マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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さあ、これで、役者は揃った――?


5-13

 各々が危機に陥った時に使用する、文也たちの救難信号。それはペアリングした端末なら、日本中ならどこへでも届くようになっている。昨夜、ネイサンに襲われたときに文也が発した救難信号は、近場にいたあずさたち、東京と比較的近い静岡にいた文雄だけでなく、石川にいた将輝と真紅郎にも届いていた。生徒であるがゆえに、最悪ズル休みもできてフットワークが軽い二人は、文也がネイサンに襲われて信号を出すと同時に、良くても悪くても間に合わないだろうと思いながらも、東京に急行していた。

 

 そして駿たちが駆けつける前にすら終わった短期決戦は、「良くても」間に合わない、のパターンとなり、二人は寒空の中を空中ドローンで駆け抜けたのが、完全な「無駄足」となった。

 

 ――そこで翌日の学校に備えて二人が戻ったかと、言うとそうでもない。

 

 ズル休みをしたのは、文也たち三人、リーナ、司波兄妹だけではない。将輝と真紅郎もまた、今日学校をズル休みしていた。彼らは都内ながらも文也たちがいた隠れ家からだいぶ離れたホテル――急だったため学生たちだけではそこしか取れなかったのだ――に泊まって、早くに駆け付けられるよう待機していたのだ。リーナとの戦いには間に合わなかったが、こうして達也たちとの戦いに間に合ったのは、思わぬ幸いと言ったところだろう。

 

「話は途中までで聞いてる。まさか、司波と司波さんが四葉だったとはな」

 

「詳しくはないけど、悪名だけはやけに有名な十師族だね」

 

 真紅郎に比べて、将輝は動揺が大きい。ライバルと認めた司波達也、恋焦がれていた司波深雪、この二人が四葉の者だったというのは、少なからずショックだった。それは、十師族の嫡子であるがゆえに、四葉家がどれほどの存在なのかを痛いほど知っている、というのもあるだろう。

 

「いやーほんと危ないところだったぜ、マサテル、ジョージ。こいつらホント化け物みたいに強いからよー」

 

「マサキだ」

 

 深雪に並ぶほどの実力を持つクリムゾン・プリンスこと将輝、優れた科学者にして同世代では抜きんでた力を持つ真紅郎。この二人の登場に、文也たちの厳しかった表情に希望の色が現れる。このままではジリ貧であることを、三人とも自覚していたのだ。

 

「それで、ジョージ、文也、あの自己再生と異常な治癒魔法は、どうやって解決するんだ?」

 

「『爆裂』よりははるかに燃費悪いだろうし、破壊しまくって回復のサイオンが尽きるのを待つとか?」

 

「冗談はよせ。あいつが何発『術式解体(グラム・デモリッション)』が撃てると思ってるんだ」

 

「じゃあお前が『爆裂』で司波妹を狙い撃ちして足止め、司波兄が回復し続けなきゃいけないところを俺らが集中砲火でどうだ?」

 

「凶悪な発想だが、それが一番だな」

 

 文也の提案に、将輝が賛成する。

 

 将輝は深雪に恋心を抱いていた。しかしながら、先ほどの登場の通り、すでに彼女を無残な肉片に変えることに躊躇はない。あの佐渡で、そして横浜で、経験した修羅場は、将輝に冷酷な戦士に切り替えることができる精神を身に着けさせたのだ。

 

 それに対して、達也と深雪が顔をしかめる。今の会話中、文也たちが気を抜いているようでいて、二人はそこに隙を見いだせなかった。将輝の存在が、あまりにも大きすぎる。その干渉力は、安易な二人の攻撃を容易く跳ねのけてしまう。そして見過ごさざるを得なかった作戦会議で出た結論は、二人にとって最悪の結論だった。

 

 それで負けることは、絶対に無いだろう。いくら徹底的な破壊、それこそ肉片に変えるような破壊でも、ほんの数秒は死がこの世に定着するまでの猶予がある。達也の『再成』が間に合わないことはないから、深雪も達也も、最終的には傷一つない体で帰ることができるし、その無限の命という有利を押し付ければ、五人とも殺すことはできる。

 

 しかしその選択は、あまりにも苦痛が伴う。それを受け入れたら、達也は痛みを感じる間もなく自己修復するから問題ないが、深雪は幾度となく破壊されては『再成』されて戦いに戻されることになる。『再成』は記憶まで元に戻すとはならず、死の瞬間までの記憶が残った状態で体だけが元に戻る。つまり、幾度となく受ける破壊の記憶を、深雪は耐え抜かなければならない。その持久戦は、サイオン量や人体はまだしも、あまりにも精神を削る。

 

 しかし、それしかない。文也たちはすでに動き始めた。達也も深雪も、それを覚悟するしかない。

 

(やることは一つ――俺が早く決めるだけだ)

 

 愛しい妹の負担を少しでも減らすため、達也はあえての短期決戦を選び、自ら攻撃する。ついにはCADを使わないで系統魔法を理論上ありえない速さで行使する『フラッシュ・キャスト』まで使って、猛攻を仕掛ける。その急激にテンポを速めた攻めに、文也たちは反応が遅れた。

 

「お前、なんだそれは!? 九校戦でマサテルに使った奴と同じか!?」

 

 達也の魔法力は、二科生の中でも下位に位置する。しかし、四葉家の生み出した悍ましい技術は、彼に恐ろしい力を与えた。

 

 記憶領域に起動式を刻み付けて、起動式の展開と読み込みを省略する『フラッシュキャスト』。人工的に植え付けられた仮想魔法演算領域。この二つの悍ましい技術を植え付けられた達也は、CADを使わず、しかも圧倒的に速度で優る魔法師の原点・超能力者をも上回る速度で、魔法を行使することができる。

 

 その速度は、人間の無意識・反射と同等だ。意識的な反応・対応では絶対に間に合わない。

 

 達也は文也の問いに反応しない。一刻も早く殺す。妹を傷つけないために。その意思のみで、たった一人で五人を圧倒していた。

 

「これはなんなのふみくん!?」

 

「わからん! 多分、脳みそに起動式が入ったチップが埋め込まれてて、その回路と脳神経を繋げてるから、起動式の読み込みがいらないんだ!」

 

「怖すぎるだろ!」

 

 あずさ、文也、駿が各々叫びながら、達也に対応する。達也のこれは速度だけだ。事前に防御魔法を展開していれば、それを達也が破ることはできない。

 

(どっちも惜しいな)

 

 達也は、文也の推測と五人の対応、それぞれに冷淡に評価を下しながら攻め込む。

 

 文也の推測は、かなり良い線を言っている。ただ、四葉の発想はそれにとどまらない。もっと効率的で、もっと非人道的だ。

 

 そして、五人の対応。これも惜しいが、間違いだ。魔法による防御は、それぞれの現象に合わせた系統で防がなければならない。達也は異常な速度で八系統の魔法をランダムに変えて行使して押し込もうとする。これに対応するのは、十文字の『ファランクス』か、ネイサンの『身守り』のような万能の守り以外では不可能だ。皮肉にもそれは、大量の専用CAD『パラレル・キャスト』による多種同時攻撃で多くの魔法師を苦しめてきた文也の戦術と同じだった。

 

 空気の刃は文也の頬を切り裂き、全身にかいた汗を発散させられた駿は寒さで動きが鈍り、九校戦の再現のように耳元で爆音を鳴らされた真紅郎の鼓膜は破れ、将輝はサイオン波で軽い脳震盪を起こす。そして、あずさは空気中の水分を収束させて放つ『水鉄砲』を防ごうとしたところで、放出系魔法による電気ショックを食らい、昏倒した。

 

「あーちゃん!」

 

 あずさの小さな体から、力が抜けて倒れていく。文也はすぐに駆け付けてその体を支えてコンクリートに叩きつけられるのを防いだが、それ以上に危機的な状態に、五人は晒されていた。

 

「深雪!」

 

「ええ、お兄様!」

 

 達也が叫ぶ。それに深雪は呼応し、準備していた魔法を放つ。

 

 達也の狙いは三つ。五人に攻撃する隙を与えないこと、あずさを昏倒させること、深雪が大魔法を準備する時間を稼ぐこと。その大魔法は『コキュートス』。あずさが気絶した今、それを防ぐことができる者は、ここにいない。

 

 すでに起動式の読み込みも完了しているから、駿の『サイオン粒子塊射出』でも妨害できない。兄妹の狙い通りの状態になった。

 

 深雪の悍ましい魔法式が、再び文也にかけられる。

 

 そしてそこに――また『抱擁』の魔法式が浮かび上がった。

 

「中条先輩!?」

 

 文也はまたも、精神が凍結されるギリギリで、いつのまにか意識を取り戻していたあずさに救われた。顔だけ起こして文也の様子を確認するあずさを見て、深雪は驚愕の声を上げる。

 

「くっ、気絶に合わせて『覚醒』を使ってたのか」

 

 達也は油断したと歯噛みしながら、また単身前に出て、高速魔法戦闘で五人相手に立ち回る。

 

 しかし同じ手が通用する程、文也たちは甘くはない。

 

「将輝はヒステリー女を狙え! 俺らが分担して守る!」

 

 文也の叫びに合わせて、将輝以外の四人が、それぞれ別々の系統の対抗魔法を展開する。達也の干渉力では、それらを破ることはできない。『術式解散(グラム・ディスパーション)』でそれらを破ろうとするが、しかし深雪の体に浮かび上がった多数の『爆裂』に対処しなければならず、達也は攻め込むタイミングを見失う。しかも最悪なことに、『術式解散』が一つだけ間に合わなくて、妹の全身はまたも内側からはじけ、無残な肉片となってしまった。

 

 達也は急いで『再成』をかけようとする。しかしそのCADに駿の『サイオン粒子塊射出』が飛んできて起動式の読み込みを妨害した。しかし、これは達也のダミーだった。『再成』は魔法の難度自体は高いが、工程数は少ない。こんな重要な魔法が達也の脳に刻み込まれていないはずがなく、『フラッシュ・キャスト』で直接行使し、深雪はまたも元通りの体になった。

 

 先ほどまでだったら、ここから仕切り直しとなっていた。

 

