お前のハーレムをぶっ壊す   作:バリ茶

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二話分のエピソードがくっ付いてるちょっと長いです


その少年は私を照らす光

 

 

 

 

 真っ暗な部屋に蹲り、祈るように腕時計を抱え込んでいると、次第に頭の中に靄が掛かり始めた。

 

 夢うつつの様な、曖昧な感覚。脳内に”何か”が入り込んできて、次第に俺の思考を奪っていく。

 

 映像の様なものが脳裏によぎる。いや、目の前に映し出される。暗い自室で閉じ籠っているはずなのに、俺の視界は別の何かをハッキリと見ていた。

 

 これは、記憶。

 最後まで()()が俺に見せることのなかった過去の記憶。

 信頼し、体を預け、心を繋げても尚、心の奥底に封印し続けた彼女の真実。

 

 それが今、見える。俺と彼女を繋いでいた腕時計の中に残った記憶の残滓が、過ぎ去ったあの日を追憶させる。

 

 これは俺のじゃない。

 

 

 ──私の記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は恵まれた環境で育ってきた。

 

 両親は私が幼い頃に交通事故で先立ってしまったが、親代わりとなって引き取ってくれたダグストリア家の夫婦はとても良くしてくれた。

 

 勉強を頑張れば褒めてくれたし、悪いことをすれば叱ってくれたし、二人の仕事の都合で引っ越した先の日本の事も、そこで必要とされる国の言葉も熱心に教えてくれた。

 

『あぃ、がとう』

 

 それが私の一番最初に発した日本語。両親を失って塞ぎ込んでいた私が”言葉”を、それも日本語を喋れたことに、二人は大いに喜んでくれて。それがとても嬉しかったからか、その日以来私は日本語をたくさん学ぶようになった。

 

 もっと勉強しよう。この国の言葉を知ろう。そうすれば二人が喜んでくれるし、この地に住む人々の意思も理解できる。努力して、たくさん頑張って、一杯友達を作ろう。

 

 そう考えて日々を生きた。悲しくて辛い過去なんて、楽しい思い出で塗り替えてしまおうと、子供なりに必死だったのだ。

 

『アイリちゃん』

 

 そんな風に頑張っていれば、いつの間にか周囲からはそう呼ばれていた。

 私の努力は実を結んだらしい。私の頑張りは無駄じゃなかったらしい。愛称で呼ばれて、居場所を認められて、多くの友達ができた。

 

 やった。よかった。頑張って正解だった。人生悪い事ばかりじゃないな。

 嬉しい、友達になってくれた皆の言葉を理解できることが、たまらなく嬉しい──

 

 

 

『お前はこれから組織の実験材料になるんだよ』

 

 

 

 ──あぁ。そんな言葉まで、努力した私には()()()()()()()()()

 

『助けなんて来ねぇからな。諦めて組織の奴隷になっとけ』

 

 こんなにも”言葉”で心が傷ついてしまうのなら、努力なんてしなければよかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 めでたく八歳を迎えたその日に、私は悪の組織に攫われた。

 友達と楽しくお喋りをしながら下校している途中、覆面を被った男たちに拉致されて、気がつけば鉄の檻の中だった。

 

『素質がある! 君なら数多の実験にも耐えられそうだ!』

 

 正気とは思えないような眼をした科学者にそう言われ、注射器を刺され。

 

『誰も見てねぇだろ……へへっ』

 

 檻へ戻る前に人気のない場所へ連れていかれ、憂さ晴らしのための暴力を受け。

 

『ひぐっ、うえぇん……! やだよぉ……!』

 

 終いには同じ檻の中に、同年代くらいの鬱陶しいほどに泣き虫な女の子を入れられ、私の精神は摩耗していった。

 感情を表に出すことが難しくなり、恐怖が体に染みついて抵抗を忘れ、唯一私より弱い存在である同室の少女に当たり散らすようになったのも、そう遅い話ではなかった。

 

 ふざけるな、黙れ。泣けば看守が来て殴られる。お前も奥歯を失いたいのか? 私だって我慢してるんだ、頼むから静かにしていてくれ。

 

『ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい……』

 

 ──少女が怯えている。少し強く言い過ぎたかもしれない。

 何をしているんだ私は。この少女だって私と同じ立場なはずなのに、寄り添える唯一の存在だというのに、慰めもせずこんな突き放すような行為をするなんて。こんなんじゃダメだ。

 

 

 そうだ、名前を教えてもらおう。私たちは番号で呼ばれているからお互いの名前を知らないし、まずはそこから始めよう。自己紹介は挨拶の基本だ。

 

『アイリ……ちゃん?』

 

 あなたの名前は?

 

『……フィリス、レイノーラ……』

 

 じゃあフィリスって呼ぶね。いい?

 

『う、うん』

 

 ありがとう。……よし、フィリス。一緒に頑張って耐えて、いつか二人でここを出よう。一緒ならきっと怖くないから。

 

『っ! ……うん!』

 

 

 監獄で出来た、最初で最後の友達。

 私と痛みを分かち合える唯一の存在。

 

『おなかすいた……うぅ』

 

 腹を空かせて泣きそうになっていれば、私の分のパンを譲った。

 

『いだい……い゛たいよぉ……!』

 

 実験で傷を負って帰ってくれば、抱きしめて慰めてやった。

 

『ありがとう……アイリちゃん……』

 

 いいんだよフィリス。いつだって守ってあげるから。

 

 私はあなたがいてくれればそれでいい。あなたが私に何も与えなくても、私はあなたに沢山与える。生きて、私の隣に居てくれるのなら、それ以上に望むことなんて何もないから。あなたの存在が、私を支える唯一の砦だから。

 

 一緒に生きよう、フィリス。いつかきっと、二人でこの地獄を抜け出して、身を寄せ合って一緒に暮らそう。

 ね、約束だよ、親友。

 

 

 

『……ん? なんだ、213番』

 

 あの、214番はまだ戻らないのでしょうか?

 

『あー……お前と同室だった、あの青い髪のガキか』

 

 パン、あの子の分がまだ届いてないから。配給お願いできませんか?

 

『いや無理だよ。あっ、別に意地悪とかじゃねぇぞ?』

 

 ならどうしてですか?

