マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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前回のタイトルが間違って2-3になってたの、気づいた方います?僕は気づくのにだいぶ遅れました。この章は二年目3とか二年目5みたいな感じで管理しているので、うっかり2にしてしまうんですよね。


6-4

「せ、精いっぱいお勤めさせていただきましゅ!!!!」

 

「そんなに緊張せずともよろしいのですよ」

 

 7月4日。深雪と『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ペアを組むことになった同級生の女子・奈良谷は、顔を真っ赤にしながら深々とお辞儀をした。そしてこうした反応の対応に慣れている深雪は、優雅にその手を取って仲間であることをアピールし、緊張をほぐそうとする。

 

「へ、へにゃあああ」

 

 しかし逆効果だったようで、顔を真っ赤にしてへなへなと力が抜けてしまった。

 

「……本当に大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ代表に選ばれた雫が、その様子をはたから見て、達也に問いかける。達也はそれに対して、どこぞの金髪のようなドヤ顔ではなく、無表情で頷いた。

 

 深雪は一人でも十分やれるため、『アイス・ピラーズ・ブレイク』女子ソロに出るという案があった。しかしながら、一人でも二人相手に勝てそうな反則戦力である深雪のパワーはやはり得点源にしたということで、ペアに出すことを達也が提案した。

 

 ではここで、同じくペアで出ることが最初から確定していた文也曰く攻撃一辺倒地雷女こと千代田花音と、どっちが女子ペアでどっちが男女ペアになるか、という話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、啓と出る!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうなったときに顔を真っ赤にして目を爛々と輝かせ猛牛のごとく鼻息を荒くした花音が、即座に妙案を口にした。これは達也ですら思いつかなかった奇策だが、しかしながら、考えれば考えるほどベストである。

 

 確かに五十里啓は作戦スタッフ兼エンジニア兼生徒会長であり、さらに選手として出るとなると、負担が大きすぎる。

 

 しかしながら、作戦スタッフ兼エンジニアを一人で余裕で背負い込める反則男・達也がいるため、一日ぐらい抜けても大きな問題にはならない。エンジニアは魔法工学科新設のおかげで最低限のラインに達した生徒が数だけは揃っているので、そこに集中して穴埋め起用も可能だ。

 

 また、花音と五十里は、達也・深雪兄妹、文也・あずさ幼馴染ペアと並んで、一高内でトップクラスの「ラブラブカップル」である。実際にカップルなのはこの二人だけであり、男女ペアとなればこれ以上ない組み合わせだろう。五十里は実技の腕も確かであり、選手としても十分だ。また、花音が攻撃一辺倒なのに対して、五十里は刻印魔法や魔法陣が得意なことから、陣地防衛や守備が得意である。コンビネーションも相性も魔法力も最高の組み合わせ。もはや『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペアに出場するために生まれてきたとしか思えないレベルだ。

 

 そういうわけで、(普段散々イチャイチャしてるくせに)あまりに欲望むき出しの恋人のせいで恥ずかしくて赤面した五十里も了承したことで、この組み合わせが決定した。達也としては欲望むき出しの浅い考えのわがままが自分の作戦を超えるベストだったことに悔しさを覚えないわけではないが、それを表に出すほど子供でもない。

 

 さて、そうなると、深雪と組む女子が問題である。問題がなさ過ぎて問題なのだ。

 

 なにせ、深雪一人で花音と五十里を正面から叩きのめせるほどに強い。誰が組んでも置物にしかならない。正直言って、一年生の二科生を置いて横でオタ芸させてても優勝できそうだ。

 

 しかしだからといって投げやりになるわけにもいかず、それが達也と深雪を悩ませた。

 

 結果として、代表選手として選ばれてもギリギリ不満が起きない実力だが、正直選ぶには不安が残る程度の実力で、かつ深雪の邪魔をせず出すぎた真似をしなさそうな女子を選ぶことになった。それがこの奈良谷だ。これといって苦手はないが上位陣に決して食い込むことはない器用貧乏の極みのような魔法力であり、性格は美月やほのかもかくやというほど控え目。ベストチョイスである。

 

 また、『ミラージ・バット』にはすでにほのかと里美スバルが内定している。残り一人は、何人か候補を集めてしばらく様子を見るつもりだ。

 

 他、『ロアー・アンド・ガンナー』の女子ペアは射撃に自信がある明智英美が射手、ボート部の三年生・国東(くにさき)久美子が漕ぎ手として選ばれた。男女ペアでは、操弾射撃部の滝川が射手、移動魔法に自信があり去年の『バトル・ボード』新人戦で健闘した西川が漕ぎ手として選ばれた。男子ソロには、文也と駿が抜けて、一科生に上がった幹比古と並んで一年生男子のツートップと目される、SSボード・バイアスロン部の五十嵐が選出された。全員の適性と実力がかみ合った、手厚い布陣だ。

 

『モノリス・コード』本戦には、今一高生徒で魔法戦闘においてはトップと名高い範蔵、そしてスランプから脱却して一科生に転科することができて実力と実績が認められて大抜擢された幹比古が確定している。残り一枠については宙ぶらりんであり、これといった候補がいない。沢木が『デュエル・オブ・ナイツ』の代表に選ばれなければ彼が、選ばれれば三七上ケリーが出るのが穏当なところだろう。ちなみに沢木が『モノリス・コード』に出ることになった場合、三七上は『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロにでることになる。また新人戦に関しては今年は粒ぞろいであり、新入生代表の七宝琢磨、百家本流で金にがめついと有名らしい千川、親が元芸人でユーチューバーらしい梶原という、実力派でキャラの濃い三人が確定した。

 

「お姉さま、二人で優勝しましょうね」

 

 そしてついさっきまで深雪とペアを組める奈良谷を殺せそうなほどに嫉妬の目線でにらんでいた泉美は、『アイス・ピラーズ・ブレイク』新人戦女子ペアの選手として選ばれた。もともとは『ミラージ・バット』の予定だったのだが、亜夜子がそれに出ると知っていた達也が強硬に反対してこちらにしたのである。

 

(……不安だな)

 

