マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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6-9

 8月7日。

 

 本日競技を控えている駿は、この日の朝、これ以上ないほど絶好調だった。

 

「筋肉がッッッ……これ以上ないほどにッッッ……躍動しているッッッ!!!」

 

 キャラ崩壊である。

 

 駿は異性である桜花と一緒の部屋で寝ているわけだが、その間には一切色恋めいた感情はない。アスリートにたぎる血と、筋肉を愛する「漢」同志の絆。桜花を中心とする三高の多くの生徒たちは、それで結ばれているのだ。

 

 あずさと交換するように桜花のもとに夜な夜な通う駿は、そのたびに「アニキ」から様々なトレーニングや精神修行を教わった。そのたびに、目から鱗とプロテインがこぼれるような精神革命を迎えたのである。

 

 そして昨夜、これまでのまとめとしてひとまず実践したトレーニングは、翌朝の駿の筋肉と気持ちを、天使の翼のごとく羽ばたかせていた。

 

「やべえッッッ……やべえよあーちゃんッッッ……ガチで絶好調だッッッ!!!」

 

「なんか口調変だよね?」

 

 その絶好調は勘違いではない。文也から見ても、今の駿は過去最高のコンディションだった。

 

 そんな三高の朝食風景の、また別の所。愛梨と栞と沓子、それとこの三人にたまに加わっている沙耶と祈は、いつも通り並んで各々の朝食を食べていた。

 

「愛梨、昨日あんなこと言ってたのに、アップテールにしたんだ」

 

「もしかして、もしかするのかのう」

 

「そんなのではないわよ! ……今日は沓子と祈の担当なのでしょう。これぐらいのサービスはしてあげてもいいと思っただけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日に行われるのは、『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアと男女ペア、それに『ミラージ・バット』の予選だ。明日からしばらく新人戦であり、『ミラージ・バット』の決勝は新人戦を挟んだ本戦の続きで行われる予定だ。

 

 今日の担当は、『ミラージ・バット』の三人の内二人をあずさ、『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアが真紅郎、そして『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアが文也だ。

 

「……いや、あの二人はちょっと無理だわ、まあ、うん」

 

 そして午前中の最初に行われた『ミラージ・バット』予選の一部で、あずさの担当はすべて撃沈した。

 

 真っ白な灰と化したあずさの肩に手を置いて文也が慰める。あずさが担当した二人は、優勝候補と目されていたほのかと里美スバルに初戦からそれぞれ当たってしまい、ものの見事に負けたのだ。

 

 もしあの二人に当たらなければ、良いところまではいけそうだった。組み合わせの運の差である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペアの代表は、漕ぎ手が沓子、射手が祈の仲良しコンビだ。文也が二人を担当するのは、二人からの指名である。三人とも自由人であり、何かと気が合うのだ。

 

 この二人は優勝候補筆頭だ。神道の白川伯王家をルーツとする沓子は水に関する魔法が得意だし、祈は去年の『スピード・シューティング』男子優勝者・百谷博の妹で同じく射撃のスペシャリストである。

 

 一方、同じく優勝候補筆頭と目されているのが、一高の代表。射撃のスペシャリスト・英美に、ボート部で全国大会入賞経験もある国東。

 

 大方の予想通り、予選からすでに、この二組の優勝争いとなっていた。

 

「よーしよしよし、いいぞ、つくし、祈」

 

「にゃははは、つくしちゃんは流石だねえ」

 

 予選の結果は、二位の一高とほんのわずかな差で沓子・祈ペアが一位だった。射撃では負けていたが、沓子がいつもより調子が良くてゴールタイムで優っていたのである。

 

 つくし、とは、沓子のあだ名である。元々文也は二人のことを「四十九院」「百谷」といつも通り名字で呼んでいたのだが、気が合ううちに、祈のことは「兄貴と紛らわしいだろ」ということで下の名前を、沓子のことは祈の影響であだ名で呼ぶようになった。

 

 祈は仲の良い相手はあだ名で呼ぶ。たまにつるむ愛梨はあいちゃん、栞はしーちゃん、沙耶はさっちゃん、真紅郎はジョージで、将輝はプリンス。元々沓子は「とーちゃん」と呼んでいたのだが、「父親ではないぞ」とからかわれたので、響きの可愛い「つくしちゃん」にしたのである。仲が良くて唯一あだ名で呼んでいない相手は文也だ。これといったあだ名が思いつかないとのことである。あずさの「ふみくん」があると言えばあるが、「それを許されるのはあの先輩だけだろ」とのことだ。

 

(それにしても、明智? だっけか。あいつ、やけにコンディションがいいな)

 

 文也の脳に一抹の不安がよぎる。一高の射手・英美の腕が、想像していたよりもはるかに良かったのだ。一応同じ学校の同級生ではあったので、射撃の名手だという噂もそういえば聞いたことがある。しかしながら、ここまでの腕だとは予想外だ。射撃に集中できると言えど、文也のような半自動破壊魔法をせず、自らの手でやっているというのにパーフェクト一歩手前なのは、真紅郎といい、化け物としか思えない。

 

 そう、文也のあずかり知らぬことだが、今年の英美はとんでもなく燃えているのである。

 

 彼女は実力はピカイチなのだが、去年の九校戦では組み合わせで悉く不運を引き、惨憺たる結果に終わっているのだ。実は無頭竜が組み合わせを操作した結果なのだが、それを知らない彼女は、去年の悔しさをバネにリベンジを果たそうというのである。この成長は達也や深雪すら驚くほどで、ここ一か月で一番成長したのは間違いなく彼女である。

 

(ここにもいらっしゃるんだもんなあ)

 

 文也がちらりと見るのは、英美の担当エンジニア。因果なことに、今日のエンジニアバトルも、文也対達也と言う状態だ。『不可視の散弾』の起動式は去年の暮れに真紅郎が公開しており、その総合的な使いやすさから今年の『ロアー・アンド・ガンナー』のマストとなっている。しかしながら、三高が使う式は、文也や開発者である真紅郎が調整したことで、一段レベルが高いものだ。そしてそれと同じぐらい、一高の使うものもレベルが高い。間違いなく、達也によるものだ。また国東が使った、着水時の下への衝撃と反作用をゼロにして緩和しそれをすべて推力に変換して超加速する術式もまた、達也が用意したものだ。エリカの『山津波』の応用だろう。あのボートの変態軌道を見たときは、思わず頭を抱えたものだ。

