一高と四高の生徒ほとんどと教員、それに一般人を加えた地下シェルター避難組の人数は120人ほどだ。これだけの大人数を取りこぼしがなく進めるためには、必然的に歩みが遅くなる。集団のしんがりを務める文雄が頼りになる見た目と堂々とした態度、それに的確な判断力とはっきりと通る声で遅れそうな人たちを上手く進めているが、それでも中々目的地まではたどり着けなかった。
その遅れが災いして、すでに地下通路に侵入していたゲリラ集団と遭遇戦に突入してしまう。
しかし、遭遇戦に突入した、と言うにはあまりにもその展開はあっけない。
先頭で行く道を警戒していた四高の狩野が『視覚同調』で武器を抱えたゲリラの接近を察知した。その知らせを受け取った文也と駿と沢木は、まだ自分たちの存在が認識されてないと思い込んでいるゲリラたちに逆奇襲を仕掛け、避難組のメイン集団が接敵する前の段階で小数対小数の戦闘に持ち込むことに成功する。
ゲリラの人数は十数人で、三人で挑むには心許ない。しかし、逆奇襲は見事成功し、それで攪乱している間に後から参戦してきた生徒や教員たちによって逆に数的有利を確立し、一人も死傷者を出すこともなく一方的に倒すことができた。120人という数は一斉に移動するにはあまりにも多すぎるが、戦力としてみるには、奇襲ゲリラ相手には過剰と言えるほどに頼りになるのだ。
また後方からも奇襲があったが、しんがりを務めていた文雄が超人的な聴覚で近づいてくる不穏な足音を察知して、こちらも逆奇襲を仕掛けた。突然目の前にあまりにも不穏なモノを担いだ筋肉質の大男が現れてきて、ゲリラたちは当然錯乱し、その間に文雄によってほとんどが比喩もなく「叩き潰され」た。
文雄が武器として使ったのは、先端に大きな棘付きの鉄球がついた鉄棒、モーニングスターだ。普段は分解して持ち歩いているのだが、こうして戦闘になると組み立てて武器として使う。接合部分は複雑にかみ合った電磁石ロックであるため、一本の鉄とまではいかないが、組み立て武器としては破格の強度を誇る。
ようやく錯乱から復帰したゲリラは、そのモーニングスターを防ごうと強固な対物障壁を展開する。克人やほかの一流魔法師ほどでないにしろ中々強度の高い対物障壁で、いかに重い鉄の塊を鍛え上げられた大男が振るおうとも、普通ならば壊すことができない強度だ。そう、普通ならば。
文雄が振るったモーニングスターは対物障壁に触れた瞬間まばゆい輝きを放ってすり抜け、その向こうにいるゲリラ兵の頭を強化ヘルメットごとたたき割った。鮮血と頭の中身が地下道の壁や床、そのそばにいたほかのゲリラたちや文雄に飛び散る。
そんなあまりにもグロテスクな惨劇を起こした張本人は、返り血や頭の中身でその身を染めながらも、一切躊躇することなくさらに凶器を振るう。その顔は目の前の惨劇に青ざめてもいなければ、戦闘という死地にひるんだ様子もなければ、戦闘時の冷酷な無表情でもない。大きな口の口角を吊り上げて「嗤って」いた。
息子にも遺伝した笑い方。体が小さく童顔で目つきが悪い文也がやれば「悪戯っぽい」笑みになり、快活な大男である普段の文雄がやれば「頼りになる大人の男」の笑みとなる。
しかし、それはあくまで平時の話だ。
自らの手で叩き潰した男の返り血と頭の中身で身を染めながら自分たちに凶悪な武器を躊躇なく振るう大男が口角を吊り上げて嗤っている様は、まさしく悪鬼羅刹のようだ。
ゲリラたちは文雄に銃口を向け、マシンガンを連射する。戦い方からして魔法を使う様子はないし、腕につけている汎用型CADも起動している様子はない。魔法師ではあるのだろうが魔法を使う様子はなく、また防弾チョッキなどをつけずに十月の暮だというのに薄着姿なので、いかに恐ろしかろうと銃弾の雨で殺してしまえる。そう判断してのことだった。
