現実世界編は一応今回で区切りです
息も凍るような寒空の下、人気のない深夜の街を駆け抜ける。全力疾走を数分ほど続けているせいもあって服の下は蒸れて若干暑く、冬の肌寒さを感じないほど全身がホットだ。いまなら裸になっても寒くねぇ。
「朝陽! あさひ!」
電話で知らされた『小春に発生するはずのライトニングの
黒野博士の自宅を脱出してから数分経過してから、ようやく
「朝陽! 朝陽ぃ……ッ!」
我が最愛の弟は無事なのだろうか。ライトニングのデメリットって聞くと思い出すのは──
あのケダモノと化した小春の荒れ狂う姿だ。
──『かわいいぃ! かわいいよぉ!! リアちゃんがかわいくて……ッ♡ お、お腹の下が熱くて止まらないのぉ♡♡』──
──『無理♡ 無理ィ♡ ねっ、キス、キスしよっ♡ ……あ、が、我慢できない、むり、する、もうキスする、ごめんね♡』
──『えへへっ♡ 六時間、六時間♡ いっぱい時間あるね♡♡』
───『おぉ゛っお゛♥♥』
「ああああぁぁぁさぁぁぁぁひぃぃぃぃぃッッ!!!」
まずいまずいまずいまずいまずい。朝陽がヤバイとんでもない絶対に止めなくてはならない。朝陽にあんな表情をさせてしまったら俺はその日のうちに自分の命を絶つしかなくなってしまう。小春でも十分やばかったのに小学生の朝陽があんな顔をしていいはずがない。あの子の尊厳と俺の命がかかっている急げ美咲夜いそげぇ!!
「朝陽朝陽朝陽朝陽」
(まって。歩行者の信号赤だよ、止まって)
「朝陽! 朝陽ッ!」
(ちょっと危ないって夜……! トラック来てるっ、撥ねられて異世界転生しちゃう──)
「あぁさぁひぃ!」
我が道を阻まんとする小生意気なトラックを華麗に側転で躱して先を急ぐ。もはや一刻の猶予もないのだ、信号で止まる時間など残されてはいない。
(夜ってば、落ち着いて……!)
(
(なんて?)
(
(朝陽って単語しか喋れなくなってる……)
いちいち心の中でうるさ──見えた! 俺の家だ!!
ドアぶち開けて靴脱いで転がり込み侵入成功。目指すは二階!
「ただいま朝陽どこだ朝陽!」
朝陽の部屋にはいない。となれば俺の部屋か。
「ここか朝陽!」
バタンと部屋の扉を勢いよく開ける。その先には──
「よ、よしよーし。朝陽くん、いいこだねぇ~……」
「んうぅっ、ん~っ!」
ベッドの上で朝陽に膝枕している小春の姿が。
「ちょっ、おい小春!?」
それだけなら大丈夫なのだが、しかしそこには問題があった。
「あっ、リアちゃん遅いよぉー! もうどうなることかと……!」
「むぐぐっ! んんぅーっ!」
膝枕されている朝陽の顔面に、小春のエロゲキャラの如く大きすぎる胸部の果実がのしかかってしまっているのだ。
それによって口を塞がれている朝陽は息苦しそうにしており、またそれ以上にデカいおっぱいが顔に乗っているという事実に興奮してしまっているのか、朝陽の下半身はズボンの上からでも分かるほどに……これ以上を言葉にすることはできない。
とにかくまずい。元々がエロゲのキャラクターとしてデザインされた小春の肢体は、今の朝陽に対してはあまりにも毒だ。
「小春! 朝陽から離れるんだ!」
「で、でも朝陽くんが『一人にしないで』って……」
「いいから! おっぱいが顔に乗ってて逆効果だから! 朝陽の富士山が噴火しちゃう前にとにかく離れて!!」
善意100パーセントの不可抗力で我が弟を生殺しにしていた少女を引っぺがし、朝陽の頭の下に枕を差し込む。そして下半身の状態が露わにならないよう毛布を首元までかけ、熱っぽい朝陽を冷ますために熱冷ましのシートがある一階の冷蔵庫へ向かって俺は急いだ。
……
…………
………………
数分後。
「はい! ツルできたよ! アイリちゃんにあげる!」
「わぁー、ありがとう。ツルも折れちゃうなんてアサくんはすごいなぁ、おりがみ博士だな」
「えへへ……」
発情によって精神年齢が退行した朝陽こと通称『アサくん』が、ベッドの上でアイリールと折り紙をして遊んでいる様子を観察しつつ、俺は小春と共に今回の解決策を思案していた。
「ね、ねえリアちゃん? 朝陽くんってあんなだったっけ……?」
「フッ──かわいいだろ」
「いやそんなドヤ顔で言われても……」
あぁ、そういえば小春は知らなかったな。あの甘えん坊将軍ことアサくんの存在を。
ならば特別に教えてやろう!
