マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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6-12

「は? なにこれ?」

 

「おかしい」

 

「絶対井瀬君の仕業ですね……」

 

 一高は男子女子両方の代表、そしてどちらでもオペレーターを務める達也と五十里は、発表の瞬間はすぐ作戦会議に移れるように同じ場所に固まっていた。そして、女子の三人は、三高の代表にあずさがいることに驚きを隠せないでいた。

 

 まず、選手ではなくエンジニアから選ぶというのがおかしい。確かに68人の中から選ぶのだからルール違反ではないし、実際達也が不意打ちで代表として出るというのは、ルール発表後の初期に半ば冗談で提案されたこともある。しかしながら、本当に実行するとは思いもよらなかった。

 

「中条さん、競技適正は皆無だったと思うんだけど」

 

「俺もそう思います」

 

 あずさ自体、魔法の腕がないわけではない。むしろ、一高で実技は花音を抜いて二位だったほどの実力者だ。ただし、変数を的確に設定できる細やかさ、魔法行使の安定性、不得意のない万能性、そして可能な工程数の多さ、といった要素が評価されてのものであり、干渉力と行使速度は「中々やる」という程度だ。およそ魔法競技向けの長所ではない。

 

 また、身体能力も低い。それはもう滅茶苦茶低い。体育でも体力測定でもビリ常連だ。体格も筋肉も体力も弱い。さらに言うとメンタルもとてつもなく弱い。豆腐のほうがまだマシだ。体力もメンタルもまた、競技向けではないのである。こんな絶対に負けられない大一番で、森林・水上・平原を駆け抜ける体力要素が強くて戦闘要素もかなり強い競技に、あずさが出場するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないはずだ。

 

(いくらなんでもこれはないと思っていたんだが)

 

 確かにあの夜、確かな魔法戦闘能力で、リーナ、それと達也と深雪に勝利をしたメンバーにはあずさもいたし、大活躍もしていた。魔法戦闘能力は達也が認めるほどあるにはある。だからといって、この競技に出るのだけはあり得ない。

 

 間違いない。こんなバカみたいな奇策を用意するドアホは、文也以外あり得ない。深雪の言う通りだ。

 

 達也は混乱しながらも、ひとまず作戦会議に入ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始前、競技フィールドのスタート近くに設置されたオペレーター室、その三高の方には、妙な空気が流れていた。

 

 このオペレーター室は、いわば観戦の特等席であり、同校生徒などの関係者は入室が許されている。しかもかなり広くて、68人まるごと入ることも可能だ。

 

 三高も、68人全員が集まっている。そのうち66人は、いますぐにでもこの場を離れたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 その理由は一つ、あずさと文也だ。

 

 二人は今、部屋の隅で無言でずっと抱き合っている。あずさは文也の胸に顔をうずめ、文也はあずさのふわふわな髪を撫でる。ただそれだけだ。

 

 これで甘い言葉でも囁いていればまだ可愛げがあるのだが、無言なのである。まるでお互いに言葉で伝えあわなくても分かっていると言わんばかりだ。ほぼ全員が無糖コーヒーを嗜んでいるところである。

 

『中条先輩、大丈夫なのかな』

 

『ああしてみると大丈夫じゃなさそうだけど……』

 

 声を出すのは憚られるので、真紅郎と駿はチャットアプリで会話する。

 

 あの二人は今、何をしているのか。

 

 それは、文也が、あずさを競技のプレッシャーから慰めているのである。

 

 あずさのメンタルは弱い。緊張しいだし、プレッシャーを強く感じすぎるし、とにかく耐性がない。競技者に不向きだし、ましてや総合優勝が懸かった一戦など、普通は無理だ。

 

「…………うん、ふみくん、ありがと」

 

「よし、じゃあいってこい!」

 

 そうしたまま、競技時間直前になった。選手呼び出しの放送がかかると同時に、二人は抱擁を外す。そして、朝起きたときの酷い顔が嘘みたいに決意が固まった顔になったあずさは、文也に送り出されて、集合場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 競技開始と同時に、一高の女子三人は、全速力で森を駆け抜けていた。

 

 自動銃座が現れると同時に、その銃口に空気で蓋をする。草に隠されてピンと張られたロープに躓いたかと思いきや、足首に展開された領域魔法がロープを切り裂く。運営スタッフからのちょっとした妨害魔法はすべて無効化する。木の上から泥を多く含んだ水が降ってくるが、それは軽く避ける。どこからともなく捕獲網が飛んでくるが魔法で打ち落とす。

 

 森林の中で繰り出される数々の妨害は、普通の魔法師では100メートルともたないだろう。明らかに、学生の競技のレベルを逸脱していた。しかしながらそれらは三人によって軽く攻略され、しかも魔法による加速も併用して全速力で駆け抜けている。

 

『よしよし、いいよ、三人とも』

 

『ここまでは順調です』

 

「りょーかい」

 

 オペレーターの五十里と達也から、ひとまず順調だという連絡が来る。四方八方からいきなり飛んできたペイントボールを避けながら、花音は代表して返事をした。

 

 一高の作戦は、まずはシンプル。森林コースはスタートダッシュを決めて一気に駆け抜けるというものだ。

 

 これには理由がある。

 

 まず一つ、レースだから速度が重要であるということ。性質上逃げ切り有利とは限らないが、前を走るに越したことがない。

 

 もう一つ、対戦相手にあずさがいること。選出意図は不明だが、これをチャンスとして先行逃げ切りを目指す。あずさの運動神経はとてつもなく悪いため、愛梨と桜花がどれだけ速くても、あずさが足を引っ張る。二人だけ先に駆け抜けたとすれば、それはそれで三対二に持ち込めるから有利だ。

 

 そして最後の一つ。森林での戦いは分が悪いからだ。一高は三人とも中遠距離魔法師であり、木々が密集した中での戦いは得意とは言えない。一方で、愛梨と桜花は近接魔法師だから、森林の戦いは分がある。正面戦闘では力負けするあずさも、仲間から報告を受けつつ木々に身を隠してサポートに徹すれば、その繊細な魔法はこちらを大きく牽制する足枷となる。森林戦闘は避けたいところだ。