 ――しかし、今ここには、将輝と真紅郎が新たに加わっている。

 

「今だ! 押し切れ!」

 

 文也の号令とともに、深雪と達也にありとあらゆる破壊の魔法がかけられる。

 

 肉が内側から爆ぜ、目玉を気化させられ、脳は電気ショックに晒され、骨が振動で砕かれ、首が不可視の刃で切り裂かれ、心臓がコンクリートの破片で傷つけられ、全身に鉄片が突き刺さり、体中を砂塵まじりの旋毛風で削られる。

 

 その全ての攻撃を、達也と深雪は受け止めなければならなかった。『情報強化』は構成が間に合わないし、干渉力で抵抗できない。それら全てによる徹底的な破壊を、受け入れざるを得なかった。

 

 ――そして二人の地獄は、ここで終わらない。

 

 望まないで埋め込まれた自己修復術式によって、誰よりも愛する兄の手による魔法によって、それぞれ強制的に身体を『再成』させられる。どんなに身体を破壊されても、二人は死ぬことができない。

 

 ――致命傷の苦痛から、逃れることができない。

 

「おおおおお!!!」

 

 達也が、破壊と殺害、暴力の嵐の中で吠える。

 

 強い情動をつかさどる部分のほぼ全てを仮想演算領域にすり替えられた彼は、激しい情動に駆られることはまず無い。彼が感情に任せて大声を出すことは、ほぼありえないはずだ。

 

 しかし彼には、一つだけ、「残された」感情がある。四葉のために、都合がよいから残された感情。

 

 ――兄妹愛。

 

 四葉に生まれた過去最高の力を持つ妹・司波深雪を守る、道具としての人間・ガーディアンとしての役目を背負わされた彼は、意図的にその情動だけが残された。

 

 彼が今、激情に駆られて吠えているのは、自分が傷つけられたからではない。

 

 ――妹が、何度も、何度も、何度も、殺されているからだ。

 

「くそっ、なんだあれは!?」

 

 文也はなおも攻撃魔法を放ち続けながら、その光景に恐れを覚える。

 

 絶世の美少女が、血だらけの肉と化していた。そこにさらに新たな破壊の魔法式が次々と被せられる。それらの魔法式はすべて、領域魔法化した『術式解散』によってサイオンの粒子と化した。そしてその領域が解けた一瞬に、『再成』が施され、血だらけの肉が再び絶世の美少女となる。ところが、その芸術のような少女に、新たな破壊の魔法式が現れた。しかしそれらは、今度は個別の『術式解散』によって、一つ一つが消しとばされる。

 

 ――同世代でもトップの魔法師五人が一斉に放った魔法式は、たった一人の魔法師によって、一つ一つが分解されてしまった。

 

「よくもやってくれたな」

 

 達也は、CADを文也たちに向けながら、怒りを込めて睨む。

 

 今、達也がやったことは、まさしく究極の絶技だった。

 

 まず、深雪に行使され続ける大量の魔法式すべてを一気に『術式解散』の領域で無効化。そして『フラッシュ・キャスト』によって魔法を行使し続けていた文也たち五人よりも速く、領域を解いた瞬間に『再成』をかける。そして『再成』後の魔法はすべて、『フラッシュ・キャスト』を用いた個別の『術式解散』で無効化する。二回目も領域化しなかったのは、深雪が自分にかける『情報強化』を邪魔しないため。そのために、達也は限界を超えて、無理だと思っていた大量の魔法式を個別にすべて『術式解散』することに成功した。

 

 それを成し遂げた達也に、文也たちは恐れおののく。こんなこと、たとえ人間の演算力をはるかに超えるスーパーコンピューターの補助が合ってすら、単独でなせるわけがない。五人の一流魔法師が一斉に行使した魔法に、たった一人で、超高等魔法『術式解散』で追いついて見せた。世界最強の魔法師、アンジー・シリウスよりもさらに訳の分からない、理解できない領域にいる『バケモノ』。文也たちからは、達也がそう見えていた。

 

「お兄様、申し訳ございません……」

 

「いや、いいんだ。お前がいなければ、とっくに負けていた」

 

 深雪は、心底申し訳なさそうに、兄に謝る。達也はそう言って笑顔を作って慰めるが、しかしその目からは文也たちに対する怒りが消えていない。

 

 このやり取りは、文也たちからすれば、足を引っ張ってしまった深雪が達也に謝ったように見える。

 

 それは実際そうなのだが、文也たちが知らない事情もまた、そこに介在していた。

 

 達也の『再成』は、対象が痛みを感じる生物であれば、エイドスの履歴を読みだす過程で、その対象が受けた痛みをすべて達也が感じてしまう。しかも、履歴参照の一瞬に痛みが凝縮されて襲い掛かってくる。故に、痛みに強い耐性がある達也と言えど、一瞬のタイムラグは免れない。ましてや、深雪に起きた破壊はすべて致命傷、中には内側から体が爆ぜるという最悪の苦痛もある。

 

 しかし達也は、常識の領域を超えた速度を強いられたため、そのタイムラグというほんの少しの猶予すら自分に許さず、この世のものとは思えない苦痛を、ゼロに近い時間の中にすべて凝縮させて受け入れ、それを乗り越えて深雪を『再成』させた。それだけにとどまらず、そこからのフォローも、完璧に行って見せた。

 

 深雪の謝罪は、この、何にも勝る究極の痛みを何度も兄に受けさせてしまったことを謝ったものだ。

 

 深雪は、致命傷の痛みを味わっては、その記憶が残ったまま『再成』させられ、また破壊されるという無間地獄を味わってきた。そしてその全ての痛みは、『再成』した達也もまた味わい続けてきた。

 

「もう終わりにしよう」

 

 達也は、自分に誓うように、妹を安心させるように、文也たちに宣告するように、口を開く。

 

 一刻も早く、この地獄から、妹を救わなければならない。

 

 何度も死の苦痛を味わい、そしてそれを達也もまた受け、そのことに妹はさらに心を痛める。

 

 こんな状況に、愛する妹が晒されているのは、達也にとっては我慢ができないことだった。

 

「ああ、お前らの終わりだ!!!」

 

 文也が叫ぶと同時に、また五人から攻撃魔法の波が押し寄せる。しかしそれは、先ほどまでと比べたら、ほんの少しだけ勢いが劣る。後から参戦した将輝や真紅郎はまだしも、リーナからの連戦だった文也とあずさと駿は、すでに疲労が限界だった。そしてその疲労は――攻撃だけに現れるわけではない。

 

 あずさと駿はまだ何とかなっている。しかし、サイオン保有量が平凡で、かつ、本人の戦い方ゆえに今日もっとも消費が多かった文也は、そうではない。本人の体力のなさと相まって、その多重の『領域干渉』が紡ぎだされるペースは、『トライデント』の槍よりも遅くなっていた。得意の『ツボ押し』で体内のサイオン量回復力を増幅させてはいたが、いよいよ限界だ。

 

 達也は、将輝の『爆裂』によってまたも血の華になった妹を『再成』させながら、文也にCADの銃口を向け、引き金を引く。これで一番厄介な敵が消える。あとは戦力が削られた相手を倒していくだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた達、何やってるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その魔法は、予測しえない方向から飛んできた『サイオン粒子塊射出』によって、エラーを起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也はその方向を確認して、油断したと歯噛みする。増援は将輝と真紅郎で最後だと、勘違いしていた。

 

 目の前の戦いに集中させられていた達也は、『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』による周囲の確認を怠っていた。

 

 だからこそ、この予想外の介入を許してしまった。

 

 介入者は、この一年間、いろいろとお世話になった学校の先輩。十師族の長女で、一高でも三巨頭に数えられた、元生徒会長。

 

「早く説明しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――七草真由美が、CADと厳しい目線を向けながら、達也にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでも私、受験生なんだけど……」

 

 2月16日、真冬の真夜中を歩く羽目になっている真由美は、白い溜息を吐く。もうすぐ受験本番だというのに、勉強する時間を割いてやっていることが、風邪をひく危険が高まる真冬の真夜中の出歩き、それも万が一のことがあったら怪我をして受験に響く吸血鬼事件のパトロールだ。いくら模試で全科目満点、実技でも全国二位(一位は克人だ)で、おそらく本番は逆立ちしながら挑んでも合格が確実とはいえ、気分的にはどうしても落ち着かない。

 

「お姉ちゃん、今日それで何度目?」

 

「香澄ちゃんも受験生でしょうに」

 

 そんな真由美の隣を歩くのが、妹の香澄だ。好戦的でヤンチャな彼女は、姉のパトロールに何度もついてきたがっていた。最初は受験生にそんなことさせるわけにはいかないと――自分のことを棚に上げたと見るか自分のようになって欲しくなかったと見るかは各々の解釈が分かれるところ――断固として断っていたのだが、成果のないただの夜の散歩を何度もしているうちに、どうせ今回も何もないだろうと、同行を許可したのだ。ちなみに香澄も中学三年生で、魔法科高校の受験を控えている身だ。同じく合格は余裕も余裕だが、双子の妹・泉美やライバル師族の七宝琢磨と新入生代表を争う立場であり、真由美と違って合格すればあとはどうでも良いというわけではない。本当なら最後まで同行させるつもりはなかったのだが、一高が急に新学科を設立するにあたって全魔法科高校の入学試験日が後ろ倒しになって無駄に受験勉強が増えたこともあって、気分転換も大切だろうと許可したという面もある。

 

 全く気乗りしない真由美と違って、受験勉強から離れて夜の散歩と洒落こめた香澄は、元気そのものだ。夏の一件以来、夕方や暗い時間は一人で出歩くのが一時期抵抗があったようだが、助けてくれた小さな謎の「王子様」への憧れが強く印象に残ったのと、時間がだいぶ経ったこと、そして同行者が世界で最も頼りになると思っている真由美ということで、今その心に不安は全くない。

 

(まあ、これなら良かったわね)

 

 可愛い妹がトラウマを抱えてしまった姿と言うのは、とても心苦しかった。こうして真夜中でも楽し気に歩ける姿を見られただけでも、真由美としては寒いだけで意味のない散歩も価値があったと言えるだろう。

 

