change   作:小麦 こな

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今と昔と、自分の周り③

散歩のつもりが、学校で感傷に浸ってしまったり元カノと出会ってしまったりと色々あった日の夜。

 

明日からまた仕事だと思うと、少しだけ憂鬱な気分になる。

大きな失敗をしてしまった後、必要以上に気を遣う事が多くなってしまい心労が溜まってきているらしい。

 

少しでも癒しを、と思って買ってきたアルマオイルをコップに入れた熱いお湯に数滴垂らして香りを楽しんでいた時に、ドアが急に開かれた。

おいおい、今日の朝にノックしろって注意してきたのは誰だが教えてやりたい。

 

「貴博君、げんき~?」

「おいこら、部屋はいる時にノックしろって言ったやつは誰だ?」

「この部屋、いいにおいする~」

「はぁ……」

 

朝、ノックしろと言ったくせに今は普通の顔でノックもなしに入ってくるモカに思わずため息が零れた。

 

モカはいつものようなフワフワとした表情で俺を見つめてくる。

 

「ねぇ、少しだけ散歩しない~?夜のお散歩。気持ちいいよ~」

「散歩か……しょうがねぇ、付き合ってやるよ」

「やった~」

 

昼も散歩して、また夜も散歩だなんて俺はどれだけ歩くのが好きなんだ、って心の中で自嘲した。

けど、たしかに夜の散歩は程よい温度でリラックスも出来るかもしれない。

 

モカは手に持っていた手のひらサイズの懐中電灯を点灯させる。

まだ屋内なのにどうしてつけているのかは分からないが、追及しても面倒だから辞めておく。

 

「とりあえず、その辺りをブラブラしよう」

「あぁ、そうしよう」

 

事務所から出て右方向に歩き出す。商店街とは逆方向のこの道は、最近歩いていなかったため夜道が新鮮に感じられた。

 

「貴博君って、少しは素直になったよね~」

「……お前は俺を貶してんのか?」

「だって、会ってすぐの頃の貴博君だったら~……あたしが『散歩いこ』って言っても絶対断られてたもん」

 

モカの言葉が俺の心にスッと入ってきた。

確かにモカの言う通りかもしれない。

 

「そりゃ、あの時は青葉の事知らなかったし当たり前だろ」

「今もあたしのこと、分かんないくせに~」

「少しは、分かるようになったと思うぞ?」

「あたしは貴博君の事、いっぱい知ってるよ?」

 

えへへ~、と笑うモカ。

彼女の右手に握られている懐中電灯は決められた限界を超えているかのようにピカピカと光っていた。

 

俺は「少し」と答えてモカは「いっぱい」と答えた。

この違いは、どこから生じたんだろう。俺とモカは始まりは同じなのに。

 

「む~、貴博君。あたしのこと疑ってるでしょ~?」

 

今度は顔をぷくっと膨らませて不満げな顔をするモカ。

 

実際、俺の事をどのくらい知っているのか気になっていたから彼女の言い分は間違ってはいない。

 

「あぁ、青葉が俺の何を「いっぱい」知ってるのか気になってな」

「……貴博君、蘭に何か言われちゃった?朝、とっても悲しそうな顔をしてた。でも、あたしの前ではそんな表情を我慢して前には出さない。貴博君はすぐ我慢しちゃうよね?」

 

確かに朝、美竹に言われた言葉は心に一言一句残っている。思い出すだけでチクチクとする鼓動が身体全体を震わせる。

 

 

 

“あたしはあんたを許せないし、信用もしていないから”

“あたしだけじゃなく、みんなにも嫌われてるからそのことに早く気づいた方が良いんじゃない?”