 

(頼むぜ……今日は勝たせてくれよ……)

 

 あずさとアニキが仇討ちしてくれたと言えど、やはり悔しいものは悔しい。

 

 文也は肝を冷やしながら、午後の決勝を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、いいぞ沙耶。コンディションは悪くないみたいだな」

 

「う、うん、ありがとう……しゅ、駿君」

 

 駿と沙耶のペアもまた、予選を一高のペアに次ぐ二位で通過して午前を終えた。

 

 最初のころの沙耶は、はっきり言って選手としては失格レベルで、メンタルも方向音痴も酷いものだった。それでも、沙耶と少しやってわかった移動系魔法の技術が諦めきれなかった駿は、あの初日の練習の後文也に相談したのだ。

 

 文也も今一つ解決策が見いだせていなかったが、そばを通りかかった沓子がヒントを教えてくれた。

 

「んー、沙耶のやつ、去年もそういえば最初は酷いものじゃったのう。じゃが本番手前には相当なものだったし、最終的にはわしを超えるほどじゃった。心配することはなかろう。沙耶は努力家だからの」

 

 考えてみれば、おかしな話だ。『バトル・ボード』の水路だって同じぐらい複雑なのに、沙耶は去年の新人戦で見事優勝している。あんな状態は、ありえないはずだ。

 

「なあ、つくし。五十川の練習量ってどんぐらいだった」

 

「んー、わしが見かけたときは必ず練習しておったぞ」

 

「それだ! 方向音痴なら、身体に無理やり覚え込ませるのが最強なんだよ! ごり押しだごり押し! 根性!」

 

 駿としては「本当にそれでよいのか?」と思わなくもなかったが、努力と回数が重要なのはよくわかっていることなので、あとは努力の質と回数の確保をどうするかが課題となった。そこで思いついたのが、VR訓練である。水路がない家でもVRで訓練して、道順を覚えればよいということだ。あの日以来文也がパソコンで作業していたのは、FP視点で今回の水路を再現したVRゲームだったのだ。

 

 沙耶は上機嫌な駿の一歩後ろをついていきながら、小さく嬉しそうに微笑む。

 

 そう、あの日の夜にかかってきた駿からの電話は、「これから一緒に頑張っていこう」というものだった。VR訓練のために、最新型フルダイブVRカプセルのレンタルまでしてくれた。なぜか駿が複雑そうな表情だったし、貸してくれたあずさが気まずそうに目をそらしていたのが気になりはしたが。果たして何に使われていたのだろうか、と思い至らなかったのは彼女にとって幸運である。

 

 どうすればよかったのか。方向音痴な彼女が迷い込んだ心の袋小路から、駿が救い出してくれたのだ。

 

 考えてみれば、ずっと、駿は示し続けてくれていた。あの魔法塾で過ごした三年弱の間、駿は誰よりも努力を重ね、結果を出していた。諦めずに努力をすること。それがまず、一番なのだ。去年の自分がやったことこそが正解なのだ。

 

 ――沙耶は、変われていたのである。

 

 そしてまた、少しだけ、変化をしていた。

 

 駿からの提案で、咄嗟に声を掛け合えるように、お互いに下の名前で呼ぶようになったのだ。どちらも、苗字よりも名前の方が短い。なんでも、文也と名前で呼び合うようになったのも、これがきっかけだそうだ。そのおかげで、二人の距離はぐっと縮まった気がして、コンビネーションもそのころにはかなり向上してきた。

 

「森崎」

 

 そんな二人が歩いている前に、一人の少女が現れる。

 

「滝川か。勝利宣言はまだ早いだろ?」

 

 現れたのは、競技のときに着ていたボディスーツのままの滝川だ。予選では、彼女たちが一位だったのである。

 

 駿たちと滝川たち。この二組のペアは、今年の『ロアー・アンド・ガンナー』でも異色のスタイルだ。

 

 高速で動きながら的を破壊するには、『ガンナー』と言いながらも、実際は的に破壊魔法を直接行使するのが一番効率が良い。『魔弾タスラム』を得意とする英美ですら『不可視の散弾』を使っているのだから、その差は歴然としている。

 

 しかし、駿と滝川は、漕ぎ手は基本に忠実でお手本のようなのに対して、二人とも射撃スタイルなのだ。

 

 駿はボディーガード業の性質上得意な射撃魔法。『エア・ブリット』を基本としている。

 

 一方、操弾射撃で好成績を収めている滝川は、じつに「らしい」ことに、弾丸となる金属球――要はパチンコ玉――を魔法で操って放ち、的を破壊しているのだ。

 

 そんな異色の相手からいきなり声をかけられた駿は、冗談めかした問いかけをする。それに対して、好戦的な笑みを浮かべた滝川もまた言い返した。

 

「何言ってるの、本番はこれからでしょ」

 

 人見知りの沙耶は、好戦的な空気を隠さない滝川におびえて、駿の後ろに身を隠す。駿も、滝川に悪意はないので守るという意図はないだろうが、気を遣うようにそっと身を寄せていた。それを見た滝川は、妙に心がざわついて、言葉に険がこもる。

 

「決勝戦の、一番最後で待っているから。私たちが――絶対に勝つ」

 

 滝川はそう言い残して、踵を返して離れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、負けないもん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに、細いながらも確かな声量で、沙耶の大声が響いた。駿と滝川が驚いて目を丸くする中、沙耶は駿で身を隠すのを止め、身体を震えさせながらも、俯き加減の顔を上げて確かに滝川を見据えながら、宣言する。

 

「私と、駿君が、絶対に、絶対に、勝つ!」

 

 その意外にも闘志をたぎらす沙耶に、滝川は何か言い返そうとする。しかしたまたまタイミングが被って、駿が口を開いた。

 

