【完結】流星群の降り注ぐ夜に   作:ラジラルク

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Chapter Ⅱ: プラリネ
Episode ★


「なぁ、ジュリア。夢ってどうやって見るか知ってるか?」

 

 プロデューサーからこんな質問を投げられたのは、確か私が上京してきてまだ1ヶ月も経過していない頃だったと思う。

 どういった脈絡でプロデューサーが私にこう問いかけたのかは、今となってはもう過去の話で覚えていない。だけど、この時の私はレッスンか挨拶回りか何かの帰り道で、プロデューサーの運転する車に二人っきりだったせいか、いつもより少しだけドキドキしていたことだけは覚えている。まだ東京に来たばかりで、プロデューサーとの接し方や距離感が掴めずにいた私は、暗い車内で隣に座るプロデューサーに対しどんな顔をしてどんな話題を振ればいいのか分からず、沈黙から逃げるようして窓の外に顔を向けていた。

 

「……夢は夢として、眠る時に見るものだろ?」

 

 質問の意図がイマイチ分からずにいた私は、頬杖を付いて、もう遅い時間だというのに大勢の人たちで賑わう東京の夜の街を車の窓越しに眺めながら、そう答えた。

 プロデューサーは私の答えを聴き、小さく笑った。そしてすぐさま私の答えを否定した。

 

「違うな」

 

 信号が赤になって、プロデューサーはブレーキを踏み、車はスピードを落としてゆっくりと止まる。

 その拍子に運転席のプロデューサーと視線が交錯した。プロデューサーは、初めて出会ったあの日ーー、福岡の警固公園で私をスカウトした時のように優しい口調で、私の眼を射抜くように見据えながら問いの答えを教えてくれた。

 

「ジュリア、夢ってのは目を開いてみるものなんだよ」

 

 

Chapter Ⅱ:プラリネ

 

 

1

 

 

 流星の降る夜に福岡を発った私は、アイドルになるために東京での生活をスタートさせた。15歳で上京し、結果として19歳の時に福岡に帰ることになったのだが、ひたむきにアイドルとして上を目指して無我夢中で闇雲にもがいていた東京での4年間は、まだ幼くて福岡の狭い世界しか知らなかった私を様々な意味で大きく変えた4年間でもあった。

 福岡よりも倍近い数の空に高く伸びた高層ビルたち、信じられないほど数の人たちで溢れかえる、スクランブル交差点を渡るウンザリとした冷たい表情の人たちーー。23歳になって福岡に帰ってきた今思い返してみても、東京での生活は私にとって少しだけ窮屈で息苦しいものだったのかもしれない。

 流星群に導かれるようにして東京にやってきた私は、結果的に言うと東京で挫折を味わうこととなった。東京には私よりも遥かにオシャレで可愛い子たちが溢れていて、歌唱力もダンスもビジュアルもバケモノみたいなポテンシャルを持つ子たちがごまんといて、そんな東京で私が何かを掴み取ろうと必死になる度に現実と理想のギャップに直面し、もがいて苦しんで、次第に自分は特別な人間ではないことや根拠のない自信、思い込みだけではどうにもならない現実を痛感させられて。

 東京という街は4年間の短い期間の間で、私に沢山のことを教えてくれた。夢を叶えることの難しさやアイドルサバイバルの想像を絶する厳しさ、あまりにも遠すぎた武道館までの距離、そして福岡にいた私の考えや思考が全てにおいてどれだけ幼稚で甘かったのかも。

 そして東京で様々なことを学んで知って、大人になって、気が付けば私は大切にしていたモノたちを東京の街の片隅に落としてしまっていた。

 

 

2

 

 

 プロデューサーにスカウトされ、中学卒業と同時に上京してきた私は、765プロの“39プロジェクト”という新たに発足した部署のアイドル候補生としてデビューを目指すこととなった。

 元々765プロは中小の弱小アイドル事務所だったそうだが、3人ユニットの竜宮小町のブレイクをキッカケに一気に知名度を上げると、続け様に天海春香や如月千早、星井美希などのアイドルたちが揃いも揃って大当たり。その後も奇跡的なブレイクが続き、今やアイドル業界では最大手の名高いプロダクションにまで急成長した勢いのあるアイドル事務所だった。765プロ専用のライブ劇場まで建ててしまうくらいなのだから、よっぽど先代のアイドルたちは売れていたのだと思う。

