ベッドの上で、しかも何故か裸のまま呉原の前で目を覚ましたあの日から数日が経過して。
ここしばらくはずっと一つになっていたおかげか、アイリールの精神状態も落ち着き、俺は男の状態で街を歩いていた。現在時刻は午前九時前後だ。
今日はとある用事があって、待ち合わせ場所である噴水広場へ向かっている。噴水広場へ近づくにつれて人影も増え、到着する頃には大勢の人ごみの中だ。
「どこだろう……」
きょろきょろと辺りを見渡して、目的の人物を探す。
先ほど携帯に連絡が来たのでそれによれば彼女はもうここに到着しているとのこと。
だが集合時間は今から三十分後で、万全を期して待とうと思っていたのにまさか俺が来る三十分前……つまり元々の予定時刻より一時間も早く先に来てくれるとは思わなかった。
と、そんなことを考えていると、ふと見覚えのある人物が遠目に見えた。
「あぁ、いた」
小さく呟きつつ無事に見つけられたことに安堵し、小走りで彼女が座っている噴水前のベンチへと向かっていく。
そうして視界に映ったのは、ここへ訪れる前に写真で確認した通りの人物の姿。
明るい茶髪のミディアムボブで、中学生かと錯覚するような背丈と小柄な体型、何より見慣れた相棒と瓜二つで美少女といっても差し支えのない──しかしまだどこか幼さの残る印象を受ける美麗な顔立ち。
「おはようございます、黒野さん」
「やぁ、美咲君。おはよう」
優しい微笑みと共に手を振ってくれた彼女の名は黒野
デスゲームの舞台、そして蓮斗たちの生まれた世界である仮想空間を作り出した、天才科学者その人だ。
★ ★ ★ ★ ★
待ち合わせ場所に集合してから移動した俺たちは、一度戦場にもなったことがあるショッピングモールへ訪れていた。ここには他に映画館やアミューズメントセンターも完備してあるので、この街で無難なデートをするのならばこのショッピングモール、といっても大袈裟ではない程度には過ごしやすい場所だ。
「美咲君、あそこでボウリングをしよう」
「あ、はい」
「受付をしてくるから待っててね」
得意げな顔で、つま先を立てて背伸びをしながらカウンターで受付を行う黒野博士。
その後ろ姿はなんとも愛らしく……いやいや、何考えてんだ。
俺が17であの人は22だぞ。五つも年上なんだから失礼なことは考えないようにしないと。合法ロリとの接し方は慎重に、だ。
「こちら家族割などもございますが」
「ふぇっ? ……い、いや、僕とあの子は……ふ、夫婦などではなくて……」
「……? ええと、ご兄妹なのでは? 手続きが難しいようでしたらお兄さんを呼んで頂ければ」
「なっ!? あのですね、僕は成人済みです! 大体兄妹じゃないしあの子は年下で──「失礼いたしました! ではカップル割の方ですね!」──ちちち違いますよ! 普通料金でッ!!」
……なんか苦戦してるけど、手助けしたら悪化しそうだから大人しくしてよう。
数日前、レンを通して連絡先を交換しあった俺と黒野は、レンの経過観察報告とルクラの対処についてのミーティング──という名目で『デート』の約束を取り付けた。
俺は建前の方を鵜呑みにしていたのだが、真岡に『あらっ! 外出許可を貰って最初にするのがデート!? やるじゃない黒野博士!』と言われて黒野は『ま、まぁね。年上としてエスコートしてやるさ』と言っていた、と研究所にいたレン伝いに聞いたのでこれはきっとデートなのだろう。
無論、俺自身は邪な感情など一切無い。
仮想世界で彼女に対して『助ける』といったのだから、黒野の気分転換に付き合うのは至極当然のことだ。
「よ、いっ、しょ!」
非力で小柄な黒野は片手でボウリングの玉を持てないため、両手で抱えてから玉を投げる。
そんな変わった投げ方をしているというのに、先ほどから彼女はずっとストライクかスペアしかしていない。つよすぎる。かてない。
「黒野さん、ボウリング上手なんですね」
俺の隣に座って一息つく彼女に語り掛けると、黒野は懐かし気に小さく笑いながら答えてくれる。
「昔からボウリングだけはよく親友とやっていたから。……ま、本当は運動苦手なんだけどね」
「でもあの投げ方でこのスコアは凄いですよ。てか、もう俺の勝ち目ないじゃないですか」
軽くうなだれると、黒野は俺の背中を優しく叩く。
「まぁまぁ、別に勝負ってわけじゃないんだし。この後は食事にするから元気だせ~」
調子の良さそうな黒野に追いすがるようにボウリングを続けたが、結局は敗北。
勝負ではない、とは言いつつも俺に勝てたことはやはり嬉しかったのか、また一段と明るくなった黒野に連れられて俺はスポッチャを後にしたのだった。
以前仮想世界から目覚めたときに見かけたことを除けば、俺と黒野は正真正銘今日が初対面だ。
なのだが、どうにも緊張してちぐはぐになることは無さそうに思える。敵だったとはいえ仮想世界では面識もあったし、互いのこともそれなりに知っているからかもしれない。
そして黒野本人の「年上としてのエスコート」とやらが一番の理由だろう。
仮想世界で暴走していたとは思えないほど常識的で、それでいて気配りもできる。となると仮想空間でのあれは一時的な気の迷いで、黒野の本来の人間性はこちらなのかもしれない。