しかしゲリラたちの期待は裏切られる。銃弾の雨は文雄に当たることなくその手前で見えない壁にはじかれ、そのまま文雄は接近して大きくモーニングスターを振るって数人をまとめて壁にたたきつける。
そのまま、後方からの奇襲を画策したゲリラたちは、たった一人の薄着の大男によって見るも無残な姿で全員が命を散らした。
「やれやれ」
全員を無力化したことを確認した文雄は、そう言って一息つくと、モーニングスターの柄を握りこんでサイオンを流し込む。すると、体や服、武器についたゲリラたちの血や肉片や体の中身が文雄から剥がれ落ちた。
――文雄のモーニングスターは、ただ組み立て式と言うだけでなく、彼自身で自作した武装一体型CADである。
しかもこの世に数本もないといわれる、武装一体『汎用型』なのだ。
柄の握り方や流されるサイオン波のわずかな波形や大きさの違いを読み取って登録されている魔法が発動される仕組みになっており、搭載されている魔法は普通の汎用型と変わらず系統種類の制限なく100個もある。武装としての持ち運びやすさや丈夫さを大きく考慮しなければならず、またテンキーを押すだけの従来のと違って細かな柄の握り方やサイオン波の違いを読み取る機能を搭載しなければならないため、普通の汎用型CADに比べたら魔法行使の性能は全体的にやや劣る。いや、これだけのことをして「やや劣る」で済むのは文雄自身の技術力のたまものだ。
また棘付き鉄球の部分はサイオンが吸着しやすい刻印魔法が施されており、そこに状況に合わせた魔法を行使することで真価を発揮する。
例えば先ほどの障壁魔法を破った時の場合では、鉄球部分に二段階の魔法が施された。
まず障壁に触れるまでは、鉄球部分は高密度のサイオンを大量に纏い、障壁に触れた瞬間に『術式解体(グラム・デモリッション)』となって魔法を破壊する。
その直後には加重系魔法と加速系魔法が同時に行使され、一瞬のうちに重さと速度が増幅し、大砲にも勝る威力で強化ヘルメットごとゲリラの頭をたたき割った。
またこのモーニングスターに魔法を施すだけでなく、普通のCADとしても使用が可能であり、マシンガンの銃弾を防ぐための障壁魔法や体についた『汚れ』を落とす魔法も使える。これこそ真の意味での『武装一体』型CADであると言えよう。
これが佐渡では見せられなかった文雄の本来の戦い方であり、文雄にしかできない戦い方である。
武装一体汎用型CADは世界に数本とないが、その理由は、技術的な難度の割には実用性が低いからだ。
CADとはまぎれもなく超精密機械であり、武装として使うだけの丈夫さを確保するには単一の魔法に特化するぐらいの単純さに収めないといけない。そうした技術的な難点を乗り越えても、武装としてもCADとしてもすべての面において性能や使い勝手は従来のものに劣るため、実用性は低い。不可能かつ不用だから、開発を試みられることすらされずに作られず、数が少ないのである。
しかし、文雄はそれを成し遂げ、自分にとっての一番の戦法とすることに成功した。
特異な技術力でCADとしても武装としても従来のものに大きく負けない程度まで進化させ、さらに魔法の使い分けを少ない動作でできるようにして、加えて恵まれた体格をさらに鍛えてそれを振るう力も身に着けた。
握り方やサイオン波で発動魔法を分けることができるほどのセンサーを開発し、さらにとっさに一番持ちやすい握り方から変えても満足に振るえるように鍛え、とっさにサイオンを流しても正しく魔法を選べるだけの精密なサイオンコントロール能力を獲得した。それだけの困難を乗り越えて、文雄はこの力を手に入れたのである。
