「アタシは今も、お前の事は好きにはなれない」
その言葉を、ゆっくりと噛み砕いてかみ砕いて、喉の奥に流し込んだ。
モカと付き合ってから何があっても前向きに生きていこうって決心した俺は恐らくこんな彼女の言葉を聞いても口元をニヘラっとさせて知ってた、なんて陽気な雰囲気で言っているんだろうな。
でも今日は、そんな気分にもなれない。
俺が巴にこの先良い人間だって思われる事が絶対に無いのは知っているのに。
自分の過去の行動によってできた関係性なのに心が痛くなるのはなんでなのだろうか。
そして再び、思ってはいけない感情が染み渡ってくるんだ。
俺って、犯罪者なんだろ?
理由があったとしても、巴を追い込んだんだろう?
勝手に幸せになろうとしてるけど、本当に良いの?
頭の中で飛び交っている、まるで真夏の夜に群がる蚊のようにウロチョロとするそんな感情を殺虫剤をぶちまけるように消していく。
まだ耳に残る嫌な音が残っているが、聞こえないように振舞う事を決めた。
「ちょっと待て、なんでお前が顔色悪くなってるんだ?」
「……気のせいだろ」
「普通、逆だろ」
「知るか、そんな事」
「あ、認めたな?」
「揚げ足取ってんじゃねぇよ、バーカ」
お互い、恐らく顔も見合わせていないのに酷い口調が出てしまっているのはきっとこの場に存在する気まずさがそうさせているのだと思う。
巴もこっちをじっとは見ていないのに俺の顔色が分かったらしい事から、自分はひどい顔をしているのだろうと推測をする。
確かに、頬は氷のように冷たかった。
「アタシはお前の事が嫌いだけど、お礼を言いたいこともあるんだ」
「お礼?」
気になる言葉につられてベンチの右端に座る巴を見つめる。
彼女は前をまっすぐと見つめながら淡々とした口調で話し出す。
「あの後、正博は前を向いたよ。気弱さも以前より少なくなって、安心できる」
「それをそっくりそのまま弟に言ってやれ。きっと照れるから」
「お前のおかげでもあるよ。自分を犠牲にして正博を救ったんだろ?お前ら兄弟はすぐ他人を第一に考えて自分を犠牲にする、悪い癖だぞ?」
「悪かったな。双子だから悪い癖はそっくり似るもんだ」
自分の行動心理を巴にはバレていたらしい。だけどそんな事でお礼を言われてもとは思う。
そう思いながら左足を右足の上に乗せて足を組みながら、腕を組んで思いっきりベンチの背もたれまでもたれた。
俺達兄弟の悪い癖、か。
生活と言い家庭環境と言い、そうなっちまうのは仕方ねぇよな?
「それに関しては、ありがとう」
「どういたしまして」
「でも、お前の事は嫌いだ」
「過去の事を根に持ってネチネチする女は嫌われるぞ?」
「だ、だからってお前のしたことも変わらないからな!?」
「正論だな」
冷たい空気によってより青さが増している秋空に、一匙の彩りが追加されたかのように木の葉が一枚舞った。
文字は過去形にするのは簡単だ。そして紙に書きさえすれば消すことも安易だ。
そうやって一度でも過去を取り消せたら良いのに。
もし一度だけ過去を取り消せるなら、間違いなく俺は。
巴と正博を傷つけたあの日を、消すだろう。
「それで?アタシと話したいことってなんだ?貴博」
今度は攻守交替の時間で俺が巴に話したいことを言って良いみたいだ。
正直話したいことはいっぱいあって、あの時は悪かったとか今まで言えていなかったごめんなさいとか弟の事とか。
でも一度に聞きすぎるのもダメだろうから俺はあの話題をすることにする。
背もたれの奥深くまで腰かけていた身体をゆっくりと起こして、ベンチから立ち上がる。
そして巴の方を見つめた。
巴と目が合って、今日初めて彼女と目と目が合った。
「……弟のこと、よろしく頼むよ」
「あ、ああ。もちろんだ」
「それと、最後に一つだけ、聞かせてくれるか?」
「なんだ?」
この最後の質問に対する巴の答えに、安心したい。
そう思うのはダメな親族なのだろうか。
「巴は、正博の事、良く分かるか?」
「当たり前だろ。アタシは正博の彼女なんだからさ」
「頼もしいな。じゃあ、敢えて言わせてもらう」
弟が、正博が、本当に万引きをするような人間に思えるか?