「今でこそしっかり者で敬語も使える偉い朝陽だが、一年前まではとんでもない甘えんぼさんでな。アニメのカッコいい弟キャラに影響されるまではお兄ちゃんお兄ちゃんとくっ付いては甘えて……最高だった。もちろん今も最高だが」
「へ、へぇ」
「アサくんってのはその時の呼び名だよ。甘えん坊を卒業するとともに『それ恥ずかしいからやめて!』と言われてからそう呼ぶこともできなくなったが……」
言いながらそっと朝陽に近づいて頭を撫でると、アサくんは猫のように目を細めながら気持ちよさそうになでなでを堪能する。世界一かわいい。
「よしよし、アイリールお姉ちゃんと折り紙できてえらいなぁ。ツルの折り方教えてあげてるのか?」
「うん! アイリちゃんね、ぶきっちょさんだからね、ボクがおしえてあげてるの!」
「えらいっ! 天才! 最強!」
俺がわしゃわしゃと柔らかい髪を撫でる。すると朝陽が喜ぶ。この世にこれ以上の完璧な方程式があるだろうか。
「リアちゃん……デメリットの解除方法も考えないと」
「おっと、悪い悪い。アサくんがえらいもんだから、つい」
後ろから小春に諭され、一旦朝陽から離れる。
すると関心の矛先が俺からアイリールに移ったのか、朝陽は屈託のない笑みで彼女に抱きついた。
「アイリちゃ~ん♪」
「おっと。……もう、アサくんは甘えん坊さんだね」
それを正面から受け止めつつ、アイリールはチラリと視線を俺に向けた。いい加減早く何とかしろ、という意味のアイコンタクトだろう。
「えへへ、アイリちゃんあったかーい……♡」
「いい子いい子、よしよし」
確かにこのままで放置するのはまずい。
発情で精神退行するまではまだいいとして、やはり本質は『発情』なので先ほどから朝陽の下半身は凄いことになっている。
朝陽はアイリールに抱きつきながら、盛り上がっている下半身を無意識に彼女のお腹にこすりつけており、このまま油断していると朝陽が暴走してロリおねショタ無自覚ックスに発展しかねない。なんとしてもそれだけは阻止しなくては。
「小春、お前たちが使ってるウォッチはどういう状態なんだ?」
「えっと……衝撃による故障で中の回路が壊れちゃってて、本来の電気の流れが乱れてるんだ。だからデメリットから発生する興奮作用の含まれた電流が私じゃなくて朝陽くんに行っちゃったの」
「……つまり、バグで本来行くはずの道を電流が進まないってことか」
小春と朝陽で体を共有しているわけだから、小春の方へ電気が行かないとなると必然的に朝陽の方へ電流が行き着く。
その壊れた状態のまま何もしてないから、ウォッチは当然そのまま正常にバグ状態を保っている。
「もう一度小春と朝陽がアクセスしたとして、電気は本来流れる小春の方には向かないから、やっぱり朝陽に発情の電気が残る……」
──もし、仮に。
(俺の壊れてないアクセスウォッチを使えば……多分、正常に機能が働くからデメリットは小春のほうに行く)
しかし、そうすると本来の予定通り小春が発情してしまう問題がある。小春からすればそれが確定事項だったわけだから何も問題はないのだが、困ったことに俺の方に問題がある。
(小春が発情する、イコールえっちをしてデメリットを解消するということ。なら小春の相手は? 蓮斗は相変わらずレンのままだしそうなると俺しかいない)
いまさら小春とすることに怖気づいているわけではない。むしろ黒野さんにマインドコントロールで煽られた分、今日の俺は健康な男子高校生のソレを優に超える性欲を抱えている。
それを『デメリット解消のため』という理由で合法的に小春の相手をして解消できる、と考えれば何も悪いことなどない。そもそも本当なら今夜か明日にはデメリットを抱えた小春とタイマンをする予定になっていたのだ。
だが、しかし。
(それだと俺があまりにも最低すぎる……っ!!)
小春以外の女の人と接して高まった性欲を、その人の代わりに小春で解消する──なんだこのクズ!?(驚愕)
(黒野さん本人が止めてくれてなかったら今頃……そんな俺がこんな半端な気持ちのまま小春とするのは──無理!)