「……そうだな。俺と沙耶が、お前らに勝つ」

 

 沙耶に影響されて、駿の闘志もまた、大きく燃え上がってきた。どちらが前でもなく、二人で並んで、滝川に勝利宣言をする。

 

「…………ふーん、あっそう」

 

 それを聞いた滝川は、駿たちを振り返りもせず、不機嫌そうにそう言い残して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「古式魔法は苦手と言っておったはずじゃが、なかなかやるではないか」

 

 沓子と祈からエンジニアとして指名された文也は、当初は渋っていた。現代魔法にはかなりの知識と技術があるが、古式魔法に関しては文也の専門外だからだ。

 

 しかしながら、ものは試しと沓子が押し切って調整をさせてみたところ、真紅郎に調整してもらった時と遜色ない心地だった。四十九院家に出入りする第九研究所出身の古式魔法が得意だと豪語するエンジニアよりも、よほど使いやすかったほどだ。それ以来、改めてエンジニアとして指名して、今に至る。

 

 昼休憩が終わった午後、決勝に向けた調整をしながら、沓子はベンチに座って足をプラプラさせながら、文也に話しかける。

 

「まあ、親父があんなんだからさ、ニガテ克服にうるさいってわけだ」

 

「親が教師と言うのは大変じゃのう。あれだけ自由な性格でも、家では厳しいのか?」

 

「いや、家でもあんな感じだけど、去年から教師やり始めて調子こいてんだよ」

 

 文也の冗談めかした話に、沓子は納得したようだ。それ以上は突っ込んでこない。

 

 ニガテ克服。文也の父親は、それで日本で最も濃い闇である暗殺者を退けた。苦手に対して自分の得意分野を応用して対策するのではなく、そもそも克服する。王道の強さを、文雄は改めて示したのだ。

 

 古式魔法をアレンジして現代魔法の仕組みに落とし込む、というのは、経験がないわけではない。去年の九校戦で、幹比古のデバイスを調整したこともあるし、それ以前から多少の練習はしていた。

 

 しかし、沓子の場合は勝手が違う。幹比古は徹底的に論理を突き詰めるタイプであるがゆえに、古式魔法と現代魔法の使い分けができる優等生タイプだ。エンジニアとしても対応しやすい。しかしながら、沓子は水に関してはほぼBS魔法の領域であり、今まで学んできたどれとも勝手が違う。魔法式とCADを使う現代魔法師タイプから大きく外れない幹比古に対して、沓子は水に関しては「超能力者」タイプなのだ。

 

 変にいじくると、才能を潰してしまう。エンジニアは担当競技者の専属作戦スタッフを兼ねるが、沓子に関しては、文也は特に作戦を用意していない。とにかく策を弄して準備するタイプの彼でも、「ごちゃごちゃ言うよりも本人に任せるのが一番」と投げ出した。

 

 そういうわけで、文也が本格的に関わるのは、沓子ではなく祈だ。こちらはバリバリの現代魔法師であり、文也としても対応がしやすい。祈のデバイスを受け取った文也は、午前中とは大きく違った調整を施す。

 

「ふむ、文也。おぬし、何かロクでもないことをしようとしてるのう?」

 

「え? マジで? わかるの?」

 

 文也がやっているのは、いつも通り起動式を文字コードに落とし込んで完全手動で調整するというもの。これを見てわかる高校生は、自分と達也以外にいないと思っていた。

 

「いや、全く分からん。西洋の文字は相変わらず奇怪じゃのうとしか思わんぞ」

 

「明治時代みたいなこと言ってんじゃねえよ。じゃあなんでロクでもないことをしてるってわかるんだ?」

 

 そう、実際文也は今、ロクでもないことをしている。祈から頼まれて、一つの「禁じ手」に手を出そうとしているのだ。

 

「一つ。文也はいつもロクでもないことをしようとしているから、何も考えず適当に言っても当たる」

 

「ひでえ言われようだ。真実だけど」

 

「そしてもう一つが――」

 

 沓子はそこで言葉を止める。もったいぶるなと言おうとコンピュータから目を離して振り返った文也の目の前に――満面の笑みの沓子の顔があった。

 

「直感じゃ♪」

 

「なんじゃそりゃ」

 

 文也は知らない。沓子の直感は、あの愛梨ですら信用するものだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう無理! 死ぬ!」

 

 二巡目の演技が終わり、結果発表も終わった。三高のテントに帰ってくるなり、祈は簡易ベッドの上に寝転ぶ。

 

「お疲れさん」

 

「あのバカ兄貴はこれをいきなりやられたんだろ? よく死ななかったな」

 

「俺の調整が天才だったってことだよ」

 

「なるほど、天災じゃのう」

 

 沓子の調整は予選とほぼ変わっていない。ただ、「予選よりはトバしてもいい」と文也と祈から言われ、その通りにやった。この競技のペアは、漕ぎ手は速さだけでなく、自分も的や射手の様子を確認して、場合によっては多少速さを犠牲にしてでも射撃のために微調整する必要がある。その微調整を、多少無視して速度を優先しても良いということだ。

 

 沓子はその真意を測りかねたが、この二人が言うのだからと了承した。そしていざ演技に挑むと、確かに二人の言う通り、祈は遠慮なくトバす速度に対応できたどころか、予選よりも的を多く壊していた。

 

 しかしながら、祈の顔にはいつものような笑顔がない。魔法のコントロールが大変で、一歩間違えれば自身が破滅するという、危ないところで戦っていたからだ。

 

 祈から頼まれた文也が施した調整は、去年の九校戦のエンジニア選考で博に施したものと同じ、性能を極限まで追い求め、安全マージンをほぼ排除した危険な調整だ。いくら記録型のクローズドな競技だとは言ってもペアであるがゆえにどうしても他者の影響力が絡むオープン要素も含むため、文也としては反対だった。しかしながら、兄から愚痴として聞いていたのであろう祈が強く頼んできたため、その意志に応えることにしたのだ。

 

 その結果、沓子も祈もこれ以上ないほど絶好調で、ゴールタイムは総合一位、的の命中精度も撃ち漏らしが一つだけという、脅威の成績をたたき出した。

 

