マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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 2月16日、夜の浜松市。

 

 東京で文也たちが襲撃を受けて救難信号を出したのと数秒違わず、文雄もまた救難信号を送信するはめになっていた。

 

 単身赴任のために借りているマンションを出て、少しコンビニに夜食でも買いに行こうかと思って出かけた文雄は、寒さのせいかいつもよりもかなり静かな夜道で、いきなり黒塗りのつや消しされた鋭い針を投げつけられた。

 

 魔法すら使わない完全な不意打ちにも関わらず文雄はとっさに反応してそれを最小限の動きで避けると、針が飛んできた方向――絶妙に街灯の明かりが入らず暗くなった狭い路地に、ポケットに仕込んでいたパチンコ玉を投げつけつつ、その動作に紛れて救難信号を送る。

 

 手ごたえはない。それどころか、その路地裏だけでなく、屋根の上、ブロック塀の裏、街路樹の裏など、無数の方向から無数の針が襲い掛かってくる。

 

「毒針だな!」

 

 針は、よほどの急所にでも刺さらない限り、人は死なない。人体に詳しい彼はそれを知っている。しかし急所を狙っていると思えないはずのその針からは、明確な殺意を感じ取れた。

 

 毒針ならば、下手すれば刺さらずとも針に触れただけでも不味い。そう思い、即座に自分を囲うように移動系の障壁魔法を展開して、それらを一気に防ぐ。

 

「お前らは何者だ? アメリカか?」

 

 文雄は障壁魔法を保ちつつ、次々と姿を現した、身長も体格もばらばらで、それでいて服装は闇夜に紛れる黒ずくめで統一された集団に問いかける。しかしそれらは、当然のように答えることはなく、次々と針を取り出し、または別の得物を取り出して文雄に襲い掛かる。

 

「上等だコラ! かかってきやがれ!」

 

 文雄は、周囲の家々にわざと聞こえるよう大声で怒鳴りながら、モーニングスターを一瞬でくみ上げて応戦する。針は障壁魔法で防ぎ、直接干渉してくる魔法は『情報強化』で退け、つや消しされた刃はモーニングスターの一撃で返り討ちにする。返り討ちにされた身長が低めの黒ずくめの男の顔面は砕かれ、即死している。

 

 次いで向けられたのが、奇しくも達也がUSNA軍に使われたのと同じ、アサルトライフル型の武装一体型CADだ。帯電させられた銃弾が文雄に次々と放たれるが、それは障壁魔法で跳ねのけられる。しかし銃弾は落ちたものの、それが纏っていた電気は放出系魔法によって操作され、移動系の障壁魔法をスルーして文雄に襲い掛かる。しかしそれも予想していた文雄は、パチンコ玉の電導率を高めてばらまいて吸収させて防いだ。

 

「面白いもん使ってんじゃねえ――かっ!」

 

 文雄はその銃を放った一人に高速接近し、その腕にモーニングスターを振り下ろす。枯れたの枝のようにその女性の腕はいともたやすく砕かれて折れ、銃を手放してしまって簡単に文雄に奪われる。

 

 そして文雄はそれを利用して残りの残弾をすべて別の男の顔面に叩き込んで無力化すると、今度は先ほどばらまいたパチンコ玉を群体制御でまとめて操って放ち、飛来する針を弾き落としながら敵に攻撃する。しかしその敵は魔法式構築速度に優れていたようで、すぐに障壁魔法を発動して全部のパチンコ玉を跳ねのける。ところがそれは決定的な隙となり、高速移動した文雄は次々と敵を叩き潰して肉の塊へと変えていった。

 

「お前も現代アートになりたくなければ、素直に正体を話してくれると助かるんだけどなあ」

 

 文雄は一人だけになった男に、あえて邪悪に見えるような笑みを浮かべて脅す。

 

 当初襲われたときはUSNA軍だと思ったが、どうにもそれらしくない。どちらかと言えば、暗殺者やスパイやゲリラといった裏仕事に近い臭いを、文雄は感じていた。正規の軍人ではなく、USNAが保有する秘密部隊や暗殺部隊だろう。

 

 そんな文雄の脅しに対して、男は屈する様子がない。それどころかなおも抗戦の意志を見せ、針をいくつも投げつけてくる。

 

「そいつはもう飽きたぜ!」

 

 文雄はそれを加速系魔法で反転させたうえで逆方向に移動させ、男にやり返す。男は転がって避けたが、一本だけ躱し切ることができず、そのわき腹に浅いながらも突き刺さった。

 

(…………どういうことだ?)

 

 そこからの様子に、文雄は疑念を抱く。彼らは文雄に殺意を明確に持っていて、そのメインの得物が針だ。つまりこの針は、一撃必殺のものなのだろう。そうなると猛毒が仕込んであるのかと思ったが、男がその針を刺されて苦しむ様子もないし、焦って抜く様子もない。つまり、敵はあらかじめ解毒剤が投与されているか、はたまた毒ではない別の殺害方法を使おうとしているということだ。

 

 しかしそうなると、文雄にはどのようにやるのか思いつかない。向かってくる針は、その全てが急所を狙っている感じではない。急所ではなくても毒でない針を刺して殺せるとなると、あとは針を通して強力な電気ショックを流し込むぐらいしか思いつかないのだ。文雄は首をひねりながら、男に差した針に魔法で電気を流し込んで気絶させる。文雄ほどの魔法力でも、試してみたが即死とまではいかない。

 

(…………まあ、いいか)

 

 文雄はため息をついて、いったんそれについて諦める。

 

 真相を知るのは後でもできる。なにせ、今一人を全員殺してしまったが――まだまだ聞けそうな相手が増えたのだから。

 

