マジカル・ジョーカー   作:まみむ衛門

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6-13

 女子『トライウィザード・バイアスロン』は、一目見ただけではその結果が誰から見ても判然としなかった。

 

 まずトップでゴールした愛梨と花音、次いでゴールに突っ込んだあずさと雫、そして最後にゴールした桜花と深雪、そのどれもがほぼ同時だったからだ。

 

 技術の発展に伴い、こうしたゴール判定は正確に判別できるようになった。光の反射を利用した技術で、小数点以下五桁まで正確に測れるようになったのである。

 

 全員のゴールタイムが発表される。その合計はほんのわずかな差で、三高の勝利となっていた。

 

「よーし! あーちゃんお疲れ! よく頑張ったな!」

 

「やったよ! ふみくん!」

 

 まず真っ先にオペレーター室に帰ってきたのはあずさだ。その顔は疲労がありありと見えるが、勝利の喜びで明るい。文也に飛びつくようにして抱き着き、文也もそれをしっかりと受け止めて抱きしめた。

 

「今戻った」

 

『アニキッッッ!!!』

 

 ついで姿を現したのは桜花だ。あれだけ魔法を連続行使してバトルしながら長距離をほぼ全力で駆け抜けたというのに、その息は乱れていない。ゴール直後は多少肩で息をしていたが、もう整ったのだろう。

 

「愛梨! すごいわ!」

 

「かっこよかったぞ!」

 

「ええ、ありがとう……少し、疲れましたわね」

 

 その桜花と同時に戻ったのが愛梨だ。魔法の使用量は彼女が一番多く、桜花のように化け物じみた体力もなければほぼ彼女に運ばれていただけのあずさと違って、愛梨の疲労は極限状態だ。自力で歩くこともままならず、桜花に背負われての帰還だった。そんなボロボロな愛梨を、栞も沓子も興奮して出迎えた。

 

 非常にハードな競技なので、終わった直後はすぐに全員メディカルチェックだ。各オペレーター室には選手たちだけでなく、男女それぞれの医者も常駐している。しかしながら彼女らの出番はほぼなく、文也が容体をピタリと当て、適切な治療も指示した。医者たちはこのチビの手足である。

 

「ぷはっ……」

 

 あずさはスポーツドリンクをボトル半分一気に飲む。普段は口を湿らす程度に小動物のようにチビチビと飲む――健康上はそちらのほうが正しい――のだが、今回ばかりは一気に飲みたいだろうし、それを咎めるようなことも周りはしなかった。

 

 ゴールタイムの結果は以下の通り。

 

 愛梨と花音は、ほんのわずかな差で愛梨の方が速かった。

 

 あずさと雫は、ごく小さな差で雫の方が先にゴールした。

 

 そして桜花と深雪は、実に小数点以下五桁目、計測可能最小単位まで全く同じであった。

 

 これらの合計は、愛梨が花音につけた差の方が大きく、三高の勝利となったのである。

 

 これで現在の点数は全く同じ。次の男子『トライウィザード・バイアスロン』で、全てが決まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、敗北して後がなくなった一高サイドは暗かった――かというと、そうでもない。

 

 敗北したはずの花音たちは、一高の全員から拍手で出迎えられた。

 

 三高のあずさ・愛梨・桜花と激戦を繰り広げた彼女たちは、たとえ敗北しようとも、一高の誇るべき英雄なのである。

 

 しかしながら、やはり、明るいだけではなかった。

 

「深雪!」

 

 深雪はオペレーター室に帰ってこなかった。競技中に明らかに様子がおかしくなったため、大会運営の判断で、ゴールしてから直接簡易医務室に運ばれたのだ。

 

「お兄様……申し訳ございません」

 

「いや、いいんだ。よくやった、立派だったよ」

 

 オペレーター室を離れて深雪に会いに行った達也を、誰も責めようとも止めようともしなかった。深雪もまた立派に戦い抜いた一人であり、そんな彼女が最も愛する人を、向かわせないわけないのだ。

 

 簡易医務室に駆け込んできた兄の姿を見て、深雪は一瞬だけ嬉しそうに顔を輝かせるが、すぐに俯いてしまう。自分があんなことになったせいで負けてしまったのは明らかだ。CADを調整し、作戦を考えてくれた兄に対して、向ける顔がなかったのである。

 

