マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

68 / 85
あけましておめでとうございます。
大晦日と元日なのにそれとはまったく関係ない番外編みたいな2話を投稿しているのなんてこの二次創作ぐらいでしょうね。この挨拶の為だけに2日連続投稿です。


語られざるエピソードたち-2

①七草真由美の憂鬱

 

 2096年3月11日。

 

 高校卒業目前の自由登校で、大学受験も終わって完全に自由の身になった真由美と克人は、ある高級料亭の個室で、華やかな料理を挟んで、それとは対照的な重い表情を浮かべていた。

 

「七草、今日呼び出した理由は、わかるな」

 

「ええ、わかっているわ。それを、拒否しに来たんだもの」

 

 二人の目はいつになく真剣だ。こういう話術や裏交渉の類では、克人は全く真由美にはかなわない。これまで何度も負けてきている。しかし今回の件に関しては、克人も引くわけにいかない。これが最後と言う気持ちで、この場に臨んでいた。

 

 克人が聞き出そうとしていること――それは、文也たちの急な転校劇についてだ。

 

 世間で発表されている事実は以下の通り。

 

 文也が二度にわたってUSNA軍の魔法師から襲撃を受けたが、そのどちらもを撃退。二度目の襲撃に関してはとても強力な魔法師で、文也とその親友であるあずさ、駿、将輝、真紅郎、そしてその場に偶然居合わせた真由美が協力して撃退した。実はこれはUSNAの手を離れて憑りつかれた吸血鬼であり、USNAは日本国内にそれを追いかけてきていた。政府と国防軍はこの件に関して裏外交で手出し無用と言う約束を結び、そのために邦人が外国の軍隊から襲われているにも関わらず放置していた。生き残った文也たちは、政府と国防軍とUSNAのこれらの悪行を暴露したうえで、身の危険と国に対する強い不信感を覚え、親友の将輝が属する一条家にお世話になることになり、文也とあずさと駿はそろって庇護を受けやすい三高に転校。あと井瀬父子は『キュービー』と『マジュニア』であり、ついでに『マジカル・トイ・コーポレーション』まるごと一条家の庇護下に入ることになった。それとついでに、文也に恩があるらしい真由美の妹・香澄も、彼を追いかけ三高に志願変更をした。

 

 ……という顛末だ。そして克人ら十文字家が知るのも、この限り。要は、裏社会や裏事情の面では二十八家の中でもとびきり弱い十文字家は、記者会見以上の情報をほぼ全くつかめていないのだ。

 

 この件に関して、克人は個人的にも思い入れがないわけではない。約一名とんでもなくヤンチャなのもいるが、全員母校の未来を担う可愛い後輩たち。転校するというのは、個人的にはとても寂しいものだ。すでに転校してしまっているが、あまりにも惜しいことで、あの記者会見以来、転校を思いとどまるよう動いていた。

 

 またもっと俗物的な権力・金銭欲を持った者が、克人に、彼らを説得するように頼み込んできていた。一高の教師たちだ。十師族でツートップを誇る権力を持つ七草家の真由美に対してだけでなく、同じく一高生徒であり、「庇護」「守護」という観点から見ればこの上ない適性を持つ十文字家の克人にも、文也たちを庇護して転校させないようにと懇願してきたのだ。

 

 また十文字家としても、『マジカル・トイ・コーポレーション』とそこのエンジニア二人の能力、また文也と文雄の魔法力は魅力的だったし、狭い魔法師界において生徒会長をやったということで知名度があってかつ能力も高いあずさ、家業の性質上十文字家寄りであった百家支流の森崎家、この三者がまるごと一条家に取られるというのは大きな損失だ。ここは三者とも抱え込んで、一条家の増強を阻止したうえで自分たちの拡大を図りたいところだった。

 

 そういった、克人個人の想い、一高教員の欲、十文字家の思惑の三つが重なって、文也たちに対して克人から積極的にこちらが保護する旨を伝えていた。しかし、やはり中心人物である文也と将輝が親友であり、その両親同士も親友であるということから、その差は厚く、敵うことがなかったのである。

 

 まあこれに関しては、当人たちの意志だから仕方のないことだ。ポッとでの十文字家に靡くのもそれはそれで克人個人としては正直どうかと思うし、友情と信頼を以て選択してくれたのは、立派な後輩で喜ばしくもある。

 

 しかしながら、納得できない部分がある。一応世間の話でも十分に整合性があるが、その裏に、もっと大きな陰謀や利害が渦巻いている気がしてならなかった。何か根拠があるわけではないが、集まってくる情報の端々に見える違和感と克人の勘が、そう思わせてならないのだ。文也当人たちにも聞いたが、それぞれ口を割ろうとしなかった。無理やり聞き出せばあずさあたりが怯えて話してくれそうな気もするが、後輩たちにパワハラめいたことをするつもりは、克人としてはない。

 

 そこで克人が頼ったのが、何か事情を知っているであろう真由美である。戦いの現場に偶然居合わせて協力したという話だし、そのあとも、この転校劇に何かと七草家が干渉しているのは知っていた。しかもその動きは、七草家の中でも微妙に方向性が違ったのである。

 

 まず一つは、七草家のメインストリームである、文也たちを保護して抱き込もうという動き。十文字家と同じ思惑であり、一条家のパワーアップを抑え込んだうえで自分たちの勢力が拡大できるのだから、動かない手はない。克人と同じく一高の先輩後輩関係で、あずさに至っては真由美の生徒会長後継者だ。抱き込める可能性は十分にあるし、また真由美個人の親心(姉心?)も自分たちで保護したいところだろう。

 

 しかし一方で、文也たちが転校するのを応援する動きも、確かにあった。七草家で保護するというのは文也たちが転校しないことを意味するのだが、しかし、文也たちの転校を、むしろサポートする動きがあったのだ。一高の各所から、色々としつこい説得やきな臭い妨害もあったのだが、それらを七草家が跳ねのけていたし、転校に関わる諸問題の解決をサポートしていたのだ。

 

 前者の動きの中心は、無論当主である七草弘一だ。

 

 そして後者の動きの中心が――今目の前にいる、七草真由美である。

 

 七草家の長女である真由美が、家の方針に逆らうような形で、転校をサポートしていた。

 