「このままゴキブリ算でもするつもりか?」

 

 路地裏から、壁の裏から、屋根から、道の向こうから。今戦ったのとは比べ物にならない数の黒ずくめの人物たちが、次々と湧き出してくる。文雄は口角を吊り上げて嗤って強気を保とうとしながら、背筋を辿る冷や汗を意識せざるを得ない。

 

 文雄の感覚は、分かってしまっている。

 

 ――数が増えたというのに、一人一人の実力は、さきほどまでのやつらよりも上だ。

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんは、井瀬文雄さん」

 

「お加減はいかがですか? なるべく悪いとこちらとしても大変喜ばしいのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその中でも、特に文雄の頭が警鐘を鳴らしているのが二人。

 

 一人一人が手練れであろう黒ずくめを従えるように闇夜に浮かんで優雅にたたずむ、ふんだんにフリルがあしらわれた黒いゴシックドレスを着た、まだ中学生ほどに見える二人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカ野郎だったら早く連絡しろクソ親父!」

 

『こっちが一人で戦っている間に何回電話かけたと思ってるんだバカ息子!』

 

「親子喧嘩は後にしろ!」

 

 電話越しに怒鳴りあう二人を、駿は諫めながら、ついでとばかりにリーナがあずさを殺すべく使おうとした『ダンシング・ブレイズ』を無効化してくる。リーナはそれに多少の苛立ちを覚えながらも、それ以上に、別件で混乱していた。

 

(イノセフミオが襲撃を受けている、ですって?)

 

 今の会話は当然、リーナも聞いている。井瀬文雄。文也の父親で、第四高校の非常勤講師を務める筋骨隆々の魔工師。訪日以前は、一条将輝・司波深雪と並んで危険視されていた強力な魔法師だ。

 

 当然、USNAはその存在を警戒しており、文也を襲撃する際は、文雄が彼から離れている瞬間を狙うようにしていた。また単身で使える緊急高速移動用のドローンがあることは横浜事変ですでに分かっているため、短期決戦を狙うようにも指示されている。だからリーナは消耗が激しい『ヘビィ・メタル・バースト』を連発しているのだ。その配慮は残念ながらうまくいっていないが、しかし予想外のことに、文雄は何者かに襲われているらしく、未だ足止めを食らっているようだ。

 

(こういうことなら事前に言ってくれればいいのに、大佐ったら)

 

 リーナは驚きはしたが、ひとまず一番あり得そうな理由を見つけて納得した。今回はリーナの強力な破壊力を持つ魔法の邪魔にならないよう、また日本国内にいる戦力を相当消耗したこともあって、後方支援以外の人員をこの作戦に連れてきていない。しかし残存戦闘要員が皆無と言うわけではない。残った兵士が今、文雄の足止めをしているのだろう。

 

 バランスからは事前にこのようなことは聞いていない。恐らく油断させないため、余計なことを考えさせないための配慮だが、今まさしく戦闘中に驚きで動きが止まってしまったのを考えると、結果としては、事前に教えてほしかったというのが本音だ。

 

 こうなれば、リーナは特に焦らなくてもよい。他の仲間候補である将輝と真紅郎は石川県からだと間に合わないだろう。ならば、変に『ヘビィ・メタル・バースト』で消耗したりせず、相手の体力切れを待てばよいのだ。比較的燃費が良い魔法ばかり使ってまた素の体力がある駿はまだまだ戦えそうだが、素の体力がない文也とあずさは長期戦に持ち込めば戦力ダウンは間違いない。

 

(……思ったより疲れてるわね)

 

 リーナは『ヘビィ・メタル・バースト』の連発で思ったより消耗していたことに今更ながら気づき、文也たちに見えないよう苦笑する。自分で思っていたよりも、焦っていたようだ。

 

 ここからは普通の魔法戦闘に切り替えて、隙が生まれたら一撃で仕留める。リーナはそう方針を変えて、懐からナイフを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおっと!」

 

 シリウスのナイフは虚空を斬るが、その刃は、見た目よりもはるかに長い不可視のものであることは、当然知っている。文也たちは各々の動きで振るわれる不可視の刃をギリギリのところで回避しながら、それぞれが頭を巡らせる。

 

(親父は助けに来れない。会社の手勢は……いや、他の奴らも別動隊に絡まれてやがる)

 

 文也の端末には、他からも救難信号が飛んできていた。文也の家に待機していた『マジカル・トイ・コーポレーション』の手勢も襲撃を受けたらしく、今も交戦中。母の貴代はあずさの両親と一緒に森崎家に避難させたため今のところは無事だ。やたらと森崎家に外せない依頼が集中してきていて、駿の父で現当主にして森崎家最高戦力である森崎隼を筆頭に何人かが外れていて不安は残るが、生半可な魔法師が束になっても勝てないぐらいの戦力にはなっていており、またそちらからの救難信号はまだ出ていない。

 

 こうなるとこの森崎家からの援軍を貰うわけにもいかず、文也たちは、まだまだ時間がかかりそうな将輝たちを待つほかない。先行きは、楽観的な文也から見ても暗い。

 

(『分子ディバイダー』……いざ使われるとなると厄介だな)

 

 魔法師だから、辛うじて魔法による仮想領域の揺らぎを感知することができるが、それでも目で見えないというのは、反応を何歩も遅らせる。また長大な刃を振り回していても、あくまで重さがあるのはデバイス部分であるナイフのみで、遠心力や重量に煩わされず自由に振ることができる。文也やあずさならまだしも、駿の干渉力では、あの不可視の刃にエイドススキンが耐えられない。『ヘビィ・メタル・バースト』と違って一度発動されてしまうと効果が長続きするのもまた厄介で、駿は今や身代わり程度の役割しかこなせていなかった。

 

(見るべきは目線と肩とナイフ! 必ず仮想領域はその延長線上だから……相手に反応されない、ぎりぎりを見極めて先読みして避ける!)