“だからこっちも嫌々あんたと喋ってるんだから”

“あんた最低だね”

 

 

 

「……青葉が思っているほど悪い事は言われてないから安心しろ」

「ほんと?嘘ついたらパン千個飲ませるよ?」

 

俺の顔に懐中電灯の明かりをチラチラと見せてくる。

まぶしいし、目がチカチカする。でもそんな彼女の顔は輝いていて、素敵な表情で笑っていた。

 

ずっとゆっくりと歩いていると河川敷に到着した。少しだけ座ってお話しよ、と言うモカの提案に同意して河川敷に腰を下ろす。

 

川の緩やかなせせらぎ音、そして上に視線を上げてみればきれいな星たちがピカピカと輝いていた。

虫たちによる夜の合唱団は、日中ライブを開いているうるさい合唱団とは違い安らぎを与える。

 

「でも、あたしが貴博君の部屋に入った時はね?懐かしいおもちゃを見つけたような、柔らかい表情だったから、なにか良い事、あったんじゃないかな~ってモカちゃんは思うのです」

「そうかよ。……まぁ、ちょっと知り合いの人間に会ったな」

「それって、貴博君のカノジョだったりして~」

「元々そういう関係だった奴だ」

 

俺がそういうと、さっきまでニヤ~ッとしていたモカの顔がどんどんとしぼんでいった。

なんというか、少し元気がなくなったような感じ。

 

「貴博君は、今もその女の人の事、好き?」

「いや、もうそんな気持ちは持ってない。俺はフラれた側だしな」

「そっか。だったらモカちゃんが慰めてあげよう~」

「おい、だからって頭に触れるのはやめろっ!」

 

俺が彼女にもうそんな気持ちを持っていないと言った瞬間から、モカの表情は一気に明るくなった。周りが暗くて、懐中電灯の少しの明かりしかないのにはっきりと分かったぐらいだ。

 

俺の頭をナデナデしてくるモカを必死にあしらう。

モカにナデナデされるのは、なぜかバカにされているように感じるから。

 

「でもさ、青葉」

 

俺は伸ばしていた膝を曲げて、体育座りをする。

モカは俺の方を不思議そうな顔で見つめていた。

 

「俺が暗い表情をしてたら、と思って心配してくれてこんな時間に事務所に来たんだろ?」

「さぁ~、モカちゃんの気まぐれかもしれないよ~?」

「それなら、俺は勝手にそう解釈しとく。ありがとな」

 

言い終えると、しばらくしてから左脇腹をきゅ~っと摘まれるような痛みを感じた。

それはモカが文字通り俺の脇腹を抓っていた。ボソボソと小声で何かを言っていたが、虫の合唱団によって遮られてしまった。

 

モカの事だから、どうせ俺の悪口を冗談交じりに言っていたのかもしれない。

 

「……そろそろ帰り始めるか」

「うん、そだね~」

 

ゆっくりと立ち上がって、お尻についた雑草や小石をパンパンと叩き落とす。

モカはうーん、と背伸びをしながら大きなあくびをしていた。

 

ゆっくりと歩き始めようとした時、モカの持っていた懐中電灯の光が徐々に消えていった。

彼女は何回も電源を入れたり切ったりを繰り返していたが、なんの変化もない。

 

俺たちは真っ暗な背景の中、顔を見合わせる。

 

「貴博君。その~、言いにくいんだけどね?」

「ああ、言わなくても分かってる」

「電池、切れちゃった」

 

どうやらもう懐中電灯に明かりを灯すことは不可能らしい。電池を変えれば生き返るだろうが、ちょっとした散歩なので財布なんて持ってきていない。

 

「しょうがねぇな……ほら、手を貸せ」

「どうして手なの?」

「はぁ、暗い道だからお前がこけたらケガするだろ」

 

そう言って、同意を得ていないままモカの右手を握る。

彼女も嫌がっているというわけではなさそうで、ゆっくり、きゅっと握り返してきた。

 

空いている右手で、スマホのライトを照らす。

光量は決して強くは無いが、今だけは頼もしく見えた。

 

「貴博君って大胆だよね~。いつもこうやって女の子をもてあそんでいるの?」

「……だったらケガして泣いても知らねぇぞ」

「じょーだんだよぉ~」

 

まったく、ちょっとは気遣いを見せたつもりなのにすぐこうやってからかってくる。

でも、不思議とモカにからかわれても嫌な気分は一切しなかった。

 

どちらかと言うと……。

 

そんなモカのからかいを心地よく思っているのかもしれない。

 

「ねぇ、貴博君」

「なんだ?文句でもあるのか?」

「ううん、今週の土曜日か日曜日、空いてるのかなって」

「今週の週末……か」

 