 せめてもの恩売り、それこそ姉心、一高のしつこい妨害に我慢できなくなった、家への反抗期など、いくらでも説明がつくが、真由美と三年間過ごした克人は、それらの理由に納得がいっていない。真由美がこれほどの動きをするからには、もっと深い理由があるに違いないからだ。

 

 しかし先の通り、真由美はここに来てもまだ、真相を話すつもりはない。当然この料亭は呼び出した克人の奢りであり、中々予算に響いたのだが、このままストレートに聞き出しても、なんの成果も得られなそうだ。

 

「……わかった。お前がそこまでの態度と言うことは、よほどの事情があるのだろう」

 

 真由美の頑として離さない態度は、強情や意地と言うよりも、何か大きな災害が起きるのを未然に防ぐ覚悟を決めた孤独な少女のように見える。災害が来るのを知るのは自分のみで、恐怖から抜け出せないながらも、それを防ごうとする意志。この同級生の女子は何かと腹黒いし陰謀で大損食らったことも片手の指では済まないが、人道から大きく外れたことは絶対にしないと知っている。

 

「だが、せめて、一つだけ聞かせてくれ」

 

 真由美が話さないというのも、それはそれでしょうがないことだ。克人は自分の見た目がかなり厳ついことを知っている。今更彼女が怯えるようなこともないだろうが、それでも若い女性を相手にこの見た目の自分が無理やり聞き出そうとするというのも、やはり不本意だ。

 

 それでも、どうしても気になる事がある。

 

「お前の思惑は――我々十文字家にとって、お前自身にとって、または井瀬達にとって、幸せなものなのか?」

 

 十文字家の実質的な当主として、自分たちが大損しないか。また真由美自身の大きな自己犠牲ではないか。何よりも当人たる文也たちにとってベストな選択なのか。それだけは聞きたかった。

 

 もし、これのどれにも適わないようならば――克人は、実力行使をしてでも止めるつもりだった。

 

「安心して」

 

 真剣に顔を見つめる克人に対し、真由美は、そういえばここ最近めっきり見なくなった笑顔を浮かべて返事をした。

 

「これは私と井瀬君たちにとってベストな結果だし、十文字家に大きな損害が生まれることはないわ」

 

「それならよかった。お前はお前の信じる道を行け」

 

 真由美の返答に、克人は満足げに頷いて即答する。

 

 そしてこれで話はこれで終わりと言わんばかりに、克人はようやく料理に手を付け始めた。

 

(……ありがとね、十文字君)

 

 真由美は心の中で、克人に感謝をする。

 

 自分がやったことは、今克人に言った通り、真由美自身の最大の保身になる。七草家や妹・香澄の本意に反する行いではあるが、真実を知る真由美は、自分の選択が七草家にとってベストであるという確信がある。可愛がっていた後輩が母校を離れるのは寂しいが、あずさたちにとっては結局一条家が一番安心できるだろう。真由美の選択は、間違いなく正しいはずだ。

 

 しかし、それでも、誰にも真相を話せない辛さで、ここ数週間は、作り笑顔以外の笑顔をほぼ浮かべることはなかった。

 

 今の真由美の立場は、ひどく不安定だ。

 

 真実を知り文也たちを助けたという点では、間違いなく文也たちの仲間だ。しかし、真由美は文也たちからの「守り」の中にはいない。なにせ乱入者だから、彼らの想定外なのである。完全に仲間とは言い難いのだ。

 

 一方で七草家の長女としてもそうだし、文也に思いを寄せる香澄のお姉ちゃんとしての立場もある。そして七草家の中で真由美だけが知る真実によると、七草家を守るために、七草家に逆らわなければならない。

 

 真実を知る文也たちは仲間ではなく、自分が属する七草家には真実を話すわけにはいかない上に逆らわなければいけない。この件の真由美は、ひどく孤独だった。

 

 しかし、今のやり取りで、初めて真由美は、自分が救われた気がした。

 

 真由美は克人に感謝をしながら、彼に倣って存分に和食を楽しむことにする。

 

 ――テーブルの上に並んでいるのは、全部、胃にやさしい料理ばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーっす元会長さん」

 

「お招きいただきどうも」

 

「二人ともいらっしゃい。ようこそ七草家へ」

 

 2月21日、あの魔法師界や日本中どころか世界中を揺るがした衝撃の記者会見の翌日。

 

 文也と文雄は、七草家に招かれていた。文也の先輩と言うことで一番縁がある真由美が、一番最初の出迎え役を務める。

 

 例の記者会見の後、『マジカル・トイ・コーポレーション』の技術力と経済力、文也と文雄の戦力、あずさを筆頭とした中条家の影響力、森崎家の戦力を欲した、十師族を筆頭とした広い影響力を持つ様々な勢力が、文也たちの庇護を申し出た。あの会見ですでに一条家の庇護下に入ることは示したはずなのだが、これだけのパワーが一条家が丸抱えすることを懸念した、という事情もある。

 

 そしてその中でも最も早く動き出したのが、七草家であった。十師族でも四葉と並ぶ影響力を持つ日本魔法師界のトップであり、謀略なども得意としている。一大勢力だから何かするにも最初の一歩は遅くなりがちなのだが、こういう時のフットワークは流石と言えるだろう。

 

 文也たちとしてはもう一条家に行くのが完全に決まっているので、電話や使者ごしに断ってもいいのだが、七草家を無碍にすることもできないし、それにバカ息子が普段から死ぬほど迷惑をかけてきたうえにあの夜に助けてくれた真由美に対して、文雄が今一度お礼をしたいということで、喜んでお招きに乗っかったのだ。

 

 ちなみに、この騒動をどう決着させるかという決定権は、文雄が持っている。中条家も森崎家も、文雄の人柄と能力を信頼して、一切の迷いもなく託したのだ。あずさも駿も今回いないのは、それが理由である。

 

 そういうわけで、今回のメインの目的は、七草家の庇護に入らないかというお誘いである。一方で、表向きの理由は、七草家の愛娘である香澄が危ないところを文也に助けてもらったこと、そして文也が真由美に助けてもらったこと、それのお礼合戦の挨拶だ。先の一件で、長らく不明だった香澄の恩人が文也だったと発覚したので、急いでお礼と接触がしたいということで、他の家に比べて七草家は特に気合が入っていた。表向き、ではあるが、こちらもメインの目的にかなり近いのである。

