安西優人(あんざいゆうと)。人間の男。ごく普通の家庭に産まれ、不自由なく生きてきた。交友関係はそこそこ広く、親友と呼べる人物もいる。しかし、交際関係はなく、未だ童貞。
それが僕の全て。
特別良くもなく、悪くもない人生。
何をやっても人並みにしかできない器用貧乏だった。
この日も、いつもと同じように学校に行き、帰りに親友とカラオケに行ったりして遊んだ。その日の帰り道、
僕はトラックに跳ねられて死んだ。
それはもう、芸術的に死んだ。打ち所が悪く、痛みを感じる前に僕の心臓は止まった。
跳ねられた体にはかすり傷くらいしかなく、病院に運ばれる前に死んでいた。死に顔は穏やかで、まるで寝ているようだった。
「………以上が、安西様の人生です」
何もない真っ白な空間で、僕は天使と話をしていた。
別に、頭がおかしいんじゃない。だって、頭上に光る輪っかがあって、白い翼を生やしていたのだから。
「何がご質問などはありませんか?」
疲れた様子で天使が質問をしてくる。見た目は本の中に出てくるような感じなのに、まとっている雰囲気は残業中のサラリーマンそのものだ。
「あの〜、これから僕はどうなるんでしょうか?」
恐る恐る手を上げて質問をする。
ちなみに、僕の体はふわふわと浮いているような感じがして、心地よい。
「はいはい。これからあなたには二つの選択肢があります。一つは記憶をリセットして転生するです。もう一つは記憶や見た目がそのままの状態で異世界に転移してもらいます」
書類を見ながら事務的口調で天使が答える。
「あの〜、異世界転移って、なんですか?」
「簡単に言うと、異世界に行ってもらうということです」
異世界ねぇ。
「異世界っていうのは、ゲームとかに出てくるタイプの?」
「人間にわかりやすく言うと、トラコンクエストの舞台みたいなファンタジーな感じの所ですね」
なるほど。トラクエシリーズなら僕も結構プレイしてきた。
「でも、どうして僕みたい一般人が? もしかして、選ばれし勇者とか⁉︎」
「いえ、誰でもいいんですよ」
一瞬にして僕の期待は裏切られた。
天使が言うには、最近になって異世界で魔王が暴れているとのこと。
そのせいで異世界の魂のバランスというのが乱れているらしく、放置すると良くないことが起きるらしい。
バランスを保つには異世界と殆んど同じような環境で育った魂が必要で、その中でも一番条件にあっているのが地球産の魂だそうだ。
しかも、いちいち記憶を消して転生させるよりも記憶や姿形をそのままにして送り込む転移するほうが効率がいい。なので、地球で死んだ人間をバンバン送り込んでいるとさ。
「いかがです? 異世界転移なさりますか?」
「うーん。向こうの世界に行ったら魔物と戦えみたいなオチじゃないよね?」
「いえいえ、そんなことはありません。転移先の街は治安も良く、魔物の脅威が及んでいません。魔王軍に関しては向こうで戦ってる勇者にでも任せて、異世界ライフをエンジョイしてください」
さも当たり前のように話す天使。慣れたような話し方からするに、嘘は言ってないんだろう。
僕の人生はもの凄く短いものだったもんな。もう少しだけ、せめて童貞を捨てれるくらいまでは生きたい。
「異世界転移の方をお願いします」
「分りました。では、行きますよ」
どこからともなく降ってきた紐を天使が引っ張った瞬間、
僕の体はものすごい勢いで落下した。
「よい異世界の旅を〜」
仕事をやりきった感で手を振る天使の顔が最後に見えた。
目が覚めたら、僕は森の中にいた。
森といってもいろんな種類があると思うけど、僕がいるこの場所は樹海というのが相応しいだろう。
「あの天使、ここのどこが治安のいい街だよ。思いっきり変なところじゃないか」
ぶつぶつと文句を言っても、返事はない。
もしかして、僕はあのサラリーマン天使に騙されたのだろうか? それとも、あいつは天使じゃなくて実は悪魔で、僕を苦しめようとわけの分からないところに飛ばしたのだろうか? というか、本当にここは異世界なのか? 実は日本の山の中とかじゃないのか? そもそも僕は死んでなくて、今見てるのは夢じゃないのか?