「で、お前はなんで急に昼になってマージン外してくれなんて言ったんだ? 調子でもよかったのか?」

 

 文也は競技が終わったということで、もう良いだろうと問いかける。祈だってバカではないので、マージンをギリギリまで外すことがどれだけ危険なのかは知らないわけではない。

 

「影響されたのさ」

 

「誰にだ?」

 

「かずちゃん」

 

「いや、まじで誰だよ」

 

 文也は思わずずっこけてしまう。あだ名で呼ばれても、分かるわけがない。

 

「ほら、滝川和美だよ。一高男女ペアの射手。元同級生だろ?」

 

「えーっと、あー、なんかそんなのがいたようないなかったような」

 

 ただし、本名を言われても分かるとは限らないのがこの男である。

 

「友達だからさ、休み時間にちょっと会ってきたんだけどね。なんとなく理由はわかるけど、すっげー燃えてたんだ。そりゃもう入れ込んでるレベルで。それ見ると、アタシもなんか燃えてきちゃってね」

 

「ふーん、そんなもんか。青春ってやつだな」

 

 文也はそれ以上は興味がないようで、生中継の映像に視線を移す。そこでは、『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペアの決勝一巡目が始まっていた。

 

「あーあ、しかしこれで負けるんだから敵わないよなあ」

 

 そんな文也は置いておいて、祈はベッドの上でゴロゴロと転がりながら、愚痴っぽくため息を吐く。

 

 そう、これ以上ないほどに、自分のベストを沓子も祈も出せた。それだというのに、最終順位は二位だったのである。

 

 一位は、ライバルである一高の英美・国東ペア。この二人もまた息がぴったりで、そのコンビネーションには沓子・祈ペアと同じくこれといった乱れがない。そして恐ろしいことに、さすがにゴールタイムでは沓子に勝てなかったものの、なんと射手の英美は、全ての的を破壊するパーフェクトを決めたのである。オールクリアには特別ポイントが加算されるルールであり、その差で負けてしまったのだ。

 

「じゃが、おぬしのおかげで気持ちよくできたぞ。感謝しよう」

 

 微妙に落ち込んだ空気の中、沓子はいつも通りの明るい笑みを浮かべて、文也に感謝をする。負けてしまったが、それでも自分のベストを出せた。楽しめたのだから、それが一番だ。

 

「おいおい、そんな恰好でそんなことを言われたら照れちまうだろ。誘ってるのか?」

 

 文也はがっつり鼻の下を伸ばして言い返す。沓子も祈も、着替えるのも惜しいほどに疲れ切っているので、ボディラインが露になるウェットスーツのままなのだ。

 

「文也は小さいのもイケるクチなのか。この節操なしめ」

 

「美少女ならオールオーケーだぜ」

 

「つくしちゃん、このままだと襲われかねないから着替えに行こうぜ」

 

 冗談を――ただし文也は割と本音――を言い合って一息ついたのか、沓子と祈は立ち上がって更衣室に着替えに行く。

 

「むー、あの先輩、やっぱり文也さんと仲いいなあ。……でも、そっか、小さいのも好きなのか」

 

「変わらないねえ」

 

 その会話にずっと聞き耳を立てていた香澄は、自分の貧乳をさすりながらブツブツ呟く。それに対して、『ロアー・アンド・ガンナー』の相棒である同級生の女子は、もはやすっかり慣れたものであり、遠い目をして茶々を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間の事もあってか、決勝の沙耶は絶好調の一言に尽きた。珍しく闘争心が漲っており、集中力もこれまで以上に高い。競技に対するプレッシャーも完全に忘れているようで、予選で見えた過度な緊張も全くなかった。

 

「駿、五十川さんは何があったんだい?」

 

「昼に一高の相手から宣戦布告を受けてな、珍しく燃えてるんだよ」

 

「全くそんなタイプに見えないんだけどね」

 

 エンジニアである真紅郎は、全く予想できなかった絶好調に思わず困惑する。嬉しいことではあるのだが、気になって仕方がないのだ。駿から説明を受けても、今一つ合点がいかない。沙耶もアスリートの端くれではあるが、そういうアツい闘い世界の世界とは無縁そうに見える。自分の記録をコツコツ伸ばしていく分には十分にアスリートの気質はあるが、一方で他者との競争と言う面を気にしないタイプであるようにも見える。真紅郎からすれば、不可解でならない。

 

「まあいっか。このままいけば優勝だし」

 

 駿と沙耶のペアは最後から二番目の演技で、沙耶が特に絶好調だったため、これまでを大幅に上回る自己ベストをたたき出した。そしてラッキーなことに、予選一位で一巡目最後の演技をした一高が、予選の素晴らしさが見る影もないほどに精彩を欠いている。駿と沙耶は、一巡目を圧倒的な一位で迎えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 滝川は闘争心が強いアスリート気質ではあるが、一方で照れ屋だったり、またどちらかと言えば静かに闘志を燃やすタイプでもあるため、気性は荒くはない。

 

 しかしながら、一巡目の演技を終えた滝川は、顔をゆがめながら、怒りを壁にぶつけていた。

 

 一巡目の演技、漕ぎ手の西川はコンスタントに好成績をたたき出したが、滝川は予選の好調が見る影もなかった。照準は荒れて的に当たらず、ムキになって焦って一つの的に無駄に連射する。そのせいで次々現れる的に遅れてしまい、それでさらに焦りと苛立ちが増幅して、また外して、遅れる。この悪循環のせいで、滝川たちの点数は一巡目のビリになってしまった。

 

 理由は分かっている。あの五十川沙耶と言う女子だ。

 

 滝川はこの日のために、必死になって練習してきた。

 

 それはなぜか。

 

 ――森崎駿に、良いところを見せたかったのだ。

 

 去年の横浜の地獄で、滝川は駿から救い出された。夏休みの部活では危うそうに見えた駿は、いつの間にか大きく成長していて、滝川では追いつけないような領域にいた。急降下してきた駿に救い出されながら、滝川はそれを改めて実感した。

 