 

「文也さん! お久しぶりです!」

 

「よっす。……お、大きくなったな……」

 

 そうして立派な七草家の邸宅に入って真由美の導きに従って進んでいくと、ウズウズと待っていた香澄に出くわした。文也の姿を見た瞬間に顔がパッと輝き、小動物のように駆け寄ってきて、文也の両手を取ってほおを紅潮させながら文也の顔を見つめる。それを受けた文也は、至近距離で接触したことで香澄との身長差があの夏よりも広がっているのを実感してしまって、そっと悲しみに暮れた。

 

 そうして香澄を加えた四人は、七草家の中にいくつもある応接室の中でも最も上等な部屋に向かっていく。念願の文也と会えた香澄は、文也の手を握りながら、助けてくれたお礼を含む色々とお話を至近距離でしている。文也も、そろそろ身長差の悲しみに慣れたころであり、元々年下への面倒見は――駿曰く精神年齢が低いから――良いほうなので、楽し気にお喋りに興じている。その様子を、文雄が興味深げに見ていた。

 

 そしてひと際豪華な扉の前に到着する。その扉を真由美が開けると、とんでもなく豪華な内装が目に飛び込んできた。

 

「ようこそいらっしゃいました。どうぞお座りください」

 

 中で待っていたのは中年の男、七草家当主の七草弘一だ。しかし中年と言うにはまだ若く見える。客人の前だというのに色眼鏡をかけた、普通に見れば実に失礼な姿だが、これには事情がある。過去にあった凄惨な事件で右目を負傷して義眼を使用しており、その違和感を隠すための色眼鏡なのだ。その事情は文雄はよく知っているし、文也は本人が失礼の権化みたいな存在なだけあってそういうことは全く気にしないから問題ないのである。

 

「本日はお招きいただきありがとうございます」

 

「あと娘さんには世話になったな。おかげさまで今こうして生きてられるぜ」

 

 文雄は大人の男性らしく丁寧に一礼をするが、文也はいつもの調子だ。頭も下げず、馴れ馴れしく弘一に手を差し出して握手を求める。こんな態度を取られることはそうそうない弘一は一瞬こめかみがピクリと動いたが、すぐに取り繕って柔らかな笑顔で握手に応じた。事前に真由美から文也の人となりを聞いていなかったら危なかっただろう。

 

 こうして挨拶を交わすと、文也と文雄は促されるままに弘一の対面に座る。真由美は当然七草の側なので弘一の横に座るが、香澄は文也から離れようとせずに隣に座り、しかも腕を取って引っ付いたままだ。

 

 弘一も真由美もそれを注意しようとしたが、文也も文雄も全く気にしていなさそうなので、まああの企業のあのエンジニアならそんなこともあるかということで、何も言わずに本題に入る。

 

「井瀬文也君、この夏休み、娘の香澄を助けていただいて、どうもありがとう。君がいなければ、香澄はどうなっていたことか」

 

「どーいたしまして。たまたま通りすがって見ちまったからな。ほっとくのもなんか寝ざめ悪いし」

 

 弘一のお礼に、文也は何でもないというように、出された高級ジュースを遠慮なく飲み干しながら雑に返事をする。弘一も陰謀好きといえど、やはり父親。特に可愛がっている娘の命の危機を救ってくれた文也は、まさに恩人だ。相当の下心はあるが、実際に一度会ってお礼をしたいというのは、偽らざる本音だった。

 

「それにさっきも言ったとおり、俺も元会長さんに命を助けられたんだ。これでチャラだよチャラ」

 

 文也はそう言って、真由美をちらりと見る。その目には、文也にしては珍しく、混じりけなしの尊敬と感謝が込められていた。このワルガキからそんな目線を向けられて、意外さから真由美は少し感心する。しかし彼の視線は、すぐに彼のコップにジュースのお代わりを注ぐ七草家が誇る美人メイドにくぎ付けになった。アニメやコスプレのように露出が多いわけではないしむしろかなり少ないのだが、どうやらこのガキには関係ないらしい。姉に劣らず相当可愛らしい見た目をしていてこれだけくっついているというのにまるで眼中に入れられていない香澄は、こっそりと不満げに口を尖らせていた。

 

「それでも、ぜひお礼をさせてほしい。およそ見合うものではないと思うが」

 

「……ごほっ! ……オホーまじかよ超美味そうじゃん。悪いねー」

 

 そんなに文也に対して弘一が差し出したのは、海外産の有名ブランドチョコレートだ。七草家とチョコレートと言う組み合わせで一瞬何かの思い出がよぎって咽てしまったが、文也は即座に受け取って無礼なことにその場でバリバリと包装を乱暴に破って中身を取り出し、遠慮なく食べる。あまりの行為に文雄と真由美はそれぞれ辟易し、その視線が重なった瞬間、二人の間に嬉しくないシンパシーが芽生えたのは余談だ。

 

「こちらも……これは息子を助けて頂いたお礼です。真由美さんには息子がいつもお世話になっているのもありますし」

 

「おお、これはご丁寧にどうも」

 

 その横で文雄が渡したのは、高級な和菓子の詰め合わせだ。お腹にやさしくそれでいて栄養が気楽にとれるようにもなっている。誰の胃に配慮したかと言うと、当然真由美である。当然名家として世界中の高級食品を知り尽くした弘一と真由美はその意図を察し、弘一は内心で笑って、真由美は口の端をひくつかせた。

 

 こうしてお礼合戦が終わると、次は本題の、七草家による保護の提案だ。しかしながらいきなり入るのもなんなので、弘一は他愛のない雑談で散らしながら、タイミングを計る。

 

 そして去年の九校戦についての雑談が終わったころ、弘一が動き出す。

 

「香澄はすっかり文也君に懐いてしまったようだね。どうだ文也君、ちょっと別の部屋で遊んでやってくれないか?」

 

 九校戦の話ともなれば、当然真由美と文也の活躍が中心となる。その文也の活躍を聞いた香澄は、なんちゃらは盲目と言う言葉の通り、すっかり文也にメロメロになっていた。弘一はその様子を見て、これからの話の雰囲気にそぐわないので、ここを離れてくれるような提案をする。

 