 達也はそんな深雪にそっと近づき、優しく抱きしめた。医者たちが何も言わずに立ち去り二人きりになった病室――そこに、深雪のすすり泣く声が小さく響く。そんな妹に、達也は耳元でやさしく慰めの言葉を囁いた。

 

 深雪の働きは、期待通りとは言い難い。かなりの大活躍ではあったが、森林の中で襲われたときには愛梨の速度に対応しきれていなかったし、水上コースでも急なトラブルへの対応ができていなかった。そして何よりも、平原コースでは大きく足を引っ張ってしまった。

 

 なぜ深雪がパニックになったのか。その理由を知る者は、一高サイドには本人と達也、そして客席で見ている真由美しかいない。他生徒たちはそれを詮索するような真似こそしてこないだろうが、あの瞬間の深雪の無様は、多くの人の記憶に刻み込まれただろう。

 

 兄の期待に応えられなかった。深雪はそれが、何よりも悔しくて、悲しくて、申し訳なかった。

 

 そして達也もまた、深雪と同じ気持ちだった。

 

 達也は結局、深雪を励ますことしかできなかった。それが何よりの効果だったわけだが、結局負けてしまっている。もし、深雪がパニックにならないよう事前に手を打てていたら。間違いなく、この戦いに勝利していただろう。

 

 あずさが出てくると知った段階で、その可能性には思い当っていた。しかし深雪に忠告して意識させすぎたら、森林の暗闇でも勝手に発狂してしまいかねない。雫と花音にだけ警戒しておくよう伝えるという手もあったが、この日本魔法師界最大の闇の一つが絡む出来事に、二人を巻き込むのは憚られた。何もできない正当な理由はあるのだが、達也はどうしても自分を責めてしまう。

 

 自分が何とかできていれば。

 

 いや、そもそも。

 

 あの夜、深雪を連れて行かずに自分単騎だったら。リーナと戦っているところに乱入して一瞬で片付けられたら。最初から戦うことを想定して、油断せずに互いの「枷」を開放していたら。自分がもっと強かったら。深雪には、一切の責任も害もなく、事が終わっていたし、こんなことにはならなかった。

 

 結局ここにも、あの夜のことが関わってくる。

 

 考えてみれば、今回のこの戦いも、達也たちは文也たちに出し抜かれてまんまと後々まで残る重石を抱えさせられた。結局のところ、達也と深雪はまだ、何も変われていないのだ。

 

(これで一高が負けたら、深雪はずっと敗北の責任者として悩み続ける。それだけは避けなければならない)

 

 そのためには。

 

 次の男子で、絶対に負けてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オイオイオイ」

 

「死ぬわアイツ」

 

 達也がエンジニア兼参謀としてオペレーター室に戻ると、そこでは妙な光景が繰り広げられていた。

 

 これから激しい運動をする競技に向かうというのに、範蔵と桐原はコーラをガブ飲みし、大量のおじやとバナナ、それに少しの梅干をドカ食いしている。運動前に食べすぎたり飲みすぎたりすると、消化にエネルギーを使ってしまう上に胃の調子が悪くなって倦怠感や吐き気を誘発してしまいコンディションが悪くなる。一流のアスリートである二人がそれを知らないはずはないのにそんなことをしているのは、周りからは奇妙に映っていた。実際、作戦スタッフやエンジニアとして参加していたゲーム研究部の二人が、範蔵と桐原を見ながら、妙にわざとらしいにやけ顔で二人の行為を否定していた。

 

「ほう、炭酸抜きコーラですか、たいしたものですね」

 

「「ブフッ!」」

 

 しかし、達也は範蔵と桐原のそれを見て感心して、ついそう呟いた。なぜかゲーム研究部員の二人が反応して噴き出してしまっているが、こいつらの思考回路など分かるはずもないので、もはや不思議に思うのもバカらしく思って無視する。

 

 達也の何かわかっている風な呟きを聞いた一高生徒たちは、彼に説明を求める空気を出し始めた。達也としては何気ない呟きだったのでそんな意図はなかったのだが、これで何も言わないというのはあんまりなので、仕方なく解説することにした。

 

「炭酸を抜いたコーラはエネルギーの効率が極めて高いらしく、レース直前に愛飲するマラソンランナーもいるくらいです」

 

「どうでもいいけどよォ」

 

「相手はあの一条将輝だぜ」

 