俺は頭の中にあるスケジュール帳をペラペラと開く。

 

気のせいかもしれないけど、俺の左手を握っている力が強くなっているような感じになった。

例えばこう、少しの希望を求めてお願いしているような、そんな感じの力加減だった。

 

今週の週末……ね。確か。

 

「どっちも予定が空いてたと思うぞ」

「ほんと~?」

「帰ってから確認するけど、なにか用事があった記憶は無いから大丈夫だ」

 

モカはニヤニヤしながら「じょーだんだったら~、貴博君の事嫌いになるよ?」とかからかってきているけど、手を握っている力が少し和らいだ。

 

「それじゃあね、貴博君。土曜日か日曜日、どっちがいい~?」

「どっちでも」

「それが一番困るんだよね~」

「……土曜日」

「きまり~」

 

モカは嬉しそうな声を上げながら、繋いでいる手をブンブンとさせている。

俺は神社にある鐘じゃないんだぞ、なんて思いながら彼女を睨む。

 

一体、何が決まったのか分からないからだ。

これで貴博君はパンを奢ることになったのです、とか言いやがったらグーが飛んでいくかもしれない。着地地点はモカの後頭部。

 

「何が決まったんだよ」

「あたしとね、プールに行こ?」

「……プールね」

 

モカから帰ってきた返答は、想像していたものと違っていたからホッとした。

だけどそんな安心感と同じくらいのモヤモヤとした気持ちが俺の感情をグルグルとかき乱している。

 

「あれ?貴博君は乗り気じゃないって感じ?」

「別に、そういうわけじゃねぇけど」

「分かった!貴博君は泳げないんでしょ~?名探偵モカちゃんはなんでもお見通しなのだ~」

「はいはい、名推理名推理」

 

別に泳げないというわけでは無い。恐らく人並みには泳げると自負している。

ただ、俺が抱えているモヤモヤの原因をモカに言うべきか迷った。

 

俺自身はいくらモカと言えども、言いたくないことだってある。

 

「……で?どこのプールに行くんだ?」

「……無理して、行くとか言わなくても大丈夫だよ?」

「あほか。そんな無理とかしてねぇよ」

「あたし、貴博君が溺れちゃったら助けてあげるね~」

「泳げるからその心配は無用……だっ!」

 

モカの綺麗なおでこにポコッとデコピンをする。彼女はほんのりと赤くなったおでこをスリスリとさすっている。

いらない心配とかしなくても良い。それにモカも母親譲りで変に察しが良いのが厄介だ。

 

「う~、貴博君がいじめる~」

「寝ぼけてるのかと思ったから目を覚まさせてやったんだよ」

「寝てないもん~」

 

そう言っているうちに、モカの家の前まで帰ってきた。

モカとつないでいた手をゆっくりと、名残惜しそうな雰囲気を残しつつ離した。

 

 

「それでね、貴博君」

「なんだ、もう一回デコピンか?」

「違うもん!まだ答え聞いてないから。プールに行く?行かない?」

「……一緒に行くか」

 

結局、こう伝える。

俺の返答を聞いた後のモカの笑顔は、どんな夜を照らす光よりも輝いていた。

 

 




@komugikonana

次話は11月5日(火)の22:00に更新します。
新しくこの小説をお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
Twitterもやっております。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

前話では投稿日付を間違っていたことをお詫びいたします。

~次回予告~
土曜日の朝から大きなかばんに必要なものを詰め込んでいく。
例えば水着やタオル、防水が出来る小銭入れなど。最近はプールに行くことも無かったからあまり何を持って行けば良いのか分からない。

これだけならもう1サイズ小さい鞄でも良いかと思ったが、大は小を兼ねると言う。

それにバカみたいなポエムじゃないけど、思い出も積み込めるかもしれない。

そんな少し慌ただしくて、けれども少しの高揚感が溢れ出ているこの時間に誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。

腕時計を確認してみると、予定時刻より30分も早い。
どうやらあちら側も高揚感を抑えきれずにいるらしい。

「おはよ~、貴博君」


では、次話までまったり待ってあげてください。

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