色々とあった今週が終わりを告げて、ずいぶんと久しぶりに感じる休日が目を覚ませばやってきていた。
チラッと時計を見ると時刻は10時近くを指していて、これほど遅くまで寝ていたのは久しぶりなんじゃないかって思うと同時に寝すぎて身体が怠く感じた。
今週は言葉では言いけれないほど色々あったけど、一言で言うなら彼女が出来た。
この響きは特別感がありそうで、全然ない。もはや実感も無かったりする。
背伸びをしてから着替えて彼女の家に向かう事にする。
部屋の片隅には、「元」退職届だった紙屑がビニール袋の中に入れられている。
こうなってしまったのは彼女の母親がシュレッダーに退職届を入れたからだ。
そんな紙屑を見て、クスッとしてから外の世界に飛び出した。
「あら、佐東君おはよう」
「おはようございます。京華さん」
「……あの娘のこと、よろしくね」
「京華さんに任せられると重圧ですけど、幸せにしますよ」
「ふふ。貴方、やっぱり変わったわね。以前の佐東君だったら絶対そんな事言わないもの」
クスクスと笑いながら口元を片手で隠す京華さんを、若干あきれ顔で見る。
この人は口に出さなくても分かることが多すぎて、はっきり言ってお手上げ状態に近いかもしれない。
流石にモカと真剣に付き合う、と初めて京華さんに伝えた時は少し驚いた顔をしていたけど。
俺の直感では俺たちが付き合う事に対してではなく、別のきっかけに驚いたような気がする。
そしてその直感が、さっきの京華さんの言葉で確信に変わった。
「京華さんは相変わらずですね」
「褒めても何も出ないよ。いや、幼い頃のモカの写真なら出るかも」
そういう想像の斜め上をサラッと突いてくるのも相変わらずだと思いながら、青葉家の二階へと足を踏み入れる。
もうすぐお昼時だというのにまだ寝ているのかもしれない。
でも、それは俺のために身を削った代償でもあるから。
寝不足はダメで寝すぎも身体に悪いって言うけど、その考え方が昔からの日本らしいなんて思う。
休みの日を最低限にして真面目に働き頑張る、俺達らしい。
モカの部屋のドアをガチャッと開ける。
ベッドの方に目を行かせるも、そこには彼女はいなかった。
なんだ起きてんのか、そう思って部屋を見渡した。
そこには着替え中のモカがいて。
下はショートパンツを身に着けているが、上は下着だけ。
お互い、ばっちりと目が合ってしまうのは偶然なのかもしれない。
「おはよー。でも今あたし着替え中なんだよね~」
「見たらわかる。さっさと上着を着ろ」
「モカちゃんの下着姿、もっと見たくないの?」
「あほか」
恋人関係になったから下着姿くらいは大丈夫なんてモカは思っているかもしれないが、人一倍の羞恥心くらいは持っていて欲しい。
そんな願いを込めて大きくため息をつく。
いつもなら床に落ちてどこかに行ってしまうため息も、今日はなぜかフワフワと飛んでいるような気がした。
「それじゃあ~、行きますか」
「めんどくせぇからサッサと終わらすぞ?」
「またまた~。ちょっとは楽しみにしていたり~?」
「心労しか溜まらないのが目に見えてるのに楽しみになれねぇよ」
内心では少し楽しみだったりするが、そこはグッとこらえる。
顔に出したら、いつまでもモカにいじられそうだから。
そう思いながらモカを見ると、そいつは口元をぐに~っと歪ませながらニヤニヤとこちらを見ていた。
だから。
黙って彼女の綺麗なおでこにピンっと指で衝撃を与えてやった。
「いらっしゃいませ!」
俺がモカを連れてきた場所。
そこはお店中が清潔感と揺れた心を穏やかにさせるほろ苦い香りで充満している。
恐らく同い年であろう店員の女の子から発せられる元気な声は、自分も頑張らなきゃいけないと錯覚させる。
だからたまに、ここに来たくなってしまう。
「あ、モカちゃん!いらっしゃい」
「つぐ~、頑張ってる~?」
モカとこのお店、羽沢珈琲店の店員であるつぐみちゃんは楽しそうに会話をしている。
俺はその中に入るのは野暮だと感じたし、二人はひらがなのような関係だから空いている席に腰を下ろした。
ひらがなって一文字では何も伝わらないけど、複数になったら言葉が伝わる。
そんな関係がモカたちにはあと三人いる。
「あの、佐東さん。約束、守ってくれたんですね!」
「あんなことを言っておいて、後には退けねぇだろ?」
「えへへ、そういう事にしておきます」
つぐみちゃんの、悪意など一切込められていない天真爛漫な笑顔に思わず顔を背ける。
ただこのまま顔を背けると照れているように思われてしまうから左手で顎を支えて勝手に言ってろ、と言葉をぎこちなく紡ぐ。
つぐみちゃんは、どうやら俺に対して悪意や恐怖感を感じていないらしい。
それがとても嬉しい事だという事を、最近知ることになった。
チリン、と店の入り口に付けられた鈴が音を鳴らす。
