文也たちが飛び立ったころ、魔法教会支部があるベイヒルズタワー周辺ではレオたちと脱獄した呂剛虎との戦いが始まった。
「ちっ、ダメか」
レオは『薄羽蜻蛉』で呂に襲い掛かるも、またもや回避され、むしろ反撃を受けて後退する。
どんなものでも切り裂く極薄の刃は、レオの初めての『必殺技』である。これといった決め手に欠けていたレオに対し、エリカがその戦闘能力と硬化魔法の腕を見込んで教えたもので、実際にこの事変でも大活躍した。
「あれ? これ『カミソーリー』じゃね?」
その概要を聞いた時、レオは思わずそう口走り、エリカの拳を顔面にプレゼントされた。
そしてのちにレオはこれが秘伝であることを知り、ようやくエリカが『マジカル・トイ・コーポレーション』を敵視している理由が分かったのである。
『カミソーリー』は、数センチほどの大きさの極薄の特殊材質のシートが収納されている棒状の小型CADで、『マジカル・トイ・コーポレーション』が数年前に発売したものだ。極薄のシートはペラペラだが、硬化魔法で固めることで、魔法なしでは実現しえない丈夫さを兼ね備えた世界最薄の刃になる。それをカミソリCADとして発売したのだ。
しかしこれは大不評で終わる。極薄のシートは真っすぐに伸ばさないと硬化魔法で固めても刃として使い物にならず、その真っすぐにするというのがとてつもなく難しいのだ。どうしても曲がったり撓んだりしてしまい、使い勝手が悪い。しかも別に世界最薄の刃でもカミソリとしての性能が既存のものと大きく変わるわけでもなく、使用の敷居も高ければ使用する意義も薄いということで、まさしく一発ネタとして世間から冷たい対応を受けたのである。
これだけなら笑い話なのだが、笑い話で済まされない集団がいた。それが『千葉家』である。
この『カミソーリー』は、千葉家秘伝の『薄羽蜻蛉』とやることが丸被りしていたのだ。
伸ばすシートはもっと大きいし、さらに言うと千葉家の技術の結晶であるこれは、『マジカル・トイ・コーポレーション』が無駄に最新の技術を以って開発したものよりもさらに薄い。『カミソーリー』は完全な劣化品だ。
しかし、『秘伝』たる技術と発想が、被ってしまった。これは千葉家からすれば、偶然被ったというわけではなく、「情報が漏れた」と考えざるを得ない。そしてその疑いの目は、その秘伝を知る身内で向けあう展開になり、あやうく千葉家は崩壊しかけたのである。結局『マジカル・トイ・コーポレーション』から被害を受けた他の家の事例を知っていくうちに「ただの災難」として解決されたのだが、ただでさえやさぐれ気味なエリカが一番多感な時期にそんな光景を毎日見ていたものだから、彼女の心に深い影を落としていたのである。
そうした経緯があって、八つ当たり気味の厳しい指導の末、レオはこの難しい『薄羽蜻蛉』を習得した。
そんな『薄羽蜻蛉』は、結局呂に通じなかった。
悔しさを覚えながらも、レオは笑みを浮かべる。
自分の力では勝てなかった。しかし、「自分たち」は勝ったと確信したのである。
摩利の『圧斬り』を間一髪で上体を反らして回避した呂の顔面に、上空からドライアイスが降り注ぐ。
(よし)
この後の展開を予想し、レオは内心でこぶしを握った。
呂はあのドライアイスに反応して撃ち落とすだろう。そしてそれによって呂の顔面周辺の空気が大量の二酸化炭素で埋め尽くされ、それを吸った呂は呼吸困難になって気絶する。
しかし、レオの予想通りにならなかった。
「なっ!?」
二酸化炭素で埋め尽くされた空気を吸ったはずの呂は、気絶せず、反らした上体を鞭のように起こし、予想外の動きを見て茫然としているヘリ上の真由美に、地面に落ちていた大きな石を拾い上げて投げつける。操縦者がかろうじて反応して躱そうとするも、人間が投げつけたとは思えない速度で石がヘリに当たり、そのままコントロール不能になってふらふらと遠くの方へと落ちていった。
呂は見た目や戦闘スタイルに反して、戦闘のプロフェッショナルとして冷静で、周到だった。
『圧斬り』を回避したついでに蹴り飛ばした少女には一度敗北している。その時は、二酸化炭素による呼吸困難によってやられた。
その対策として、呂は、脱獄してから今日までの間に、一定以上の二酸化炭素を通さない障壁魔法を準備していた。その準備が実り、さきほどとっさにその障壁魔法を己の気道に展開したのだ。間一髪で間に合い、多少息が苦しいという程度で収まったため、呂は反撃に成功したのである。
その様子を見ていたレオは、絶望感に襲われた。
自身とエリカと真由美と摩利がこれ以上ない連携で戦ったのに、結果として呂はほぼ無傷で、自分たちは全員やられた。これほどまでの実力差があったのだ。
どこか慢心していたのだろう。全てを切り裂く無敵の刃を新たに使えるようになり、その力によって油断していた。
(こんなのって、ありかよ)
悔しさと悲しさと怒りがあふれてくる。
このまま、自分たちは殺されるだろう。
あふれ出る感情により、レオは、思わず天を仰いだ。
そんなレオの視界を、黒い影が高速で通り過ぎた。
☆
呂は自分の視界がわずかに暗くなったのを感じ取った瞬間、半ば本能でその場を飛び退いた。
ゴシャッ!
