change   作:小麦 こな

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change④

あたしは走ることとか面倒くさいからあまり好きではない。

だってあたしは動くのが嫌だし、ジッとしていた方が楽だから。

 

そんなあたしが今、人生で一番本気で走っているような気がする。

特にこの季節の運動は肺のあたりがキュッとするような感覚になるから嫌いだし、高校生の時の冬の持久走は歩いていたくらい。

 

走りながら蘭に電話したから最初はどうしたの、と言っていたけどなりふり構わずあたしは蘭に聞いちゃった。

貴博君が今いる場所は羽丘大学医学部付属病院らしく、この辺りでは一番大きな病院。だから貴博君が今どんな状況に陥っているかは手に取るよりも簡単に分かる。

 

そんなに遠くないからきっとすぐに着くはず。

まだ走り始めて時間が経っていないはずなのに息が乱れ始め、吐く息が目に見えるように弱弱しくなっているけど足を止めるわけにはいかないよね。

 

時々もつれる足を自分で制御しながら精いっぱい前に進む。

人が真剣な時に何も関係のない街行く人は不思議な視線をまじまじと送り付けてくるけど知った事じゃない。

 

「モカ、思ったより早く来たね」

「あ、蘭」

 

病院の前にまで走りぬけると、入り口で蘭が待っていてくれた。

きっとあたしが電話した後、貴博君がいる病室まで聞かずに電話を切っちゃったから心配してここまで来てくれたのかな。

 

蘭は時々目を擦っていて、少し眠たそうにしていた。

 

蘭の後を息を整えながらついて行く。

病院の窓がチラッと目に入った時、あたしの髪の毛が冬の冷たい風のせいで変な癖がついていたから右手でサッとした。

 

「……蘭。貴博君の容態は?」

「それは病室に着いてから、説明する」

「そっか。今病院にいるのは蘭だけ?」

「そうだね。京華さんもついさっき帰った。流石に眠たいって」

 

蘭と二人でゆっくり階段をのぼりながら色々と情報を聞いていたが、あたしが気になったのはママも来ていたという言葉で、特に「も」という一言。

誰が、そして何人くらい駆けつけたのかは分からないけど心がチクッとした。

 

「モカ、この部屋の中であいつが待ってるよ」

 

階段をのぼりきってすぐの病室の前で蘭が足を止めた。たしかに病室の前には貴博君の名前が記されている。

蘭がコンコンコンと三回ドアをノックして入るから、と素っ気なく言ってから戸を開けた。

 

戸の中にはベッドが一つだけ設置してある個室らしい。

そのベッドの上で眠っている貴博君がいた。

 

「貴博君……」

 

近くでみると貴博君は気持ちよさそうに、いつも部屋でぐっすり眠っている顔を変わらない寝顔だった。

だけど違う部分と言えば頭には包帯が巻かれていて、その上からネットのようなものをかぶっていた。

 

「モカ、落ち着いて聞いて」

 

病室にあった椅子を二つ持って、あたしに座るように促しながら神妙な面持ちで静かに蘭が語り掛けてくる。

あたしは椅子に座ってから唾をゴクンと喉に押しやり、少しだけ目を閉じて深呼吸した。

 

病院のこの独特のにおいは、あたしはあまり好きじゃないんだよね。

 

「貴博の容態なんだけど、見ての通りまだ目を覚ましてない」

「……うん」

「ブロック塀で殴られたことによって頭蓋骨が骨折しているらしい。脳挫傷も確認されてるけど、そこは不幸中の幸いで軽度なものらしい。でも目を覚ました後に何かしらの障害がある可能性もある。精密検査は既にやったよ」

 

あたしは蘭の話をゆっくりと聞いて、それからゆっくりと椅子を持ち上げて貴博君の近くまで持って行く。

そのままあたしは貴博君の頬を優しくなでた。

 

痛かったよね。辛かったよね。今もしんどい?

