マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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 論文コンペ当日、達也と五十里を中心としてほぼ全校を挙げて協力した鈴音の発表は、聴衆から惜しみない拍手を送られた。

 

(ほえー、やるもんだなあ)

 

 文也はその発表を聞いて気のない拍手を送りながら、心の中で感心していた。

 

 文也は魔法工学や魔法理論に興味はあるものの、ではそれを使ってどう社会の役に立てるか、ということまでは中々知恵が回らないというか、あまり興味がない。自分の目の前にある課題の解決したり、日常をちょっと便利にしたり、そして何よりも魔法で楽しめるようにしたりといった個々人に収束するような話には強い興味を示すが、魔法を使ってエネルギー問題を解決したり、絶大な破壊力を誇る兵器を作ったり、といった大きなアプローチには今一つ関心が向かないのだ。

 

 そんな文也でも、というべきか、だからこそ、というべきか、高校生にして加重系魔法の技術的三大難問に正面から挑みまた現実的なアプローチを示した鈴音の発表には心の底から驚かされた。

 

 同じ加重系魔法の技術的三大難問の一つである汎用飛行魔法を中学生のころに実現して見せた自負が文也にはある。しかし、同じ括りでも汎用飛行魔法と他二つ(重力制御型熱核融合炉と慣性無限大化による疑似永久機関)ではその規模や実現難易度や効果の大きさが全く違う。飛行魔法は突き詰めれば、あれば便利で楽しい、というレベルに落ち着くものだが、残りの二つは先の大戦の原因にもなったエネルギー問題の解決につながるものであり、国家や世界を動かし支える技術になり得る。その点では、実現にはまだ遠いものの鈴音の研究のほうが文也を大きく上回っているといえるのだ。

 

 しかも、達也の入れ知恵が大きいというわけでもなく、あれのほぼすべてを鈴音が取り仕切っていて、達也はサポートしたに過ぎないという。つまり鈴音は、高校生の身で企業などの力を借りずにここまで研究を進めたことになる。

 

(伊達に『一花』じゃないってことか)

 

 あの駿が起こしたトラブルの後に生徒会室に達也と一緒に連れていかれ、そこで鈴音の自己紹介を受けたとき、文也はすぐに彼女の家庭の事情を察した。

 

 彼女の家である市原家は、第一研究所出身である『一花家』だったが、数字落ちしてしまったのだ。『一ノ瀬』と違ってその理由ははるかに深刻なものである。一花家は第一研究所のテーマ通り生体に直接干渉する魔法を習得したが、それはタブーである人体を操る魔法だったために数字を剥奪されたのだ。理由の深刻さは月とスッポンよりも離れているが、同じ第一研究所の数字落ちとして、文也は市原家の事情を知っているのだ。あの時生徒会室で初体面したとき、文也の推薦に反対した言葉のトーンは棘があったので、向こうもおそらく『一ノ瀬』のことを知っているのだろう。

 

 さて、ここまで文也は論文コンペに対して実に他人事な態度だったわけだが、実際に文也にとってはまさしく他人事だった。

 

 魔法工学に強い力を持っているのに論文コンペにも、魔法力も『裏』とのパイプもあるのにここ最近の校内スパイやら呂剛虎(リュウ・カンフゥ)やらのゴタゴタにも、全く関わってないし、何が起こっていたのかも知らない。なんか校内の一部がやけにピリピリしてて騒がしいなあ、という程度の認識しかない。主人公としても見せ場はどちらに行ったのだろうか。

 

 そんな感じで文也はこの論文コンペにはそこまで興味はない。どこの学校もやることがデカすぎて、どうにも興味がそそられないのだ。せいぜいが親友である真紅郎の晴れ舞台を見ておこうくらいの気持ちしかない。

 

 ――そんなやる気のない文也の耳に、突然爆音と振動が届いた。

 

「何事だ、おい」

 

 それは文也の錯覚ではなかったようで、三高の真紅郎たちの発表準備中だった会場には混乱が広がっていた。さらにそのあとには銃声が鳴り響く。

 

 これらの音は聞いたことがある。あの佐渡の地獄で何回も聞かされた音だ。

 

