マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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1500pt届いたのがうれしいので連日投稿です
これが本編最終話となります


5-14

『――先輩たちと積み重ねた思い出を、私たちは一生忘れることはありません』

 

 3月20日、全国の魔法科高校は一斉に卒業式を終え、それぞれが卒業パーティーを開いていた。

 

『――入学したばかりのころ、先輩方に受け入れていただき、学校になじむことができました』

 

 壇上では、在校生の代表である生徒会長が、卒業生たちにマイクを通して送辞を読み上げている。それは、盛り上がっていたパーティーの会場をしんみりと雰囲気にさせる。中には感極まって涙を流して聞き入る生徒もいた。

 

『――夏の九校戦。先輩方の頼りになる背中を見て、私たちもこうなりたいと思いました』

 

 一つ一つの思い出が、各々の生徒の瞼の裏によぎる。

 

『――秋の論文コンペ。大変なことがありましたが、誰一人失うことなく、今こうして同じ会場で会うことができています』

 

 良い思い出ばかりではない。むしろ今年は、波乱に満ちた一年だった。

 

『――先輩方と過ごしてきた時間は、かけがえのないものです』

 

 こうして振り返ってみると、刺激の多い年だった。

 

『――来年は、私たちが先輩方のようになれるよう、一同頑張っていきます』

 

 そして、これからは未来。卒業生は卒業後の進路を、在校生は一つ学年が上がって大人になる瞬間を、希望を胸に迎える。

 

『――これをもって、卒業生の皆様への、在校生一同よりの送辞とさせて頂きます』

 

 大きな拍手が沸き上がる。ここにいる全員が、在校生代表たる生徒会長を、純粋に褒めたたえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――生徒会会長、五十里啓』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――クソガキや一年生の秀才とともに一高を離れた生徒会長の代理となって就任した、五十里啓を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「………………」」」

 

 新生徒会長・五十里が柔らかな礼をして壇上を降りる。その様子を複雑そうに見ているのが、現副会長の深雪と、次期生徒会入りが確約されている達也。そしてそんな二人に冷たい目線を向けているのが、元生徒会長の卒業生・七草真由美だ。

 

「……あそこに立っていた子、予定では、もっと背が小さいし、性別も違ったはずだったんだけどなあ」

 

「……そうですね。誠に残念です」

 

「五十里先輩も素晴らしい方ですが……」

 

 真由美の妙なトーンの呟きに、深雪と達也が身を小さくしながら白々しい返事をする。そしてそれを聞いた真由美はさらに視線の温度を下げ、また口を開く。

 

「いったい誰のせいなんでしょうねえ」

 

「が、外交とは難しいものですから」

 

「吸血鬼……恐ろしい相手でした」

 

 深雪は震える声で、達也は不自然に波を押さえつけた声で、それぞれ、「常識的な話」をする。その劣勢に真由美は留飲を下げたのか、極寒の目線を残したのち、写真を撮る同級生たちに呼ばれてそちらに混ざっていった。

 

「「はあ……」」

 

 重しが離れた達也と深雪は、小さくため息を吐く。

 

 真由美からの責め、生徒会長の変更、今の心労。

 

 その原因を引き起こしたのは、話に上がった「外交」や「吸血鬼」ではない。

 

 ――この二人だ。

 

「全く、あいつにはつくづく迷惑をかけられるな」

 

「同感です……」

 

 二人が思い浮かべるのは、パーティー会場であるここに、本来いるはずであった、この一年間で最もこの一高を騒がせたクソガキだった。

 

 この会場にいるはずの姿がいない。一高過去最悪のワルガキ、生徒会長であった小さな先輩、風紀委員で活躍していた一年生。その誰もが、ここにいなかった。

 

 それは、欠席ではない。この会に参加する資格がないから、いないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――井瀬文也、中条あずさ、森崎駿。

 

 ――この三人は、転校していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はーいどうもどうも、皆さんお集まりいただきありがとうございます。おーすげーフラッシュシャワーなんて初めてだぜオイ』

 

『ちょっとふみくん! まだ時間前だよ!』

 

 時はさかのぼって2月20日。東海地方の某山の奥にある、地図にもなければ人々の頭にもない村。その中の一際大きい屋敷の中で、達也と深雪と四葉真夜は、一緒にテレビを見ていた。実の親ではないが、戸籍上は義理の親。親子と言えなくもない三人だが、しかし同じ部屋でテレビを見るというのは、これまで一度もなかった。そしてこれは、珍しい親子の団欒ではない。

 

 ここは山奥に秘匿された四葉の村。達也と深雪はそこに呼ばれ、今朝から世間を騒がせている緊急記者会見を待ち構えていた。そんな緊迫した視聴者とは裏腹に、テレビの中では小学生かと思うほど小さい少年少女が、わちゃわちゃと全国放送で情けない姿を流していた。

 

「あらあら、可愛らしいわねえ」

 

 真夜が口を開く。他愛のない独り言だが、それだけで深雪の肩が跳ね上がり、達也が即座に腕を肩に回して落ち着かせる。その様子に真夜は目もくれない。能面のような無表情で、テレビ画面をじっと見据えていた。

 

『おらバカ息子、お待ちかねだぞ』

 

『うーっす』

 

 しばらくして、先ほどの少年とその父親である大男が、改めて袖から現れる。それに対して大量のフラッシュが焚かれ、それに対して大男は無反応、少年は楽し気に手を振って返した。

 

『ンンッ……えー本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます』

 

 二人そろって机に座り、大男が咳払いをしてからマイクに向かって口を開き、会見がスタートする。

 

『これより、『マジカル・トイ・コーポレーション』の、緊急記者会見を開始いたします』

 

 そう言うと、二人は立ち上がり、改めて頭を下げ、着席した。

 

『ではまず、私たちの紹介をいたします。私は井瀬文雄。国立魔法大学付属第四高校の非常勤講師で、エンジニアをしております』

 

『俺はその息子、第一高校生徒の井瀬文也だ。ここに集まったりテレビの向こうで見ているもの好きなら、九校戦で顔ぐらいは見たことあると思うぜ』

 

 礼儀正しい文雄に対して、文也の言葉遣いはあまりにも雑だ。壇の横にボディーガードのように控えている少年・駿はその様子を見て思わず頭を抱える。そしてその様子が、ばっちり全国放送されているのは余談だ。

 

『ではさっそく本題に。この記者会見は『マジカル・トイ・コーポレーション』より、皆様に重大な発表があるということで、開いたものです。発表内容は事前にお知らせしたとおり……『キュービー』と『マジュニア』の公開、および弊社の今後の展望についてです』

 

 瞬間、記者たちの間にざわめきが生じる。ここに集まっているのは、全て魔法界に精通している記者だ。そんな彼らにとって、『キュービー』と『マジュニア』は、『トーラス・シルバー』と並んで、最も気になる未知の存在なのである。今までかたくなにそれを隠してきた『マジカル・トイ・コーポレーション』がそれを公開するというものだから、そのお知らせを早朝に聞いた彼らは、全ての予定をキャンセルしてここに集っているのである。

 

『結論を引っ張るのはよくありませんので、単刀直入にお話ししましょう。『キュービー』は私井瀬文雄で、』

 

『『マジュニア』は俺だ』

 