その直後、上空から何かが高速で降ってきて、先ほどまで呂が立っていた場所に大きなクレーターを作る。
呂はさらに距離をとって、降ってきた人物を観察した。
日焼けした筋肉質な大男。手には禍々しい真っ黒なモーニングスターを持っている。あのモーニングスターで攻撃してきたのだろう。
呂はその男を知っている。今回横浜に来ている人物の中で、要注意リストの上の方に載っていた男だ。
「井瀬文雄(ジンライウェンシィォン)……」
「すまんが中国語はわからんぞ」
文雄はモーニングスターを構えなおし、白兵戦世界最強の一角である魔法師に、不敵な笑みを浮かべた。
☆
ドローンで移動してすぐ、ベイヒルズタワーに呂が出現したと聞いた文雄は、ドローンが壊れるほど速度を上げて急行した。
息子には知らせていないが、文雄は呂のここ数週間の動きや経緯を知っていた。捕まって一安心していたのだが、まさか脱獄していたとは予想外だ。
そうして急行したのだが、しかし文雄の視界に呂が映るころには、もうレオたちは敗北していた。
そこで彼らの命を守るべく、文雄は上空から不意打ちを仕掛けたのである。
使った魔法は『流星』と『メテオ』だ。『流星』は落下速度を大幅に増幅する加速系魔法で、『メテオ』は位置エネルギーを落下のある任意の瞬間に集中させる加重系魔法だ。『流星』を己自身にかけ、『メテオ』をモーニングスターにかけることで、まさしく隕石のような重さと速度を合わせた一撃を叩き込んだ。
しかし、当たれば鎧も鋼気功も貫いて呂をぺしゃんこにできたのだが、超人的な反応速度で躱されてしまった。
「……お前がいるって分かってたら、将輝君を連れてきたのにな」
文雄は内心で舌打ちをする。
将輝は、呂を相手にするうえではとても相性が良い。呂の特徴はなんと言っても鎧と鋼気功による外部からの攻撃に対する圧倒的な硬さだ。一方で、およそ生半可な干渉力では突破はできないが、直接干渉する魔法には外部からの攻撃ほどには強くない。文也や文雄の干渉力では無理だが、将輝の『爆裂』ならば呂の干渉力を貫き、直接血の花を咲かせて簡単に無力化できる。しかし、いかんせん呂がいると知ったのは分かれてしまった後で、ここに来るまでに呼び出したのだが、もう戦闘に加わってしまい、簡単に抜け出せる状況にないらしく、電話に出てくれなかった。
よって、ここは自分でやるしかない。
文雄の真の戦い方は魔法を併用したモーニングスターによるパワーの白兵戦。目の前にいる相手は、パワーの面では間違いなく世界最強の白兵魔法師で、あまりにも分が悪い。
(動けそうなのは……デカイ剣を持った子と、黒い剣を持った子か)
文雄は戦闘に負けたレオたちを見て、そういえば息子の同級生もいると気づきながら、まだ戦えそうな仲間を見定める。名高い真由美と摩利が戦闘不能で、一年生である息子の同級生二人がまだ動けそうというのは不思議な話だが、常識が通じないのは戦場の定めだ。
(呂は二人が動けることに気づいてない……はずだ)
真由美と摩利がいるということは、呂の鋼気功を知っていてなお参戦したということで、それを貫くだけの威力を持つ手段があるのだろう。それならば、それを不意打ちで叩き込んでくれることに期待しよう。
どうやら呂も自分のことを知っているようで、油断した様子が全くない。隙のない構えをとっている。
(俺の力だと、よっぽどやらないと全く攻撃は通るまい。毒ガスや一酸化炭素中毒もさっきのを見る限り効かなそう……参ったね、こりゃ)