 

 こうなった時、意外にも、一番善戦しているのはあずさだった。運動能力も反射神経も大幅に劣るが、USNA軍と戦うことになるかもしれないとなった段階で文也から教わった『分子ディバイダー』への対策を、忠実にこなしている。また、系統魔法の干渉力は及ばないが、精神干渉系魔法ならば、あのシリウスと言えども特別に強くした『情報強化』をかける必要がある。戦意を削ぐ『カーム』、プシオンの振動を強制的に止めて意識を一時的に薄くさせる『プシオンスタン』、熟睡時に似た波長のプシオン波を当てて共鳴させることで眠らせる『強制催眠』、それらの領域版を駆使して、確実にシリウスの動きを制限していた。

 

「ガンガンいこうぜ!」

 

 そして、シリウスがあずさの魔法に対応するために『情報強化』をしなおすために攻撃が止まった一瞬、文也がまた接近戦を仕掛ける。シリウスは冷静に再び『分子ディバイダー』を起動しようとするが、今度は間に合った駿によって妨害が成功し、不発に終わる。そして文也の攻撃を避けるべく移動した先には、あずさの領域魔法が置かれていた。一瞬意識が飛んで膝から崩れ落ちそうになったシリウスは、それでも気合で『情報強化』をかけなおして無効化する。しかし一度崩れたバランスを文也が見逃すはずもなく、足払いをかける。それでもシリウスは何とか踏ん張ったが、そこにダメ押しの得意魔法『スリップ』が刺さり、世界最強の魔法師は無様に瓦礫の中に転ぶ。

 

「これで終わりだ!」

 

 親友から習った『クイック・ドロウ』で魔法ピストルを抜いた文也は、頭めがけて即座に引き金を連射する。今度は至近距離、空気抵抗による減退も少ない。確実に決まるはずの、渾身の攻撃だった。

 

「何度も同じ手を食らうか!」

 

 しかし、文也たちの決定力不足を知っているシリウスは、それが自分に止めを刺せる唯一の手段であることを察していた。故に、接近された段階で強力な障壁魔法は完成させてある。干渉力ギリギリの威力を跳ね飛ばし、さらにその障壁魔法領域を文也にぶち当てて弾き飛ばし、すぐに立ち上がって体勢を整えながら、いつの間にか接近してきていた駿の顔面を後ろ蹴りで蹴飛ばす。

 

 これで文也と駿に決定的な隙ができた。シリウスは即座に杖を構え、一撃必殺のビームを放とうとする。

 

 しかしそこに、来るはずのない光の弾丸が飛来してきて、またも起動式の読み込みにエラーを起こさせた。サイオン粒子塊の速度からして、駿ではない。もっとこの分野に関しては未熟な魔法師によるものだ。

 

「させません!」

 

 それを放ったのはあずさだった。文也が障壁魔法に跳ね飛ばされ、その後ろからギリギリ間に合わず反撃を受けそうな駿が接近していた段階で、あずさは『サイオン粒子塊射出』の準備を始め、そして読み通り、『ヘビィ・メタル・バースト』の起動式を読み取るぴったりのタイミングで、置いて放っていたサイオン粒子塊が当たり、発動を阻止した。まだまだ未熟だが、相手の動きをここまで正確に先読みする能力は、USNA軍でもそうそう見られないものだ。

 

 そして彼女の行動は、それだけにとどまらない。なんとシリウスに接近戦を仕掛け、幼女のように小さな右手の人差し指と中指をくっつけて立て、それをシリウスの頭に突き出す。

 

 そのたおやかな指の先には、『分子ディバイダー』とは違う、常人には不可視の剣が生み出されていた。シリウスはそれが何であるかは分からなかったが、危険を感じ取ってその延長線上から逃げるべく首を傾けて躱し、その不安定な姿勢のまま驚異的なバランス能力で意外にもスラッとした長い脚を伸ばしてあずさも蹴飛ばそうとする。

 

「おっとさせねえぜ!」

 

 しかし脚を突き出そうとした場所に、大きめの瓦礫が高速で飛来してきて、シリウスは中断してあずさから離れる。またしてもシリウスは、大きなチャンスを逃した。

 

(うん、大丈夫……)

 

 ほんの至近距離を飛来してきた大きな瓦礫を全く恐れず、あずさはシリウスが離れたのを確認してから自分も下がって距離を取る。信頼する幼馴染のやったこと。万が一にも、自分に当たることはない。あずさは、今の一連の流れに確かな手ごたえを感じた。

 

 あずさの攻撃は、シリウスの動きに合わせた精神干渉系魔法の領域版が主となっている。この戦い方は、現在接近戦を主体としている文也と組み合わせると、この上なく相性が悪い。シリウスが入り込むように領域を作るということは、つまり接近している文也もそこに入ってしまうということである。二人同時にそれで戦闘不能になるなら儲けものだが、文也だけが同士討ちで戦闘不能になる可能性がかなり高い。しかし、文也とあずさの連携は、この無茶な戦い方を可能にする。言葉を交わすまでもなく、お互いにどうするのかが無意識で分かるのだ。あずさの魔法は文也の邪魔には一切ならず、それどころか彼の動きに合わせて、的確にシリウスの動きを制限していた。

 