 ここまでは順調だ。今決まっているメンバーは即決されたことからも分かる通り、去年の三巨頭ほどではないにしろ、実力者ぞろいだ。ここまでのメンバーに不安はあまりない。確実にポイントをゲットしてきてくれるだろう。

 

 達也が不安を感じているのは、それ以外。未だに決まっていないメンバーたちだ。他はどうにも小粒ばかりであり、ポイントゲッターになり得るとは到底思えない。特に新人戦は微妙なところだ。

 

 そこで思い出されるのが、この一高にいるはずだった四人。文也、あずさ、駿、香澄だ。文也とそれについていくようにして去っていった三人。この四人は貴重な戦力になるはずだった。問答無用でCADによる魔法を無効化する駿は『モノリス・コード』で活躍できるだろうし、『ロアー・アンド・ガンナー』の射手としての活躍も見込める。文也もあずさも魔法に関しては何でもこなせる上にエンジニアとしての知識と腕、作戦スタッフとしての頭の回転も抜群であり、選手・エンジニア・作戦スタッフ全ての面で頼りになったはずだ。入学予定だった香澄も、一年生の三大エースとして活躍してくれただろう。この四人が揃って一番のライバルである三高に流れたのは、あまりにも痛い。

 

 ここから先の選手決めは難航するだろう。達也は泉美に危ない目線で見られて困惑し始めた妹の助け舟に入りながら、内心で嘆息した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、お前らは何に出たいの?」

 

「氷柱倒しに出たいと考えています」

 

「ナナは特になんでもいいでーす」

 

「えー、お前だったらモノリスのほうがいいと思うぞ」

 

 三高もまた本格的な選手選びに入った。まずは各有力選手がどの種目に出たいかと言う調査だ。沓子のように適性が偏っているタイプは半強制的に種目が決まるが、将輝や香澄のようになんでもできるタイプは選択肢が多いゆえにむしろどうするか難航するのだ。そういう時、特に入学したばかりでまだメンタルが不安定な新入生は、なるべく本人の希望に沿う種目に出すことにしている。ただし、生徒会や部活連としては全体のことを考えてほしいので、『尚武』の校風らしく、希望種目の調査に見せかけたパワハラ気味の「説得」が毎年恒例と言うのが実情である。

 

 文也が聞きに来たのは、香澄には遠く及ばないが、入学当初から何かと自分に話しかけてくるおかげで親しくなった二人の新入生だ。

 

 真面目そうで表情が薄い大柄な男子が、香澄に次ぐ成績の新入生次席、六十里(ついひじ)颯太だ。

 

 百家本流の六十里家は、百家の中でもかなり新しい家であり、第三次世界大戦以降に数字付きとなった一族だ。そのルーツは、魔法技能師開発第八研究所の「研究員」だ。魔法技能師開発研究所出身で名を残す魔法師は、通常は二十八家などのように、そこで実験対象・研究対象となっていた魔法師である。しかしながら六十里家は、実験対象・研究対象になった魔法師よりも実力が大きく劣る魔法師で、第八研究所の研究員だったのだ。しかしながら第三次世界大戦中も含めて、研究成果を着々と進化させて、百家本流に名前を連ねることになった。特徴とする魔法は「魔法による重力、電磁力、強い相互作用、弱い相互作用の操作」を研究テーマとしていた第八研究所出身らしく、電気斥力を操作する魔法だ。そしてこの六十里颯太もまた、それを筆頭とする、放出系魔法が得意である。素粒子に働く四つの基本的な力を研究テーマとしている割には、八代家と言い、やたらと電磁力に尖った魔法師が多いのは第八研究所出身者の定番自虐ネタなのは余談である。

 

 一方、低めの身長で大きな胸が特徴的な、いわゆるロリ巨乳で、軽薄できゃぴきゃぴした印象を受ける女子は、真壁菜々だ。入試成績第十位であり、本人曰く、『情報強化』を筆頭として『保温』『硬化魔法』のような、状態を維持する魔法が得意のようである。ちなみにこの二人は幼馴染だ。

 

 こうなると、二人の適性は自ずと見えてくる。颯太は電気ショックによって相手を麻痺させる『モノリス・コード』、菜々は自陣の氷を守る『アイス・ピラーズ・ブレイク』か硬化魔法でバランスを整える『ロアー・アンド・ガンナー』が適任だ。

 

「いえ、そ、そんなことはありません」

 

 しかしそんな文也に、颯太がぎこちなさそうに反論をする。

 

「い、井瀬先輩が持っている『分子ディバイダー』や『ヘビィ・メタル・バースト』は、去年先輩自身がやってみせたように、氷柱倒しの攻撃にぴったりです! せ、先輩さえ良ければ、それを教えていただいて……そ、それで、俺……じゃなかった、ぼ、僕が活躍して見せますから!」

 

「お、おう」

 

 颯太は普段、ここまで語頭が詰まったり声を荒げるような話し方ではなく、むしろポツポツと抑揚なく流れて話すタイプだ。意外な事態に、文也は思わずドン引きする。完全に挙動不審だ。

 

「す、すいません!」

 

 そんな文也を見て、颯太は恥ずかし気に顔を赤くして、次にまずいことをしてしまったと言わんばかりに青くする。普段表情があまりない癖に、今日はやたらと饒舌だ。

 

「そういうわけでぇ、ソウ君の言う通りぃ、センパイが教えてくれたら、ナナたち、きっとうまくヤ・レ・ると思うんですよお」

 

 そんな颯太をフォローするように、菜々はキュッと胸を寄せて、前かがみになって文也に艶っぽい笑顔でお願いする。それを見たドスケベクソガキ文也は、当然鼻を伸ばして、

 

「おういいともいいとも!」

 

 なんて口走り、その直後に、

 

「ぎゃああああああ!!!!!!」

 

「お前は何をやっているんだ」

 

 いつの間にか後ろに立っていた将輝に捕まってコブラツイストを食らった。

 

 このあまりにもスピード感のあるギャグマンガ時空に、颯太と菜々は目を丸くしてポカンとするほかない。

 

 そんな二人に、痛みのせいで地面に突っ伏して伸びている文也を足蹴にしながら、将輝は鋭い目線で言葉をぶつける。

 

