01.
合衆国最大の都市、ニューヨーク・マンハッタン。ミッドタウンはヘルズキッチン。
ハドソン川沿いに聳えるイントレピッド海上航空宇宙博物館や、かの有名なタイムズスクエアに程近い場所。
老若男女、人種入り乱れ、沢山の人々が流水のように絶えず行き交う、活力と熱気で溢れた街の一角に、アニー・ロジャースが居所とする高層マンションは存在する。
最下層に大型スーパーマーケット、フィットネスクラブや図書館など、様々な店舗、施設が入居する複合商業区画を持ち、そこを基に並び立つ双子みたく生えた2柱のタワー部分を、それぞれ最下層を含め地上58階にも及ぶ高層マンションとした、その輝く外観から近隣住民には"ミラータワーズ"等と渾名される、高層建築の建ち並ぶマンハッタンでも一際、強烈な存在感を放つそれ。
その東西に並ぶ双子のタワーの内、西側。
地上50階部分の一室に構えたロジャース家。
カトリック教会に於いて安息日とされる週の終わり、アニー・ロジャースの幼馴染みであるマリー・ヘンドリクスは、そこで件のアニーと共に、穏やかな一時を過ごしていた。
マリー「出来たよ、林檎パイ」
アニー「おー助かった。やっとピットインだ」
マリー「大袈裟だよ……」
今の今まで、その右手のクラッチペンを握り潰しそうなほど唸りながら、参考書や
明後日、月曜日に迫ったレポート課題の提出期限を前に、その凄惨たる進歩状況から、半ば恐慌状態の様相を呈していたアニーは、精神安定剤と化したマリーの献身的な手助けもあって、ようやく落ち着きを取り戻していた。
このアニー、やや沸点が低い面はあるものの、決して自分の娯楽のために課題を後回しにしたり、その順当な帰結として、提出期限という魔物に追われる羽目になるような不真面目な生徒ではないのだが、彼女がこのように哀れな状況に立たされているのは、一重に彼女の身体に宿る、ある超常の力とも言うべき要素に、その原因の大半が込められていた。
マリー「……今週は、何回くらいあったの?」
アニー「ん、カラミタスのこと?」
マリー「うん……学校も抜け出してたよね、アニー」
未だ熱々の林檎パイを、実に美味そうに口まで運ぶアニー。
満面の笑顔だったが、その華やぐ表情の節々に、マリーは薄らとだが疲労の色があるのを見た。それは決してデスクワークによる眼精疲労などだけではない。
アニー「んー……デカいのはキューバの近くで1件くらいだったよ。後は小さな奴が3、4件くらい」
マリー「…………」
アニー「あーでも、フロリダで戦り合った巨人型は強かったかな。
マリー「そうなんだ……」
人々が神の領域と呼ぶような、現在の人類の力では到達する事の叶わないエリア。
自らを使徒と称する謎の存在は、世界中から100名の人間を選定し、その神の領域の力の一端を与えた。
いずれ襲来する、今の人間の力だけでは全く太刀打ち出来ない脅威───使徒が"
それが───"プリキュア"と呼ばれる、ただの人間を天使に変える、謂わば……
アニー・ロジャースは、使徒が天使プリキュアに選定した100名の人間、その内の1人であった。
アニー「あー……やっぱ皆、何か言ってた? けっこー特別扱いだもんね、わたし」
マリー「……言っちゃうけど、アニーを悪く言ってる人は……居るよ、確かに」
アニー「あーやっぱね」
彼女が首を振ると、色素の薄めなセミロングの茶髪が揺れる。
発言と同時に、苦々しい光景を思い出したマリーは苛立たしげに唇を舐めた。
彼女を悩ませていたレポート課題は、彼女以外の生徒には課されていない物。
プリキュアである以上、学業を疎かにするしかない彼女への、学校側の措置だった。
学校は、知っている。学校どころか、誰もが知っている。
プリキュアの存在を、カラミタスの存在を。
比喩ではなく、この地球上に、知らない人間など居ない。
特別扱い、マリーの脳裏に浮かぶ人物の一団は、その言葉を口々に言っていた。
曰く、アニーだけ狡い──私もプリキュアに選ばれたかった──楽で良いよね──など。
度し難い……許せない……知らないから仕方ない……
去来する感情には、怒り、やるせなさ、悔しさ、様々あれど、どれも良い意味は無い。
一時の感情で、人を、アニーを悪く言える神経が、マリーには到底、信じられなかった。
もし、このマンハッタンに強大なカラミタスが現れたら、自分達を助けてくれるのが誰だと思っているのか。
カラミタスに立ち向かう事が、そんなに楽な事だと……今のアニーを見て本当にそう言えるのか。
特別扱いされる事、即ち楽に過ごせる事だと、そんな短絡的に考えて良いのか。
マリーは自分にも怒っていた。
かつて、理不尽へと抗う事も出来ずに泣いていた自分を助けてくれたアニーと違って、そんな身勝手を口にする連中に、彼女は何も言わなかった。