 瞬間、テレビの向こうは混沌と化した。大量のフラッシュと、記者たちの叫び声。こうなるのは予想できていたみたいで、文雄は動じず、文也は笑ってそれを見ている。

 

『そ、その! なんで急に公表することに!?』

 

『それは今から話す、うちの会社の今後とその原因が理由だ。今から話すからそう焦りなさんな』

 

 焦りが見て取れる記者からの質問に、文也がヘラヘラ笑いながら落ち着くよう促す。小学生に見える少年にそう言われては、大人たちもさすがに冷静になったようで、混沌が一時的に収まって全員が着席する。

 

『……今うちの息子から説明があったように、突然の公開に関しては、私たちの身に起きたあることが原因です』

 

 それを見計らった文雄は、ざわめきが収まったところで再度口を開き、機械を操作する。そして背面のモニターに映し出されたのは、ここ最近の日付と、そこで起こった出来事だ。

 

2月15日夜 USNA軍所属・スターズの魔法師より襲撃を受ける。

  16日夜 再度スターズの別の魔法師より襲撃を受ける。

  17日  USNA、日本国政府、および日本国防軍に抗議

  18日  先の三者との話し合いの場が設けられる      』

 

『こちらの表のように、私たちは、二度にわたって、USNA軍に所属する魔法師より、国内にて襲撃を受けました』

 

 瞬間、会場がまたも混沌と化す。その様子を、壇上の文也は手を叩いて大笑いしながら見ていた。

 

「……まるでコントですな」

 

 真夜の傍に控えていた執事が、やたらと飲むペースが速い紅茶を注ぎなおしながら呟く。全く仲の良くない三人だが、こればかりは全員が同感だった。

 

 数分経ってようやく混乱が収まったところで、文也が笑顔で口を開き始めた。

 

『はーい、皆さんが静かになるまで、4分22秒もかかりましたー』

 

『ふざけてる場合か!』

 

 ついに我慢できなくなったらしい、舞台袖から高速で現れた将輝が、文也の頭をひっぱたき、そしてカメラの方を見て不味いことをしたと気づいた表情になり、恥ずかしそうにそそくさと袖に帰っていく。突然現れた魔法師界の貴公子の姿にまたもや一時騒然となるが、早く話を聞きたいという意欲が勝ったのか、今度はすぐに収まる。

 

『で、さっき話した通りだ。まず15日の夜に俺が一人で歩いているところを、急に魔法師から襲われた。それを返り討ちにしてひっとらえたんだけど、装備を見てみると、それがアメリカ軍の魔法師だってわかったんだ』

 

『そして、翌日16日の夜、今度は息子とその友達が、USNA軍の魔法師より再度襲撃を受けた。息子の友達の名前は、一高生徒会長の中条あずさちゃん、同じく一高生徒の森崎駿君、三高生徒の一条将輝君と吉祥寺真紅郎君だ』

 

 連続して出てくる将来この国の魔法師界を牽引するであろうビッグネームたちに、記者たちはまたもざわめく。その様子を無視して、そろそろ飽きてきたらしい文也が無視して、次々話し始めた。

 

『まー、もしかしたらそろそろ気づいてるやつもいると思うけどさ。俺がこの夏の九校戦、『アイス・ピラーズズ・ブレイク』で使った魔法の中に、アメリカ軍が秘匿する魔法『分子ディバイダー』があったんだよ。最初、それが気に入らなくて抹殺しに来たのかと思ったわけ。で、しょーじき悪いことしたなあって自覚はあったから、事前にアメリカから襲われるかもってことで日本国防軍に、守ってくれるよう依頼していたんだ』

 

『しかし、国防軍の腰は重かった。彼らは今回の件で、邦人が国内で外国の正規軍隊から狙われているというのに、全く動きませんでした』

 

『理由は、日本政府がアメリカと裏でこっそり結んでいた約束だ。吸血鬼事件あっただろ? あれはアメリカに出現したパラサイトが、アメリカ人に憑りついて起こったことだ。で、その一部が日本に来て、魔法師ばかりを狙っていたってやつ。その件でさ、日本はアメリカの邪魔を一切しないって約束を結んじゃったわけよ。つまり、アメリカの陰謀で狙われているかもしれない俺を、そんなしょーもない理由で、この国は放っておいたってわけ。あやうく死にかけたぜオイ』

 

『そういうわけで、二度にわたって国内で外国の軍隊より襲撃され、また本来あるべき保護を受けられなかった私たちは、日本政府、日本国防軍、USNA政府に厳重抗議をしました。その結果、この三者と私たちで、話し合いをすることになりました』

 

 あまりの衝撃情報の濁流に、ついに最前列に並んでいた熱心な記者の一人が気絶する。他の記者も、白目をむいたり頭を振ったりと反応は様々だ。

 

 そんなタチの悪いコメディのようになった中で、文也と文雄がさらに口を開く。

 

『裏でこっそり指切りげんまんしてたことを、その話し合いの場で初めて知ったよ。同盟国様にして世界最大の規模を誇るアメリカ様に、忠犬日本と国防軍は尻尾を振って従い、国内の邦人である俺らを見殺しにしたってわけだ』

 

『目先の外交を優先して、国内の未来ある若い邦人が外国の軍隊より襲われるという危機を、知っていて放置した日本政府と国防軍、それにそもそも襲ったUSNA軍、この三者の責任は重い。その場で改めて、厳重に抗議をしました』

 

『で、そこで初めて知ったんだけど、アメリカは、俺たちを襲うつもりはなかったって言うんだ。『分子ディバイダー』の件で騒ぎになったみたいだけど、さすがに国外に暗殺に出向くようなバカなことはしないってさ。嘘か本当か分からんけどよ。俺たちを襲ったのは、アメリカ軍のスターズの兵士に憑りついた吸血鬼で、アメリカの意志は無関係だ』

 

『つまりUSNA本人たち曰く悪意はないそうですが、しかしこのような状況を招いた以上、我々としても黙っているわけにはいかない。また『分子ディバイダー』の件もあって、USNAが息子たちを吸血鬼が襲うのをあえて放置していたという疑いも残ります。USNAは国家間の密約を結んでまで、日本国内に追いかけてきた。その吸血鬼が派手に暴れたのに、そこに介入してくる様子もなかった。そうしたことをその場で話し合った結果、こうして公表しようということになったのです』

 

 ここで二人とも一旦口を閉じる。話が、ここで一旦切れるということだ。そして文雄が機械をまた操作すると、今度はスクリーンに「弊社マジカル・トイ・コーポレーションの今後について」と出る。

 

『そういうわけで、息子とその親友が外国の軍隊に国内で襲われ、それを国と国防軍が知っていて放置したとあっては、息子とその親友の命が危ない。そこで、私と息子と妻、そして返り討ちに参加したことから恨みを持たれており同じく不信感を抱いた中条あずさちゃんと森崎駿君とそれぞれの御家族、この一同で、襲われていると知ってなお協力してくださった一条将輝君の一族、十師族の一条家の、保護を受けることにしました』

 

 それと同時に袖から出てきたのは、一条家の当主・一条剛毅だ。思わぬ大物の登場に会見場がまたも混沌と化すが、剛毅の一睨みによって静まり返る。

 

『先ほど井瀬文雄と井瀬文也君から説明があった通り、以上の経緯から、井瀬家、森崎家、中条家、そして文雄と文也君がエンジニアとして活躍し経営に深くかかわっている『マジカル・トイ・コーポレーション』は、我が一条家が積極的に保護することにしました』