 そんな達也に、妙な口調になったゲーム研究部員が文句をつける。その物言いは否定だが、しかし放つオーラは「お前も理解者か」と言わんばかりで、なにやら相当シンパシーを感じているらしい。達也は当然それも分かるはずがないので、完全に無視して勝手に解説を続ける。

 

「それに特大タッパのおじやとバナナ。これも速効性のエネルギー食です。しかもウメボシも添えて栄養バランスもいい」

 

 達也はほんの少し笑って、頼もしい先輩たちを見る。これなら、このあとの勝利は期待できそうだ。

 

「それにしても試合直前だというのにあれだけ補給できるのは、超人的な消化力と言うほかない」

 

「うおおおお完成した!」

 

「完璧じゃねえか! 司波も知ってたんだな!」

 

 ゲーム研究部の二人が何やら歓声を上げているが当然無視。それよりも気になるのが、頼もしい三年生二人に対して、食事が喉を通らないらしい幹比古だ。この一年でメンタル面が相当鍛えられたが、生きるか死ぬかの戦場とはまた違った「競技」と言う場には未だに慣れることができていないらしく、その顔は真っ青だ。いつものようにエリカがからかってその緊張をほぐそうとしているが、優勝か敗北かが決まるラストバトルの緊張はそれでは解れない。

 

「幹比古、飯が喉を通らない気持ちは分かるが、少しぐらい食べておけ。先輩からおじやを少し分けてもらうといい」

 

「あ、ああ、わかった、うん。ちょっともらってくる」

 

「……大丈夫なの、あれ」

 

 達也の言葉に従ってフラフラしながら離れていった幹比古の背中を見ながら、エリカが心配そうに溜息をつく。

 

「少し心配だが……幹比古はいざってときになると簡単に気持ちを持ち直すからな。スタートラインに立てばいつも通りだろう」

 

「それもそうね」

 

 実はと言うと、『モノリス・コード』の直前も、彼はこんな感じだった。しかしいざ競技が始まれば、堂々とえげつない戦法を仕掛けて圧勝に貢献していた。彼は、達也の周囲の中では一番常識人だが、しかしながら、やはり彼のメンタルもまた、どこか普通とは違うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三高のオペレーター室は、女子の試合前と同じようにまた微妙な空気に支配されていた。今度は先ほどとは逆、無言でずっと、あずさが文也をその胸に抱きしめている構図だ。さすがに競技で汗をかいてそのままということはなく、あずさはシャワーを浴びてきているが、それでも改めて二人の距離感の奇妙さがわかる。

 

「……ねえ、七草。アンタはアレに参加しなくていいの?」

 

 そんな二人を、香澄は複雑そうな表情でチラチラ見ることしかできない。彼女の想いは、もはや知らぬは文也とあずさ、それに恋愛沙汰に興味がない一部生徒のみであり、同級生の菜々にも当然察せられている。菜々は結局何もできないで見ているだけの香澄に、無茶だとは分かっていても問いかけた。

 

「…………いいの」

 

 それに対して香澄は、震えた声でそう返して、そのままプイっと顔をそらす。菜々から一瞬見えたその表情には、悲しみや悔しさや怒りや妬み、様々な感情がぐちゃぐちゃになっているように見えた。

 

 香澄からすれば、一見、菜々は文也を狙う恋のライバルである。その目的はハニートラップだが、ロリ巨乳で扇情的な格好と態度ということでスケベな文也はすっかりメロメロになっている。だというのに、香澄は彼女を、今は全くライバル視していなかった。

 

 その理由は単純。菜々が、本心から文也を狙っていないからである。まだ多少ハニートラップをしかけていた九校戦前はそれはそれはもう親の仇のごとく思っていたが、菜々の本心と心変わりを感じてからは、わだかまりは感じていない。菜々はこの九校戦の間に、何かのきっかけで開き直ったらしく、文也への色仕掛けはすっぱりやめて、幼馴染の颯太に積極的にアプローチを仕掛け始めた。本人曰く、「考えてみれば地元を離れて三高にいれば、家族の監視なんてないし、今がチャンスじゃん」とのことである。親が泣きそうな話だ。

 

 こうした経緯があって、今は二人の仲は悪くない。せいぜい、貧相な胸の香澄が巨乳の菜々を羨ましがっているぐらいだ。どちらも人間関係では過去を引っ張らない性格であり、そこが急に仲が良くなった原因だろう。