最も簡単な方法は、さきほどやった空中からの『流星』と『メテオ』を併用した高速高重量落下攻撃だが、あの不意打ちすら避けられたら、あとは拘束して動けないようにしてからしか通じないだろう。そしてその拘束する方法というのは、あいにくながら全く思いつかない。
文雄は内心で溜息を吐きながら、それでもわずかな勝ち筋に賭けて、呂に対峙する。
☆
(妙だ)
呂は文雄と戦いながら内心で首をかしげる。
最初の攻撃や普段の戦闘スタイルや見た目に反して、文雄は積極的に呂とクロスレンジで戦おうとはしなかった。
呂の直接攻撃を受けないよう、見た目に反した軽やかなステップで呂の周りを動き回り、時折あまり威力のない魔法で牽制をする程度だ。それによって文雄に有効なダメージは与えられないでいるが、呂も全くの無傷だ。呂の攻撃は直撃すれば大ダメージを与えるのは確実であり、このままいけば呂が間違いなく勝つ。
勝算のない生死の戦いをするとは思えない。
事前に貰ったデータによると、見た目に反してこの男は策士だ。
つまり、こうして時間を稼ぐだけの目的があるということだ。
(『爆裂』か)
これも事前データに会ったことだが、この男の息子はあの一条将輝と仲が良い。もしかしたら、今この場に呼び出していて、現れるのを待っているのかもしれない。
(だとしたら)
それにわざわざ付き合ってる義理はない。
呂は文雄がステップをして少し空中に浮いて不自由になった瞬間、大きく踏み出して一気に距離を詰めて右拳を突き出す。
「おっと!」
文雄はそれをモーニングスターで受け止め、その勢いでバックステップして距離を取ろうとする。拳に伝わる感触からして、硬化魔法で強化したのだろう。
予想通りの動きだ。
呂は思わず口角を上げて笑いながら、体をねじって右拳を突き出すために引いていた左手を突き出し、そこに拾って仕込んでおいた小石を指ではじく。
「げっ!」
飛び退いて動きの自由が利かない空中で、指で弾いただけにもかかわらず弾丸のような速度でせまる小石を、文雄はモーニングスターで弾く。しかしそれによって一瞬視界がふさがり、その一瞬の間に魔法を併用して呂は一気に迫る。
最初からピンチだったのにも関わらずどこか飄々としていた文雄の顔が、それを見てついに険しくなった。
「グオオオオオオ!」
呂はまさしく獲物を狩る虎のように吼え、その心臓に向けて右拳を突き出す。
文雄はそれに対し、間一髪で着地が間に合い、その勢いを魔法で消して流れるようにしゃがんで回避する。文雄の頭上すれすれを風を切る音を立てながら拳が通り過ぎる。懐にもぐりこんだ文雄は、そのまま反撃と言わんばかりに呂の顎にアッパーを叩き込もうとする。
しかし、それも呂は織り込み済みだった。引いていた左手でその拳を受け止め、そのままジャガイモすらつぶす握力で掴んで引っ張り、背中から地面にたたきつける。
「――ッ!」
文雄の口から声にならない悲鳴が漏れる。右手は粉々に握りつぶされ、さらに叩きつけられた地面は呂の踏み込みによってひしゃげており、出っ張ったコンクリートが背中に突き刺さった。この衝撃では、普通なら死ぬし、間違いなく背骨や内臓に大きな損壊が出ているはずだ。
「ゴボッ!」
その証拠に、文雄は口から大量の血を吐き出した。口の中を切ったというレベルの量ではなく、間違いなく内臓に大きな傷がついている。
このコンディションでは今まで通りの戦いは不可能だろう。魔法はなんとかなるとしても、運動能力の低下は免れない。
(勝った!)