あの時と何も変わっていない、弱いままの自分が……やるせなくて仕方無かった。
アニー「でもま、そんなの気にしたってディナーが不味くなるだけ。良いコトなんて何も無いしね」
マリー「アニー……」
アニー「やめてよ。クッキー盗られたシドニーみたいな顔してるよ、今のマリー」
マリー「何その例え……」
アニー「よーするに、わたしは気にしてないからマリーも気に病まないでってこと。何処にだって変な奴は居るんだし、いちいち気にしてたら、マリーまで疲れちゃうでしょ」
マリー(……人が虐められてたら一発でプッツンする癖に……)
アニー「変なこと考えてるみたいだから言っとくけど……わたしマジ幸せだからね、マリーのおかげで」
マリー「…………」
再び甘味を頬張り始めたアニーは、本当に幸せそうだった。
人の苦境は見過ごさず、理不尽な悪意に涙を流す者には何となく手を差し伸べ。
一方、自分に苦境が降り掛かるなら、普通に乗り越えようと足掻き、自分への理不尽な悪意はあまり気にしない。
使徒が言うには、プリキュアに選定されるのは、おしめが取れないほど幼過ぎず、床から自力で起き上がれないほど老い過ぎず、それでいて精神的に問題が無く───
かつ、"本物の正義の味方に足り得る者"……らしい。
……正義の味方とは、そんな都合の良い駒でしかないのか。
大切な人の呑気な笑顔を見遣りながら、今日もマリーの疑念は尽きない。
そんなマリー自身も、自分が替えの効かない、とても重要な役割を担っている事に、イマイチ気付いていない。
☆
02.
アニー「────」
マリー「……アニー?」
大脳皮質を射抜くように通り抜けた、唐突な閃きにも似た感覚。
それは、わたしが覚醒を迎えた時から、もう何度目かになるカラミタス誕生の気配だった。
場所は……それほど離れてはいない。ハドソン川を抜けて海に出た……ロウアー・ニューヨーク湾から大西洋に出て暫く南東の辺り。
この分だと、あと10分と経たない内に形成を終え、すぐ付近を航行する船舶に襲い掛かるだろう。
わたしは自覚を持てるほどに恨みの籠もった視線で、部屋の窓から南の方角を見遣った。
折角、マリーと過ごす機会だったのに……と、未だ見ぬソレへと唾を吐き捨てたかった。
アニー「……マリー、あのさ」
マリー「解ってる……出たんだよね」
アニー「…………」
わたしはアニー・ロジャース、彼女の名前はマリー・ヘンドリクス。
今日は安息日という事も手伝い、課題が一段落したら、2人で一緒に部屋で映画を見る予定だった。
配信サービスの新作を楽しんだ後は、一緒にランチを作って食べて……。
ランチを終えたら何でも無い世間話に華を咲かせて、それでショッピングにでも……。
楽しい休日にする筈だったのに……マリーだって楽しみにしていた筈なのに。
でも、歯噛みするわたしを見遣るマリーは、柔らかく唇を動かし───
マリー「行って」
アニー「マリー……でも、わたし」
マリー「おねがい、行って」
アニー「マリー……」
わたしの振り返った先に立つマリーは、空を仰いで薄く微笑んでいた。
仕方無いなぁ、といった風を装い……何処か、懇願するような言葉を出して。
マリー「確かに、ちょっと残念だけどさ……仕方無いよ。アニーはプリキュアで、カラミタスは人を殺すんだもん」
アニー「…………」
マリー「ここで行かなかったら、アニーが後で苦しんじゃうでしょ。アニー優しいから」
───アニーが苦しいと、私も苦しいよ
マリーは、微笑んだ表情のままで……そう言った。
マリー「ショッピングなら、また今度すればいいよ」
アニー「…………」
「私、アニーならいつでも良いから。だから……気にしないで」
マリーは再び柔らかく笑った。
───マリーは強い。
きっと、あの柔らかい笑顔の下は、笑顔以外の表情なんだろう。
その筈だ。自惚れじゃない、マリーはわたしと過ごす今日を楽しみにしていたんだ。
こんな結果になって……本当は、わたしと同じくらい悔しい気持ちなんだ。
それなのに
───────
出会った頃の……というより、互いに知り合うようになった頃のマリーは───
何というか、泣き虫で世間知らずで……そう、良くも悪くも御令嬢さん、といった感じだった。
対する当時のわたし、これはまあ当時から然程の変化は無く、偏屈で空気が読めなくて。
……ついでに言うと、あの頃のわたしは、祖父や父親の言葉に最も強く影響されていた時期だった。
だからというか、当時のわたしは、人を泣かせる悪の存在を許す事が出来なかった訳で……
その結果として、マリーと仲良くなれたのは良かったけど、まあまあ暗黒の時期ではあったね。