 

 これだけ順調に駆け抜けていれば、あずさがいるあの三人は絶対に追いついてこない。ひとまず森林コースはこちらの勝ちだ。

 

 そう森林コースの半分が過ぎたころに――思わず、少し油断してしまった。

 

『まずい、雫、避けろ!』

 

 達也が急に叫ぶ。それと同時に、強大な気配が怪獣のような足音を立てて近づいてくるのを察知した。雫は半ば反射的に、転がるように飛び退く。

 

「フンッ!」

 

 瞬間、先ほどまで雫の頭があった場所を、鬼のごとき巨大な拳が高速で通り抜けた。

 

「このっ――きゃっ!」

 

「雫!」

 

 攻撃はそれで終わらない。突然現れた「羅刹」は、足元に転がる雫を軽く蹴飛ばそうとする。雫は障壁魔法を展開して防御しながら反撃を試みるが――まばゆい光が瞬くと同時に雫の障壁魔法は砕かれ、蹴りを腹に受ける。幸い腕でガードしていたが、それでも、細い雫は軽々と吹き飛ばされた。そんな雫が木に激突する直前に、深雪が魔法で受け止める。

 

 森林ステージは真夏の木々で覆われているため、空撮ドローンでは様子が見えづらい。達也がほんのわずかな隙間から見える姿で接近に気づいたのは、奇跡に等しかった。

 

 現れたのは、ここにいるはずのない『オーガ』――桜花だ。その巨体には、十三束と同じく分厚いサイオンを纏っている。これが『術式解体』の効果を持つため、雫の防御は意味をなさなかったのだ。

 

「この怪物め!」

 

 花音はすかさず『地雷原』のバリエーションで足元に液状化を起こして動きを制限しようとする。しかし桜花はそんなのは苦にもせず、むしろその泥を蹴り上げて花音の目つぶしを図った。

 

「そこで一生立ってなさい!」

 

 花音はそれを避けながら魔法を解除する。途端に世界の修正力が働いて液状化は収まり、桜花の両足は固い地面に埋まった。

 

 近接魔法師はこうして足止めするのが一番。花音が用意してきた対策の一つだった。

 

「中々気持ちいい足湯だな」

 

 しかし、桜花は止まらない。大きく鋭い歯をむき出しにして嗤いながら、まるで本当に足湯から出るように、ズボン! と大きな音を立てて軽々と固い地面に埋まった脚を引き抜く。花音が一瞬思考停止してしまう中、その拳はうなりを上げて彼女のみぞおちへと向かっていく。

 

『花音!』

 

 恋人の叫び声で正気に戻った花音は、防御魔法ではなく、自己加速術式でそれを回避する。空を切った拳は木に当たるが、桜花は痛がった様子もなく、むしろ大きな木のはずなのにそちらが悲鳴を上げるように大きく揺れる。

 

「二人とも! 援護して!」

 

 一人では無理。そう判断した花音は、なぜか手出しをしてこない後輩二人を叱咤する。

 

「すみません! こちらも手いっぱいです!」

 

 しかしながら深雪から返ってきた言葉は、期待外れのものだった。

 

「ここで会ったが百年目!」

 

 深雪に高速で襲い掛かる影は、コース内で拾ったであろう手ごろな長さ・太さの木の棒を持った愛梨だ。いつの間にか接近していた愛梨は、それをレイピアのように何度も深雪に突き出し、稲妻のごとき速度で木々が固まった場所へと追い詰めていた。

 

「くっ、負けない」

 

 雫は立ち上がって応戦しようとするが、ダメージが大きいのか、すでに足がふらふらして覚束ない。木に手をついてなんとか立ち上がろうとするが、また膝から崩れ落ちてしまう。

 

「なんなのよこの化け物たち!」

 

 花音には、桜花と愛梨が、鬼と天狗に見えた。森林の中に現れる、巨大な鬼と疾風のごとき天狗。

 

 

 

 だとすれば――三人目は、森林に潜む妖精といったところだろう。

 

 

 

 

 

「うぷっ」

 

 桜花の攻撃を必死にかわしていた花音は、急に脳みそが揺れるような頭痛と振り回された直後のような眩暈に襲われて強い吐き気を覚える。そのせいで桜花のパンチを正面から受けて吹き飛ばされてしまった。

 

 なんなんだ、これは。

 

 突然襲われた吐き気に花音は混乱する。見れば、雫も口元を押さえていた。ダメージだけではない。雫が立てないのは、この謎の吐き気が原因だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『中条先輩が隠れている! 体勢を立て直すためにいったんスタート方向に逃げろ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の叫びに、花音は一人で、深雪は愛梨から逃げるついでに雫を魔法で軽量化したうえで回収して担いで、ゴールとは真反対の方向に撤退した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『すげー。今のうちに駆け抜けるぞ』

 

『いや……すごいですね。あの三人を相手に圧倒ですよ』

 

 深雪たち三人に逃げられた後、オペレーターである文也と真紅郎は口々に三人を褒めたたえる。

 

 桜花と愛梨は「了解」と返すとゴール方向に向いて走り出し、そして木の上に隠れていたあずさがそれに合流する。その移動速度は、達也たちの想定を超えていた。なぜなら、あずさは自分で移動しているのではなく、桜花に抱えられているからだ。

 

 こちらの三人を見てから、一高が森林で先行逃げ切りをするのは目に見えていた。だからこそ、こちらはそこの虚を突くべく、さらに高速で動いて先回りして奇襲することにした。

 

『エクレール・アイリ』は『稲妻(エクレール)』と自己加速術式で反応速度と身体速度を爆発的に上げることで、深雪たち以上に障害物が多い森林を駆け抜けることが可能だ。そして桜花は、その巨体だというのに身軽で、さらにその圧倒的なパワーと肉体は妨害を受けても苦としない。それは、恐ろしいことに、いくらチビで軽いあずさを抱えていたとしても変わらない。結果、あの三人よりもはるかに速く森林の中を移動して先回りに成功し、奇襲にも成功した。

 

 では、なぜあの三人の位置が、この広大な森林で分かったのか?