「お前らが何をやろうとしているのか、俺にはお見通しだ。別にこのスケベバカがいいっていうならいいけど、俺ら一条家の目の前で、好き勝手出来ると思うなよ?」

 

 言うだけ言って、将輝は文也を担いで去っていく。

 

 その背中を、颯太は恥ずかしそうに、菜々は苛立たし気に、それぞれ見るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿の競技適正は、『ロアー・アンド・ガンナー』の射手か『モノリス・コード』だ。ボディーガードが稼業の森崎家長男としては『モノリス・コード』のほうが性に合っていたのだが、去年の夏休みに川崎のボランティアで彼の射撃の腕を見たあずさが必死に射手を、とお勧めするので、今回は『ロアー・アンド・ガンナー』の射手を務めることになった。

 

「ロアガンに僕ら三人が集中するのも不思議な話だね」

 

「水も液体だし、一歩間違えれば将輝もここにいたのかと思うと余計にな」

 

 駿と同じく射撃に高い適性がある真紅郎もまた、この競技のペアで射手を務める。またこの競技のソロは高いマルチキャスト能力が試されるため、マルチキャストを超越した反則級の『パラレル・キャスト』を持つ文也が男子ソロの代表だ。仲良しグループが一つの競技に三人も集ったのが、真紅郎としては可笑しくてならなかった。

 

「で、ここで問題になるのが、漕ぎ手なわけだけど」

 

 真紅郎は端末を操作しながら生徒リストを眺める。ペア三部門の射手は駿、真紅郎、祈で決まっているのだが、漕ぎ手は沓子しかまだ決まっていない。その沓子は同じく奔放な性格である祈とウマが合うようで、すでに女子ペアで組んでいるとのことだ。今この二人には、漕ぎ手がいないのである。

 

「そうだ、いいこと考えた」

 

「アテがあるの?」

 

 駿は何かを思い出したようで、携帯端末を操作して誰かに通話をかける。

 

「もしもし、森崎駿だ」

 

『ぴ、ぴい! も、森崎君!? い、いいい、五十川でしゅ!』

 

「ぷっ」

 

 駿から唐突にかかってきた電話に驚いたみたいで、電話の向こうの沙耶はとんでもないことになっている。彼女の心を知る真紅郎は可笑しくてつい噴き出してしまい、ついでに駿の意図を察した。

 

「なあ五十川、今年の九校戦のルールは知ってるよな?」

 

『う、うん。たくさん変わったんだよね』

 

「ああ、『ロアー・アンド・ガンナー』のルールは見たか?」

 

『きょ、興味あったから一応……』

 

 沙耶は五十川家の特徴にたがわず移動魔法が得意であり、マジック・ボート部――エンジンのついてないボートで櫂やオールなどを使わず魔法でレースする競技であり『バトル・ボード』のボート版――の部員でもある。当然似た性質の競技には、興味がわいたのだろう。

 

「それでさ、俺はペアのガンナーに選ばれたんだけど、ロアーがいなくて困ってるんだ」

 

『そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ、うちの部から紹介してほしいってこと、かな?』

 

 沙耶はどんくさくてやることなすことがニブくはあるが、決して愚鈍ではない。この話の流れでそう予想するのは、彼女の察しの良さだ。

 

 しかしながら、残念ながら今回は、それは半分当たりで半分外れだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そこでさ、なあ五十川。俺のロアーになってくれないか?」

 

『え、えええええええええええええええええ!!!!!?????』

 

 

 

 

 

 

 

 スピーカーから聞こえる大声に、駿は思わず端末を耳から離す。

 

『え、えっと、その……私なんかで、いいの?』

 

「むしろロアーとしては最有力候補だろ?」

 

 弱気で気弱な沙耶の自己評価は限りなく低いが、彼女は去年の『バトル・ボード』新人戦で優勝している。駿は参加していないのであずかり知らぬことだが、作戦会議では沓子と並んでロアーの有力候補として名前が挙がっていた。

 

「もちろん、急な話だし、嫌だったら断ってくれてもいいけど」

 

『う、ううん! 全然嫌じゃないよ! む、むしろ、う、嬉しい!』

 

「そ、そうか」

 

 沙耶の声は上ずっている。耳元でそれを聞かされた駿はなんだか不気味な気分になり、ドン引きしながら、何やら嬉しがっているらしいということで、ひとまずほっとする。

 

 その後、ちょうど『ロアー・アンド・ガンナー』練習用の本番再現コースが出来上がった――資料に入っていた本番コースの図面が『バトル・ボード』と大差なかったために元からあったのを改造するだけだったのでたった一日で用意できたのだ――という連絡が入ったので、祈と沓子に声をかけてから、一緒に練習しようということになった。

 

 

 

 

「罪な男だね、駿も」

 

 

 

 

 

 その背中に、からかいと羨望と妬みが混ざった声で、真紅郎が駿に聞こえないよう小さく声をかけた。

 

 ――真紅郎も思春期、同級生の美少女に恋をされたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙耶の漕ぎ手のしての腕は中々のもので、スピードもコーナリングもピカイチだった。

 

 また射手である駿の腕もかなりのものであり、命中精度はすでにプロの領域に達している。

 

「きゃあっ!」

 

「うおっと!」

 

 ――しかしながら、その練習は上手くいっているとは言い難かった。

 

 コーナーの瞬間、沙耶は曲がる方向を盛大に間違えてしまってコースアウトしそうになって急ブレーキをかける。そのせいでバランスを崩してしまい、ド派手に水路へと倒れてしまった。

 

 これが初めてではない。今日一時間やっただけで、すでにこれが四度目だ。

 

「ううううう、ごめんなさい……またわからなくなっちゃって」

 

 夏で気温が高いと言えど水中。体温は低くなっているはずだが、沙耶の顔は恥ずかしさで真っ赤っかだ。

 

「仕方ないさ、苦手なことは誰でもある。これから磨いていこう、な?」

 

 すっかり落ち込んでしまった沙耶の肩を叩いて、陸に上がるのに手を貸しながら、駿は慣れない慰めをかける。去年までの余裕のない彼だったら、はっきり言って足を引っ張っている沙耶に対して怒鳴っているかすでに見捨てているか、良くても苛立ちを隠せないでいた。この一年の間に、駿は人間としても成長していた。

