お前のハーレムをぶっ壊す   作:バリ茶

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先にネタバレすると今回はボコボコにされて負けます


リアの乖離

 

 

 走る。あと一時間もしない内に夜が明けるであろう深夜の、街灯だけが頼りな暗い夜道を一心不乱に駆け抜ける。

 街に出た。大きな交差点に設置された信号は点滅していて、人はおろか車一台だって見当たらない。

 立ち止まった。息が切れ、過剰に酸素を求める肺に呼吸のスピードが追い付かず、つい咳きこんでしまう。

 

「ケホッ、げほっ! ……あぁ゛、何だってんだよクソ……!」

 

 悪態をつけば白い息が漏れる。身も凍るような寒空に、大して温かくもない寝間着のジャージで放り出されたというのに、俺の体は汗をかくほどに火照っていた。

 

「はぁっ、はぁ……ふぅ……」

 

 数分間膝に手をついて肩を上下させていると、次第に息が整ってきた。蒸されたように熱い頭が寒風で冷やされ、落ち着きが戻ってくる。

 ようやく”逃げる”以外の思考をするだけの余裕ができた。アクセスウォッチが装着された右手を胸に当て、心の中の相棒に声をかける。

 

(アイリール、小春は来てるか?)

 

 すると、いつもの抑揚のない声音とは正反対な、焦燥感のある言葉が帰ってくる。

 

(き、来てはない……。けど、どうするの? 私たち、どうして小春に追われてるの?)

 

(それは……)

 

 彼女の問いに答えることはできなかった。何故なら俺にも、心当たりなんて全くないから。

 

 

 

 突然の事だった。

 いつも通り自室でアイリールと共に眠っていると、突然大きな音を立てて部屋の窓ガラスが砕け散って。

 その音に驚いて飛び起きてみれば、部屋にはいつの間にか小春の姿が。

 妙な様子の小春に声をかけようとしたところ、予想外な事に小春が”電撃”で俺を攻撃してきたのだ。

 

 咄嗟にアイリールが手を引いてくれたおかげで攻撃は当たらなかったものの、何故だか小春からは明確な殺意を感じ取ることが出来てしまい──こうして彼女から逃げている。

 余裕がなかったせいか、スマホと無敵の腕時計も持ち出せなかった。

 

(なぁ、もしかして黒野さんとの事……バレたのかな。それに怒って俺たちを……)

 

(そんな雰囲気には見えなかった。殺意はあったけど、怒りの感情は──というか、そもそも小春が電気を使えるのがおかしいよ)

 

 そうだ、小春は仮想空間ではないこの世界じゃ電気の能力は使えない。アクセスウォッチを介して、元からこっちの世界の人間である朝陽と融合することで、ようやく本来の力が使えるようになる。 

 

(でも朝陽は家にいるし、小春はウォッチを身に着けてなかった)

 

 アクセスした状態ではないのに、どういうわけか能力が使える。

 そして何より俺たちに殺意を向けていて──ダメだ、今の状況が全く分からない。小春に何が起こっている?

 

 

『海夜蓮斗といいお前といい、いちいち逃げるなよ、面倒くさい』

 

 

「ッ!」

 

 後ろから声が聞こえた。

 咄嗟に振り返ると、そこには青白い街灯に照らされた、全身が黒い人型の何かがいた。

 

「……ルクラ?」

 

 あの姿には見覚えがある。まるで真っ黒なマネキン人形のようなアレは、初対面したときのルクラが変身していたワールドクラッシャー本来の姿だ。真岡から聞いた話だと少女の姿は後天的に手に入れたものらしいので、あれが彼女の正体で間違いない。

 

『我はルクラなどという名前ではない。あんな出来損ないと一緒にするな』

 

「出来損ない……? お前ルクラじゃないのか?」

 

『名はワールドクラッシャー。それ以外の何者でもない』

 

「……っ」

 

 機械音声のような言葉から得られた情報はただ一つ。今目の前にいるのは俺が知っているあのルクラという少女ではない、ということだけだ。

 

(どういう状況なんだよ!?)