 また文也と駿に隙が生まれたとき、あずさが攻めて時間を稼ぐというとっさの判断も有効に作用した。精神干渉系魔法がからきしな文也に代わった文雄に開発してもらった魔法剣の一種『洗脳剣(ハック・ブレード)』も、シリウスには通じそうだ。この魔法はその名の通り、相手を洗脳する剣だ。『高周波ブレード』のように、指先の延長上に特定の周波で振動させたプシオンの領域を作り、それで相手のプシオン体を貫く。そしてプシオン体の内側から無理やりその周波を浴びせて共鳴させることで、その周波に応じた精神状態にさせるというものだ。今の周波は、興奮状態を落ち着かせて戦意を喪失させる周波で放った。結果として避けられてはしまったが、「避ける必要性が相手にある」と分かっただけでも儲けものだ。

 

「くっ、しつこいやつらね」

 

 またも決めきれなかったことに、シリウスが毒を吐く。その声には、明らかな苛立ちが含まれていた。

 

「おいおい女言葉が出てるぜ。勇ましいシリウス様はどこいった?」

 

 そのわずかなほころびを、文也は見逃さない。先ほどまでの喋り方から、シリウスの素と思しき喋り方が漏れてしまっている。

 

「…………ちょっと待て、まさか、シリウス、お前」

 

 そして、からかうだけの文也と違って、駿は明らかに衝撃を受けた様子だ。文也が気づかない何かに、気づいた様子だった。

 

 駿は家業の都合上、海外の文化にもある程度詳しい。ましてや表向きは――第三次世界大戦前後のごたごたで日米安全保障条約などが全て破棄されたものの――同盟国のUSNAについては、外交に来た官僚の護衛を務めたことも一度や二度ではない。文也も、『マジカル・トイ・コーポレーション』がCADの輸出などをしているはずなのだが、あいにくながら興味がないため、駿ほどの知識はない。

 

「機械で加工されてはいるが、イントネーションそのものは変わっていない。声質だけだ。そのイントネーションと語尾には聞き覚えがある」

 

 駿は険しい顔をしてCADの銃口を向けながら、シリウスを睨む。まるでその駿が何か言うのを止めるようにシリウスは『ヘビィ・メタル・バースト』を起動しようとするが、その稚拙な攻めは駿の『サイオン粒子塊射出』によって無効化される。

 

「英語圏でのアンジェリーナの愛称はアンジー、アンジー・シリウスの正体が、アンジェリーナ、またはアンジェラではないかというのは有名な噂話だ」

 

「そうなのか」

 

「そうなんだ……」

 

 文也とあずさ、小さな二人が何か気の抜けた反応をしているが、駿とシリウスは気にしない。シリウスは、二人にかまっていられないほどに焦っていた。

 

「黙れ!」

 

 叫びながら、シリウスが駿に接近する。しかし、先ほどまでの動きが嘘みたいに焦りで拙くなったそれは、駿によって軽くいなされ、無様に道路に転んでしまう。

 

「まさか、正体を隠しているのにあだ名を被せるなんて馬鹿な真似はしないと思っていたが。その喋り方とイントネーション、魔法力、あだ名と名前、シリウスが最初は文也の対応をする予定だった……なるほどね。全て納得がいった」

 

 駿の目には、怒りが色濃く浮かび上がっていた。それは、シリウスに対する怒りだけではない。ずっと親友にとっての最大の敵がそばにいたのに、露骨なヒントがいくらでもあったのに、全く気付かなかった自分への怒りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、アンジェリーナ・クドウ・シールズだな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、赤髪の鬼の姿は消えて、代わりに金髪の天使が、そこに現れた。

 

「ええ、そうよ、よくわかったじゃない」

 

「むしろ分からないほうがどうかしてるな」

 

 身長も体格も骨格もすべてが変わり、そこには金髪碧眼の美少女・リーナがいた。悔し気に、それでいてどこか皮肉っぽい笑みを浮かべて、駿を睨んでいる。

 

「そんなっ……うそっ……」

 

 それを見たあずさは、口を押え、涙を流しながら膝から崩れ落ちる。

 

 真面目な生徒で、社交性もあって、生徒会の臨時役員としてよく会って、話もしていた。そのリーナが、自分の大切な幼馴染をずっと殺そうとしていた――この事実は、心優しい彼女にとって、あまりにも衝撃だった。

 

「……幻術魔法か? それとも幻覚魔法? いや、ありえねえ。どっちも俺たちが分からないはずがない」

 

 文也は即座にあずさに駆け寄り、その体を片腕で支えて抱きしめる。そしてもう片方の腕でリーナに魔法ピストルを向けて油断しないようにしながらも、リーナがシリウスに姿を変え続けていた仕組みを考察する。光波振動系の幻術魔法はとても細かい調整が必要で、戦闘しながら違和感なく維持し続けるのは、光波振動系のスペシャリストであるほのかでも不可能だ。次に、こちらの感覚に直接干渉して幻覚を見せる精神干渉系魔法かとも思ったが、それなら、あずさが気づかないはずがない。

 

 目に入ってくる視覚情報である光にも、その情報を処理する脳や精神にも干渉をされていない。それならば、あとはどこをどうすれば、あそこまで精密に幻の姿を保てるのか。文也にもあずさにも、皆目見当がつかなかった。

 

「モリサキシュン、貴方、とんでもない地雷を踏んだわよ? もう私があの姿を維持しなくてもよくなったということは、そのリソースが戦闘に注がれるということなのだから」

 