「それで物音の場所ってどこ?」

 

「もうすぐだと思うんだけど……」

 

 香澄の問いかけに、真由美が端末を操作してマップを確認する。

 

 二人が向かっているのは、大きな破壊音がしたと報告があった方向だ。どうせ大したことではないのだろうが、少しでも手掛かりが欲しい真由美たちは、他のパトロールも含めて、そこに向かっているのだ。

 

(んー、それにしてもやけに静かねえ)

 

 大きな物音がしたという場所に向かっているのに、その道中は静かだった。一時的に改善傾向になったとはいえ、日本人の睡眠時間はなお世界でも少ない。そうだというのに、周辺の家屋で電気がついているのはまばらだ。そしてその様子は、物音がしたという場所に近づけば近づくほど顕著になっていく。

 

 香澄は気づいている様子はないが、真由美はそのことに少しだけ違和感を覚える。「何か」が起こっているのでは、という根拠のない違和感だ。

 

 そんな二人の目の前を、いたって普通の体格の男性が通りかかる。手には袋を下げており、お菓子の袋やジュース、タバコなどが見えている。まさしくどこにでもいる、夜中に商店で買い物をした一般男性だ。

 

「あのー、すいません」

 

「ん? ああ、はい、なんでしょう」

 

「このあたりで大きな物音がしたとのことですが、何かご存じないでしょうか?」

 

 真由美はその男に話しかける。格好からして、この近所に住んでいることは明白だ。何か知っているかもしれないと考えての事だった。

 

「んー、うーん、聞いてないかなあ、そういうのは。誰かがテレビで映画かなんか見てたのを、また別の誰かが勘違いしたんじゃないのかなあ」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「いえいえ、それよりも、二人とも、若い女の子がこんな夜中にうろつくもんじゃないよ。早く帰りな」

 

 その男性はそう言い残して、そのまま去っていった。

 

「……もう本当に帰ろうかしら」

 

「えー、もうちょっと歩こうよ」

 

 今の会話で、このパトロールの無意味さを改めて自覚した真由美はそうつぶやくが、香澄にせがまれて、じゃあ物音の場所までぐらいは、と歩き出す。しかし真由美のやる気は今やすっかりゼロ、あの男性が使ったであろう商店でお菓子でも買って、真夜中の罪深いやけ食いでもしようかと考え始めていた。

 

 その瞬間――

 

 

 

 

 

 

「真夜中にうら若き美少女だけで出歩くのは、本当に危なかったみたいね」

 

 

 

 

 

 

 

 ――真由美に向かって、路地裏から銃弾が飛んできた。

 

 真由美はそれを対物障壁で跳ね返し、移動系魔法でその銃弾をお返しする。路地裏にいた黒ずくめの大人は、それを腹部に食らい、そのまま気絶した。

 

「香澄ちゃん、行くわよ」

 

「え? 逃げるんじゃないの?」

 

 危ないことがあったら逃げる。そう約束して同行を許したのだが、真由美は考えが変わっていた。

 

「この先に、何かあるわ」

 

 真由美の端末には、他のパトロールからの連絡が大量に舞い込んでいた。その全てが、あの物音があったらしいところに向かっていたグループだ。つまり、その物音は、何かがあったということである。

 

「香澄ちゃん、ごらんなさい。誰かさんは、よっぽどこの先にあるものが見られたくないみたいよ」

 

 路地裏で腹から血を流している黒ずくめの男――その覆面の隙間から覗いていたのは、先ほど話しかけたばかりの男の顔だった。

 

「嘘っ……!?」

 

 香澄はそれを見て、口を手で覆って目を見開く。普通の男だと思っていたのが、いつの間にか路地裏に紛れ込んで銃撃してきた。ただの夜の散歩だと思っていたのに、とんでもないことが起こってしまっていたのだ。

 

 瞬間、香澄の脳裏に、あの夏の出来事がよみがえる。

 

 真夏で日が長い中の夕暮れ直前、人目がつかなくなった場所で双子の妹とはぐれてしまい、そこを襲われた。何とかボディーガードたちが駆けつけたが奮戦空しく敗れ、自分もまた敗北し、何倍も体格差がある大人の男に押さえつけられ――

 

「香澄ちゃん、大丈夫?」

 

「う、うん、大丈夫」

 

 ――トラウマがよみがえった香澄は、顔面蒼白になっていた。真由美は心配するが、香澄は気丈にふるまう。ここで無理と言えば、真由美は自分と一緒に帰ってくれるだろう。香澄一人で返すということはない。一人で帰る方がよっぽど危険だからだ。つまり、ここは、二人で一緒に進むか、一緒に帰るか、だ。姉がずっと苦労していたのは知っている。ここで、大きなチャンスかもしれないものを無駄にするつもりはない。香澄は深呼吸をして息を整え、頬を両手で叩いて奮起する。いつまでもトラウマに縛られてはいけない。もうすぐ高校生、ここは頑張りどころだ。

 

「走って一気に駆け抜けるわよ!」

 

「うん、お姉ちゃん!」

 

 真由美と香澄の前に、次々と黒づくめたちが現れる。いよいよ、疑惑は確信になった。二人は駆け抜けながらそれらを次々と卓越した魔法技術で叩きのめしていき、物音がしたという方向へと進んでいく。

 

 そしてついに、激しい光と違和感が暴れまわっているのが見えた。物音がしたという場所とほぼ同じ、あの光はサイオン光、気配は魔法によって世界が何度も書き換えられている証だ。つまり、いまあそこでは、魔法戦闘が行われている。

 

 なおも寄ってくる黒づくめをすべて打ち倒しながら、ついに道を飛び出し、その戦闘を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっ――!?」

 

 

 

 

 

 

 

 真由美はそれを見て、なんとか口を押えて、驚きで大声を出さないようにするのが精いっぱいだった。

 

 戦っていたのは、見知った顔たち。この一年間、何度も何度も見た顔だ。

 

 真由美のこの一年間を最も彩った後輩、司波達也。最高の優等生にして生徒会役員の仲間、司波深雪。二年間一緒に生徒会を運営してきた後継ぎ、中条あずさ。最悪の悪戯坊主、井瀬文也。奮起した期待の後輩にして優秀な風紀委員、森崎駿。さらには、クリムゾン・プリンスこと一条将輝と、カーディナル・ジョージこと吉祥寺真紅郎もいる。

 

 この七人が、魔法戦闘を行っている。それも、競技や演習のレベルではない。体と精神を傷つけあい、相手をこの世から消し去ろうとする――本気の殺し合いだ。使っている魔法のすべてが、殺傷性ランクがB以上。戦場かと見紛うような殺意が、充満していた。

 

(どういうことなの……?)

 

 達也と深雪、文也たち五人、この両者がここまで本気の殺し合いになる理由が、全く理解できない。確かに司波兄妹と文也は対立的だが、こうはならないはずだ。

 

 どちらが先に仕掛けたかと言えば、品行方正な司波兄妹よりかは、喧嘩っ早い駿や将輝、素行不良の文也の方がしっくりくる。しかしそれならそれでやはり殺し合いに発展する理由はないし、あずさや真紅郎が何としても止めるはずだ。親友同士と言うことなので肩を持っているともいえるし、どちらも押しに弱くて流されたと言えば筋が通るが、それでもやはり不可解だった。

 

「…………そんな……………………」

 

 その様子を見た香澄もまた、唖然としている。答えの見えない迷いの中で一周回ってようやく少し冷静になった真由美は、それも無理はないと思った。なにせ、自分と少ししか年齢が変わらない少年少女が、傷つきながら、本気で殺しあっているのだから。十師族でいくらか「現実」に触れる機会が多いとはいえ、まだピュアなところがある香澄にとって、それは衝撃だろう。しかも、戦っているのは、真由美が妹たちに学校であった面白いこととして話した中に何度も出てきた、達也と深雪だ。

 

 しかし真由美は、それが少し違うことに気づく。その理由でショックを受けているのも少なからずあるが、どうにもそれだけではない。

 

 香澄の視線は、真由美の話に何度も出てきて写真や映像で見たことある深雪や達也やあずさではなく――一際小さいが一際動き回り、そして達也をも超える量の魔法を一人で行使している、文也だった。

 

「あの人……あの時の……」

 

 香澄のつぶやきを聞いて、真由美は、何があったのか理解してしまった。この一年間最も胃と精神を痛めつけてきた小さなワルガキが――香澄の恩人だったのだ。

 

「香澄ちゃん……あの小さい男の子……井瀬君が、助けてくれた人なの?」

 

「え、お姉ちゃん知ってたの!?」

 

「知ってたもなにも……」

 

 香澄の問いかけに、真由美は頭痛を覚える。文也のことは嫌と言うほど知ってはいたが、妹の恩人だとは思いもよらなかった。妹よりも小さい男の子で、それでいて多数の魔法を同時に使いこなす名手ともなれば、考えてみれば文也以外にはまずいないはずだ。しかし、通りすがりの人間を助けるような性格には全く見えないというのが、真由美の正直な感想だった。自分で面倒ごとは起こす癖に、自分の身内が関わっていなければたとえ正義に反するとしても面倒を回避する。そういう男だと思っていた。

 

「お姉ちゃん、お願い、あの人を助けて!」

 

 服のすそを引いて、香澄は真由美にかすれた声で懇願する。文也たちの方が人数有利なのに、香澄の目から見ても、はっきりと文也たちが押されていた。そして中学生にしてすでに魔法感性が高い香澄もまた、あそこで飛び交っている魔法のすべてが人を殺すためのものであることをわかっている。

 

 香澄から見たら――やっと会えた命の恩人が、今にも殺されようとしているように見えるのだ。

 

「――っ」

 

 真由美は、歯を噛みしめて、逡巡する。

 

 結局、なぜあのような殺し合いに発展したのか、どちらが悪いのか、何が起こっているのか、何を考えているのか、全く分からない。

 

 ただわかるのは、香澄が真由美を頼るしかないということだ。香澄はヤンチャで好戦的な性格で、魔法力はハイレベルに備わっているし、また自信家だ。こういう場面になったら、むしろ一も二もなく飛び出して参戦するはずだ。しかし、今、香澄は真由美に助けを求めた。香澄は、あの戦いが、今の自分では全く及ばないことを理解しているのだ。