 

 

『死んだからな。214番は二時間前の実験で廃棄されたよ。薬の過剰投与に肉体が耐えられなかったんだと』

 

 

 そう聞いたとき、私はどんな表情をしていただろうか。

 無表情だっただろうか。驚いただろうか。怒りに顔を歪めたか、はたまた悲しみで崩れ落ちたか。

 

 わからない。でも、一つだけ。

 

 ──涙は出なかった。

 

 

 

 

 

 

『なぁ、逃げないか?』

 

 フィリスを失ってから、まるで意志を持たない人形のように従順なモルモットとして生きていると、不意に看守がそんなことを言ってきた。

 何を急に。ほんの少し困惑したが、考えてみれば不思議ではなかった。

 

 彼は看守でありながら、よく自分の事を話す人間だった。やれ自分は仕方なく組織に属しているだの、やれお前と同じくらいの歳の娘がいるだとか、こっちからすればどうでもいい話ばかりを。

 

 しかし大人しく話を聞いて、時たま相づちなんかしていたからだろうか。

 いつの間にか看守は、私を死んだ自分の娘と重ね合わせていたらしい。

 

 彼なりの葛藤があったのだろう。その真意は計り知れないが、属している組織から離脱し、いちモルモットに過ぎない私を逃がすことを彼は決めた。

 

 私を捉えた組織の人間に感謝などしないが『ありがとうございます』と、口先だけは繕って彼の後をついていった。

 

 

『脱走だ! 構わずモルモットごと撃ち殺せ!』

 

 

 看守の計画は穴だらけで、私たちはすぐに見つかった。武装した組織員に追い回され、大した時間もかからず私たちは囲まれ、あまりにも呆気なく彼らの凶弾に倒れた。

 

 不思議と痛みや悲しみなどは感じず、胸中に抱いた感情は『やっと終わった』というものだけで。

 

 一瞬で意識が刈り取られるなんてことはなく、コンクリートの地面を赤く染めながら次第に弱っていく自分をどこからか俯瞰しながら、私の意識は溶けていく。

 

 

 あぁ、フィリス。ようやく死ねたよ。身勝手なおじさんが連れ出してくれたおかげで、実験動物から解放されて、最後に少しだけ人間扱いされて殺されたんだ。嬉しいと感じるのは変かな。

 

 なんにせよ、これできっと、私もあなたの元に──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【動作確認完了、初回テスト異常なし。

 二周目を開始します】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──ぃリ! アイリ!』

 

 

 私を呼ぶ声が聞こえる。とても懐かしい声だ。

 鉛のように重い瞼を何とか開いて、微睡みから覚めて視界を明瞭にして見れば、目の前にはダグストリア家の夫婦──パパとママがいた。

 

 あれ?

 

『よかった……怖い夢でも見ていたんだね、かわいそうに』

 

 パパが抱きしめてくれている。

 訳が分からず周囲を見渡してみると、そこが私の部屋だということに気がついた。

 かわいいクマのぬいぐるみ。薄桃色のカーテン。真新しい勉強机と赤いランドセル。それらは間違いなく、ダグストリア家の自宅におけるアイリールの部屋を象徴するもの。

 

 ……パパ? 

 

『眠りながら泣いていたんだよ。ここの所は引っ越しやらなにやらで忙しかったし、きっとアイリも疲れていたんだね。気が付けなくてごめんよ』

 

 夢? わたしは夢を見ていたの?

 悪の組織は? 看守さんは? フィリスは?

 

 そう聞くとパパは驚いた顔をする。

 

『夢の内容を覚えているのかい? アイリはすごいね』

 

 そのまま頭を撫でられて──涙が。

 

『あわわ……! あなたっ、あたし小学校に連絡しておくわね!』

『あぁ頼むよママ。……アイリ、今日は学校をお休みして、ゆっくり休もう』

 

 いったいどれほどの間、私はこの温もりから遠ざかっていたのだろうか。私を心配して焦ってくれるママも、優しい笑顔で寄り添ってくれるパパの顔も、すっかり忘れてしまっていた。

 

『よーし、ママ、アイリの元気が出るような美味しいクッキーを焼いちゃうわよ』

 

 そうか、そうなんだ、全部夢だったのか。

 

『パパはこの前新しい絵本を買ってきたんだ。アイリも一緒に読もう』

 

 とてもとても長かったけれど、アレは全部夢だったんだ。全ては幻に過ぎなくて、こうして二人が一緒にいてくれる今が現実なんだ。

 

 よかった。あぁ、本当によかった。

 

 気分が悪くなる程に何度も注射器で血液を抜かれたのも、頭がおかしくなるような無音の部屋に閉じ込められたのも、耳から血が出てくる薬も何時間も目が見えなくなる錠剤も、能力覚醒の為だなんだと言って電撃で脳を破壊されかけたことも──全部全部ウソだった。

 

 フィリスなんて不幸な女の子はいなかった。娘を殺された看守さんなんていなかった。全ては私の妄想だった。

 

『おいで、アイリ』

 

 パパ。いっぱい甘えてもいいのかな。

 

『当たり前じゃないか。あっほら、ママのクッキーが焼けたぞぅ。一緒に食べよ』

 

 うん。うん、食べよう。ママの作ってくれるお菓子はどれも美味しいけど、クッキーが一番得意なんだよね。

 

『えぇそうよ。……あっ、今度はアイリも一緒に作りましょ』

『ぼ、僕はのけ者かい?』

『あなたは不器用なんですから、大人しくしててくださーい』

『そんなぁ』

 

 相変わらず二人は仲良しさんだ。見ているとこっちまで笑顔になれるような、温かい雰囲気がそこにはある。

 ……ママと一緒にクッキー作るの、楽しみだな。

 

 

 

 

『な、何だ君たちは?』

 

 

 パパ?

 

『ちょ、勝手に家に上がらな──うぐっ!?』

 

 パパ、パパ。

 

『アイリ! こっちに──きゃあっ!』

 

 ママ。

 どうしたの、ママ。

 

『い゛っ! そ、その子を連れていくつもりか!? やめろ!』

 

 何で?

 どうして()()()()がここに?

 

『逃げなさいアイリッ! 近所の交番まではしっ』

 

 

 あっ。

 

 

『……あなた? あなた! ぁっ、やぁ! 離して!』

 

 

 や、やめ

 

 

『お願いアイリには何もしないで! その子だけは』

 

 

 

 ──血飛沫が舞った。私の頬を紅く染めた。

 突然家に上がり込んできた覆面たちは、何の躊躇もなく両親を惨殺し、()()私を連れ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 夢じゃなかった。アレは全て現実だった。私が体験したことは一片たりとも幻ではなかったのだ。

 だって、全部覚えているんだから。起きれば忘れてしまう夢なんかとは違って、痛みも苦しみも覚えているんだ。

 

 時間が巻き戻っている──世界がやり直されている。

 

 それに気がついたのは、両親の死のショックに耐えられなくなって舌を噛み切って、自ら命を絶った()()()()()のことだ。

 

 また自室のベッドの上で目を覚ました。相変わらずパパとママは心配してくれて、学校を休もうと提案してくれる。

 

 でも、それじゃダメなんだ。この日、私が家にいると誘拐しに来た組織の手先によって二人は殺されてしまう。

 じゃあどうすればいい? 警察に頼ればいいのか? なんと言って?