『前方クリア。後ろなんかあったか?』
「たった今全部潰したとこ」
最前線で接敵したらしい息子から携帯端末に通話が届く。それに対し、文雄はまるで何もなかったのように元の集団に戻りながらそう返事をした。
☆
「ようやくだな」
「そうだね」
短いようで長く、長いようで短かった地下シェルターへの大移動がようやく終わった。後方で警戒に当たる文也とあずさが話しながら振り返る先には巨大な鉄のシェルタードアがあり、その端では文雄が開けてくれるよう中にいる先客の避難民に交渉している。
結局一人の死傷者も出ずにここまでたどり着くことができた。あとは警戒するべき方向は後方のみのため、よっぽどのことがない限りこれ以上の被害は出ずに済むだろう。
あずさがそう思っていた矢先――そのよっぽどのことが起きた。
まず、警戒していた後方に、大型の銃を携えたゲリラたちが姿を現す。それに対して心の準備をしていた後方警戒担当たちの対応は優秀で、すぐに目につく限りの銃器を次々と魔法で無効化していく。
そしてその直後、突如として地下通路中を揺るがす轟音と振動が響いた。
「地震か! 運が悪い!」
文也の近くにいた範蔵がそうこぼしながら、天井が崩れてこないか警戒しつつ、ゲリラたちに魔法を浴びせる。
あずさもそれを聞いて、間の悪い地震だと思った。
しかし、文也は違った。
そそくさと範蔵の後ろに隠れると、携帯端末を取り出して何やら操作し、画面を見て目を見開いた。
「おい、直立戦車かよ!?」
それを聞いたあずさは耳を疑った。しかし、文也がこんな場面で意味不明な冗談を言うはずではないこともよく知っている。
ここまでの流れや文也の発言を推察すると、あまりにも都合が悪すぎる地震は、実は地震ではなく、直立戦車によるものらしい。文也はどうやったのかはわからないが、不可解な地震をいぶかしんで地上の様子を確認し、自分たちの真上に直立戦車がいることを確認したのだろう。
地下シェルターに入る直前にゲリラが無茶ともいえる襲撃をしてきて、そのタイミングで直立戦車によるこの振動。では、この振動の目的は?
「頭をかばって伏せてください!!!」
あずさがそこまで考えたところで、同じく後方警戒に当たっていた廿楽が大声で叫ぶ。ちょうどぴったりゲリラたちの無力化が終わったタイミングでひときわ大きな振動が響き、ついに地下通路の天井は崩れてくる。
「くっ!」
文也はとっさにあずさに飛びついて押し倒し、自分の身を被せて守ったうえで、体中に仕込んだCADで何種類もの防御魔法をとにかく展開する。
しかし、いくらなんでも大量の巨大な瓦礫の落下から身を守ることはできない。
「ふみくんっ!?」
自分の名前を体の下であずさが悲痛な声で叫ぶのを聞きながら、文也は無力感に襲われる。
思い出すのは、三か月弱前のこと。『モノリス・コード』新人戦で、反則攻撃によるビルの崩落で親友である駿が大けがを負った時のことだった。
あの時は自分には何もできなかった。あとから治療を施したりはしたものの、力が及ばず未然に事件を防ぐことはできなかった。
あの時は幸い死人は出ていない。しかし、この状況では、大怪我だけでなく死は免れないだろう。
「文也!」
大声で自分の名前を呼ぶ駿の声が聞こえてくる。駿はとっさにクイック・ドロウでCADを抜き、文也に向けて魔法を行使している。そのCADはいつも彼が使っているものではなく、先日川崎に行ったときに返そうとされたがせっかくだしということでそのままプレゼントした、障壁魔法専用のCADだ。
(あのバカっ!)