 

「……知ってはいましたけど、大胆ですね」

 

 深雪は兄に向かって囁く。もはや恒例行事となりつつある会見場の混沌を見ながら、達也はそれに無言でうなずいた。

 

『そーいうわけで、『マジカル・トイ・コーポレーション』は一条家の傘下企業になるから。今後とも御贔屓に』

 

 剛毅の肩を馴れ馴れしくバシバシ叩きながら、文也は記者たちに向かって宣言する。

 

『以上を皆様に報告するためには、私と息子が『キュービー』および『マジュニア』であることを公開した方が話が分かりやすいと判断したため、そう致しました』

 

『外交上の陰謀・馴れ合いによって国内で外国の軍隊に好き勝手にさせる秘密条約を結び、またそれによって未来ある邦人の若者たちが命の危機に晒され、そしてそれすらも放置した。日本政府と日本国防軍、この両者の愚行は、我々一条家としては看過できません。一族の正義に基づき、我々は、彼らを保護いたします』

 

『以上だ。はい、お待ちかね質問ターイム! イエーイ!』

 

 話すことが全て終わったのか、画面の中で文也がぱちぱちと場を盛り上げるように拍手をする。度重なる衝撃情報のラッシュによって心身ともに疲労困憊となった記者たちがそれに乗せられて無意識に拍手をするさまが何とも滑稽だ。

 

 そんな質疑応答に入った記者会見の音をバックBGMに、真夜が口を開く。

 

「以上よ。事前に知っていたことだけど、これは厄介ねえ」

 

 声音とは裏腹に、真夜はいつものような笑顔すら浮かべていない。能面のような無表情。これは、真夜の内心に怒りが吹き荒れている証だ。

 

 その無言のブリザードから逃げるように、執事がそそくさと離れて、部屋の外で待機していた男たちを呼び寄せる。その男たちは、黒羽貢を筆頭とする、四葉分家の現当主たち。誰一人としてその表情はリラックスしておらず、一つで小国をひっくり返せる分家の当主とは思えない、おびえた表情だ。

 

「井瀬文也の生け捕り、失敗。井瀬文也の殺害、失敗。井瀬文雄の足止めは成功するも、殺害は失敗。森崎家およびそこに保護された中条家と井瀬貴代の足止めは成功するも、撃退される。井瀬宅の襲撃も失敗。…………惨憺たる結果ね」

 

 四葉真夜が計画した、真夜の固有魔法『流星群(ミーティア・ライン)』の開発及び使用に成功した井瀬文也抹殺作戦と、それに付随する作戦。四葉の分家の戦力のほぼすべてを投入した大規模な作戦だ。その全てが、ほぼ完全に、失敗していた。

 

 井瀬サイドの死者はゼロ。

 

 一方、戦果ゼロなのに、四葉サイドは、血筋に死者は出なかったものの、ただでさえ少ない駒はほとんど死に、血筋の者も帰ってから達也の『再成』で回復したものの一様に瀕死の重傷を負っていた。さらに悪いことに、次期当主・深雪の最悪のスキャンダルを握られ、殺そうとしていたはずの文也たちに、手を出せなくなったどころか、何か起こらないようにしなければならなくなった。

 

『申し訳ございません』

 

 達也と深雪と当主たち、全員が即座に頭を下げる。一族の大戦力を注いだ作戦は、戦果ゼロで莫大な被害だけを残した。最悪の失敗と言っても、過言ではない。

 

 今でこそ、真夜はこのような態度だが、全作戦が失敗した当夜の荒れようは尋常ではなかった。珍しく、弁解の余地すらなく、全員正座でお説教だ。とはいえ、中には『ミーティア・ライン』でハチの巣にされては達也に『再成』されてまたハチの巣にされるという無限ループ無間地獄を想像していた者もいたため、そういう点では優しい方だっただろう。

 

 幸いにして、当初文也たちが公表を計画していた四葉に襲われたという「事実」の方は証拠は、ほぼない。残った証拠は文也が隠し撮りしていた映像のみであり、その程度の物的証拠ならいくらでも誤魔化し可能だ。USNAの動きを予測し、一週間ほど前から手を回してあらゆるものに裏工作を仕組んでいたのが功を奏したのだ。結果、文也たちは「USNAから襲われた」という事実しか世間に公表することができなくなった。

 

「政府や軍部の中枢は、今回の件に四葉が関わっているのを知っているわよ?」

 

 国防軍は、何も心の底から文也を守ろうとしなかったわけではない。司波達也・大黒竜也という最重要戦力を「貸し出して」くれている四葉に脅されて、しぶしぶ文也を見捨てたのだ。また、この軍への交渉には一部の政府高官も参加していた。

 

 つまり――

 

「私たちは、連中に恥をかかせて、そのくせ自分たちだけ悪名が広まらないで済んだ、そう思われているの。この意味が分かるかしら?」

 

 ――ということだ。

 

 日本政府と国防軍は、四葉からの脅し――「お願い」によって露骨な不干渉を選択し、そのせいで今、「国内で外国の軍隊から未来ある若い邦人が襲われているにもかかわらず守ろうとしなかった」という最悪の悪名が轟かされた。つまるところ、四葉のせいで、政府と国防軍は大恥をかいたのである。今後四葉が世論操作などのアフターケアしなければ、政府と軍の首が丸々挿げ変えられるような暴動が起こるだろう。いや、暴動が抑えられても、首の挿げ変えは逃れられない。

 

(……まさしく最悪、だな)

 

 達也は平伏するふりをしながら、内心でため息を吐く。あまりにも酷い状況だ。

 

(いや、でもいくらなんでもここまで怒ることは……)

 

 深雪もまた、達也とは別種の暗い気持ちが湧き上がってくる。正直今ここにいる全員が思ってるのは、「真夜(あんた)が出陣していればすべて楽勝だっただろ」という不満なのだが、一方で真夜が出なくても楽勝で終わると自身たちもまた油断していたのは確かであり、何も言い返すことができない。

 

 今回の件を通して、四葉は政府と軍に大きな借りを作ってしまった。また、四葉が何をしようとしていたのかを、勘の良い上層部はとっくに察している。つまり、四葉の「失敗」も察しているということだ。必然、今まで畏れられるだけだった評価が下がり、そこに侮りと不満が生まれることになる。四葉の影響力が、大幅に低下したということだ。

 

 その後数分説教した後、真夜は全員を部屋から退出させると、広い部屋に一人残り、記者の質問に対してなぜかクイズを仕掛け始めてニヤニヤ笑っている文也を憎々し気に睨みながら、冷めた紅茶を啜る。

 

 真夜が思い起こしているのは、次期当主として内定している深雪の身に起こったこと。

 

 今回の戦いを通じて、深雪は幾度となく殺され、蘇らされた。その記憶ははっきりしており、酷いPTSDが残っている可能性が高いと報告を受けている。

 

 また、インターネットの大海の深層で、「起爆」を今か今かと待ち構えていた「スキャンダル」の映像をサルベージできたので、真夜は自身の目でそれを確認した。絶世の美少女と言う表現すら足りないほどの美貌を持つ深雪が、顔を真っ赤にして艶っぽい喘ぎ声を上げながら道路に寝転び身もだえしている。その末に「粗相」もして、冷たい地面を濡らし湯気を立てている。――あまりにも酷い映像だった。

