胡坐というリラックスに適した体勢とは裏腹に、真剣な面持ちで食い入るようにテレビ画面を睨みつける呉原少年。
軋む音が鳴る程にコントローラーを強く握り、滝の様な汗を流し、鼻の穴から紅色の液体が垂れても彼は微動だにせず血走った瞳で画面を注視しながら手元のスティックやボタンを激しく動かしている。
「ふぅーっ、ふぅぅぅ……」
画面に映されているのは連続コマンド入力の表示だ。あと二秒──画面の中にいる敵キャラのメッセージウィンドウが閉じた瞬間、怒涛のコマンド入力が開始される。
深呼吸をしてコントローラーを握り直す呉原。
瞬間、強制オート会話になっている敵キャラのメッセージウィンドウが、プレイヤーである呉原の意志を無視して終了された。
そしてなんと十秒間に渡る連続コマンド入力が今──開始された。
「んッ゛!!」
強く鼻を鳴らしてコントローラーのボタンを叩き始める呉原。
最初はゆったりとしたリズムだが、一秒経過するごとに画面の速度は加速していく。
「ぅっ……!」
手元が滑りそうになった。つい一瞬慌てるが、なんとか冷静に堪えて体勢を立て直す。
高速で動く画面にはまだミスの二文字は表示されていない。彼はまだ負けてはいない。
「↓↓B↑→→ABBA↓↑←←B↑→→AAAA←↓↓──っ」
ボソボソと小声でコマンドを復唱しながらその通りにボタンやスティックを叩いて弾く。
ついに九秒──二周前はここでミスをして振出しに戻ったが、今の呉原ならきっと──
「AAAAAAAAAAABッ……!」
同じボタンが連続するため回数を間違えやすい難関を、根気強く粘って突破した。
だが、この先には五秒間のシューティングアクションのち、タイミングが毎回ランダムのQTEが三回存在する。
「っ……! ッ!」
高速で敵が移動するシューティングパートを攻略していく。
ここは前後の激ムズポイントに比べれば多少楽ではあるため、一時の休憩と言っても差し支えない。
普通の人間には難しいアクションだが、何度も打ちのめされてその度に這い上がってきた今の呉原からすればこのパートは安息の地に等しい。
だが、
ここで気を抜けばクリアなど永遠に不可能だ。
「きたっ」
シューティングアクションが終了した瞬間、強制オートモードで会話が再開された。
【『その子を離せッ!』そう叫んで怪人の背中に光のレーザーを撃ち込んだ】
画面の中では凝った構図のイラストが次々に展開され、蓮斗が小春を取り戻すために怪人と戦闘を繰り広げている。
このシーンの中で三回、ランダムタイミングで高速QTEが現れるのだ。
【「海夜蓮斗!? まさかここまで来るとは……っ!」 咄嗟に右へ跳ぶことでレーザーを回避する怪人。だが、ヤツの後ろは谷底であり、俺はついに怪人を逃げ場のない場所まで追いつめたのだった。 「生意気なガキが……!」】
フルボイスで展開される熱いシーンは圧巻の一言に尽きる。
小春ちゃん生存パッチは既存のルートに小春生存が適用されるものではなく、改めて『守るべき妹』という新たなシナリオがプレイできるようになる代物だ。これを二週間で作り上げた制作陣は色んな意味で人間ではない。
【「学園の女共はどうした? それにこの追いつくスピード……まさか街で暴れている怪人たちを放ってここまできたのか?」 怪人の言葉を俺は否定しない。異能を持つ仲間たちも、自分をヒーローだと慕う学園の後輩や街の人々も切り捨てて、俺は今ここにいるから。】
ここまで蓮斗はこの怪人に散々追い詰められ、窮地に陥り、沢山のものを失い──それでも、何度心が折れようともその度に立ち上がって今ここにいる。
【それでも。それでも俺はきっと後悔しない。この世で最も大切で、何があっても失わないと誓った存在は──小春だから】
「ぉっとッ!?」
突如現れた一つ目のQTEになんとか反応した呉原。この蓮斗の独白の途中でQTEが現れたのは今回が初めてだ。
【世界の中心と繋がったリアに見せてもらったのだ。数多の可能性の中で──その未来全てで命を散らす小春の姿を。救えない自分を。無力な俺を──!】