 

 それは空撮ドローンを見ているオペレーターだけではなく、あずさのおかげだった。

 

 スタート直後からあずさが行使していた魔法、それは『サイオン探知』だ。あの三人のうち、花音はサイオンコントロールが大雑把なタイプで、行使速度が上がれば上がる程に余剰サイオンを多く出す。そのサイオンを探知して位置情報を常に察知し続けていた。本当は深雪もコントロール力が低いのでそちらも当てにしていたのだが、なぜだか急激に成長していてそれは叶わなかった。しかし、普通に考えたら三人固まっているため、花音一人の探知で十分。仮に分散していたとしても、それはそれで多対一で確実に失格に出来るから問題ない。

 

 しかしだからといって、これだけのフィールドで探知するというのはまず無理だ。では、なぜできたのか。

 

 それはあずさの魔法力と、文也の作戦の合わせ技によるものだった。

 

 まず、あずさは変数入力がかなり細かくコントロールできるため、本当の意味での「最低限」まで調整が可能だ。探知範囲に設定する領域は、最低限の広さにすることができるのである。

 

 そして文也の作戦。お互いのスタート位置は、木々の中からのスタートのためチーム同士で見えないようになっている。しかしながらその位置自体は事前に公開されていた。あとは、空撮ドローンで森の木々の様子を観察し、スタート位置と目指すべき地点から、おおよその移動ルートを割り出せる。それを基にあずさは、見えていないというのに文也の指示通りにぴったり座標を最低限に設定して見せた。感知に引っかかればその位置を基に次の通り道が予測できるし、引っかからなかったら「そこにいない」という情報から次の位置も予測可能なのである。

 

 そうして探知で位置を追い続けながら、高速で移動した三人は待ち伏せに成功したのだ。

 

 また、奇襲時の作戦も、文也が考えた。

 

 まず、大きくてバレやすいが一撃が強い桜花が先行して、三人を分断する。分断したところに、高速で愛梨が襲い掛かって連携が取れないようにする。そして、あらかじめ桜花に高い高いされて木の上に隠れていたあずさが、カメラで見て文也が出した指示通りに、吐き気を催す精神干渉系魔法『ヴォミット』を使ったのだ。異常に精神干渉系魔法への耐性があるらしい深雪には効かなかったが、雫と花音を弱らせるだけで十分だ。本当はダウンまで持ち込みたかったのだが、ゴールとは反対方向への撤退に追い込んだだけで十分。この先行の有利は、じっくり生かさせてもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也が、あえてゴールから離れるスタート方向に逃げるよう指示したのは理由がある。それは、あのまま戦い続けられたら、間違いなく負けていたからだ。

 

 もし、速度を優先して横やゴール方向に逃げたら。先回りされていたということは、向こうはこちら以上の速度が出せるということなので、確実に追いかけられて、ずっと不利なまま戦闘をさせられただろう。一方スタート方向に逃げれば、向こうも追いかけにくい。苦渋の選択だが、これしかなかった。

 

「雫、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫、もう平気」

 

「はーやんなっちゃうわね。あの鬼は反則よ」

 

 三人の女子は、もうすでに疲弊していた。絶対先行していると思ったら先回りされていて、奇襲によって撤退させられた。生半可な人間なら心が折れるだろう。

 

 高速移動の秘密として、桜花があずさを抱えて走ったという達也の予想を聞いた花音は、特に参っていた。いくらなんでも規格外が過ぎる。別世界の住人のように思えてならなかった。

 

 逆走して逃げて、そこで休憩。圧倒的なタイムロスだ。

 

 雫が魔法の影響がなくなってようやく回復したので、三人は必死で追いかけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水上コース。巨大な人工湖の森林側に、各校向けのエンジンも櫂もついていない木製ボートが三つずつ置かれている。ギリギリ三人乗れるぐらいの大きさなので、固まって乗っても良し、一人一つずつ乗っても良しという形だ。

 

 水上コースは、まずこの巨大な湖を大きく反時計回りに五周し、元の場所に戻ったところで最後は向こう岸まで直線だ。「五周」のコース上には水面から突き出た木の棒がいくつかあり、これを避けることが必要となる。また岸からは、森林コース程に激しくはないが、スタッフが妨害を仕掛けてくる。これを跳ねのけることも必要だ。

 

 ちなみに、五周するコースは、岸から7メートルほど離れたところに一定間隔で旗が立てられていて、その外側を回らなければならない。内側を回ってしまったら、一度戻ってから走りなおさなければならない。もしそのまま一周してしまった場合、その一周はカウントされない。

 

 深雪たちが森林を駆け抜けたころ、三高はとっくに水上コースを走っていて、そばに置いてある電光掲示板には、もうすでに四周していることが示されていた。あずさたちは一つのボートに乗っていて、あずさが漕ぎ手、愛梨と桜花が妨害への防御を担当している。

 

「急ぐわよ!」

 

 こちらも三人で一つのボートに乗る。漕ぎ手は雫、防御が花音、そして妨害が深雪である。

 

「きゃっ!」

 

 途端に、高速移動していた三高のボートが何かに激突し、あずさが前につんのめって飛ばされそうになる。桜花がそれをキャッチして大怪我は免れたが、あまりにも痛い足止めだ。

 

「おっさきー!」

 

 それを後ろから花音たちが抜かしていき、そのついでに雫が射撃魔法でさらに妨害する。周回遅れのためお先というわけではないのだが、花音のストレス発散の為の言葉だった。

 

「くそッッッ!」

 

 三高のボートが激突したのは障害物ではない。突然水面に張られた、分厚い氷だった。

 

『いいぞ深雪、よくやった』

 