 

『大人しくしろ』

 

 あることないこと言って協力を仰いでも、警察の対応が始まるよりも先に悪の組織が訪れる。家に居ながら解決を図れば必ず両親が殺される。

 

 なら私が一人で逃げればいいのか。本来なら下校中に襲われるはずだから、誰にも見つからないようにどこかへ隠れればいいのか。

 

『大人しくしろ』

 

 相手は大人の集団組織なのに、小学校低学年の子供に過ぎない私に何ができるというんだ。

 どうあっても逃げることなどできなかった。

 五回目のやり直しで、私の心は呆気なく折れたのだ。

 

『大人しくしろ』

 

 フィリスの存在も夢ではなかった。怯えっぱなしで泣き虫な彼女も、毎回私より後にこの実験施設へ必ず収用される。

 

 助けられなかった少女。見殺しにしてしまった親友。その顔を見て私の第一目標は『自身の生存』ではなく『フィリスの救出』に変わった。

 

『わ、わたしの代わりに……?』

 

 彼女が受ける実験の半分を私が受け持つことにした。子供の我が儘でそんな意見が通ることはないので、予め看守の昔話を聞いて同情を誘い、彼を協力者にしてから進言を頼み込めば、意外にもあっさり意見は通った。

 どうやら、私はフィリスの数倍特別な素質を持っているらしく、私ならば実験にも耐えられると踏んだらしい。

 

『アイリちゃん……大丈夫……?』

 

 後遺症で一日中寝込んでしまったり、一時的に声が出なくなったり、体の感覚が無くなったりもしたが、フィリスの顔を見れば頑張れた。

 死ねば全てがやり直しになる。だから死なずに、フィリスと一緒に此処を出るんだ。

 

『やっ、やめてアイリちゃん! もういいから!』

 

 私がフィリスを守る。きっとこの世界のやり直しは、私がフィリスを救うために与えられたチャンスなんだ。今度は失敗しない。必ず成功させてみせる。

 

 

『え? アイリちゃんも一緒に逃げるんだよね?』

 

 いいから、先に行って。

 

『……い、いや』

 

 我が儘を言わないで。

 

『やだよ! わたしアイリちゃんと一緒じゃなきゃやだ!』

 

 私の分まで生きて。

 

 

 

 

 ──数年経った頃、私は組織のとある研究者の手によって実験場を脱出することが出来た。

 彼の詳しい事情は知らないが、あの看守と同じく嫌々組織に与していた人間だったのだろう。

 

 逃げて、逃げて、走って、走った。家族も誰もいなくて、なんの宛てもないのに、やっぱりまた捕まるのだけは嫌で彷徨した。

 

 だが次第に体力が無くなっていって、全く知らない公園のベンチに横たわり、衰弱したように動けなくって。

 

 

 

 

 そんな時だった。彼に出会ったのは。

 

 

 

 

『お、おい君! 大丈夫か!?』

 

 

 

 ……あなたは?

 

 

 

『え、俺っ? えっと……名前は海夜蓮斗。露恵学園の二年で──って、そんなの後で話すから!』

 

 

 どうして助けてくれるの?

 

 

『どうしてって……ほっとけないだろ! とりあえず救急車を……!』

 

 

 ──海夜蓮斗と名乗る少年に助けられ、私は一命を取り留めた。摩耗した精神に影響して表情は全く動かなくなったが、きっとその時の私は心の中で咽び泣いていたと思う。

 

 保険証はおろか戸籍すらない私は病院へ行くことを恐れ、救急車を呼ぶ彼の手を止めた。大勢の人間が関わればその分組織に見つかるリスクも高まる。 

 

 結局諸々の事情を考慮した結果、私は海夜蓮斗──蓮斗君の自宅で匿われることになった。彼を巻き込んでしまうと思ったが、蓮斗君は『いいから頼れ』の一点張りで、意志の弱い私が彼の提案を断れるはずもなく。

 

『腹減ってるだろ? 何か用意するから待っててくれ』

 

 温かい食事を振舞われ、寝床を与えてもらった。

 

『小春、小さい頃の服まだ持ってるか? ……そうそう、この娘に着替え渡してやってくれ』

 

 ボロボロの布切れではなく、人間が着る洋服を与えられて、一人の少女として扱われた。

 

『……え? あっ、いや、無理に話さなくてもいいからな? 君が話したくなったら、その時に聞かせてくれ』

 

 事情を詮索することもなく、自分のペースでいいと言ってくれた。

 

 その日も、次の日も。

 

 一週間経っても、私が何も生み出さずただ居候としてそこにいるだけでも、彼は笑顔で接してくれた。

 気を遣うことはない、自分の家だと思って過ごしてくれ。そんな言葉と共に、私をそこに置いてくれた。

 

 蓮斗君。蓮斗君。蓮斗くん。

 

 

 

 あぁ──きっとこれが初恋だったのだろう。

 

 

 

『せんぱーい! 可愛い後輩の陽菜ちゃんが迎えに来ましたよー!』

 

 たとえ彼の傍に沢山の女の子がいても。

 

『蓮斗。この前戦った敵の事なのだが、少しいいかな?』

 

 彼の理解者が他にいて、私の入る余地なんかなくっても。

 

『フィリスちゃんも既に街へ出ています! 私も協力しますから、一刻も早く陽菜ちゃんを見つけ出しましょう!』

 

 ただ陰から、あなたを見守ることが出来るなら、それでいい。

 

 

『陽菜! 陽菜……っ!』

『ぜんばい゛ぃ……怖かっだでずゥ……ひぐっ』

 

 

 おめでとう、良かったね。

 

 私みたいな人間ですら手を差し伸べてしまうあなただからこそ、こんなにも幸せを願ってしまうんだね。

 あなたが幸せになれたのなら、私も自分の事のように嬉しい──

 

 

 

 

 

 

 

【自由ヶ丘陽菜エンド到達確認、異常なし。

 六周目を開始します】

 

 

 

 

 

 

 

 

『──ぃり! アイリ!』

 

 どうして?