 それ以来だろうか。駿のことが、妙に気になるようになった。バレンタインには、らしくもなく、手作りのチョコレートまでプレゼントした。

 

 これから、仲良くなれるかもしれない。不思議と頬が緩んでいるのに気づいた時、顔から火が出そうだった。

 

 ――そしてその直後に、滝川の前から、駿は姿を消した。

 

 USNAのスターズに襲われた。滝川が横浜で味わった地獄。あれ以上のものはないと思っていたが、駿は親友の文也とともに、その渦中にいたのだ。

 

 それからしばらく、虚脱感が滝川を支配した。小憎らしいことに、ホワイトデーのお返しはちゃんと郵送で送られてきた。自分が送った不細工な手作りチョコレートよりも何倍も美味しい、高級な、手作りではないチョコレートだった。

 

 それからずっと、滝川は魔法の練習に打ち込んだ。学年末テストでは虚脱感から無様を晒したが、大会で好成績を残したし、二年生の学期末試験では好成績をたたき出した。代表選手にも選ばれ、そこからさらにがむしゃらに打ち込んだ。

 

 ――運命だと言っても、過言ではない。

 

 登録選手公開日、滝川は予定時間に待機していて、すぐに開いた。駿の名前を見たとき、心臓が跳ね上がった。そしてその直後、さらに心臓が跳ね上がる。

 

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア。

 

 滝川の対戦相手は、誰よりも良いところを見せようとしていた、駿なのだ。

 

 滝川はこれ以上ないほどに燃えた。絶対に、勝つ。同級生たちが心配するほどに、闘争心がこれ以上ないほどに高まっていた。

 

 そこに水を差したのが――沙耶だ。

 

 真剣勝負の場だというのに、予選直前まで、駿と下の名前で呼び合って何か仲良さそうに話していた。その顔は赤らんでいた。浮かれているとしか思えなかった。自分の気持ちに、真剣勝負に、水を差された気がして、心がざわついた。

 

 実際にあった時も、滝川は苛立った。駿の隣にいる癖に、気弱なのか弱気なのか知らないが、その後ろに隠れるだけ。とても真剣勝負を飾る相手にふさわしくない。それだというのに駿がそれを受け入れているのに、余計に腹が立った。さらにそのあと、あまりにも情けない宣戦布告までされた。それすらも、駿は受け入れていた。滝川の苛立ちと心のざわつきは、際限なく高まった。

 

「くそっ! くそっ!」

 

 せっかく積み重ねてきたというのに、この無様は、この体たらくはなんだ。

 

 どれだけ壁に拳をぶつけても、心のざわつきは収まらない。駿と沙耶が対等に横に並んだあの瞬間が、脳みそから離れない。

 

「滝川」

 

「なによ」

 

 そんな滝川に声をかけたのは、漕ぎ手の西川だ。移動系・加速系魔法に特化したBS魔法師。男子の漕ぎ手としては学内でもトップクラスだ。

 

 もう次の演技の時間だったか。つい先ほど演技をやったばかりだが。

 

 ああ、そうか。さっきは一位だから最後だけど、今はビリだから最初か。

 

 滝川は一巡目の不調を思い出して、自嘲しながら、西川の言葉を待たずに準備しようとする。

 

「なあ滝川」

 

「説教はいらないわよ」

 

 二人で歩いて向かっていると、西川が声をかけてくる。滝川は、自分が足を引っ張っているのだと理解していながらも、つい八つ当たりをしてしまう。

 

「別にお前がどう思っていようが勝手だけどよ。ここずっと頑張ってきた過去のお前を裏切るつもりか?」

 

「……うるさい」

 

「そうだわなあ。あんなん見せられちゃ、いくらお前でも乱れるわ。そりゃ仕方ねえ、高校生だからな」

 

「うるさい」

 

「だけど、お前は本当にそれでいいのか?」

 

「うるさい!!!」

 

 滝川はついに叫びだし、西川の胸倉を思い切り掴んで壁に叩きつける。体格で圧倒的に勝る西川は、すぐに抜け出せるだろうに抵抗しない。滝川を見下ろすような形のまま、言葉を紡ぐ。

 

「森崎にいい所見せたいんだろ? 次が最後のチャンスだ。次、醜態晒したら、それでお終い。大好きな森崎の記憶からは、お前は消えちまう。ただの取るに足らない雑魚としてな。学校も住んでる場所も離れているから、印象に刻み続けることもできない。あの可愛らしいオッパイの大きい女の子に完敗だ」

 

「っ……!」

 

 西川の言ったことを想像して、息が詰まる。心臓がひもで縛られたように縮み上がる。胸が痛い。滝川は西川から手を離し、胸を押さえて蹲る。

 

「ラストチャンス。過去の自分の頑張りを裏切って、クソみたいな醜態晒して、森崎の記憶から消えるか。努力をきっちり本番で出して、アイツらに勝って、一生記憶に刻まれるか。好きな方を選べ。お勧めは前者だ。今の無様なお前にはぴったりだな。妥協すりゃあいいんだから楽だよ。現実から目をそらして、今自分が実は小学生で、縁側でスイカ食って夏休みを楽しんでるんだと思ってりゃあそれでいい。一生敗北者だ」

 

「…………後半はアンタのことじゃない」

 

「そうだっけか。思い出したくないから覚えてないな」

 

 滝川が思い出すのは去年の九校戦。最高レベルのエンジニアである達也に担当してもらって、今までの自分が信じられないほどに絶好調だった。優勝も夢じゃないと思っていた。それだというのに、『スピード・シューティング』決勝トーナメントの一回戦で早々に敗退したし、『フィールド・ゲット・バトル』では予選で敗退した。無様な敗北者だ。

 

 一方で、滝川よりも酷い敗北者だったのは、この西川だ。文也から『深淵(アビス)』のダウングレード版を託されてもなお、予選で敗北した。しかもそのあとその現実が受け入れられず、醜態の上塗りをしてしまった。彼もまた、敗北者なのだ。

 

 一方で、どうだろう、今ライバルとして立ちはだかる駿と沙耶は。駿は『モノリス・コード』こそ残念だったが、『フィールド・ゲット・バトル』では優勝。沙耶は『バトル・ボード』で優勝。対戦相手は、「勝者」のペアだ。