 達也の言葉がインカム越しに深雪の耳に直接届く。深雪はそれに、嬉しそうに小さくうなずいた。

 

 この水上コースは、一高女子が最も得意とする場所だ。それは自分たちの力が出せるからではなく、相手を効率的に妨害できるからだ。

 

 深雪は全てにおいて高いレベルを発揮するが、特に「停止」に関わる魔法が得意だ。その最たる例が冷却に関わる振動魔法である。これを相手ボートの前に展開して、自分たちが通る時だけ解除すれば、一方的なレースが可能なのだ。

 

 あずさたちは何とかボートを戻して復帰するが、すぐに目の前を凍らされて全く進めない。認められている移動手段はボートか水泳だけであり、氷の上を走ることはできない。また、深雪が凍らせているのは実に三高の目の前だけだから、進路全て塞いでいるわけではないため反則にもならない。深雪もまた、いつの間にか途方もないコントロール力が身についていた。

 

 それはなぜか。簡単な話だ。達也と深雪は今、お互いにかかっている「枷」が、一部分だけとはいえ外れている。この競技に備えて、今朝外しておいたのだ。ただの親善競技会だというのにやりすぎな気もするが、これぐらいだったら四葉も認めてくれるだろう。

 

 結局、この妨害はとんでもない効果を生み出し、あれだけ大差がついていたというのに、五周を終えて最後の直線に入るころには、二校はほぼ並んでいた。

 

 こうなってしまうと、あずさは弱い。魔法の出力の差は絶大で、直線ではみるみる離されていく。さらに深雪と雫が仕掛ける妨害が酷いものだ。深雪の凍結魔法は愛梨が『領域干渉』で、雫の射撃魔法は桜花がその身を盾にして受け止めてなんとかしのいでるが、防戦一方になってしまった。

 

「へへーん楽勝ね! ざまあみさらせ!」

 

 花音は一切の妨害がないため、気持ちよく突っ走れる。

 

 そんな気分よく突っ走っている中――

 

「「きゃあ!?」」

 

 ――急にボートがコントロールを失い、激しく転覆してしまった。

 

 可愛らしい悲鳴を上げて水に落ちた雫と深雪は、魔法でボートを起こしてなんとか這い上がりながら、ボートをコントロールしていたはずの花音を見る。

 

「ごめん! 急になんかめまいがして! またあずさが何かやったのね!?」

 

 後ろから横を猛スピードで駆け抜けていく三高ボートを睨みながら、花音はボートに上がろうとする。しかし急に手から力が抜け、またひっくり返って転落してしまった。手が引っかかったまま後ろにのけぞって倒れたため、それに引っ張られてボートがまたひっくり返り、深雪と雫は魔法で乾かしたというのにまた転落してずぶ濡れになってしまった。

 

『それは中条さんじゃない! 一色さんだ!』

 

「そうか、『神経電流攪乱』」

 

 五十里からの報告で、雫が真実にたどり着く。

 

『神経電流攪乱』。通称『神経攪乱』は、相手の神経パルスを乱して五感を狂わせたり随意筋を麻痺させたりする魔法だ。神経を研究している一色家のお家芸であり、相手を傷つけずに無力化するにはもってこいの魔法だ。一回目は方向感覚を狂わせ、二回目は手指の筋肉を固めたまま腕と背中の筋肉の力を抜けさせたのである。

 

『なんてエゲつない』

 

 達也の呟きはもっともだ。こんなの、競技会で使うような魔法ではない。しかしながら、傷を直接つけるわけではないため、基本殺傷性ランクはC未満となっている。使う場面によっては、例えば車の運転中などの敵に使えばそのまま交通事故が起きるという場面などでは事後的にCやB判定をされることもあるが、今回はただの転覆だし、転覆後は溺れないように魔法を解除しているから、せいぜいC扱いだろう。

 

 愛梨の一発逆転の手によって、三高はまたリードを取り戻した。突然の転覆が二回も続いたせいで深雪の妨害も間に合わず、三高は先に平原コースにたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平原コースは、横幅20メートルに制限された直線の平原を走り抜けるコースだ。ただし、草の中にはトラップが仕込まれているし、途中には積まれた土嚢などの障害物を乗り越えるところもある。またコース外からは、これまた運営による妨害が飛んでくる。見た目上は一番長いが、森林コースと違って木々による回り込みもなければ、水上コースのように何周と言う指定もないため、実は一番短いコースだ。

 

 あずさはここでも運動神経の悪さが足を引っ張るため、桜花に小脇に抱えられながら、後ろからの深雪たちからの妨害を防御するためにひたすら対抗魔法を行使する。桜花の走り方は豪快なため揺れが酷く、だいぶ酔いそうだが、それは競技前にあらかじめ飲んでいた酔い止めで克服済みだ。準備の良い話である。

 

 あずさはチビで軽いと言えど、さすがに桜花ですらも抱えれば多少動きに制限が出る。しかしながら、あずさは抱えられているということは、自分で走ることはないため、それ以外に集中できる。あずさは多種の魔法を知っていて、相手の攻撃に的確に対抗魔法を合わせている。そのおかげで、逆に愛梨と桜花が走りに集中できており、妨害がしやすい後方にいるはずの一高とは、ぐんぐん差が広まっていた。

 

 もうここまでくるとオペレーターの仕事は少ない。応援しながら、真紅郎は昨日の夜のことを思い出す。

 

『俺はこの競技の最後の一人に、あーちゃん……中条あずさを推薦する』

 

 文也がそう宣言した瞬間、親友である駿たちですら、なんならあずさですら、それを否定した。文也のことを嫌っている生徒からは、「幼馴染のごり押し」と真正面から批判された。しかしながら、水上ステージで深雪にしてやられるのは分かっているから森林ステージで大幅に差をつけたい、そのためにはあずさの探知と妨害が必須で、運動神経皆無のデメリットは桜花が抱えることで解消するしそれはそれでお互いに分担した役割に集中できるというメリットが生まれる――という文也の説明に、いつの間にか全員が納得してしまっていた。なんならあずさも「ほえー」という反応だった。君の話をしているんだよ、という綾野の小さなツッコミが真紅郎の印象に残っている。