 

 つまり深雪は、幾度もの臨死のトラウマと、ある種の性的な凌辱を受けたということだ。

 

 そこには――嫌でも、自分を重ねてしまう。

 

 あの大漢で受けた、地獄と言う表現すら足りない実験と称した凌辱の時間。トラウマと凌辱。深雪は皮肉にも、真夜と同じ運命を辿ってしまったのだ。そしてそれを辿らせたのは、他でもない、真夜である。

 

「…………」

 

 重なったからと言って、トラウマが蘇るようなことはない。何せ事件後、精神干渉系魔法に強い適性があった姉・深夜によって、当時持っていた「経験の記憶」をすべて「知識の記憶」に移し替えられてしまった。つまりあの辛い「経験」は、そういうことがあったという「知識」にすり替えられている。トラウマはなく、ただ淡々と、屈辱的とすら感じない「知識」があるだけだ。

 

 ――今回深雪が受けた経験は、自分が受けたという経験よりも、さらに酷いトラウマになるだろう。

 

 どちらも地獄には変わりないし、比べて軽重を判断するべきものでもない。しかし、真夜はそれでも考えてしまう。内側から全身が爆ぜるとは、目玉から拳銃が貫通するとは、首を切り落とされるとは、骨が振動で砕かれるとは、脳に直接電気ショックを食らうとは、心臓にコンクリート片がいくつも突き刺さるとは、どのようなものなのか。その地獄は、どれほどのものなのか。真夜は想像しただけで気が重くなる。

 

 真夜の「経験」を「知識」に変えてトラウマをなくした深夜は、もうこの世にいない。まさしくその出来事で自分を責め続け、罪滅ぼしのように身体に負担のかかる魔法実験に憑りつかれたように参加し、一年ほど前に死去してしまった。つまり深雪は、これから、この地獄の『経験』から逃れることはできない。

 

 酷い辱めの証拠が今にも世界中に拡散されそうで、酷いPTSDを抱える、次期当主。

 

『どーだ、すげーだろ! 国防軍のクズどもの羨ましそうなアホ面を思い出すだけで飯が何杯も食えるぜ!』

 

 深雪をそうしてしまった元凶は、テレビ画面の向こうで、USNA軍から「お詫び」としてせしめたブリオネイクを掲げて、記者に自慢している。

 

「…………」

 

 悔しさに、奥歯が砕けるのではないかと言うほどに歯噛みする。

 

 この作戦は、実は乗り気ではなかった。「できれば狙いたい」程度の文也の生け捕りは、確実性を考えると狙うのは悪手だとも知っていた。今回はその欲張りが敗因と言っても良い。なんなら、あんな「爆弾」を内に抱えるのも真っ平御免だった。さらに言うと、そもそも文也暗殺作戦自体、真夜は一瞬頭をよぎったものの、実行するつもりはなかった。『ミーティア・ライン』の再現は確かに暗殺に値するが、起動式があったところでそうそう実用的に使えるわけがない高難度魔法なので、リスクやコストを考えると、実行に移すべきではないのである。真夜からすれば、即却下だ。

 

 文也暗殺作戦。またその中に組み込まれていた、生け捕りにして仲間にしようという作戦。

 

 これらを考えたのは真夜ではなく――第四研究所時代から四葉を支える、「スポンサー」たちだった。

 

 彼らのおかげで四葉は成り立っていると言っても過言ではなく、そうそう意向には逆らえない。そんな一部のスポンサーは、文也が『ミーティア・ライン』の再現に成功したと知ってすぐに、真夜に文也の拉致・洗脳または暗殺を指示してきたのだ。リスクとコストに見合わないことを説明したが、欲の皮が突っ張った彼らに通じるはずもなく、真夜は従わざるを得なかった。

 

 結果、今の状況は最悪と言ってもよい状態になっている。

 

 この事情を知らない分家や部下たちは真夜に反感を抱いて離反のリスクが高まり、公権力や軍も四葉に不信感を抱くせいで影響力が少なくなる。そしてスポンサーたちは無茶ぶりを仕掛けておいて、失敗したこちらを侮っている様子だ。そして真夜の心理としても、スポンサーに反感を抱いている。一気に生まれたこの大量の相互不信は、今後の四葉の動きにじわじわと悪影響を及ぼすだろう。

 

 そんな四葉の事情など関係なく、テレビ画面の中は賑やかだ。ただの会見場だというのにブリオネイクで『ヘビィ・メタル・バースト』の実演をしようとして駿と将輝に壇上でタコ殴りにされているガキが、何やら騒いでいる。 

 

 そんな小さなワルガキを、真夜は、八つ当たりのように、その後数分間、無言でにらみ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也と深雪を詰り、同級生と談笑した後、真由美は会場の隅っこで、ぼんやりと考えに耽っていた。

 

 文也は、一条家の庇護下に入りやすくするために、第三高校への転校を選んだ。そしてそれは、あずさも駿も同じだ。その理由は、本気で殺し合う羽目になった達也や深雪と同じ学校に通うのは身の危険しかないし、死んでも御免だというのがメインだろう。

 

 ――真由美はこれで、達也と深雪が『四葉』だと知ってしまうことになった。真由美は、この件の真実を知ってしまっている。

 

(……秘密を抱えるって辛いものね)

 

 内心でひとりごちる。達也と深雪が四葉。この日本魔法師界がひっくり返りそうな事実は、七草として、当主である父に報告するべきだ。しかし真由美は、それをしなかった。これ以上四葉には関わりたくないというのが本音だからだ。それに、真由美は、まさしくその身で四葉の恐ろしさを体感してしまった。陰謀好きの父がこれを知れば、絶対に四葉を貶めるべく裏工作をするだろう。そんな余計に敵に回すようなことは、あってほしくなかった。『四葉』までは知らないが、達也や深雪と殺し合っていたこと自体は香澄も見てしまっており、そちらにも口裏を合わせて、「USNA軍に襲われているところに偶然居合わせて真由美が加勢した」ということにしている。

 

 世間では、文也たちは、「未だUSNAからの脅威は去っておらず、政府と国防軍が動こうとしなかったために不信感を抱き、親友である一条の庇護に入ることにした」ということになっている。それは事実の一部でしかない。本音は、達也と深雪、そして四葉から逃れるための自己防衛だろう。

 

(……一高も大変ねえ)

 

 真由美は思い出す。職員室の中で割と権限を握っている教師たちから泣きつかれたあの時を。

 

 魔法科高校の教師をやっているだけあって、その品性や知性は別として、教員はやはり優秀な魔法師ばかりだ。そして優秀な魔法師とは大体権力を握る魔法師一族の出身であり、出世欲や名誉欲に常に支配されている。

 

 そんな教師たちから、真由美は、比喩でもなんでもなく「懇願」された。

 

 七草家で井瀬君たちを保護してくれ。このままだと、優秀な生徒や生徒会長が三高に転校してしまう。同じ学校の先輩後輩のよしみで。そうじゃないと、優秀な生徒たちを一高は失ってしまうし、生徒会運営も大変だし、九校戦の結果に響くし、文也の転科が予定されていた魔法工学科の計画も片手落ちだ。

 