 

 真由美から見て、香澄は危うい状態だ。今は真由美を頼っているが、もし真由美が断ったら、または動き出そうとしなかったら、自分が死ぬと分かっていても、あそこに飛び出すだろう。つまり、真由美がここで迷えば、香澄は死ぬということだ。

 

「――わかったわ、お姉ちゃんに任せなさい」

 

 真由美は、香澄の視界に戦場が入らないように、その身で隠す。今その後ろでは、深雪が見ただけでトラウマになりそうな肉片になったところだった。

 

「ただ、香澄ちゃん、あそこはすごく危ないところよ。後ろを振り向かないで、真っすぐ、全力でお家まで逃げなさい。助けを呼ぼうとか、参戦しようとか、そういう余計なことは考えないこと」

 

 あの悍ましい戦いは、まだ香澄に見せるわけにはいかない。そして自分があそこに参戦したら、間違いなく香澄を守る余裕はない。香澄は、家に帰すほかないのだ。今なら、性格は嫌いだが、実力面では最も頼りになる父が珍しく在宅だ。警察に行くよりも、家の方がよっぽど安全なのだ。

 

 真由美が真っすぐ見つめる香澄の目には、まだ迷いがあった。理屈では分かっているが、ここから自分だけ離れるというのが、あまりにも不安なのだ。今もまだ、幾多の魔法が飛び交っているのが、感覚で分かる。

 

 そんな妹の不安を打ち消すように、真由美は、精神力のありったけを振り絞って、営業スマイルを超えた、本気の笑みを浮かべて、首を傾けてウインクをして、あえて明るい声を出す。

 

「お姉ちゃんに任せなさい。あの子たちは、みんな可愛い後輩なんだから。何としても、全員助けてあげる」

 

「……うん、わかった!」

 

 真由美のそんな様子を見て、香澄はようやく決心がついたのか、頷いて、全力で駆け出していく。魔法を使うことはない。ここで使えば、あの戦場の全員に感知される。真由美がいきなり飛び出すのことが最高の一手であることを、理解しているのだ。

 

(…………ああ言った以上、頑張らなきゃね)

 

 香澄が十分に離れるのを待っている間に、達也たちの戦いは一つのヤマを迎えていたみたいで、強大な魔法が行使される気配が何度もしていた。

 

 真由美はブロック塀の影から、どうなっているだろうかと、戦場を覗き込む。

 

 ――将輝が深雪に、達也が文也に、それぞれ銃口を向けて、魔法を放とうとしていた。

 

(まずっ――!?)

 

 それを見て、真由美はサイオンを固めながら、戦場へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた達、何やってるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周辺の家屋からは、四葉が唐突な旅行券大当たりや合宿イベント、急な出張やお泊りの用事などが出るように裏で手を回して、住民がいなくなっている。また、戦力としては四葉の手持ちでは下の下だが、周辺には裏仕事の戦闘要員を配置していた。将輝や真紅郎ほどの実力者が高速ドローンで急襲してきたというのは突破されても仕方なかったが、明らかに徒歩の誰か、それも真由美が乱入してくるというのは、達也にとって予想外だった。

 

(……参ったな)

 

 目の前の戦闘に手いっぱいで、様々なことへの思慮が欠けていた。今真由美に乱入を許したのもそうだが、他にも、四葉の手勢から様々な連絡が入っている。おそらく、真由美を筆頭とする吸血鬼の捜査チームが、文也たちとリーナが戦っている物音を聞いて、何かあるかもと集まってきたのだろう、周辺チームから交戦の連絡が次々と入ってきていた。

 

「答えなさい」

 

 真由美の鋭い目は、達也と深雪に向けられている。文也に比べたらこちらの方が何百倍も品行方正で日ごろの行いが良いし、後から来ただけではどちらが仕掛けたのかも分からないはずだが、彼女は心理的にはどちらかといえば文也たちを味方している。それは問いかけと目線、そしてCADを達也と深雪に向けていることから、明らかだった。

 

「元かいちょーさんか、助かったぜ」

 

 文也は、自分の多重の『領域干渉』の間隔が緩んでいたことに気づき、改めて掛けなおしながら真由美に感謝をする。彼女がいなければ、文也は間違いなく分子にされていた。感謝してもしきれないだろう。

 

「井瀬君も、中条さんも、森崎君、あとそこの二人も、早く説明なさい」

 

 真由美は普段の余裕があるどこかふざけた雰囲気を捨てて、文也たちにも厳しい声で問いを投げかける。それは、あずさのことをあだ名で呼んでいないことから明らかだ。

 

「少し、井瀬とトラブルが起きまして。それで井瀬の方から喧嘩を仕掛けてきて、それがエスカレートしました」

 

「お前、流れるように嘘つくよな」

 

 達也はとっさに考えた大嘘を説明して、それを文也が呆れた顔で咎める。先ほどまで殺しあっていたとは思えない気の抜けたやり取りだが、ここは両者にとって正念場だ。真由美が味方に付くかどうかで、話が大きく変わってくる。

 

 達也のこれは大嘘も大嘘だが、しかし、文也と自身の日ごろの態度や行いを鑑みれば、客観的にはとても信憑性が高い。一高生のほとんどは、間違いなく達也を信じるだろう。

 

「エスカレートにしては随分ね」

 

 真由美は目を細めて達也に皮肉を吐く。そう、エスカレートするにしても、あそこまでの殺し合いは流石にやりすぎだ。真由美から見ても若干ヒステリーの気がある深雪はまだしも、達也まで本気で殺そうとはしないはずだ。

 

「逆転裁判をする気分じゃないから、さっさと説明するぞ。元かいちょーさん、俺が言っても信じらんないだろうが、今から説明することは、あーちゃんも駿もマサテルもジョージも認めるところだ。さすがに信じてくれ」

 

「井瀬君一人でその四人分を軽く超えるくらいマイナスなんだけど……いいわ、説明してご覧なさい」

 

 達也は、深雪が内心焦り始めたのを感じ取る。深雪の精神は、今や度重なる臨死の苦痛によって、限界スレスレまで摩耗している。焦りのあまりに感情が揺れてサイオンが溢れてしまっているし、それを抑え込むだけの精神力が残っていない。文也が説明を始めた途端焦りを見せるというのは、あまりにも怪しすぎる。

 

 達也は、文也が説明するのを、戦闘再開によって遮断しようかと一瞬考える。しかし、すぐに却下した。真由美は、一高生の中では最も文也から被害を受けた一人だ。文也の話を信用するとは思えないし、それに今から話される「真実」は突飛で、信じるとも考えにくい。それならば、暴力で中断させるという最悪の自白をするリスクは、見送っても良かった。

 

「まず、司波兄妹は十師族の四葉だ。四葉は分家制度を置いていて、司波家はその一つだろうな。それで、俺が、起動式を盗んだわけじゃないんだけど、四葉お気に入りの『流星群(ミーティア・ライン)』を自前で開発しちまってな。それがお気に召さなかったみたいで、こうして暗殺部隊が派遣されてんだ。俺らだけじゃない、親父にも、俺の家にも、駿の家にも、刺客が派遣されてる」

 

「………………そう、なるほどね。じゃあ、私がここに来るまでに襲ってきた黒ずくめも?」

 

「司波兄妹、四葉の仲間だろうな。ここに近づけさせないためだ」

 

 達也は内心で頭を抱える。突発的な喧嘩がエスカレートしたとすると、明らかにその黒ずくめが不自然だ。内容はあまりにも突飛だが、文也の話の方が論理的な整合性が取れている。

 

 達也は内心で諦める。真由美の目の色が、一段と達也たちに向けて厳しくなっているのだ。

 

 深雪の魔法力、立ち居振る舞い、成績。達也の裏社会・社会の闇への知識や国防軍とのコネクション、人殺しをためらわない精神。真由美はこの一年間、それを何度も見てきている。それらの高校生としての「異常さ」は、四葉だったとすれば、全て説明がついてしまう。

 

「俺らが四葉なわけないでしょう。そんな組織から、俺のような落ちこぼれが生まれるはずはない」

 

「横浜で深雪さんから聞いたわよ。達也君の魔法演算領域は、ほぼ全部が、『分解』と、あの人を蘇らせる魔法で埋まってしまっているから、一般的な魔法が二科生レベルだって。現当主の四葉真夜さんみたいに、四葉家は、特異な魔法の適性を持つ魔法師が多いらしいじゃない。四葉から達也君みたいなのが生まれたって、不思議じゃないわよ?」

 

 真由美の反論に、深雪の顔が曇る。思わぬところで、あの場の流れで説明しすぎたツケが回ってきた。

 

「それで、達也君、さっきの嘘はどういうこと?」

 

 そしてもう一つのツケ。達也が先ほどついた筋の通らない大嘘は、すぐに兄妹の首を絞めた。

 

(…………仕方ないか)

 

 達也は心に決める。その気配を感じ取った深雪もまた、心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心苦しいが――見られた以上、真由美にもここで消えてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元かいちょーさん、こっちだ!」

 

 達也と深雪が同時に魔法を放つ。達也の標的は真由美だ。三巨頭に数えられていた真由美の戦闘能力は卓越している。しかし、文也たちの仲間ではなかったため、あの多重の『領域干渉』はない。すぐに『トライデント』で分解可能だ。

 

 一方、深雪の狙いは、達也の魔法を妨害させないことにある。その魔法は『ニブルヘイム』。『サイオン粒子塊射出』で初期段階で無効化されなければ、確実に一人は持っていける大技だ。そしてこの不意打ちに、駿は対応しきれていなかった。真由美という心強い増援が、強敵との連戦の疲労が、ボディーガードとして危機察知能力を磨いた駿に、ほんの少しの油断を生んでしまったのだ。

 

 しかし、それらを受けて、文也たちも黙ってはいない。この中で一番強い干渉力を持つ将輝が、その力を周囲にまき散らす。お互いを縛る「枷」をリーナと決闘した時と違って一部すら解放していない深雪の干渉力はそれに勝てず、文也たちをまるごと飲み込むようにして領域設定されていた『ニブルヘイム』は、文也たちに影響を及ぼさない領域の端しか冷やすことができなかった。