 先の爆発はグレネードの爆発音、銃声は対魔法師用ハイパワーライフルの音だ。ハイパワーライフルは高度な技術で作られた特別なライフルであり、その銃声は普通のものとは少し違うのである。

 

 文也は一瞬のうちにどうするべきか考える。この会場にはあずさと真紅郎と四高の指導教員である文雄がいて、会場警備隊には駿と将輝がいる。「他」は一旦おいておくとして、この五人の安全確保は最優先だ。将輝と駿は警備隊として戦わなければならないだろうし、逃げろと言っても逃げないし、二人とも競技としての戦闘能力だけでなく戦争としての戦闘能力も備わっているので、今この場では置いておくしかない。文雄も引率教員としての責任があり文也がどうこうできる話ではない。よって、文也がここで優先するべきは、戦争としての実践能力があるとは言えずまた今すぐに守ることができるあずさと真紅郎だった。

 

 真紅郎は舞台の上のため離れている。一方あずさは生徒審査員として観客席にいる。暗いホールの中でお互いに背は小さいのだが、審査員席にいることが分かっているためにあずさの場所はすぐにわかった。

 

「あーちゃん!」

 

「ふ、ふみくん! こ、これなに?」

 

 文也から呼ばれて、涙目で混乱していたあずさはすぐに飛びつく。

 

「いいか、落ち着いて聞いてくれ」

 

 文也はあずさの肩に両手を置き、正面から顔を見つめて念を押してからゆっくりと説明する。

 

「今のは、多分グレネードとハイパワーライフルの音だ。そこらの素人じゃない、国家規模の組織がバックにいる連中が、ここに攻めてきている」

 

「え、ええむぐっ」

 

「大きな声を出すな、パニックが広がるぞ。いいか、手を離したら深呼吸をしろ」

 

 驚きで声を上げようとしたあずさの口を手でふさぎ、再度念押しする。すると涙目でこくこくと頷いたので手を離すと、あずさは自分を落ち着かせるように胸に手を当てて何回か深呼吸をした。

 

 ひとまず落ち着いたのを確認した文也は説明を再開する。

 

「多分だけど、もうすぐ突破されるはずだ。入り口をよく見ておけ」

 

「え、でも、正面は生徒から出た義勇警備隊じゃなくてプロの警備隊が……」

 

「どうだか。敵の装備とこの不意打ち具合からして、そう期待はでき――」

 

 ――ねえぞ。そう言おうとしたタイミングで、いきなりホールの複数のドアが一気に開き、そこから武装した集団がなだれ込んできた。

 

 しかし、なだれ込んできた集団は速攻で出鼻をくじかれることとなった。

 

 すべての入り口を警戒していた文也は、まず彼らが何かを言う前に『パラレル・キャスト』で銃口に小さな障壁魔法の蓋をして銃弾が放たれるのを塞いだうえで、内部の火薬の温度を急激に上げて暴発させるオリジナル魔法『ドッガン』を使用して次々と銃火器の使用を不可能にしていく。

 

 さらに、文也が予想外のことに、突入してきた集団はまるで全身に銃弾を受けたかのように次々と気絶していく。あれは見覚えがある、『不可視の銃弾(インビジブル・ブリット)』だ。しかし九校戦で使われていたような単発の疑似弾丸ではなく、一瞬にして全身に点で圧力を加えて倒している。さしずめ、銃弾ならぬ散弾だ。

 

 文也が横目でちらりと確認すると、油断なく入り口を睨みながらも文也に自慢げにサムズアップしてみせる真紅郎が舞台の上に立っていた。いつのまにかあそこまで成長したのだろうか。文也は親友の急激な成長に驚き、そして喜んで口角を上げて笑い返した。

 

 そして出鼻が見事にくじかれた侵入者たちのうち、かろうじて戦闘不能にならなかった一団は、この中で一番ひどい目に遭う。

 

「ぎゃあああああ!!!!」

 

 男たちの悲鳴が木霊する。魔法を使わずに持ち前のの運動能力で人込みをかき分け一瞬で侵入者に接近した達也が、手刀で侵入者の体を切り裂いているのだ。

 