呂は勝ちを確信して口角を吊り上げる。
「……非常好(お見事)」
さらに絶好のタイミングで、呂にとって好都合なことが起こった。
中国語で称賛したのは、先ほどまで倒れていた、呂と一緒に秘密工作をしようとしていた少数精鋭の大亜連合軍人だ。さきほどまで真由美たちに倒されて気絶していたのだが、ついに起きたのである。
(……終わり、か)
それを見た文雄は絶望した。今まで万全の状態で呂を相手にしていただけでも不利だったのに、こちらは大きな身体ダメージを負い、相手は一流の軍人たちが復帰した。もう、なすすべもなく殺されるしかない。
呂たちが嗜虐的な勝ち誇った笑みを浮かべながら起き上がれない文雄を見下ろす。
そして、止めのために呂がゆっくりと文雄の頭を踏みつぶそうとしたとき――
「グオッ!?」
――胸と背中を、万力で押されるような強い圧力が襲った。
「上尉!?」
突然苦しみはじめた呂を見て、工作員たちが何が起こったのかと駆け寄る。
呂は自分に何が起こったのかいまだ理解できないが、「自分に直接干渉する魔法」によるものだと直感して、先ほどまで身体硬化に集中していた『鋼気功』を古式魔法型『情報強化』に切り替える。それによって干渉力が上回り圧力が消え去った。
しかし、ほっとしたのもつかの間――
「ゴッ!」
「ギャッ!?」
――呂を中心に集まった工作員たちのところに、「無音で」「音速を超える速さで」「超大型トラック」が突っ込んできた。
呂はとっさに『鋼気功』をまた身体硬化に切り替えて少ないダメージで済んだが、勢いは殺し切れず派手に吹き飛ばされる。ましてや工作員たちは一たまりもなく、その衝撃によって一人残らず無残な死体となった。
呂は吹き飛ばされる瞬間に、冷静にそのトラックを睨んで観察する。
絶好のタイミングで突っ込んできたわりに、中に乗っていた三人は、意外なほどに若かった。
三人ともまだ年端も行かぬ学生。高校生にしても幼く見えるので、下級生だろう。
一人はやや小柄な少年、一人は緩くウェーブがかかった気弱そうな少女、そして運転していたのが、でっぷりと太った巨漢の少年だ。
一人は侵攻の前に見たデータで知っている。小柄な少年は、若干十三歳にしてカーディナル・コードを発見した天才・吉祥寺真紅郎だ。
(……なるほど)
呂は受け身を取りながら理解する。急激に襲ってきた万力の様な圧力は、彼の得意魔法『不可視の弾丸』だ。
生粋の武人でありながら軍の高官でもある呂は意外にも魔法論理にも精通しており、どうやってあそこまでの圧力をかけられたのか理解した。
呂ら大亜連合の侵攻によって中止になったが、彼が論文コンペで発表しようとしていたテーマは「基本コード魔法の重複限界」だ。基本コード魔法に限っては、必要干渉力の増大なく、無限に改変が蓄積されていくとされており、それを利用した研究発表であった。
データで事前に内容を知っていた呂は、真紅郎がそれを利用して、呂ですら苦しむほどの圧力を一瞬にしてかけ、見事に足止めに成功したのだ。
(だが残念だったな)
しかし、呂を無力化するに至らなかった。高校生にしてはかなり上手くやったが、人の領域を超えた勘と反応速度を持つ呂を、一連の不意打ち作戦では無力化できなかったのだ。
吹き飛ばされた勢いをあえて利用して即座に立ち上がって体勢を整える。例のトラックはそのまま走り去ってしまって無力化できなかったが、再襲撃に備えていれば問題ない。予定通り、文雄を殺すだけだ。
そうしてまた文雄に向かおうとした瞬間――三方向から、自分に強い殺気が向けられるのを感じた。
「ウオオオオオオオ!!!」
「やあああああああ!!!」
「ヌウウウウウウウウ!!!」
右からは、呂ですら苦しんだ10トンのギロチンにも匹敵する斬撃を繰り出してきた赤髪の少女――エリカが、いつの間にか復帰して、その攻撃を再び向けてきている。
左からは世界最高の切れ味を持つ極薄の黒い刃を振りかぶる野性的な少年――レオが、こちらもまたいつの間にか復帰していて、首を狩ろうとしている。
そして背後からは、呂を超える身長と筋肉を持つ巨漢が、彼ですら一たまりもないであろう拳を構えて向かってきている。
「――フッ!」
それに対しても呂は、また反応しきった。
すでに使っている身体硬化の『鋼気功』の出力を、今まで出したことがないほどに高めてすべて受け止める。
エリカの『山津波』は呂の腕に止められ、レオの『薄羽蜻蛉』は歯で噛んで挟まれて止められ、後ろから迫りくる巨漢は後ろ蹴りでカウンターを食らって吹き飛ばされる。
(これでもっ……!)
(ダメなのか……っ!?)