 

 そういうわけで納得が得られたし、栞と沓子からも「自分より活躍できる」というお墨付きも貰った。あとは本人の意志なわけで、ここが一番の問題だった。

 

 あずさは遠慮がちで気弱で弱気で控え目で自卑的だ。時折謎の暴走も見せるが、こういう場面では絶対に泣いて断るだろう。

 

『……わかったよ、ふみくん。私、頑張るね』

 

 だというのに、あずさは少し不安そうではあったが、なんとそれに頷いたのだ。その時に文也に浮かべた、優しい姉のような笑みは、一部の男子生徒の心を撃ち抜いたりもした。恐らくその思いは叶わないだろうが。

 

 心配になった真紅郎は、こっそりとあずさに真意を訪ねた。

 

『……た、確かに、怖いです。特に司波さんとか……』

 

 最初に返ってきた言葉は、いつもの彼女だった。身を縮こまらせて、泣きそうにもなっていたように見える。

 

『……でも、ふみくんが、私を推薦してくれたんですっ。私は私が不安だけど……私を信じてくれたふみくんを、私は信じますっ』

 

 しかしそれでも、両手で握りこぶしを掲げて、ふん、と奮起するような可愛らしいポーズを取りながら、そう返してきた。コーヒーの消費量はかさんだが、改めて二人の間にある信頼関係を垣間見たところだった。

 

 そんな、競技に関係ないことを考えていた真紅郎の油断。

 

 それを嘲笑うように、戦況は苦しくなっていた。

 

「三人とも頑張れ! 差が縮まってきてるぞ!」

 

 いつの間にか、後ろの一高との差は、半分ほどになっていた。

 

『ご、ごめんなさい!』

 

 その理由はあずさの防御が間に合わなくなってきたからだ。一高は三人ともゴリゴリの攻撃魔法師。最初の内はしのげたが、向こうも何度も攻撃しているうちにエンジンがかかってきて、だんだんとあずさでしのげない攻撃が増えた。結果、愛梨や桜花は回避もするようになり、追いかけるだけの一高は直線で走るだけだからその差は詰まる。当然のことだった。特に、こうした何もない場所で走りながら妨害して追いかけるとなると、雫の命中精度が光る。花音と深雪の威力が高いが大雑把な魔法は高速で移動する愛梨たちから見当違いの場所になることはあるが、雫はそれが絶対にないため、あずさの一番の負担になっていた。

 

『ぐッッッ! 仕方ない! 中条、お前は自分で走れッッッ! 私があいつらを足止めしようッッッ!』

 

「アニキ、それは無茶です! このまま逃げ切るのが一番です!」

 

『このままだとゴールまでに抜かれるッッッ!』

 

 真紅郎を無視して、桜花はあずさを下ろして走らせる。必然速度は遅くなり、また防御も薄くなるので後ろとの差はさらに縮まる。

 

『私に妙案があるッッッ! 信じろッッッ!!!』

 

「「『アニキッッッ!!!』」」

 

 その桜花の言葉に、文也と真紅郎と愛梨が涙を流す。

 

 そうだ、我らが「アニキ」を、我らが信じないわけがない。

 

 愛梨とあずさを先に行かせて、桜花は足を止めて後ろに向く。その仁王立ちともいえる鬼のたたずまいは、深雪たちに本能的な恐怖をもたらした。

 

『恐れる必要はない! 横に避ければ勝ちだ!』

 

 道に立ちふさがるゲームのボスのような威容は絶対に戦って勝たなければ通れないような錯覚に陥れるが、そんなことはない。肉弾戦しかない桜花の横を抜ける程度、この平原だったら、三人にとってはたやすいことだった。

 

 桜花が思い切り息を吸い込む。勢いよく吸い込んだせいでのけぞり、逆お辞儀のような姿勢だ。恐ろしい強靭さと体幹で、その角度は実に90度。

 

 何かしてくる。

 

 そう三人が思った直後――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――世界が、揺れた。

 

 桜花は一転前かがみになり、威嚇する虎のように顔をゆがめてその口を大きく開けて、竜が火を噴きだすような姿になっている。桜花の大声は、魔法によって大幅に増幅され爆音波となり、深雪たちに襲い掛かった。その音波は深雪たちだけでなく、コースの周辺にいたスタッフやオペレーターの脳すらも揺るがすほどだ。

 

「ゲエェェェ! なんだアニキ! 遠距離魔法は無理なはずなのに、急にとんでもない威力の音響魔法を使い始めたぞ!」

 

 文也は耳を塞ぎながら妙に詳しく状況を説明するような悲鳴を上げる。その横では、『デュエル・オブ・ナイツ』代表の、物知りで有名な濃い顔立ちの男子生徒・雷電が腕を組んでいた。

 

「ムウ、あれが世に聞く『鬼轟咆』……」

 

「知っているのか雷電」

 

 訳知り顔の雷電に、文也が問いかける。すると雷電は、その解説を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼轟咆(きごうほう)』

 自分で出した大声を魔法で増幅させ、爆音波として相手にぶつける魔法。元は古式魔法で、主に中世日本の戦場で活躍した戦争屋の一族が使っていた。名前は、鬼が咆えるがごとき魔法の様子からつけられたものである。この名もなき戦争屋の一族は、普段は山で暮らしていた。その生活スタイルと見た目の恐ろしさから、『鬼』として人々から恐れられていたのである。時折鬼が山の中で咆えたという説話が伝わっているが、それはこの一族が当該魔法を練習していたのを人々が勘違いしたからだと言われている。対集団戦闘において有効な魔法で、これに驚いた馬が逃げ出したが、爆音が千里先まで届いたせいでいつまでも馬が逃げるのをやめられずついには死んでしまったという逸話がある。