(えっぐ……)

 

 文也はその仕組みを少し遅れて理解した。

 

 文也は達也が分解魔法だけならばかなり使えることを、あの九校戦会場についた日の夜に知った。『分解』は強大かつ超高難度な魔法であり、その才能を持って生まれたがゆえに「普通の」魔法は凡庸かそれ以下で二科生に甘んじてしまっているのもなんとなく察している。

 

 達也が今使っているのは、まさしく分解魔法だろう。手の側面に触れたら分解するような仮想領域を作って、触れた部分を分解してあたかも手刀で切り裂いているように見せているのだ。文也はややヒいた一方で真似してみたいとも一瞬で思ったのだが、『情報強化』以外に構造情報を知覚できないのですぐに諦める。

 

 こうして、ホールに不意打ちで突入したはずの「プロ」であろう兵士の集団は、たった三人の高校一年生によりなすすべもなくお片付けされてしまった。

 

 血を流して倒れ伏す兵士を見て眉を顰める兄を見てその血を深雪が止めている――なんとも呑気でありながらずれたやり取りである――間に、舞台から降りてきた真紅郎が達也に話しかける。

 

「えっと……今のは『分子ディバイダー』? 文也から教わったのかい? ならこれからは使わないほうがいいよ。アメリカになにされるかわからないから」

 

「…………ご忠告どうも」

 

 達也は緊急時だというのにさらに気が抜けてしまう。

 

 彼から見れば真紅郎が勘違いするのも無理はない。達也がやったことはまさしく『分子ディバイダー』のようだし、先ほどの発表内容もその魔法に使われている式のアレンジが目玉だし、そもそも文也が先の九校戦で使っている。勘違いの理由はそろっているのだ。

 

 真紅郎は、九校戦中は文也が『アイス・ピラーズ・ブレイク』で使用した切断魔法の正体がわからなかったが、帰ってから調べて戦慄し、すぐに文也に電話した。その時に「ほんまどないしましょうかしら、おほほほほほ」と狂った返事が返ってきたのが大変印象深い。

 

 そんな気の抜けたやり取りもあったわけだが、それは実にごく一部であり、この場にいるほぼ全員はパニック一歩手前だった。

 

 そして達也率いる数人の集団が出て行ったあと、ひと際大きな爆発音が鳴り響いた時、群衆の精神は決壊し、集団パニックが起きた。

 

 怒号と悲鳴と泣き声、大勢が冷静さを失い逃げようと走り回り、または混乱のあまりにうずくまる。そのカオスは、あと少しもしないうちに多数の死傷者が出る事態に間違いなく発展してしまいそうだった。

 

 そしてその様子を見ていたあずさは、どうしていいのかわからず、ただ立ち尽くすしかできなかった。

 

 そんなあずさを見た真由美は、あずさにしかできないことをさせようと声をかけようとした。

 

「あーちゃん、まずは落ち着け」

 

 しかし、あずさのそばにいた文也が、あずさを抱きしめ、その顔を自分の胸に埋めさせ、背中をさする。

 

「ふ、ふみくん、わ、私、どうしたら……」

 

「なーに、決まってんだろ。今この状況を抑えられるのは、あーちゃん、お前しかいないよ」

 

 か細い声で問いかけるあずさに、文也はその耳元で答えを示す。

 

 具体的に何をするべきか言われたわけではない。しかし、今この状況で「自分にしかできないこと」と言われたら、あずさには一つしか思いつかなかった。

 

 しかしそれは、強く禁止されていることでもある。そのことを強く認識しているあずさは、そんな場合ではないと思いつつも、ついためらってしまう。

 

「大丈夫だ。今この状況なら、使っても許されるさ。なんか文句言うやつがいたら、俺が守ってやる」

 

 そんなあずさに対し、文也はより強く抱きしめ、穏やかな声で背中を押す。

 

「そうだろ、元会長さん」

 

 何者も立ち入ることができない雰囲気を出していた二人を思わずただただ見ていた真由美は、いきなり声をかけられ、はっと意識を取り戻す。

 

「え、ええ……大丈夫よ。七草の名前の下で承認するわ」

 