なのにマリーは、後ろ指を指されるわたしの後にピッタリと付いてきてて。
超人ハルクみたいにズンズンと歩くわたしの後ろから、おずおずと付いてくる幼いマリーの図。
当時を知る人に尋ねれば、まるでケンカ要素を抜いたトムアンドジェリーだったとか。
……でも、誰もが口を揃えて言うのが、アニーがボスでマリーが子分だった、という事。
ハッキリさせておくが、本当は、わたし達に上下関係なんて無かった。
でも、周囲の人は……アニーが2人の内で強い上、一方のマリーが弱い下、という認識でいたんだ。
確かに、マリーは口数が少なかったし、ある理由も手伝って泣いている場面が多かった。
わたしもド偏屈な性格で癇癪持ち、割と口も悪かったし、印象が周囲にそう言わせていたんだと思う。
───────
マリーは弱い。
だけどわたしは、マリーの親友として、世間のその認識に中指を立てさせてもらう。
マリーは強い。
身内贔屓なんかじゃない。わたしと違ってマリーは自分の感情を圧し殺せる子だ。
それが果たして良いと言い切れる事なのかは別だけど、わたしのために。
自分の悔しい気持ちを圧し殺して、他でも無いわたしの背中を押してくれる。
仕方無いよと、次の機会を待てば良いよと、わたしに決心を促してくれる。
本当はわたしと同じくらい悲しい筈なのに。楽しみを奪われて嫌な気持ちの筈なのに。
そんなの、世間の言うような弱い人間に出来る事だとは……わたしは思えない。
マリーを未だに弱いだなんて思っている人達に会ったら、わたしは絶対に言うんだ。
あなた達の知る、あの世間知らずで泣いてばかりのマリーは、もう居ないんだって。
アニー「ありがとう。わたし行くね」
マリー「うん……」
わたしの帰る場所、マリー……あなたは、わたしを力強く支えてくれています。
…………
……でも、それでも。
アニー「マリー……」
圧し殺させて、はいそれで終わりだなんて、わたしの偏屈な部分は納得しない。
アニー「あのさ」
マリー「ん?」
アニー「今日の夕飯だけど……ビーフシチューにしてもらってもいい?」
マリー「……? 良いけど」
アニー「ありがと。後さ……着替えも持ってきてよ」
マリー「……えっ」
転んでも、タダでは起きてやらない。
今日を悔しいだけの思い出で終わらせるなんて、そんなの認めてやらない。
アニー「映画、夜遅くなっちゃうかもだけど……わたしの部屋で、ベッドで一緒に見よう」
マリー「それって……」
アニー「そんで、いっぱい話そう。今度のデート日程とか、楽しい事いっぱい」
マリー「……泊まってもいいの?」
アニー「一応……そう誘ってるつもり……ってゆーか」
ちょっと口籠もりつつ、そこまで言い切る。
……と、マリーは。
その頬を、みるみる内に色付かせ……唇を波打つように吊り上げ……
マリー「……嬉しい」
最終的に、とてもステキな───笑顔を見せてくれたのだった。
マリー「ありがとっ。沢山お話しようねっ」
アニー「楽しみにしてる」
マリー「ビーフシチュー、美味しいの作るからっ。楽しみにしててね!」
アニー「卒倒する逸品よろしく」
───いってらっしゃい
───いってきます
次の瞬間、わたしはマバタキよりも速く、その姿をプリキュアへと変える。
眩いクリアブルーの長髪、オリオンブルーとピュアホワイトの爽やかなドレス。
部屋の窓を開いたわたしは、そこから勢い良く跳躍し───
マンハッタンの街を彩る高層ビル群、普段から人々を見下ろすその高さを、さながら嘲笑うように飛び、大西洋上から漂うカラミタスの気配へと向かって出撃していった。
マリー「絶対……帰ってきて」
まだ口の中に残る甘さは、最高の勇気の燃料だ。
今日という日を悔しいだけの思い出で終わらせない。
悔しい思い出を残したい人なんて、きっと世界の何処にも居ない。
だから、わたしは足掻く。正義のプリキュア以前に、幸福を追求する1人の人間として。
今から何年も経った何でも無い日に、今日の事を語り合って笑っていられるといいな。
そんな事もあったねって……今以上に仲を深めたマリーと一緒に。
────────
それはそれとして、まだ見ぬカラミタス、テメーは絶対に潰すからなクソが。
丁度わたしの独壇場で戦うんだ。海水で巨大な腕を作って、それでアックスボンバー連発してやる。
やった事無いけど、属性と能力的にやれない事でもないでしょ、多分。
あーイライラすんな、もう。
……
…………
そして、向かった先の大西洋上で、わたしは新たなプリキュアと出会う。
後に固い友情を結ぶ少年……神出鬼没のデヴィッド・バークレイと。
アニー・ロジャース(Annie_Rodgers)
マリー・ヘンドリクス(Mary_Hendrix)