 

 将輝がそうして展開したのは多重の『領域干渉』で、達也の『トライデント』も不発に終わる。ただの『領域干渉』ではなく、六人を丸ごと守れる領域を、全力でないとはいえ深雪の得意魔法を無効化するほどの強度で、多重で展開してみせた。達也と深雪は、将輝の魔法力に改めて驚嘆する。

 

「そう……あなた達……」

 

 真由美は、司波兄妹のこの行動から、完全に二人が四葉だと確信した。文也の指示に従って近づきながら、複雑な感情のこもった視線を向けてくる。達也は別として、深雪はそれに思うところがあったが、感情を吐き出したいのをぐっとこらえて、次の魔法の準備をする。

 

「司波兄は魔法式も『分解』する! これの番号1番が『多重干渉』、『ファランクス』の『領域干渉』単一版だ! それで防げ!」

 

 その間に文也が真由美に渡したのは、懐に隠し持っていたらしい、オーソドックスな携帯端末型の汎用型CADだ。恐らく腕につけている汎用型CADが機能停止した時の予備だろう。それを真由美に手渡し、それと同時にそのサイドにあるスイッチを押す。すると、ホログラムで大量の文字情報が表示された。

 

「そこに入ってる魔法と番号だ! あとは一人で頼む!」

 

「無茶言うわね!」

 

 達也の超人的な視力は、その一瞬表示されたホログラムの登録魔法起動式表を捉えていた。登録されているのは、単純でオーソドックス、それゆえに汎用性が高い一般的な戦闘魔法ばかりだ。真由美自前のCADには、彼女自身に合わせたあれよりも高度で強力な魔法がいくつも入っているだろう。しかし、『多重干渉』を使うためには、このCADを使わざるを得ない。真由美は大幅なパワーダウンを強いられている。

 

 とはいえ、達也たちにとっては、より一層厳しい。こうなってしまえば、より長期戦は避けられず、その間に増援が来てしまえば、四葉の悪行が轟き渡ってしまう。別にその程度ならいくらでも情報操作で消せるが、将来当主となる妹のことを考えるとなるべく避けたい。

 

 達也は仕方なく、次のカードを切ることにする。

 

 文也は自己中心的に見えて、事実自己中心的だ。しかしながら、自分に深くかかわった人、例えばあずさのような幼馴染、駿たちのような親友は、自分の命を犠牲にしてでも守ろうとしてしまう。これはその人の為ではなく、その人がいなくなったら嫌だという我儘、究極の自己中心だ。

 

 四葉の手勢は、文也やあずさや駿の親兄弟も襲撃している。派遣された戦力がいかほどなのか達也は事前に知っており、過剰戦力といえるほど力の入った刺客が送り込まれているのが分かっている。

 

「井瀬! お前や森崎、中条先輩の親にも、四葉の刺客が送り込まれているぞ! お前が大人しく投降すれば、そっちは見逃してやる!」

 

 要は脅しだ。普通の人間ならこれはほぼ効かない。しかし、文也にはそれが効く。真夜が他にも戦力を出したのは、増援の足止めや証拠隠滅のためだけでなく、これに使うためでもあった。実際に会ったこともないのに、文也の行動や言動から、その性格が割り出されていた。達也はその事実に改めてゾッとしながら、脅迫の効果を確かめる。これで屈せずとも、ほんの少しの動揺があれば、そこを突いて二人でラッシュをかければ、文也だけなら殺せる。

 

「バアアアアアアアアカ!!! むしろお前が仲間のことを心配しな!」

 

 しかし文也は、心の底から全く心配している様子はなかった。

 

 これは家族を信頼しているというような、感情論の類ではない。四葉が本気を出して殺しにかかっているのと言うのに動揺しないとなると、文也には、論理に裏打ちされた「確信」があるということだ。

 

「今すぐご当主様に連絡して、自分たちと派遣されたお仲間の葬式の準備をするよう言っておけ!」

 

 達也は、罵倒とともに発せられた魔法を『術式解体』で破壊しながら、とっさに携帯端末を確認する。

 

 そして、思わず目を見開いた。

 

 仲間からの連絡を示すランプ。それが皆――緊急事態を示す、赤で点滅を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたたち、しっかりしなさい!」

 

 森崎家の邸宅に、そこでお世話になっていた貴代の低めの声が響く。

 

 USNAからの家族への襲撃を警戒して、貴代とあずさの両親は、ここに集まっていた。しかし襲撃してきたのは、USNA軍ではなく、黒ずくめの男女たちだった。その中の一人が魔法を放つと、その前にいた数人のボディーガードたちは、急に叫びだしたかと思うと、意識が虚ろになって崩れ落ちた。貴代の声は、それを叱責するものだった。

 

「貴代さん、あれは精神干渉系魔法です!」

 

 あずさの父がそう叫びながら、すぐに対抗魔法で彼らを治療する。しかし、一度感じた「ナニカ」は消え去ることなく、彼らが立ち上がることはなかった。

 

「後から治せない! 食らったら終わりだ!」

 

「任せてください!」

 

 あずさの父の声に、あずさの母が反応する。二人とも体が小さめで運動や戦闘が得意とは言い難い。愛娘にもそれがはっきりと遺伝してしまっている。そして、遺伝したのはそれだけではない。二人の得意な魔法は精神干渉系魔法。娘に、そうした良い面も遺伝していた。

 

 黒ずくめの若い女性が再び魔法を放つ。その領域に作用するのであろう精神干渉系魔法に、あずさの母は同系統の干渉力をぶつけて相殺する。その間に他の黒ずくめが攻撃してくるが、それはあずさの父や森崎家のボディーガードが防いだ。

 

「くっ」

 

 防がれた黒ずくめの女性――四葉家分家の一つである津久葉家の長女・津久葉夕歌は、悔しさに思わず声を漏らす。精神干渉系で自分の力が打ち消されるほどとは、思っていなかったのだ。

 

 彼女の得意魔法『マンドレイク』。前方に恐怖を発生させるサイオン波を放って、対象に深い心理的ダメージを負わせて戦闘不能にする魔法だ。対集団において無類の強さを誇るため、ここを襲撃するチームに入れられたが、中条家の二人が予想外に強く、すでに確実に効果を出す手札とは言い難くなってしまった。

 

 そんな彼女の後ろから、男が飛び出してくる。この少しやせて見える大男は、鍛えあげられたボディーガードたちを単身で相手して余裕で叩きのめした、このチームの最高戦力で、四葉家の中でもトップクラスの力を持つ、分家・新発田家の長男・新発田勝成だ。『密度操作』のスペシャリストで、空気の密度を操作して呼吸困難や進路妨害を起こして、ボディーガードたちを倒して見せたのだ。

 

 他の刺客たちも、思ったより苦戦して半分ほど無力化されたが、まだ半分は残っている。あとはあずさの両親と貴代、それにボディーガード数人だけ。夕歌は勝ちを確信していた。

 

 勝成が、猛然と貴代に襲い掛かる。貴代は非魔法師だ。勝成相手に勝てるわけがない。

 

「――は?」

 

 そう思ってあずさの両親と戦い始めた瞬間に夕歌が見たのは――壁にたたきつけられる勝成だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「舐めてもらっちゃ困るわねえ。魔法師じゃなくったって、やれるときはやれるもんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕歌は、声につられて貴代を見る。

 

 そこにいたのは、一言で言えば「異形」。

 

 人間の形をしたものの背中から、様々な形の触手が伸びている。

 

 その触手が持つのは、サプレッサー付きのマシンガン、杭打機、チェーンソー、ハンマーなど、様々な道具だ。

 

 それをウネウネとくねらせるモンスターは、口角を吊り上げ、悪魔のように嗤った。

 

 生物感を覚えさせることすらない、異形の触手。それは、その動きとは裏腹に、全てが機械でできていた。

 

「もう墓石の準備は済ませてるかしら? 地獄で先に待っててくれると嬉しいのだけど」

 

 それを操る貴代の声に、夕歌は本能的な恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨルとヤミ、それに加えて、遅れて参戦してきた中年の男・黒羽貢。周囲の黒ずくめは全員倒したが、この三人は特に強力で、文雄は、一対三ということもあって、今にも死にそうになっていた。

 

 大怪我をしているわけではない。しかし、すでに『毒蜂』や『ダイレクト・ペイン』を何度も食らいかけている。とっさに『情報強化』をする練習をしていなければ、とっくに重くてデカくて固いだけの肉の塊となっていただろう。

 

「なあオイ、黒羽さんよお、プロの殺し屋が一般人相手に三人がかりはズルすぎねぇか?」

 

 文雄は軽口をたたきながら、モーニングスターを振り回す。それは三人の誰かを捉えたわけではなかったが、魔法で八方から放たれた針をすべて弾き飛ばした。しかしその針はまた魔法で動き出し、再度文雄に襲い掛かる。文雄は仕方なく全方位を覆う『対物障壁』で跳ね返すが、その隙にまたも『ダイレクト・ペイン』をかけられ、『情報強化』を無理やり間に合わせて事をしのいだ。

 

「むしろ、私たち三人を相手に、一人で戦い続けられる貴方の方がよほど反則では?」

 

「それは達也君と深雪ちゃんに言え!」

 

 貢の言葉に反論しながら、文雄は群体制御で今撃ち落とした針たちを三人の急所に向けて放つ。しかしその雑な反撃は、全部軽く弾かれて終わってしまった。

 

「私たちが来るのは流石に予想外だっただろうけど、USNAが来るかもって思うんだったら、一人で行動するのが間違いだったね」

 

 ヤミが女子にしてはやや低めの声でそう言いながら、『幻衝(ファントム・ブロウ)』を文雄に次々と放つ。そしてそれはダミーで、その裏では、文雄の干渉力では絶対に防げない『ダイレクト・ペイン』を準備していた。

 

「そうかいそうかい。いやー、息子と同じ年ごろの『男の子』にそんなこと言われるとはね」

 

「……え?」

 

 文雄の言葉に、三人の攻撃が一瞬だけ止まる。その隙に文雄は筋力だけで大きくバックステップして距離を取りながら、年甲斐もなくアッカンベーをした。

 

