change   作:小麦 こな

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ありがとうの伝え方②

「おい、入ってくるなって聞こえなかったか?」

「あちゃ~……荒れてますな~」

 

モカは何を少し困ったような、眉をハの字にしながらベッドの上の散らかった書類を一枚ずつ拾ってきれいに整理し始めた。

 

そんなモカを立ったまま見つめている俺は何をやっているんだろう。

無意識に空気を握っていた手の力が増す。怒られるダサいところをモカに見られたくなかったくせに、それ以上にダサいところを見られている。

 

「今日は一人にさせてくれ。反省したいんだ……お前だったら俺が何を言いたいか分かるよな」

「分かるよ?でもあたしは今の貴博君を一人にしたくない」

「だったら叩き出すぞ?」

 

すべて俺が悪いのは分かってる。分かってるさ。

でもそんなミスを仕方ない事だよ、と同情されるのが一番嫌いなんだ。だからそんな言葉をモカから聞きたくない。

 

モカは俺の低く、ドスの利いた声を耳にすることなく書類を一枚、一枚丁寧に集めている。

彼女は少しだけため息を吐いてやれやれ、といった感じで言葉を放つ。

 

「失敗の一つや二つは、仕事に付き物って言うじゃん~」

 

俺の一番聞きたくない言葉が。

 

「だから、あんまり自分を責めたらだめだよ?」

 

大人げないのは俺の方だな。そう思っていても、口にしてしまう。

モカに悲しい顔をしてほしくないとか言っていた奴が、今から悲しい顔にさせるんだぜ?傑作だろ?

 

「今回のミスはやってはいけないミスだ!お前に言われなくても分かってるんだよ!!」

「貴博君……」

「それにお前には関係ないだろ!早く出て行って……」

 

そう言いかけたけど、やめた。

いや、やめざるを得なかったと言った方が正しいかもしれない。

 

突然モカが立ち上がって、涙目で、しかも今まで聞いたことないような大声を出したのだから。

 

「関係なくない!」

「……は?」

「あたしのママの下で働いてるから!蘭やともちんは関係ないけどあたしはある!それに……それに、貴博君はあたしにとって特別なんだよ!関係なかったらこの場所にすぐに来ないよ!」

「何、言ってんだよ」

「貴博君が辛い顔をしていると、あたしだって同じくらい辛いんだよ?」

 

さっきまでのイライラとした、モヤモヤ感が頭からきれいさっぱり消えていた。

そして残ったのは、俺の感情をチクチクする謎の痛みだけ。

 

普段はおっとりしていて、フワフワしている彼女がこんなに声を上げるなんて。

しかも顔はとても真剣なんだ。

 

「だから貴博君が抱えている不安、モカちゃんにも教えてほしいな」

「……怖いんだよ」

「……うん」

「また『拒絶』されるんじゃないかって。犯罪者だから拒絶されることは何回もあった。だけど慣れるもんじゃないんだよ……今回は仕事のミスで拒絶されるのかって思うと怖いんだよ」

「あたしたちは、拒絶しないよ?君の事」

「京華さんの事務所も小さいだろ?ああいうところは評判が命だ。俺が犯罪者って分かればすぐに拒絶されるさ……分かってても嫌なんだ、怖いんだ」

「犯罪者って言っても貴博君は……」

「大きい事件だろうが小さい事件だろうが同じ犯罪者っていうカテゴリーだ。そんな人間はこの世にいる資格もないし、笑う資格もないんだよな」

 

そんな時、俺の前が柔らかい物に包まれる。

モカが、前から俺の方に抱き着いてきたんだ。それも優しく、まるで大切な宝物を包み込むかのように。

 

ふわっと良い匂いが鼻をくすぐった。

 

「あたしは、そんな面を含めて貴博君を拒絶しないよ?」

「……はぁ、お前みたいなバカは全国に数えるくらいしかいないだろ」

「たとえ日本のみんなが貴博君を拒絶しても、あたしは受け入れるよ?」

「青葉……」

「だからね?貴博君もこの世にいても良いし~、幸せになっても良い。笑っても良いんだよ。次はね~……貴博君が幸せになる番!だと思うよ?」

「悪いけど、俺にそんな資格は」

「あたしはずっと、貴博君の味方だから安心してよ。ほら、ポカポカしてきたでしょ~?」

 