 真由美はそれに対して、良い返事をしなかった。真の事情を知る真由美は、七草家に庇護されたところで文也たちにとって意味がないというのを理解しているからだ。それと、言われずとも、陰謀好きで権力好きの父が、庇護に名乗りを上げたから、伝えても意味がないからである。

 

 真由美の父・七草弘一は、七草家も井瀬たちを保護すると、あの記者会見の後すぐに名乗りを上げ、文也たちにも直接打診していた。理由はいくつかある。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』の『キュービー』と『マジュニア』であり優秀な魔法師でもある文也と文雄、現生徒会長にして多くの一高生の命を救った英雄あずさとその一家、元々十文字家寄りでボディーガード業で名をはせる腕の立つ森崎家。これらを身内に抱え込むというのは、七草家の権益を拡大するのに大きく寄与するから。またこれほどの人材を、十師族のライバルである一条家に取られたくないというのもある。

 

 また、文也は最も可愛がっている愛娘・香澄の命の恩人でもあり、「あこがれの人」でもある。香澄自身もわざわざ弘一に文也を保護するよう頼みに来た。保護してあげたいと思うのが(弘一にしては珍しい)親心である。

 

 そういうわけで、弘一もまた、先輩後輩関係でありまた直接参戦して助けたという正当性もあるため、真由美を通して庇護を持ち掛けた。とっくに一条の庇護に入ることが決まっていたためあえなく断られたが。

 

 さて、こんなことがあったせいで、真由美の胃はまたも荒れ果てていた。大学には余裕で受かったが、期待されていた入試成績一位は克人に取られるという敗北もする羽目になった。

 

「ウッ」

 

 真由美は思わず呻き、胃を押さえる。思考の流れで、胃痛が加速した出来事を思い出してしまった。

 

 それは受験が終わった翌日の事である。妹の香澄と泉美は姉を追って第一高校を受験することが決まっていて、すでに願書も出し終えていた。そこでいきなり、香澄がこう宣言したのだ。

 

「私、第三高校を受験する!」

 

 家族全員、それを聞いて一人も気絶しなかったのは奇跡と言っても過言ではない。

 

「あこがれの人」文也が三高に転校することは、あの記者会見ですでに公表されていた。香澄はなんと、それを追いかけて、ずっと昔から心に決めていた第一高校受験を取りやめ、志願変更制度を利用して第三高校を受験すると言い出したのだ。一高の新学科設立のゴタゴタで受験日が遅れ、志願変更期日も遅れたのが、香澄にとっては幸運に、真由美たちにとっては仇となり、この日の翌日が志願変更の期日だった。

 

 家族総出で必死で説得したが、香澄の意志は固く、結局志願変更を認めざるを得なくなった。そして香澄は今、無事合格し、まだ春休みだというのに、弘一が無理やり付けた何人かの使用人とともに、第三高校がある金沢の高級マンションに引っ越している。

 

 そう、井瀬文也は、第一高校と真由美たちの胃だけでなく、七草家をも引っ掻き回したのだ。

 

(ほんと、あの子は何から何まで引っ掻き回すわね)

 

 まるで、トランプの「ジョーカー」のようだ。まるで人々を嘲笑うかのように、ゲームを引っ掻き回す道化師。

 

 真由美の視界の端で、何の皮肉か、余興としてトランプゲームが始まる。無意識でそれを見た真由美の目に、これまた皮肉にも、ジョーカーのカードが映った。

 

「……サイッテー」

 

 まるで「ババ」を引いてしまったかのように、真由美はあの真冬の夜のように呟く。

 

 そのこの世のすべてをバカにしたような笑顔が、口角を吊り上げて悪戯っぽい笑みを浮かべるワルガキの顔に、重なって見えてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業パーティで、現生徒会役員である妹・深雪は、兄と一緒に運営をしながら、幾度となくため息を吐いていた。

 

「深雪、ここはお祝いの場だよ」

 

「申し訳ありません、お兄様」

 

 達也にたしなめられて、深雪は自分の失態に気づき、頬を赤らめ、口元を押さえる。その仕草だけで男女問わず通りすがりの生徒たちを虜にしてしまった深雪は、それには気づかず、またすぐに無意識でため息をまたも吐いてしまう。達也はまたたしなめようかと思ったが、気持ちは痛いほどわかるので、ほどほどにしておくことにした。

 

 1月から3月にかけては、とてつもなく忙しかった。高校で色々やりながら『トーラス・シルバー』としての仕事もこなしつつ、文也の件と吸血鬼の件も同時進行であれこれ動いていた。結果、文也の件は全く上手くいかなくて散々だったが、吸血鬼の件に関しては上々の結果を収めた。レイモンド・クラークや汚名返上のために気合を入れて動いてくれた黒羽家の協力もあり、ほぼ全てのパラサイトは深雪によって破壊され、真夜の望み通り一部は回収することもできた。

 

 そしてそれが終わったと思ったら、2月16日以来考えないようにしていた卒業パーティーの準備だ。文也は、駿、そして生徒会長であるあずさを伴って一高を離れてしまった。そのせいで、新たな生徒会長を立てる羽目になり、急遽現生徒会役員で唯一の二年生であった五十里に白羽の矢が立った。しかし五十里本人は生徒会長選挙のころから会長職に就くつもりはなく、あと半年の任期と言えど、良い返事は帰ってくるわけがない。しかし彼以外に適任者はおらず、元生徒会長の真由美まで出張って――妹の件だけでも大変だったのにこんなことをさせられた彼女の胸中は推して測るべし――の説得劇となった。最終的には、真由美から「貴方たちがそもそもの元凶でしょ!?」と達也の記憶に深い傷を残した悪魔のチョコレートと文也襲撃の公開という二方向の脅しによって、達也・深雪・真由美による人目の多い廊下で土下座して頼み込むという強行作戦を実行した。この三人にこんな頼み方をされてノーといえる魔法科高校生は、あのクソガキ以外にはいないだろう。この件が、五十里のトラウマになっていないか心配である。

 

 こうした経緯で急造の生徒会長のもと、卒業パーティーの準備をする羽目になった。この三か月は、達也と深雪にとって、悪い思い出となってしまったのだ。

 

 こうした経緯もあって、達也もまた今にもため息を吐きそうである。ましてや、先ほど真由美にネチっこい責め方をされたのだから、余計にその気持ちは強い。

 

『井瀬君さえ、井瀬君さえいなければ、こんなことにならなかったのに!』

 

 達也の脳裏にふと、妹の叫びが木霊した。

 

 あの時の極限の戦いの中で、愛する妹の、涙を流しながらの叫び。

 

 深雪はあの時、激情に駆られていた。これはそういう時にこぼれた言葉だ。

 

 だからと言って、この言葉は、許されるものではない。何せ、文也の不存在、つまり死を望むというのは――達也と深雪をこんな目に遭わせた元凶の一人である、真夜と同じ発想だからだ。冷静に考えれば、彼は殺されるようなことをやっていない。達也からすれば、深雪を何度も「殺し」たのは、それこそ万死に値する悪行だが、客観的に見れば最終的には死んでいないのだし、そもそも先に殺そうとしたのは達也と深雪だ。理不尽というものである。

 

 しかし一方で、達也は、それに同感してしまっていた。

 

 もし文也がいなければ、どうなっていただろうか。

 