抑揚のない淡々とした声で、告げた。
弟を知っている人間なら一度は疑問に思っていた事が、すべて「は?」という訳の分からない二文字に一瞬で帰化するだろう。
そしてそれに当てはまる人物、巴に聞いてみた。
巴は俺の弟の彼女だ。巴は良くも悪くもサバサバした性格だから、きっと弟が犯してしまった「過去」を無かったことにしていそうな気がする。
そういう気の持ちようも一つの手段だし、悪くない選択だ。
「それってどういう事だよ!?」
思わず大きな声を出して立ち上がった彼女は勢いよく俺の近くまで寄ってきた。
彼女の目を見ると、無理もないが軽いパニック状態なのだろうか、目が小さく小刻みに揺れていた。
少し遠くにいたモカたちも何かを思案しているような様子でこっちを見ているから、それくらい大きな、そして瞬時の出来事だった。
「そもそもさ、おかしいと思わねぇのか?弱気なあいつが万引きをするなんて。しかも都合の良い様に捕まって、実の兄の名前を騙る……。正直、出来すぎた話だろ?」
まるで、誰かがシナリオを描いてそのままを演じるドラマみたいじゃないか。
根本的な事は何も間違っていない。すなわち弟が万引きを実行したのは確かだし、本人も犯した罪の償いのために一生懸命生きているなんて言ってやがる。
だけど弟は、一度も、自分の意志でやったとは言ってない。
「貴博、お前……」
「ここでこの話はお終いだ。お前と正博は今、幸せなんだろ?」
「でも……!」
「だから巴は、出来るだけ弟のそばにいて、弟がすべて抱え込んでいる罪を一緒に背負ってやってくれ。後始末は俺がやってやるから」
正博は、背負わなくても良い罪までもすべて「自分の責任」として償おうとしてる。
それはとてもじゃないけど、キツイとか簡単な言葉で現わせられることじゃないだろう。
誰とは言わないが悪者扱いだってされたんじゃないか?
だから巴には本当に感謝してる。
自暴自棄にも似た正博の元に現れたんだから。そして良い関係になってくれたから。
そこまで言ったら、俺が巴や正博に嫌われても良いと思えるくらいの行動をとった理由が分かるだろう。
「貴博。最後に聞かせてくれ」
「めんどくせぇから手短にな。一応デートなんだ。暗い話はしたくない」
「そうだよな。でも聞かせてくれ……真相は、掴んでるのか?」
「確証はないけど、掴んでる。そしてそれはほぼ間違いないと睨んでる」
「まさかだけど、そいつに復讐して自分も死のうとか」
「考えてねぇよ、アホ」
自分が死ぬことに未練はないけれど、生憎自分から命を絶つほど捻くれてない。
未練があるとすれば、モカとの
それにこんな不吉な事を考えていていつか我が身に降りかかったらどうするんだって事。
俺もお前らも、嫌な雰囲気がどこからか溢れてくる気がするだろうから。
巴はまだ俺の方を疑問の籠ったような瞳で見ていた。いや、どちらかと言えば取り返しのつかない事にならないように心配するような瞳に近いかもしれない。
双子だから、嫌な事が被って見えるのかな。
だからその不安を何とかして拭い去ってあげなきゃって。
「それに、学校でも嫌いな奴ほど接点が増えるような気がすんだろ?だから安心しろって」
巴の、彼女の方を振り向かずに幼馴染たちがいる方向に歩き始める。
後ろから彼女がついてきているような雰囲気は、感じなかった。
「なんかごめんな、あんまり二人で紅葉見れなくて」
「だいじょ~ぶ。またいつでも来れるもんね」
「ああ、そうだな」
ちょっと前まではこの時間まで太陽が昇っていたのに今となってはすぐに沈んでしまってより一層の寒さと暗さが辺りを取り囲んでくる。