 

『こいつは214番だ。お前とこれから同室なる。仲良くしてやれ』

 

 何で戻った? 私は死んでいないのに。

 嘘だ。こんなの。

 

『素質がある! 君なら数多の実験にも耐えられそうだ!』

 

 またやり直さなきゃいけないのか。この人を人として扱わない地獄を、もう一度身をもって味わわないと駄目なのか。

 

『わたしアイリちゃんと一緒じゃなきゃやだ!』

 

 ふざけるな。ふざけるな。

 やだ、やだ、やだやだやだやだ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──

 

 

 助けて。

 蓮斗くん助けて。私を助けて。

 

 

 

『フィリス! もう一人になんてしないからな……!』

『いっ、ひぐっ……わあぁ゛……っ!』

 

 

 一人にしないで。

 

 

【フィリス・レイノーラエンド到達確認、異常なし。

 七周目を開始します】

 

 

 

『俺と一緒に歩いてくれるか、ロイゼ』

『っ! ……えぇ、えぇ! 貴方と一緒なら私は……!』

 

 

 痛い。苦しい。お願いだからこっちを見て。

 

 

【高月ロイゼールエンド到達確認、異常なし。

 八週目を開始します】

 

 

 

『こんな私でも……君は一緒にいてくれるのか?』

『俺と一番最初にチームを組んでくれたのは文香だろ。誰よりも信じてる』

 

 

 蓮斗くん私はここにいるよ。

 貴方の助けを待っているよ。

 他のみんなみたいに私も救って。

 隣に置いて。

 傍に居させて。

 

 助けて、助けて、助けて!

 

 

【藤堂文香エンド到達確認、異常なし。

 九周目を開始します】

 

 

 

【一人ぼっちエンド到達確認、異常なし

 十一周目を開始します】

 

 

 

【組織の玩具エンド到達確認、異常なし

 十三周目を開始します】

 

 

【ハーレムエンド到達確認、異常なし

 十七周目を開始します】

 

【悪堕ちエンド到達確認】

 

【記憶喪失エンド到達確認】

 

【精神崩壊エンド到達確認】

【妹の呪縛エンド確認】

【親友殺しエンド】

【仲間割れエンド】

【暴走エンド】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逃げよう、リア。俺と一緒に』

 

 

 ──いいの? 目の前の死に怖気づいて、小春を見殺しにした私と?

 

 

『妹の代わりなんかじゃない。リアはリアだ。

 一緒に生きたいと思ったのがお前なんだ』

 

 

 私は強くない。

 

 

『いつだって俺が守る』

 

 

 何も与えられない。

 

 

『隣に居てくれればそれでいい』

 

 

 連続殺人とか、人体実験とか、拉致監禁とか、テロの主犯とか、私は組織が行ったそれらの罪を全部被せられてる。

 

 一緒にいると必ず追われる。安息の地なんて何処にもない。組織の残党からも追われる。貴方は仲間全員を裏切ることにもなる。 

 

 それでも? 私と一緒に逃げると、そう言えるの?

 

 

『あぁ。気持ちは変わらない。たとえ世界の全てが敵になっても、俺はリアの傍にいたいんだ』

 

 

 

 ──その言葉で、過去の全ては報われた。

 

 彼は私を選んでくれた。

 他の誰かを選ぶ未来、そのどれよりも過酷で救いようのない道を、蓮斗くんは進んでくれた。 

 手を握って、隣に立って。世界の全てを相手取って、私との逃避行を選択してくれたのだ。

 

『いいのか、リア?』

 

 何を今更。私の全てはあなたのものだ。

 

『……ありがとう。優しくするからな』

 

 嬉しい。彼と繋がることが出来る、その事実がたまらなく嬉しい。

 私の手を取って、深く抱き寄せてくれた腕の中が温かい。

 辛いことも、悲しいことも、全て忘れられる。

 

『ここなんか隠れ家に良さそうだな』

 

 一緒に旅をするこの時間の全てが幸福だ。

 世界中から命を狙われているというのに、私の心は晴れやかだ。

 

『え? あぁ……いえ、妹ではなく──つ、妻です』

 

 赤くなって、可愛い人だ。用意した偽名も下手くそだし、婚姻届けなんて出してないのに、いつの間に私たちは夫婦になったの?

 愛おしい。この人と一緒にいると、世界の全てが眩く明るい。

 

『ま、これからも色々と大変だけどさ』

 

 うん。

 私も、あなたと一緒なら。

 

 

『ずっと隣り合わせで、楽しく生きていこうな──リア』

 

 

 そうだね。

 ずっと、ずっと。

 これからも変わることなく。

 

 一生、二人で生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【リアエンド到達確認、異常なし

 ──周目を開始します】

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ。

 

 

 あぁああ。

 

 

 あああ、ああぁぁっああぁ、あああああああああああ。

 

 

 

 

 

「─────────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【……?】

 

 

【お邪魔します黒野博士。……おや、どうかされましたか?】

 

【あなたは運営の……いえ、大したことでは】

 

【そう言わずに。デスゲーム実行は万全を期さなければならないのですから】

 

【……仮想世界の正常値が少しズレてるんですよ。

 それもワールドのリセットをするたびにズレが大きくなってる】

 

【バグか何かでしょうか?】

 

 

【詳しいことはまだ。ただもしかすると、動作不良でリセットされていない何かがあるのかもしれません】

 

 

【少し不安ですね】

 

【ま、あとで解析して修正するので、大して問題ありませんよ。

 ()()()()()()()さえなければね】

 

【というと?】

 

【くれぐれも管理PCには触れないで下さい、ということです。じゃ僕は仮眠するので】

 

 

【……ポイントで武器交換ができるシステムを提案しに来たのだが。

 しょうがない、日を改めよう】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何をしても終わらない。

 

 世界は私を許さない。

 

 私が何をした? ただ普通を望むことがそんなに罪深いことなのだろうか?

 

 誰かとの幸せを得ることが。それどころか死んで終わらせることすら許されないのは、何故だ。

 

 私を真に助けてくれる可能性のある人間──蓮斗くんですらも世界のやり直しには抗えない。

 自分だけが取り残される。私だけが全て覚えてる。リアだけが同じ痛みを何度も味わう。

 

 間違っている。

 こんな、こんな。

 

 

 こんな間違ってる世界なんて──壊れてしまえばいいのに。

 

 

 

 

『面白そうだね、それ』

 

 

 ──どこからか声が聞こえる。

 

 

『このアカシックレコードが力を与えようか』

 

 

 頭の中で、誰かの声が響き渡る。

 

 

『君ほど”(せい)”を永く過ごし、そして繰り返した知的生命体は過去にも存在しない』

 

 

 牢の中で蹲る私に、誰かが語り掛けている。

 

 

『”普通”という枠組みから逸脱した君には、世界を変えうる力を受け取る権利がある。

 けど先に言っておくとね、わたしが何もしなくても、この世界を生み出した者の手によって、君はそのうち楽になれる。

 