 まず一高全体のストレスが大幅に減る。あれの悪行や悪戯が原因で、何度も騒ぎになった。きっと胃痛もほぼなかっただろう。あずさと駿も急に転校する羽目にならなかっただろうし、真由美の妹・香澄も順当に一高に入学した。達也と深雪だってこんな目に遭わないし、四葉もUSNAも日本政府も国防軍も大失態を晒すことはなかった。魔法師関係の各家だって内部不振による崩壊や無駄な争いはなかっただろうし、『トーラス・シルバー』としてもライバルがいない一人天下でもっと儲けていただろう。文也を襲撃して捕らえられたリーナとネイサンも、せいぜいが吸血鬼関連で働かされた程度で済んだに違いない。

 

 

 

 

 ――文也さえいなければ、こんなことにならなかった。

 

 

 

 

(…………バカなことを考えるのはやめよう)

 

 しかし達也は、すぐにそれを、冷静に否定して切って捨てる。

 

 達也は、四葉の情報網で、またはその目で見て、文也がいたことで幸せになった人々もまた、確かにいることを知っている。

 

『マジカル・トイ・コーポレーション』によって、魔法工学の発展は著しいものとなり、またその発売商品や商売の方針から、突然変異または隠れた才能を持つ魔法師の卵の発見につながり、血に依存する魔法師の慢性的な人材不足改善に貢献した。三年前は佐渡侵攻に居合わせて多くの日本人の命を救い、その中には日本魔法師界を牽引する剛毅もいる。不良少年を使い捨てにした大規模なテロも未然に防いで死者をゼロ人にした。九校戦でも大きく貢献した。駿も将輝も真紅郎も、文也との親交によって心と技能が大きく成長しているし、あずさは文也が最大の心のよりどころだ。香澄だって、文也によって大きな危機から救われた。また、何よりも、文也はあの横浜事変で、多くの一高生・四高生・その他多くの人々の命を救った英雄でもある。

 

 それらを踏まえてもなお、「あいつがいなければ」だなんて、思えるわけがない。

 

(………………)

 

 強いていうなれば、そう、あんなワルガキが生まれて、あんなクソガキのせいで多くの被害が生じ、そのくせあんなチビがいなければ多くの人が死にまた救われなかった――そんなこの世を作った神こそが、一番の悪なのかもしれない。

 

(…………いけないな)

 

 そしてまた、自分の考えを切り捨てる。神なんて、とっくにいないと確信したものだ。世の中が、そうあるだけ。ただそれだけなのだ。

 

 文也は、その中の一つ。そうあるだけ。そうあるだけで、多くの人々を引っ掻き回して混乱させ、そしてその渦中にいて悪戯っぽく笑う。

 

(本当、『冗談』みたいなやつだよ)

 

 達也はそう思いながら、思わずフッと鼻で笑ってしまう。

 

「お兄様、どうかなさったのですか?」

 

「いや、ちょっと考え事をしていただけだよ」

 

 妹はそれにすぐに気付いて、声をかけてくる。達也はそれに返事をしながら、心の中で付け加えた。

 

 文也は、「冗談」みたいなやつ。

 

 しかし、一方で彼に触れた全員は――

 

 

 

 

 

 

 

 

(『冗談じゃない』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 と思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「将輝、そっちにいったぞ!」

 

「了解だ駿! おっかけるぞ!」

 

 時は戻って、3月前半の某日、卒業生以外にとってはまだ平常授業が行われている日の放課後、三高の廊下で、CADを構えた駿と将輝が、血相を変えて走り回っていた。

 

「駿お前、前はこれを一人で対応してたのか!?」

 

「委員全体で包囲網を敷いてたとはいえ、あれみたいなのがあと十何人もいて徒党を組んでた!」

 

「地獄じゃねえか!?」

 

 二人の叫び声が廊下に反響する。駿の叫び声には、どことなく哀愁が漂っていた。

 

「ゲゲッー!!! なんだこの学校!!!???」

 

 そんな二人が走っていく先で、小学生にしてはやや大人びているが、高校生としては明らかに幼い、少年の叫び声が響いてくる。

 

「残念だったな、さあ観念して捕まれ」

 

「地理を把握してもいないのに逃げが間違いだったな」

 

 CADを構え、行き止まりであたふたしている少年に投降するよう促す。

 

「畜生、お前ら二人とか反則だって……」

 

 その少年――転校して早々悪戯騒ぎで三高を混沌に陥れた元凶は、しょんぼりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごいね、いったいこれで何度目だい?」

 

「72回目」

 

「体感的にはすでにそれぐらいやっているが、実際は12回だ」

 

「十分すぎるね」

 

 三高の生徒会室に連行される文也とそれを連行する二人を迎えたのは、生徒会役員の真紅郎だった。まだ転校して間もないのに、すでに手慣れた手つきで文也の罪状を記録していく。今回は、教員の一人がひそかに隠していたおやつのシュークリームを、職員室に忍び込んで激辛デスソース入りのものにすり替えたらしい。その現行犯を見つけた二人が文也を追いかけて捕まえ、こうして連行しに来たのだ。

 

「はい、反省文11枚。表裏だよ」

 

「多すぎないか?」

 

「君の12回に比べたら全然少ない方だよ」

 

 原稿用紙の束を手に、平然とした笑顔を浮かべながら真紅郎は生徒会備品の古式ゆかしい鉛筆と一緒に文也に押し付ける。ちなみに鉛筆は大変短く芯も削られていないため、めちゃくちゃ書きにくいという地味な嫌がらせ仕様だ。

 

 空気が抜けた後の風船のようになった文也を生徒会室の隣にある反省室に放り込んで外から鍵を閉めた真紅郎は、生徒会室に戻って、疲れた顔の駿と将輝に話しかける。

 

「今日もお疲れ。大変だったね」

 

「転校早々に元気なやつだよホント」

 

 出されたお茶を啜りながら、駿は呆れ100パーセントの感情で、吐き捨てるようにそう言った。

 

 ――文也とあずさと駿が急に一高から三高に転校して、もう二週間ほど経った。

 

 転校の経緯は例のハチャメチャ記者会見で世間に知られていることなので、文也たちの転校初日は、三高の空気は異様なものだった。

 

 校内で有名人な将輝と真紅郎の親友、九校戦で大活躍した選手とエンジニア、生徒会長、『マジュニア』、森崎家、世界最強の魔法師部隊から襲撃を受けて撃退した実力、政治の暗部に触れた大転校劇、横浜で多くの一高生と四高生の命を救った英雄――この三人は、学校まるごと揺るがすほどの要素を、それぞれが多く持っていた。

 

 三高の教員の計らいで、どうせ進級に伴うクラス替えがあるということで、文也と駿は親友である将輝と真紅郎がいるクラスへの転校となった。教員たちもまた、文也たちの扱いには細心の注意を払っていたのである。結果、教員たちが予期せぬ形でその計らいの効果は出て、初日からヤンチャしまくるクソガキの抑止力を同じクラスに集中させたことで、被害の拡大が防げている。未だ転校前の噂や逸話の方が学校内で大きいのはそのおかげだ。もしそうでなければ、とっくに「悪戯好きのヤバいクソガキがいる」という話の方が広まっているだろう。とはいえ、逆転するのは時間の問題だろうが。

 