 

「参ったのう、スピードのせいか、いつにもまして方向音痴が酷くなっとる」

 

 二人そろって乾燥用のドライルームで全身に温風を浴びているところに、一段落したらしい沓子がやってくる。

 

(方向音痴……思ったよりひどいな)

 

 沙耶がコーナーの方向を間違える理由。

 

 それは、彼女が極度の方向音痴だからだ。

 

 あの中学一年生の頃の真夏の川崎で、うっかり治安の悪い場所に歩いてしまったのも、極度の方向音痴が原因だとは聞いている。確かに考えてみれば、あれ以来、いつも誰かと一緒にいたような気がしないでもない。今考えると、あれは極度の方向音痴である沙耶が一人で行動できないからではないだろうか。今日の昼食時も、新しい映画を見に行きたいけど方向音痴だからついてきてほしい、という話で誘われたのだった。

 

 そんな極度の方向音痴に、景色が目まぐるしく変わるボートによる高速移動で、水跳ねで視界もままならない。これらの要素が重なって、沙耶はカーブの方向すらマトモに認識できなくなってしまっている。そのせいで、コーナーで何度も逆方向に舵を切ってしまうのだ。

 

 確かにボート操作の腕はピカイチだが、これでは本番ゴールすることすらできない。このままでは、他の生徒に漕ぎ手をやらせた方が良いだろう。

 

 駿は無意識的に、そういうことを考え始めていた。

 

 その困ったような気配を、沙耶はその表情から、敏感に感じ取ってしまった。

 

「お、お願い! 私、頑張るから! み、見捨てないで……!」

 

「お、おう。安心しろ、落ち着こう、な?」

 

 顔をゆがめて涙を流しながら、沙耶は駿に縋り付く。急に大げさで人聞きの悪いことを言い出されて駿は困惑するが、ひとまずそれを落ち着けさせる。

 

 結局、こんな精神状態では練習にならないので、今日の所はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 その日の夜。実家の東京から遠く離れてマンションを借りて一人暮らしをしている沙耶は、もう真っ暗だというのに部屋の明かりもつけず、ベッドの上で枕に顔をうずめて、静かに泣いていた。

 

 あまりにも、情けなかった。

 

 せっかく駿に漕ぎ手に選んでもらえたのに、足を引っ張ってばかりだったし、そのあとは取り乱して迷惑をかけてしまった。

 

 ――強くなりたい。

 

 あの夏の日以来、そう思って、駿や実家から離れるのを承知で、『尚武』の校風を持つ三高に志願した。

 

 すでに家族から見放されつつあった沙耶は、それをいともあっさりと了承されてしまった。

 

 極度の方向音痴。親曰く生まれつきらしい、もはや一つの認識障害にも似た欠点。

 

 これが、沙耶を大きく狂わせていた。

 

 百家本流・五十川家は第三次世界大戦の活躍で名をはせた一族だ。その得意魔法は、移動系魔法と加速系魔法。車やバイクだけでなく、スケートボードやボートなど、陸上・水上のあらゆる乗り物を使いこなし、さらにそれを魔法で操作して戦場を駆け回る。物資・人員の輸送、敵陣地への奇襲、戦場の攪乱、高速撤退、負傷者の回収など、その活躍は八面六臂だ。

 

 沙耶はそんな五十川家に生まれた次女で、移動系魔法や加速系魔法を含むあらゆる魔法力においても、学力においても、五十川家では一番だった。多少落ち着きがなくてドジなところがあったが、それも可愛いものだった。

 

 しかしながら、五十川家の得意分野と沙耶の極度の方向音痴は、あまりにも相性が悪い。

 

 魔法を使って縦横無尽に駆け巡るということは、地理の把握が不可欠だ。しかしながら沙耶は、それが全くできない。普通の方向音痴程度でも痛いのに、よほど見晴らしの良い直線でないと、彼女は迷ってしまうのだ。つまり、どんなに魔法力があっても、五十川家としては役立たずなのである。

 

 それ以来家の中でも腫物のような扱いを受けた。もともと気弱だった彼女は、そのせいでもっと気弱になり、塞ぎこんでいき、ストレスからか体型も太り始める。それで小学校では、激しくはないもののイジメられたこともあった。そしてそのせいで、余計に弱気が酷くなってしまった。

 

 中学に進学してすぐに入った魔法塾では、特待クラスに入れた。多少自信は取り戻せた。

 

 その矢先に起こったのが、極度の方向音痴と、それを自覚しているくせに一人でふらふらと歩いたせいで起きた、あの事件だった。不良の集団に囲まれた瞬間、魔法で抵抗することもできただろう。しかし気が弱い彼女は恐怖とパニックで、魔法を行使することができなかった。

 

 そこに現れて助けてくれたのが、森崎駿だ。

 

 あれ以来、彼への感謝を忘れたことは一度もない。沙耶自身はあの後保護されたが、話によると、駿と文也はさらに大きな事件を解決したらしい。それに比べて、自分の、なんとみじめなことか。

 

 この事件以来、家の居心地はさらに悪くなった。逃げるように魔法塾に通い詰めているうちに成績はみるみる向上したが、何も嬉しくはなかった。三高に進学した理由は、家から離れて逃げるためでもあったのだ。

 

 進学してからの生活は、軍事色が強い校風なだけあって苦しく、勝手にやや太り気味の体型が改善された。九校戦では、駿に久しぶりに会えるかもと思って、同級生たちには「戦化粧」だと誤魔化して、慣れないメイクまでしてみた。駿が転校してきてからは、彼に毎日見られると気づいて、化粧は欠かしていない。

 

 ――強くなりたい。

 

 そう思って入った先で、彼女は姿は変わった。

 

 それだというのに、結局のところ、中身は全く変わっていない。魔法の適性と、方向音痴が決定的にかみ合わない、役立たずの虚ろ。

 