 

民明書房・『古式魔法大全・日本編』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当は隠すつもりだったのだがな』

 

 文也たちに配慮して切っていたマイクのスイッチを再び入れた桜花が、またゴールに向けて走り出しながらそう呟く。この魔法が使えるとなれば、あとは彼女のルーツにたどり着くのはたやすい。一部しか知らない歴史の闇が暴かれるのを、彼女は嫌っていた。それは彼女が差別されるからではなく、周りに気を遣わせてしまうからである。漢気溢れる選択だった。しかし、ここは全員の勝利のために、見せることを彼女は選んだのだ。まさしく漢、事情を知る雷電と遠藤は滝のように涙を流す。

 

 桜花の生まれつきの病気は、サイオンが離れないというもの。自分からサイオンが離れないせいで、魔法式を離れたエイドスに投射することができない。そのせいで彼女は、二科生に甘んじていた。

 

 しかしながら、それには例外がある。それは、自分から出た音……すなわち声にだけは、サイオンがしっかり乗るのだ。声が、世界に放たれて、ただの音として世界が認識するまで。声が声である限り、彼女はそこにサイオンを乗せられるのである。それを利用したのが、この先祖代々伝わる『鬼轟咆』。桜花がもつ中で、投擲などを用いない唯一の魔法での遠距離攻撃手段だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人とも大丈夫ですか!?」

 

 桜花が放った『鬼轟咆』は、見事に一高の三人の足を止めていた。三人とも方向性は違うが振動系魔法の名手であり、三人がとっさに協力することで直撃は免れたが、あの轟音を魔法でカットするまでの間に負ったダメージは深刻だ。

 

 深雪はとっさに自分だけは守れたから足を止めただけで済んだ。しかし雫と花音はそうはいかず、耳を押さえて蹲っている。深雪の声が聞こえていない。鼓膜が破れたのだ。

 

「――くそったれめ!!!」

 

 花音はいち早くダメージから復帰し、立ち上がって走りながら、感情に任せてレギュレーション違反スレスレの威力で『地雷原』を放つ。照準を合わせるのも面倒くさいので、絶対に当たるように範囲を無駄に広く設定した。そのおかげで無事足止めに成功し、威力が分散したせいでレギュレーションにも収まっている。

 

 深雪も、雫の回復を確認してから走り出す。

 

 今の彼女は、怒りに満ち溢れていた。

 

 親友の鼓膜が破れた。あの様子だと、もっと深いところにダメージがあるかもしれない。音波に伴う衝撃波と言うのは、時に内臓すらも傷つけるのだ。表に傷が出ていないためレギュレーション以内だと判断されたみたいだが、深雪もそれが不満だ。

 

 その怒りと不満を、深雪はぶちまける。

 

「お止まりなさい!!!」

 

 深雪が行使したのは『減速領域』。領域内のものを減速させる魔法だ。人間を巻き込む場合、血流なども遅くなってしまい深刻な障害や死にいたる。そのため、人間を巻き込んでしまった場合は殺傷性ランクAに分類される。それは、領域に後から入ってしまった場合も同様だ。

 

 その展開した領域の場所は、なんと愛梨たちが走る、その目の前。五十里がすぐに解除するよう叫ぶが、それは深雪の耳に入らない。

 

 なぜなら――

 

 

 

 

 

 

「みにゃっ!」

 

「ぷえっ!」

 

 

 

 

 

 

 ――その領域には、もう何も入れないからである。

 

 見えない壁にぶつかったように、愛梨は鼻面を抑えて後ろに倒れる。あずさが目を丸くしてそれを見ていたせいで、少し遅れていたというのにブレーキが間に合わず、愛梨と同じように間抜けな悲鳴を上げて倒れた。

 

『減速領域』。その減速は、深雪が本気で行使した場合、あまりの出力に『停止領域』と化す。中の分子は例外なくすべて停止し、一つの塊になる。そこには外部からの侵入も不可能だ。

 

「アニキッッッ! 『術式解体』ですッッッ!」

 

『任せろッッッ!』

 

 すぐにその魔法に気づいた文也の指示を聞いて、やっと追いついた桜花がそれを固めたサイオンを纏った拳で殴って破壊する。しかしそれによって強制的な停止が解除され、反動で大きな分子の移動、すなわち爆風が起きる。愛梨とあずさは軽く吹き飛ばされそうになるが、とっさに桜花がその二人の首根っこを掴んで踏ん張って事なきを得る。

 

 そのまま二人が起きる前に桜花は引きずって走り出そうとするが、また次の『停止領域』が展開された、桜花はまたそれを砕くが、やはり爆風がまた起きて、後退こそしないものの、一歩進むのに数十秒かかるという大きな足止めを食らってしまった。

 

 その間に、雫を二人で支えながら歩く深雪と花音が、ゆっくりながらも着実に追いかけてくる。今や桜花に頼るしかない愛梨は『神経電流攪乱』などで少しでも妨害しようとするが、そのことごとくが花音に防御されてしまう。優れた魔法師相手だと、この魔法は意味が成しにくい。『爆裂』以上に干渉力の差が必要な魔法なのである。

 

 文也はこの状況を見て決断する。あずさに、こんなことはやらせたくなかった。自分も、そしてあずさも、きっと苦しんでしまうから。

 

「あーちゃん、仕方ない。アレをやろう」

 

『ふみくん……うん、そうだね』

 

 返ってきたあずさの返事は、涙声だった。

 

 ほんの少しでも連想してしまう状況になると、今にも暴れだしたくなってしまう。文也もあずさも、自分で自分に魔法をかけながら、その作戦を断行することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、何の変哲もない魔法。

 

 定番中の定番、幻影魔法と幻聴魔法だ。

 

 生み出された幻影は、なんの変哲もない鉄骨。それは一直線に、深雪の胸目掛けて飛来し、貫通して通り過ぎていった。

 

 生み出された幻聴は、何か液体が混ざった柔らかいモノが弾ける、生理的に不快な音。

 

 花音は、訳がわからなかった。もはや妨害にもなりはしない。意味が不明だ。ついに負けそうで狂ったか。

 

 花音はそう思いながら前方を見た――三高の選手たちが、一直線にゴールに向かって走っていく。

 

 なぜ?