「おう、いいぜ。で、何して遊ぶよ。一応ゲームとか持ってきてるけど」

 

「文也さんとだったらなんでも大丈夫ですよ!」

 

 文也は快諾すると立ち上がり、バッグを香澄に掲げて見せながら、メイドの誘導に従って香澄と一緒に離れる。文也ほどではないにしろやんちゃな性格の香澄もこの退屈な場からは離れたかったし、文也と距離を詰めるチャンスと言うことで、喜んでついていった。

 

(あちゃー、ありゃ脈なしね)

 

 真由美は営業スマイルを取り繕いながら、内心でヤレヤレと首を振る。香澄が最初から好意アクセル全開で接触しているからすっかり文也も心を開いているが、文也は香澄の好意を「年下が懐いてきた」としか感じていない様子だ。確かにあのガキ大将みたいな性格なら、年下の子供からやたらと尊敬を集めて懐かれていただろう。それらと同じと見ているのだ。

 

 そもそも、文也があの性格でないとしても、香澄に脈があるかはかなり希望が薄い。幼馴染でとんでもなく距離が近いあずさの存在があるからだ。どうやら見た目通り恋愛とかはまだ早い「おこちゃま」らしくそうした意識は互いに無いようだが、お互いの信頼関係は言葉で表せないレベルになっているように見える。やたらとイチャイチャするくせに恋愛は……と言う点では今回の事態を引き起こした張本人でもある司波兄妹と似ているが、文也とあずさはやはり血のつながりのない幼馴染。香澄のライバルが、あまりにも強すぎるのだ。

 

 真由美は、これから本題が始まるというのに、つい可愛い妹の恋路を心配してしまう。しかしすぐに気を持ち直して、これからの本題に挑むことにした。これが、今日の最大の目的なのだから。

 

 真由美は――弘一の意志に反して、七草家が文也たちを保護しないように動かなければならない。とはいえ、実は真由美はこの場で何か動くわけではない。何もしなくても思い通りに進むようになっているので、弘一をサポートするようなことをしなければ良いだけだ。

 

「さて、文雄さん。先日の記者会見を拝見させていただきました。とても大変なことになったようですな」

 

「全くですよ。息子も悪いと言えば悪いですが、あれはやりすぎです。こちらとしても、あれぐらいのことはせざるを得ませんでした」

 

 七草家の情報網を以てしても、弘一は記者会見以上の「事実」を掴めていない。ただ、裏に何かもっと大きなものが蠢いているという長年の勘、そして現場に立ち会ったらしい娘の真由美と香澄が何かを隠して嘘をついているというのは、すぐにわかった。真由美は別として、香澄は親として将来が心配になる程嘘がヘタな大根役者だったのだ。

 

 しかしそれは置いておいてよい。今は、文也たちを獲得するのが最優先だ。無理に聞き出そうとして不信感を持たせたりせず、いたって善意であるとアピールしながら話を進めていく。

 

「あの会見を見たとき、私も心が痛みました。吸血鬼事件は、我々七草家と十文字家を筆頭とした師族会議でも追いかけていたのですが、我々の力及ばずあんなことになってしまったとは。それに日本政府、国防軍、USNA三者の癒着も、あまりにも酷い。政府や軍に顔がきくと自惚れていたのですが、今後私の方からも強く言い聞かせなければなりません」

 

(腐敗の原因の一部が何を言うのやら)

 

「ありがとうございます。七草家がそこまで言ってくださるのなら、我々としても心強い」

 

 横で聞いていた真由美は、内心で呆れ果てる。政府や軍との癒着など、七草家も今まで散々やってきているし、それで一般人に人知れず損害が出ていることも数えきれないほどある。一条家含む二十八家は多かれ少なかれみんなやっているが、その中でも七草家と今回の発端である四葉家は天下一品だ。七草家は頻度で、四葉家は今回からわかる通り悪質さで、圧倒的に抜きんでている。

 

「我々七草家は考えました。この事件の責任の一端は、我々にもあります。そこで、井瀬さんに提案があります。一条家ではなく、我々七草家と一緒に歩みませんか?」

 

「一応話を聞きましょう」

 

 弘一は、七草家のメリットを誇示するのではなく、あくまで責任と善意という情の面でアピールしている。その言い回しも、「保護」や「庇護」ではなく、まるで対等に並んで歩く仲間のように表現している。

 

「七草家は一条家よりも勢力が強く、井瀬さんたちをより強力にお守りすることができます。それに文也君とあずささんと森崎君は真由美と同じ学校の後輩だし、文也君は香澄の恩人でもある。これは何かの縁でしょう。地域の上でも、転校をしたり引っ越しをしたりような負担もありません。『マジカル・トイ・コーポレーション』も、七草家と協力すれば、より高みを目指せます」

 

(上手な作戦ね)

 

 真由美は内心で弘一にアカンベーをしながらも褒める。七草家のアピールポイントを余すことなく表現できている。普通は、これを聞けば七草家に靡くだろう。また弘一から見れば、文也たちが一条家に行くと決めた理由は、文也たちと将輝が親友だから、という風に見える。だからさっき、香澄と一緒にこの部屋から出したのだ。腹黒い弘一らしい作戦だと真由美は思った。

 

 しかし、それはあくまで、常識と普通の範疇。「真実」を知る真由美は、これではダメだと確信した。そう、普通に考えれば、一条家の保護は転校が最大のネックなのだが……「真実」を知っていれば、むしろ転校が主目的である可能性すら考えられるのだから。

 

「そうですか……ありがとうございます。おっしゃる通り、大変魅力的な提案です」

 

 文雄の返事は、一見すれば好意的なものだ。しかし、弘一も真由美も、それは言葉の上だけで、彼が放つ雰囲気から、この続きは真逆のものであると確信した。

 

「しかし、ご厚意は大変ありがたいのですが、お断りさせていただきます」

 

「……理由をお聞きしても?」

 

 弘一の目と言葉が、少しだけ鋭くなる。

 

 弘一が持っている情報の限りでは、これに靡かないはずがない。そして、これで靡かないということは、その理由こそが、弘一の知らない情報と言うことになる。事前に弘一が考えていた流れの一つだ。

 