「だってよ、あーちゃん」

 

 そうした二人の会話を聞いていたあずさは、文也の背中に回していた手をゆっくりと解き、首に下げているロケットペンダントを手繰り寄せて服から出すとそれを両手で包み、ぐっと強く握りながら、強く目をつぶる。抱かれながらなので周りからは見えないが、それは祈るような姿勢だ。

 

 そのロケットペンダントはCADだ。あずさだけにしか使えない魔法専用のCADで、それは小学生のころに文也から誕生日にプレゼントされたもの。

 

 貰ったあの日以来、外出の際は常に身に着けている、自分の半身に近い存在だ。

 

 そのペンダントはたった一つの魔法を使用するための専用CADで、スイッチや照準補助などの機能はすべて排除されている。

 

 ただ一つの魔法を使うためのCAD。

 

 文也からプレゼントされたこのCADは、まさしく『マジカル・トイ・コーポレーション』の得意分野だ。

 

 失敗の心配もない。不発の心配もない。

 

 誰よりも信頼している人が、一番得意な分野を振るって組み上げたものなのだから。

 

「さあ、あーちゃん、見せてやれ」

 

 文也から小さく囁かれ、背中をポン、と軽くたたかれる。

 

 それを受けたあずさは、文也の胸の中で小さくうなずいてから、深く息を吸い込んで、ペンダントにサイオンを流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、中条あずさにしか使えない情動干渉魔法『梓弓』が発動した。

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、真由美は、あずさの手に突如として神秘的な黄緑色の光でできた、小さな彼女に不似合いな大きな弓が現れるさまを見た。あずさはその弓を上に向けて高く構えると、きゅっと口元を結んで弦を引き……指を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざわめくホールの中でも、その弦が鳴らした清澄な小さな音は、文也と真由美の耳に良く聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピィーン、ピィーン、ピィーン

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、大きくなった弦の音が何回もホールの中に響き渡る。

 

 実際の音が鳴っているわけではない。

 

 プシオンの波動が大パニックに陥りかけた群衆の「魂」と言える部分を直接震わせる。

 

 人々の意識はその澄んだ音に惹きつけられ、先ほどまでの騒ぎが嘘のように収まる。声も、身動きする音も一切なくなった中、人々はただただ魂で『梓弓』の音を聴こうとした。

 

 たった二秒。その一瞬で、このホールに満ちていたパニックは収まった。

 

「…………ふぅ……」

 

(……ほんと、あーちゃんはすごいな)

 

 いつの間にか弓を天に向けていた姿勢から文也に抱きしめられた状態に戻っていたあずさが、胸に手を当てて一息つく。群衆がパニックから呆けた状態になったのを見逃さずに真由美が堂々と状況を説明するのを聞き流しながら、文也は胸の中でリラックスしているあずさを見て、ただただ感動にも似た感心をした。

 

 あずさは魔法を発動してから、実は一度も姿勢を変えていない。ずっと文也に抱かれ、顔を胸に埋めたままだった。

 

『梓弓』の音はプシオンを震わせた幻聴だったわけだが、実はあずさの手に大きな光の弓が現れ、それを天に向けて弦を引いて離した、という一連の動作も、文也と真由美が『梓弓』によってプシオンに刺激を受けたことによる幻覚だった。その効果をよく知っている二人ですら、『梓弓』からプシオンに受ける影響はすさまじく、その効果を至近距離で受けたがために、そのような幻覚を見たのだ。特に精神干渉系魔法が得意ではない文也は、事前に知っていたところで耐性がつくはずもなく、より鮮烈に、より鮮明に、幻覚が見えた。

 

「よくやったな、あーちゃん」

 

「えへへ、ありがとう」

 

 文也はあずさの背中から腕を解いて解放し、代わりにまだペンダントを握っている両手を自分の両手でやさしく包む。それを受けて、あずさは柔らかい笑みを浮かべてお礼をした。

 

 この『梓弓』専用のCADは、小学生の頃に文也がプレゼントした、初めて他者に向けて自作した本格的なCADだ。もともとたった一つの魔法のためだけの専用CADを作るのは得意だった文也は、幼少のあずさがうっかり漏らした彼女だけの『梓弓』のための専用CADをプレゼントしようと考え、長い長い苦労の末に作り上げた。