モカの幼馴染4人は電車に乗って帰ったらしい。らしいというのは美竹たちがそう言っていただけだし駅まで送っていないから確証がないからだ。
残った俺とモカは予約していた宿について、今は二人でゆっくりと晩御飯を頂いている。
一人分にしては多いような盛り付けも、普段食べない物珍しい食べ物や美味しい食べ物でペロッと食べ終えてしまう。
鍋の下に敷かれている液体燃料はまだゆっくりと炎を宿している。
「貴博君は、ともちんと何を話してたの?」
「ん?ああ、弟の事をよろしくって事を言った」
「ふーん?」
何だか変な空気感だったけどね、と箸でちょこんと掴んだ小さなお肉を口に含んでモグモグと彼女は食べながら相槌をした。
モカはパンを食べる時は勢いよくパクパクと口に運んでいくのに、こういうご飯系の食べ物だと上品に食べる。
普段もこんな上品に食べているのだろうか。
もしそうなら、こまめな性格なんだなって思う。
「モカ、聞きたいことがあるんだけどさ」
「なにー?」
「次のモカたちのライブのチケット、取ってほしいんだけど」
「もっちろん!というかー、言われなくても取っちゃいま~す」
「ありがとう。今度はゆっくり見たいからな」
12月にあるらしい彼女たちのライブ。確か年末の大イベントらしくたくさんのガールズバンドを呼んで演奏をするらしい。
そのたくさんあるバンドの中でも上位の人気を誇るのがモカたちのバンドらしい。
その情報を饒舌に語る弟を見ながら少し嬉しくなったのを今でも覚えている。
「そのまま年が明けたら、初詣、行こうね?」
「初詣か……。行くか」
「あれ?貴博君はあんまり初詣、行った事ない?」
「まぁな。神とか信じてないし、ただの紙切れで一年や受験生の合否が決まってたまるかって思うからな」
「じゃあ、おみくじで二人が大吉出るまで引き続けよ~」
「それ、おみくじの意味ねぇだろ」
それもそれで面白そうだけど。
ふたりで大吉が出るまで引いて、大吉のまま一年をすごしてその一年が素敵な物だったら。
きっと俺は毎年初詣に行きそうな気がする。
ちょっとずつ先に楽しみが出来る。そうなれば一日一日を頑張ろうって思える。
そのふとした瞬間に大事ないる人の幸せは、人間が得る最大の幸福感なのかもしれない。
二人一緒にごちそうさまをして、部屋に帰る時間。
もちろん俺たちは正式に付き合っているから別々の部屋にする理由もない。だから同じ部屋に戻る。
よって部屋に戻るルートは一定なんだ。
だけど、まぁ、朝も言ったけどさ。
「モカ、ちょっと夜道を散歩するか」
遠回りしないか。
@komugikonana
次話は1月24日(金)の22:00に公開します。
新しくこの小説をお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
Twitterもやっています。ぜひ覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!
~次回予告~
「貴博君は、どっちが好き?」
少し前かがみになり、俺の顔を覗き込みながら聞いてくる彼女。
心地よく夜風がサラッと前髪を撫でで来るのがこそばゆくて左手で前髪をあげながら彼女の質問を頭の中で考える。
瞬時に色々な言葉と伝えたいものがポップコーンのようにパチパチと弾けるから、まずは落ち着いて整理をしないといけないのが少し面倒くさい。
~豆知識~
・今日のお話での一文。
”誰とは言わないが悪者扱いだってされたんじゃないか?”
この言葉、貴方にも刺さるのかな?
実は他にも気づいて欲しいギミックもあるけど、それはまぁ良いか。
では、次話までまったり待ってあげてください。