 リーナの言っていることは正しい。『パレード』で座標情報だけでなく容姿まで改竄し続けるのは、体力とリソースをそれなりに消耗する。達也と戦う際には超高難度の『ヘビィ・メタル・バースト』を使うために容姿まで改竄はしなかったほどなのだ。今回あの姿で挑んだのは、一つはアンジー・シリウスとしてのプライドのため。もう一つが、隠しカメラ等によって戦闘を撮影されて命がけで晒されるのを恐れてのことだった。

 

 しかしもうその必要がないとなると、リーナは、戦闘一辺倒で本気を出せる。それがハッタリやこけおどしでないことは、文也たちにもよくわかる。

 

「できればもう少し手加減が欲しいところなんだけどよお。プロとアマなら飛車角落ちぐらいしてくれてもいいんじゃねえか?」

 

「ナンセンス、三対一でよく言うわね」

 

 見た目は鬼から天使に変わったというのに、リーナが放つプレッシャーはむしろ増している。ただでさえ厳しかったのに、これからはより厳しい戦いが予想される。

 

「……ありがとう、ふみくん、もう大丈夫」

 

「おう、期待してるぜ」

 

 だが、リーナはより本気を出せるようになったからか、油断してしゃべりすぎてしまった。その間に、こっそりとリラックスができる『ツボ押し』を施していたこともあって、あずさはまだ目が赤く息も多少荒いが、気を持ち直した。いつも優しさと気弱さが浮かんでいる目で、今はリーナを毅然と睨んでいる。

 

 そんな自分の失策に気づくこともなく、リーナは口角をゆがめて嗤い、蓄積していたストレスをぶつけるように口を動かす。

 

「この姿を見たからには、生きて朝日が拝めないと思いなさい」

 

「上等だコラ。お前もとっつかまえて、あのインディアンよりひでー目に遭わせてやる。お前みたいな美人さんなら『イロイロ』使えそうだからな」

 

「さすがスケベのゲームクラブね。風紀委員さん、生徒会長さん、助けてくれないかしら?」

 

「前向きに善処しよう。安心しろ、中条先輩のおかげで『最悪』はないはずだからな」

 

「え……?」

 

 駿の言わんとしていることを理解したあずさはどこか不満そうだが、そこで会話が打ち切られた。

 

 それと同時に、リーナの呼吸の隙をついて、文也がペットボトルを投げつけ、それに『爆裂』を行使する。今度は悪臭ガスのような悪戯ではなく、中には無数の鉄片と水が入っている。簡易的な手榴弾であり、明確な兵器だ。それと同時に駿とあずさも動き出す。駿はリーナが構築しようとした障壁魔法を『サイオン粒子塊射出』で無効化し、あずさはリーナが避けるであろうルートに『プシオンスタン』の領域を展開する。しかしリーナは最低限の『サイオンウォール』でサイオンの弾丸を防ぎ、障壁魔法を無事に展開して鉄片を防ぐ。そしてあずさの領域とは逆方向に移動すると思いきや、『干渉装甲』をまとってそれを無効化しながら突っ込み、文也が予想して置いておいた攻撃を無意味にして、『サイオンウォール』で自らを囲んでから杖を構え、『ヘビィ・メタル・バースト』を放つ。

 

 しかしその一撃は、またも文也にダメージを与えることはできない。また済んでのところで回避して、その衝撃波を利用してリーナに接近して近接戦を仕掛ける。

 

「何度同じことを繰り返すつもり?」

 

 本当の自分の体に見た目も戻ったことで、リーナの動きはより軽やかになっていた。プロの軍人としての本領を発揮し、文也を全く寄せ付けない。それどころか杖を構え、その先にごく短いビームをとどまらせることでビームサーベルのようなものまで作って、文也を追い詰める。この利用方法は初見であり、文也は今はしのぎ切るのは不可能と判断して、仕方なく時間稼ぎをあずさに任せてリーナから距離を取った。リーナはあずさの領域魔法をまたも『干渉装甲』で無効化しながら文也を追いかけようとするが、駿が即座に汎用型CADを再起動して放った四系統の攻撃魔法に対応するべく、脚を止めてそれぞれ防がざるを得なくなった。しかしこれで駿の特化型CADは一時的にサスペンド状態となってしまい、リーナはノーリスクで一発『ヘビィ・メタル・バースト』を放てる。

 

 その杖先は文也に――と見せかけ、直前であずさに向けられる。しかしそれは当初から想定していたことであり、回避がギリギリのところで間に合った。

 

「さっきの威勢はどうしたの? 腰が引けてるわよ?」

 

「この反則女め! ツインテール引っこ抜いてケツの穴にぶち込んでモノホンの尻尾にしてやらあ!」

 

 文也は玩具のようなナイフを取り出して、リーナやネイサンが使ったものに比べたらはるかに質が劣る『分子ディバイダー』を起動して振りかぶる。その狙いは、暴言とは裏腹に別の場所だ。

 

 狙うのはリーナの体ではない。文也とリーナの干渉力の差では、エイドススキンすら破ることができない。その狙いは、ビームを放つときに必ず使ってる、十字型の杖だった。

 

「ブリオネイクを狙おうだなんて小細工はよしなさい」

 

「ずいぶんとお洒落な名前してるじゃねえか!」

 

 その目論見は外され、リーナはスッと杖――ブリオネイクを動かしてその不可視の刃を躱し、ついでとばかりに文也の足元で『スパーク』による放電を行う。放出系に高い適性があるリーナの『スパーク』は、基本魔法でありながら高い出力を誇る。

 

 それに対して文也が行ったのは、『スパーク』そのものの無効化や回避ではなく、ダメージを防ぐこと。文也が履いている靴の底はもともとゴムで、絶縁体だ。電気自体は通さない。問題はその抵抗によって発生する高熱や破壊であり、足の裏の火傷や靴の破損による戦闘力の低下は重いものとなる。振動系魔法で靴底の温度を無理やり下げ、電気抵抗による発熱を抑え込んだ。