 あまりにもみじめで、あまりにも情けなくて。沙耶は枕に顔をうずめたまま、身動きする気力すら起きず、ただ溢れるのに任せて涙を流し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――リリリリリリリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙耶の体が、急に、ビクッと跳ね上がった。

 

 家に帰るなりベッドの端に放り投げた携帯端末。それが鳴ったのだ。

 

 沙耶の体が跳ね上がったのは、急に鳴ったそれにただ驚いたからではない。

 

 味気のない、普通の着信音。しかしながら、その着信音は、他の誰とも違うものにセットしている。

 

『森崎駿君』

 

 恐る恐る端末を確認する。やはりそうだ。この着信音は、駿からかかってきたときだけの特別なもの。

 

 今日の昼に聞いた時は、嬉しい知らせだった。

 

 でもきっとこれは、悲しい知らせなのだろう。

 

 ペアを解消される。沙耶は間違いなくそうだと確信した。

 

 それを受け止めたくなくて、通話に出たくなかった。

 

 それでも迷惑をかけるのが嫌で――沙耶は、震える手で、ゆっくりと、端末を手に持った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、俺にはできない!」

 

 夕方。三高から近いマンションの一室。無機質なテキストと筆記用具が並ぶ味気ない学習机に突っ伏して頭を抱えながら、帰宅したばかりの颯太は叫んだ。

 

「別にそんなに悩むことないのに。あの人がいいっていうんだからいーんじゃない?」

 

「いいわけあるか!」

 

 その背中に、ベッドに腰かけて足を組んで頬杖をついた呆れ顔の菜々が声をかける。それに対して颯太は急に立ち上がって振り返り、色を成して反論した。

 

 六十里颯太と真壁菜々。この二人は、本来三高ではなく、地元の九高を受験する予定で、一次願書も出していた。この三高に入学したのは、急な志願変更があったからだ。

 

 その目的は――井瀬文也だ。

 

 この2月、世界中をあっと驚かせた文也は、急に三高に転校した。その事情は聞けば聞くほど恐ろしく、あの小さな体でこれほどの困難を乗り越えたというのが信じられないほどだ。

 

 そんな文也たちの保護に、十師族のほとんどが一斉に乗り出した。『マジカル・トイ・コーポレーション』と『キュービー』と『マジュニア』、それらを保護することで権益を拡大しようとしたのだ。

 

 一条家を除くと、まず真っ先に名乗りを上げたのが七草家だ。七草家の長女が生徒会長をやっており、文也たち三人は大変お世話になっていたらしく、また香澄の様子を見るに元から何かしらの関係があったとみられる。

 

 その次が十文字家。七草家と同じく、同じ学校の先輩。森崎家が副業と拠点地域の性質上近いこともあって、かなり積極的に動き始めた。

 

 それから動いたのが、十師族の、三矢家、五輪家、そして八代家である。

 

 三矢家は、「多種類多重魔法制御」「魔法同時発動の最大化」を研究している第三研究所出身で、「三」の中で一番権力を持つ。去年の九校戦で見せたように、文也は何十個ものCADを同時に使用する異次元の『パラレル・キャスト』使いだ。第三研究所の研究テーマの一つの完成形ともいえる技能を持つ文也は、喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。

 

 五輪家は、去年の九校戦で『深淵(アビス)』を劣化コピーされた恨みがあるが、転じてそれは仲間にすれば心強いということである。『マジカル・トイ・コーポレーション』のサイオン消費量・術者への負担を徹底的に軽減する技術は魔法工学界でもトップであり、戦略級魔法の負担に悩む五輪家はそれを欲している。また第五研究所は二つの戦略級魔法開発によって名をはせているのであり、その名誉を強化する「三つ目の戦略級魔法」の開発も期待しているとみられる。

 

 そして、八代家が欲しているのは、『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』だ。あの世界中の度肝を抜いた記者会見で、文也は記者たちに自慢げに、その二つを筆頭とする様々な魔法技術や知識を、USNAから「お詫び」として受け取ったと公言している。第八研究所の研究テーマは「魔法による重力、電磁力、強い相互作用、弱い相互作用の操作」であり、そこの出身である八代家は、歴代当主たちの名前にも表れているように、特に電磁力に強い。『分子ディバイダー』も『ヘビィ・メタル・バースト』もその仕組みは電磁作用である。この技術を求めるのは当然と言えた。

 

 しかしながら、これらの名だたる家々の申し出を断って、結局文也たちは一条家を選ぶ。これには、失敗した各家々は歯噛みする思いだった。

 

 ――颯太と菜々、この二人が三高に入学することになったのは、それでも諦めきれなかった八代家の思惑によるものだ。

 

 六十里家は、第八研究所の研究者がその元である。

 

 そして真壁家はというと、実は「八」の数字落ち(エクストラ)なのだ。もともとは「八壁家」だったわけだが、魔法適性がなくて除外されたのである。

 

 そうした事情もあって、六十里家も真壁家も、第八研究所出身の「八」の家系、特に八代家にはベッタリなのだ。家族ぐるみで主人と従者の関係と言っても過言ではない。

 

 そんな六十里家の颯太と真壁家の菜々は、都合の良いことに、ちょうど魔法科高校に入ろうとしていた中学三年生であった。そこで、八代家の者と権力欲しかない二人の両親は、とんでもない計画を打ち立てた。

 

 ずばり、二人を文也の後輩にして積極的に関わらせて取り込もうというものだ。

 

 颯太に課せられたミッションは、文也と仲良くなって『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』を中心とする技術の数々を譲ってもらう、なんなら盗んでくること。

 

 菜々に課せられたミッションは、事前調査が必要ないほどにオープンドスケベエロガキの文也を、そのロリ巨乳なルックスで堕として仲間にすることだ。

 

 そのために、二人は入学当初から文也に何度も接触を図っていた。あの人間の屑のような性格の癖に親友と年下にはとんでもなく甘いようで、(菜々に対しては間違いなくスケベ心で)ホイホイと受け入れてくれたしよく面倒も見てくれて、なぜかこっちもミッションとは全く関係のないところで助かっているという状況となった。

 