 

 そして今、滝川は、自爆で、また敗北者になろうとしている。競技で負け、自分にも負けて、そして想いも敗れる。

 

 そんなことは――アスリートとして、許せない。

 

 アスリートは勝ってナンボ。負けたらただの敗北者だ。

 

 滝川は自分の頬を強く叩いて、情けない自分に喝を入れる。

 

「ねえ、西川」

 

「なんだ?」

 

「一発逆転するわよ。次、私に一切遠慮しないで」

 

「マジかよ」

 

 乗り気ではなさそうな返事をした西川は――言葉とは裏腹に、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……冗談だろ」

 

 自分の担当種目が終わって一安心と観客席で観戦していた達也は眉間をもんでこれが現実であることを確認する。それほどに衝撃的だった。滝川と西川は、一巡目があまりにも酷かったから自棄になったとしか思えなかった。

 

 まず、ボートだというのに、滝川は立って射撃をしていた。確かに視界確保や体のひねりがしやすいため理に適っているが、バランスを崩したり、最悪落水したりするリスクが大きすぎる。体幹に自信がある駿ですらやらない暴挙だ。

 

 そして西川。こちらも、予選の優等生のようなボート運びが嘘のように荒れていた。射手が立っているというのに、スタートダッシュは自爆作戦まがいの急発進、カーブはほぼ速度も緩めず滑りやすい水面だというのにインを攻める急旋回、ジャンプからの着水は、その衝撃をすべて前方への波に変えてまた急加速。最悪なのはゴール手前。なんと敵がいるわけでもないのに、自分の後方に水路を埋めるほどの『深淵』を行使してすぐに解除し、それによって起こる波で水面から離れてボートごとジャンプするようにゴールに飛び込んだのである。ゴールを通り過ぎてしまえば落水しても問題ないから理に適ってはいるが、使い方が滅茶苦茶すぎる。

 

 何よりも厄介なのが、それだけの無茶をしたというのに、ちゃんとゴールしたことだ。そのせいでタイムは現在圧倒的な一位。しかも恐ろしいことに、そんな中だというのに、滝川はパーフェクトで的を破壊したのだ。

 

 その秘密は、今回滝川が用意してきた戦法にある。

 

 まず滝川が的破壊に使った魔法は、弾丸を使った魔法射撃の定番である移動系・加速系ではなく、なんと収束系だ。また、射撃魔法とは言いつつも、実は射撃魔法ではなく、見た目が射撃に見えるだけに過ぎない。

 

 その仕組みは、的と弾丸を対象とし、その相対距離をゼロにするというもの。射撃魔法に見えるが、実は定番の、的に直接行使する魔法なのである。故に、一度照準が定まればどれだけ移動していても効果を発揮する。また効果が発動すれば、どれだけ移動していようとも、相対距離がゼロになるという効果がある以上、弾丸はまるで磁石に吸い寄せられるように的に向かう。そして、相対距離をゼロにするために急接近した弾丸は、ゼロ、つまり接すると同時に、その衝撃で的を破壊するのである。

 

 つまり、滝川が射撃に使う特化型CADに登録されている系統は、収束系なのだ。そうなると、おのずと答えが見えてくる。滝川がなぜ激しく動くボートの上でバランスを崩さなかったのか。それは――去年摩利が使った、足裏とボートの相対距離を固定する、収束系の硬化魔法だ。

 

 確かに理論上は間違ってはいない。なんなら来年以降は流行りそうな戦法でもある。しかしながら、悪知恵が回る達也ですらも、「よくこんなの思いついたな」としか思えなかった。

 

(ゲーム研究部……やはり、おかしなやつらばっかりだ)

 

 確かあの二人の担当エンジニアは、魔法工学科に転科した元二科生の男子で、ゲーム研究部所属だ。なるほど、あの連中なら、これぐらいのことでも考え付きそうな気もする。

 

 文也がいなくなってもなお――突飛なことを考えるやつは、一高にいくらでも存在するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うそ、そんな……」

 

 滝川と西川の圧巻の演技を見た沙耶は、また闘志が萎えて、本質である弱気が再浮上してきてパニックに陥っていた。一巡目、これまでで最高の成績をたたき出した。それだというのに、あれだけの不調だったはずの滝川たちが、とんでもない演技を見せつけてきた。

 

 荒れた運転をする西川と、立ったまま射撃をしてバランスを崩さない滝川。そのド派手でハイレベルな演技は、観客たちを熱狂させていた。

 

 こうなると、そのあとの選手は辛い。二番手も三番手も、会場の空気に飲まれて、一巡目よりも酷い演技を晒している。このままでは、四番手である七高のペアも厳しいだろう。

 

 そして沙耶もまた、この状況では厳しい。弱気で気弱、緊張しやすくて、プレッシャーに弱い。今のこの状況では、沙耶は立っていることすらできず、耳を塞いでうずくまってしまった。

 

「沙耶、大丈夫だ、落ち着こう。ゆっくり呼吸をしよう」

 

 こういう時でも、意外にもメンタルが強い駿はいつも通りだ。沙耶のことを気遣い、深呼吸を促す。それでも、沙耶の過呼吸は酷くなっていくばかり。ついに脚から力が抜け、床に倒れこんでしまう。

 

 会場の空気だけではない。滝川と西川が出した記録もまた、沙耶を追い詰めていた。

 

 一巡目、これ以上ないほどの演技ができたはずだった。

 

 だというのに、あの二人は、それを軽々と超える点数を叩きだしている。

 

 滝川の射撃はパーフェクト。満点だ。そして射手のことを気にせずに遠慮なくトバした西川がたたき出したタイムは、沙耶がこれまで出してきたどのタイムよりも圧倒的に速い。

 

 勝てない。

 

 沙耶の脳内を、恐怖と怯懦が支配する。

 

 的破壊はパーフェクト。ということは、駿はルール上、あれを超える点数は出せない。

 

 つまり? あの圧倒的な記録に勝つには――沙耶があの記録を超えるしかないのである。

 