ひたすらに自問自答を繰り返していると、誰かの悲鳴のようなものが聞こえた。
もしかして、僕のように天使に騙されたりとか誰かに攫われた人がいるのか⁉︎
僕は声のする方へと走り出した。
「いや、嫌ァァああ!」
真っ黒なローブを被った女性は怯えていた。木々の上から音もなく忍び寄った彼らに。
害はないかもしれないが、その姿は生理的嫌悪感を誘う。
そんな無数の輩が垂れ下がっていた。
彼らの名は『毛虫』。
一度、我が家の庭に大量出現した彼らは、母に絶大なトラウマを植えつけた。母がガーデニングをやめたのも仕方ないだろう。
目の前には見たことないような色彩の毛虫がうじゃうじゃいた。
あっ、本当に異世界に来たのかも。だって、あんな毛虫は少なくとも日本にはいない。毛虫で自分が転移したことに気づいてしまった。
ローブの女性は毛虫がかなり苦手なようで、鼻水を垂らしながら泣きじゃくっていた。ちなみに、どうして女性だとわかったのかというと、ぶかぶかのローブのしたからでも自らを主張する巨峰があったからだ。
「大丈夫ですか?」
声をかけられたことで女性は僕の存在に気づいたようだ。彼女は僕を見るや否や、器用に上半身だけで近づいてきて、僕の腕を強く握った。どうやら腰が抜けているらしい。
「助けて、何でもするから、妾を助けてくれ‼︎」
妾? 女性の一人称に疑問を持ったが、とりあえずこの場にこれ以上いると、彼女の精神が持ちそうにないので移動しよう。
肩を貸して歩こうにも、腰が抜けているので無理。となると、申し訳ないがおぶるしかない。お姫様抱っこという案がないこともないが、そんなことをすると誤解を招きそうだし、僕の心がもたない。
彼女に背を向けて、腰を落とす。
向こうも僕が何をしようとしているのか理解したようで、僕の首に手を回しておぶさってきた。
ムニュ
顔が一気に赤くなる僕だが、このまま硬直してたら変に思われるので、女性の太ももを掴んで落とさないように立ち上がる。
ムチっ
くっ! 予想以上に精神的ダメージが大きすぎる。日頃は少しくらいならエロいことを考えてしまう僕だが、いざそういう状況になると興奮以上に恥ずかしさで一杯になる。
雑念を払うように僕は女性をおぶさったままその場をあとにした。
「すまぬな。無様なところを見せてしまって」
毛虫たちから離れたおかげで落ち着いてきたのか、背中にいる女性が話しかけてきた。
「いやいや、誰だってあの量の毛虫を見れば驚きますって」
「そうか?」
「はい。そうですよ。僕の母なんかガスバーナーで庭ごと焼き払おうとしましたしね」
あの出来事は平凡人間である安西優人の人生の中でもトップ10に入る出来事だった。
「それは、愉快な母上だな」
「普段は穏和な母なんですけど、虫絡みになるとちょっと」
「妾もその気持ちがわかるぞ。奴らは対した戦闘能力もないのに次から次へとやってくる。退治してもすぐにだ」
どうやらこの人もかなりの虫嫌いらしい。
虫に関して文句を言いながら足をぷらぷらさせている。まぁ、その度に背中に当たってる果実が揺れるから困るんですけど。
僕は気分転換に女性に話を振った。
「ここって、かなり深い森ですよね。一体、どこなんですかね?」
「ここは西大陸の北東にある彷徨いの森だ」
西大陸、彷徨いの森?
