本物の貌   作:黒っぽい猫

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また新作かよって思った皆様、また新作です

はい、スランプ中に幾つもイメージしてた恋愛観にピッタリはめてみたら新作と相成りました。

暇つぶし程度に特に無理なく読んでください

短めの4000文字前後ですがどうぞ!


甘くない時間

部屋の中にはページをめくる音だけが響くのが、僕の休日だった。人付き合いを面倒だと感じる僕には、この場所に知り合いは一人もいない。

 

その為にわざわざ実家から遠く離れたここ、千葉大学を選んだのだ。

 

この場所で静かに、自分が望んだわけでもない理系の学部で退屈な日々を独りで過ごす。そうして僕の青春は終わりだ。少なくとも僕自身はそれでよかった。それなのに──

 

「どうしてアンタは僕の家に上がり込んで本棚を漁っているんです?雪ノ下さん」

 

目の前でマンガを読む女に、僕のそんな日常は崩されてしまった。

 

「まあまあ、そんなことを言いながらお茶を用意してくれるくらいは歓迎してるくせに〜」

 

まただ。その人懐っこい笑顔が向けられると肌が氷で撫でられた時のような寒気を感じる。有り体にいえば、本能的な恐怖だ。蛇に睨まれた蛙はきっとこんな内心なのだろう。

 

「………なら、早くそれを飲んで帰れ。僕の読書の邪魔です」

 

その笑みの奥に見え隠れするゾッとするほど暗く深い何か。それが彼女が持つ得体の知れなさを深くする。

 

ああ、何故………と今更ながら後悔する。よりにもよってあの日、どうして僕はこの女の隣に座ってしまったのだろう。あの日から僕の日常は非日常へと変わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は約半月前に遡る。前期授業の正念場である七月の半ば。

 

寝坊し、遅れて教室に入った僕は辟易していた。後ろから全体を見渡してみるとほとんどの座席は人か荷物があり座れそうにないのだ。

 

だからといって荷物を無理矢理どかして座るほどの度胸は残念ながら持ち合わせていない。

 

教授は気にしないだろうし立ちながら受けるか、と半ば覚悟を決めていたところ近くの女子生徒から声をかけられたのだった。

 

「席が空いてないなら隣くる?」

 

ここまでいえば理解してもらえるだろうが、その相手が他の誰でもない雪ノ下陽乃だった。僕より一つ上、学年的には二年生にあたる彼女はちょっした有名人だ。才色兼備の文武両道だそうだ。

 

一応名前は知っていたし、人当たりがいいという評判も風の噂に聞いていたので僕は有難く座らせてもらうことにした。座席が空いていなくて若干焦っていたこともあり、この時点では彼女の本質には気づいていなかった。

 

 

 

 

 

僕が彼女に形容しがたい気持ち悪さを感じるようになったのは二度目の邂逅よりあとの事だ(とは言っても席を譲られた日の昼休みの事だったのだが)。日陰のベンチで横になって本を読んでいると不意に影が濃くなった。

 

「うわー、随分年季の入った本を読んでいるのね、何を読んでいるの?」

 

「……太宰、斜陽」

 

顔も見ず適当に応える。読書の邪魔だ、と言わんばかりに雑な態度だが実際に邪魔なのを暗に示している。が、通じていないのか意に介する様子は微塵も感じられない。

 

「へえ、理系なのに面白いわね。いつも本を読んでいるようだけど」

 

「文系理系なんてのは偉いやつが決めた大雑把な括りでしかない。そこに乗っているのは乗るしか社会に適応する術がないからだ。本が好きな理系もいれば数学を嗜む文系がいてもいいだろう」

 

これは僕の持論で、実体験に基づく体験談でもある。が、声の主はさして興味もなさそうだ。

 

「ふーん……それはそう…と!」

 

腹の立つ相づちを打ったかと思えば、突然上から本が奪われ今まで見ないようにしていた顔が目に入る。それと同時にふわりと甘ったるい匂いが鼻を刺激し顔を顰める。

 

「話をする時は人の目を見なさい?」

 

そう言って笑みを浮かべた彼女と目が合った数刹那の間に戦慄を覚えた。彼女の仮面に気がついてしまったから。とても精巧に作られておきながらも作り物。彼女はそんな目を持っていた。