 そして、兼ねてから計画していたのが、この九校戦のタイミングだ。入学成績次席の颯太の希望種目は、たとえ適性から外れ気味でも無視はできない。そこで『アイス・ピラーズ・ブレイク』には『分子ディバイダー』と『ヘビィ・メタル・バースト』が勝利のために役に立つとアピールすれば渡してもらえるのではないかと思っていたのだ。

 

 しかしながら、それをいざ文也に実行しようとした颯太は、あまりにも挙動不審だった。

 

 菜々から見て、颯太はあまりにも真面目過ぎる。何か頼まれごとをされたら断れないし、お世話になった人には過剰に恩返しをしたがる。何事にもオーバーワークに見えるほどに真剣に取り組み、決して人の悪口を公言しない。物心ついてからは自らの意志でついた嘘は一つもないし、悪いと思ったことは絶対にしない。あと無駄に他人を信じてしまう。どこか文也の真逆を思わせる。この性格で周りからは慕われていたが、こきつかわれたり利用されたり騙されたりと言うことがあって損をすることが何度もあった。それだというのに、本人はそれを改めようとしない。

 

 そんな彼が、このミッションを実行するなど、およそ不可能だったのだ。

 

「あの数々の技術は、井瀬先輩が、地獄のような理不尽を、仲間と協力して乗り越えた努力の結晶なんだぞ!? それを騙して横から奪おうだなんて!」

 

「いやアレのことだから絶対そんな高尚なモノじゃないと思うけど」

 

 あと、この幼馴染は思い込みが激しすぎるキライもある。八代家たちも文也たちが巻き込まれたという事件の真相は、あの記者会見レベルでしかつかめていないため定かではないが、菜々の予想では、あのクソガキが自らやらかして、それを害そうとするもっと大きなナニカが裏で動いていて、その末にまたロクでもない手段で手に入れたとみている。根拠はないが、この二か月間文也と関わって、そういうことになっていそうな性格に見えたのだ。

 

 ちなみに、菜々の予想は正解である。おおよそ自業自得でUSNAと四葉に敵視され、襲ってきたUSNAの兵士を生け捕りにしてその装備をすべて奪い、地獄のごとき「話し合い」で根掘り葉掘り用途や仕組みなどを無理やり聞き出したのだ。そして終いには脅しに脅して、奪っただけでなく、公的にそれが「正式に、正当に、正面から、貰ったもの」としたのである。

 

 しかしながら、陰謀などに疎い颯太は、そんなことは考えない。今の颯太にとって自分は、「すごい先輩を騙して努力の結晶を横取りしようとする泥棒」なのである。あまりにもお人よしが過ぎる。

 

 そして二人にとって悪いことに、この陰謀は、一条家の長男・将輝にすっかり見透かされているのである。文也本人は甘々だが、その親友が許さない。今後、このミッションのクリアは、ほぼ不可能だろう。それでも、二人は断念するわけにはいかず、これからは賽の河原のような日々が続くだろう。

 

 ただし颯太は、このことについては別の感情に支配されている。自己嫌悪と羞恥だ。

 

 文也の成果を騙して盗もうとしているだけでなく、その腐った魂胆が、将輝と言う立派な先輩に見透かされている。文也だけでなく将輝にも申し訳ないし、そして恥ずかしいし、何よりも自分が情けないのだ。

 

「もう俺はこんなことは嫌だ。人の善意に付け込むようなこと、したくない……」

 

 颯太のこの心の声は、実に真っすぐな善意を持った、善良な若者の言葉だ。仕方なく悪事に手を染めても善意を忘れない。

 

 しかしながら、それはあくまでも、もう少し深みにはまった人間が言うことではないだろうか。まださらっと触れた程度だというのにこれでは、ただただ滑稽なだけだ。

 

(…………このバカ)

 

 また机に突っ伏してしまった幼馴染の背中に、内心で菜々は声をかける。

 

 確かに、やっていることは感心しないことだ。しかしながら、今やこの現代魔法師社会ではもはや天気の挨拶のように行われていることだし、颯太が神聖視している文也や将輝だって、これよりもあくどい陰謀に何度も関わっているだろう。それだというのにここまで悩むのは、バカとしか言いようがない。

 

 ――だからといって菜々がこのミッションに乗り気かと言うと、全くそうでもない。

 

 やってることのあくどさもそうだし、また自分のミッションの性質が、あまりにも受け入れがたい。

 

 結局のところ、自分は、あの文也を性的に篭絡しろと言われているのだ。つまり、将来的には政略結婚じみた婚姻も期待されているだろうし、「カラダの関係」で堕とすことも期待されている。こんなことを迷いもなく娘にやらせるとは、親の顔が見てみたいと菜々は思う。まあ、つい数か月前まで嫌と言うほど見ていたし、あんなクズどもなんて正直二度と見たくもないのだが。

 

 菜々から見て、文也は全く好みではない。年中ニヤニヤヘラヘラと軽薄に笑って、不誠実で、騒がしくて、スケベで、チビ。こんなのと恋愛関係だなんて、たとえお芝居でも怖気がするほどだ。

 

 菜々の好みは、身体が大きくて頼りがいがあって、実直で、真っすぐな男。菜々本人はその家庭環境のせいもあってひねくれてこうなったが、これが確固たる思いだ。

 

 ――そう、昔からずっと、実直すぎて情けない幼馴染のバカが、大好きなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文也は、元々昼よりも夜の方が好きだ。本人に理由を聞いたら、格好つけて「俺の罪を隠してくれるからかな……」とか言うのだろうが、実際のところ、夜更かししてゲーム・ネット三昧するのが好きなだけである。アフターファイブで急に水を得た魚のようになるサラリーマンとなんら変わらない。

 

「あーあ、アホくさ」

 

 7月4日の夜。短パンと半袖シャツというラフな格好で、文也は自室の彼用にしてはあまりにも大きいベッドの上を無駄に激しくゴロゴロと転がる。夕飯の場で文雄からあまりにもバカみたいな話を聞いて、駿に少し電話をして、入浴してあがったらこの時間だ。

 

 文也はそのまま小学生の時から一向にサイズが変わらない学習机に向かってコンピューターを操作して作業をしながら、先ほど文雄から聞いた話を思い出す。

 