 

 しかしリーナの攻撃はそれにとどまらない。靴底で防がれるのは予測していた。その放出された電気をさらに魔法で操り、文也のうなじに襲い掛からせる。

 

「電撃が好きだねえ。ピカチュウかよ」

 

 しかしこれも文也には予測済み。近くにあったむき出しの鉄骨にそれを誘導させることで難を逃れる。昨夜のネイサンから引き続き、よく使われる攻撃だった。

 

 そしてその間に、あずさと駿が仕掛ける。あずさは『ストーンシャワー』で面攻撃を仕掛けてさらにそれに隠れてリーナの真上に移動させておいた鉄骨を落とし、駿は固めて準備しておいたうちのいくつかのサイオン弾を発射してエイドス体にダメージを与えようとする。しかしリーナは全方位を囲う障壁魔法であずさの攻撃全てを防ぎ、駿の放った弾丸も『サイオンウォール』でしのがれる。

 

 しかしそれは駿の狙い通りだった。サイオンが見える魔法師は、当然『サイオンウォール』によって視界が塞がれる。それに隠して駿が投げつけたのは、手から放しても放電し続けるよう細工されたスタンガンだ。

 

 リーナからすれば想定外の近さで発生する電撃を、文也が魔法で操って痺れさせようとする。リーナはとっさに金属製であるブリオネイクを掲げてそれに電気を吸わせて自分に伝わるのを少しだけ遅れさせ、その間に手に伝わってくる電気を手のひらの電気抵抗を高めて退ける。さらに、盾にしたついでにブリオネイクを構え、投げた姿勢をすぐに戻して、射線から逃れようとしている駿の動きに合わせて、『ヘビィ・メタル・バースト』を放った。

 

 そのとっさの光線は、少しだけ外れた。杖先の照準が間に合っておらず、駿から体一個分ズレたところを光線は通過してく。

 

 ――しかしそれは半分リーナの狙い通りだった。

 

 ――彼女はそのまま体をひねり、ブリオネイクをぶん回して、まるで本来の『ヘビィ・メタル・バースト』のように、水平方向全方位に、必殺のビームをまき散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(勝った!)

 

 リーナは勝ちを確信した。今まで隠していた、彼女が持つ切り札を、最高のタイミングで使うことができた。

 

 夜の闇の中で煌めく金髪をなびかせてプラズマの光を浴びながら回転する天使のごとき絶世の美少女の姿は、本来ならば、誰もを魅了する美しい存在だ。

 

 しかし、今の彼女を見て、そう思うものはいない。いまここにいるのは、全方位に死の光をまき散らす、破壊の権化だった。

 

「きゃっ!」

 

「ひえっ!」

 

 あずさと文也は声を上げながら身を屈めてなんとか回避する。ビームが二人の頭上を通り過ぎて、その衝撃波が襲い掛かって、二人の体を、瓦礫でボコボコになった地面にしたたかに打ち付ける。

 

 この使い方は、リーナが今まで隠していた、ブリオネイクと『ヘビィ・メタル・バースト』を組み合わせた切り札の一つだ。いつもの直線的な使い方を好む理由は、衝撃波やプラズマが届く距離を押さえる手間がその狭い面だけで済むという燃費の面と、この超高速の攻撃は例え直線的でもそうそう避けられないから工夫する必要がないという二点からだ。文也たちのように、直線的なビームを躱せるほどの実力を持つ複数人が相手ならば、こうしてビームを放ちながら回転することで、水平方向に円状にプラズマをばら撒く本来の『ヘビィ・メタル・バースト』のような使い方ができる。体を回転させるという時間的にも予備動作的にも相手に躱すチャンスを与える動作が必要であり、また本来の数倍の範囲でプラズマを制限する力場を設定しなきゃいけないという欠点があるが、破壊したい場所に自分がいてもなお自分を巻き込まずに範囲破壊できるという点では、本来の『ヘビィ・メタル・バースト』より優れている。

 

 そしてリーナは、あわよくばこの初見の攻撃で戦闘不能になってくれればと思っていたが、そこまで楽観的ではない。躱すチャンスを与えてしまう欠点は承知のうえである。本物の狙いは、躱された後だ。このビームは、よほど強力な壁や魔法で防ぐ以外では、伏せるか跳ぶかして躱すしかない。そして今回リーナが回した高さは、とっさに跳んで躱すには難しい程度であり、間違いなく伏せて躱さなければならないものだった。しかし、このビームを伏せて躱そうものなら、至近距離で衝撃波に晒され、家の残骸がむき出しになった危険な地面に叩きつけられることになる。その隙を生むのが、本当の狙いだ。

 

「まとめて消えなさい!」

 

 リーナは回転の勢いを止めず、また『ヘビィ・メタル・バースト』を放とうとする。今度は地面スレスレだ。瓦礫にたたきつけられて身動きができずに蹲っているであろう三人を、再びの回転ビームで一気に消しとばそうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――させるか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかし、それは上手くいかなかった。

 

 ――動けないはずの駿が放ったサイオン弾が、またも起動式の読み込みを妨害する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーナは、恐るべき反射神経でそれを理解して、回転しながら目を見開いた。

 

 回転するビームの一番近くにいた駿は、それでいて、一番早くに反応することができたのだ。ボディーガードで磨いた危機察知能力と反射神経がそれを可能にした。

 

 自分の真横ギリギリをビームが通り過ぎると見た段階で、駿は衝撃波で吹き飛ばされないよう、その衝撃波をコントロールする魔法を準備していた。そして、回転の予備動作をその目に捉え、とっさに身を伏せて、準備していた衝撃波緩和魔法でダメージをゼロにした。そのおかげで、駿は動けなくなったということはなく、リーナの二撃目を妨害することに成功した。

 

(ウソ――!? なんで――!?)