 

(……いろいろあって善と悪のルクラに分離した……とか)

 

(そんなどっかのラスボスみたいな話ある……?)

 

 到底信じられないが──いまさら常識云々を語るつもりもない。

 俺は既に常識では考えられない体験をいくつもしているのだ。ゲームと現実が融合したり、二人の人間が一人になったりするようになったこの世界で、一人の存在が二人に分裂したとしても不思議ではない。

 そもそもワールドクラッシャーという存在自体が非常識の塊なのだ。彼女の身に異常が発生しても、それはきっと非常識でも何でもなく”そういうもの”なのだろう。

 

 そう思わないと思考を次に進められない。今考えるべきは奴の正体ではなく目的だ。

 

「何が望みだ」

 

『お前のその腕時計の中にいる小娘が必要なだけだ。下手に抵抗なんぞせずその女を渡せば、お前には危害を加えずに立ち去ってやる』

 

「アイリールを……?」

 

 理由は分からないが、目の前のワールドクラッシャーはアイリールの誘拐らしい。

 敵意を剥き出しにしつつ、俺は一歩後ろへ下がる。

 

「この子を渡すわけにはいかない。何があってもだ」

 

『無力な雑魚のくせに虚勢だけは一人前だな』

 

 何と言われようと知った事ではない。少なくとも俺の中には、得体のしれない怪しい人間にアイリールを引き渡す、なんて選択肢は存在しない。

 それに。

 

「おまえ……小春に何かしただろ」

 

 アイリールを狙う奴の存在と、唐突に俺たちを襲ってきた小春の行動が結びついた気がする。小春が本気で怒った姿を見たことはないが、それでもあんな暴挙に出るような人間じゃないことは分かってる。それにアクセスしていない状態での能力使用となれば、外的要因によって何かをされた、と考えるのが妥当な判断だ。

 

『ん? あぁ……海夜小春の力は世界破壊の起動の際に使うものだから、それまでは抵抗させないように、洗脳とかいう類のものをちょいとな。アカシックレコードに借りた力を使っただけだが』

 

「は?」

 

 ……アカシックレコードってなんだ。洗脳って単語までは分かるけども。ここに来て新アイテムの登場か? それとも何かの組織?

 

(アカシック……レコード……)

 

(アイリール? 何か知ってるのか?)

 

(……ちゃんと知ってるわけじゃない。でも、その名前を名乗る()は聴いたことある)

 

 声を聴いたことがあるということは、つまり間接的に接触したことがあるということ。けど、声だけを聴聞くことが出来たってのは、いったいどういう状況だ……?

 

(面白いものを見せろって、そう言ってた気がする)

 

(他には?)

 

(覚えてない。いつ聞いたのかも朧気。……でも、この名前だけは忘れたこと、ない)

 

 ……面白いものを見せろってアイリールに告げて、今度はもう一人のクラッシャーに力を貸して……アカシックレコードってやつは何がしたいんだ? 少なくとも組織じゃなくて個人だってことは分かったけど、行動がまるで意味不明だ。

 

 

『さて、別れの済ませたか? そろそろダグストリアを渡してもらいたいのだが』

 

 

 考える暇もない。クラッシャーは右手を横に伸ばすと、空間が歪んで──そこから小春が出てきた。

 

「あっ、リアちゃんいたー!」

 

「小春……」

 

 満面の笑みでこちらを指差す黒髪の少女の態度は、普段とまるで変わらない。それは俺たちを襲ってきたときも同様で、いつもの調子で語り掛けてきたのだ。

 しかし、昨日までの小春とは決定的に違う。

 彼女は俺に対して殺意を向けており、またアイリールの身柄拘束を何よりも優先して、なによりあのクラッシャーに味方している。

 

 ──よく見れば、小春は黒い首輪の様な物を身に着けていることが分かった。あれが洗脳の大元なのだろうか。

 