「あ、あーん……」
「あの、黒野さん?」
「マイハニーだよっ、ダーリン♪」
まぁ、カップル限定のパフェを食べたいがために恋人のフリをするのは確実に気の迷いだろうが。
めちゃくちゃ顔引きつってますよあなた。
「無理しなくても大丈夫ですって。別に店員さんも疑ってませんでしたし」
「…………そ、そうだね。露骨にラブラブするだけがカップルではないよね。落ち着いて食事をするカップルがいても不思議ではないよね」
ははは、と苦笑いした黒野は俺に食べさせようとしていたスプーンを自分の口に運んだ。
「んん~っ♪」
苦い顔から一転、バニラアイスを美味しそうに堪能する彼女の姿は少女そのものだ。外見の関係もあってルクラに見えなくも──いや、見えないな。
やはり黒野はアイリールやルクラとはどこか違っている。髪の色だって普通の茶髪だし、ゲームの登場人物らしく膝まで伸びた髪を持つ彼女たちと違って、黒野は肩辺りで切りそろえられたミディアムボブだ。
なんといってもキャラ達特有の不思議なオーラを感じない。
どこか普通の人間とは一線を画す仮想世界の人間と違って、黒野は元々この世界にいた人間なのだとよくわかる。
「……美咲君? 手が止まってるけど、どうかしたかい?」
「あ、いや、別に」
「アイスが溶けちゃうから早めに食べよう」
彼女に急かされてパフェを食べ終えた頃には、もうしばらく甘いものは食べなくてもいいという心境に陥っていた。あれをずっと笑顔で食べ続けられた黒野は、相当な甘党なのかもしれない。最後にまたデザート頼んでたし。
次に立ち寄ったのは本屋だ。どうやら黒野は最近漫画雑誌をよく買っているらしい。地下研究所内での数少ない娯楽の一つなのだとか。
「美咲君のおすすめとかはあるかな」
「これとかいいですよ。全三巻で纏まってますし、結構面白いです」
彼女に教えたのは以前に呉原から借りた漫画だ。絵柄はどちらかといえば男性向けなのだが、実写映画化もしているため内容は万人受けする方だと思う。
「うーん……なるほど、うん。裏表紙のあらすじを見る限りは、なかなか興味をそそられるな。買ってみるよ、ありがとう」
「いえ、俺もいい本教えて貰いましたし」
そういいながら軽く手提げ袋を持ち上げた。実は黒野に勧められた本を先に購入していたのだ。
「……ふふっ」
すると、隣にいた黒野が小さく笑った。
「どうかしました?」
「いや、何でもないよ。おかしなことは何もない」
言いながら会計を済ませた黒野は再び俺の隣に来て、横並びで再びモール内を歩き始める。
「……楽しいなぁって、そう思っただけだから」
そう呟きつつ、えへへ、と恥ずかし気に指で頬をかく黒野。心なしか、午前中に行動していた時よりも距離が近い気がする。
「あっ……」
一瞬お互いの手の甲が当たってしまったが、焦ることなく俺はそのままの距離感で歩き続けた。手を繋ぐのはどうかと思うが、このままの距離感でいることはきっと間違いではないと思うから。
「……美咲君?」
「次、映画館いきましょ。そろそろ上映時間ですけど、チケットは予め取ってありますから」
なにより、俺も少し楽しくなっている。
「……うんっ!」
そこから少々の駆け足で、俺たちはモール内にある映画館へと向かっていったのだった。
仮想世界で彼女は、殺人未遂を犯すレベルの暴走をする程に、精神的に追い詰められていた。
その理由は間違いなく黒野の過去に起因するものだが、俺は未だにそれを知らない。
真岡から『教えようか』と提案されたこともあったが、俺はそれを断った。
黒野が──彼女本人が打ち明けてくれるまで待つと、そう決めたから。
過去を知った上で、先入観に捕らわれた接し方など絶対にしない。
俺は黒野がどんな状況にあろうと手を貸し必ず助けるのだと、ムテキを起動して戦ったあの時にそう誓ったからだ。
あの時の気持ちを忘れないためにも、俺は黒野が教えてくれるまで何があっても彼女の過去は詮索しない。
きっと彼女が過去と秘密を打ち明けてくれる、そんな関係を築けたその時こそ──俺は真に彼女の味方になれるのだと考えている。
「……ううぅ~っ、ずびっ」
隣で泣きながら映画を見ている黒野の様子を見れば、映画のチョイスも間違っていなかったのだと安心できた。ポップコーンを取る手が止まっている。
「そこまでして恋人のことをぉ……およよ」
「さすがに泣きすぎでしょ……」
途中で渡した俺のハンカチがビショビショになるくらいには泣いていて、少し引いた。感受性豊かですね……。
「あぁエンドロールだ……いい話だった……」
「次どこ行きます?」
「まって、もう少し余韻に浸らせてくれ……」
逆に俺がもらい泣きしそうな程にボロボロ泣いている黒野の隣で、ゆったりとしたエンドクレジットを眺めながら俺はポップコーンを口に放り投げる。塩味だが、もう大して味はしない。
この後どうしようかな、なんて考えつつ──結局、上映終了後も感動で動けなくなってしまった黒野と手を繋いで、半ば強制的に引きずって映画館を後にしたのだった。
合法ロリっ娘とのデート(仮)はまだ続く。
ぬきたし楽しい