無理ムリむり。
知らない間に別の女の子とヤバイ雰囲気になって、そこから生じた性欲を発散するために自分と致した、なんてことを知ったら流石の小春でも怒る。
なにより小春にそのことを隠した状態での彼女とのえっちなどもってのほか。あまりにも論外。罪悪感で死んでしまう。
しかし誘惑されたことを正直に小春に打ち明けると、それはそれで俺の人間性が疑われる結果となる。そんなことを話したら小春でも引くに決まっている。あれ、もしかして詰んでる?
(だから……!)
ライトニングのデメリットをどうにかして抹消しなければならない。
朝陽が行為に及ぶこともなく、小春に発情を押し付けることもなく、この事態を解決するしかない。
──ならば!
「小春、もう一度朝陽にアクセスウォッチを装着させてくれ」
「え? う、うん」
言われるがまま、一旦外して机の上に置いていた自分たちのウォッチを手に取り、アイリールに甘えている朝陽の手首にそれを巻き付ける小春。
「それじゃあもう一度アクセスしてくれるか?」
「え? 朝陽くんと私が?」
「あぁそうだ、朝陽と一つになってくれ」
もちろんいかがわしい意味ではない。この事態を解決するためにはまず二人に変身してもらわなければならないのだ。
「……わかった。おーい、朝陽くーん」
「っ?」
小春に呼ばれたアサくんがアイリールから離れ、小春のほうへ顔を向けた。そこから小春が朝陽の隣に座り、彼の手を握って一言。
「
掛け声とともに全身が発光。
数秒経過して光が収まると、ベッドの上には小春の姿に変身した朝陽がいた。何が起きたのか分からない様子で、きょろきょろと周囲を見渡している。
「……?」
「アサくん、おいで」
「お兄ちゃーん」
声をかければとててと俺の方へかけてくるアサくん。足音に効果音をつけるとすればポテポテ。姿は小春なので大きな胸がぶるんぶるん。そのまま正面から俺に抱きついてくる。
「どーん」
「わぁー、アサくんに捕まったぁ~」
「お兄ちゃんはたいほです」
「待てよ一体いつから警察官になったんだお前は? 偉くなったもんだなおい肉親を牢にぶち込むつもりか? あぁ?」
「きゃっきゃ」
「……何してんの」
アサくんとじゃれている俺を眺めて呆れた表情をするアイリール。これは遊んでるだけです。ごめんなさい、ちゃんとやります。
「夜、いったいどうするつもり?」
「えっとな、まずこの小春とアクセスしている状態の
朝陽とは仲良し兄弟だから余裕でアクセスの条件はクリアできるし、小春とも深い付き合いをしている俺ならば、二人が一人になったこの生命体ともきっとアクセス可能だ。
「アクセスしてからどうするの……?」
「すぐにアクセスを解除するんだよ。いいか、小春たちのアクセスウォッチは壊れていてデメリットの電流が本来の方向に流れない。バグった状態だから小春にいかないまま朝陽の体にデメリットの電気が残留してるんだ」
小春に到達できない電気が『仕方なく』中間地点の朝陽に残っているから、朝陽が発情する事態に陥ってしまっている。
「そこで小春以外に俺っていう別の捌け口を作れば、アクセスを解除した後は発情の電気が朝陽から俺の方に流れてくる。詳しい原理は知らないけど……本来の方向とは別の場所へ流れるってことなら、小春に流れないのは当然として、小春のパートナーである朝陽よりもイレギュラーの俺の方がよっぽど『本来の場所』じゃないだろ?」
「……つまり、朝陽くんの代わりにデメリットの発情を夜が受け取る──ってこと?」
「そうだよ」
「えっ」
アイリールの表情を一言で言うなら困惑。相変わらずジト目の無表情でも、その中からでもわずかな表情の違いを読み取れるのはずっと一緒にいる相棒だからか。
「は、発情したらその後どうするの。小春か、それともレンとするの?」
「逃げる」
「え?」
「この家から逃げる」
「どういうこと……」
「俺はえっちしないってこと! とにかくその話はあとでするから!」
無理やりアイリールとの会話を打ち切り、抱きついてきていた朝陽の手を握って、もう片方の手でウォッチを操作して──叫ぶ。
「
ピカーッ!
シュウウゥゥ!!
ドンッ!!!