 

無意識のうちに迂闊にも僕は零していた。その言葉が決定的に彼女へと響く言葉になってしまうことを気づかないうちに。

 

「アンタ──醜いですね」

 

「っ!!!」

 

時が、止まった。もちろん本当に時が止まるようなことは有り得ないのでこれは僕の錯覚なのだろうが。少なくとも目の前の女は動きを止めた。

 

そして、突然ニヤッと口を三日月に歪めた。

 

「見えるんだ、キミ。私が」

 

その目には爛々とした光が点っていた。その異様さに──そして美しさにゾッとしながらも目をそらすことは出来なかった。

 

「ううん、なんでもないわ。また話しましょ。月城 白君」

 

二度目の邂逅は彼女のそんな言葉と共に幕引きとなった。そんな言葉と甘ったるい、胸がムカつくような匂いを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以来、彼女は何かと理由を付けてはこちらに絡んでくるようになった。そして僕の住所をいつの間に聞きつけたのか、つい二時間ほど前に家まで直接尋ねてきたわけだ。

 

「……どこで僕の住所を知ったんです?同級生には教えてないはずなんですけど」

 

今更ながら聞いてみると、悪びれる様子もなく答えた。

 

「うーん、チョットね」

 

それでは答えになっていないとボヤきたかったが、恐らく聞く耳は持たないので諦めた。

 

「……まあいいです。どうせ何を言っても無駄なんでしょうし」

 

「その言われ方は少し腹が立つな〜」

 

ズイ、と身を乗り出すと頬をグリグリと指でつついてくる。意外と痛い。

 

「やめてください。痛いです」

 

其れを適当にあしらってから自分のカップに手を向けて空であることに気がついた。ちらりと見ると雪ノ下さんのそれにも何も入っていない。

 

「……はぁ。何を飲みますか?」

 

「あら、早く帰って欲しいんじゃなかったの?あ、コーヒーお願い」

 

「手土産の一つも渡されて早々に追い出しちゃ家にしばかれます。仕方がないでしょう」

 

実際に僕の家の冷蔵庫には大きめのケーキがワンホール入っていた。この人が手土産にと持ってきたものだ。受けた恩はその場で返せという家訓の我が家は大嫌いだが、それでも身体に染み付いた思考はそう簡単には変わらない。今だってそうじゃなければこの人をもっと早く追い出していた。

 

「さっきは追い出そうとしてたのに?」

 

「あれは僕の本心のボヤキです。独り言ですよ」

 

それにどうせ貴女は何を言っても帰らないだろ、と心の中で付け加える。

 

「大変なのね、いい所の御曹司も」

 

意味ありげに向けられた視線に肩を竦めながら彼女を睨みつける。

 

「それを言ったら貴女もでしょう、お嬢さん」

 

「月城建設株式会社の社長の孫でしょう、君は?」

 

「……だからなんです?そういう貴女は県議会議員と建設会社社長のご令嬢でしょう。こんな所で油を売っていていいのですか?」

 

「私はいいのよ。それより君は、地元のコネを作らずにこんな場所に出てきてキャンパスライフを満喫していていいの?」

 

無駄な言葉の投げ合いだったが、彼女のその一言でこの不毛な話に終止符を打てそうだ。

 

「それが嫌だから逃げてきたんですよ。僕は──アイツらのような金の亡者に…金に操られるだけのモンスターになりたくないんです」

 

その傀儡となることを良しとした貴女とは違って。今度はその言外を拾ってくれたらしい。睨みつけるようにこちらを見つめる雪ノ下さん。その目に虚ろはなく、どうやら本心からのものだと理解する。何を思って、どんな感情を思って僕を睨んでいるのかまではわからないけれども少なくとも今の彼女のそれは薄気味悪い仮面(表情)ではなかった。

 

が、それも数秒のことで直ぐに彼女の表情は能面のように再び象られてしまった。

 

「ふーん………私とは違う、って言いたいのよね?」

 

ただ、何故だか彼女から不穏な雰囲気を感じる。身の毛のよだつというのはこういう感覚なのか、と戦々恐々していると何かに背中から抱き着かれる。

 