そしてつぐみちゃんの来客へのあいさつがこの空間を
あぁ、そういえばガキの頃の俺の夢って確か……。
「モカ~!心配したんだからね!」
「ひーちゃんがあたしのことを心配することなんて無いじゃーん」
「急に居なくなって、モカのお母さんに聞いたら病院にいるって聞いたし……うー」
俺が眠ってしまいそうなくらいぼんやりと考え事をしていたが、そんな心地の良い感覚は今来たばかりのひまりちゃんの声で我に返ってしまった。
モカはいつもの抑揚のないトーンで話しているのに、ひまりちゃんはかなり感情的になっているように思えた。
「それで、ひーちゃんはお見舞いに来てくれたけど、あたしは眠ったままだったってかんじ~?」
「う……お見舞いにはいってない、です」
「ひどい~」
「みんなで行こうと思ったんだけど、モカのお母さんがどこの病院か教えてくれなくて」
この二人の会話を聞いて、思わずため息がこぼれてしまった。
そして頭の片隅にはニマ~ッとした京華さんがピースサインをしながら浮かび上がってくる。
モカの幼馴染と俺が病院でバッタリ遭遇したら大変なことになってしまう事を京華さんは分かっていたのだろう。
本当に貴方には頭が上がらない。それは仕事でも、プライベートでも。
「えっと、貴博君……だっけ?ここに座っても良い?」
「いいよ~」
「モカには聞いてないからっ!」
「座ったらダメなんて言わねぇよ。今日は奢るから好きな物を頼んで」
「やったー!甘い物、甘い物~」
鼻歌を歌いながらつぐみちゃんに「これと~、これとこれ。……でもこっちも捨てがたいなぁ」とか言いながらメニューを指さしているひまりちゃんは俺の右隣に腰を下ろす。
ひまりちゃんが座った時に、風に乗ってふんわりとしつこさの無い甘い香りが鼻を通過した。
甘い香りと一緒に、腰にも地味な痛みが体中を通過した。
「むぅ~……浮気はメッだよ?」
「お前がいるのに浮気するわけないだろ?」
ギュッと摘まれていた手が腰から手放される。そうしたら腰に残された痛みはヒリヒリと熱くなる。
つぐみちゃんによって運ばれてきたホットコーヒーを軽く喉に通す。
口の中に広がる微かで香りの良い苦みは、腰の痛みによって甘くなったような気がした。
そして俺は確信した。
モカの顔を見て、にっこりと笑顔を作ってみせる。
俺の中では答えを決めているからお前は安心しておけって事。
「あの、佐東さんはモカちゃんとどういう関係なんですか?」
一連の動作を少し離れてみていたのだろうつぐみちゃんが、真っ当に思える疑問を投げてきた。
これをキャッチボールだと例えるならば、つぐみちゃんによってふわりと山なりに投げられた優しいボール。
そのボールをキャッチしたら、同じように返しやすく返球するのがマナーだと思う。
それは友人でも、上司部下、先輩後輩の関係でも同じだ。
でも俺は今日一番の大きなため息をついてしまった。
なぜなら俺の愛しいパン好きな彼女が。
「ふっふっふ~。モカちゃんと貴博君はラブラブなカップルなのだ~」
「「えっ!?」」
飛んできたボールを横取りして、豪速球で返球してしまったから。
つぐみちゃんもあまりの状況にポカンとしてしまっている。
テーブルの上に並べられたお洒落なコーヒーカップでさえこの空気に気まずさを覚えているような気がして、咄嗟に頭を掻いてしまった。
モカの幼馴染二人の視線が俺に向けられる。
普段から冗談交じりなモカの言葉に、彼女たちの半信半疑な気持ちが視線に乗せられているのが手に取るように分かる。
いきなり高度な駆け引きが行われているような錯覚に陥る。
俺の一言によってこの場の空気が一転してしまうであろう状況で、俺は瞬時にベストだと思う回答を口にする必要がある。
腹をグッと括る。
思わずこぼれてしまった緩い笑顔。
「俺とモカは付き合ってる。モカは俺に大切なものを教えてくれた、かけがえのない女の子だよ」
「照れちゃうな~、貴博君」
少しモジモジとするモカを横目で見たのを最後に、俺は目をスッと閉じた。
この後、面倒くさそうなことになることが容易に想像できてしまったから。
言葉を選ぶべきだったという言い訳は先に言わせてもらう。
今の間だけは現実逃避、しても良いよな?
@komugikonana
次話は12月17日(火)の22:00に投稿します。
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~次回予告~
俺が言葉を発した直後、珈琲店の空気が一変したような気がした。
空間が少し歪んでいるように思えた。
この歪みはきっと、答えを絞り切れずに迷っているからこそ生じるのだろう。
君たちの気持ち、分かる気がする。
俺が君たちの立場だったならば、俺もきっと答えを一つに絞れないから。
「モカ、あたしの家の前で何やってんの?」
では、次話までまったり待ってあげてください。