文也は内心で毒づく。あの時も駿はすさまじい反応速度で魔法を行使したが、守ったのは自分ではなく同級生たちだった。結果、自分だけが大怪我を負ってしまったのである。
そして今回も、駿はもうすぐ真上の天井が崩れるであろう自分ではなく、今まさしく瓦礫が振ってきている文也を守ろうと魔法を行使したのだ。
崩落の範囲は、間違いなく駿も巻き込む程に広い。これだけの量の瓦礫が降ってくるとなると、駿と文也の干渉力では何も効果が出ないだろう。
終わった。
今までにない絶望感と無力感に襲われた文也は、それでも本能で魔法を維持しながらも、これからくる痛みに恐怖して、ぎゅっと瞼を強くつむる。
俺は死んでもいい。願わくば、大切な人だけはなんとか生き延びてくれ。
そう祈って、カタストロフィーを文也は受け入れた。
その様子を目を見開いて見ていた駿は、文也が諦めたという光景以上に、信じられない光景を目にした。
ついに一気に崩落した天井は、しかしそのまま落下することなく、なぜかアーチ状になっている。お互いの重さを支えあい、絶妙に崩落をしないでいるのだ。
それでも、いち早く落下を開始した文也の真上から降ってくる瓦礫はそれに影響されることなくそのまま落ちていく。大きな瓦礫ではないが、駿が展開した障壁魔法を一瞬で破る。しかしその下には文也が展開した多数の防御魔法があった。『減速領域』で減速し、落下のベクトルを横にする魔法の影響を受けるほどに減速していたために落ちる角度が少しずれ、最後に魔法障壁をなぞるようにして転がって文也からズれ、そして地面に落下した。
――駿は、その光景を時が止まったように見ていた。
同じく、時が止まったような錯覚をしていた文也は、いつまでも意識があることを不思議に思い、恐る恐る目を開け、ゆっくりと振り返って天井を見て、アーチ状に組みあがった瓦礫を見て目を見開いた。
そこからの文也の反応は迅速だった。
(何が何だかっ!)
わからない。しかし、何があろうと生き永らえたのだ。そのチャンスを無駄にしてはいけない。
文也は、唖然として涙をぽろぽろとこぼすあずさを抱えると、魔法で加速しながらその場を離れてようやく開いたシェルターの中に飛び込む。それに少し遅れて、十三束がうずくまる女子生徒を回収してシェルターに戻ってきた。その直後に石のアーチは崩れ、間一髪のところで全員が助かった。
「はああああああああ、よかった…………」
文也は途端に全身の力が抜け、そう漏らして固い床に倒れこんだ。
冷たい床の感触を受けて少しずつ冷えた頭で今起こったことを振り返る。
ようやく合点がいった。あの天井の崩落を防いだのは、廿楽の『ポリヒドラ・ハンドル』だ。
(さすが、天才教授サマだぜ……)
文也はそんなことを考えながら、極度の緊張から解放されたせいか、そのまま意識を手放した。
☆
文也が目を覚ましたのは、それから数十分後のことだった。
気絶するように意識を手放したものだから、目が覚めてしばらくは何があったのかわからなかった。いつも寝ているベッドやカーペットを敷いた床の感触ではないということをまず感じる。背中に伝わるのはもっと寝心地が悪い、まるで固いタイル床の上に毛布を敷いただけのような感触だ。
何があったのか。今一つ合点がいかないまま、文也はとりあえず目を開けた。
「ふみくんっ!」
「目が覚めたか」
真っ先に認識したのは、自分の顔を覗き込んでいる二人の親友の顔と声だった。そしてその瞬間、なぜ今こうなっているのか、すべてを思い出す。
「……運がよかった。本当に、運がよかった。廿楽センセのおかしい頭に乾杯だ」
地下シェルターを目前にしてからの流れは、文也が人生で味わった中でも一番の危機だった。
まず間違いなく、廿楽がいなければここにいるほとんどが、良くても重傷、普通ならば死んでいただろう。彼が天才的知能を持っていなければ、彼が魔法幾何学に興味を持たなければ、さらにそれを研究する道に進まなければ、彼がその魔法を実行する力がなければ、彼がもっと協調性があったら、彼が一高に配属されなかったら、彼が引率教員ではなかったら……どれか一つでもボタンが掛け違っていたら、大惨劇が起きていたことになる。