「もー、何で逃げちゃうかな。アイリちゃん渡してくれれば別に殺さないよ?」

 

 小春は笑い顔で、しかし本当の彼女なら絶対に言わなそうな言葉を言い放つ。

 

「っ……!」

 

 小春が洗脳された事実、そして事実上彼女を奪われてしまったことに憤りを感じ、俺は叫ぶ。

 

「戻ってこい小春! お前は洗脳されてんだ!」

 

 こんなあまりにもベタなセリフを吐くときが来るとは夢にも思わなかったが、これ以外に言える言葉なんて思いつかない。

 そして、やはりこんな言葉が今の彼女に届くはずもなく。

 

「うん? うん、知ってるよ。私、いま洗脳されてるんだよね」

 

「……!?」

 

 洗脳されている自覚がある、という事実に驚きが隠せなくて、つい言葉を失ってしまう。

 

「でもさ。私がこうなったのってお兄ちゃんのせいなんだよ」

 

「……れ、レン、の……?」

 

「だってお兄ちゃん、私のこと守ってくれなかったから。妹の私が首を絞められて、痛くて苦しくて助けてほしかったのに、あの人道端で寝転がってたんだよ? 信じられる?」

 

 嘲笑するように笑いながら、小春は此方に向かって歩みを進める。そして彼女の手を青白い電流が纏っていることに気がつき、血の気が引く。

 

「戻ってきてほしいんなら助けてよ。リアちゃんが私のこと助けてよ。私ってば洗脳されてるし、もしかしたらアイリちゃんにも酷いことするかもしれないよ?」

 

 ほとんどいつも通りのその口調に焦った。彼女は本当に洗脳されているのかと、不安に駆られてしまった。

 本当は洗脳なんてされていなくて、ただレンや俺に愛想を尽かしただけなんじゃないのか──そんなくだらない事を考えている隙に、小春は右手から電気の矢を撃ち放った。

 

「ほらっ!」

 

 その矢は一直線に俺の右腕に伸びていき、あまりにも速すぎるそれを躱すは出来ず、まともに直撃してしまった。

 

「ぃ゛っ!」

 

 痺れる感覚と共に尻餅をついた。咄嗟に右腕を見てみると、電撃を諸に受けたアクセスウォッチがバチバチと火を上げている。どうやらウォッチのおかげで大火傷は免れたらしいが、その代わりウォッチ本体が完全に壊れてしまったらしい。

 

「あっぢ!? あぢっ!」

 

 腕を焼くような熱さに襲われ、焦ってアクセスウォッチを取り外す。

 するとウォッチが爆発し、科学の力でその中に留まっていたアイリールが弾き出されてしまった。

 

「あぅっ……!」

 

「アイリールっ!」

 

 コンクリートの地面に放り出された彼女を何とか背中から支えたが、小春の腕が光ったのを横目に確認した俺は、そのままアイリールを抱きかかえてその場から後ろへ跳んだ。

 

「ありゃ、外しちゃったか」

 

 俺たちが先ほどまでいた場所に電気の塊が弾着する。そして小爆発が起き、火花と共に地面を焼いた。

 

「……マジなのかよ……!?」

 

 背筋に冷たいものが走る。もし俺が咄嗟に跳ばずにあの場に残っていれば、あの電撃をまともに受けて死んでいたかもしれない。正確な電圧は見当もつかないが、少なくとも人が受ければ致命傷になりかねない電気で攻撃してきているという事は、見ているだけで嫌でも理解できてしまう。

 

「大丈夫かアイリール……!」

 

「う、うん……」

 

 そうは言っているものの、腕に抱いているアイリールの声音は震えている。いつも近い距離で接してきた人間に本気の殺意を向けられてしまえば、ショックでそうなってしまうのも当然だった。無論俺も死の恐怖と、小春に命を狙われているという事実を目の当たりにして余裕がなくなっている。