この部屋の中に僕と雪ノ下さんしか居ないことを鑑みればそのなにかは明白で、だが僕にはそれを喜んだり、柔らかな感触を楽しむ余裕は全く無かった。

 

それは殺気と呼んでも差し支えないほど強く恐ろしい気配だった。

 

「っ──」

 

こちらの首筋をその細い指でなぞりながら耳元で囁かれる。

 

「ふふ。そんなに怖がらなくてもいいのよ?貴方の言ってることは確かに正鵠を射ていない訳でもないのだから。

 

──でもね、白君…私は決して親の傀儡ではないわ」

 

二度と間違えないように。そう言って雪ノ下さんは僕から離れた。

 

その場に崩れ落ちるのを堪え、何事も無かったかのように珈琲を入れる僕だが、指の震えは止まってくれなかった。震える指で四苦八苦しながら半ば麻痺した頭を回す。

 

(こっわ……殺されるかと思った…なるほど。この話は地雷だったか)

 

あわよくば不快に思って帰ってくれるのではないかと淡い期待を抱きながらこの話題を振ったのだが、どうやら逆効果どころか虎の尾を踏んでしまったらしい。

 

「君のさっきの発言の意図は大体分かってるわよー?私が君を不快に思って早く帰ることを期待したのよね?」

 

しかも見抜かれていた。にこにこと笑っているが、こころなしか彼女の目の奥はまだ怒っているようにも見える。

 

「ふふっ、でも残念でした。君みたいなタイプは今まで私の周りにはいなかったから寧ろ逆効果よ」

 

「僕みたいなタイプ──貴女に嫌われようとするタイプのことですか?」

 

「ええ。私に媚びを売ってくる人は多かったけれども、君のように私に嫌われるために動くなんて面白いじゃないの」

 

どうやら、斜め上を行く方向で好かれてしまったらしい。尤も、ただの玩具方面の扱いらしいが。

 

「でもまあ、さっきの発言で私の乙女心が傷ついたのは確かだし?明日辺りに買い物に付き合ってもらっちゃおうかしら?」

 

「露骨に僕の予定を勝手に埋めないでくださいよ。困るでしょうが」

 

「だって予定なんてないでしょ?」

 

「明日から暫くはボランティアに参加するので家を空けます。残念ながら雪ノ下さんのご期待には添えませんよ」

 

「むむっ…デートを断られたのも初めてかしらね?」

 

「知りませんよそんなの。アンタのデート事情なんか僕の知るところじゃない」

 

こちらの意見などはなから考えてなどいない彼女の振る舞いにはだいぶ辟易とする。

 

「それじゃ、空いてる日に適当に連絡入れるから君の連絡先ちょうだい」

 

「疑問形じゃなくて命令形な辺りに理不尽さしか感じられないのですが」

 

というか、なぜ僕なのか。

 

「だからさっきから言ってるじゃないの。好奇心よ。初めて私に嫌われようとした人の生態を私も観察したいの」

 

「別に僕はアンタの実験動物じゃないんですけどね──はい、これが僕の電話番号です。LINEの方が良かったですか?」

 

「両方とも貰っとくわ。君が逃げられないように」

 

どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。触れなければ機種変をすれば済んだ話だったのに。

 

「逃げるもなにも同じキャンパスなんだから逃げようがないんですが…」

 

「のらりくらりと二週間くらい私の捜索網の死角をついて私を避ける人に言われても説得力が皆無よ。ま、これでそんな風に逃がすことも無さそうだけど」

 

その後、彼女は僕の淹れたコーヒーを飲み帰っていった。見送った後、肩の力を抜いてそのままベッドに顔を預けた。

 

──厄介な人に目をつけられたものである。

 

だが、千葉に出てきて三ヶ月。その中で一番心が自然体でいられた日が今日なのもまた確かだった。

 

あの人に負けず劣らず仮面を強く持っている僕だが、あの人となら素で会話できるような、そんな気がした。

 

「──運命なんて、バカバカしい」

 

そんなモノはありえない。それはただの勘違いでしかないのだから。過去の過ちから僕はそう学んだのだ。

 

 

 

 

 

そんなことをぼんやりと考えていたら、いつの間にか夜の八時を過ぎていたのだった。




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