聞き慣れない言葉が出された。
「特殊な磁場の影響で、羅針盤もろくに使えない上、酷い時は濃霧で視界がなくなり、生えている木が一種類しかないので、目印もなく迷いやすいので有名な森だ。森を抜けるには運良く出られるか、規定のルートを通るための通行証がないと出られない」
あの、メガネサラリーマン天使! なんてところに転移させたんだよ‼︎
「もしかして、このままずっと森を彷徨うのかな……」
「いや、私は通行証を持ってるから、迷わないぞ?」
「通行証を持ってるんですか⁉︎」
振り返って確認しようとするが、当然後ろには誰もいない。彼女は僕の背中の上にいるのだ。
「あぁ、妾は散歩がてらにここに来たからな。今も帰る途中だったのに虫ケラどもが邪魔をしおって……。本来ならば通行証を使って森を移動する時の道はむやみやたらに教えてはいけないが、助けてくれているお礼だ。森の出口まで案内しよう」
どうやらこの人、まだ腰が抜けているな。助けてくれているって現在進行形だし。
「じゃあ、お願いします」
「うむ」
こうして僕と彼女の森からの脱出が始まった。
人を背負っての移動はキツイはずなのに、僕の体は息一つ上げなかった。
もしかして、これは異世界転移のオプションなのかも。漫画なんかでも異世界に行ったら重力が軽くて力持ちみたいなのが結構あるし。
「そこを右じゃ」
「次はその木の所を左じゃ」
背中の彼女の指示に従って歩いて行くと、少しずつ霧のようなモヤモヤが晴れていって、開けた場所に出た。
「ここが出口ですか?」
「そうじゃが………おかしいのぉ」
「何がおかしいんですか?」
「妾の仲間が待っているはずなのじゃが、姿が見えんのだ」
周りを見るが、人影は見えない。
「もしかしたら、あなたの帰りが遅くて迎えに森の中に入って迷ったんじゃ………」
「あやつのことだから、お主の言う通りかもしれんな」
「その仲間って、通行証を持ってるんですか?」
「持っておらぬじゃろうな。妾の持っている分しかないはずじゃ」
彷徨いの森というだけあって、かなり危険な森だった。大きな獣はいなかったが、ひたすらに同じ景色が続いて方角がわからなかったり、霧で足下が見えにくかったりもした。
「それって、かなり危険なんじゃ……。どうします? 探しに行きますか?」
探しに行くならそれなりの準備をしないと迷ってしまう。
しかし、背中の彼女はアッサリと言った。
「いや、あやつのことだから放っていても大丈夫じゃろ」
「えっ、探しにいかないんですか?」
「行かぬ。あやつは元から死んでいるみたいなものじゃし、なにかと運がいいから時間が経てば出てくる。問題は、これから妾たちがどうするかじゃ」
この人がいいって言うなら余計なことはしない方がいいんだろうけど、大丈夫か? 仲間の人。
「お主について聞いておらんかったが、この辺りのものか?」
なんて答えよう。こういう場合は素直に言った方がいいのかな?