 

 そんな俺たち二人へ、ゆらりと体を向けてからため息を吐く小春。

 

「はぁー……。そうやって、いつもアイリちゃんの心配ばっかり」

 

「よせ小春!」

 

「アハハ、奪ってやったら──どんな顔するかなぁ!?」

 

 大声と共に小春が殴りかかってくる。まずい、避けられな──

 

「ゥぐっ!?」

 

 その電流を纏った拳は俺の脇腹に突き刺さり、肺から空気が漏れた。

 それと同時に身体に電気を流し込まれ、全身が麻痺する。

 

「ぁがっ、ア……っ!」

 

「いっ……!」

 

 体の自由が利かなくなり、アイリールを手放して仰向けに倒れこんでしまった。あまりにも呆気なく、たった一撃で沈められてしまった。

 俺と共に地面に投げ出された彼女だったが、痺れて動けない俺の元へ何とか這いずる。

 

「夜……よるっ……」

 

「ありゃ?」

 

 そして小春から庇うようにして、座ったまま俺の頭を抱きしめた。

 俺に抱きかかえられていたことで少なからずアイリールにも電気が流れたはずなのに、彼女は麻痺をどうにか堪えて俺を庇っているのだ。

 

「アイっ、り……、る……!」

 

「あぁー、なに、愛の力的なアレ? 凄いねアイリちゃん、根性だけで私の能力に抗っちゃってるんだ」

 

 ヘラヘラと笑う小春を見上げて、アイリールは今にも泣きそうな表情で震えた声を発する。

 

「やめて、小春……夜を、傷つけないで……」

 

「洗脳されてるんだからしょうがないじゃん。嫌ならアイリちゃんが私を助けてよ」

 

 小春は攻撃を止めようとしない。右手を銃の形にして、此方へ向けている。指先に電気が蓄積させ、今にも俺たちを電磁砲で撃ち抜かんとしている。

 

「できないんだったら大人しくここで捕まるか、リアちゃんと一緒に死んで──」

 

 

 小春が指先から雷の弾丸を放つ──その刹那。

 

 

「待ってください!」

 

 

 誰かの叫びが聞こえ、何者かが後ろから小春の腰に抱きついた。

 今の、声は──

 

「おぉっと……あれ、朝陽くん?」

 

 辛うじて見上げた先にいたのは朝陽だ。俺の弟が、小春に抱きついて行動を抑制している。 

 

「やめてください小春さん! 一体どうしちゃったんですか!?」

 

 まさか俺たちの後を追ってきたのか? 窓ガラスが割れたり走り回ったりと、中々に大きな音を立てたから起きてきても不思議ではなかったが、まさか追いかけてくるなんて思わなかった。

 まずい、今の状態の小春に朝陽を近づけたら……!

 

「にげ、っ……! ぁさひ……ッ!」

 

「どうしたの朝陽くん。子供はまだ寝てなきゃダメな時間帯だよ?」

 

「何言ってるんですか!? 小春さんおかしいですよ!」

 

 よせ、庇うな朝陽。頼むから今すぐ逃げてくれ。

 

「何でこんな事……!?」

 

「君は知らなくていい。私、別に貴方のお兄さんを殺したいわけじゃないの。酷いことはしないから、この手を放して? いい子だから……ね?」

 

「……っ?」

 

 小春が少しだけ落ち着いた? 相手が朝陽だから……?