 夕食の席で、今回のルール変更をいぶかしんだ文也は、文雄に調査をお願いしていた。その返事を、今日の一家団欒の夕食の席で聞けたのだ。

 

 まず今回の競技の激しさについては、大方の予想通り、国防軍の思惑が強いとのことだ。去年の横浜の一件で、魔法師が戦争に有用だと改めて実感したらしく、例年以上に下心むき出しの競技になっている。

 

 そしてもう一つ、去年からなんとなく気になっている、新競技――というか、九校戦オリジナル競技のアホらしさについてだ。

 

『フィールド・ゲット・バトル』はどう考えてもナワバリバトルだし、『デュエル・オブ・ナイツ』は名前が洒落すぎてるし、『トライウィザード・バイアスロン』は約一世紀前にはやった元祖魔法学園モノ児童小説が思い浮かぶ名前だしついでに言うとバイかトライかどっちかにしろと言う話だ。またそれぞれルールが変わり種すぎるし、『トライウィザード・バイアスロン』についてはその実施方法も競技の中身もバラエティ色や興行色が強すぎる。はっきり言って、アホとしか言いようがない。

 

 その理由については、文雄があっさりと教えてくれた。

 

 なんでも去年から、大会の方針を決める運営のお偉いさんの中に、魔法の経済利用に詳しい専門家が入ったという。その彼は破天荒な人物でありながら謎のカリスマもあり、こうしたふざけた案がバンバン通ってしまってこうなったというのだ。ちなみにその正体はと言うと、文雄の学生時代からの親友で『マジカル・トイ・コーポレーション』の表向きの経営者を務めるひょうきんなオッサンである。なんなら文也も何度か会ったことある人物だ。

 

 魔法で楽しく。やっていることは同じであり、文也の意志にこれ以上ないほど合致する。しかしながら、なんというか、九校戦を渦巻く利権と陰謀の中にこのアホがポツンといて大嵐を巻き起こしているのだと思うと、あくどい大人の皆さんに同情すら湧き出てくる。なおはたから見ると、『マジカル・トイ・コーポレーション』そのものがそんな組織であるし、その首謀者の一人がまさしく文也本人であるというのは気にしないことにしている。

 

「ふみくんお風呂貰ったよー」

 

「おう」

 

 そんなどうでもよいことを考えながら作業をしていると、お風呂上がりでホカホカご機嫌モードのあずさがノックもせずに部屋に入ってきた。お互いに慣れたものである。あずさは文也と違ってちゃんとしたパジャマ姿なのだが、パステルカラーであり、実に子供っぽいデザインだ。本人は意識していないが、こんなことだからいつまでも子供っぽく見えるのではないだろうか。悲しいことに大変似合ってはいる。

 

 文也はちょうど作業のキリも良かったので中断して、そのまま二人でゲームを楽しむ……といきたいところだったが、今回はそうではない。いつもはこのままゲームや談笑しながら時間を潰して寝るのだが、九校戦シーズン真っただ中であり、生徒会役員として作戦スタッフとエンジニアを務めるあずさは、持ち帰り作業が膨大にある。今日は二人でそれを少しでも消化しようという話だ。

 

「相撲部と剣術部の連中にはもう話通ってるんだっけか?」

 

「うん、今日、鬼瓦さんが依頼しに行ってオッケー貰ってるよ」

 

『デュエル・オブ・ナイツ』男子代表の有力候補として名前が挙がったのは、相撲部の二年生・遠藤高安だ。特に過去の力士とは関係ないがこの名前である。相撲とは本来神事であり、魔法科高校でその部活があるということはすなわち、古式魔法師の集まりであることが多い。遠藤は相撲で鍛えた体格と運動能力だけでなく古式魔法の腕も確かで、古式の硬化魔法を用いた力押しの白兵魔法戦闘を得意としている。剣の扱いはズブの素人らしいが、硬化魔法をかけた大盾を持って突撃するだけでもかなり良いところまで行くだろう。

 

「重要なのはモノリスの面子だよなー。調整入ってもやっぱ点数でかいし」

 

「あと経験者が少ないのが問題だよね」

 

 今の二・三年生で『モノリス・コード』の経験があるのは、去年の新人戦に出た将輝、真紅郎とあと一人、それと急に出場することになった文也、そして出場予定だった駿、それに去年の代表であり今三年生の部活連副会頭・後條、それに二年前の新人戦以来ご無沙汰の三年生二人だ。

 

 しかしながら、文也と駿と将輝と真紅郎はすでに他の競技に決まっており、去年文也相手に半泣きだった同級生はよっぽど嫌な思い出だったらしく、他の種目を希望している。三年生の二人は『アイス・ピラーズ・ブレイク』の男子ペアにぴったり適性がある。後條は経験・実力ともに申し分ない逸材で、本人の了承も得た。

 

 問題のあと二人の代表だが、『モノリス・コード』は九校戦の中でも一番の名誉と言われており、『尚武』の校風で何かと血の気の強い三高では毎年希望者が多く、今年も多い。オーディションになるのだろうが、どちらにせよ未経験者ばかりなのは手痛いところだ。

 

 そんなような話をしていると、もうすぐ短針がてっぺんを指しそうな時間となった。文也としては夜はこれからなのだが、もう九校戦期間でアスリートとして生活リズムを整えなければならない地獄の期間だし、あずさはいつもこの時間はおねむ――よく寝るのに体は育たない――となる。

 

 実際、あずさはしきりに欠伸をして目をこすり始める。明らかに眠そうだ。

 

「じゃあ、もう寝るか」

 

「うん、そうだね」

 

 そう言って二人は、当たり前のように、携帯端末で目覚ましをセットして、一緒に文也のベッドに入ると、明かりを消して、そのまま手をつなぎながら目を閉じる。

 

 ――これは、二人が本当は恋人同士だったからとか、昔よく一緒に寝てた幼馴染だからとか、そういう理由ではない。

 

 二人は、必要だから、こうして一緒に寝ることになっているのだ。

 

 ――2月16日の真夜中。世界最強の魔法師と、世界最凶の魔法師兄妹との、命を懸けた連戦。

 

 この地獄を通り越した体験は、二人の心に深い傷を残した。

 