 

 父親や『マジカル・トイ・コーポレーション』の技術をフル活用して作ったそれは、小学生が初めて他者に渡す目的で自作した本格的なCADとしては破格の性能で、当時としては最先端と言える性能だった。

 

 しかし技術界の進歩は目覚ましい。そのあとから出てきた『トーラス・シルバー』や本格的に活動を活発化させた『マジカル・トイ・コーポレーション』や彗星のごとく現れたカーディナル・ジョージ、彼らに触発されて奮起した他の企業や研究者の切磋琢磨により、ここ三年間の進歩は特に目覚ましいものだ。

 

 そうした流れの中でこのCADはすっかり「時代遅れ」なものになってしまっていた。世界で一人だけしか使えない絶大な効果がある魔法に対してその性能は不釣り合いとみなされてきたために、百パーセントの善意によって新たなCADを提供しようという提案は幾度となくあった。そしてそれを、あずさはかたくなに拒んできたのである。

 

 久しぶりに会って、まだそのペンダントを使ってると知った時、文也は驚いた。文也からすれば、そんな時代遅れの産物は思い出としてしまっておいて、実用的な最新のデバイスを使っているものだと思っていたからだ。

 

 まだ使っているとことを「当たり前」と言われたとき、文也は嬉しさとともに、申し訳なさがこみあげてきた。

 

 自分がプレゼントしたものをずっと大切に使ってくれていたのは嬉しい。しかし、あずさは自分との思い出を守ることを選択して、最新型に切り替えるのを拒んできたということがその瞬間に分かったのだ。

 

 だから、文也はこの夏休みに、あずさのそのCADをいったん返してもらい、今自分が持てる全ての技術を使って、見た目はそのままに中身を改良した。さらに『梓弓』の起動式も、あずさの了承を得たうえで、より効率的に、より彼女が使いやすいように改良した。研究機関が組み立て日々改良してきた起動式もやはりかなりのものだったが、あずさを深く知る文也は、「普通に使いやすい」ようになっていた起動式を「あずさが使いやすい」ように改良したのである。

 

 その効果は大きかった。

 

 文也が最初に使っているところを見たのは、お互いがまだ小学中学年のころ、『マジカル・トイ・コーポレーション』のツテで見学が許された研究所の一般人立ち入り禁止エリアに約束を破って忍び込んだ時に、そこの実験室でたまたまあずさが『梓弓』の研究に協力しているのを見たときだ。

 

 そして最後に見たのが、あずさが小学六年生、文也が小学五年生のころ、このペンダントをプレゼントしたときだ。CADを受け取り、こっそり実際に使ってみたときのことである。

 

 そのころはまだあずさも大変未熟で、今これほどの規模の混乱を収めるとしたら、数十秒はかかっただろう。

 

 今のあずさが研究機関から提供されたCADと起動式を使えば、三秒と少しで済むだろう。

 

 そして、今実際にあずさが文也によって改良されたCADと起動式を使った結果、二秒で群衆は落ち着いた。しかも干渉力も高くなっており、プシオンも高い抵抗力を持つ真由美ですら、至近で受けたといえど、幻覚が見えるほどの影響を受けたほどだ。周りはパニックになっていたからあずさを見ていなくて気づいていないだけで、文也や真由美だけでなく、見ていた者は皆あの幻覚が見えたことだろう。

 

 文也はそのあずさの活躍を讃え、彼女のふんわりとした髪に小さな手を入れ、ゆっくりと頭を撫でる。

 

 頬を染めた小さな少女は、自分よりも小さな少年の手を、穏やかな笑みで歓迎した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真由美の言葉を、聞き流していただけであって、別に二人とも聞いていなかったわけではない。

 

 真由美から群衆に示された選択肢は二つ。この危険地帯から脱出するためにこの会場を出て陸路で瑞穂埠頭に向かうか、この会場にもつながっている地下通路を通じて駅の地下シェルターに避難するかだ。

 

 あずさが生徒会長として決断した一高の選択肢は地下シェルターへの避難だ。

 