また、廿楽がいただけでは文也がこうして怪我無くいれることにはならなかった。
「駿……もっと自分のことを優先してほしいもんだけどよ……今回はほんと助かった……」
「お前に言われたくはないがな」
文也は駿に心の底から感謝をした。それに対して駿は照れ隠しと本音が半々になった皮肉を返す。
駿が使ったCADに文也が入れていた魔法は、障壁魔法ではあるのだが、少し特殊な性質を持つ。
普通の対物障壁魔法は「移動速度をゼロにする」というマイナス加速系――減速系と言った方がはるかにわかりやすいし世間でもそういわれているが、定義としての分類上はそう呼ぶ方が正しい――の領域魔法である。
一方、文也に与えられて駿が使った魔法は、マイナス加速系であるのには変わりないが、「移動速度を一瞬でゼロに近づける」という改変が定義されている。
結果としてはほぼ変わらないのだが、普通の障壁魔法が「直接ゼロにする」のに対してこの魔法は「だんだんゼロにする」ものであり、同じ結果を導くにしても、必要干渉力はこちらの魔法のほうが少なくなる。結局のところただの『定率減速』や『減速領域』の亜種なわけだが、その効果が今回は幸いした。この魔法は『減速障壁』として障壁魔法の歴史の中でも初期に開発されており、初心者向けの障壁魔法として普及している。
普通の対物障壁魔法なら、駿の干渉力ではあの落下してくる瓦礫を防ぐことができなかった。結局のところ駿はこの『減速障壁』でも瓦礫を防げなかったわけだが、それに付随する結果は違う。
普通の対物障壁魔法ならば、駿の干渉力を超えたあの瓦礫の落下に対して、本当の意味での『無力』であり、なんの効果も及ぼさない。しかし『減速障壁』に触れた瓦礫は、干渉力が不足していて速度がゼロにはならなかったが、ほんの少しだけ減速したのである。自由落下というのは落下距離に応じて加速していくものであるため、間にほんの少しの減速が挟まるだけでも、文也の防御魔法に届くころの力の差は大きくなる。
結果、そのおかげで現象としての干渉力が弱まった瓦礫の落下に対し、文也の魔法はしっかりと働いた。『減速領域』で速度を落とし、落下を跳ね返したり止めたりするのではなく落ちる角度をズらす領域魔法によって少しだけズらし、上方向に膨らむように展開した「自分がいる方向への移動速度をゼロにする」という改変を定義された対物障壁魔法の上を先の魔法の効果も相まって滑っていくようにした。結果、瓦礫は、文也もあずさも傷つけることなく、その横に轟音を立てて落下したのだ。
文也の干渉力では、間違いなく駿の魔法なくしては防ぐことができなかった。もしかしたら、という可能性すら考慮することはない。なぜなら、文也は自分の干渉力の限界というものを常人よりもより正確に認知しているからだ。
「よかった……本当に、よかった……」
文也は起こそうとした体を再び床に投げ出し、心の底からつぶやいた。そんな文也の顔を見たあずさと駿は、思わず驚きで息を呑む。文也の目からは、涙がこぼれていたのだ。コントロールされることない涙は文也の目からあふれ、こめかみや耳元を伝って頭の下に敷かれた毛布にしみこんでいく。
文也はとても感情的な男だが、一方で性格はどこまでも図太く、感極まって涙を流すということはあまりない。少なくともあずさが最後に見たのは駿が九校戦で大怪我をした時で、そのひとつ前は小学生の頃にちょっとしたことで喧嘩したときだ。それでも流れた涙は少しで、ここまであふれ出るようなことはなかった。駿も、文也のこうした涙は見たことがない。
命が助かった安堵というのは大きい。しかし、二人は、文也の涙の理由が、文也自身の命が助かったから出ないことが分かった。
文也は、あずさと駿が助かったことに、心の底から涙しているのだ。
文也は流れる涙をぬぐうことなく、あずさと駿の手を強く握り、嗚咽を漏らす。