 

「そういうわけにはいきません……!」

 

 朝陽が小春を離し、両手を広げて俺たちの前に立ちふさがった。見て分かるほどに怯えながら、それでも自分を奮い立たせて小春から俺たちを庇っている。

 

「小春さん、本当は操られてなんかないんでしょ……? 従ってるフリをしてるだけですよね……!?」

 

「……」

 

 少し離れた位置にいるクラッシャーには聞こえないよう、小さな声で語り掛ける朝陽。

 だが、小春は無表情のまま何も言わない。

 

「教えてください……! 作戦があるなら手伝いますから……っ!」

 

 

「……全然、ちがうよ」

 

 

 ゾクリ、と。背筋が凍るような、冷たい声音で小春が呟く。

 

「違う、勘違いしてるよ。そうじゃないんだよ朝陽くん。ここまで言ったのにどうして分かってくれないのかなぁ……?」

 

「こ、小春さん?」

 

「これでも精一杯なの。抗ってるの。今にも自我が潰れそうなんだよ。……それでもわたし、朝陽くんには絶対──」

 

「ぅぐっ!?」

 

 朝陽の胸倉を掴んで持ち上げる小春。歪んだ表情で俺の弟を睨みながら、彼女は右手を振り上げる。

 

「こんなこと」

 

「小春、さ……っ」

 

「──こんな事したくなかったのに!」

 

 ヒステリックな叫び声を上げながら──小春は朝陽に平手打ちをした。

 

「ゥぶっ! ……ぃ゛っ!」

 

 電気を使ってはいなかったものの、一切の遠慮が感じられない本気の力で殴られた朝陽は、小春の手から離れて地面に転がり落ちて倒れ伏した。

 

 

「……ぁ゛、ぅ……っ」

 

「はぁっ、はぁ……!」

 

 

 朝陽が、殴られた。

 小春が、朝陽を殴った。

 

 信頼するパートナーであるはずの二人が、こんな──

 

「クラッシャぁぁ゛ッ!」

 

 あの心優しい小春を、ここまで変えてしまったクラッシャーに、俺は憤激の叫びを荒げた。

 

 だが。

 

『海夜小春。早くしろ』

 

「あぐっ!?」

 

 その瞬間小春の首輪の中心が赤く点滅し、小春が呻き声を挙げてよろめく。

 

「…………あぁ」

 

 すると小春の瞳孔が紅色に染まり、彼女は先ほどまでの戦闘とは比べ物にならない程の高圧の電流をその身に纏った。

 そして倒れ伏している朝陽に人差し指を差し向け、指先に電磁砲の蓄電を開始する。彼女の表情に迷いはない。

 

「よせ小春ッ!」

 

「……」

 

 小春は無表情のまま微動だにしない。先ほどまでとは打って変わり、もはや彼女の眼には殺害対象である朝陽しか見えていないのかもしれない。

 

「おい! くっそ……ッ!」

 

 未だに麻痺して満足に動かせない体を、それでも無理をして起こそうと躍起になるが、僅かに電流が伝ったアイリールとは違って拳から直接内側に電気を叩き込まれたせいか、四肢が思い通りに動いてくれない。

 

「何で動かねぇんだ……!」

 

 このままじゃ朝陽が──

 

 

「……夜」

 

 

 まるで生まれたての小鹿のように、無様に立ち上がろうとしては失敗してを繰り返していると、アイリールが小声で呟いた。

 

 

「……今までありがとう」

 

 

「……は?」

 

 何を言ってんだ?

 

「朝陽くんは電気を使わずに殴られただけだから、大丈夫。寒さにやられて風邪を引かない内に、ちゃんと連れ帰ってあげてね」

 

「おい、アイリール……?」

 

 どうして俺から離れるんだ。

 

「あとは私が何とかするから」

 

「ばっ、バカ! 待ておい!」

 

 どうするつもりだ。何で悟ったような顔してんだ。なんで、なんで。

 

「ふざけんなッ! 待てって! アイリール!!」

 

「だから……」

 

 

 俺を置いてどこへいくんだよ。

 

 

「助けには……こないでね」

 

 

 待て。

 待て待て待て。

 

「小春、私を連れていって」

 

「……」

 

「アイリール!」

 

 行くな。ふざけるな。なに一人で勝手に納得してんだ。

 

『ようやく諦める気になったか?』

 

「もう抵抗はしない」

 

 やめろ、俺の、おれの、たった一人だけの()()なんだ。

 