ヒロインズの皆は蓮斗を支えてくれる。親友の田宮も、仲間になったリアも蓮斗の力になってくれる。
どのルートに進んでも、小春を失った蓮斗を誰かが支えてくれる。そして悲しみを乗り越えて幸せを掴む──
【ふざけるな! 俺の妹は小春だけだッ! 小春を失って初めて始まる物語などクソ喰らえだ! 俺は、俺は──】
「っぶね……!」
まさかの、大して間を置かずに出現した二つ目のQTEに心臓を脅かされつつ、咄嗟に呉原は反応して乗り切った。
これでクリアまでのQTEは残り一つ。
【「俺は小春と共にある未来を選ぶ! 誰に何を言われようと、どんなものを犠牲にしようと、兄妹二人で未来を創る!」 それが俺の──最良の選択だと信じているから!!】
叫ぶ。家族の為に。妹の為に。
運命に敗北し続けた兄妹の未来を、その手で切り開くために。
本来は存在し得なかった生存の道──パッチによる追加ルートは『小春生存ルート』ではなく『海夜小春ルート』だったのだ。
今までの苦労が報われるかのように、熱いBGMをバックに進行するラストシーンに見とれている俺の手は止まっており、ポテトチップスの袋の中身は一枚も減らない。
「まだか……まだなのか……」
物語に意識を奪われないようしっかり構えている呉原だが、一向にQTEが現れないため少々焦っていて、コントローラーを握るその手は僅かに震えている。
【「黙れ! 貴様の未来などオレが奪ってやるッ!」 吠える怪人は脇に抱えた小春を──谷底へ向かって投げた】
瞬間、制限時間わずか3秒の選択肢が表示される。
その事実は知っていたが選択肢の内容を目で見るのは俺も呉原も初めてだ。
【小春に手を伸ばす】
【小春に手を伸ばさない】
「こっ、これは上──」
それをみた呉原は焦ってカーソルを上に──
「違う! 下だ呉原っ!!」
「っ……!?」
直感的に正解を悟った俺の言葉に突き動かされ、呉原はほぼ無意識にカーソルを下げ、下の選択肢である『小春に手を伸ばさない』を選んだ。
最良の選択の特徴は『上げて落とす』だ。
ここでプレイヤーの願望を具現化したような選択肢を選ぶのは絶対に間違っている筈。
【俺は小春に手を伸ばさず、隙を見て銃を撃とうとしていた怪人の手をフィリスの氷能力で氷結させ、即座にロイゼの能力でレーザーを発射した】
切り替わる画面。
怪人にとどめを刺すイラストに切り替わった、その瞬間に最後のQTEが出現した。
「っ! ぅぅっ……!!」
早押ししそうになってしまった指を咄嗟に堪える呉原。
そしてタイミングを見計らい、改めてQTEに合わせてAボタンを叩いたのだった。
【perfect!】
画面上部に小さく表示されるパーフェクトの文字。
それが物語る事実は、ただ一つ。
【レーザーに心臓を撃ち抜かれ、よろめく怪人は足を踏み外して谷底へ落下した】
BGMが止まり、部屋を静寂が支配する。
【焦って谷底を覗きこみ、ロイゼの能力で闇を照らしながら俺は叫ぶ。小春の名を叫ぶ。ただひたすらに叫び続ける】
ゲームからは不穏な空気を感じる。
【「小春ーっ!! ぅぅ……! こっ、こはるぅぅ゛ぅゥ゛ゥッ!! 返事を! ……へんじっ、して、くれ……! 小春! こはるーっ!!」】
涙と共に絶叫する蓮斗。
冷や汗と嫌な感情がふつふつと全身を支配し、プルプルと震え始める俺。
しかし、ただ冷静に、呉原は画面を見つめていた。
【「…………ぁ、っ!?」 谷底から、小さな声。思わずのけ反った。言葉は聞き取れないが、確実に誰かが谷底から声を挙げている】
「く、呉原……」
「シッ。静かに」
慌てて両手で口を押さえる俺。
今の呉原からはゲーマーとしての本気が感じられ、余計な事を言える雰囲気ではないと察した。
黙って画面を見つめる。
──すると。
【近づいてくる。俺のではない声が、谷底から徐々に上がってくる】
これは……。
【「──ぁい! せんぱーい!」 深淵の中から聞こえてくるのは、聞き覚えのある甲高い声。知っている、この声の主を俺は知っている──!】
まさか……!?