それに対して、二人はそれぞれ、自分はちゃんとここにいると示すように強く握り返す。そして、あずさは空いた手でハンカチを取り出し、文也の涙を優しくぬぐい取った。
☆
「よーし、じゃあそろそろやろうかね」
しばらく泣いた後、文也はいつもの調子に戻ってそう言った。ただし、泣いてしまった気恥ずかしさを隠すためか、声のトーンはいつもよりも高い。
「え、何を?」
さっきまでのしおらしさが霧散していきなり訳の分からないことを言う幼馴染を見て、あずさは目を丸くした。
地下シェルターに避難さえしてしまえば、あとは一般市民であるあずさたちにできることはない。せいぜいがシェルター内の人々の怪我や心の具合を見たり、食料配分や役割分担を決めたりといったことしかないだろう。しかしそれも文也が気絶している間に教職員を中心とした大人や上級生たちがおおよそ終えているので、わざわざ文也が気合を入れて何をするのか見当もつかなかった。
「んー、いや、あーちゃんは関係ないかな。こっからは俺と親父の話」
そんなあずさの問いに、文也はそう答えるが、結局「何をするか」がわからないままだ。文也は、隠しているのではなく、説明する必要が無いから無意識に省いてしまったのだ。
半目でじっと見てくるあずさを見て、文也は自分の過ちに気づき、すぐに補足説明をした。
「とりあえずあーちゃんたちの安全確保はできたし、もう大丈夫かと思ってさ。これから地上に出て、義勇軍に参加しようと思って」
「え、ええ!?」
文也の答えに、あずさは目が飛び出んばかり驚く。そんな会話をしている二人のそばに、一仕事終えた文雄がやってきた。
「おう、文也。ある程度準備も整ったし、そろそろいくぞ」
「おっけー、じゃ、あーちゃんと駿、こっちは任せたぞ」
「待って待って待って!!!」
複数ある内の一番小さな出入口へ歩き出そうとした二人に対し、あずさは慌てて制止する。
「せ、せっかくここに避難できたんだし、民間人のふみくんたちが行くことないよ! 危ないし、ね? ここで救助がくるのを待ってよ?」
「それもそうだけどよ、なんか地上の様子見てるとどうにも不安でさ。それにマサテルとジョージが心配だし」
「あずさちゃんが心配してくれるのは嬉しいけど、俺も義勇軍として参加しなきゃいけないんだ。恩人から動員要請が来ていてね」
そんなあずさに対し、二人は各々の理由を示す。文雄が説明しながら見せた端末の画面を見ると、送り主『ジイサン』と設定された人物からしきりにメールが届いていることがわかる。
「そ、そうだ。ねえ、ふみくん。さっきの直立戦車がどうこうってときもそうだけど、ふみくんはどうやって地上についてわかってるの?」
文雄は仕方ないと割り切るしかない。大人の事情というのはどこにでもあるもので、それに対してあずさはどうこう言う権利がないのだから。
代わりに、まだ納得がいかない文也のほうを崩すことにした。「地上の様子を見てると」と言っていたが、ここずっと地下にいたのだから、地上の様子が分かるはずもない。何を言っているのかがわからないというのが嘘偽りない感想で、根拠が希薄なようだったらあずさは無理やり止めるつもりでいた。
「ああ、そっか。ほい、これ」
そんなあずさに対して文也が見せたのはまたも携帯端末の画面だ。そこには地上の様子を高層ビルほどの高さから俯瞰している映像が映っていた。
「な、なにこれ!?」
「地上偵察用ドローンだよ。ステルス性能に特化したやつだ」
画面に映っていたのは、高いところでホバリングしているドローンが送ってくる地上の様子だった。襲撃があって早々に文雄は近場の『マジカル・トイ・コーポレーション』関連の施設に連絡を送り、偵察用のドローンを総動員してこちらに送ってもらっていたのだ。
あずさは同じような画面をみたことがある。将輝の家で夏休みにやり、また以前からちょくちょく文也の家でもやっていた、本格的な戦略シミュレーションゲームの俯瞰映像と同じだ。