呂と文雄が戦っている間に気絶から覚めた二人は、気絶したままのふりをしてずっと不意打ちの機会を狙っていた。そしてこれ以上ないタイミングでの攻撃に成功したのに、すべて効かなかった。
圧倒的な実力差に、二人はついに絶望した。
この至近距離で、攻撃を止められたら最後――逃げる前に、殺される。
目の前が真っ暗になるような錯覚を二人は感じた。
そして――
「よくやった!!!」
文雄の叫び声が聞こえると同時に、その錯覚を貫くほどの強さで、エリカたちの足元が光り輝いた。
☆
魔法教会は魔法師たちを束ねる組織であり、その建物は、「魔法的に意味がある」場所に建てられる。
かつてはそれにあたる建物は、神社や寺、教会と言った、魔法に関わっていた宗教施設だった。
霊山、境界、大きな川沿い、山頂――そうした不思議なエネルギーを持つ場所を選んで建てていたのだ。
魔法科学が進んだ今、そうした「不思議なエネルギー」はサイオンと名付けられ、科学的に観測できるようになった。「聖地」とでも言うべき場所・土地は、自然界に遍在するサイオンが、特に偏って多く集まる場所である。
そしてこの魔法協会支部は、その「聖地」に建てられているのである。
今戦っているこの場所は、自然界のサイオンが多く集まる場所なのだ。
これを利用した魔法協会支部防衛システムが、三年前に取り入れられた。
そのシステムとは、平たく言えば『投影型魔法陣』だ。
特定の図形によって魔法的効果が生まれるのだが、それは本来「書く」「刻む」「並べる」といった作業が必要である。
その魔法陣を、エイドス上にサイオンによって投影することによって、一瞬で行使に必要な魔法陣を完成させる技術が、投影型魔法陣だ。
理論上は可能だが実現は不可能、そうした技術的難題の一つが、三年前に国防軍に突如持ち込まれた計画書により、半分解決した。
魔法陣全てを投影するのではなく、投影によって効果が出やすい部分だけ投影し、ほかは従来通りの方法で構成する。
開き直りにも似た発想の転換により、魔法協会は心強い防衛システムを手に入れた。
それを実現した計画書を作ったのは――『マジカル・トイ・コーポレーション』の筆頭魔工師、『キュービー』こと、井瀬文雄だ。
文也と駿が解決した川崎で起きたテロ未遂事件を隠蔽する見返りに九島に渡したのは、この計画書だったのだ。
「よくやった!!!」
文雄は渾身の力を振り絞り、叫びながら魔法を発動する。
事前にプログラムされた通りのサイオン――魔法陣の一部を、地面のエイドスに投影する。
その範囲は実に、直径500メートルの円。その真ん中には、呂とそれに動きを止められたエリカとレオがいる。
先ほどまで呂相手にしていた消極的な戦い方は、戦闘の中に紛れてこっそりと必要な分の傷を地面に「刻んで」いたからだ。その刻んだ文様と、投影した光の文様がつながって、一つの巨大な魔法陣を形成する。
投影された光以上の輝きが地面からあふれ、中心に居る呂の下に集まっていく。これはただの光ではなく、魔法師のみが観測できる、サイオンによる光だ。
魔法陣の効果――術式の内容は、「範囲内の自然サイオンを中心に集中させる」というもの。
人一人どころか、達也の無尽蔵の保有量すらはるかに上回る、雄大な自然の中で集中した莫大な自然サイオンが、呂にすさまじい勢いで集まってくる。
――そして莫大なサイオンはぶつかり合い、激しい光を散らした。
今ここで行ったのは、莫大な自然サイオンを集中させることによる、最強の対抗魔法『術式解体(グラム・デモリッション)』だ。魔法教会支部を襲うのは、それに対抗しうる力を持つ魔法師に違いない。ならばその魔法を、強引に無効化してしまえばいい。
さしもの呂もこれには激しく動揺し、激しい光と『鋼気功』の無効化によるパニックに陥る。
――魔法がなければ、魔法師はただの人だ。
「人食い虎が、ただの人になったな」
痛む体に鞭を打ち、文雄は隠し持っていたピストルを、呂の頭を狙って撃つ。
ただの人に対して、ただの人として、魔法によらない暴力で止めを刺す。
動揺していた呂はそれを躱せない。弾丸は呂の兜を貫き――それに守られていた頭を貫通した。
「俺たちの勝ちだ!!!」