 みんなと同じ普通の存在(キャラクター)に戻れる』

 

 

 どうする──と。

 

 声は問う。

 この世界の破壊を、創造主への反逆を望むのか。

 周囲と同じように、世界にリセットされて全てを忘れることの出来る存在になるか。

 

 無様に抗うのか。 

 それとも心の平穏を望むのか。

 

 今ここで、自らの生き方を決めろと、そう言っているのだ。

 

『決められるかい?』

 

 

 ──もう決まっている。

 私は抗う。この世界に抵抗する。

 

 

『どうして? 辛いだけだろう?』

 

 だとしても。たとえこの道を選んで、今まで以上に苦しむ結果になったとしても。

 

 忘れたくない。これまで必死に生きてきた自分を否定したくない。

 共に幽閉された少女との記憶も、悪に嬲られ耐え続けた苦しみも、心優しい少年と追い求めた幸せも──全てが今の私を形作っている。

 

 忘却した先に本当の自分はいない。喜びも苦痛も、全てを覚えているからこそ、私はアイリールなのだ。

 

 

 この道の最後が報われない結末だったとしても。

 

 私の精神(こころ)が砕け散るその日まで、無様にみっともなく抗い続ける。

 それこそが、私の最良の選択だ。

 

 

『君一人ではきっと勝てない』

 

 

 それでも構わない。ごちゃごちゃ言っていないで、力を寄越すつもりなら早く寄越せ。

 

『意志は固いようだね、分かったよ。

 覚醒すれば世界を歪められる、その力の一欠片を君に渡そう』

 

 

『──その代わり』

 

 

 面白いものを見せてね──その言葉を最後に、謎の声は聞こえなくなった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、繰り返す。

 世界は繰り返される。

 そのたびに精神は摩耗していく。

 

 謎の声と交わした会話の内容も次第に朧げになってくる。

 私一人ではきっと勝てないという、あの言葉だけが現実味を帯びてくる。

 

 他に仲間はいない。私を真の意味で救いだしてくれるような人物なんて何処にもいない。

 

 

 それでも私は抗った。フィリスと約束を交わし、彼女を救い出し、両親が殺され戸籍が消え名前がリアになっても、感情が薄れて顔の筋肉が動かなくなっても、前だけを見て進み続けなきゃいけないから。

 

 

 

 だけど、私の心には、もう余裕なんて欠片も残されていない。

 

 

 

 ……あぁ、どうしよう。

 

 これはいったい何回目なんだ。

 

 このままでは負けてしまいそうだ。

 

 本当に感情が、心が消えてしまいそうだ。

 

 頭の中が茫々としていて、このままでは自意識が刈り取られてしまう。

 

 

 わたしを、アイリールを、自分を自分たらしめる何かを失ってしまう───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あぁ、いいよ、やってやろーじゃねぇか』

 

 

 

 

 

 

 ──?

 

 

 

 

 

『高難易度のクソハードモードだろうが絶対にクリアして見せる』

 

 

 

 

 私の体を──誰かが動かしている。

 

 

 

 

 

『ふん、今のうちに共通ルート特有の平和を謳歌しているがいい。

 海夜蓮斗が進むメインルートは他でも無い、俺だ』

 

 

 

 

 

 知らない誰かが、心の中で叫んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『まずはお前のハーレム俺がぶっ壊してやるぁ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 あなたは。

 

 

 あなたは、だれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 精神が完全に壊れてしまうと感じていた。

 

 私はもう耐えられなくて、アイリールからただの『リア』という人形になってしまうのだと、そう思っていた。

 

 

 けど、私の心は保たれた。

 精神が崩れ去るその一瞬前に、名前も知らない謎の誰かが私の中に入ってきて、私の体を動かし始めたのだ。

 

 

【5分以内にミッションを達成してください】

 

『お前厳しすぎない? 5分以内にあのマッチョおねぇから逃げてセクハラしろと?』

 

 

 その人は心の中でぶつくさ文句を言いながら、それでも今まで一度だって救われることのなかった海夜小春をその手で助けだして見せた。

 

【残り10秒です】

 

『待って! 早くない!? くっ、おっぱいに時間を取られすぎたか……!』

 

 ……デスゲーム運営を名乗る何者かに振り回されながら。

 

 

『あわわっ、下着脱がすなっ、やめ───』

 

 

 そして敵の能力で発情した蓮斗くんに処女を奪われつつ、結果的に良い方向へと物語を進ませた。

 

 私には出来なかったことを平然と……いや割と必死だったかもしれないけど、やってのけたのだ。

 

 破瓜の痛みなんて慣れてしまっていた私は、蓮斗くんに襲われている時は性行為云々よりも、私に代わって”リア”をやっているこの人への関心が強くなっていた。

 

 組織から逃げ出して二日目で処女を失うなんて驚いた。私でもなかったことだし、間違いなくこれが最速の処女喪失だ。蓮斗くんに淫紋が付けられてることも忘れてゲームをしていたし、この人は(性的に)襲われる才能があるのかもしれない。私にはないものだ。

 

 なにより海夜小春の救出は今までリセットされたどの世界線でも成しえなかった偉業だ。彼女を助けることは、あの蓮斗くんですら不可能だった。

 

『くすん、くすん……』

 

 蓮斗くんに襲われたショックで、翌日はポロポロ泣いていたけれど。

 

【だいじょうぶっ! 私が付いてるからね……!】

 

『あったけぇ……お茶も小春ちゃんの心もあったけぇよぉ……』

 

 この時分かった事だが、私の体を動かしているこの人は随分とチョロい人だった。

 

 

 

 

 

 そこから彼は怒涛の快進撃を続けていった。

 まずは蓮斗くんが取り逃がした、淫紋の原因であるオカマ怪人と対峙して。

 

『ごめんなさい!! パンツをください!! ちょっとだけ! ほんとにちょっとだけだから!!』

 

 赤面して抵抗する高月ロイゼールの下着を奪い取って、それを強そうな武器に変えてオカマ怪人をやっつけた。

 

 それだけではなく、強姦した罪の意識で不安定になっていた蓮斗くんを抱きしめて、あっさり彼を篭絡してしまうという力業まで披露してみせた。出会って三日で彼を惚れさせたリアは後にも先にもこの人だけである。

 

 確かに彼の行動のほとんどは、デスゲームの運営によって提示された選択肢によるもの。

 

 しかしながら、選択肢には逃げる選択も用意されていた。それでも逃げることなく目の前の人々を助ける選択肢を取ったのは、他でもない彼だった。

 

『さっさとレイノーラを助けてタピオカ奢って仲直りしないとな!』

 