『物分かりがよくて助かる。では、隔離空間へ戻るか』

 

「おい!!」

 

 待て。待って。

 頼む、まってくれ──

 

「アイ──」

 

 

 

「さよなら」

 

 

 

 ──あ。

 

「……っ、ぁ……あ」 

 

 どこにもいない。

 

「あ……あぁ……」

 

 あの子が、どこにもいない。

 

 

「はっ、ァ……!」

 

 

 動悸がする。胸の中が今にも爆発してしまいそうだ。

 いつも、どんなときも隣にいてくれたあの子が、どこにも──

 

「……ふ、ふざけんな……!」

 

 諦められるか。助けにいかない訳がない。こんなところで打ちひしがれている暇なんてない。

 

「朝陽っ、……帰るぞ、朝陽……!」

 

 早く、何とかしないと──

 

 

 

 

 

 

 

 

「真岡さん!? 俺だ! 美咲だ!」

 

 動けるようになった体で一旦家に戻り、朝陽をベッドに寝かせ、自室で真岡に電話をかけた。以前は番号を教えることに躊躇していた真岡だったが、緊急時の連絡先は予め黒野から貰っておいたのだ。

 今連絡すべきなのはきっと真岡だ。次点で剛烈。少なくとも俺の中では、親と同じくらいに信頼できる大人は剛烈雪音と真岡正太郎だけだから。

 

『……んも、もしもしボウヤぁ……? まだ明け方よぉ……?』

 

 眠気を帯びた声が電話越しに聞こえてくる。時間帯で言えば何もおかしくはないし、それどころか電話に出てくれただけでもありがたい。

 

「起こしたんなら謝るから、話を聞いてくれ!」

 

『……』

 

 一拍置いて。

 

『んン゛っ。……どうやら緊急時みたいね。話して頂戴』

 

 ゴソゴソと物音が聞こえるが、これはおそらくメモの用意だ。

 本当に助かる。いつ如何なる時でもすぐに意識を切り替えて、口調や声音から大体のことも察してくれるこの人は、やっぱり一番頼れる大人だ。

 

 俺も落ち着いて、しっかり状況を伝えないと。

 

「一時間くらい前の夜中にワールドクラッシャーが現れて、俺たち襲われたんだ。ルクラじゃなくて、もう一人の……って言ってた」

 

『……最近あの子とは連絡が取れてなかったけど、おかしな事になってるみたいね……それで?』

 

「そのもう一人のクラッシャーが”アカシックレコード”って人物の力を借りて、小春を洗脳してた。最初は元の意識が残ってたみたいなんだけど、今は強制的に操られてるっぽい」

 

『彼らは何処に?』

 

「隔離空間へ戻るって言って、変なワープゲートを潜って消えた。多分ルクラが前に言ってた隔離空間で間違いないと思う」

 

 なるべく簡潔に事情を説明していくが、やはりどこか落ち着けない。アイリールが攫われたという事実を再認識しようとすると、焦燥感で頭がおかしくなりそうになる。

 だから、なるべく客観的に捉えて、物事の共有をして自分を安心させないと話にならない。

 

「ルクラの居場所は……分からない」

 

『なるほどね……うん、オッケ。他には?』

 

「っ……えっ、と……」

 

 落ち着け、大丈夫だ。アイリールの事だって、きっと真岡なら直ぐとは言わずとも、必ず解決策を見つけてくれる筈。俺は一人じゃない。アイリールを想う味方がいる。それは自分が一番よく分かってるんだ。

 

「あ、アイリールが……攫われた」

 

『……っ!』

 

 真岡の驚く声が聞こえたが、無理もない。俺とアイリールはいつも一緒だったし、あの子は色々と特別な存在だから当然だ。

 

『……そう。ついに第三者にまで被害が……なんてこと……』

 

「んっ……」

 

 第三者、という言い回しに少し引っかかる。アイリールは明らかに当事者だが……そんなこと気にしてる場合じゃない。

 