「変身完了!」
「雑に変身した……」
部屋の中が一瞬だけ眩い光に包まれたかと思えば、その光が収まった頃には俺が小春(?)になっていた。どうやら何人アクセスを重ね掛けしてもベースは能力者である小春のままらしい。
これで条件はクリアした。今この状態ですでに俺の方に発情の電気が流れているわけだから、変身を解除すれば朝陽からデメリットが消えて、俺がデメリットを抱える状況になる。
「変身解除!」
もう一度アクセスウォッチを操作し、再び白い光が部屋全体を支配する。
──数秒後、部屋には俺とアイリール、それから小春と朝陽の四人が立っていた。
「……あれ?」
朝陽が呟く。表情は呆けているが、先ほどまでのような顔の赤さは引いており、下半身もズボンの上からでも分かる程度には無事正常な状態に戻っている。
「……夜にい? いつの間に帰ってたの?」
「朝陽!」
どうやら発情時の記憶はほとんど残っていないようだが、代わりに精神年齢が戻ったようで一安心だ。よかったよかった。
「よかったぁ~朝陽ぃ~!」
「わわっ……急に何だよぉ……!」
アサくんを卒業した朝陽が帰ってきたことに喜んで彼の頭をわしゃわしゃと撫でると、朝陽と同じように混乱している小春が声をかけてきた。
「リアちゃん、本当にデメリットを貰っちゃったの……?」
「まぁな」
「ど、どうしよう……!? 今からウチ来る!? それともお兄ちゃん呼ぶ!?」
「落ち着けって」
発情が俺に移ったことで一気に焦燥感に駆られた小春はワタワタと焦ってスマホを操作し始めた。おそらくはレンにでも連絡を取るつもりなのだろう。発情の恐ろしさを誰よりも知っている小春だからこその行動の速さと言える。
しかし、それをしてもらう必要はない。
何故なら今の俺にはレンや小春と
踵を返し、部屋のドアの方へ向いて小春たちに背を向ける。
「じゃあ小春、朝陽のことよろしくな。また何かあったら連絡してくれ」
「えっ、え? ちょっとリアちゃんどこ行くの! もうすぐ発情しちゃうんだから、私かお兄ちゃんの傍にいなきゃ!」
「ふふん、実は俺は最強だから発情なんか余裕で克服しちゃうんだぜ! じゃあそういう事だからちょっと外を走ってくるぜ! 行ってきますなんだぜ!!」
「ちょ、リアちゃん!」
小春の制止を振り切って部屋を飛び出し、そのまま一階へと駆け下りていく。
「よ、夜、まって……っ」
「おっと」
焦って俺を追いかけてきたアイリールを抱きかかえ、体重が軽い彼女をそのままお姫様抱っこしながら、俺は自分の家を後にしたのだった。
……
…………
………………
数十分後か、あるいは数時間後か。
美咲家を飛び出した俺はアイリールと共に、あてもなく真夜中の住宅街を彷徨っていた。自宅に帰るわけにもいかず、かといってレンのいる海夜家へ向かうわけにもいかないので、こうなることは必然だった。
「……はぁー、フゥーッ」
肺が涼しくなるような冷たい空気を吸って息を整えるが、少し前から疼き始めた下半身の熱さは引きそうにない。辛うじて勃起はしていないものの、腹の底が煮えたぎったように熱く、きっかけさえあれば我慢のタガなど容易く外れてしまうのだろうとどこか冷静に考えている。
「……夜。だいじょうぶ?」
隣からアイリールの心底不安げな声音が聞こえてきた。いつものどこか余裕ありげな態度はどこへやら、本当に俺を心配していることが分かる震えた声で身を案じてくれている。
「悪いなアイリール、付き合わせちゃって」
「全然気にしてない。そんなことより、自分の心配をして」
冷える寒風に曝されているにもかかわらず発情による熱で汗をかいている俺の首筋を、隣を歩くアイリールがハンカチで拭ってくれる。こうして彼女にケアされつつ、俺はなるべく知り合いが住んでいない方角へ足を進めていたのだった。
──アイリールには全て話した。
黒野博士の簡単な誘惑に負けて発情しかけてしまったから、どんな理由があろうと今の自分はその事情を隠したままレンや小春とすることはできない。黒野のことを秘密にするせめてもの罪滅ぼしとして発情は受け取るが、相手をするわけにはいかないので発情が収まるまで逃げることにした、と。
誠意と呼べるほど高尚なものじゃない。これは罪悪感に勝てない俺が選んだ逃げ道だ。黒野のことをレンや小春に話さないことが悪手だと知っていながら、それでも『彼女らに甘えて全てを受け止めてもらうわけにはいかない』という妙な意地が俺の足を動かしている。