血を流して倒れ伏す呂を確認すると、役目を終えたピストルを投げ捨てながら、文雄は勝鬨を上げた。
☆
「全滅……だと……?」
大亜連合の偽装揚陸艦の中で、一人の男が目を見開いてつぶやいた。彼は今回の作戦の責任者の一人である。
全滅と言っても、それは大亜連合の戦力全体の話ではない。渾身の作戦であった呂を筆頭とした精鋭部隊による奇襲と陳によるデータ奪取がどちらも失敗し、全員が死亡または拿捕されたということだ。
「どうしましょう」
部下の一人が不安そうな声で、責任者の男に問いかける。それに対し、男はたっぷり三秒間、深い溜息を吐くと、震えそうな声を抑えて決断を口にする。
「撤退だ」
「まだ兵士たちはほとんど帰ってきておりませんが」
その決断に対し、あらかじめ想定していたらしく、当然考慮すべき状況を言う。上下関係が厳しい組織内での部下の言葉に、男は不快感を覚えない。自分の決断が、あまりにも冷酷であることが分かっているからだ。
「構わない。この艦や、ここにいる兵士や兵器を破壊・奪取されるよりはましだろう。近い兵士たちがある程度乗り込み次第、出発する」
「一度出発してしまえば、逃げ切ることは可能ですものね」
男の言葉に、部下は、置いていくことになる仲間たちへの申し訳なさと自分の命が助かる安心とが混ざった声でそう返す。
この揚陸艦はヒドラジン燃料電池で動いており、これを海上で破壊すると、普通の船以上にその後の漁業に大きな悪影響を及ぼす。もはや「勝ち」が決まった日本からすれば、それは避けたい事態だ。多少歯噛みする思いはするだろうが、破壊は確実に免れる。
「こうなったらついでだ。時間稼ぎにアレを使おう」
「アレ……ですか」
そして男は半ば自棄になった狂気じみた笑みを浮かべてそう言う。それに対して部下は、さらにためらいの色が強い返事をする。
男からしても、とても使う気には普通ならならないものだ。それほどに使い勝手が悪く、なによりもおぞましい。しかし今の状況は、まさしく使うのにぴったりだ。
「そうだ。我々が撤退することを隠して、陸にいる魔法師に使用を伝えろ」
「…………了解です」
返事に数秒もかかった。それほどに、部下は激しく動揺している。それでも、揺れる心を抑えて、指示に従って動き始めた。
その様子を見ながら、責任者の男は小さくつぶやく。
「……私は、ろくな死に方をしないのだろうな」
☆
(若い力に助けられたな)
文雄は治療を受けながら、内心でようやく気を緩める。
彼の視線の先では、若き力たちが、瓦解した大亜連合の残党を掃討していた。
全体に指示を飛ばしながら『不可視の弾丸』の重複魔法によって呂を足止めし、さらにトラックの消音もした真紅郎は、今は『不可視の弾丸』で残党を次々気絶させている。
移動魔法によって縦横無尽にスノーボードで戦場を高速移動してケガ人を助けている、薄く化粧をしてややお洒落な雰囲気の緩いウェーブがかかった長髪が特徴的な気弱そうな少女は、お家芸の移動魔法で九校戦『バトル・ボード』新人戦女子で優勝した五十川だ。三年前の川崎の事件で駿が助けた、文也と駿の塾のクラスメイトだ。当時はしゃれっ気のないお下げで、前髪で目が隠れていて伏し目がちで、体型もややぽっちゃりしていて、魔法以外では特に目立たない地味な少女だったが、高校デビューでもしたのか、今はすっかりあか抜けている。
トラックに乗っていた大きな少年と呂を背後から襲った巨漢も戦場で敵を次々と打ち倒している。どちらも第三高校の生徒でクロスレンジが得意な近接魔法師なのだが、その得意分野の性質上九校戦にはでていない。しかしルール無用の戦場ではその得意分野をいかんなく発揮し、大人顔負けの活躍をしている。
他にも、先の九校戦で、またはその準備のためのデータでみかけた三高の生徒たちが、大人たちに混ざってなお戦場で大活躍をしている。特に二十八家の一角である一色家の娘・一色愛梨の活躍はすさまじいものだ。
「文雄さん、大丈夫ですか」
「ああ、助かったよ真紅郎君」
目につく残党を一通り無力化し終えると、この場でできる応急処置が終わって自分に治癒魔法をかけている文雄に真紅郎が声をかける。