 

 その予想外の驚愕に、リーナの思考に空白が生まれる。ビームを放つことなく、彼女の体はただ空しく回転するだけだった。

 

 ――その隙を、文也が見逃すはずがない。

 

 文也は得意の『スリップ』をリーナの軸足の足元に行使する。大魔法『ヘビィ・メタル・バースト』を放とうとしてそのためにリソースを注いでいた彼女は、決まると確信した攻撃を妨害されたこともあってか反応が遅れ、盛大に足を滑らせ、回転の勢いのまま無様に転倒する。その隙を見越して、文也と駿は同時に少しの水と鉄片が詰まったペットボトルを彼女の頭上に投げつけて『爆裂』させ、面攻撃を仕掛けようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――させない!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これに似た攻撃を、リーナはつい最近見たことがある。あの夜の公園で、司波達也と戦った二度目の時。こんな面倒な手順を踏む玩具ではなく、もっと本格的な軍用の、本物の投擲榴散弾だ。『パレード』で座標情報を改竄して照準を外す彼女への、不意の一撃だった。

 

 過去に受けたものよりも、はるかに稚拙な攻撃。

 

 それに対して、世界最強の魔法師が、対応できないはずがない。

 

 アンジー・シリウスたるリーナは、これに対応して見せた。広い領域を設定する必要がある障壁魔法は間に合わない。それよりも、基本のさらに基本で、対象が二つだけで済む防御方法を選択する。

 

 リーナは、ペットボトルそのものに『情報強化』を施して、『爆裂』受け付けなくさせた。二人の干渉力では彼女を上回ることができず、中に凶器を詰め込んだペットボトルは空しく彼女の体を通り過ぎた。

 

(なんとか、乗り越えた――)

 

 激しい運動と、度重なる衝撃と危機。それらによって跳ね上がり続けていた鼓動は、その山場を越えたせいか、落ち着いていた。それとともに、最後のリベンジマッチということもあって燃えていた彼女の心も、落ち着きを取り戻す。その昔、入隊して間もないころ、戦闘中に初めて人を殺してパニックになった時、バランス大佐に鎮静剤を打ち込んでもらった時のような安心感と浮遊感が、彼女の心を満たしていく。

 

 そんな安心感の中、彼女は、一つの声が聞こえたように感じた。

 

 もう何年も会っていない母の、幼いころに聞いた、優しい子守唄。すでに才覚を発揮していて、それに目を付けた国によって軍属として訓練を受けていて、充実して自由な幼年期とは言い難かった。そんな息苦しい中での、母親の優しい子守唄は、彼女にとっての最大の癒しだった。

 

(これが終わって帰国したら、ママに会おう)

 

 リーナは口元をほころばせながら、そう決める。

 

 もう、三人とも手詰まりのはずだ。あとは、今度こそ止めを刺すだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思って彼女は立ち上がろうとして――糸が切れたように倒れこんで、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーくそ、死ぬかと思ったぜ」

 

 文也、あずさ、駿。その三人の中心で、先ほどまでの鬼のごとき表情が嘘みたいに安らかな天使の顔で眠るリーナを見て、文也は悪態をつく。過去最大の戦闘が終了した疲れと弛緩からか、三人とも立ち上がることができない。

 

「あーちゃん、よくやってくれたな」

 

 自身とあずさと駿、全員に疲労とサイオンが回復する『ツボ押し』をしながら、文也は今すぐにでも歩み寄って抱きしめて讃えたい、最高の幼馴染に惜しみない賞賛を送る。

 

「えへへ、ありがとね、ふみくん」

 

 彼女の服は、戦闘中の攻撃や衝撃、および激しく動き回って瓦礫に何回も擦ったことでボロボロだ。か弱く、小さく、運動も苦手で、気弱でまた心優しい彼女は、心身ともに疲れ切った様子だ。それでも浮かべる笑顔は朗らかで柔らかく優し気で、文也の心に温かくしみこんでいく。

 

 文也と駿の攻撃は失敗した。しかしそれによって、リーナの気をそらすことには成功したのだ。

 

 ――本命の攻撃は、あずさの魔法だった。

 

 その魔法の名前は、皮肉にもリーナの母国の公用語である英語の、『スウィート・ドリームス』。日本語にすると「良い夢を」。『強制催眠』とは違う仕組みで相手を眠らせる精神干渉系魔法だ。

 

 この『スウィート・ドリームス』は、文也とあずさで作り上げた魔法だ。精神干渉系魔法の一分類である、情動と感情に働きかける情動干渉系魔法の一種で、同じく情動干渉系魔法であるあずさの固有魔法『梓弓』を改造して生み出したものである。

 

 プシオンの波動を浴びせて感情を落ち着かせる魔法で、受けた対象は極度のリラックス状態になる。この波動はいわゆる「癒し」状態にさせる波長になっており、極度にリラックスした対象は、まるで白昼夢の中にいるような、多幸感に満ちたトランス状態になり、全身の力がおのずと抜け、意識も曖昧になってくる。それによって、本人も気づかぬまま、リラックスの極致である睡眠状態になるのだ。『梓弓』の最大のセールスポイントである、同時に対人数を相手に干渉して集団パニックを沈静化できる――というメリットは失われ、一人もしくはせいぜい狭い範囲に固まった数人程度にしか行使できないが、代わりに睡眠状態にして意識を奪うことができるため、無力化するためには有効である。