「今回動くことになる文也、あずさちゃん、駿君は、一条家の将輝君や真紅郎君と大変仲が良い。転校と転居があるのが、特に森崎家は大変ですが、何よりも大事な子供たちのことを考えると、仲の良い友達のところのほうが安心できるでしょう。本人たちも、一条家を希望しています」

 

 子供のため。建前と善意の世界では、人命に次いで一番効果のある言葉だ。さらに本人たちの意志ともなれば、責任と善意と言う切り口で入った弘一に、攻め手は残っていない。

 

 弘一の顔が一瞬悔し気に歪む。本性が一瞬現れたのだと、真由美はすぐに思った。

 

 交渉にも失敗したし、新たな情報を得ることもなかった。弘一は今回、何を得ることができなかったのだ。

 

 だからといってこれ以上しつこく言っても心証を悪くするだけ。弘一はまた和やかな笑顔を装い、納得した振りをしてこの話題を終わらせる。そのまま雑談に戻るが、弘一の目はまだ諦めていない。せめて雑談の中で、何かの情報を得るつもりなのだ。

 

 ――結局、この後弘一が得た情報は、どうでもよいものばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こちらとしてはありがたいけど、本当にいいのかい?』

 

「むしろそれこそが望みです」

 

『確かにそれはわかるが……家やお父様のことがあるだろう?』

 

「安心してください。今は逆らう形になっていますが、これは何よりも、七草家の為です」

 

『……それもそうか、わかった。じゃあ文也にも口を酸っぱくして言っておこう』

 

「ええ、ありがとうございます。では」

 

 七草家訪問の前日で、記者会見当日の夜。真由美と文雄は、七草家の誰にも知られていない真由美独自の裏回線を使って、最終確認をしていた。

 

 真由美と文也たちは、実はあの記者会見の前から、幾度にわたって相談をしている。

 

 内容は主に真由美からのお願いで、文也たちにとってもそうなるだろうと予想していたものだ。

 

 ――今回の件で、四葉は関わっていないことにする。

 

 そう口裏を合わせていたのだ。

 

 真由美はあの夜以来、当事者の一人と言うことで、文也やあずさからしばしば経過連絡を受けていて、それを通して一つの結論に至っていた。

 

 これ以上、四葉に関わりたくない。

 

 達也と深雪の本気と対面した真由美は、四葉と言う存在の恐ろしさを身をもって味わった。逆らいたくないし、関わりたくない。敵対するなど、もってのほかだ。あの深雪の痴態の庇護下にない真由美たちは、すぐに潰されてしまうだろう。

 

 そう考えた真由美は、徹底的に四葉から遠ざかることになるよう計画した。

 

 まず、七草家が文也たちを保護しないようにする。四葉と敵対する文也たちを保護するということは、すなわち四葉を敵に回すということなのだ。真由美としては保身のために可愛い後輩たちを突き放すことになるので心苦しいし、妹が文也と一緒にいたくて仕方なさそうなので仲間にもなってほしいのだが、そもそもその後輩当人たちが一条家に行くのを望んでいるのだから仕方ない。転校は確かに当人たちにとって大きな負担だが、自分たちのことを本気で殺しに来た達也や深雪と同じ学校にこれから通うだなんてとんでもないことであり、むしろ転校を望んでいる。なんなら、達也たちから離れる転校がメインであり、一条家の保護と言うのはその理由付け、ということすらあるだろう。

 

 そして、今回の話に、四葉が関わっていないことにする。もしこのことを父・弘一が知れば、四葉を攻め落とそうとするだろうし、四葉と対立する文也たちを何が何でも引き込んで仲間にし、さらに四葉と対立するだろう。それは絶対に避けなければならない。そのために文也たちや、良くも悪くも真っすぐで演技がヘタな香澄と口裏を合わせて、父親をだまそうとしているのだ。ちなみに香澄は、文也たちを襲ったのがUSNAだけでなく達也と深雪であることは知っているのだが、二人が四葉であることは知らない。そういうわけで、「よくわからない外国人と戦っているのを見た」ということにするよう強く言い含めてある。

 

 こうして、今回の件に、真由美たち七草家がなるべく関わらないようにして遠ざけることで、四葉と敵対することを避けられる。文也たちの望みは叶うし、七草家も真由美も危険を回避できる。ベストな選択だ。

 

 しかしながらこれは、孤独な戦いだった。正しいことをしているのに、真相を話すことは許されず、家族の意に反さなければならない。真相を知るが真に仲間ではない文也たちに悩みを相談するわけにもいかない。文雄が察して心配してくれているのだけが、唯一の救いだ。真由美は胃を押さえ、ベッドに寝転んで蹲りながら、折れそうになる決意をなんとか支えようとする。

 

「ホンット……サイッテー…………」

 

 絞り出すようなつぶやきが、何に対して、誰に対してなのかは、彼女のみが知ることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、本当に良かったの?」

 

 全国の魔法科高校の合格発表が一斉に行われる3月10日、双子の娘・泉美が持って帰ってきた一高の合格証書と香澄に郵送で送られてきた三高の合格証書を見ながら、真由美は後ろから、椅子に座って本を読んでいる父・弘一に問いかけた。

 

「どのことを言っているんだい?」

 

「もう、分かっているでしょうに」

 

 真由美が聞いているのは、香澄が三高を受験したことについてだ。今更もう遅いのだが、それでもこうして証書として見ると、どうしても確認したくなってしまう。

 

 七草本家の現在の家族事情は特殊であり、真由美の兄である長男と次男は死亡した前妻の子で、真由美と香澄と泉美は後妻の子だ。そうした事情もあって、後妻との確執が薄れた時期に生まれた香澄と泉美は、弘一が一番かわいがっている子供である。親心としてはなるべく手元に置いておきたいし、自分と同じ母校に行ってほしいし、二人一緒に行動していてほしい。そうした不安は、あの夏に香澄が襲われて以来、一層増している。魔法師の姉妹が襲われるという事件は、彼の右目が義眼になった理由でもあり、心にも未だに傷として残っている。それをどうしても思い出してしまうのも、不安の一因だ。

 

 しかしそんな状態なのに、香澄に三高受験を許した。併願は不可能なので、香澄は三高に通うことになる。関東から金沢の三高まで通うのは流石に不便であり、七草の「おひざ元」である関東から離れて北陸に住まわせることになるのだ。

 