「四葉の癖に知らねえのかい! 『一ノ瀬』は性質上、人体に詳しいんだよ! そんなフリフリの女装をしてても、歩き方や体勢、骨格を見ただけで性別ぐらいわかるぜ!」

 

「そ、そう……」

 

 つまりヤミ――中学三年生「男子」の黒羽文弥は、最初からずっと、女装少年だとバレていたということだ。一向に女装が似合わなくなる気配がないというのと、敵にそれが最初からバレていたという羞恥心が、仕事中だというのに文弥の意外とピュアな心に突き刺さる。準備していた渾身の『ダイレクト・ペイン』は、それによってエラーを起こしてしまった。

 

「ヤミ、焦ることはないわよ。今ここで消せば、死人に口なしだわ」

 

 ヨル――亜夜子はそんな文弥の様子に笑いをこらえながら、それでも仕事中だから励ます。すでに勝ちは決まっているようなもので、文雄はただ死を先延ばししているようにすぎない状況だが、それでも早く終わらせるに越したことはない。

 

 そんな双子の子供たちの様子を見ても、貢は無感動だ。すぐにでもこの仕事を終わらせようとするプロ意識が、彼の頭を支配していた。

 

「あーそうそう、で、そこの男の子……ヤミちゃん改めヤミ君の言う通り、俺は一人でいたのがいけなかったみたいだ」

 

 文雄が文弥を指さしながら、薄ら笑いを浮かべておしゃべりを始める。その様子に言い知れない不安感を覚えた三人は、すぐに戦闘再開の準備を始める。

 

 文雄はそれに対して、リラックスした姿勢で、口角を吊り上げ、悪魔のように嗤って、なおも口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――というわけで、見習わせてもらうぜ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間――貢と亜夜子のCADを持つ腕が爆ぜ、文弥の起動式読み込みがサイオンの弾丸により無効化される。

 

「いつもうちの愚息がお世話になっております」

 

「いえいえ、こちらこそ。どうも九校戦の時は変な絡み方をしてご迷惑をおかけしたみたいで」

 

「いやいやそんな、うちのバカ息子の方が何十倍も迷惑かけておりますとも」

 

 夜の空から現れたのは、二人の男。年齢は文雄や貢と同じぐらいで、二人とも鍛えられた肉体をしている。その二人はドローンから降りると、文雄の横に並んで、一緒に低い声で冗談のような談笑を始めた。

 

「…………父親面談なら、私も混ぜてほしいね」

 

「残念だけどこれ、三人用なんだ」

 

 肘から先が消し飛んだ利き腕を押さえてうずくまりながら、貢が自分の気つけの為にも、冗談を呟く。

 

 彼の言う通り、急に現れたのは、どちらも子供を持つ父親だ。

 

「真冬の金沢は寒すぎてね。静岡に旅行に来ていたのだ」

 

 つまらない冗談を大真面目な顔で言いながら赤いCADを構えるのは、十師族の一角・一条家の現当主で、将輝の父親である、一条剛毅。

 

「ボディーガードの依頼で、少し遅刻して参上した次第だ」

 

 同じく冗談を言いながら大量の対抗魔法を用意しているのは、百家支流でボディーガード業で名をはせる森崎家の現当主で、駿の父親である森崎隼。

 

 昨夜の文也への襲撃を受けて、二人とも今日は急ピッチで用事を済ませ、夜になってから、一人で過ごさざるを得ない文雄の元に急いで駆け付けた。隼に入っていた急なボディーガードの依頼はダミーだったのだ。USNAを混乱させるためのダミーだったが、思わぬ形で有効活用できた。

 

「そういうわけだ。こっからは三対三だ。霊柩車は予約済みだといいな」

 

 文雄はモーニングスターを構えながら、三人の心を折るように、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪は驚きを隠せない。

 

 黒羽家と新発田家と津久葉家。これだけの戦力が揃っていて、その全員が敗北している。ランプの赤と、間隔の狭い点滅パターンが示すのは、緊急撤退だ。仕事遂行後の撤退ではない。四葉が持つ最高戦力たちを以てしてもなお、文雄たちを無力化することができなかったということだ。

 

「四葉の皆さんは残念でございましたねえ。ええ? こちとら、USNA軍がどう動いてもいいように、みーんなでちゃんと協力して作戦立ててるんだわ。一方の四葉家ちゃんは唯我独尊のボッチ路線。悲しいねえ、ほんと」

 

 文也は小さな体をこれでもかと反らせ、鼻の穴を広げて、したり顔で達也たちを煽る。

 

「まー私利私欲のために人殺しをするクズどもにはお似合いの末路ってことだな。お前らも同類だ。嬉々として、しょーもない理由で幼気な高校生を殺しに来る。次期御当主の妹様もクズ、そのお兄様もクズ。仲間もいないし、数少ない身内も無能。あーあー、哀れで泣けちゃうねえ」

 

 これは、今日何度も殺されかけたことに対する憂さ晴らしでしかなく、文也としては深い意図があるわけではない。

 

 しかし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方に何がわかるんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな浅い言葉に、深雪は唾を散らしながら怒鳴り返す。

 

 深雪の心はすでに限界に達していた。度重なる臨死と強制的な『再成』の繰り返し、兄の足を何度も引っ張り何度も痛みを受け入れさせた後悔と自責、命令に従ってやらされている理不尽な理由での不本意な殺し、そして一年間で親交を深めた真由美からの失望の目線。それに加えて、やることなすことが上手くいかない現状。

 

 自覚はしている。文也の言う通り、自分たちがやっていることは「クズ」そのものだった。普段下に見ているワルガキ・文也の比ではない。身勝手な理由での殺人は、まさしくそれなのである。

 

「私たちだって、こんなことはしたくありません! 殺したくなんかありませんよ!」

 

 深雪は激情に任せ、涙を散らして髪を振り乱しながら、魔法を乱発する。その一つ一つは、コントロールがされているとは言い難いが、しかし大きく振れる感情に応じて、莫大な威力を誇っていた。

 

 将輝が『ニブルヘイム』をまた大規模な『多重干渉』で無効化し、巨大な冷気の弾丸は文也が障壁魔法で受けきれないと判断して移動ベクトルを変えて受け流す。駿と真由美は『サイオン粒子塊射出』で起動式読み込みを妨害しようとするが、深雪から感情の暴走であふれ出す莫大なサイオンに押し流されて効果を発揮できていない。

 

「でも仕方ないんですよ! あの人が『やれ』と言ったら、私たちはやるしかないんです!」

 

 固有魔法であるはずの『コキュートス』は、激情のあまりコントロールしきれなくて不発となる。代わりに、領域魔法ではなく個別の対象を狙って分子の振動を停止させて低体温症にさせる魔法が放たれ、文也はそれを自前の干渉力で防ぎきれずに膝をつく。しかしすぐに体温を上げる魔法と『ツボ押し』を併用して回復し、意識が飛びそうになりながらもまた立ち上がる。

 

「井瀬君さえ、井瀬君さえいなければ、こんなことにならなかったのに!」

 

 深雪の心に湧き上がるのは、積もり積もった文也への恨み。『マジカル・トイ・コーポレーション』に兄の活躍が奪われ、学校では好き勝手に暴れまわって兄と自分を何度も煩わせ、そして『ミーティア・ライン』と知りながら開発してさらには使用したせいで、兄と深雪は抜け出せない地獄にいる。その全てが、深雪にとってはただただ憎らしかった。

 

「うるせえ! 知るかボケ!」

 

 文也はそう言い返しながら、深雪の頭部を『爆裂』させる。達也はもはやCADすら構えるそぶりを見せずに、『フラッシュ・キャスト』で深雪を『再成』させるが、その代償に自身は無防備となり、駿が放つ右腕を砕く振動系魔法と真紅郎が放つ背骨を砕く加重系魔法を食らってしまう。自己修復術式がすぐに起動するが、即死攻撃でないがゆえに回復がコンマ数秒遅れ、そのせいで妹への新たな攻撃を防ぐことができない。『再成』したばかりの妹は、右肩から先を不可視の刃に切り裂かれ、血を噴き出す。

 

 達也はそれを見て、頭に血が上るのを感じながら、それでも冷静に『再生』を行使しながら、『術式解体』で将輝の『多重干渉』を砕くと同時に、特化型CADを抜かずに照準補助を用いず魔法を行使するドロウ・レスによって『トライデント』を行使し消しとばそうとする。ところがそれは、あずさがとっさに発動した『多重干渉』に退けられてしまった。しかしそれもまた予想の範囲内。自分が出せる限りのサイオンを絞りつくして、マシンガンのようにサイオンの巨大な塊を放って、『多重干渉』の掛けなおしを強要する。

 

「深雪!」

 

 死からよみがえった深雪は、疲労もあって意識が朦朧としていたが、兄に名前を叫ばれて覚醒し、状況を即座に判断して魔法を行使する。

 

 それは今日何度も使った『ニブルヘイム』。出現しては兄によって破壊される『多重干渉』は、連発を強いられたことで威力が弱まり、さしもの将輝と言えど、深雪の干渉力に届かなくなっていた。

 

 兄から放たれる大量のサイオンと、数多の魔法式がぶつかり合い、サイオンの粒子が飛び散る。それによってこれまでにないほどにサイオン光が暴れまわるスペクタクルな光景の中で、深雪は今の状況を正確に理解していた。

 

 将輝を筆頭に、文也たちが紡ぎだす魔法式の強度はとても高い。生半可な魔法師の魔法式を破壊するよりもサイオンの密度は必要になり、『術式解体』のための消費サイオン量を多くなる。いくら無尽蔵ともいえる保有サイオン量がある達也と言えども、これほどの連発をすれば、すでにサイオン切れは近い。そうなれば、自己修復術式も『再成』も使えなくなる。つまりこれは、親愛なる兄・達也が、決死の覚悟で作り上げたチャンスだ。

 

「ちょっと井瀬君! こっから何か逆転の目はあるの!?」

 

「わかんねえ!」

 

 そんな状況の中で、文也もまた、決めきれずに焦っていた。達也の保有サイオン量がとてつもないのは、『フィールド・ゲット・バトル』や『モノリス・コード』で共闘した文也はよく知っている。達也の表情から疲れが読み取れないせいで、今どれほど残っているのかも予想ができないでいた。無限に蘇る兄妹を相手に、文也たちもまた、決め手に欠けていたのだ。

 

 そもそも、もしここで撃退、もしくは殺害による無力化、もしくは生け捕りにして抵抗できなくしても、第二・第三の刺客が送り込まれてくる。達也と深雪は生け捕りを目論んで近寄ってきてくれたから良かったものの、もし狙撃などされようものなら、文也に防ぐ術はない。つまり、撃退も殺害も生け捕りも、一時的な問題の解決にしかならないのだ。それはもう、相手が四葉だと知った時点で、六人の共通見解だ。たとえここに貴代などの増援が来たとしても、結局、命は狙われ続けることになる。

 

 文也はずっと戦いながら考え続けていたが、まだ思いつくことができていない。

 

(考えろ! 手段のベースはいくつかあるはずだ! そのために色々仕込んできたんだ!)