 またあずさだけ学年が違うが、やはりそちらでも有名人すぎて騒ぎになっていた。幸い、控え目で弱気で温和でやさしい性格とその見た目、それとギャップのある魔法の腕と知力で、一瞬にして認められ、生徒会長だった実績もあって特例で会計監査として生徒会役員入りも果たした。ちなみに今この生徒会室に不在なのは、部活連への顔出しに現生徒会長と向かっているからだ。

 

「で、どうだ? 学校には慣れたか?」

 

「慣れる慣れないを考える暇すらないな。アイツの対応で手いっぱいだ。前の学校とそんなに変わらない感じすらするから、そう意味では慣れたといえなくもない」

 

 駿の回答に、問いかけた将輝は苦笑する。まさしくその通りだ。万事塞翁が馬と言うべきか、初日からずっと文也の対応をさせられているという一高生のころとなんら変わらないスクールライフを送らされているせいで、不慣れな感覚は特にない。三高は「尚武」の校風を持つため、性格に棘はあるが実力も努力も十分でプライドが高い駿はすでに受け入れられており、今後の生活も特に大きな支障はないだろう。

 

「…………アイツって、ホント、なんなんだろうな」

 

 そんなことを考える中で、ポツリ、と駿が呟く

 

「あー、確かに言われてみるとそうだね」

 

「ブランク込みとはいえもう3年ちょっとはつきあいあるけど、確かによく分からんな、アイツは」

 

 その呟きに、真紅郎と将輝がすぐに反応した。転校していないといえど、この二人も、ここ数か月のゴタゴタで相当動き回った。それがようやく落ち着いてきた今、そういうことを自然と考え始めていたのだ。

 

「アイツ」とは、言うまでもなく、文也のことだ。

 

 駿は魔法塾で出会い、川崎では二人で協力してテロを未然に食い止めた。

 

 将輝と真紅郎は佐渡で出会い、そこで戦争に巻き込まれ、協力して生き抜いた。

 

 仲良くなった経緯からしてすでに波乱だ。そしてそのころから今までずっと、文也の様々な面を見てきた。

 

 悪戯好きで口が悪くてヤンチャで、よく悪さをする。よく騒ぎやトラブルを起こして周りを巻き込む。いつも騒ぐか怒るか悩むかで、表情が豊か。そのくせやたらと頭の回転が速く、不真面目な癖に勉強ができるし知識も豊富。魔法技能が高く、ほぼ全てにおいて万能で、それを遺憾なく発揮できる特異な能力もある。さらに魔法工学にも優れている稀代の魔工師だ。しかし、魔法技能面で大きな弱点も抱えている。

 

 まるでカードの表裏のように真逆の性質を抱え込んでいて、そして裏表に収まらないほど多面的。

 

 人間だれしもに言えることではあるが、文也の場合は、それぞれの面の尖り具合が異常だ。

 

 散々迷惑をかけられたが、とても頼りになって救われたことが何度もある。

 

 大きく心をかき乱すが、一方で頼りになり、飛びぬけた力があって、それでいて万能で、しかし大きな弱点も抱えている。

 

「……なんかトランプやりたくなってきたね」

 

「おいおい真紅郎、今生徒会活動中だろ? サボりにならないか?」

 

「大丈夫だって。文也の対応をした後だって言えばその程度許してくれるよ」

 

「それならやるか。ジョージ、生徒会室に置いてあるよな?」

 

「当然あるよ。生徒会って意外と裏で遊んでるんだよねえ」

 

「……そこは一高も三高も変わらないか」

 

 駿のどこか呆れた呟きを背に、真紅郎は備品の影に隠れた引き出しからトランプを取り出す。他にも様々な遊び道具が入っていて、駿は真由美が生徒会長だったころを思い出した。あずさは真面目だからそんなことはなかったが、真由美はたまに羽目を外すことがあって、生徒会室で遊んでいたのだ。

 

「…………これはまた、ずいぶんなパッケージだな」

 

「ゲッ、本当だ」

 

「あはは、やっぱりそう思う?」

 

 その取り出したトランプの箱を見て、駿と将輝は口を歪める。その反応を見て、トランプをやろうと言い出してからそれを予測していた真紅郎は苦笑いした。

 

 ――トランプの箱にいるのは、この世のすべてをバカにするように嘲笑う「ジョーカー」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――三人ともが、文也に重ねていたカードだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あークソ、なんだよあの嫌がらせ鉛筆」

 

「あの鉛筆、最近準備したものみたいだよ?」

 

「つまり?」

 

「ふみくんのために特別に吉祥寺君が用意したってことだね」

 

「オーケイオーケイ、明日会ったらアイツがこっそり隠し持ってたエロ本って嘘ついてドギツイ趣味のやつばらまいてやる」

 

「やめなって、もう。また逆恨みしてる……」

 

 多少暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い3月頭の夕暮れ。文也とあずさは並んで、学校から帰宅していた。学校を出る時は駿と将輝と真紅郎も一緒だったが、つい先ほど別れたばかりだ。将輝の家は一条家の屋敷で、同じ方向に真紅郎が住む寄宿舎と駿の家もある。駿は森崎家やその部下のほとんどを巻き込んだ大規模な引っ越しであり、森崎家の邸宅はたまたま持っていた別荘を本宅として使っている。まだ自前の訓練場などは土地を買ったばかりであり、完成する頃にはもう大学生になっているだろう。

 

 そういう事情で、将輝と真紅郎と駿の住居は面積が大きく、「お金持ち」の家や施設が集中する、比較的まとまった土地がある地域にあるのだ。

 

 一方で、同じく家族ごと引っ越してきたといえど、井瀬家と中条家は典型的な核家族世帯で、しかもどちらも子供は文也・あずさの一人のみだ。ごく小規模な引っ越しであり、どちらも普通の建売住宅街に新居を購入した。余っていた都合の良い一軒家がたまたま隣同士だったため、せっかくだからとそこを購入してそれぞれ住んでいる。文也とあずさにとっては新たな住処だが、まるで元の鞘に収まったかのように、小学生の時と同じ「お隣さん」となったのである。

 

「そういえばふみくん、もうそろそろ三高には馴染めた?」

 

 そうした雑談の中で、ふとあずさが少し心配そうに問いかけてくる。

 

「俺はどこいったって変わんないんだから、馴染むも何も無いってわかってるだろ?」

 

「それもそっか」

 

 文也はその問いかけにどこか既視感を覚えながら、これまたどこかで言ったような気がする返事をする。それに対してあずさは、柔らかな笑みを浮かべて納得したように返事をした。

 

「んー、あー、そっか」

 

「え? 何?」

 

「いや、なんでも。ちょっと考え事が解決しただけ」

 

「そ、そう?」

 

 その既視感の正体に、文也は気づいた。急な独り言にあずさが困惑しているが、いつものことなので気にすることはない。

 

 この既視感の理由は――まさしく、既視だからだ。

 

 思い出すのは、10年ほど前の夕暮れ。文也が小学校に入学してすぐのころ、悪戯で教師に説教されたのち、少し遅れて帰ることになった日のことだ。

 

『そういえばふみくん、もうがっこうにはなじめた?』

 

『オレはどこいったっておんなじだからな。なじむとかそういうのは、ないな』

 

 職員室の前でビクビクしながら待っていたあずさと並んで帰った、これから何度も同じことをする帰り道。二人で手をつなぎながら帰っているときに、あずさがふと、聞いてきたのだ。

 

(……ねーちゃん、ってところなのかな)

 