 

いつもだったら鬱陶しいからやめろ、とかニヤリとした顔して言うくせに今日は表情を変えない貴博君を何度も、何度も優しく触れる。

 

「医者の先生が言うには、もう目を覚ましてもおかしくないらしいけど……もしかしたらストレス的な要因で目覚めない可能性もあるって」

「そっか。でも貴博君はずっと頑張ってたのあたしは知ってる。だからちょっとくらいは休憩させてあげたいな。このまま寝たまま、とかは許さないけどね~」

「……そうだね」

 

貴博君の事だから実はちょっと前位から目が覚めていて、今は寝たふりをして普段聞けないようなことを聞いて心の中で笑ってそうだなぁ。

そんな気持ちを持ちながら、ふんわりとした視線を彼に送る。

 

蘭はしょうがないね、と言いたそうな顔で小さくため息をついた。

 

あたしの頭の中には実は一つだけ、聞いておかなくてはいけない事がある。

だけど今は知りたくないと思っているし、蘭もあたしの事を気遣ってくれているような感じがした。

 

 

あたしが今そのことを知ったら、きっと取り返しのつかない事をしそうな気がするから。

 

 

「モカ、流石にそろそろ帰っていい?もう眠気が限界」

「え~、もうちょっと頑張ろうよ~」

「無理だって」

 

 

蘭の事を誰よりも知っているあたしなら分かるのは、本当にあの後病院に行って一睡もせず貴博君が目を覚ますのを待っていたという事。

蘭に聞いてもきっと答えてくれないだろうけど、優しい蘭の事だから。

 

その時に病室のドアがコンコンと音を立てた。

あたしも蘭も見えない糸に引っ張られちゃったみたいにドアの方に視線を動かした。

 

「美竹さんに、青葉さん。お疲れ様」

 

病室に入ってきたのは貴博君の双子の弟君にして、ライブハウスCiRCLEで働くスタッフさん。新入りだと思っていたけどもうスタッフを初めて1年も経つんだね。

 

「兄さんは、まだ起きてないんだね」

 

ひょろひょろで、ちょっとした吐息で一気に消えてしまいそうな声色で眠っている貴博君に語り掛ける弟君はとっても意気消沈していた。

まるで、こうなってしまったのも自分に責任があると言わんばかりのように感じた。

 

あたしは声を掛けたかった。

君のせいなんかじゃないし、悪い事は何一つないんだよってね?

 

でもそれをすることが出来なかった。

もしかしたらあたしがまだ知らない事が存在しているのかもしれないって思って、安易に声を掛けられないと判断したから。

 

「青葉さん、兄さんが本番の前にパンの差し入れを持って行ったこと、覚えてる?」

「……うん。覚えてるよ」

「そ、その……僕も今日気付いたんだけどね?やまぶきベーカリーの紙袋に、多分兄さんなんだけど、想いが残ってたんだよ」

「どういう事?」

「紙袋の底にね、これが入ってたんだ。控室に置いてあった紙袋を捨てようとした時に月島さんが見つけたんだ」

 

弟君は右手に淡い青色の封筒を持ってあたしの目の前に差し出してきた。

こんな封筒を見たことがなかったあたしは恐る恐る封筒を受け取った。

 

表側には特に何も書いてなかったから裏返して裏面をみると、そこにはお疲れ様、と書いてあった。

 

どうして裏面にそんな言葉を書いたのか、そして何に対してのお疲れ様なのか。こんな変哲もない言葉に頭を捻る。

 

「モカ、これは今見た方が良いんじゃない?」

「……そう、かな」

「もちろんモカに任せるけどね」

 

こんな大事な分岐点に任せるだなんて厳しいな。

あたしがもしこの封筒を貴博君に直接貰ったとしたら、あたしは寝る前とかに見ちゃいそうな気がする。

 

チラッと貴博君の方を見ても表情が変わらない事は分かり切っているのになぜか彼に確認してしまう。

 

あたしが読んでも、良いのかな。

 

 

丁度貴博君の様子を見に来た、あたしたちと同じくらいの年齢の看護師の女性の人にハサミを持ってきてほしいとお願いをした。

そのままビリバリと封を切っては貴博君に失礼だと思ったから。

 

 

その後すぐに看護師さんがハサミを持ってきてくれた。

ハサミをあたしに渡した後の看護師さんは目を覚まさないまま眠っている貴博君の方を見つめ、口元を上品に手で抑えながら小さな声で何かを話しかけていた。

 

あたしにはほとんど聞こえなかったけど、変わらないという言葉が聞こえたような気がした。

昔も今も恋の形は変わらないってことなのかな?でも看護師さんはあたしたちと同じような年齢なのにね。

 

それならあたしも今だけはこれまでと変わらないように貴博君に接してみようかな、と口元をニヤッとさせながら貴博君に話しかける。

 

「貴博君、読んでも良いよね?」

 

ハサミで封筒の封を切って、中に入っていた白色の便せんを取り出した。

 