そしてその時の知識に照らし合わせると、地上の様子は好ましいとは言えない状況だ。突然の奇襲に対してかなりよく戦えている方だとはいえるが、有利とはいえない状況である。どうやら襲撃者は本格的な戦闘に入ろうとしているようで、偽装揚陸艦と思われる大きな船から穏やかでない兵器の数々が次々と動き出すのが見えた。
「なんだこれは。確かにまずいな」
ちょっとだけその場を離れていた駿が戻ってきて、あずさの手にある端末の画面をのぞき込んでつぶやく。確かに、地上は好ましくないどころか、このままいくと「悪い」にまでなってしまう。
「二人とも地上の義勇軍に参加するんですよね? それなら、途中まで俺もついていきます」
文也を止める増援が来たとひっそりと期待したあずさは、期待を態度に出すまでもなく裏切られた。駿が見せた端末には、『親父』と名前が付けられたメールが何通が届いている。森崎家のボディーガード業は有名な話であり、そこの高校生の一人息子として、義勇軍に参加する義務があるのだろう。
「……わかったよ、もう」
旗色が悪くなったあずさは、文也以外に二人いるにもかかわらず、口をとがらせて敬語でない拗ねた口調で降参をする。しかしすぐに真剣な顔つきになり、文也に向き合う。
「でも、せめて、私に手伝えることがあるなら言って。どんなこともするから」
あずさは自分が戦闘向きの魔法師でないことを自覚している。魔法力そのものは随一だが、こと戦闘やスポーツとなると、一年生にすら負けるだろう。自分もついていく、となっても、弾避けにしかならない。
しかし、それでも、自分だけが安全な場所にいるというのが我慢できなかった。それならばせめて、何か一つでも、文也たちのために手伝いたい。
「わかった。じゃあちょっとこっち来な」
そうしたあずさの意志をくみ取った文雄は、あずさを手招きする。文雄が歩いていく方向にあるのは、地下通路の様子を監視するためのモニター室だった。
今は地下通路を監視する必要がないため、誰もいないモニター室。そこにずかずかと入った文雄は、正面の椅子に座ってコンピューターを操作すると、端末とケーブルをポーチから取り出してそれにつなぐ。すると、数々のモニターに、様々な場所の様子が映し出された。
目を丸くするあずさと駿に対して、文也が代わりに説明する。
「この部屋のシステムをハッキングして、親父が用意した九個のドローンの映像と操作権限をコンピューターに移した。あーちゃんには、ここで後方支援モニターをしてもらいたい」
そう説明をしている間に、文雄は自分の耳にも嵌めながら、文也と駿にコードレスイヤホンを渡す。
「あーちゃんにはあの親父の端末を通じて俺たちにモニター情報を逐一教えてもらいたい。これがあるのとないのとでは大違いだ」
あずさが唖然としながら思い出したのは、この夏に文也から聞いた、三年前の佐渡での出来事だ。考えてみれば、その時も奇襲を受け、地下シェルターに避難し、そしてモニターを利用して文也は戦場に復帰していた。思うに、これはその佐渡の地下シェルターに似たシステムなのだろう。文也があれほどの施設をハッキング出来たのもまた、今目の前で軽くここをハッキングして見せた文雄からのアドバイスがあったに違いない。
話を聞いていた時はあまりにも異次元のことに思えたが、まさかそこから三か月もしないうちにそんな出来事に自分が巻き込まれるとは思わなかった。
あずさはちょっとした皮肉を感じながらも、モニター正面の大きな椅子に座り、文雄から操作を教わる。
しばらく教わって飲み込みよくあずさが理解したところで、いよいよ出陣となった。
「三人とも……無事に帰ってきて」
文也と駿と文雄は、椅子から立ち上がって胸に手を当ててそう言ったあずさに対し、各々の感情をこめてしっかりと頷いて、モニター室を出て行った。
文雄のモーニングスター、元々は「エスカリボルグ」という名前をつけるつもりでしたし、本編の性能もそれを意識して設定したのですが、名前は没にしました。理由は、シリアスシーンで「エスカリボルグ」という文字の並びが出るだけで雰囲気が滅茶苦茶になるからです。