に使った『凍火(フリーズ・フレイム)』によって不発に終わる。
それを確認するや否や男たちは拳銃を腰に戻し、腕につけた汎用型CADを使い始める。それを抑えるために文也たちはすかさず攻撃魔法を放つが、駿の放った振動魔法は金髪の男の『情報強化』によって退けられ、文也が内装の大きなツボを移動魔法で黒髪の男に放つが回避される。
駿は特化型CADでの電撃戦が失敗したことを悟り、そちらをサスペンドしてホルスターにしまい、汎用型CADに切り替える。一方最初から汎用型CADを使っていた文也は駿より一足早くキーを打って男たちを魔法で迎え撃つ。
金髪の男が壁にかけられたいくつもの絵画を駿に殺到させ、黒髪の男は空気の塊を文也に放つ。文也は空気の塊を『バウンド』で反転させ、さらに黒髪の男のCADに振動魔法をかけて破壊しようとし、駿は襲い来る絵画を転がり込んで間一髪で避け、キーを入力して『圧縮開放』で反撃する。
それに対して男たちは瞬時に反応し、爆発する空気を障壁魔法で防ぎ、黒髪の男は自身のCADに『情報強化』をかけて文也の魔法を退け、さらに反射された空気塊をステップで避ける。そのステップに合わせて文也は得意の『スリップ』でバランスを崩そうとするが、年齢からは想像もつかない体幹で耐えきり、さらに机の上に散乱していたいくつものペンを文也に魔法で放つ。この一瞬で方向がバラバラなペンの先を文也に向けたうえで移動させる地味ながらも高等なテクニックだ。金髪の男は壊れた絵画の木片を無数の刃として立ち上がろうとしている駿に向けて放った。
それに対して、文也はより強力な減速魔法でペンを落下させ、駿は壊れていなかった絵画を木片の方向に立てて硬化魔法をかけて無数の刃を防ぐ。
「くっ、まだガキの癖にやるじゃないか」
「まだ高校生にもなってないだろうに。それも片方は小学生だ」
ここまでの攻防戦で、文也たちに傷一つ負わせることができなかった男たちは歯噛みする。教育システム的に見て、中学生と本格的に魔法を習い始める高校生とでは魔法力や技能に大きな差が出る。魔法力はそこまでではないものの大人である二人は、中学生なら一蹴できると踏んでいたのだが、文也と駿相手に互角の戦いを強いられている。
「あいにくながら俺らは普通じゃな――」
「俺も中学生だバカ野郎!!!」
それに対して駿はイヤミを返そうとするが、文也の怒声にかき消される。どうやら「小学生」と言われたことに腹を立てているらしい。見た目だけ見ればどう考えても男たちのほうが正しいだけに、こんなことで怒られても理不尽なだけだが。
怒気がこもった文也の魔法が、小学生呼ばわりした金髪の男に襲い掛かる。CAD、腰の拳銃、靴、指輪、ピアスと次々に振動魔法が行使される。『領域干渉』で一気に無効化しようとしたが拳銃だけは干渉力で凌駕されてしまい、強烈な振動を加えられることによって割れてしまい使い物にならなくなった。ホルスターに入れていたため体までその振動の余波で壊されなかったのは金髪の男にとって幸いだった。
それとほぼ同時に黒髪の男が戦闘によって割れたツボの欠片を移動魔法で駿の横から放ち、さらに腰の拳銃を抜いて銃弾を放つ。
駿はようやく立ち上がったのにまた倒れこむようにして回避して銃弾は躱すが、それによって壁に激突してしまい、ツボの破片の刃は躱せなかった。魔法でいくつか撃ち落とすもののほとんどを撃ち漏らしてしまい、駿はピンチに陥る。
「ああああああ!!!」
駿は叫び、あらん限りの力を込めて壁を蹴る。それも足裏全体を使って壁から離れるように蹴るのではなく、つま先だけで壁にそって蹴り、壁と平行に滑りこむ。それによってツボの破片はすべて先ほどまで駿がいた場所に突き刺さり、駿はすんでのところで回避に成功した。
しかし急に無理な角度で無理な力を加えたことで、右足に激痛が走る。どうやら筋がやられたようであり、あとに支障はほぼ残らないだろうが、数分は急な運動が厳しいだろう。
しかしだからと言って、運動をしないということはあり得ない。今まさしくここは命がかかった戦場であり、そこに駿はいるのだ。
(これが、戦い、か)
痛い、苦しい、思い通りにならない。
今まで幾度となく訓練で味わってきた苦痛。しかし今は、命や責任がかかってることでより強くなった、経験したことのない苦痛。
森崎家の一人息子として不断の努力を重ねてきたし、飛びぬけてはいなくとも恵まれた才能も持っていた。駿はどこにいてもとびっきりの「優等生」だったのだ。
それを誇りにしていた駿は、自分がやはりどこか油断していたのだろうと苦痛や焦りの自覚する。
自分ならなんとなる。俺なら大丈夫。
そうした自信……慢心が、こうした行動に走らせた。
そしてその結果として、今これまでにない苦痛を感じ、命の危機にさらされている。
「戦い」という場を初めて経験した駿は、「優等生」なだけでは通じない世界を体験し、これまでにない恐怖を覚えた。
利き足を強く痛めてまでようやく回避しても、もう次の攻撃が駿に襲い掛かっている。必死でがむしゃらに撃ち落とすが防ぎきれない。文也がかろうじて障壁魔法で守ってくれて生き延びたが、もう次の攻撃魔法が準備されている。
(俺は、弱い)
森崎家の一人息子としての立場と才能と環境に、優等生としての自分に、無意識のうちに胡坐をかいていた駿は、一人としての「森崎駿」である自分の弱さに気づいた。
恵まれた才能と環境を持ち、囲まれた子供同士の中で優等生でも、戦場ではこうも弱い。
積み上げてきた誇りや自尊心が激しく崩壊していくのを、迫る命の危険の中で感じた。
気持ちが折れそうになり、もういっそ諦めて死を受け入れようという気にすらなってくる。
黒髪の男が血走った目で駿を睨み、魔法行使のためにしまっていた拳銃を再び抜こうとする。
何も抵抗せず、いっそ受け入れて、そのまま死んでしまおうか。
そんな、甘やかで冷たい誘惑が心を支配しそうになった。
弱かった。弱いんだから、負けるのも仕方ない。抵抗しても無駄だ。
(違う!)