こんなにも優しく、そしてふんわりと包み込んでくれた事は人生で一度も無かったんじゃないか、って感じた。

自分の両親にもこんな事をされたことが無かったから、初めて人間のぬくもりというモノを感じた。モカの言う通りポカポカする。

 

俺がモカに甘えることは許されない。

だけど、モカの気遣いや温かさは十分に伝わった。それにこのポカポカも悪い気分がしない。むしろもうちょっとこんな雰囲気に包まれていたいぐらいだ。

 

これが、人が与える「安心感」なのかもしれない。

 

 

たっぷりと安心感を貰った俺は、胸元で顔をうずめているモカをゆっくりと離す。

いつまでも甘えていたらダメだ。

それに俺は、影の人間だ。こんな日の当たる場所は俺の居場所じゃない。

 

「悪い、青葉。ちょっと情緒がおかしくなってて」

「そっか……当たり前だよね」

「何がだ?」

「ううん、貴博君には関係ないよ?……もう夜遅いから美少女のモカちゃんは帰るのです」

「そうか……またな」

「そこは『もうちょっと傍にいてくれ』ってイケボで抱きしめながら言うのが正解なのに~」

「テレビの見過ぎだ、バカ」

 

そんな掛け合いをした後、モカは本当に部屋から出て行った。

 

俺はモカが整理してくれた書類をボーッと見ていた。

今日はモカに、いや、周りの人間に迷惑を掛けたな。

 

いつもならベランダでタバコを一本吸ってから、今日の出来事を反省しながら眠りにつく。

 

でも今日は違った。

何か心が訴えてくるような感覚に陥ったからだ。

 

根拠もないし核心もない。

でも本能が今いる場所から離れて事務所の一階に向かえ、と言い続けている。

 

そっと、出来るだけ物音を立てずに階段を下りていく。

すると、誰もいないはずの事務所に少しの明かりが漏れていた。少しだけ、誰にもバレないようにドアを数ミリだけ開けて中を伺う。

 

電気がついているのは俺が普段仕事で使っているデスク。

そこに、寂し気な背中をしたモカが座っていた。

 

「ごめんなさい、貴博君……。あたしを助けてくれて、デートもして優しく接してくれてたのに……一番の君のキズの事を忘れちゃってて……ぐすっ、ぐすっ」

 

ドアの向こう側で、隠れて嗚咽を鳴らすモカ。

俺は思わず視線を下に向けてしまった。モカは何も悪くないのにこんなにも責任を感じさせてしまっていて申し訳ない気持ちが溢れ出てきた。

 

心が、痛い。

 

「あたしには想像できないような辛さが、ぐすっ、ぐすっ……あるんだよね?」

 

数ミリ開けていたドアをゆっくりと閉めて、そのドアにもたれる。

俺は情けない事に、額と目を左手で覆う事しかできなかった。

 

俺の心臓の痛みは、壁越しからも聞こえるモカの鼻をすする音と共鳴していた。

 

 

 

 

 

次の日の朝は、梅雨らしくジメジメしていた。

そんな天気とは裏腹に、落ち着いた心で昨日モカが整理してくれた書類をサラッと目を通す。そして不備が無い事を確認してからカバンの中に入れる。

 

俺は眠りながら自分の頭に「次に失敗しないようにする解決策」を頭の中にあるメモ帳に書きなぐった。

そして朝になってそのメモ帳をおさらい。

 

……ばっちり覚えている。

 

そして朝のタバコをゆっくりと吸ってから事務所の一階に降りる。

誰もいない事務所に一番早く来て、掃除をするのが俺の仕事でもある。今日はいつもより早めに事務所に行く。

 

いつものように事務所のドアを開けると、いつもならいない人がすでに事務所にはいた。

 

「おはよう佐東君」

「今日は早いんですね、京華さん」

「どうせあなたの事だから早く来ていると思った。貴方は態度より姿勢で現わす人間だもの」

「態度で反省の色を出すのは子供までですよ」

「佐東君もまだ19よ?まだまだ子供じゃないの」

「……京華さん。わざわざ『そのこと』で速く来て頂いて、すみません」

「ほんとに、佐東君って頭のいい子ね」

 