「本人がああいうのだから仕方ないだろう。泉美ならまだしも、香澄は強引で強情だからね。あのまま拒否し続けたら、拗ねてどこも受験しないということになりかねない」

 

「それは、まあ……確かに」

 

 弘一の返答に、真由美は乾いた笑みを浮かべる。確かにそうなりかねない。想像しただけで胃が悲鳴を上げそうだ。

 

「それに、三高は下手すれば一高よりも安全だ。戦闘力の面では突出している一条がいる。文也君や文雄さん、それに一条にも『よろしくおねがいします』と強調しておいたからね」

 

 弘一はただでは転ばない。もし思い通りにいかなくても大丈夫なように、いくらでも次善の策が思いつく。

 

「あとは、そうだね……相手の性格に難ありだけど、やはり娘の恋路は応援してやりたいじゃないか。恋の相手は助けてくれた王子様、再開の場は、姉がその相手の命を救った時……まるで物語のようなロマンチックさだ」

 

 真由美は思わず吐き気を覚える。確かに見た目は良いし気障っぽいが、このクソ親父からこんな言葉が出るだなんて、反吐が出すぎて内臓まで吐き出してしまいそうだ。

 

「でも、その恋路は厳しいわよ? 前にも言ったと思うけど、あーちゃん……中条さんの壁が厚すぎるわ」

 

「それはそれで、また一つの人生経験だ」

 

 陰謀に慣れてしまった真由美は、このやり取りで、弘一の意図を理解した。

 

 この男は、一番かわいがっている娘すら、政略結婚の道具にしようとしているのだ。

 

 もし香澄の恋が叶って文也と結ばれたら?

 

 まず文也と文雄、そして『マジカル・トイ・コーポレーション』と強い縁ができることになる。そしてその親友であり庇護者でもある一条家ともかかわりができる。それを通じて、カーディナル・ジョージや森崎家とも繋がれるだろう。

 

 では、香澄の恋が破れてしまったとしたら?

 

 それでも一条、井瀬、中条、森崎、カーディナル・ジョージとの縁は十分に結べる。三高にはほかにも一色や十七夜や四十九院や五十川や百谷もいるし、数字付き以外にも「尚武」の校風を求めて実力ある魔法師が入学してくる。東京と言うことで受験生が多くて倍率が高くそのせいで格上だと見られがちな一高も魅力だが、三高で得られる人脈も大きい。また、香澄の見た目は姉譲りで、贔屓目なしにも美少女だ。好戦的だが明るく人当たりが良くて他人との距離も近いため、多くの男子からモテるだろう。将輝のハートをゲットできれば儲けものだし、真紅郎あたりは女子慣れしていなくてチョロそうだから落とせそうだ。

 

(こいつっ……)

 

 父親に対してとんでもない口をききそうになるが、既のところでこらえる。実際今すぐにでもその腐った思考回路が詰まった頭を引っぱたいてやりたいところだし、思わず腕を振り上げるまでしてしまったが、ぎりぎりで冷静になって頭を掻くふりをして誤魔化す。

 

 そんな馬鹿なパントマイムをしている真由美の顔を、弘一が振り返って見る。真由美はその色眼鏡の奥の目を見て、思わず怖気だった。

 

 九校戦手前、文也の件で胃痛がひどくなりすぎたとき、達也に体調を見てもらった時、骨や魂まで見透かされているように感じたことがある。

 

 今、それに似ているが、少しだけ違う感覚があった。あの時が体と魂の芯まで見透かされているとしたら、今は、心の底まで見透かされているような感覚だ。

 

 色眼鏡の奥の目線は、もういつも通り。怖気を感じたのも一瞬だった。

 

「真由美、お前が何を考えているのかも、何を知っているのかも、私は分からない。もう今更問い詰めるようなことはしないが……それが七草家のためになる判断であることを願っているよ」

 

 弘一の表情に変化はない。いつも通りの、気障ったらしくてイヤミったらしい余裕ぶった話し方だ。

 

「…………なんのことでしょうか?」

 

 しかし真由美は、そう絞り出すのが精いっぱいだった。

 

 結局のところ、香澄がいきなり三高入学を決めた以外は、今回のことはおおむね真由美の思い通りに進んだ。思惑の中身も、弘一に核心は知られていないはず。

 

 それだというのに、真由美は弘一に恐怖を感じた。返事に対して喉を鳴らして愉快そうに嗤う弘一から逃げ出すように部屋から離れながら、真由美は乱れそうになる呼吸を整える。

 

 自分が何かやろうとしていたことが、見破られていた。かなり気を遣って動き回っていたのに。

 

(……危なかった)

 

 もし、今回の件で、弘一がもっと興味を持って本気で取り組んでいたら。真由美の思惑はすべて見破られ、七草家への「裏切り」を見破られたうえで、四葉とも対立していただろう。

 

 真由美の呼吸は、自室についてからもしばらく収まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②苦労の黒羽

 

 2096年2月。文也・あずさ・駿は三高に転校となり、井瀬家・中条家・森崎家もまるごと石川県へと引っ越しをすることになった。

 

 しかしながら文雄は、来年も四高で働く予定になっている。一年契約の非常勤講師ではあるが、その人柄と能力は――多少暑苦しいしたまにやたらとヤンチャだという悪評もあるが――生徒たちからも保護者からも教員からも評判がよく、担当生徒の成績向上や顧問をしているステラテジークラブの目覚ましい活躍もあり、さらに最近『キュービー』であることも発覚し、満場一致でぜひ来年もお願いしますと教員・保護者のお偉いさん一同から求められたのだ。

 

 ここ東海地方は天敵・四葉の「おひざ元」であり、普通なら離れたいと考えるだろう。しかし、息子・文也が機転を利かせてくれたおかげで四葉の脅威は実はそこまで心配するほどではない。それどころか、文雄の身に何かあったら四葉にとって急所と化したお宝映像が世界中に拡散されるのだから、何もしなくても四葉から守ってもらえる身である。ここ東海地方の方が安全と言う説まであるだろう。

 

 そんな波乱の数日が過ぎた2月が終わった直後の3月2日。一高が急に新学科設立を決めてしまったためそれに巻き込まれて全国で遅れが生じた、魔法科高校の入試が行われていた。この前日には筆記試験が実施されており、今日は実技試験の日だ。文雄も教員として試験官の一人である。