 

 深雪が『停止領域』を展開しているはずでは?

 

 花音は不思議に思って、深雪を見る。

 

 そこには――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――頭を抱えて蹲り、激しく首を振っている深雪がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 首が切断されて、景色が傾いた瞬間に真っ暗になる。

 

 骨が振動で粉砕され、立っていられずに崩れ落ちる。

 

 コンクリート片によって肉が削られる。

 

 目玉と脳を弾丸が貫通する。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 脳に直接電流が流され、はじけ飛ぶ。

 

 心臓を鉄筋が貫く。

 

 内側から、全身が破裂する。

 

 死。

 

 死。

 

 死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あう、あ、い、いや、やめて、あ、ひ……」

 

 その喉からは、叫び声すら出ない。唇も喉も痙攣し、意味のない震えた音だけが口から漏れる。叫ぶという原始的な逃避すら、体は深雪に許さなかった。

 

 鉄骨が心臓を貫く。

 

 その幻影。

 

 肉が内側から弾ける。

 

 その幻聴。

 

 深雪は知っている。何度も経験した。何度も思い出した。脳みそにこびりついた、いくつもの死の記憶。

 

 目を開くと、目の前にあの時の光景がフラッシュバックする。

 

 それから逃げようと目を閉じると、瞼の裏であの時の光景が再現される。

 

 あの時の音が聞こえてくる。拒絶しようと耳を塞いでも、それはちっとも収まらない。なぜなら、彼女の記憶からそれが蘇っているだけだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、どうしたってのよ!?」

 

「深雪!? ねえ深雪!」

 

 花音と回復した雫が、競技を放置して、急におかしくなった深雪を揺する。その様子は明らかに尋常ではない。

 

 選択を迫られる。競技中断して棄権するのが、まず一番だ。

 

 しかし、それでよいのだろうか。

 

 そうすると、負けるということだ。いや、負けることは問題ではない。安全と健康に勝るものはない。

 

 しかし、今ここで負けたとしたら――誰よりも気に病むのは、深雪自身ではないか。

 

 せめて、本人の口から、棄権を伝えさせるべきではないか。

 

 ――花音は決断した。

 

 深雪を背負う。おんぶと言う屈辱的な格好だというのに、深雪は拒絶すら示さない。

 

 雫が何かを言っている。鼓膜が破れて聞こえない。

 

 しかし、ながら、極限の集中状態が、一時的に読唇術を花音に習得させた。

 

「先輩は大丈夫なんですか」

 

 雫が心配しているのは、背負う役割を担った花音。桜花と違って、花音は普通の範疇を出ない女の子だ。いくら軽い深雪と言えど、重装備の人間を背負って走るのは無茶ではないか。

 

 それに対して、花音は叫ぶ。

 

 相手は鼓膜が破れていて、聞こえないだろう。自分も鼓膜が破れていて、実際どう発音されたか確認ができない。

 

 それでもきっと、自分は、正しく発声できたのだろう。

 

 なにせ……自分の心からの意志なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可愛い後輩が困ってるのを背負えなくて、何が先輩よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 達也は感情をあらわにして、怒りに任せて机を拳で殴る。力が強い達也がやったそれは、オペレーター室を揺るがすほどの爆音を出した。

 

 そんな姿に周りが目を丸くする。深雪に何が起きたのかもわからないし、達也がこうなるのも意外でならない。そんな周りを無視して、達也は、文也とあずさ、そして自分への怒りに任せて、今度は壁を殴った。

 

(やりやがった!)

 

 あずさが出てくる時点で、嫌な予感がしていた。そしてその理由を探って、この作戦には思い当っていた。しかし深雪に警戒するよう話せば、それこそ連想して発狂してしまう。達也は何もできなかった。

 

 あずさはお粗末な幻影と幻聴で、あの夜に起きた深雪の死の一部を再現した。これで深雪が発狂するには十分だ。競技会だというのにここまでやるのは、達也としては頭が狂っているとしか言いようがない。

 

 こんなクズみたいな作戦を思いつくのは、間違いなく文也だ。それ以外あり得ない。自分たちだって思い出したら苦しいくせに、やりやがった。

 

『……に……ま……お……い……さま……おに、い、さま……』

 

「深雪!?」

 

 インカム越しに、深雪が達也を呼ぶのが聞こえる。

 

 そうだ、怒り狂っている場合ではない。早く妹を、この苦しみから解放しなければ。

 

「……五十里先輩、お願いがあります。今から俺を、防音障壁で囲ってください」

 

「う、うん、わかった」

 

 達也の不審なお願いに、五十里は壊れた人形のようなカクカクと頷き、素直にそれに従ってしまった。さぞ今の自分は、あの『オーガ』にも負けない顔をしているのだろう。そんなことも気にせず、達也はインカムのチャンネルを深雪のみに切り替えて語り掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『深雪、よく聞いてくれ』

 

 兄の声が聞こえる。繰り返される地獄の闇に、一つの光が生まれる。

 

『深雪、俺はお前に、今は何もできない』

 

 その光は、彼女を突き放した。しかし、その光はより大きくなってくる。

 

『だから、俺は、お前を信じることしかできない』

 

 光はさらに大きくなる。深みのあるテノールボイスが聞こえるたびに、深雪の視界が、あの地獄から、障害物だらけの平原に戻ってくる。

 

『深雪――信じているよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪は目を見開く。高速で揺れながら景色が動く。なぜか? 花音に背負われていると気づく。女の子の細身だというのに、その背中は、妙に頼りがいがあるように感じた。

 

「目覚めたわね!? 走れる!?」

 

「もう大丈夫です!」

 

「上等! お姉さんが褒めてあげるわ!」

 