「夜、黒野博士のこと、本当にあの二人には話さなくてよかったの?」
「……ルクラのときとはワケが違うだろ。やむにやまれぬ事情があるわけじゃなくて、本当にただ俺が黒野さんに対してサカっただけなんだ。未遂に終わったとはいえ、一部始終を聞いたらあの二人は傷つくかもしれない」
レンと小春に対してしっかりとした誠意があったのなら、俺はあの時黒野にデコピンされる前に、自らの意思であの人の上から退かなければならなかったのだ。
けど、それができなかった。多少なりとも煽られたとはいえ、性欲に負けた。彼女の大人の魅力に勝てなかった。
「せめて黒野さんとの……そういう関係をきっちり断ってからじゃないと合わせる顔がないっていうか……」
「…………ハーレムじゃ、ダメ?」
「お前なぁ……」
呆れたが、アイリールからはふざけた雰囲気を感じない。
蓮斗の告白を受け取ったあとに小春も受け止め、結果的に疑似ハーレムを俺は既に作ってしまった事実があるからこそ、アイリールはその方向での解決を疑っていないのだろう。なんやかんやあってルクラとも関係を持ってしまい、勢いとはいえ黒野にも告白されてしまった今は、なおさらハーレムなんて言葉が現実味を帯びてくる。
でも、俺はそんなものを持っていい人間じゃない。そもそも俺は自分の意思で蓮斗のハーレムをぶっ壊した人間なんだ。
「勘弁してくれ。エロゲの主人公じゃあるまいし」
「…………そう、だね」
蓮斗ならできたのかもしれないが、きっと俺には無理だ。こうして彼女たちから逃げているのが何よりの証拠だろう。
殺人ゲームをやめ、暗闇から抜け出して明るく笑えるようになった黒野を突き放すことも、真実を全て暴露して海夜兄妹に嫌われることも、全部がこわい。
だから全部自分の中にため込んで、今にも崩れそうな危ない橋を渡り続ける。そんな不器用なやつがハーレムなんて到底不可能に決まっている。
「……っ」
そんなことより──と考えてしまう程度には、下半身の奥底が熱く疼いて仕方がない。呼吸も少し荒くなってきて、発情の段階が一つ上がってしまったことを理解する。
「ふぅぅ……」
深呼吸をして冷たい空気を吸い込んでみるものの、心臓の鼓動は加速を緩めない。体の末端が震えだして、今すぐ内に秘めるこの欲望をすべて発散してしまいたいと考えてしまう。
「はぁっ、ハァ……うっ……く」
自分の胸元の服を強く握りこんで耐えようとするものの、次第に頭がぼんやりとし始めてきた。
最後に残った理性が悪あがきしてくれているおかげで勃起こそしてはいないが、俺の中にある性欲のゲージは沸騰したお湯のように鍋からこぼれている状態に等しい。今すぐ火を止めないと道行く誰かを襲ってしまいそうだ。
──あぁ、見知らぬ他人に迷惑をかける可能性があったのなら、俺は恥を忍んで小春かレンに性欲処理を頼むべきだったのかもしれない。
「ふうぅ、フゥーっ……」
「夜、ちょっと待って」
隣を歩くアイリールが俺の袖を引く。
「……どうした」
「あそこに公園がある。見た限り誰もいないし、あそこで少し休もう」
「……そう、だな」
頭が熱くてフラフラと足元が覚束ない俺をアイリールが引っ張る形で、人気のない公園へと足を踏み入れた。
よほど手入れを怠っているのか、公園は足元が雑草で埋め尽くされている。遊具は片方が壊れたブランコがあるのみだったが、幸いにもベンチは比較的綺麗な状態で健在だったためそこへ腰を下ろした。
「……あぁ、ここか」
「この公園来たことあるの?」
「前にワールドクラッシャーと対峙した場所だよ。あの時はアイリールもいなかったし、本当に死ぬかと思ったな」
ここは以前、初対面のルクラによる強制転移で連れてこられたあの時の公園だ。あの片方が壊れたブランコと、雑草が生い茂っているこの地面を見てすぐに気がついた。まぁ、今はどうでもいいことだが。
とにかく、そんな余計な事でも考えていないと俺のアレがすごいことになりそうで。デスゲームの頃からずっとこんなエロイベントに振り回されている自分に辟易して苦笑いしつつ、ため息のように白い息を吐きだした。
「はぁぁ……」
「…………」