「僕は異世界の日本ってところから来たんだ」
突然、目の前にいるのが異世界人だとわかった彼女の反応は………。
「ふむ。最近増えてきている転移者か」
予想と正反対でした。
「驚かないんですか?」
「少しは驚いたが、どうでもいい。それよりも、これからどうするかを考えるのが先じゃ」
異世界からきた人間をどうでもいいって、神経太いなこの人。
日本に異世界人が来たら連日テレビショーで取り上げられてるよ。
「僕は転移者たちがいる街を目指したいと思いますけど」
噂になるくらいだったらそれなりに人がいるはずだ。街までの移動手段なんかは後で考えるにしろ、とりあえずの目的は街に移動することだ。
「それは無理じゃな」
「はあっ?」
思わず、間抜けな声が出た。
「転移者たちが暮らしておるのは東大陸の端の街じゃ。現在地と対極の位置じゃ。まともに移動しても三年はかかるぞ。しかも、今は魔王軍と人間軍との戦闘が各地で起きておるから、無事にたどり着けるとは限らぬぞ。路銀はどうするつもりじゃ? 最近は貧困層が増えたりで各国の経済事情は壊滅状態じゃ。働くにもどこから来たのかもわからん馬の骨が働ける場所は決まっとるし、せいぜい安い賃金で馬車馬の如く働かされて過労死するのがオチじゃが?」
はい、詰んだ。もうだめだ。最初にいた場所が悪かったせいで全部終わった。天使のせいといえばそうだが、ここまで詰むと神様の仕業じゃない? 地球で平凡だからって、こんなデンジャラスを与えないでよ! 対処できるキャパシティを振り切ったよ‼︎
そんな絶望しきった僕に彼女は言う。
「行くところがないなら、妾の家に来るか? ちょうど異世界の人間と話をしたいと考えてるおったのじゃ。身の回りの手伝いなどをすれば賃金を支払おう。ある程度まで溜まれば、それを路銀にして北回りのルートで東大陸に向かうもよしじゃ」
女神はんや。本物の女神はんがここにおるで!
思わず関西弁を使ってしまうほどに彼女の提案はありがたすぎた。
「えっと、じゃあ、しばらくの間よろしくお願いします」
「うむ、了解じゃ。では、移動するかの」
やっと腰が戻ったようで、彼女は僕の背から降りると、そこら辺にあった木の棒で幾何学模様を地面に描き始めた。どこかで見たことのあるそれは、何かの魔法陣に見える。
「そんなに見つめおって、魔法陣が珍しいのか?」
「はい。僕のいた世界では魔法なんてゲームや本の中に出てくる空想の産物でしたから」
「それはつまらんの。………よし、出来たぞい」
「これって、何に使う魔法陣なんですか?」
「これは移動用の魔法陣じゃ。これと同じ魔法陣がある場所まで一瞬で行ける優れものの魔法じゃ。ほれ、早う人の中に入れ」
僕は彼女に言われるがまま、魔法陣の中に入った。こうして見ると、彼女の方が僕よりも少し背が高い。
魔法陣の大きさはかなり小さく、僕たちはかなり密着していた。正面から向き合うのが恥ずかしいので、後ろを向いていいかと聞こうにも呪文の詠唱に集中しているようなので諦めた。
「《転移・我が家》」
詠唱はかっこ良かったのに。
僕ら二人を包んでいた光が消えると、そこは建物の内部だった。部屋の広さ的に、かなり大きな場所のようだった。
いたるところに装飾品が置いてあり、床には真っ赤な絨毯が敷いてある。
「楽に腰掛けてよいぞ。妾はちょっと着替えてくる」
それだけ言い残すと、彼女は部屋を出て行った。
「もしかして、どこかしらのお嬢様だったのかな?」
考えれば思い当たる節はある。一人称が妾だったり、着ていたローブは絹でできていた。おまけにこの部屋。異世界の基準を知っているわけじゃないが、絶対にお金持ちの部屋だろう。
そして、極めつけに金色と赤の豪華な椅子。こういうのを玉座っていうんだっけ?
「本当はどこかのお姫様かはたまた女王様様だったりして………」
「残念ながら両方ともハズレじゃ」
大きな扉が開き、そこからさっきまで一緒にいた女性の声がした。
だけど、そこにいたのはローブの彼女ではなかった。
漆黒のドレスとマントを纏い、小鬼のような金のツノを二本生やした赤髪紅瞳の女性だった。まさか、
「名乗っておらんかったな。妾は第108代目魔王軍最高責任指導者及び魔界最高統治者じゃ。まぁ、皆からは魔王と呼ばれておる。ようこそ魔王城に。そして、これからよろしくな。転移者の少年 安西優人」
魔界と人間界、魔物と人間、この世界と地球を巻き込んだ物語が始まった。