「それでっ、アイリールを助けるためには……ど、どうしたらいい?」

 

 胸元を掴みながら、爆速で躍動する心臓をなんとか堪える。ストレスを感じた時に起こる腹痛が無視できないものの、電話の向こうに真岡がいると意識すれば多少は気が軽くなる。

 デスゲームの時も、ゲームフィールド事件のときも、窮地に立たされた事なんていくらでもある。

 そのたびに何度も問題を解決して進んできたんだ。今回だって大丈夫だ。

 

「俺一人じゃ、落ち着いて考えられなくて……」

 

『そうね。一人で考えられる域を超えているもの。むしろ、そんな事があったのにこれだけ正確に状況を伝えていられるだけ、アンタは強い子よ』

 

 子供をあやすような、優しい声音がスマホから聞こえてくる。そのおかげか、少しだけ冷静になることができた。

 

「……ありがとう」

 

『んっ。じゃあアタシはとりあえずデム隊への情報共有と、それから剛烈への連絡を……あぁごめん、その前にちょっといいかしら』

 

「なに?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『そのアイリールって娘の事、少しだけ教えてくれる? 名前、聞いたの初めてだから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 何言ってんだ?

 

 

『男の子……いえ、名前の響きからして外国の女の子よね? 通っている学校とか、フルネームを教えてくれたら後はこっちで調べるわ』

 

「いや……えっ?」

 

 

 この人は何を言っている? ふざけているのか?

 ──まさか、冗談で和ませようと? そうだとしたらセンスがない。

 

「ま、真岡さん? こんなときに、そんな冗談笑えないぞ……」

 

『えっ……? あっ、ごめんなさい、前にその子の話をしてたのね。申し訳ないけど覚えてなくて……えっと、ボウヤの友達……で合ってるわよね?』

 

「は……?」

 

 その子? 覚えてない? 友達?

 何でそんな冗談を続けるんだ。知らない訳がないだろ。

 

「おい真岡さんいい加減にしてくれ。言っていい事と悪い事があるだろ……!」

 

『……ほ、本当にごめんなさい、どうしても記憶にないの。……お酒の席で聞いたのかしら……』

 

 

 ……なんだ? 様子がおかしい。

 真岡さんの声からは、決して冗談じゃない困惑を感じる。

 

「あ、アイリだよ。アイリール」

 

『う、うん……』

 

 何でそんな弱々しい返事なんだ。

 どうして彼女の名前で困惑している。

 

「アイリール・ダグストリア……! 知らない訳ないだろ!? リアだよ! 俺の相棒だ!」

 

『リア……? リアは、あなたでしょ……?』

 

「だっ、だから! 仮想世界で俺と一緒だったもう一人のリアだよ! この世界でも俺とずっと一緒だった!」

 

 俺は何でいまこんな事を説明している? 一刻も早く彼女たちを助ける算段を組まなきゃいけないのに、何やってんだ俺は?

 

「ゲームフィールド事件の時、俺にアイリールとアクセスしろって言ったのはアンタだろ!?」

 

『あ、あの時はボウヤが仮想世界のリアの肉体データを──』

 

「何言ってんだよ!?」

 

 訳が分からない。あのとき、最初のゲームフィールドの事件のときは、俺がアイリールを呼び出したからリアに変身できたんだ。肉体データだとかそんな話じゃなかった筈だ。

 

『えっ、えぇ……? ボウヤ……?』

 

「っ!」

 

 なんだ、その声は。まさか俺を心配しているのか?

 ()()()()()()()()()()()()()()心配しているのか?

 

「は……ぁ……?」

 

 本当に知らないのか? 

 真岡はアイリールを知らないのか?

 

 

 ──覚えてない、のか?