隣に座っているアイリールは何も言わない。発情しかけている俺に対して、どんな言葉をかけていいのかが分からないのだろう。
ただ、それがありがたい。励ましの言葉を貰うよりも、ただ傍にいてくれるだけで心が楽になることもある。
……しかし、これからどうしたものか。自慰で発散できるものではないし、もう悟りを開いて性欲を克服するしかない気がしてきた。多分むりだけど。
「……っ」
冬らしい肌寒い風が頬を撫でる。少しだけ火照った体が冷まされたような気がする。
そんな折、右手に不思議な感触が伝わってきた。
「……アイリール?」
彼女だ。隣でうつむいていたアイリールが、突然俺の手を握ってきた。
気遣いはありがたいのだが、これでも俺たちは男女だ。いつもの状態ならいざ知らず、発情しかけている俺に接触するのはいささか危険が過ぎる。
……いや、もしかすると彼女は俺が暴走してどこかへ行かないよう、手を握ることで拘束しているつもりのかもしれない。
「大丈夫だぞ、誰かを襲ったりなんかしないから。……まぁ、最悪俺が危なくなったら、あのいつものフライパンでぶん殴って気絶させてくれ」
冗談めいた口調で言ってみたが、アイリールはどこか浮かない顔だ。その抑揚のない無表情からは、珍しく俺でも感情を読み取ることができない。
「どうした……?」
「…………あの、ね」
ようやく口を開いたかと思えば、彼女は俺の右手を握る力を少し強めた。
「わ、わたし、その……」
そんな風に力強く俺の手を握っているのだが、肝心の彼女の手は僅かに震えている。とても不安げで緊張を隠せていない。
「夜の、ためだったら……」
必死に喉奥から声を絞り出す彼女の姿は、見ているこちらも苦しくなってきてしまいそうな程に弱弱しい。
まるで自分を押し殺して、心にもないことを言おうとしているような。
「あなたの為なら、わたし……」
自らの想いを無視して、俺を助けるためにその言葉を言おうとしている。
発情しかけている人を救う方法などたった一つだ。今までもそうしてきたし、これからも必要があればそうするかもしれない。それがデスゲームに参加してリアになった時から、俺の中にある当たり前の常識だから。
「わたしはっ、あなたと……!」
──でも、これは違う気がする。
俺は彼女にそんなことを言わせたくはない。
どうしても俺は。
「アイリール、頼みがある」
「っ! …………夜?」
俺は。
「発情が治まるまで……俺の、話し相手になってくれるか?」
「えっ……」
彼女とだけは。
「朝までかかるかもしれないけど。頼むよ、相棒」
この少女とだけは──
幼馴染でも、友達でも、親友でも、家族でも、恋人でもない。
それでも、きっと誰よりも俺を理解してくれていて。
俺が誰よりも理解したい、誰よりも大切にしたい──そんな人だから。
俺は、彼女に自分を傷つけるようなことは、言ってほしくない。
「いいかな、アイリール」
「…………」
今度はしっかりと彼女の眼を見てそう口にした。アイリールが握ってくれた手を握り返し、溢れかえる性欲を意地で押さえつけて、いつもの美咲夜に戻れるように努める。
「──うん」
すると、彼女は返事をしてくれた。
手の震えは消え、強張っていた口元を緩ませて、安堵してくれた。
それを見て、ようやく俺も安心できる。
「でも夜、何を話すの? 私たち、お互いが知らないことなんてほとんどないよ」
「いーや、沢山あるぜ。記憶の共有はしたけど全部じゃない。俺も、お前もな」
いつもの調子に戻ってきた。彼女と一緒ならば発情なんてものも乗り越えられる。
それにいい加減、頭の悪い性欲に振り回されるのはもうウンザリだ。
「昔話をしよう。手始めに俺と呉原の出会いから、とか」
「……くすっ、やっぱり夜は呉原君のこと好きだね。てっきり朝陽君の自慢でもするかと思ってた」
「おっ? 聞きてぇんだったら聞かせてやるぜ? 我が愛しの朝陽の武勇伝をな……!」
話のタネはいくらでもある。アイリールの知らないことなんて山ほどだ。聞いて驚け無表情っ娘め。
じゃ、朝まで語り明かそうか。もちろん怪しい意味じゃなくてね。
★ ★ ★ ★ ★
カーテンが閉められた暗い部屋の中で、静かな呼吸の音だけが木霊している。
時計の秒針が動く音と、ベッドで眠っている目の前の少年の息遣いだけが、私の耳に響く。
「すぅ……すぅ……」