【「──陽菜っ!?」 谷底から浮遊して姿を現したのは──両手で小春を抱き抱えている後輩──自由ヶ丘陽菜だった】
【「陽菜、お前……!」「小春ちゃんには傷一つないですよ! あたしがちゃーんとキャッチしましたからね! ……ほら、小春ちゃん」 陽菜に促され、地面に足をつけた小春は一直線に俺へ向かって駆け出してきた】
【「小春!」 「お兄ちゃん──ッ!」 正面から跳んできた小春を全身で受け止め、俺は彼女を強く抱きしめた。その温もりを、もう一度、俺は───】
「よっしゃああああぁぁぁぁぁァァァっッ!!」
瞬間、呉原がコントローラを手放して立ち上がり、雄叫びを挙げた。
もう時刻は深夜だというのに、そんな事も気にせず彼は大いに喜んだ。
「っし! っっっし……! 勝ち! 俺の勝ち……ッ! ざまぁみやがれこの野郎……っ!!」
ガッツポーズ、ガッツポーズ。
噛みしめるように両手を強く握って歓喜に打ち震えながら、負かしてやったゲームに対してざまあみろと言い放つ。
「凄いです呉原せんぱいっ!」
「うおっ」
そんな呉原に後ろから抱きつく小春。
今回の一部始終を見届けていて、尚且つ生存の道を勝ち取ったのがもう一人の自分となれば、歓喜の抱擁も当然だろう。
……よかった、よかったぁ……。
小春も喜んでるし何より、小春ルートをクリアできた事実がたまらなく嬉しいんじゃ。
あと大勢の味方じゃなく小春一人の味方を選んだ蓮斗も味があってなかなか良かったぜ。
「なぁ美咲」
「ん?」
「俺さ……本当にお前の友達でよかったよ」
「な、何だよいきなり」
突然、悟ったような表情の呉原が、普段なら恥ずかしくて言えないようなセリフをいとも容易く吐いてきた。
不審に思って呉原の様子をよく見ると──原因はすぐに判明した。
「私死ななかったぁ~♪ 先輩すごいですよぉ~♪」
「俺は今この瞬間の為に生まれてきたのかもな……」
「……そ、そう」
喜びのあまり呉原に抱きついた小春が踊るように体を左右に揺らしている。ゲームの自分が生存はおろかメインヒロインにまでなったのが相当嬉しかったのだろう。
そして小春は呉原に喜びの抱擁を交わしたわけだが……彼女の大きな胸が、呉原の硬い背中に潰されてパン生地のようにグニグニと形を変えている。
大きく柔らかい豊満な小春のおっぱいの感触が背中一杯に広がる呉原は、鼻血を垂らして悟りを開いたように優しい笑みを浮かべていた。
幸せそうですね、あなたね。よかったね。
「ありがとうな、美咲。親友として、これからもどうか宜しく頼む」
「現金なやつだなお前……」
俺が胸を当てた時とはえらい違いだ。あの時はめちゃめちゃ焦るだけだったくせに。……そりゃ小春の方がおっきいけどさ。
なんだ、巨乳好きかこの野郎。差別はゆるさんぞ。
「おい呉原、俺の時は露骨に嫌がってたくせに……差別か、おっぱい差別か!」
「は? 何言ってんだお前」
「どいて小春! そいつに大きいおっぱいはまだ早い! 差別主義者にはこのおっぱいで十分だ!」
「うわわっ」
強制的に小春を退けて俺が後ろから呉原に抱きついた。
生意気にも小春のおっぱいを堪能しやがった呉原には、コイツの嫌がるリアっぱいを当てて喜びを半減させてやる。
ぎゅーっ!
「ほら! どうだ! リアだってちゃんとあるんだぞ!