十師族としての責務を果たすべく将輝は残った。そしてそれ以外の三高の生徒は、引率教師や真紅郎に率いられて無事この戦場を脱出して、ひとまずなるべく離れるために三高がある金沢に向かっていた。バスの中で(主に将輝の魔法によって)地獄と見紛うような戦場から逃げきれて生徒と教師が安堵する中、真紅郎だけは己の無力さに歯噛みしていた。
親友の将輝を単身戦場に残した。文也と駿、ライバル視している達也も、あの戦場で貢献することだろう。そんな中、自分だけが逃げおおせた。安堵感よりも悔しさが勝ったのだ。
そうして一人顔を伏せていると、前方に大きなトラックの列が見えてきて、バスの中が疑問と不安でにわかにざわめき、それはすぐに歓声に変わった。真紅郎は何だろうと思って様子を見てみると――そのトラックの列は、なんと三高の生徒や教師、周辺に住む卒業生を乗せた一団だったのだ。
事情を聞くと、横浜侵攻の連絡を聞いてすぐに、(論文コンペに興味がなくて残っていた)実戦派・武闘派の生徒や教師、それに有志の卒業生で義勇軍を組んで、超特急で横浜に向かっていたというのだ。
それをチャンスと見た真紅郎はそちらへの参加を希望し、こうして戻ってきたのである。
「来て『見て』みたら、文雄さんがあの呂剛虎と戦ってるんですから驚きましたよ」
「ああ、あれを使って『見た』んだね」
真紅郎の言葉に対し、文雄は空を飛び回るドローンを指さす。
このドローンは、文雄が緊急で近隣の『マジカル・トイ・コーポレーション』工場から呼び出したドローンではない。文雄が作ったものという点では変わらないが、これは真紅郎の私物だ。
この夏休みに、将輝の家を文也たちが尋ねると知った文雄が持たせたお土産は、このドローンだった。うちのバカ息子が九校戦の秘術使用について迷惑かけました、というお詫びで剛毅に渡すつもりのものだったが、受け取った剛毅は、その後、自分たちよりも有効利用できそうな真紅郎に譲ったのだ。
それを、三高義勇軍の一団が、真紅郎が戦列に加わることを見越して持ってきていたのである。
真紅郎はトラックに先んじて飛ばして偵察を行い、それで文雄と呂の戦いを目にした。魔法協会支部があるベイヒルズタワーが危ないと察した真紅郎は全体に指示を飛ばし、北側から奇襲する予定だったのを変更して、西側から迂回してベイヒルズタワーに急いで向かった。
呂の噂を知っている真紅郎は、その時に、一撃だけは不意打ちを入れられるだろうと見越して、自分と五十川と硬化魔法に優れる大柄な少年という組み合わせでトラックに乗り、窮地の文雄を助けたのである。
(ほかにも一応準備してたもんはあったが……無駄になったな)
そうしてようやく気が抜けた文雄は、痛みと疲れで動かない体をいたわるべく、簡易的に用意されたマットに横になる。
陽動の呂は倒し、ベイヒルズタワーに潜入していたもう一人の敵も無力化できたと、息子の同級生である深雪から直接聞いた。あとは残党狩りと、せいぜいが撤退する敵への追撃戦ぐらいだろう。もう自分の出番はない。
そう安堵して横になったのだが――
「グエッ!!!!!」
――突如、地面が大きく揺れ、轟音が鳴り響いた。
横になったがために文雄は地面の振動をその痛む全身で受け、情けない悲鳴を上げる。痛みに悶絶する文雄を気遣いながらも、その地響きの原因を探るべく、真紅郎はあたりを見回す。
「あれは……?」
すぐに違和感に気づく。今までなかった巨大な何かが、いきなり町中にそびえたっていた。
☆
克人たちが奮闘しているところに援軍に向かおうとした駿と将輝は、思わぬところで足止めを食らっていた。
それは、道中で、敵に囲まれながら奮戦している見知った顔を見かけたからだった。
今回の論文コンペには、手伝いや警備隊の他、勉強熱心な生徒たちも見に来ている。とはいえ、やはり内容が難しいため、飽きて横浜観光に切り替えた生徒たちも少なくはない。そうして他生徒から離れてしまった魔法科高校の生徒たちは、シェルターに避難などのまとまった行動がとることができず、戦場のど真ん中で孤立してしまったのだ。二人が見つけたのは、逃げ遅れてしまってその場しのぎで自分を守る事しかできない同級生二人だった。
「食らえ!」
「そこをどけ!」
駿と将輝は上空から急襲し、二人の女子生徒を囲む兵士たちを次々と酩酊状態にさせるか『爆裂』させる。