深い睡眠の中にいるようで安心した。昨晩から発情に抗い続け、朝まで喋り倒した彼は自分の部屋に戻った瞬間ベッドに倒れこみ、今はこうして泥のように眠っている。
「……お疲れ様」
「んんぅ……」
寝ている彼の頭をそっと撫でると、私の手から逃げるように夜は寝返りをうって背を向けた。起こすわけにはいかないし、もうちょっかいを出すのはやめておこう。
「むにゃむにゃ……」
ぐぅぐぅと眠る夜の横で椅子に座り、何をするでもなく彼の寝顔をジッと眺める。すでに時刻は昼頃だが、どうもここから離れる気にはなれない。
いつもウォッチの中にいるせいで体力が有り余っているのか、私は欠片も眠くない。ゆえに彼の傍で眠ることもなく、朝餉も昼食もとることなくこの部屋で座っている。
この家の中なら夜から離れることも怖くない。いつもなら勝手に下へ降りて寛いでいる。
でも今は、どうしてもそんなことをする気にはなれなかった。自分の心の整理が終わっていない段階で誰かと話すのは、少々気が引ける──いや、怖いから。
「……っ?」
コンコン、と部屋のドアが叩かれた。美咲家の誰かが、昼過ぎになっても起きてこない夜の様子を見に来たのかもしれない。
「どうぞ」
その一言で、部屋の扉は開かれた。
中に入ってきたのは背が低い黒髪の少女──レンだった。
「おかえり。もう帰ってたんだ」
「……蓮斗くん」
何故だか私は彼女と二人きりになると、レンという名前で彼女を呼べない。それが仮の名前だと知っているからなのか、彼女を前にすると記憶の根底に焼き付いた『彼』の姿が透けて見えるようで、どうしてもそれを無視してレンと呼ぶことはできなかった。
「リアは……あぁ、まだ寝てるのか」
「……うん」
そして不思議と、レンも私と話すときは口調が蓮斗のものに戻る。お互いがゲーム世界の人間だからなのか、それとも他に何かがあるのかは、わからないけれど。
「小春から全部聞いたよ。大変だったな」
「ううん、特に大変なことはなかったよ」
「そうなのか?」
不思議そうな顔で夜と私を交互に見るレン。
「デメリット状態だったんだろ? リアの相手は大変だったんじゃ……」
「……」
違う、勘違いしている。経験上レンがそう考えるのも無理はないし、それが当たり前の解決策なのかもしれないが、断じて違う。
「してないよ、何も」
えっ、と困惑するレンだが、構わず続ける。
「私と夜は何もしてない。なにも」
力んだ声で否定する。
「あんなこと、するわけない」
なぜだか口が軽い。
「私と夜は──」
──特別なんだから。
その一言が出てくる寸前にグッと堪え、かぶりを振った。
「……何でもない。実は黒野博士に薬を貰ったんだ。それを飲んで夜は発情を消したの」
黒野本人に確認を取ればすぐにでもバレる嘘を平気で口にして、その場しのぎをする。
「そうだったのか……いや、悪いアイリ。変なこと言っちゃったよな」
「大丈夫。そう考えるのが普通だから」
そんなことを言いながら、私は自分の中で燻っている黒い感情に辟易していた。
あぁ、あぁ──気持ち悪い。
私は自分が気持ち悪くてたまらない。嫌いだ、こんなことを考える自分が何よりも大嫌いだ。
いま、私は気色の悪い優越感を抱いていた。私はレンや小春とは違うと。性行為なんてしなくても、夜は発情を乗り越えて私の傍にいてくれたのだ、と。
ずっと前からそうだった。私はずっと、夜のことが好きな人たちをみんな心のどこかで見下していた。
私には勝てない。私が夜に一番近い。同じ記憶を、同じ快感を得られる私こそが夜の一番なのだと。
だから、恐れた。
発情に苦しむ夜を助けようと性行為を提案しかけたとき、私の中にある自尊心という支えが揺らいだ。
──もしこのまま性行為をしたら。
私は夜の中でレンたちと同列になってしまうのではないか。
彼に身体を許し、仕方のない事情のある性欲を抱えたときは、体を使って発散させてあげる彼女たちと、私との明確な線引きが消えてなくなってしまうのではないかと、焦った。
結局私の意思を読み取ってくれた夜のおかげでそれは守られたけれど、自分自身がそんな黒い感情を抱いたことが気持ち悪くてたまらない。
悪い子だ。私は悪い子なんだ。夜の思っているような良い女の子じゃない。ずっと黒い感情を抱えたまま隣に居座っている──悪い子。
「……アイリ?」
「っ! な、なに?」