 しかし、自分にあれだけのことができるわけがない。

 

 呼吸が苦しくなる。気道が狭くなる。どれだけ空気を求めても、全く足りる気がしない。

 

 全身に大汗をかいて、意識が遠のきかけたとき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「沙耶!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――駿の手の温かさが、沙耶に伝わってきた。

 

「む、むぐ」

 

 しかしそれは、あまりにも乱暴だ。駿のごつごつした大きな手は、沙耶の口を塞いでいる。急な衝撃で意識は覚醒したが、呼吸ができなくなって、沙耶は余計に苦しくなった。

 

 駿が、パッ、と手を離すと同時に沙耶は咳き込む。新鮮な空気を求めて、大きく空気を吸った。

 

「……すまん。俺は文也のように、スマートにはできないから」

 

 駿は沙耶の背中をさすりながら、申し訳なさそうに謝る。

 

 沙耶は、訳が分からなかった。なぜ、駿がいきなりこんなことをしたのか。

 

「過呼吸は――大丈夫そうだな、よし」

 

「あっ……」

 

 駿に口をふさがれたことによって、沙耶の呼吸は無理やりリセットされた。それによって、過呼吸が収まったのである。あまりにも乱暴なやり方だが、ここには袋のようなものはない。文也のように『ツボ押し』で抑えることもできないので、駿は乱暴ながらもこうするしか思いつかなかったのだ。

 

「なあ、沙耶」

 

 駿は沙耶の手を掴むと、ゆっくりと語り掛ける。

 

「もうお前が弱気なのはしょうがない。何かお前にだって事情があるはずだ」

 

 駿の目は、沙耶の目を真っすぐに見つめる。

 

「だけど、どうか……俺なんかじゃダメなのはわかってる」

 

 駿は悔し気に歯噛みしながら、絞り出すように紡ぎだす。

 

「でも、今この瞬間だけは……俺のことを信じてくれないか」

 

 駿の言葉が、沙耶の中に染み込んでいく。

 

「俺はお前を信じてる。だから、俺が信じる沙耶を、沙耶にも信じてほしい」

 

 沙耶は理解した。彼女の手を取る駿の手は、じっとりと汗ばんで、震えている。

 

 強気で、堂々としていて、前を向いて努力をしている。駿は、沙耶からはそう見えていた。

 

 しかしながら、駿にもまた、弱気はある。沙耶は知らないことだが、駿もまた、周りから力の差を突き付けられ続けてきた一人だ。

 

 それでも駿は、今、胸を張って、信じろと言ってきた。

 

 駿のことを。沙耶のことを。

 

「…………駿君」

 

 自分がやらなければ。そう思っていた。

 

 しかしながら、今のこの状況は、沙耶だけが背負うものではない。

 

 沙耶が西川より速くゴールする。それは当然、勝利の条件だ。

 

 そして、もう一つ、条件がある。

 

 それは――駿が、今まで一度も出せたことがないパーフェクトを取る事。

 

 これもまた、勝利のための絶対条件だ。

 

 駿もまた、プレッシャーに押しつぶされそうになっている。これから、体験したことない高速移動の世界で、今まですら一度もできなかったパーフェクトを取らなければならないのだから。

 

 怖いのは、駿も一緒。沙耶だけではない。

 

(そうか……これは、ペアだから)

 

 沙耶は勝手に納得して、クスリ、と笑う。

 

 ――この競技は、二人で一つ。一人で背負い込むのではなく、お互いに支え合うものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二巡目の最終演技に挑む。直前にお願いした通り、沙耶は一切駿に遠慮せず、自分の全速力でトバしている。なぜなら、駿を信じているから。

 

 高速移動で目まぐるしく変わる景色、カーブでブレーキをほぼ掛けない急旋回、体を置き去りにする急加速、横にも縦にも前後にも脳が揺さぶられる。本来なら乗っているだけでも精いっぱい。駿は一瞬にして酔う。

 

 それでも駿は、意地でも目を見開き続ける。酔いと高速移動で視界がかすむならば、より集中していればよい。高速移動で的が認識しにくいなら、より集中して認識すればよい。歯を食いしばり、ボートから振り落とされそうになりながら、駿は的を撃ち続ける。

 

 彼は気づいていない。今の自分の集中力が、あの時――2月16日の夜と同じほどに高まっていることに。

 

 次々と繰り出される魔法には、コンマ数秒の猶予もない。それらを無効化するために、あの夜、駿は100を超えるほどサイオンの弾丸を放った。一回でも失敗すれば、親友も自分も死ぬ。その極限の経験を乗り越えた駿の集中力と反応速度は、より高みに達していた。

 

 そんな駿の姿は、堂々と立ち続けた滝川に比べたら、あまりにも無様。他の射手のようにしっかり座っているわけでもない。まるで押しつぶされたかのように身を屈め、自ら視界を狭めている。自滅としか言いようがない姿勢だ。

 

 これは、空気抵抗を少しでも減らすためのもの。駿がパーフェクトを取れば、あとは沙耶がコンマ数秒でも早くゴールすればよい。そのためには、誤差にしかならないはずの空気抵抗すら惜しい。

 

「もう少しだよ、駿君!」

 

 沙耶の励ましに、駿の血がたぎる。彼女も、的がどうなったのか気になるはずだ。一つでも逃せば負けと言う極限だ。それでも、的には目もくれず、ただ早くゴールすることだけを目指している。駿を、信じているから。

 

 そしてついに、最後の直線に差し掛かった。沙耶に付き合って何度も練習を重ねたがゆえに染みついた感覚が、コースには目もくれず射撃にしか集中していない駿にも、それを理解させた。

 

 急加速。あとはゴールまで駆け抜けるだけ。より速く流れる景色の中に現れた的に、駿は空気の弾丸を次々と打ち込む。

 

「いくよ!」

 

「いけ!」

 

 ゴール直前、二人の叫びが重なった。

 

 奇しくもその作戦は、西川と滝川が取ったものと同種だ。

 

 ゴールに着いたあとは落水しても問題ない。故にコントロールを無視して、大波を起こして空中を高速で駆け抜ける。

 

