全3章、全9話です。
Episode ☆
久しぶりに訪れた実家の自室。
記憶の中の部屋より少しだけ小さく感じる埃を被った部屋で、偶然隅に放置されたままになっている“それ”を見つけ、私は昔を思い出して甘酸っぱいような、そして胸が締め付けられるようにどこか息苦しいような、そんなノスタルジックな感情に駆られた。
「……懐かしいなぁ」
Chapter Ⅰ : 流星群
1
部屋の隅で佇んでいた相棒を見つけた瞬間、走馬灯のようにして過去の思い出たちが私の脳裏を駆け巡っていった。
私を気遣って寂しさを押し殺してくれた彼のゴツゴツとした大きな手の平の感触、福岡空港を発つ直前に見た夜空を走り抜けていく流星群たち、排気ガスの匂いが充満した高層ビルが立ち並ぶ東京の街並み、煌びやかなステージで輝くかつての仲間たちを観客席から唇を噛み締めながら眺める私ーー。
一度大きく息を吸って、次から次へと襲いかかってくる走馬灯たちを断ち切った。そして私はそっとかつての相棒に声をかける。相棒は何も答えてくれなかった。だけど私はとうの昔ーー、おそらく福岡空港を旅立った時に失ったはずの、穏やかで清々しい気持ちに満たされているような気がしていた。
指先に付いた埃を気にも留めず、ゆっくりと茶色の錆が目立つチャックを開いていく。埃だらけのカバーを開けた先に待っていたのは、色鮮やかな赤色が特徴的なギターだ。ピンと一直線に張った弦たち、ボディの右下のある擦った汚れ、酸いも甘いも共に嚙み分けてきた相棒はあの頃と何も変わらない姿のままでギターケースの中で眠っていた。
中学生の頃に初めて手にした時から何も変わっていなかった。もしかしたら変わってしまったのは私だけなのかもしれない。そう思うと、少しだけ胸の奥がギュッと締め付けられる。
『えー、次のニュースです。明日の早朝がピークとなるペルセウス座流星群ですが福岡でも観測が……』
「え?」
真っ赤なギターに触れようと手を伸ばした時、ふとBGM代わりにと流しっぱなしにしていた部屋のテレビから抑揚のない男性キャスターの声が耳に届いて、私は触れようとしていた手を止めた。
伸ばした手を静止したまま、振り返った先のテレビの中には数年前に福岡で観測されたペルセウス座流星群の様子が映し出されている。どうやら明日の早朝に観測のピークを迎えるらしく、淡々とした口調の男性が若い女性アナウンサーと談笑を交えながら、流星群の方角や観測にオススメのスポットを紹介していた。
「……流星群、か」
今、この瞬間まで明日の早朝がペルセウス座流星群のピークだということは知らなかった。だけど偶然にも知ってしまった今なら、全ての偶然が繋がり、必然と化しているような気がする。暫く顔も見せていなかった実家に唐突に訪れたくなったことも、埃だらけの部屋でかつて愛用していたギターを見つけたことも、こうして偶然点けていたテレビで流星群のことを知ったことも、一つ一つの出来事は決して偶然ではなかったのかもしれない。我ながら似合わないロマンチストな思考だと笑ってしまいそうになるが、そんな偶然を必然と捉えてしまえるほどに、私にとって流星群は深い意味合いを持つ大切なものなのだった。
テレビの中の真っ暗な闇を駆け抜けるペルセウス座流星群の映像を見て、私は8年前の春に見た流星群を思い出した。
8年前の私はまだ15歳で、まだ人生の“じ”の文字も知らない子供だった。当時の私だって人生はそう甘くないとは思っていたけど、それでもあの時は自分は私なら大丈夫だと、自分は他の人とは違う特別な存在のような気がしていて根拠のない自信に満ち溢れていたと思う。憧れていた夢も、大好きだった彼も、きっと全てが私の思い描いた未来に繋がっていくーー。あの頃は、確かにそう信じて止まなかった。