「顔色が悪いぞ。やっぱり何かあったんだろ」
「そんなこと……」
何かあったわけじゃない。ずっと昔から変わらない。
私は自分という存在がこの世で一番大嫌いで、夜の傍にいられることが幸せだと思う一方で、こんな私みたいな悪い女の子は彼の隣には相応しくないとも感じて、結局いつも勝手に一人で落ち込んで塞ぎ込んでいるだけだ。
心配されるようなことなんて何もない。むしろレンには謝りたいくらいだった。私なんかがいなければ、彼女は今よりもずっと夜の近くに──
「おいアイリ」
「うぇっ」
いつの間にか目の前にレンの顔が。ビビッて体を引こうとすると、彼女は私の手を握ってきた。
「ど、どうしたの……」
「いったい何を悩んでんのか、どんな難しいことを考えてんのかは知らないし、聞こうとも思わない」
だけどな、と続ける
力強く握られたその手を、私は振り払うことができない。不思議と嫌ではなかったから、なのかもしれない。
「まず朝ご飯も昼メシも食べてないからそんなにイライラしちゃうんだよ」
「…………え?」
「ほら、俺が昼食作ってやるから」
そのまま私を部屋の外へ連れ出そうとするレン。
どうしたらいいか分からず狼狽し、彼を引き留める。
「ま、待って、確かにお腹は空いてるけど、夜が……」
「
「うわわっ」
半ば強引に部屋から連れ出され、階段を下りてリビングへ。
他のみんなは出かけているのか、居間にいるのは私とレンだけであった。
「ほら座って」
テーブルの前にある椅子に私を座らせると、レンはエプロンを装着して台所へ移動した。そして冷蔵庫の中身を確認しながら私に声をかけてくる。
「パスタを作るぞ。ミートソースかカルボナーラかペペロンチーノか選ぶがいい」
「えっと……」
「選ばないと俺が勝手に決めるぞー! はいさーん、にー、いーち」
「かっ、カルボナーラ……!」
「あいよ。すぐに作るから待っててくれよな」
私がメニューを選ぶとレンは明るい笑みを浮かべ、そそくさと料理の準備をし始めた。見るからに手際が良く、本当にすぐ料理が出てきそうな雰囲気だ。
……気を遣ってくれたのだろうか。それとも単純に放っておけなかったのか。
どちらにせよ無理やりあの部屋から連れ出されたことで、私の黒い負の感情は思考をやめた。いま残っているのは純粋な食欲と、料理の完成を心待ちにしている気持ちだけになっている。
──蓮斗くんのおかげで。
「…………」
「ふんふ~ん♪」
鼻歌交じりに料理を進めていくレンをジッと眺めていると、不思議と心の靄が薄れていく気がした。
とても強引な手段だったけど、私みたいな面倒くさい人間をどうにかするには、それくらいが丁度いいのかもしれない。それを知っていてレンは私を連れ出してくれた。実際空腹で頭の中が散らかっていたのは事実だ。
というか、少し思いつめただけでこれだ。レンは少々人の感情に敏感すぎるのではないだろうか。
「……そっか」
いや、それこそレンが蓮斗たる所以なのだ。
人の感情にいち早く気がつき、大して時間をかけることなくすぐさま解決策を導き出して、その人にとって良い方向へ進める道標を示してくれる。
忘れていた。そうだ、彼は。
「ねぇ、蓮斗くん」
「どしたー?」
「───ありがとう」
「ん? お、おう……? まだ料理できてないぞ?」
「……ふふっ」
そういう鈍感なところも含めて。
海夜蓮斗という男の子は──主人公だったのだ。
【RESULT】〈デスゲーム編・現実世界編〉
名前:美咲夜
性別:男(変身により逆転可能)
能力:リア変身時のみフライパンとレーザー銃の即時生成
実績:↓
1・仮想世界ダイブ型デスゲームをクリア
2・悪の科学者『黒野理愛』の改心
3・現実世界におけるリアへの変身
4・ワールドクラッシャーとの一時的な和解
攻略リスト:↓
【〇】攻略済み:フィリス・レイノーラ
【〇】攻略済み:自由ヶ丘陽菜
【〇】攻略済み:藤堂文香
【〇】攻略済み:高月ロイゼール
【◎】完全攻略:海夜小春
【〇】攻略済み:呉原永治
【〇】攻略済み:剛烈雪音
【〇】攻略済み:真岡正太郎
【〇】攻略済み:黒野理愛
【×】未攻略:ワールドクラッシャー
【×】未攻略:海夜蓮斗
【×】未攻略:アイリール・ダグストリア
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