 一つ年上の幼馴染で親友。今までそう思っていた。

 

 一方でよく考えてみると、昔からよく世話を焼いてくれたし、何度も世話をかけてきた。文也のことを何かと気にかけてくれていたし、多少酷いことになっても呆れて離れるようなこともなかった。小さくて気弱で優柔不断なところはあるが、まるで姉のようだ。

 

「ふぇ!? え、ちょ!? ふみくん!?」

 

 そう思い起こして、ふと、文也は、あずさの手を握っていた。いきなり手を握られたあずさは、歩みを止めない文也に合わせて歩きながらも、顔を一瞬で真っ赤にしながら、裏返った声で文にならない言葉の羅列で問いかけてくる。

 

「あー、すまんな。ちょっと、昔を思い出して、ついな。……嫌だったら離すけど」

 

「あ、いや、大丈夫だよ、うん。ちょっとびっくりしただけ」

 

 文也はそう言って手を離そうとするが、あずさは食い気味にそれを否定して、握り返してくる。文也はそのせいで何か言う機会を逃して、どこか背中が痒くなるような感覚を覚えながら、無言のまま歩く。あずさもまたどこか気恥ずかしさと気まずさを覚えてしまい、顔を真っ赤にして俯いたまま、横に並んで歩く。しかしそれでも、お互いに、つないだ手は離さなかった。

 

 そんな微妙な無言の時間のまま数分が過ぎ、住宅街が見えてくる。もう数分も歩けば、お互いの家だ。

 

 その事実を理解して、小学生の時のようにこれから何度も同じことができると言うのに、なぜか文也は焦りを覚える。

 

 そしてその焦りから、文也は、ついに、口を開いた。

 

「……なあ、あーちゃん。転校して、後悔していないか?」

 

「え?」

 

 そんな唐突な問いに、あずさは目を丸くして、俯き加減になって影を落としている文也の顔を覗き込む。その顔には、あずさでもめったに見ない、文也の苦悩がありありと浮かんでいた。

 

「あーちゃんはさ、一高に友達も知り合いも一杯いて、生徒会の仲間もいて、生徒会長にもなって、センセーたちともいいかんじにやっててさ。でもそれを全部捨てて、全部、俺の都合だけで、無理やり流れに乗せて転校させちゃっただろ? だから……その……」

 

 言葉が進むにつれ、声は尻すぼみになって、表情の影は増える。文也がここまで悩むのを、あずさは見たことがなかった。

 

「あーちゃんさ、一高のこと、大好きだっただろ。だから、怖くても、立候補したんだ」

 

 あずさは、自分の手を握る力が、だんだんと強くなってきていることに気づき、そして、文也の手に汗がにじみ、また何かに迷うように震えていることに気づいた。

 

 あずさに一高が大好きだと気づかせたのは文也だ。あずさにとって一高は、青春の2年弱を過ごした大切な場所だ。

 

 あずさに生徒会長の立候補をさせたのも文也だ。新たなリーダーとして、ようやく馴染んできたころだった。

 

 そして――そこから転校させたのも、また文也だ。

 

 秘術を開発するという禁忌が、いずれ大きな事態を起こすというのは知っていた。九校戦の後には、改めて自覚した。それでも止めずに、日本最大の禁忌『四葉』の秘術にまで手を出して、しかも公然と使用してしまった。

 

 このあまりにも身勝手な振る舞いが、こんな事態を招いてしまったのだ。あずさは何度も死にかけ、戦いに巻き込まれ、辛い目に遭わされ、「殺し」に加担させられ、そして大好きな一高から離れさせられた。その全ての大元が、文也なのだ。

 

「俺のせいで……あーちゃんは……」

 

 絞り出すように漏れる文也の声は、震えていた。

 

 その震えた声を聞いたあずさは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――思わず、文也を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けに真っ赤に染まる道路で、二つの小さな影が重なる。

 

「あのね、ふみくん」

 

 耳元で囁かれる幼い声が、文也の体に染み込んでいく。

 

 物心つく前から一緒にいた、一つ年上の幼馴染の声。

 

「確かに、私は一高が大好きだよ。ふみくんが、気づかせてくれたもんね」

 

 ゆっくりと、噛みしめるように、言い聞かせるように、言葉が発せられる。

 

 その一つ一つが、文也の心に染み込んでいく。

 

「だから、ふみくんの言う通り、やっぱり、残念だなって思うよ。転校してからも、馴染むのは大変だし」

 

 あずさは声のトーンを上げて明るく、それでいてゆっくりと、文也に話しかける。

 

 文也からの返事は一切ない。しかし、これは一方的なものではない。あずさは、文也がしっかり聞いてくれていることを確信している。

 

「でもね、ふみくん」

 

 悪戯好きで、我儘で、生意気で、騒がしくて、目が離せない、それでも頼りになる、幼馴染の小さな男の子。

 

 胸に顔をうずめて腕の中で身じろぎもしない男の子に、あずさは、一番伝えたいことを伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私が一番大好きなのは、ふみくんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だから、心配しないで。

 

 言葉の続きは、声に出さなくても伝わる。あずさは小さな唇をゆっくりと閉じて、文也をより強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――柔らかい小さな手、温かな体温、背中に回る小さな腕、幼い声、落ち着く匂い。

 

 そして――あずさの心音。

 

 そのすべてに包まれながら、文也は思い出していた。

 

 あずさと出会ってすぐのころ。悪戯が度を過ぎて文雄からこっぴどくしかられた後、部屋の隅で一人で泣いていた時、あずさが、今と同じように、こうして慰めてくれた。

 

 ――ずっと、文也が慰める側だった。

 

 しかし、その最初は、あずさが慰める側だったのだ。

 

 あずさの小さな手にくしゃくしゃの髪を撫でられながら、文也はその思い出に浸る。

 

 あのころから、二人は何か変わっただろうか。体は人並みには劣るが大きくなった、魔法は人並みをはるかに超えて上手になった、いろいろな人と出会って友達が増えた、考え方が変わることもあった。

 

 それでも、二人の関係性は、変わることはなかった。

 

 お互いに世話を焼きあい、守り合い、慰め合う。

 

 あずさは、弟を守り慰め世話を焼く姉のようにも、兄に守られ慰められる妹のようにも見える。

 

 文也は、妹を守り慰め助ける兄のようにも、迷惑をかけ助けられ慰められる弟のようにも見える。

 

 どうも言葉には表しにくい関係の、1つ年が違う幼馴染の男女。

 

 引っ越しによる時間の隔たりがあろうと、それは変わらなかった。

 

「……ありがとな、あーちゃん」

 

「ううん、いいんだよ」

 

 二つの小さな影が離れる。

 

 いつの間にか動揺が収まっていた文也は、照れくささを誤魔化すように、いつものように口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべる。それを見たあずさは、柔らかく笑った。

 

「じゃあ行くか」

 

「うん、そうだね」

 

 年端も行かない兄妹・姉弟のように。幼い友達同士のように。

 

 小さな二人は、手をつないで、夕日差す道を、並んで歩き始めた。




これにて本編はお終いです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

この後は、本編に書こうとしたけど尺や展開のリズム感の都合でカットしたシーンを2話分投稿し、その後はさらに一章分ぐらいのオマケも投稿していきます。オマケの内容は、文也たちが転校したのち無事進級して最初のビッグイベント、二年目九校戦のお話です。

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