 

 達也と深雪を止めても無駄。四葉そのものを止めないと解決にならない。ここで撃退してすぐに四葉を襲撃、当主の真夜を殺害するというのを最初に思いついたが、まず無理。居場所も分からないし、光の透過率という一点突破を上回らなければ絶対に本家『ミーティア・ライン』に全員が殺されて終わるというのは、その魔法の開発まで自力でたどり着いた文也だからこそわかる。暴力による解決は、返り討ちがオチだ。

 

(この二人は、四葉にとっても重要な存在のはずだ!)

 

 そこを利用して、何かしらの脅しの材料を得る。今この二人が自分たちを殺そうとしているというのは材料にならない。四葉の諜報力なら、その程度の事、いくらでももみ消せるし、いくらでも誤魔化せる。もみ消しや誤魔化しが意味をなさない脅し。その材料を集める手段はあるが、そもそもその材料が見つからない。

 

(――――っ!?)

 

 そしてその考えが、強制的に中断される。

 

 深雪の『ニブルヘイム』が完成した。わざわざ時間をかけて練られたそれは強大な干渉力を持ち、将輝の干渉力すら上回る。

 

「今度こそ、これで終わりです!」

 

 疲労の色が濃い顔に涙を流しながら、それでも毅然とした表情で、深雪が叫ぶ。世界が書き換えられ、あらゆるものを凍らせる空間が、そこに出来上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「させるか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、ノイズの嵐が巻き起こった。

 

 そのノイズの正体は、大量のサイオン波。魔法師の魔法感性に刺さり、一流の魔法師が集うこの場では、ほぼ全員に吐き気を催させた。

 

「――オフレコの約束は、破らせてもらうぜ」

 

 顔を真っ青にして不快感に耐えながら、文也が達也に向けて、口角を吊り上げて嗤いながら呟く。

 

 複数のCADを同時に使うことは、普通は間違いなく不可能だ。魔法を行使する際の余剰サイオンがもう一つのCADに干渉してしまい、両方とも不発になる。しかし、ずば抜けてサイオンコントロールに長け、余剰サイオンをほぼゼロに出来るならばその干渉が起こらず、達也のように二つのCADを同時に使用する『パラレル・キャスト』ができる。そして文也はその極致、余剰サイオンを必ず全く出さないという異常なコントロール力で、多量のCADによる『パラレル・キャスト』を可能とする。

 

 そんな文也は、この瞬間、『パラレル・キャスト』に、「わざと」失敗していた。

 

 二つのCADを使って行使した魔法は、それぞれ、『ホワイトアウト』と、領域内の加速度・振動数を保つことで温度を一定状態から変化しないようにする基本魔法『保温』。『ホワイトアウト』は『ニブルヘイム』の下位バージョンで同質の魔法であり、『保温』はその二つの反対魔法、つまり打ち消す魔法だ。

 

 ある魔法と、それを打ち消す魔法。その二つの魔法を、一人の術者が、二つのCADを使って同時に行使した時、干渉波が増幅され、ある魔法とそれの同種魔法が無効化される。これは、相手の魔法に合わせて選ばないと無効化できないが、代わりにキャスト・ジャマーというまず手に入らない希少な鉱石を必要としない技術、特定魔法のキャスト・ジャミングとも言うべき魔法だ。

 

 今、文也は、それを使うことで、深雪の『ニブルヘイム』を無効化した。干渉力の差が問題にならないこの技術は、複数のCADを常に起動している文也にとって、最終手段ともいえる切り札だ。

 

 この技術は、世に知られると危険だ。なにせ、汎用性がないと言えど、貴重な鉱石を使わず手軽に魔法を無効化できてしまうのだから。

 

 この存在を知る文也は、この4月に、一高近所の喫茶店にて、達也と約束を交わしていた。この存在はオフレコだ、と。当然、危険性も理解している文也は、それを了承し、あずさにすらその存在を教えなかった。下手すれば、各家が秘匿する「殺し」のための強力な魔法よりも、よほど危険なものなのだから。

 

 そしてその約束を、たった今、文也は破った。あずさたちを、自分の命を、守るために。

 

「……約束やぶりは感心しないな」

 

「ほざけ人殺し」

 

 達也はノイズ構造を『分解』して無効化しながらそう言うと、文也は言い返しながらまた深雪への攻撃を開始する。

 

 その文也の顔には、約束を破ったということへの皮肉じみた笑みではない、もっと前向きで、それでいて邪な、これから何かロクでもないことをしようとする、いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 

 ――半ば忘れかけていた、この方法。

 

 これを利用して、あることをすれば――文也の脳内で、急速に希望の道筋が組みあがってくる。

 

「あーちゃん、駿、ジョージ、元かいちょーさん!!! 今から一分間、全力で司波兄を妨害しろ!」

 

「任せて! 信じてるよふみくん!」

 

「その顔は、何か思いついたんだな!?」

 

「今ほどその顔が頼もしいと思うことはないね!」

 

「もう二度と見たくないけどね!」

 

 文也の呼びかけに、あずさたちは各々同時に叫びながら従う。魔法の巧者たちによる、即席にしてはあまりにでもできすぎた連携妨害が、達也を襲う。『トライデント』や物質の『分解』は工程数が多く、『フラッシュ・キャスト』では処理しきれないため、CADが必要となる。そこは駿と真由美による、未来予知にも似た先読みによって『サイオン粒子塊射出』で妨害され、全てが不発となる。駿一人でも、真由美一人でも、達也の両手『パラレル・キャスト』に対応することはできなかった。二人いるからこそできる戦い方だ。それらを、達也は『サイオンウォール』で防ごうとするが、そのタイミングになると真紅郎が『ファンブル』でCADを叩き落とし、達也に『再成』によるCAD再取得を強制させる。

 

 一方、『フラッシュ・キャスト』を用いた無系統魔法や簡単な系統魔法は、細やかで複雑な魔法式構築を得意とするあずさによって、そのほぼ全てが妨害される。魔法そのものではなく、それによって起こる目的の現象を軽減する方向に絞ることで、数多の魔法による反撃を、あずさ一人でしのぎ切ることに成功している。魔工師を志す才能の卵として、文也のそばにずっと居続け、その影響を受けてきたあずさは、魔法と密接にかかわる科学現象を瞬時に理解できるようになっていた。最低限の複数の魔法をマルチ・キャストして的確に操り、達也の行動のすべてを、四人で無効化できていた。

 

「将輝は司波兄を『爆裂』させながら『サイオンウォール』で司波兄と遮断しろ! 狙うのは脳みそと指! 俺と妹のタイマンを作れ!」

 

「普通に名前で呼べるなら最初から呼べ!」

 

 それと同時に、将輝もまた文也の指示に従い、四人の全力集中によって動きを封じられた達也に『爆裂』を仕掛ける。何かしらの方法で起動式が登録されている脳と、CADを握る指を集中的に狙うことで、達也の魔法をより封じる作戦だ。そしてさらに、CADを必要としない『術式解体』を防ぐために、兄妹を隔てるサイオンの壁を作り上げる。

 

「よお妹様。もう大好きなお兄様は守ってくれないぜ、このブラコン」

 

「そちらこそ、大事なお友達はもう守ってくれませんよ?」

 

 文也と深雪は、そう言いあいながら向かい合う。五人の協力によって、第一高校一年生の魔法実技トップ2による一対一が実現していた。

 

 しかしそれは、そう長く続かない。達也を完全に遮断するために、五人は今ここに全力をかけている。妹を守るべく鬼気迫る表情で抵抗を強める達也は、あと数十秒でそれらの妨害を蹴散らすだろう。

 

「かかってきなさい!」

 

 深雪は、すでに限界を迎えた精神に最後の活を入れて向き合う。何度も失敗した、何度も殺された。そして今は、それらから救ってくれる兄と遮断されている。不安はないわけではない。むしろ、今にも不安と恐怖で倒れてしまいそうだ。それでも、ここが正念場、たとえ一人でも、負けるわけにはいかない。ここで兄に頼らず一人で勝つことで、今日あったすべてを清算するつもりだ。

 

「「――――!!!!」」

 

 二人の声にならない叫びが、夜闇に響き渡る。二人とも充血した目を見開き、顔を真っ赤にして、醜く口を開き、唾を飛ばし、喉がちぎれそうなほどに吠える。

 

 深雪が使うのは『コキュートス』。あずさが達也にかかり切りになっている今、文也がこれを防ぐことはできない。先ほどの特定魔法のキャスト・ジャミングも、精神干渉系魔法の干渉力がゼロの文也では無意味だ。干渉力はさほど問題にならないが、ゼロは流石に増幅できない。この魔法は、今この瞬間、真の必殺だ。

 

 一方文也が仕掛けたのは『術式解散』。文也の干渉力では、深雪が自身にかけた『情報強化』を破れない。これを崩してから、攻撃を仕掛けなければならないのが、文也の弱点だ。つまり、攻撃がその分遅れるということだ。

 

 深雪の『情報強化』が分解され、サイオンの粒子となる。意識的にも無意識的にも、今深雪のエイドスを守るものがなくなった。それに少し遅れて、深雪の『コキュートス』の起動式読み込みが完了する。それと同時に、文也はほぼタイムラグなしで、魔法を発動していた。