 今回、私が所属することとなった39プロジェクトは偉大な先輩方である765 ALL STARSの妹分に当たる、言わば二期生のような立ち位置のグループだった。私のようにスカウトを受けた子もいれば、自ら応募して参加したオーディションを勝ち抜いてきた子もいて、経緯は違えど東京に集められた幅広い年齢層のアイドル候補生たちは、皆がそれぞれの光るモノを持っていた。自分のビジュアルに絶対的な自信を持っている子もいれば、歌唱力がズバ抜けている子、ダンスが得意な子に、圧倒的なコミュニケーション能力で場を賑わすのが上手い子など、39プロジェクトにやってきた子は何か一芸に秀でた子ばかり。周りを見ればすぐさま劣等感しか感じないような、そんなハイレベルな中に放り込まれた私は、ロック系アイドルという前例のないアイドル像を掲げ、デビューを目指すこととなった。

 プロジェクト名の通り全国から集められた39人のアイドルの卵たちは、個性や特徴を元に振り分けられ、プリンセス、フェアリー、エンジェルの3つのグループにカテゴライズされた。私をスカウトしたプロデューサーはフェアリーの担当プロデューサーだったため、私が在籍していたのはフェアリーのカテゴリー。フェアリーに所属していたアイドルは、可愛い衣装を着て踊る王道のアイドルというよりどちらかといえばアーティスト色の強い、歌唱力やダンスに自信を持っている子が多いカテゴリーだった。

 

「フェアリーでジュリアの歌唱力を武器に、デビューを目指して欲しい」

 

 プロデューサーは常々そう言っていたものの、私はアーティストではなくアイドルなのだから正直歌唱力より大事なものがあると思っていた。だからこそ、最初の頃はプロデューサーの言葉を半信半疑で受け取って、その度に彼の言葉を疑うような質問をしていたと思う。

 

「でもアイドルっていうくらいなら、もっと可愛げあったほうがいいんじゃないのか?」

「いいや、ジュリアは今のままでいいと思う。ロック系アイドルを目指すんだろ? なら、その道一本を極めればいいさ」

 

 プロデューサーは会社としての方針や現代の流行、アイドルとしての常識を私たちに押し付けるのではなく、いつもアイドルそれぞれの希望や目標、個性を尊重してプロデュースをしてくれていた。自分で道を示すことはないが、アイドルが自身で決めた道を真っ直ぐに歩けるように最大限サポートする、これがプロデューサーの仕事の流儀だったらしい。

 ある意味放任主義とも言えるプロデューサーの元で、私はロック系アイドルという前代未聞のアイドル像を目指し、二人三脚で歩み始めることとなった。最初の頃はあまりの放任っぷりにこの人に付いて行って大丈夫なのかと不安に思うことも度々あったが、私の夢を信じるプロデューサーと一歩ずつ歩を進めていく度に、日に日に私を東京に連れてきてくれたプロデューサーを信頼するようになっていた。

 

「プロデューサー。アタシ、あんたに世話になりっぱなしだからさ。いつか絶対アイドルとしてブレイクして、ちゃんと恩返しするよ」

 

 そんな口約束をしたのはいつのことだったか。記憶が定かではないが、私は早い段階からプロデューサーのことを心の底から信用していたと思う。そして、プロデューサーもまた私のことを信用してくれていた。

 残念ながらあの日プロデューサーと交わした約束は果たすことはできなかった。そのことだけが今でも心残りで、本当に本当に申し訳ないと思っている。

 

(あれだけ私を信用して支えてくれたプロデューサーに、私は何をしてあげられたのだろうか)

 プロデューサーの顔を浮かべ、果たすことのできなかった約束のことを思い出す度に、福岡に帰った今でも私はどうしようもないくらいに胸が締め付けられ、行き場のない、消化の仕様がない罪悪感に包まれる。

 この罪悪感を取り除くことは、きっともうできないのだろうと思う。きっと明日も明後日も、この先もずっと、私はこの胸が押し潰されそうになるくらいの罪悪感を抱え続けて生きていくのだろう。