 

「はい、お疲れさまでした。それでは気を付けてお帰りください」

 

「はい……」

 

 文雄は人当たりの良い営業スマイルで、実技試験をすべて終えた一人の中学生に試験終了を告げる。黒井という苗字の男の子だ。その後ろ姿は、誰が見ても分かる程に落ち込んでいた。試験のプレッシャーで実力が出せなかったのか、はたまたこれが実力なのかは定かではないが、実技試験の出来はお世辞にも良いとは言えない。筆記試験の結果ではあるが、これは不合格だろう。

 

 文雄は黒井が部屋から出たのを確認すると、実技試験の会場となっている実習室の扉の前で待機しているであろう次の受験者を呼ぶために、受験票の束を一つめくる。

 

「次の方、受験番号40557、黒羽亜夜子さ――んん!!??」

 

 名前を読み上げながら、文雄は自分の目を疑って、声が裏返って奇妙な呼び方をしてしまう。

 

 扉の向こうから、ハイ、とよく通る綺麗な声で返事がくる。そして、ドアを開けて現れたのは――

 

 

 

「受験番号40557、黒羽亜夜子と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 ――ついこの間殺し合い、その数日後に会談した少女、ヨルこと黒羽亜夜子だった。

 

 文雄は亜夜子の挨拶を無視して、急いで受験票の束をもう一枚めくる。受験番号は名前の五十音順であり、同じ苗字が連続することになる。亜夜子の受験票をめくったその次には――あの夜道で戦った女装少年・ヤミと顔がそっくりな、黒羽文弥の受験票があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒羽亜夜子・文弥姉弟は年齢的には中学三年生であり、今年度は高校受験の年である。いくら裏街道を突っ走る四葉家と言えど司波兄妹のように魔法科高校には通うことになっており、この二人もその例に漏れていない。

 

「志願変更はなしよ、二人とも、第四高校を受験なさい」

 

 四葉家過去最悪クラス――真夜が大漢で誘拐されたときと同レベル――の失態が起きてから一週間と少し経った2月25日。この日は国立魔法大学の受験日なのだが、四葉本宅では、黒羽姉弟の高校受験の話をしていた。

 

 十師族を筆頭とした色々な組織が文也たちに交渉を持ち掛けたようだが、結局一条家の庇護を受けること、そして三高への転校が決まったのがこの前日の2月24日。黒羽姉弟は、それを受けて、真夜に最終確認を仰ぎに来たのだ。

 

 まず、二人にとって本望は憧れの達也がいる一高。また天敵にして宿敵と化した文也がいる三高に入学して近くで監視するという選択も現れた。そして、すでに第一次願書提出済みの、地元にある四高。志願変更期日が迫っており、その最終判断を、こうして対面して真夜に求めたのだ。

 

 その返事が、先の通り。亜夜子と文弥は、予定通り四高を受験することになった。

 

 その理由は二つ。一つは、変更する必要性が特にないということ。地元の魔法科高校だというのに今四高に四葉と関係が深い在校生はおらず、影響力を維持するためにも二人の入学は有効だ。

 

 そしてもう一つが、文雄の存在である。四葉からすれば怨敵だが、生徒・教師・保護者から評判がよく、来年も非常勤講師として勤めることが予測される。複数年契約も、という情報まで流れているほどである。文雄と黒羽姉弟・その親の貢は本気で殺し合った縁であり、三者面談などあろうものなら地獄だろうが、近くで監視できるというのはこの上ないことだ。

 

 そういうわけで、真夜は四高受験を命令した。ちなみにこっそりと育てていた桜シリーズの桜井水波は、達也たちと同じ一高に行くらしい。

 

「ご当主様、あれ、多分僕たちに話していない何かを考えているよね」

 

「間違いなくそうね」

 

 文也たちに完全敗北した一件以来、四葉家内では、真夜への不満がくすぶっている。なにせ彼女の作戦通りに動いてあの大敗であり、そのくせ当人は戦場に出てこないで高みの見物をしていやがったのだ。真夜が参戦すれば全部楽勝間違いなしだったというのもある。

 

 しかしながらこれまでの実績もあって未だ恐れられており、亜夜子も文弥も過小評価はしていない。説明された理由はだいぶ浅いところであり、その裏に何かあると考えられるものだった。

 

 だからといって、逆らえるわけではない。二人は気を取り直して、受験勉強なんぞガン無視して、確保に成功したパラサイトの実験データの検分を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へー、君の名前は文弥っていうのかい。ハハハ、奇遇だなあ。私のバカ息子の名前も文也って言うんだよ。二文字目は違うけど、すごい一致だ」

 

「へえ、そうなんですか! これはすごい偶然ですね」

 

「「ハハハハハハハハハハ」」

 

 受験会場に、文雄と、亜夜子の次に現れた文弥の、わざとらしい雑談が空しく木霊する。あの夜に幾度となく殺されかけた女装少年が、今は普通の少年として実技に挑んでいる。その成績は、先ほどの姉・亜夜子と同じく、あの夜に戦った時とは比べ物にならないほどに低い。合格は余裕、絶妙なラインだ。これから在学中は実力を隠していくつもりなのだろう。

 

(なんてこった)

 

 間違いなくこの二人は、自分を監視するためにここの入学を決めた。文雄は真面目に採点する振りをしながら、考えをめぐらす。こっちが深雪のお宝映像を握っている以上、別に何かされるわけではないが、万が一と言うこともある。それに、本気で殺し合った子供二人と同じ学校だなんて、真っ平御免だ。

 

 それにしても、文弥という名前だったとは。息子とのまさかの被りに、文雄は笑うしかない。さらにどちらも年齢の割にはちっちゃいというのも面白い偶然だ。違いを上げるとすれば、文弥は圧倒的に見た目が良いが、文也は特別良いわけではない。そのくせ文弥の方が身長が高い。見た目の面では文也の完敗である。この話をしたらさぞあのバカ息子は怒り狂うだろう。主に身長で。

 

(ハハハ、スゴイグウゼンダナー)

 

 文雄は現実逃避をしてしまうが、すぐに決断した。

 

 よし、来年度から三高で働こう。

 