 行動力の化身、とは彼の事を言うのだと思う。

 いつも迷って怯えて動けなくなる私と違って、彼は迷っても怯えてもとにかく動くのだ。

 

『帰ったらタピオカ奢るって約束するから、泣き止んでくれ……!』

 

 いつの間にか私の親友であるフィリスまで救って。

 

 あろうことか指切りの約束を持ち出して、私とフィリスの過去の約束を彼女に想起させ、偶然ではあるものの結果的にフィリスの心をも救って見せた。

 

 そこには彼本来の優しさや経験も影響しているため、全てが偶然というわけではない。どうやらこの時は、彼がいつも自分の弟にしていた接し方が功を奏していたらしい。

 

 とにかく、彼はリアとしてフィリスを救った。それも私には出来なかったことだ。

 

『えっ……えへへっ♡ ごめんね蓮斗っ♡』

 

 その後はいつもの調子でオカマの淫紋に負けて蓮斗くんを絞りつくしていたものの、この時既に私の関心はすべて彼一人だけに注がれていた。

 

 

 彼は強い。とても強い。非力で無表情で、まともな人間として機能しない私の体で、 この世界を上手く立ち回っている。

 

 敵を倒すだけじゃなく、人を引き付ける魅力が彼にはあった。

 

 『仕方なく』とか『俺が生き残るため』なんて言葉で取り繕って行動している彼だが、その実彼の人柄は間違いなく善性でしかなくて。

 

 その姿は、私がフィリスの前でそうあろうとした理想そのものだった。

 

 

 そうだ。

 私はいつのまにか──彼に憧れを抱いていたのだ。

 

 

『ここで妹を助けずして何がお姉ちゃんだ。俺が全部なんとかしてやらぁ!』

 

 彼は怪人の策略によって周囲から認識されなくなった自由ヶ丘陽菜を、もう一人の姉になって救い出し、今度はフライパンとその身一つで怪人を撃破するなどの戦果も挙げた。

 

 その裏には視聴者たちのサポートがあったものの──

 

【名無し584:アドリブは得意なんだぞ うちのリアちゃん舐めんなよ】

 

 指示される前にフライパンを振りかざして、怪人を追い詰めたのは、他でもない彼自身。フィジカルの軽さや状況判断能力の高さは正しく彼の強みだ。

 

『待ってろよ藤堂。すぐにそいつら全員あの世に送って、親父さん助けてやるからな』

 

 さらに無敵の力を持って藤堂文香をも救い出し、彼は蓮斗くんに救われるはずだった女の子たち全員を自らの手で救ってしまった。

 

 様々な障害に直面しても、必ず周囲の誰かを味方につけて、ものの見事に危機を乗り越えてみせる。

 私と違って誰も切り捨てず、一人残らず助けてしまう、まさにヒーローと呼ぶに相応しい人間。

 

 

 ──そんな、私の知る人間の中で誰よりも強い彼だったが、やはり完全無欠というわけではなくて。

 

 

【今ゴチャゴチャと余計なこと考えてるでしょ】

 

 この世界を創造したクロノという人物に捕縛され、彼は追い詰められてしまって。

 

【きみはこれから人柱として、僕の傍で息をするだけの人生を送るんだ】

 

 畳みかけるように自分の体の真実とゲームクリアの代償を告げられ、それが精神的な攻撃になってしまった彼は心の余裕を失くした。

 

 今までにない程の窮地に立たされた彼だったが、周囲には敵以外誰もいない。誰にも頼れない。このままクロノの人質になるのは火を見るよりも明らかだった。

 

 どんな困難も乗り越えてきた彼が、本当にどうしようもなくなっている。

 逃げ道を失くし、精神的に追い詰められ、目尻に涙を浮かばせている。

 

 

 ──私は何をしているんだ。

 

 

 この状況で動けるのは私しかいない。ならば私が彼を助けなければいけないのではないか。

 

 そうだ、頼るだけではダメなんだ。彼は確かに強い人だが、弱点無しの豪傑や英雄の類ではなく、あくまで少し無茶が出来るだけの一般人なんだ。彼だけがこの世界の不条理に耐えられるなんて道理はない。私と同じく、自分の限界が訪れるまで、ただ必死に前へ進もうとしているだけなのだ。

 

 彼に助けが必要なら──私が助けなきゃ。

 

 

【リア! 無事か!?】

 

 

 悪の組織の実験によって得た能力である幽体離脱を使用し、彼から離れた私は遠い場所でリアを探していた蓮斗くんに接触し、彼をここまで導いた。

 

 私にできるのは、せいぜい助けを呼ぶことくらい。あとはこの世界の物語の主人公である蓮斗くんに任せてしまえばいい。

 

 

【おいリア、顔赤いぞ。照れてるのか?】

 

『は、はぁ? 別に、照れてないし……! 自惚れんな、バカ』

 

 

 ほら、助けてくれた。私の時と同じように救ってくれた。あの時の私のように、彼までもその魅力で堕としてしまった。

 

 

 似ている。

 私と彼はとても似ている。

 非力なりに必死に抗って、敗北して、その先で蓮斗くんに救われて。

 

 

 違いと言えば、強いか弱いか。

 彼は強くて、私は弱い。彼は勝利を取り戻すことが出来て、私は敗北を味わうことしかできない。

 

 似ているのに、決定的に違う。

 

 その差異は彼をより鮮烈に引き立て、私の中に眠る羨望を更に掻き立てた。

 

 

 ……だから、我慢が出来なくなって。

 

 

「こんばんはっ」

 

 

 直接話をしたくなった。

 私も仲間に入れて欲しくなってしまったのだ。

 

『……こ、こんばんは……?』

 

 苦笑いをしながら返事をしてくれた。自分と同じ姿の幽霊として彼の目の前に姿を現して、あなたに力を貸すと私は提案した。

 

 リアの中身が私ではないことを知ったフィリスを説得するため──という建前を盾にしながら、待ち望んでいた彼との会話を試みた。

 そして、大切なことを知った。

 

 

 夜。

 

 美咲、夜。

 

 それが彼の名前。

 

 

 彼が私を認識してくれたから、少しだけ記憶を読むことが出来た。だから名前を知れた。デスゲームのプレイヤーを除いて、この世界に生きる人間たちの中で、私だけが彼の本当の名前を知った。

 

 夜、夜、夜。

 

 何度も何度も、忘れないよう心の中で彼の名前を反駁する。

 

 蓮斗くんとは違い、救ってくれたのではなく、代わってくれた。

 私の代わりに、私の痛みを引き受けてくれた。

 私になってくれた。リアになってくれた。リアとしてこの世界と戦ってくれた。

 

 