 敵ゲリラも地下シェルターと地下通路の存在を知っていることは容易に予測でき、逃げ場のない地下通路では間違いなく遭遇戦になることも予測できた。さらに言うと、遭遇戦を想定した文也の提案を受けて克人の指名で駿と沢木と範蔵は同行してくれることになったが、ほかの「戦力」として頼りになるであろう達也や深雪やその友人、三巨頭、五十里や花音は各々の事情で同行せず、予測される遭遇戦のための戦力は安心とは言い難い。

 

 それでもシェルターへの避難を選択したのは、道が限られている分ほかの逃げ道はなくなるが、代わりに大人数を管理する上では楽になるというのが一つ。それと仮に脱出を選択したとしてもこれだけの人数では全員脱出するまでにどれだけ時間がかかるか予測できず、それなら安全なシェルターに避難するほうが「一人も死なない」という点では可能性が高いと見たからだ。

 

「おい、ジョージたちはどうする?」

 

 あずさによる一高の決断が終わった瞬間、それをサポートしていた文也は、仕事は一旦終わったとばかりにさっと離れて、方針会議をしている三高の集団の中にいた真紅郎に問いかけた。

 

 あずさはひとまず地下シェルターに行くことが決まった。それには文也も同行するし、ほかの生徒は別としてあずさだけならば確実に怪我無くシェルターに連れていける自信はある。また警備隊だから地上戦に参加して離れることになるだろうと心配していた駿も同行することになったのは幸いだった。

 

 それならば、もう一つの文也の手が届く懸念事項は真紅郎だ。できるならば一高と一緒にシェルターへの避難を選択してくれるのが望ましい。そう思って、こうして聞きに来たのだ。

 

「多分だけど、僕らは陸路を通じての脱出を選ぶと思う。将輝も合流してくれるってさっき連絡があったし、それに伊達に『尚武』を名乗ってないからね」

 

「そうか……」

 

 じゃあお前だけでもついてこいよ、とは言えない。そうするには真紅郎の立場があまりにも高すぎるのだ。

 

 それでも真紅郎が死ぬ危険性があるなら強引にでも連れて行っただろう。文也が認めた理由は、真紅郎の力が想定よりも格段に高くなっていたから、将輝が同行するということが決まっているからの二つだ。三高の魔法実技という名の訓練の苛烈さは(主に愚痴として)二人から聞き及んでもいるため、総合戦力で言えばもしかしたら一高のシェルター避難組よりも頼りになるだろう。

 

「わかった、じゃあ、死ぬなよ」

 

「うん、お互いにね」

 

 そう声を掛け合い、二人は離れる。

 

 次に確認をしに行くのは四高の引率教員としてきている父親・文雄だ。

 

 そう思ってあらかじめチェックしておいた四高が集まっている場所を見ると……そこでは、あずさと文雄が真剣な顔で何かを話し合っていた。

 

「おう、なにしてるんだ?」

 

「おう、文也。なに、うちも地下通路を通じて避難することになったんでな。一高と協力していこうってことであずさちゃんと話してたんだ」

 

「人数は多くなっちゃうけど、同じ学校同士で一緒に行動した方がいいと思って」

 

「なるほど、そいつは僥倖だ」

 

 九校戦で活躍はしていたものの全体として魔法力自体はそこまで高くない四高の生徒たちが合流するというのはやや不安だが、それを補ってなお余りあるほど頼りになるのが文雄だ。

 

「あれは持って来てんのか?」

 

「おう、最近何かと物騒だから持ち歩いてるぜ。例のあれも近々届くぞ」

 

「おっけー、じゃあ行くとするか」

 

 他の学校や一般人も続々方針が決まったようで、各々が動き出す。

 

 穏やかに進むはずだった論理と知恵の大会が、暴力によって滅茶苦茶にされてしまった。

 

 そしてそこに集まった者たちは、危機を回避すべく、またはそれぞれの目的をもって、ついに全員が行動を開始した。




メインヒロイン・あずさの最大の見せ場だったわけですが、原作とアニメでは描写が違ったのでどう書くべきかかなり迷いました

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