便せんは綺麗に折りたたまれていて、自然と持つ手が震える。でも便せんは封が切られるのを待ち焦がれていて、早く読んで欲しいというような気持ちを持っているように思えた。

 

あたしは一呼吸おいて便せんをゆっくりと広げた。

蘭も、弟君も、看護師さんも神妙な面持ちであたしに視線を送る。

 

 

 

確かにこれは、貴博君の字だとあたしの直感がそう伝えてきた。目でゆっくりと、お気に入りの小説を目で追うスピードよりも更に丁寧に、通していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Dear モカ

 

 

俺が君と出会った頃はまさかこんなに深い関係になる

とは思いもしなかった。これを読んでる頃にはバカと

けんかして、もしかしたら君の目の前からいなくな

っているかもしれない。弟にも反対されたくせに

こんな状況になっているのは、もしかすると君にげ

んめつされてるかもな。言い訳をさせて。君の事を愛

してるから、他の誰よりも大事だから危険な目に遭遇し

て欲しくなかった。君が愚かな行いをした俺を許して

くれるなら俺のそばにずっといて、笑っていて欲しいん

だ。こんな事を君の目の前で言うのは、なぜか照れく

さくなるから文字にしたんだ。

いつか、直接言わせてほしい。

 

 

大好きだよって。

 

 

 

 

 

 

 

しっかりと手に持っているはずなのに、勝手に震えてきて文字がしっかりと読めないよ?

それにどうしてあたしの視界が霞んできているのかな。

 

「ここ、もしかして雨漏り、してる?」

 

せっかくの大事な手紙にポトポトと雫が零れ落ちて言って、すでに書かれた字をふやけさせぼやけさせる。

今日雨が降るなんて考えてもいなかった。

 

更に雨脚が強くなって、あたしの鼻もどうしてかグズグズとする。

頬を大粒の雫が滴り落ちるのを何回も右手で拭っているのに、落ちていく。

 

「モカ、我慢しなくて良いんじゃない?感情を出した方が寝たままのこのバカに届くかもしれないよ」

 

蘭の優しい声が、あたしがせき止めていたダムを一気に崩壊させた。

 

「手紙でなんて、ずるいよぉ。どうしていつも、貴博君はそうなの……」

 

普段は口下手であたしをからかう事の方が多いのに、大事な時にはこんな事をしちゃうんだから。

 

「このままじゃ、君の事、もっと好きになっちゃうよ」

 

眠ったままの貴博君の胸に顔をうずめた。

これ以上、両手では涙を拭いきれずに大切な手紙が読めなくなってしまうから。

それと、どうしてもあたしは君を欲しがってしまったから。

 

君の胸元があたしの涙のせいで汚れてしまうかもしれないけど、後先の事を考える余裕なんて無かった。

もし君が目を覚ましたら不自然な胸元の湿り気に嫌な顔をするかもしれないけど。

 

「ばか……ばか……!ありがとう」

 

言葉になんて上手くできないから。

感情に任せても良い?ちゃんと君は受け取ってくれる?

 

「お願いだから目を覚ましてよ!いつまでも寝たままとか嫌だよ?あたしまだ返事をしてないじゃんか!返事をさせてよ!」

 

どうしてお願いにしては、こんなにも荒々しくなっちゃうのかな。

あたしが悪い子だからかな。

 

「いつもみたいな貴博君の笑顔を見せてよっ!声を聞かせてよっ!温かい手であたしの手を優しく握ってよぉ」

 

うぁあああああああああ、ひっく、ぅあああああああん。

ぐすっ、ぐすっ。っぁああああああああ。

 

 

 




@komugikonana

次話は3月10日(火)の22:00に公開します。
次回が最終回です。最後まで応援よろしくお願いします。

新しくこの小説をお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~高評価をつけて頂いた方のご紹介~
評価10と言う最高評価をつけて頂きました cepheidさん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからもこの小説をよろしくお願いします。

~次回予告~

あたしがこんなにも泣いたことは人生で初めてかもしれない。
いつになっても嬉しいという気持ちと申し訳ないような気持ちが湧いてきて、それらの気持ちが一粒の雫となって幾度となく頬を伝った。

あたしは今までかるーく考えて行動していた人間だったから子供の様に泣きじゃくるなんて想像もしていなかった。

落ち着きを取り戻した後は急に名残惜しく感じて、すでに湿り切った君の胸元にもう一度顔をうずめる事にした。
服の上からも感じる優しい温かさが、まるであたしの頭を優しくなでてくれているように感じた。


では、次話までまったり待ってあげてください。

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