「やめやめやめやめめめやめろっておいバカ!! そういうのじゃないから! 別にリアを下に見てたとかそういうんじゃないから! 違うってぇあアァァーっ!!」
★ ★ ★ ★ ★
「馬鹿が……ふざけんなよ美咲おいコラ」
「だ、だって小春のアレで明らかに鼻の下伸ばしてたし……なんか悔しくて」
数十分後。
深夜に騒いで見事に父親から雷を喰らった俺たち二人は、テレビのボリュームを下げて大人しくスマブラをしていた。ちなみに小春は朝陽の部屋でもう寝た。
二人で対戦をしつつジュースを飲みお菓子を貪り……ふと、呉原が声を掛けてきた。
「そういやお前さ、何で今日はずっとリアの姿なんだ?」
画面内で俺をタコ殴りにしながらそんな質問を投げかけてきた。
俺は彼の攻撃の隙をついて一旦距離を取り、飛び道具で怯ませて今度は逆にこっちが相手をタコ殴りにしつつ質問に答える。
「なんとなくだよ。かわいい女の子がいれば目の保養にもなるだろ? ……まぁ、嫌なら戻るけど」
「俺は別にどっちでもいいぞ。リアのお前だって仮想世界じゃ散々見慣れてるし、緊張なんてしない……よっと」
「わわっ」
てか自分でかわいいとか言うなよ、なんて呟きながら俺のキャラを撃墜して残機を奪う呉原。
頑張って彼に追いつくようギアを上げて操作をしながら、俺は今ついた自分の嘘について少しだけ考えた。
なんとなく、というのはもちろん嘘で。
俺がこの姿でいるのは他でもないアイリールの為だ。正確にはアイリールの気持ちを案じた俺の独断ともいえる。
ルクラ事件──男体の俺が初めてアイリールと分かれて誰かと繋がったあの日から、彼女は少しだけ不安げな表情をする機会が増えた。
察するにアイリールは、俺が彼女と一心同体ではない状態で誰かと繋がったことで、俺たちの絆が揺らいでしまうのでは……と考えているのだろう。あくまで憶測の域を超えないが。
(でも、やっぱり怖かったんだろうな)
彼女はルクラ事件の深夜に『リアへの
リアへの変身は俺たち二人が一番深く繋がれる手段だ。
アイリールがアクセスウォッチの中に身を潜めるより、二人で手を繋いだり──抱き合いながら眠るよりも、ずっと。
まぁ、要するに二人で一人の人間になるのだからそれは当然だ。言うなれば性行為などよりも、それの何十倍も深く相手と溶けあう行為なのだから。
(だから変身してるんだ)
二人の繋がりを危惧しているアイリールを安堵させるなら、きっとこの方法が一番効果的だ。
多分彼女の心の弱体化は一時的なものだろうし、それが落ち着くまでこうしてリアの姿でいればいいだけの話である。
(──だからこそ)
「んっ? なんだよ」
「……いや、なんでもない」
だからこそ、俺がどんな姿でも変わらず接してくれる、この親友が頼もしい。
今日一日で分かった事だが、俺がこの姿でも緊張はしない──という呉原の言葉は本当だった。
勿論俺が露骨に抱きついて誘惑などすれば話は変わってくるだろうが、普通に俺と一緒に過ごす分には全く緊張していなかった。
ゆえに、嬉しい。
状況に流されて変わり続ける俺を、それでも親友だと言ってくれる彼の存在がたまらなく嬉しい。言葉だけではなく行動で示してくれた彼が頼もしい。俺の事も、小春の事も。
「うぉっ! 急に動きが良くなってきた……どうした美咲?」
「えぇー? 違うちがーう♡ これって私が強いんじゃなくて~、お兄さんがよわっちいだけでしょ~?」
「あ? なんだとこのガキ……!」
急にメスガキごっこを始めた俺にもノリを合わせてくれる。少なくとも知り合いの中なら、呉原が一番空気の読める人間だ。
勉強もできて、眼鏡かけた顔面暴力のイケメンで、コミュニケーション能力も高くて運動もそこそこ出来る……だというのに彼がモテないのは、ひとえに俺と付き合っているからだろう。
実は彼のエロゲ博士の噂の元は俺からだ。呉原とエロゲの話題で盛り上がった俺から情報がどこかに漏れて、それまでは才色兼備文武両道だった呉原が『ただのエロゲ博士』へとランクダウンしたのだ。ごめんね。
「ざーこ♡ ザコザコザーコ♡ お兄さんよっわーい♡ こんな小さい子に屈服しちゃうなんて、お兄さんもしかしてロリコンなの~?」
「は? ロリコンじゃないが?? お前みたいなメスガキなんて易々と撃墜してやるんだが??
「あはっ♡ 必死にレバガチャしちゃってぇ♡ 無駄だって言ってんじゃん♡ ほーら無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」
彼がいてくれたからこそ、俺は今もこうして
現実に戻ってリアと夜の間を彷徨っていた俺を、美咲夜だと気づかせてくれた彼のおかげで、アイリールとも別々の人間でいられる。今は合体してるけど、自意識はそれぞれ別にあるのだ。
俺は俺なのだと言ってくれた。
変わらず俺を受け入れてくれた。
今もこうして一緒にいてくれている。
彼に言いたいことは沢山ある。
──でも。
「おいおい美咲くーん? 自滅覚悟で崖外まで追いかけてくるとか俺のこと好きすぎだろ」
「好き好き♡ だーいすき♡ だから殺すね」
「メスガキなのかヤンデレなのかどっちかに──あ゛ぁ゛っ!? そのキャラその位置からでもステージ戻れんのかよ!?」
「ふふふ……“
でも、正面切って『ありがとう』だなんて、恥ずかしいから言ってあげない。
その代わりボコボコにぶっ飛ばしてやるぜ。
覚悟しろー!