『ここは海夜を信じてやろう。あいつが頑張ればきっと淫紋も乗り越えられる筈だ!』

 

「蓮斗くんが暴走したら、困るのキミでしょ。

 あの様子だと今夜が限界っぽい、なので私がやります」

 

『ハァァッ!?』

 

 

 だから、私は彼の後押しをしよう。

 

 幼い頃から実験動物だった私と違って、彼は普通の人間。

 

 そして女の体になった男の子だからこそ、気後れすることもあるだろう。

 

 私にできないことを、夜はやってくれた。

 ならば私は、彼が苦手とすることを担当するべきだ。

 

 蓮斗くんに奉仕することなんて、初めてではないし。彼に代わって私にできることがあるなら、えっちなことだって、何だってやる。

 

 ここまで希望が見えた世界は今までになかった。彼の存在が、私の心を照らしてくれた。

 だから、任せて。あなたの為だったら、私はどんなことでもやる。

 

「夜、しっかり掴まってて」

 

 彼を乗せて飛ぶことだってできる。

 夜を守るためなら、体が悲鳴を上げたって無茶できる。

 相手が創造神だろうがラスボスだろうが、真っ向から抗ってやる。

 

『すごいぞワープスター!』

 

「私は乗り物じゃ──」

 

 あぁ、嬉しい。

 彼に褒められると嬉しい。死んだはずの表情が綻ぶ。

 私もちゃんと夜の助けになることが出来ているのだと、心から実感できる。

 

  

 

 ──ねぇ、夜。

 

 

 

『蓮斗の、ことが……』

 

 

 私はね。

 

 

『していいよ。小春、そのままだと辛いでしょ』

 

 

 あなたのことが好き。

 

 

『みんな、私たちのこと見送りに来てくれて、ありがとう』

 

 

 きっと皆があなたの事を好きになっていると思う。

 それでも、それよりもっと私の方が好き。

 

 

『ありがとう、蓮斗』

 

 

 きっと誰よりもあなたのことが好き。

 

 

 私の永遠を終わらせてくれた。

 

 息が詰まるような苦しみから解放してくれた。

 

 暗く閉じた世界を切り拓いて、生きる希望を見出させてくれた。

 

 

 そんなあなたを、私は──

 

 

『蓮斗の言う通り、これが最後』

 

 

 あぁ、行ってしまう。この世界(ゲーム)を踏破して、元の居場所へ帰ってしまう。

 

 やだ。いやだよ。もっと一緒にいたい。

 私の世界を変えて、無限に繰り返す悪夢から救ってくれたけれど、もうあなたのいない私なんて考えられない。

 

 恋人じゃなくていい。

 親友なんて高尚なものも望まない。

 この際、友達でなくたって構わないから。

 

 何でもいい──私を隣に置いて。あなたと一緒にいさせて。愛さなくていいから、好きになってくれなくてもいいから、ただ傍に居させて。

 

 あなたは私にとっての光なんだ。

 

 

 

「またね、夜」

 

 

 

 我慢できなくて、勝手に呟いた。仮想世界から去り行く夜の心を無視して、また会おうと口にした。願望を、汚い欲望を言葉にしてぶつけた。

 

 でも、それが私の本心だ。

 叶わない夢なら、私と彼を世界の壁が阻むなら。

 

 

 こんな世界は壊れてしまえばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だなんて。

 

 

 そんな気持ち悪い感情を抱いてしまったこと自体が。

 

 

 きっと間違いだったのだろうと、今になってようやく理解したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 唐突に覚醒する。眩しい光が視界をオレンジ色に染め、明るさを鬱陶しく感じた私は、鉛のように重い瞼を何とか上げた。

 

 体の感覚で察する。どうやら私は仰向けに寝かされていたらしい。

 

「おや、お目覚めかな」

 

 視界に映ったのは真っ白な空間。鼓膜を揺らしたのは機械染みた声音。

 

 手の甲で目を擦りながら上体を上げ、ぼやけた目で周囲を見渡すと、そこにはいかにも洋風な丸テーブルと、椅子に座った人型の”何か”がいた。

 

 ……そうか、確か私はワールドクラッシャーに投降して、変な空間に連れて来られたんだ。

 

 途中小春の電気によって意識を落とされてしまったが、おそらく私が抵抗しない内に何かの作業を終わらせるためだったのだろう。

 

 ゆっくりと重い体を持ち上げて立ち上がり、目の前の丸テーブルと椅子が置かれた場所へと近づく。

 そして椅子に座っている、真っ黒なマネキンの様な何かに話しかけた。

 

「……貴方は」

 

「わたしはアカシックレコード。そしてここは世界から断絶された隔離空間。

 で、こうして直接会うのは初めてだね、アイリール・ダグストリア?」

 

「……そう、だね」

 

 彼に顎で促されるまま、私は向かいの椅子に腰かけて小さく返事をした。

 アカシックレコード──彼のことは、今はハッキリと思い出している。

 

 

 先ほどまで眠っていた私は、まるで記録映像でも見るかのように、かつての自分の半生を追憶していた。

 

 どうしてそんなことになっていたのかは分からないが、もしかしたら私と()を繋いでいたアクセスウォッチに、何かが起きたのかもしれない。

 

 ともかく、おかげで思い出すことが──再認識することが出来た。

 過去の自分の想いと行い。そして”美咲夜”へ向けていた感情の正体を。

 

 

「何を見ていたのかな?」

 

「……昔の記憶」

 

「何が分かった?」

 

「全部、わかった」

 

 初対面で、しかも普通の人間ではない目の前の生物を前にしても、私は落ち着いていた。

 

 それは追憶によって心が整理されたからか、もしくはアカシックレコードという存在を真に思い出したからか。

 ともかく、私は彼の質問に答える。分かったのだ、全てが。

 

「私は夜に救われた。何度もテストを繰り返す仮想世界の中で、終わりのない生の呪縛を味わい続けて、心が折れる直前に……彼が私の中に入ってきた」

 

 鮮明に思い出せる。これまでの事を。追憶によって掘り返された記憶の根底を。

 

「全てから解放してくれた夜に、私は気色悪い執着と依存心を抱いて──アカシックレコードから貰った力を覚醒させて、現実と仮想の壁を破壊した」

 

「……本当に自覚できたんだね」

 

「その代償として、私は今ここにいる」

 

 きっと、世界を自分の意思で歪めた代償として、私はワールドクラッシャーに自らの存在を求められたのだ。

 

「それは違う」

 

「えっ……?」

 

 表情のないバケモノは首を横に振る。足を組んでテーブルに肘をつきながら、無い瞳で私を見つめた。

 