 夢を諦め、765プロを離れた私がプロデューサーにできる恩返しなんて、もう何一つないはずだから。

 

 福岡で夢を見ることしかできなかった私を見つけ出してくれたプロデューサーには、今でも感謝していた。765プロで出会った仲間と過ごした時間は、辛くて苦しい時間も多かったけど同じくらいキラキラした思い出もあって、今でもたまに恋しくなるくらい素敵な時間だったのだから。

 だからこそ私はどうしようもないほどの罪悪感を、今でも胸の奥底で抱え続けていたのだった。

 

 

3

 

 

 東京で始まった生活も、初めはそこまで苦ではなかった。

 福岡よりも遥かに規模の大きい都会での生活も、テレビの中でしか見たことのなかった偉大な先輩アイドルたちが身近にいる生活も、765プロで受けるレッスンやオーディションも、眼に映るもの体験すること、全てが新しいことばかりで、その一つ一つが刺激的で新鮮味があって、上京してから暫くは本当に毎日が充実していたと思う。 

 しかし、いつからか私は東京での生活にストレスを感じるようになって、心身ともに疲れ始め、気が付けば大事にしていたはずのモノたちを失くしてしまっていたことに気が付いた。

 こうなってしまった理由や原因は様々なのだろうけど、一つ確かなのは上京して3ヶ月目に起こった“あの”出来事が、私が壊れていく最初のターニングポイントということだった。

 夏を目前に控え、蒸し暑いような気温が続くようになった6月の末。私は2年弱付き合っていた福岡の彼と別れることになった。

 上京後、僅か3ヶ月で終わりを迎えてしまった私の初恋だが、福岡と東京の遠距離恋愛も初めは順調だった。毎日のように電話をしては福岡にいた頃のような他愛のない会話を何時間もして、お互いが傍にいないことへの寂しさや不安を取り除きあっていた。別れる未来がもう数ヶ月後に控えていたことなんて、この時は微塵も感じなかったくらいだった。

 だけど彼が福岡の高校に進学すると同時に、私もアイドル活動と芸能科のある高校の二足わらじの生活が始まり、互いに相手が知らない世界で過ごす時間が増えると二人の距離感は次第に遠くなってしまった。日に日に共通の話題が減ると、電話の時間も短くなり、連絡の頻度も減る一方。福岡と東京の距離は想像以上に遠く、私たちの心はその距離に負け、あっという間に破局を迎えてしまった。

 

「もう無理なんじゃないかな、俺たち」

 

 別れは電話で告げられた。距離が遠のいていくにつれて別れる予兆は感じていたはずなのに、いざその場面に遭遇すると私は呆然としてしまって、離れていこうとする彼を引き止めることも、私の想いを伝えることも、泣くことさえも、何もできなかった。

 彼のことは本当に大好きだった。経験値の浅い当時の私が言う言葉にどれほどの重みがあるのかは分からないけれど、間違いなく私は心底彼のことを愛していたと思う。だからこそ、例え福岡と東京の遠距離恋愛になったとしても私たちなら上手く行くと信じていたし、彼との遠い将来を明確に描けていたはずだった。

 前にも後にも、私が本気で好きなった人は彼だけ。それなのに、私たちが迎えた結末はあまりにも呆気ないものだった。

 大人になった今なら、中学生の頃に付き合っていた相手と結婚することは絵空事に近いことだと思える。それに加え当時高校生だった私たちの福岡と東京の遠距離恋愛の関係も、続く方がおかしいくらい困難なことだとも。

 だけど、当時はその絵空事を私は本気で思い描いていた。天文学的数字ほどの成功率しかない無謀な遠距離恋愛だとしても、そのゼロに近い可能性を信じ切れるくらいに私は純粋だったのだ。

 

 だが、現実は違った。

 私は最愛だった彼と別れ、絵空事はあくまで絵空事なのだと痛感させられた。

 この時初めて、中学生の頃から信じてきた想いが、ずっと大切にしていた純粋さが、胸の中で音を立てて壊れていく音が確かに聞こえたのだった。

 

  

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