 ――あれ以来、文也は、毎日夜中に悪夢で目を覚まし、発狂した。

 

『ヘビィ・メタル・バースト』の光に飲まれて跡形もなく消し炭になるあずさ、『ニブルヘイム』で氷漬けにされるあずさ、『雲散霧消(ミスト・ディスパーション)』でただの分子となって消え去ったあずさ。

 

 その光景が、何度も何度も、夢の中で現れた。

 

 ――あれ以来、あずさは、毎日夜中に悪夢で苦しみ、パニックになった。

 

『分子ディバイダー』で真っ二つになった文也、『コキュートス』でただ生きているだけの肉の立像になった文也、『分解』されて消え去った文也。

 

 その光景が、何度も何度も夢の中で現れた。

 

 あの地獄の体験によって、二人は酷いトラウマを植え付けられ、一睡もできない夜すらあった。文雄が用意した裏社会専門の心理カウンセラーに通っていたおかげで昼間にフラッシュバックすることまではさすがになくなったが、いまだに夜は、あの地獄の時間と重なることもあって、酷いものだった。

 

 だから二人は、互いに互いがまだこの世にいることを確認しあえるように、一緒に寝ることにした。

 

 もし文也が発狂したら。あずさは彼を抱きしめ、背と頭を撫で、声をかけて落ち着かせる。『スィート・ドリームス』や『抱擁』で落ち着かせて、ゆっくりと眠れるようにしてあげる。

 

 もしあずさがパニックになったら。文也は彼女を抱きしめ、いつも通り撫で、囁き声で慰める。『ツボ押し』でリラックスできるツボや眠気を催すツボを押したりして、安心して眠れるようにしてあげる。

 

 ――これはいわば、傷のなめあいだ。

 

 野性を失った、傷ついた子犬の姉弟のように、ずっと寄り添って生きていくしかない。

 

 あの地獄のせいで、二人の関係性に、補完という歪んだ関わり合いが、加わってしまった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 首が切断されて、景色が傾いた瞬間に真っ暗になる。

 

 骨が振動で粉砕され、立っていられずに崩れ落ちる。

 

 コンクリート片によって肉が削られる。

 

 目玉と脳を弾丸が貫通する。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 脳に直接電流が流され、はじけ飛ぶ。

 

 心臓を鉄筋が貫く。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 死。

 

 死。

 

 死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやああああああああああああ!!!!!!」

 

 真夜中の東京の住宅街の、とある家の一室。

 

 そこに、発狂した乙女の叫び声が響き渡った。

 

「深雪!」

 

 その叫び声をあげるのは、普段のお淑やかな絶世の美少女の姿はいずこか、髪を振り乱し、充血した目玉が飛び出すのではないかと言うほど見開かれた目からは涙があふれ、その涙が伝う顔は真っ青で、胸と頭を細くたおやかな指が力いっぱい掻きむしる。

 

 そんな深雪を、達也はすぐに抱きしめ、胸に顔をうずめさせて落ち着かせる。耳元であらん限りの慰めを囁き、自分がここにいるから安心だと諭し、その背中をさすって正常な呼吸を促す。深雪はしばらく、力が強い達也が目いっぱい抱きしめているというのに、この細い体のどこにこれほどのものがと思うほどの力で暴れた。

 

「お兄様……お兄様……」

 

 深雪が落ち着いたのは、それから五分もあとのことだった。叫びながら暴れ続けたせいで肉体はげっそりと疲労し、喉は潰れてしまっている。美しい声は面影もなく、ガサガサの絞り出すような声で、達也に縋り付いて涙を流す。

 

 2月16日の夜の激闘は、深雪の心にも深い傷を残した。

 

 不本意で理不尽な殺害、やることなすことすべてが失敗する。

 

 それだけではない。

 

 あの夜、深雪は幾度となく「死んだ」。今ここにいるのは、三途の川を渡る直前に、何度も無理やり蘇らされたからだ。そして体は死ぬ前に『再成』されても、記憶は元に戻らず、死んだ瞬間の記憶が大量に脳にこびりつく。その記憶が酷いトラウマとなってフラッシュバックしてしまうのだ。あの日以来、深雪は一日たりともまともに眠れていない。昼間でも、連想させるものを知覚してしまったらパニックを起こしてしまっていた。四葉お抱えのカウンセラーのおかげでそちらは幾分か収まったが、あれからもうすぐ半年経とうというのに、夜中寝ているときのフラッシュバックは毎夜のことだった。

 

 結果、最初のフラッシュバック以来、深雪は必ず達也と一緒に寝ることになった。部屋に一人では、目を閉じただけでも酷いフラッシュバックが起きた。同じ部屋で見守ってくれていても、それは和らぐことはなかった。故に、深雪は達也と同じベッドで寝ている。愛しい兄の体温と息遣い、それを感じなければ、微睡むことすらできない。しかしそれでも、夢の中で必ず地獄が蘇る。そのたびに深雪は発狂して暴れまわり、そのたびにこうして達也に抑えてもらっていた。

 

 情けない。

 

 もう何度感じたかわからない自己嫌悪が、深雪の涙をさらに激しくする。

 

 自分よりも、兄の方が何倍も苦しいはずだ。

 

 兄もまた同じ攻撃を受けて、何度も自己修復術式で無理やり蘇らされている。深雪を『再成』するときも、エイドスを遡る都合上、深雪の苦しみをより短時間に圧縮して、より意識が鮮明な状態で、追体験している。

 

 それだというのに、深雪は兄に寝かしつけてもらい、真夜中に兄にさらに迷惑をかける。

 

 聡明な深雪は分かっている。あんな目に遭ったら自分みたいになるのが当然で、兄は非人道的な魔法的施術の末、トラウマというものがないということを。

 

 それでも、どこまでも自分がみじめだった。

 

(…………)

 

 そんな妹を、達也はベッドに導き、その横で添い寝して抱きしめて頭を撫でて寝かしつけながら、達也はどうしても考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あの夜は、一体、誰のためになったのだろうか、と。




このオマケの章のコンセプトの一つが、「九校戦で振り返る本編」なので、シリアス要素も含みます

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