純粋無垢だったからこそ、福岡を旅立つあの日、空港で見た流星群は一際輝いて見えたのかもしれない。気が遠くなるくらい広い宇宙の中を行く宛も知らず、ただ闇雲に宇宙の果てにある何かを目指して、一直線に流れていく流星たちの姿は、まさに言葉を失うほどの圧巻な光景だった。
あの流星たちに乗れたら、私はどこまで行けるのだろうか。
流星たちの行く末も、そして勿論自分の未来も、あの頃の幼い私は何一つ分かっちゃいなかった。だけど、あの時私は確かにこう思っていたのだ。
“空を彩る流星に乗って、私は輝く未来へと行ける”、と。
流星に乗って辿り着く未来では、私は武道館でマイクを握りしめてステージに立っていて、彼から貰ったギターから溢れ出るシビれるようなサウンドを世界中の人たちに届けて、そして私にギターをくれた彼と一緒に幸せな日常を送ってーー、そんな夢と希望に満ち溢れた生活が待ち構えているような気がしていた。
だから生まれ育った福岡を離れるのに寂しいといった感情は微塵も感じなかった。私はだだっ広い福岡空港で独りぼっちだったけど、今から縁も所縁もない東京で暮らしていくことになっても、それでも怖いものなんて何一つなかった。闇を一閃の輝きと共に駆けていく流星たちが、遠い未来の東京で掴み取る私の未来までの道を作ってくれているような気さえしていたのだから。
8年前の流星が降る夜に、願い事を沢山詰めたキャリーケースと大好きだった彼から貰ったギターを背負って、輝く未来を信じて福岡を発った私。あの頃の純粋無垢だった私の眼に映った綺麗な流星群は、今の私にとってどのように映るのだろうか。23歳になった今の私でもあの頃のように、綺麗な流星群を見ることはできるのだろうか。
「……なんか、知らない間に歳とったな、アタシ」
過去を振り返るような慣れないことをしたせいか、随分と自分が老けてしまった気がして思わず笑ってしまった。
歳を取ると、昔は普通にできていたことでも途端に躊躇うようになってしまう。過去の自分と今の自分を見比べてしまうからなのか、それとも老いを感じてしまうことが嫌だからなのか、その理由は分からないが、いずれにせよ無意識に制止をかける自分の胸の奥底にあるのは後ろ向きな感情で間違いなかった。
今の私もあの頃、希望と夢を与えてくれた流星群を大人になって見ることに躊躇いを感じていた。きっと私は向き合うのが怖いのだと思う。あれほどまでに大切にしていた純情な想いや夢をいつの間にか失くしてしまった自分に、そして、あの頃思い描いていた生活とはかけ離れた世界で生きている今の自分の姿とも。
たかだが流星群を見るだけなのに、どうしてこんなにも考え込んで複雑な想いになってしまうのだろうか。信じらないほどに弱気になっていた自分が情けなくなって、私はリモコンのボタンを少し強めに押してテレビを切った。
「こんなこと言ってると、またみんなに叱られちまうしなぁ……。よしっ」
迷う自分に踏ん切りを付けるため、私は少し手荒に頬を叩いて後ろ向きな感情を吹き飛ばす。
今夜、久しぶりに流星群を見に行こう。あの頃とは違った景色が見えるかもしれないけど、今の私にしか見えない景色が見えるかもしれない。それにこうして偶然ふらっと実家に戻ってきてギターを見つけた日の翌朝が流星群のピークなんて、きっと何かの巡り合わせなのだから。
そして何より、いつまでも燻ってないで、福岡から遠く離れた東京の街で今でも頑張っている仲間たちに胸を張って私も頑張っていると言える立派な大人になれるように。
私は埃を被ったギターケースを背負って、部屋を出た。
久しぶりに背中に感じたギターの重みが、今日ばかりは少しばかり心地よく感じていた。