 

 ――二人の決着を分けたのは、様々な要因がある。

 

 一つ目が、深雪が汎用型CADで、文也は特化型を超えた専用CADだったこと。

 

 二つ目が、深雪は身体を使った操作が必要だったのに対して、文也は完全思考操作だったため、その分速かったこと。

 

 三つ目が、魔法の難易度。深雪の『コキュートス』に比べて、文也が使おうとしている魔法は、はるかに簡単で単純な魔法だ。

 

 この三つの要素が、勝負を分けた。二段階の攻めが必要と言う不利を乗り越えて――文也の魔法が、『コキュートス』よりも先に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「深雪!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の大声が響き渡る。自分が守れないところで、妹に、ついに魔法が届いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――それと同時に、深雪の声が、真冬の夜道に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああんっ♡ んふっ♡ ああっ♡ いっ♡ んぐっ♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………深雪?」

 

 先ほどよりもはるかに気の抜けた達也の声が、深雪が上げる声――喘ぎ声にかき消される。

 

 深雪は、顔を真っ赤にして、目からは涙をこぼし、道路に倒れて身をよじらせて悶えながら、熱っぽい吐息とともに喘ぎ声を艶やかな唇から漏らす。その喘ぎ声とともに、コントロールを失ったサイオンが体からあふれ出し、また魔法式の構築も中断されていた。

 

 達也は、妹に何が起きたのかはすでに知覚していたが、あまりの予想外に、理解が追い付いていなかった。それゆえに、妹を救い出すための動きが遅れた。その遅れは、同じくあまりの出来事に唖然として動きが止まっていた将輝たちが半ば反射的に達也の足止めを再開する時間を作ってしまった。驚きと謎の羞恥で全員顔が真っ赤で、およそ集中できていたとは言い難いが、数十秒の足止めに成功する。

 

「んっ♡ あふっ♡ ふっ♡ あああああっ♡」

 

 その間に、深雪は仰向けになり、身を反らせ、ひと際大きな喘ぎ声を上げた。それと同時に、股間から、何かの液体があふれ出し、冷たい道路を濡らして湯気を立てる。

 

 深雪の全身を舐めるように這いまわる魔法式と股間からあふれた液体を『分解』するまでに、十数秒の時間を要した。その十数秒の間、深雪は、全身を襲う「快楽」に襲われ続けていた。

 

「へへーん、どうだ、俺様のテクニックは」

 

 文也が小さい両手の指をワキワキといやらしく動かしながら、口角を上げた悪戯っぽい笑みを浮かべながら勝ち誇る。

 

「アンジー・シリウスが女だって聞くから意趣返し用に用意しておいたんだけど、まさかここで役に立つなんてなぁ」

 

 そう言いながら、文也は、自分の全身に仕組まれた豆粒のような機械を次々と地面に落としていく。

 

「井瀬君、貴方っ……!!!」

 

 深雪が「快楽」の余韻、恥辱、そして怒りによって顔を真っ赤にしながら、文也を睨む。

 

 文也が落として示したのは、全身に仕組んだ大量のCAD――に見せかけた、超小型カメラだ。そしてそのカメラのほとんどが、深雪の痴態を捉えていた。

 

 達也と深雪が怒りに任せて文也を殺そうと、今まででも特大の殺意を込めて魔法式を構築しようとする。

 

「おっと待った」

 

 そしてそれを、文也が制す。その顔には、一切の演技がない余裕の色が浮かんでいた。何かまずいことがある。達也と深雪は怒りを必死に収め、文也の話を聞くことにした。

 

「このカメラの映像は、うちのデータベースに自動で送られるぜ。司波妹が道端で突如喘いで粗相までした恥ずかしい映像だ。そんでもってそれは、俺が死ぬと同時に、世界中のありとあらゆるネットに自動で拡散される」

 

 その説明を聞いた瞬間、達也は目を見開き、深雪は絶望で膝から崩れ落ちた。

 

「こんな絶世の美少女ちゃんのお宝映像だ。合成だろうがなんだろうが、もし広まっちゃったら、世界中の人の頭からこびりついて離れないだろうなあ」

 

 世界中に拡散する様子を小さな全身で目いっぱいに腕を広げて、頭からこびりついて離れない様子を緩く握った拳を細かく上下させる動作で、それぞれ大げさに表現する。

 

「で、そんな人が世界中を震え上がらせる四葉の御当主様として顔見世した時――どおおおおなるでしょうねええええ???」

 

 この問いかけは、文也の勝利宣言だ。

 

 文也が死んだら、この映像が世界中に拡散される。四葉次期当主に事実上決定している深雪にとっては、何としても防ぎたいスキャンダルだ。将来性を考えたら、『ミーティア・ライン』よりもよほど重大である。

 

 つまり――達也と深雪は、四葉は、文也を殺せない。

 

「復讐しようなんて思うんじゃねえぞ。俺と親父と母ちゃん、それにあーちゃんたちとその家族、そのどれもに何かあった時、自動で拡散するようになってる。死ぬだけじゃねえ。原因不明の行方不明、監禁、命の危機、その他もろもろ。それらが起こった時、たとえお前らが悪くなくても、世界中に拡散するぜ」

 

 四葉にたたきつけられたのは、圧倒的な理不尽。たとえ四葉が関わっていなくとも、文也、あずさ、駿、将輝、真紅郎とその家族になにかあったら、これが拡散される。すなわち四葉は、何もしないどころか、下手をすれば、敵であるはずの文也たちを、積極的に「守らなければならない」。

 

「お前っ……井瀬っ……なんてことをっ……!」

 

 崩れ落ちた妹を抱きしめながら、達也はありったけの怒りと憎しみを込めて文也を睨む。そこに籠った殺意は、それだけで世界が滅んでしまいそうなほどに濃い。しかし文也は、多少怯みはしたものの恐れない。何せ、絶対に「殺せない」のだから。

 

 文也のこの作戦は、あずさたちですら完全に理解している様子はなかった。一様に、驚きと何かの感情で、顔を真っ赤にしている。しかし達也は、文也が最愛の妹に何をしたのか、すべて理解していた。

 

 文也はまず深雪の『情報強化』を『術式解散』した。たとえ文也とその血族が最も得意とする魔法でも、深雪の干渉力は貫けない。

 

 ――そう、文也が深雪に使った二つ目の魔法。それは、『一ノ瀬』が見出した、人体に直接干渉する魔法『ツボ押し』だ。

 

 文也がこれで、深雪の何のツボを押したのか。それは、人体に存在する、突かれると、大きな、そしてある種性的な快楽を感じるツボ、「快楽点」だ。それも一か所ではない。自己複製するように作られた魔法式によって魔法式が再構築され、全身の快楽点をランダムにまんべんなく執拗に攻め続ける。このあまりにも凌辱的な魔法で、文也は、深雪を天国のような地獄に落とした。達也が見た全身を舐めるように這いまわる魔法式は、自己複製が自動でなされるように組まれていて、同じ魔法式が自動で増殖して全身を巡っていた様だ。

 

 こうして深雪は全身を攻め立てる激しい快楽によって、自己のコントロールを失った。行使目前だった『コキュートス』はコントロールを失ってただのサイオンになり、文也に届くことはない。皮肉なことに、達也がこの秋に千代田花音にやったことと、同じものだった。

 

「そういうわけだ。最高のポルノをばら撒かれたくなければ、二度と俺らに手を出すなよ」

 

 文也は、座り込む深雪と、それを支えるためにかがんでいた達也に対し、小学生のような小さな体ではとても珍しく、上から見下ろして中指を立て、口角を吊り上げて小さな歯を見せて嗤う。

 

 それを聞いた深雪は、ついに限界スレスレだった心のダムが壊れて、メソメソと声を上げて泣き出す。達也はそれを、ありったけの言葉を使って慰め始めた。そのあまりにも情けなくて哀れな「敗者」を見下ろして、文也は指さしながら嘲笑う。この世の地獄のような光景だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………サイッテー……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうこらちょっと待てや!?」

 

 そんな気まずさ漂う沈黙に突如響いた、侮蔑と軽蔑の塊のような呟きに、文也が叫びながら振り返る。そんな彼を、呟きの主である真由美が、生ごみ未満の何かを見るような目線でジトーっと睨んでいた。

 

「いやいやいやおかしいだろ!? 絶対この兄妹の方が五千兆倍悪いって!? こいつらは俺を殺そうとしたんだぞ!? 俺は誰も殺してないじゃん!? ディスイズ平和的な正当防衛!」

 

 文也は大声を上げて必死に正当性を主張するが、逆にそれを聞けば聞くほど、真由美の目線の温度が下がってくる。真冬の真夜中の気温、深雪が作り出した『ニブルヘイム』、司波兄妹の殺気が作り出した寒気、それらをさらに超えた絶対零度が、文也の肌に、心に、突き刺さる。

 

 しかもそれは真由美だけにとどまらない。いつのまにか、文也を刺す、地獄の底・コキュートスのような冷たい視線は、増えていた。駿、将輝、真紅郎が、文也の全身を『ニブルヘイム』のように凍り付かせ、『ミーティア・ライン』にように全身を穴だらけにし、『分解』のようにバラバラにしそうな目線を向けていた。

 

「お前……まさかここまでとは……」

 

「リベンジポルノ……悪いことだって習わなかったのか?」

 

「あまりにも酷いよ、文也……」

 

 三人の口から、静かな、それゆえに強烈な罵声を浴びせられる。自分の方が正しいと思っているはずなのになぜか言い返せず言葉に詰まった文也は、涙目になりながらあずさに助けを求める。賢くて論理的であり、また柔和な姉のような温かい優しさを持つあずさなら、絶対に理解してくれる。長年積み重ねた友情と愛情と思い出を信じて、文也はあずさを見た。

 

 そんな文也の目に映ったのは――誰よりも冷たい目線を自身に向ける、あずさの姿だった。

 

「…………ふみくん………………」

 

 ただ名前を呼ばれただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ただそれだけで、文也は冷たい道路に崩れ落ち、その目線は、座り込んでいる達也と深雪よりも低くなった。




次回、本編最終回です
そのあとにはおまけの話を投下していきます

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