 駿と沙耶、二人の体が跳ね上がる。急激な衝撃に、脳が揺さぶられる。それでも二人とも、意識を手放そうとしなかった。

 

 空中に投げ出されるような形になった二人は、ゴールに向かって回転しながら飛び込んでいく。そんな回転する駿の視界。回転中に後ろを向いた瞬間に――最後の的が、ゴール手前の所に急に出現するのが見えた。

 

「おおおおおおおおお!!!」

 

 自分が今どこにいるのかもわからない空中。照準はこれ以上ないほど定めにくい。ゴールラインを越えてからの射撃は無効。猶予はほぼない。

 

 駿はそれでも、最後の意地で、空気の弾丸を放った。

 

 そしてそれと同時に、自分のすぐそばで投げ出されて回転する沙耶を、抱き寄せる。

 

 ――拳銃型CADを構えながら、か弱い少女を守るように抱き寄せる。

 

 今の駿の姿は――誰もが理想とする、力強いボディーガードのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして大きな水音が、会場に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が暗い。息ができない。

 

 意識が遠のきかける中で、沙耶は全身が冷えていくのを感じる。

 

 そんな時――たくましい腕が、彼女を抱き寄せる。

 

 そして彼女の視界一杯に――真夏の快晴が広がった。

 

「「ぷはっ!」」

 

 ゴールラインを超えた直後に水中へと盛大に飛び込んだ駿と沙耶は、二人同時に水面に顔を出す。そして、練習の時の癖に従って、何も考えずに二人で泳いで陸へと上がった。

 

 ずぶぬれだ。特に沙耶は、長髪が張り付いているし、薄く施した化粧も完全に剥がれた。

 

 そんな無様な二人に――会場中から、盛大な歓声が送られる。二人は照れくさそうにしながらも、それに控え目に手を振って応えた。

 

「やるじゃないの」

 

 そんな二人に、すでにウェットスーツから着替えて身なりを整えた滝川が、柵から目いっぱいに身体を乗り出し、褒めたたえる。二人ともそれにも手を振って応えるが――すぐに、緊張した面持ちになる。

 

 結果発表。

 

 いよいよ、この激闘の決断が下る。

 

 電光掲示板には、タイムと壊した的の数、そして最後に総合スコアが表示される。

 

 ――デケデケデケデケデケデケ

 

 激闘にふさわしくないチープなドラムロールの電子音が鳴り響く。会場中が、それを固唾を飲んで見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンナー PERFECT!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が爆発する。これは全ての的を壊した時に表示される特別な演出だ。駿は、見事にパーフェクトを決めたのだ。

 

 次いで、ゴールタイムが表示される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やったああああああ!!!」

 

「っしゃあああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、総合スコアの発表を待たずして、沙耶と駿の歓声が鳴り響いた。

 

 駿も沙耶も、滝川と西川のタイムは暗記してる。

 

 沙耶と駿が出したタイムは――表示可能桁の一番下の「1」の差で、一高のペアに勝っていた。

 

 直後、総合スコアが発表され、勝敗を理解した観客たちが、歓声と悲鳴を上げる。

 

「やった! やった!」

 

「優勝だ!」

 

 駿と沙耶は多くの観客が見ている前だというのに憚らず、手を取り合って抱き合い、喜びを分かち合う。そんな二人の勝者に、観客から惜しみない拍手と、ちょっとしたヤジが送られた。

 

「おいおいおいラブラブかよ!」

 

「水に落ちたのに冷えないとは何事じゃ!」

 

 その発生源は、文也と沓子。それによってお互いを意識してしまった駿と沙耶は、なんとなく恥ずかしくなり、急に顔が熱くなり、パッと離れる。

 

 沙耶は、ここ一か月、駿と近づくたびにドキドキしっぱなしだった。

 

 しかしながら一方で、駿は、実は何も意識していなかった。あくまでも競技の相棒であり、またどうしても昔の冴えないイメージがあり、異性として意識することもなかったのである。

 

 しかし、よくよく考えてみれば。

 

 その長い黒髪は綺麗だし、中学生の頃は前髪と俯きで隠れていた顔立ちも改めてみると可憐さと美しさがバランスよく同居してる。薄く化粧をしてあか抜けたのもあるが、こうして化粧が落ちてもなお、かなりの美少女である。そして、ただでさえぴっちりとしたウェットスーツはずぶ濡れになって張り付き、沙耶の体のラインをこれでもかと強調している。元々ぽちゃりしていたし地味な服装だったので目立たなかったが、三高の厳しい授業で勝手に痩せたのもあって、程よい肉付きの脚や腕、腰回りの曲線、そしてこれでもかとばかりに主張する胸。駿の心を、これ以上ないほどに跳ねあがらせる。そういえばさっき抱き合った時、やたらと柔らかい感触があったような気がするが、もしかして――。

 

「……着替えるか」

 

「……そ、そうだね」

 

 駿はそこで無理やり思考を打ち切る。着替えるついでに冷水シャワーを思い切り浴びて落ち着こう。そう思って、二人そろって顔を真っ赤にしながら、歓声に見送られつつ会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、あれじゃあ私、勝ち目無いじゃない」

 

「まだ分からないぞ。どうせどっちもヘタレだからな」

 

 

 

 

 

 そんな二人を、滝川と西川も、微笑みながら見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在ポイント

・一高 

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ準優勝 30

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア準優勝 40

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア準優勝 40

『デュエル・オブ・ナイツ』男子優勝~三位 100

『デュエル・オブ・ナイツ』女子準優勝 30

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア優勝 60

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア準優勝 40

勝ち上がり

『ミラージ・バット』ほのか、スバル

合計390

 

・三高

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ソロ優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロ優勝 50

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ペア優勝 60

『アイス・ピラーズ・ブレイク』男女ペア優勝 60

『デュエル・オブ・ナイツ』女子優勝 50

『ロアー・アンド・ガンナー』女子ペア準優勝 40

『ロアー・アンド・ガンナー』男女ペア優勝 60

勝ち上がり なし

合計430

 




この回だけやたらと青春してますね

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