京華さんはやれやれ、といった表情をしていた。

せっかく早く仕事場に来たのに勘づかれたら意味ないじゃない、みたいな顔にも取れて俺は敢えて苦笑いで会釈しておく。

 

まだ未成年の子供に重大な仕事を任せたこちら側にも非がある……か。

元はと言えばミスした自分が一番悪い。

 

そんな事より、俺は京華さんに聞いておきたいことがあった。

 

「京華さん、その……」

「なに?」

「パン好きのフワフワ娘は、今日はいないんですか?」

「モカ?私が家を出る時はまだ寝てたわね?どうして?」

「あいつに、言いたいことがあるんです」

 

昨日、モカに感謝の言葉を掛けていなかったのが今も心の端っこで引っかかっているんだ。

俺のために涙まで流してしまった女の子に「ありがとう」の一言も言えていないのは自分の中では納得がいっていない。

 

 

それにこうも伝えたい。

俺の「近く」にいてくれて嬉しいってことを。こんな時に俺の事なんか気にしなくても良いから、とか言ったらシラケてしまうだろうから。

 

今はまだ無理だけど、いつかはモカの前ぐらいは笑顔を見せても良いかもしれないな。

 

「むにゃ……おはよー、ママ。貴博君」

「あ、噂をすれば来た」

「モカちゃんのうわさってなにー?」

 

すごく眠たそうな顔をしたモカが事務所に入ってくる。

最初は事務所と家が別なんだし、ここに来るぐらいなら少しでも寝てりゃ良いのになんて思っていたけど最近ではそんな考えは無くなった。

 

確かにこいつにお礼は言いたかったけど、京華さんの前で「ありがとう」なんて言ったらなんか変な方向に持って行かれそうだから嫌なんだよな……。

 

京華さんは娘譲りにニヤ~ッとした顔をこちらに向けてくる。

この人、わざとこの場で言いたい事を言わざるを得ない雰囲気を作りやがった。

 

「なになに?モカちゃんが絶世の美少女だね、とか噂してたり~?」

 

モカもモカでこういう事を言い出す。

だから俺はこう言ってやる。

 

()ほか。お前がいつも()()ドングリを含んでいる()きのような間抜けな顔してんなって言()噂をしてたんだ」

「貴博君の鬼~!流石のモカちゃんもぷんぷんするよ~」

 

モカは文字通りリスがドングリを頬張っているときのような、ぷくっとした顔を膨らましていた。

 

俺のありがとう(・・・・・)はきっとモカに伝わっていないと思う。

だけどもうすぐ言葉にして言うべき時が来るから、その時まで待ってろ。

 

 

 

 

 

 

突然、モカは顔を膨らますのを忘れて、一瞬だけぽかんとした顔をした。

そしてその後、かわいらしい笑顔を振りまいた。

 

彼女の瞳には、不器用にだけど確かに笑っている俺の顔が映し出されていた。

 

 




@komugikonana

次話は10月25日(金)の22:00に投稿します。
みなさん、お久しぶりです。

新しくこの小説をお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~高評価を付けてくださった方々のご紹介~
評価10の最高評価をつけて頂きました 剣崎雷太さん!
同じく評価10の最高評価をつけて頂きました おとうふキラーさん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援よろしくね!

~次回予告~
もうすぐ7月も終わりを迎えそうな今日この頃。
土曜日で仕事が休みにも関わらず、俺は京華さんの電話によって朝の早くに叩き起こされる。

最近、モカの生活リズムが悪いから佐東君に任せる

そんな訳の分からない電話で6時ごろに起きてしまった俺は渋々モカの家に足を運んでいる。京華さんが言うには朝の4時くらいに寝て、7時に起きるという生活サイクルを送っているらしい。
モカの部屋には会いたくない人間もいて……!?

「あら……佐東君はうちの娘を餌にして蘭ちゃんと二人でこっそり抜け出すなんて……策士ね」
今回だけは、京華さんを殴っても良さそうな気がする。

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