 ――文雄が大変惜しまれながらも三高で働くことが発表されたのは、皮肉にも、合格発表日の3月10日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういうことか」

 

 3月10日、文雄が三高に移るという話を聞いた時、文弥はすぐに納得した。

 

 付随している資料によると、これまでは契約更新に乗り気だったみたいだが、3月2日から態度が急変し、いろいろな理由をつけて三高で働きたいから契約は更新しないと言い始めた。もともと文雄には各校からスカウトが来ており、三高もスカウト合戦に参加していたこともあって、受け入れ態勢はすでに整っている。四高としては何とか慰留したいところだったが、一条家からの圧力もあって折れてしまい、三高への転任を許すこととなった。

 

 真夜は、最初からこれが目的で受験させたのだ。実技試験の試験官だったのはまぎれもなく偶然だが、受験者リストは教員全員が確認するものであり、文雄も当然見る。そうすれば、遅かれ早かれ、彼は三高に逃げることを決意するはずだ。

 

 そう、真夜の真の狙いは、文雄を三高に逃げさせること。これで文也関連の四葉の仮想敵が、三高周辺に集中することになった。「おひざ元」からは離れるが、一か所に集中してくれれば、監視や管理もしやすい。こういう悪だくみは、さすがのものだ。

 

「…………」

 

 ひとしきり感心すると、文弥は合格証書を机の上に放り投げて、窓の外をぼんやりと見る。

 

「あら、何考えているのかしら?」

 

 そこに現れたのは、双子の姉の亜夜子だ。何やら考えてふけっているらしい文弥の前に淹れてあげた紅茶を置きながら尋ねる。

 

「んー、ちょっと、井瀬親子について、ね。前々から名前がほぼ同じなのはびっくりしたけど、改めて対面してみると、こう……ちょっと、考えちゃうなって」

 

 文弥の返答は、歯切れが悪いものだ。裏社会に生まれたときから浸っておいて、「こんなこと」を今更考えていたというのは、気恥ずかしかった。

 

 文也と文雄、父子でやたらと口げんかはするが、その仲はとてもよく、母の貴代も含めて、親子関係は至極良好だ。これぐらいは一般家庭なら普通の事ではあるが、魔法師の家族となるとそうはいかない。魔法の才能は血に依存するものであるし、また狭い業界なせいか、権力の格差もより顕著に見える。魔法師の血を残すための政略結婚や望まない結婚、後味の悪さが残る婚姻などはありふれており、魔法師の家族は、総じて家族関係が希薄だし、はっきり言って親子関係なんかはどこもとんでもなく悪い。憎みあっているという家はそうそうないし、なんやかんや親子の愛情はあるのだが、気まずい関係がほとんどなのだ。そういう中での井瀬親子と言うのは、あまりにも異質だった。またその家族とずっと交流があるせいか、中条家も親子関係が良い。

 

 一方で、ほぼ同年代に生まれた文弥はというと、四葉分家と言う日本どころか世界でも稀に見るほどに複雑な血筋なので、その親子関係はとても悪い。お互いに愛情を感じないこともないが、平然と子供を家のために暗殺ミッションに送り出し、そのために物心つく前から厳しく鍛えていただなんて、はっきり言えば世間一般の考えからすれば親失格だ。半ば兵器みたいな扱いである魔法師界ですら、そこまでやる家はそうそうないだろう。

 

 そう、文弥は、文也が羨ましかったのだ。

 

 似た名前、似た体型だというのに、その境遇は真逆。方や四葉分家で、魔法師の家系の悪い特徴をこれでもかと表わしている、言葉で表せない酷さの親子関係。方や、魔法師の家系では異質な、円満でのびのびと育つ良好な親子関係。似た名前というのが、その差異を、むしろ強調してしまっていた。

 

「あらまあ。意外と可愛いこと考えるじゃない」

 

「……ふんだ」

 

 言葉を濁しても、何を考えているのかは、双子の姉にはお見通しだ。ニコニコとからかわれて、文弥は拗ねた振りをしてそっぽを向く。

 

「もしかして、井瀬文雄の息子に生まれたかったかしら」

 

 亜夜子の問いに、文弥は無言だ。その無言と、愁いを帯びた瞳が、何よりもその問いが正しいことを物語っている。

 

「ねえ、文弥、少し考えてみましょう?」

 

 そこで亜夜子は、一つ、意外と可愛いことを考えている弟に、ある事実を教えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もし文弥が文雄の息子になったら……井瀬文也が、文弥のお兄ちゃんってことになるわよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁい! 僕、貢パパ大好き! 黒羽万歳!」

 

 

 

 

 

 

 

 文弥の掌が、180度回転した。




①七草真由美の憂鬱
 全体を通して書いている間、基本的には主人公やヒロインよりも、真由美に感情移入していました。
 タイトルは「涼宮ハルヒの憂鬱」にかぶせたもの。発音の特徴がかなり被っているので個人的にはお気に入り。
 この話でやたらと持ち上げることになった克人と、あと名前を誤字られていたりハロウィンの話で分身していたりと何かと僕のミスが絡んだ範蔵は、なぜ桐原や五十里と違って地の文でも下の名前なのか、疑問に思ったかたもいるかと思います。基本的には、文也との心の距離が近いor美少女or名字で書くと紛らわしい、のどれかに当てはまれば地の文では下の名前にしています。ではなぜ範蔵と克人は下の名前なのかと言うと、実は当初、この二人はラストバトルに参戦する有力候補でした。下の名前で書いているのはその名残です。克人は単体で一年生時達也&深雪に勝てるせいで文也がいらなくなるから、範蔵はゼネラリストで文也と被るから、それぞれ割と早い段階で没になりました。

②苦労の黒羽
 苦労とクロウ(カラス)でかけている、個人的な最ドヤ顔タイトル。
 文弥と文也、原作でも結構活躍するキャラとオリ主の名前をなぜこんなに被せたのか、疑問に思う方もいたかと思います。こんな紛らわしいことするからには、何かの重要な伏線かと思った方もいるかもしれません。
 実はこの小ネタをやるだけのために名前を被せました。この自白のせいで画面の向こうから石が飛んでこないか心配です。
 まあでも、ほら、原作でも、美月・深雪、司波・柴田、とメインキャラでも似た名前が被っているので、原作リスペクトということで。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。