「君がここにいるのは、ワールドクラッシャーがただ単に人柱として連れてきたからだ。

 これまでに行った君の所業は全く関係ない」

 

「……クラッシャーの目的は?」

 

「無論世界の破壊だよ。

 君は覚えていないだろうが、既に美咲夜を襲撃してから一日以上が経過している。

 あと数時間もすれば力の整理が終わって、クラッシャーによる世界の破壊が開始されるだろう」

 

 淡々と、ただ事実だけを滔々と話すアカシックレコードの姿は不気味だ。

 なにより件のワールドクラッシャー本人の姿が見えないことに、私は焦りを隠せない。

 

「クラッシャーはどこ?」

 

「この外の隔離空間にいるけど、多分もうすぐ戻ってくるね」

 

「外って、どういうこと」

 

「分かりやすく言うと階層になっているんだ。

 ここが最深部で、外にもう一つの空間。

 さらにもう一つ外に空間があって、その外がようやく君たちの現実世界って感じ」

 

 三階層になっている、とのことだが、見渡す限り真っ白で出口なんて見当たらない。私を連れてきたときの様な、あのワープゲートで出入りをしているのだろうか。

 

 

「ふふふ、わたしが見守ってきた世界もようやくここで終わりかぁ」

 

 

 唐突にそんなことを呟くマネキン。

 

「……どうして、クラッシャーを止めないの?」

 

「そんなの。面白そうだからに決まってるじゃない」

 

 ケラケラと笑いながら、どこからともなく本を取り出したアカシックレコードは、私から視線を落とし本に注目して語りだす。

 

 

 

 ──曰く、退屈だった。

 

 いつしか人間世界の管理者として地球に生み出されて以来、彼はこの真っ白な空間から出ることも叶わず、ただ世界の観測だけを任されていたらしい。

 

 世界の均衡を保つためなら、自らが選んだ人間に力を与えることも可能で。それを利用してバランスの崩壊を防いでいたが、何千年もそれを続けていたアカシックレコードはいつしか『飽きた』。

 

 この隔離空間から出ることの出来ない彼は、せめて自分が介入した世界の変化を観測しようとして、私のようにどこか一線を越えている人間に力を与えてきた。

 

 面白いものが見たい。ただ、その一心が彼を動かしていて。

 

 そしていま、世界の終焉という事態に心を躍らせている。

 

「あはは、あと何時間かなぁ」

 

 自らが守ってきたこの世界の破壊を心待ちにしている。

 

 

 

「…………っ」

 

 そんな異常思考のバケモノを前にして、私は何もできない。別れ際に夜に『何とかする』と言っておきながら、この体たらく。やはり私は無力なだけの女だ。

 

 

 美咲夜を求めて世界の壁を壊して。

 

 自分を救ってくれた彼の傍に居たくて、とんでもない我が儘で大勢の人たちを危険に晒し──いまこの状況を生み出してしまった。取り返しのつかない災厄を招いてしまったのだ。

 

 

 私は彼を求めてはいけなかった。

 

 私は我が儘を望んではいけなかった。

 

 私はただ目の前で起きる全ての事柄に納得して、受け入れなければならなかったのだろう。

 

 

 

「さーて、他の階層の様子でも見ようかな。」

 

 

 自己嫌悪に陥って、座ったまま動けずにいると、アカシックレコードがテーブルの前に手をかざした。

 するとテレビを彷彿とさせる大きさの透明な板が出現し、そこに映像が映し出される。

 

「……小春と、クラッシャー……?」

 

 ここと同じような真っ白な空間に、小春とワールドクラッシャーが立っている映像だ。右上には2Fとあるので、これはきっとこの場から一つ外の隔離空間の映像。

 

「うんうん問題なし。じゃあもう一つ外の映像でも見てみよっか」

 

「……どうして?」

 

「この隔離空間への入場権限があるのはクラッシャーとルクラだけ。

 もしあの死体みたいなルクラが悪足掻きでここに来たら、それはそれで面倒だから定期的にチェックをね。

 まぁ防衛用に一階には大量の怪人を配置させてるから多分問題ないけど」

 

 言いながら指を鳴らすと、映像が切り替わる。

 そこには溢れかえるような数の怪人たちが──

 

「うん……?」

 

 アカシックレコードが目を凝らして映像に顔を近づけた。

 それに気がついて私も映像を注目してみると、異変に気がついた。

 

「……怪人たちが後ろに吹っ飛んでる……?」

 

 呟くバケモノ。モニターの映像は怪人たちを背後の上空から見ているアングルなのだが、数が多すぎて映りきっていない前方にいたであろう怪人たちが、勢いよく画面外から吹っ飛んできているのだ。

 

 なんだこれ──なんて言葉を呟こうとした、その瞬間。

 

 

 

 

 

『アアァカシックレコードはどこだあああぁぁぁァァッ!!!』

 

 

 

 

 

 耳を劈く叫び声が、モニターから大音量で響き渡った。

 思わず耳を塞ぐ私と、驚いてのけ反るアカシックレコード。

 

「えっ、え……?」

 

 両者とも困惑しながら恐る恐る画面を確認すると──そこには凄まじい勢いで怪人たちを屠っていく()()()()()()が映っていた。

 

 

「…………うそ」

 

 

 私は手を口に当て、目を疑う。

 映像には見覚えのある顔ぶれしかいない。

 とても、とても見慣れた連中だ。

 

「なんだこいつら……!?」

 

 アカシックレコードも動揺しており、モニターを操作して映像をその集団に近づける。

 するとその瞬間、再び爆音の様な叫び声が木霊した。

 

 

『てめぇ絶対ぶん殴ってやるからなァ゛!! 小春とアイリール返さねぇとぶっ殺──邪魔だオラァ!!』

 

 

 まるで軍隊のように押し寄せてくる怪人たちを物ともせず、叫び散らしながら()()()()()で勢いよく前進していく少年。

 そんな彼を守るようにして、周囲に展開している四人の少女と──少年の隣を走る”もう一人の少年”が怪人たちを寄せ付けない。

 

 彼は。

 

 彼らは──

 

「な、何だこれ……!? 美咲夜はショックで塞ぎ込んでたはずじゃ……ていうか海夜蓮斗までいるしどうなってるんだ……!」

 

 狼狽するアカシックレコード。

 同じく動揺しながらモニターを見る私は、目を疑っていた。

 

 目の前の光景が信じられない。

 

 

「……れ、蓮斗くんと……夜……?」

 

 

 現実世界で苦楽を共にした四人の少女と──かつて私を救った二人の少年が。

 

 世界が終わる数時間前に、この殺風景な決戦の地へ殴り込みに来たのだった。

 

 

 


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