 鼓膜が破れているから、深雪の声は聞こえないはず。それだというのに、正確に意思が伝わった。仲間として、そこには絆が出来上がっている。

 

 深雪を下ろすと同時に、花音は後輩の二人を無視して、その健脚で走り出す。陸上部の彼女は、走るのは誰よりも得意だった。

 

 深雪は気づいた。もうゴールはすぐそこ。かなり前を行く三高チームは、もう残り30メートルほどだ。

 

「お返しです!」

 

 深雪はまた『停止領域』を発動するが、分かっていたことらしく、桜花がそれを砕き、あずさと愛梨は障壁魔法で爆風をそらしながら前に進む。深雪は自分に甚大な負担がかかっているのを承知で、その大魔法を連発した。

 

「蘇ったかッッッ! その意志、認めようッッッ! お前らは強いッッッ!」

 

 桜花が振り返りながら叫び、そしてのけぞって空気を吸う。またあの攻撃だ。

 

 放たれるとほぼ同時、振動系に優れる三人は、その音波を協力して完全にシャットアウトしながら歩みを進める。桜花が攻撃に回ったせいで、愛梨もあずさも『停止領域』によって前に進めていない。深雪の莫大な干渉力は、回り込むことすらさせないほど横に広く領域を展開していた。

 

 桜花は失敗したと悔し気に顔をゆがめながら、あずさを抱えながらまた魔法を壊す。深雪はまた展開しようとするが、いつの間にかあずさから飛んできたサイオン粒子塊がそれを許さない。その一瞬のラグは、高速移動する二人が大きく前に進むのを許す。

 

 しかし、この差は大きい。深雪は領域展開のせいで、また先ほどのショックの余波で脚が上手く動かず遅れているが、ついに花音が三人に追いついた。

 

「さあかけっこよ! 平等ではないけどね! 稲妻娘!」

 

「上等よ! 地雷女!」

 

 そして抜き去っていく花音を、あずさと桜花を置いて愛梨が追いかける。二人のスピードは互角か、やや愛梨が勝る。自己加速術式の出力と素の運動神経は花音の方が強いが、『エクレール』の反応速度がそれを追い越していた。

 

「私だって!」

 

 雫が珍しく感情をあらわにして叫ぶ。使う魔法は、お返しとばかりに鼓膜を的確に狙った音波魔法。桜花はそれらを、腕を振り回して破壊する。そのせいで多少の足止めになった。雫がついに追いつく。桜花はすかさず追いかけようとするが、『停止領域』が邪魔をする。そして桜花がそれを破壊している間に差をつけようとした雫に、あずさが『地雷原』のバリエーションで液状化を起こして滑って転ばせ、そこに魔法を解除して固定しようとする。しかし雫は、液状化が収まる寸前に無理やり加速魔法で脱出した。服は醜く泥だらけになって走りにくいが、そんなのは気にしていられない。

 

 愛梨がついにゴール手前で花音を抜かす。しかし、ゴールはほぼ同時。愛梨が最後に、持っていた木の棒を後ろに向かって投げつけたからだ。それは一直線に深雪の胸に向かっていく。一瞬フラッシュバックが起きたが、深雪はそれを、兄の言葉を思い出して押さえつけ、棒を魔法で防ぐ。

 

 次いで、速度が落ちた雫がもうすぐでゴールしそうになる。

 

「中条ッッッ! 気合は十分かッッッ!!!???」

 

「ばっちりです!」

 

「よし――フンヌッッッ!」

 

 すると、なんと桜花は、抱えていたあずさをその豪腕で前方に思い切り投げた。そのパワーは尋常ではないが、さらにあずさの使った『疑似瞬間移動』によってさらに速度が増している。

 

「っ!」

 

「「きゃああああっっ!」

 

 雫と投げつけられたあずさのゴールもほぼ同じ。雫は走り抜けすぎてブレーキが利かず転倒。愛梨は高速で飛来するあずさが怪我しないように魔法で緩和しつつ受け止め、二人で交わりながら転がって全身を強かに打ち付ける。

 

 あとは深雪と桜花の勝負だ。

 

 深雪の運動神経では、出力ではるかに勝る自己加速術式を以てしても勝てない。桜花の運動神経とそこそこの自己加速術式の方が速いからだ。

 

 だから深雪は、桜花の前にだけ『停止領域』を展開する。この足止めは、最後まで有効のはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「舐めるなッッッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜花はそれを破壊すると、拳を突き出したまま猛スピードで走る。深雪がさらに展開した領域は、それによって破壊された。

 

「うそっ!?」

 

 深雪は目を見開く。拳を突き出して常に『術式解体』するというのは予想できたが、発生する爆風をもものともせず速度を落とさずに前進しているのはあり得ない。桜花は、戦いの中で成長しているのだ。混乱しながらも、必死で前を走る桜花に追いつこうとする。

 

「ラアッ!」

 

 そして桜花は急に進路を横に変えて、高速で深雪にタックルを仕掛けてきた。デッドヒートと見せかけての不意打ちでの攻撃。深雪はそれに反応して、急ブレーキからのバックステップで回避する。桜花のタックルもまた必死だったようで、通り過ぎてから踏ん張りブレーキまでに数秒かかりそうに見えた。深雪はその間にまた走り出して先行しようとするが、桜花の踏ん張り力が予想外に強く、すぐ隣を駆け抜ける形になってしまい、桜花の丸太のような腕で殴られる。深雪はさらにそれを、魔法によるジャンプで回避した。そして攻撃の振り終わりと着地は同時。桜花は回転の勢いを走力に変えて、深雪は着地の衝撃を前方への推力に変えて、またそれぞれ走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

「「――――――!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 二匹の獣の叫びが、平原に響き渡った。

 

 片方はいつも通り、もう片方はいつもと真逆。

 

 恥も外聞もなく、牙をむく鬼のように、必死の形相で、獣のように叫びながら、ほぼ同時にゴールを駆け抜けた。

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