「「逃げるぞ!」」
そして二人は奇襲によって足並みが乱れたところをドローンで急降下して、女子生徒たちを一人ずつ抱えてまた急上昇してビルの屋上に着地する。飛び上がる所を銃で撃たれたりはせず、足並みを乱す作戦は成功したと言っても良い。
「けがはないか、滝川」
「う、うん、大丈夫」
駿は周囲を警戒しながらそっと抱きかかえていた女子生徒――一高一年C組の滝川和美だ――を下ろし、怪我の確認をする。あれだけの激戦だったのに、本人の言う通り、見たところ軽傷で済んでいる。追い詰められてはいたが、それでも一年生ながら実力者と言うことだろう。
「ふいー、助かった。ありがと、白馬の王子様」
「馬じゃなくてドローンだし、色は青だけどな」
将輝が抱きかかえた女子生徒は、三高の百谷祈だ。いつも通りヘラヘラと笑って冗談めかしているが、いつもより元気がないし、疲労の色が濃い。滝川と二人で協力して粘っていたが、万事休すの状態だった――というところだろう。
「さて、ここからどう脱出するか」
ひとまず無事を確認したところで、駿はすぐに次へと考えをめぐらす。とりあえず射線から離れるためにビルの屋上に逃げたが、おそらく下は銃口を向けてこちらを待ち構えている兵士がたくさんいるし、このビルにもそろそろ突入してくるころだろう。階段を下りて正面から脱出することも、ビルからビルへ飛び移って逃げるのも不可能だ。
「それだったら、俺にいい考えがある」
同じように考えていたのだろう将輝が、駿の肩を叩いて、屋上の片隅を示す。そこには、百年前から変わらない型の貯水タンクが置かれていた。
「中条先輩、俺らのビルの周辺の敵はどんな感じですか?」
『えっと……ビルを取り囲んで上を向いて監視しているのが十人、突入準備をしているのが五人、ですね』
「映像をこちらの端末に送れますか?」
『ええっと……はい、できました!』
駿の頼みに、あずさは初めて触る機械だというのに見事にこたえて見せ、駿と将輝の端末にドローンが空撮した映像が映る。そこには定位置で構えている十人と、ちょうど突入開始した五人が見えた。
「さっさと動くぞ」
映像を確認するや否や、将輝はCADを貯水タンクに向けて引き金を引く。中にあった大量の水が発散してタンクが爆音を立てて破裂し、水があふれ出す……かと思いきや、将輝の魔法の干渉を受け、水は拳大の塊になっていくつも空中に浮かんでいる。
「そら!」
将輝が腕を振って次の魔法を行使すると、それらはビルの下で爆音を聞いて構えていた兵士たちに降り注ぐ。拳大の水の塊は兵士たちに当たる直前に鋭い氷の針に変形して、急所を串刺しにしていった。
「さすがは液体の一条家だな。水だったらなんでもアリってことか」
「少なくとも神経や体温に比べたら、人体以外への応用も利くな」
唖然としている滝川を駿が、拍手している祈を将輝が、それぞれ抱えながら、悠々と屋上を飛び移って逃げおおせた。
「やれやれ、ここなら安心だろ」
だいぶ離れたビルへの脱出に成功した四人は、祈がこの非常事態だというのに持ったままだったリュックサックの中に入っていたお土産用の大きな肉まんを頬張って一時休憩する。戦場だというのに、四人の間にはどこか牧歌的な空気が流れていた。
「滝川たちは知り合いなのか?」
「うん、操弾射撃の大会で知り合ったの」
「助っ人で参加したら意外といーとこまで言っちゃってさ、ナハハハハ! 気分良かったから今も続けてるんだ」
「だから一緒にいたわけか」
もはやピクニックにも等しいリラックスした雰囲気は、戦闘音が各所から聞こえる中だというのに、納まる気配はない。急に戦場で命を張った戦いをすることになった少年少女の、心を守るための無意識の反動だった。
しかしその雰囲気は――
「なんだ!?」
「ちょっと見てみるか」
――突然の揺れと轟音にかき消される。
駿は不安がって腕に縋り付いてくる滝川をなだめながら、そっと窓の外を覗く。
「あれは……?」
音が聞こえてきたのは、自分たちもつい先ほどまでいた、避難用の地下シェルター。
そのシェルターの真上に――得体のしれない巨大な何かが、そびえたっていた。
オリジナル展開は二次創作の華