 

『梓弓』と同じく、プシオンの波動を浴びせる情動干渉系魔法ということで、おそらくこれを使えるのはあずさのみだ。あまり人に知られるわけにもいかないので試したのは駿たち身内だけとは言え、あずさ以外誰一人全く使えなかったのを見ると、その性質から見ても。これもまた属人的な魔法と見るのが妥当だろう。

 

 ちなみに、この魔法はこうした仕組みで睡眠状態にさせることから、とてつもない快眠効果がある。何回か――主に文也と文雄が実験台になって――身内を対象に試してみたのだが、全員がぐっすりと気持ちよく眠ることができたし、各々幸せな夢を見ることができた。またその「癒し」の波動は、不思議なことに、対象の記憶にある「癒し」の音が幻聴としてよみがえってくる。文雄は幼いころに初めて自分で作った音楽プレーヤーから流れる音質の悪いジャズの音が、駿は好きなクラシックが、将輝は幼いころに一度だけ聞いた父・剛毅の下手くそだが温かい子守唄が、真紅郎は幼き頃に聞いた死んだ両親が絵本を読み聞かせてくれる声が、それぞれ聞こえたと言っていた。ちなみに、文也は、恥ずかしかったようで、顔を赤くしながら話そうとしなかった。

 

 そうした性質故に、相手を幸せな夢の世界に送り出す言葉『スウィート・ドリームス』が、この魔法の名前になっている。どんな音を聴いて、どんな夢を見たのか、顔を赤くしながら話そうとしない文也が、追及を打ち切って誤魔化すようにつけた名前だ。

 

 文也とあずさは、寝転がって全身を投げ出しながら、柔らかく笑いあう。激しい戦いから解放された緊張の弛緩が、二人の顔を自然と綻ばせた。

 

「イチャイチャしてるところ悪いが、ゆっくりしてる暇はないぞ」

 

「え、ちょ、ちが」

 

「……それもそうだな」

 

 そんな二人に、駿が声をかけて、真っ先に立ち上がる。体力がありまた警戒心が強い駿は、まだこれで仕事は終わりじゃないことを理解していた。彼のポケットの携帯端末にも、救難信号が届いている。文也たちは、これから地下に閉じ込めているネイサンを回収してここを離れ、井瀬家の援護に向かわなければならない。

 

 それを聞いた文也も素直に立ち上がり、あずさも顔を赤くしてワタワタしながら立ち上がる。

 

 そしてちょうどそこに、森崎家に避難している貴代が操作する運搬用ドローンが到着した。戦闘に巻き込まれないよう今まで待機していたのだろう、素晴らしいタイミングで現れて、リーナを回収して去っていく。

 

 それを見て、息を整て移動しようとし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、俺たちも行――っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――文也と駿は即座に反応して、魔法を行使した。

 

 駿は自らとリーナを乗せるドローンに、文也は自身とあずさに、それぞれ対抗魔法をかける。少し遅れて現れた魔法式は、その対抗魔法の一部を破ったが、その上から覆いかぶさる魔法式にかき消された。

 

 今発動したのは、文也がついに開発に成功した、『ファランクス』のダウングレード版、何度もかけなおさずともよい、幾重にも次々展開される『領域干渉』の強化版、題して『多重干渉』だ。

 

「今すぐ武器を捨てて投降しろ。無駄な抵抗はよした方がよい」

 

 そこに現れたのは、二人。片方は身長が高めで体格がしっかりしている男で、今機械を通して加工された声で話した。そしてもう片方は、男に比べたら身長がだいぶ低い、細身の女。どちら体にピッチリとくっついて邪魔にならないバトルスーツとフルフェイスの戦闘用ヘルメットをかぶっていて、その正体は判然としない。

 

「お前らもUSNAの仲間……なのか?」

 

 文也は眉をゆがめ、疑問を口にする。

 

 それに対して二人は何も答えず、男は細身で銀色の拳銃型の特化型CADを、女は携帯端末型のCADを取り出している。二人が放つオーラは、先のリーナにも劣らないほど強力。それを感じ取ったあずさと駿は、全身から脂汗が噴き出す。

 

 そんな二人に対して、文也は別のことに対して衝撃を覚えていた。

 

「嘘だろオイ、お前らが、まさか……」

 

 文也は声を震わせ、それでも二人を睨みながら呟く。

 

「おい、あの二人は誰だ!?」

 

 そんな文也の様子から、駿は、彼が二人の正体を分かったと察し、焦った声で問い詰める。

 

 文也は人体に詳しいから、相手の歩き方や体格や骨格で、姿を隠していても誰なのかがわかる。二人のそれは、文也がこの一年弱、何度も見たものだ。

 

 また、使っているCADも何度も見たことがある。あのCADに叩きのめされたのは、一回や二回ではない。

 

 そして、先ほど無効にした、相手が不意打ちで使ってきた魔法。魔法師は、魔法式が現れたら、その魔法式が現れる前後に生じる世界の差異や違和感から、その改変事象内容を察することができる。

 

 改変内容は、文也たち三人の痛みを敏感に感じる痛点、およびリーナを乗せるドローンそのものを気化させる『分解』だ。

 

 その魔法を、有体物に使える人間を、文也は一人しか知らない。そして、その男が連れているもう一人の女も、おのずと正体がわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「司波兄、司波妹……お前らがなんで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也のつぶやきに、あずさと駿は、驚いて声を上げた。




クライマックスが二段構えなのは古今東西の定番です

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