 

「ボクでは……文也さんを慰めることはできないから……」

 

「ふうん」

 

 香澄の言っていることの意味は、菜々には分からない。何か菜々には分からない事情があるのだろう。どういうことか気にならないでもなかったが、それは菜々が突っ込む問題ではなく、相槌だけ打つことにした。

 

 ――文也の家に遊びに行って逃げるように帰ったあの日以来、香澄はこれまで以上にアプローチを仕掛けていた。

 

 それは自分の恋を叶えるためだけでなく、命の恩人である文也が、少しでも早くあの地獄の夜を乗り越えることができるようにするためだ。

 

 しかしながら、この一か月間、香澄は自らの無力を呪う毎日だった。

 

 過ごしてきた時間、共有した経験。香澄には、それらが圧倒的に足りない。文也が本気で心を開くのは親友であるあずさや駿たち、または家族に対してだけで、香澄は彼の理解者になることはできなかったのだ。

 

 香澄は知っている。この九校戦の会場に来てもなお、文也とあずさがこっそり一緒に寝ていることを。あずさがこそこそと文也の部屋の方向に、真夜中に移動しているところをたまたま目撃したからだ。あずさのスニーキングは絶望的に下手だったので、香澄の見立てではほかにも何人かに見られている。騒ぎになっていないのは、その「何人か」が気の利く人物だからだ。例えば、香澄と一緒に目撃した菜々もその一人だ。そんな綱渡りのリスクを冒してまでも、二人は夜中に一緒に寝なければならない。そしてあずさの代わりは、絶対に香澄に務まることはない。

 

 だから、香澄は自覚している。今この瞬間、競技のプレッシャーから文也を一番救えるのは、結局のところあずさなのだと。自分でも多少気を紛らわせることはできるだろうが、あずさがただああして抱きしめているだけに比べたら、天と地ほどの差があるだろう。

 

(そう、今は、ね)

 

 それはもう、「今は」仕方のないことだ。これからも、文也と過ごせる時間はいっぱいある。いつか、自分が彼の隣に立てるようになれば良い。香澄は改めて、そう決意した。

 

「…………面倒な男に惚れたもんねえ」

 

 そんな香澄を見て、菜々は呆れ半分に、苦笑しながら誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんやかんや結局この五人ってわけか」

 

『まあやりやすいしいいんじゃないかな』

 

 九校戦最終競技『トライウィザード・バイアスロン』男子のスタートを、もうすぐ迎えようとしている。スタートラインで伸びをしながら、文也は感慨深げにつぶやく。それをマイク越しに聞いていたらしい真紅郎が返事をすると、駿と将輝とあずさが声を出して少しだけ笑った。

 

 代表選手の三人は文也、駿、将輝。そして担当オペレーターはあずさと真紅郎だ。文也を中心とする親友グループ、いわば「いつもの五人」である。代表選手がこの三人である事、あずさと真紅郎が作戦立案能力に優れていることを鑑みれば、オペレーターがこの二人になるのは必然だった。そうした経緯で、九校戦の最後の最後は、このいつもの五人でしめることにことになったのだ。

 

『それで三人とも、調子はどうですか?』

 

「いつもどーり」

 

「普通」

 

「同じく」

 

『頼りになるんだかならないんだか』

 

 あずさの問いかけに、誰一人好調とは答えない。自然体でいつもの実力が出せると考えれば頼もしい限りだが、その気の抜けた返事に、真紅郎は苦笑するしかない。

 

「――さーて、長かった九校戦も、これが最後だ。ここで勝った方が勝ち。わかりやすい話だな」

 

 文也はスタートラインから、木々に覆われた森を睨む。見ているのは森ではなく、その向こうにあるゴールライン。早く着いた方が勝ち、それで優勝が決まる。

 

『それでは各選手、間もなくスタートですので、準備をしてください』

 

 スピーカーによるアナウンスに従い、コンマ数秒でも早くゴールするために、スタートラインぎりぎりで、三人は各々がやりやすいスタートダッシュの構えを取る。

 

『ふみくん、頑張ってね』

 

「おう」

 

 プライベート回線で、あずさの控え目な囁き声が聞こえる。こんな悪戯めいたことをするようになったのか、と文也は思わず口角を吊り上げて笑いながら、こちらもまた控え目に返事をした。

 




次回、最終回です

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