 

 

「……っ゛! か、かけ直すから!」

 

『え? ぁ、ちょっ』

 

 剛烈だ。あの人に電話をかけよう。

 真岡は何かがあってアイリールの事を忘れているんだ。あのワールドクラッシャーが何かをしたのかもしれない。

 

「もしもし!」

 

『ん、もしもし、美咲くん? 起きるの早いね』

 

 電話に出たときの真岡と違って眠気のこもった声じゃない。きっと最初から起きていたんだ。寝ぼけてないなら話は早い。

 

「剛烈さん!」

 

『は、はい』

 

「アイリール、アイリールダグストリア! アイツの事覚えてますよね!?」

 

『へ? ……あ、ごめん、もう一回いい?』

 

 アイリです、俺の相棒ですと、真岡に説明した時と同じ言葉を口にする。本来ならわざわざ伝える必要のない、知っていて当然な彼女の情報を滔々と伝えていった。

 

 

 

『えっと……ご、ごめんね、覚えてない……』

 

 

 そして、真岡と同じような言葉が帰ってくる。

 

『その子の話をしたの、多分私ではないんじゃないかな……?』

 

「……っ、ぅ……ッ」

 

『あ、もしかして人探し? それなら私も協力して……美咲くん?』

 

 スマホが手から滑り落ちる。鈍い音を立てて床を叩き、画面が見えなくなる。

 

『えっ……? な、何かあったの!? もしもし! もしもし! 美咲くん!? 聞こえてるッ!?』

 

 

 呼吸が荒くなる。

 視界が歪み始める。

 心臓の鼓動が早くなる。

 

 

「ハッ、はぁっ、ハァっ、あっ」

 

 すぐさま箪笥の引き出しを開けた。ここには俺とアイリールの服が

 

「……なんで、なんでなんでなんで……」

 

 ない。あの子の服がない。隣の引き出しを開けてみても、俺とは別々に収納されているはずの彼女の下着類が見当たらない。空っぽだ。何も入っていない引き出しがいくつも存在している。

 

「っ!? ……ッ!?」

 

 周囲を見渡す。あの子に買ってやったクッションがない。

 階段を駆け下りて玄関へ行く。彼女が履いていた他の靴がどこにもない。

 部屋に戻ってみても、アイリールのいた痕跡がどこにも残っていない。彼女がいたことを証明する全てが、この家から消え去っている。

 ……なんだ。何が起こって──

 

「あっ!」

 

 咄嗟に思い出し、ポケットに手を突っ込んで中のものを取り出した。

 小春の電撃で半壊した、ボロボロのアクセスウォッチを。

 

「なんだこれ……!?」

 

 ウォッチが端から灰のように崩れ去っていく。落ちた破片は光の粒子になって消えていく。

 

「やっ、やめろ! やめろ!! 止まれ!!」

 

 腕時計を胸に抱え込んで叫ぶ。

 

「やめてくれ! 消えないでくれ!」

 

 必死に喚きながら、懇願しながら腕時計を守るようにして蹲る。

 

「アイリールは居たんだ! いたんだよここに! 覚えてる! 俺が覚えてる!!」

 

 このアクセスウォッチは彼女がこの世界にいた証拠だ。俺と一緒に生きてた証だ。これは、これだけは失いたくない。

 

「ああぁ゛ァッ゛! や゛めろぉ!」

 

 涎と涙を撒き散らしながら、誰が目の前にいるわけでもないのに、無様に喚きたてる。

 これしか、こんな事しかできない。

 それでも忘れてないんだ。俺は覚えてるんだ。アイリールは確かに存在していたんだ。

 

「……っ! ぁ……!?」

 

 時計が崩壊を止めた。

 まだ時計盤の部分は残っている。

 けど、気を抜いたらまたすぐにでも崩壊が再開されてしまう──そんな気がしてならなくて。

 

「ッ、ぃ……、っ゛……!」

 

 彼女の存在を証明する、この手に残された最後の砦を守りたくて、時計を深く抱え込んだまま固まる。

 

 

 この場から、俺は一歩も動けやしない。

 

 




敗北はこれで終わりです!終わりです!終わりです!

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