全身の血の流れが急に速くなる。体温が上がり、冷たくなっていっていたはずの心に熱がともる。思考が加速して急激な頭痛を覚えるが、意識はいつのまにかはっきりしていて、視界も明瞭になってくる。男の動きが、スローモーションに見える。
(弱いからこそ、あがけ!)
自分を鼓舞する。
弱い。だから諦める。そんなことは許されない。あがいてあがいて、何としても生き延びて、勝つ。弱いものが死ぬ戦場。だからこそ、弱いから、あがいて強いものに勝とうとするのだ。
駿は左腕を思い切り床にたたきつける。左腕にこれまで味わったことのないほどの激痛が訪れる。
そしてそれと同時に、駿は右手で腰のホルスターに収納していた特化型CADを抜きながら指を精密に動かしてサスペンドを解除し、拳銃を抜こうとする黒髪の男に向け、引き金を引いた。
先に動き出したのは黒髪の男のほうだ。しかし、お互いに銃口を向けたのはほぼ同時。
そして、引き金を引いたのは、駿のほうが速かった。
「ぐっ!」
男はうめく。駿の『フリーズ・フレイム』によってふたたび銃弾は不発となった。
森崎家の十八番にして駿の特技『クイック・ドロウ』。早撃ちである男をさらに超えた速度でCADを抜き、一瞬で魔法式を構築して魔法を行使する。
森崎家の一人息子として、優等生として、「森崎駿」として積み重ねてきた、駿の特技。
普通ならばできない。CADが複数アクティブ状態ならば、互いが干渉して魔法は不発に終わる。超高等技術の中には複数アクティブ状態でも魔法使用が可能になるものもあるらしいが、そんなものはまずありえないし、駿は当然できない。左腕につけていた汎用型CADをサスペンドするか電源を消すかしなければ、特化型CADは使えないのだ。
そして、駿は、「普通ではない」方法を使った。
汎用型CADが起動しているから特化型CADが使えない。
そこで、それを思い切り床にたたきつけて「壊した」のである。
CADは現代魔法師の命。魔法師としての優等生である駿は、その常識を、CADごとぶち壊したのだ。
破壊によってただのモノとなった汎用型CADは干渉しなくなり、特化型CADの使用が可能になった。
今まで積み重ねてきた『クイック・ドロウ』と、戦場で自身の力で思いついた常識外の方法によって、駿は窮地を乗り切った。
そして駿は、乗り切っただけでは終わらせない。
得意の魔法の高速行使で、攻撃を次々と浴びせる。
男たちの目の前で光を点滅させて目をくらませ、口を開けたらその口内の空気を激しく振動させて体内を揺さぶる。
次々と行使される高速の魔法行使に、男たちは追いつけずに、ついに大きな隙をさらした。
「よくやったぜ駿!」
文也はそう叫びながら、汎用型CADをつけている左腕の手で右腕を握りこみ、その右腕で自分のポケットを叩く。
「……は?」
その直後、男たちに魔法攻撃の雨が降り注いだ。
『エア・ブリット』がみぞおちに突き刺さり、『幻衝』によるサイオン波が脳を揺らし、移動魔法によってペンが大量に脚に突き刺さり、『スパーク』による放電が麻痺させ、『圧縮開放』による空気の爆発が顔面に襲い掛かる。
そのいくつもの攻撃魔法は、「次々と」襲い掛かったのではない。
「全く同時に行使」され、同時に男たちを襲ったのだ。
駿の常識ではありえない光景だった。加速した思考が霧散し、思わず気の抜けた声が漏れる。
文也は起動したままの汎用型CADのキーを叩いていない。それなのに、全く違う系統の魔法が同時に行使された。
駿が訳も分からず見ている間に、この攻撃の雨により男たちはついに気絶し、戦闘不能となる。それを確認した文也は、歩み寄ると脱出のために窓から外に垂らされていたロープを手繰り寄せて回収し、男たちの服をはぎ取ってパンツ一丁にさせたうえであまりにも醜い亀甲縛りにした。
「ふう、ようやく使えたぜ。まだ俺の力じゃあいつらの『領域干渉』も『情報強化』も破れそうにないからな」
唖然と見ていた駿は、文也がそうつぶやいたところでようやく思考を取り戻した。
男たちの魔法力は、大人と子供の差を感じさせる高さだった。彼らの干渉力に対して、文也と駿の干渉力は手も足も出ないだろう。しかし彼らの反応を上回る圧倒的な速度で駿が魔法で攻勢を仕掛けたことで男たちの魔法防御は途絶え、その隙に文也が攻め切ったのだ。
「俺は……役に、立ったのか?」
駿はそこまで考えて、いつの間にか口から疑問が漏れていた。
絶望的なまでの無力感を味わった。それでも、文也は『よくやった』と言ってくれた。
「おう、お前がいなかったら多分無理だったよ。ありがとな」
文也は立てない駿の前にしゃがみ込み、目線を合わせると、そう言って満面の笑みを浮かべた。