「ニャー?」
あの雪ノ下がいつも俺に向ける冷酷な表情とは程遠い柔和な笑みを浮かべながらニャーニャー言っておられる。可愛い…。
「あら、起きたのね…。…野良っぽいからちょっとくらい連れて行ってもいいわよね?」
そっと、俺を持ち上げる。優しい手つきで何だか安心するニャー…。再びウトウトとし始める俺。猫になったから寝る時間が増えたのか…?
ガララ
「ここは奉仕部よ。暫く一緒にいましょうね、猫ちゃん♪」
お、おう。やばい、俺に対して向けられている笑顔ではない事はわかっているのだが勘違いしてしまいそうになるくらいやばい。どうした俺の語彙力。
陽の満ちる部屋、満面の笑みの雪ノ下、頭を撫でられ…。あれだけ寝たのにもかかわらず襲ってくる睡魔に負けた。
「やっはろー! ゆきのん!」
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「あれ? どしたの、その猫」
「拾ってきたわ」
「なんか自慢気だ?! 大丈夫なの? 勝手に拾ってきて」
「う…、た、多分大丈夫よ」
「やっぱゆきのんって猫のことになるとバカだっ?!」
…また、寝ていたらしい。由比ヶ浜のけたたましい声によって起きたのだが、雪ノ下の膝の上なうだ。吃驚して飛び退くと残念そうな雪ノ下の顔が見えた。申し訳ない気分になってしまうのは何故だろうか。
「あ、そういえば今日ヒッキー来てなかったんだよね…」
そう言いながらゆきのんのすぐ横に座る由比ヶ浜。今日も今日とてゆるゆりしてますなぁ。
「あら、ヒキガエル君は遂に冬眠する時期すら間違えてしまったのね。夏休みを目前に浮かれてしまったのね」
今はカエルじゃなくて猫なんだよなぁ…。と、最早コミュニケーションの一環となった毒舌を聞き流す。今日は少しマイルドな気がするな。
「もぉ〜、ゆきのん素直じゃないんだから」
「な、なんのことかしら」
「ふーん? ま、いっか。それでね、朝教室着いたらヒッキーの席で猫が寝てたんだよねー」
「猫…」
「その猫が丁度そこにいる猫とほぼ同じ…って、あー!」
「ど、どうしたの由比ヶ浜さん?」
「どうもなにもおんなじ猫だよ!」
「…へー、同じ、ね」
…何だか嫌な予感がするな。しれっと立ち去りたい所だがここで立ち去ればこの猫が比企谷八幡だと予想するに難くない理由となってしまう。ここは、自然体な猫を装うのが吉…!
「にゃ、にゃー」
「…緊迫した場面、自分が劣勢に立たされた時に噛んだりするのは比企谷くんの十八番」
「そ、それってつまり…?」
「その猫は比企谷くんである可能性が高いってことよ」
なん…だと!? ま、まずい。いや、ここで焦って逃げ出したら人語を理解しているということがバレて益々ややこしい事態に陥る。八幡、ここは一旦冷静になるんだ。ひっひっふー。…全然冷静になれねぇ!
「まさかぁ、ヒッキーが猫になるなんてあり得ないよ?」
ナイスだ、由比ヶ浜。常識的に考えて人間が猫になるなんてあり得ない事なんだ。そのまま押し切ってくれ。
「この猫の事を聞きに行くのと休んでいる
「だね! ヒッキーも心配だし」
此方を直視しながらそう言い放つ雪ノ下。貴女もうわかってるんじゃないですかね…。半ば諦めモードに入った俺は従うことにする。
「それじゃ、れっつらごー!」
お前はどこの人だ…。
ピンポーン
「あ、お兄ちゃん!? どこほっつき歩いてたのさ! 小町心配したんだか…
「お、落ち着いてちょうだい、小町さん。私よ、雪ノ下雪乃」
「…はっ! 雪乃さんでしたか〜。玄関で立ち話もなんですしどうぞ入っちゃってください」
「お邪魔しまーす」
「…にゃ」
現在、雪ノ下の両腕にすっぽりと収まっている状態である。着いて行こうとしたが、もしあなたが比企谷くんだった場合私達を厭らしい目で見上げるでしょう? と言われ抱っこされた次第だ。そんな状態で学校から家まで来たもので俺の背中が幸せな状況です。断崖絶壁でも柔らかいんだなぁ…。
「ささっ、どーぞどーぞ」
「ありがとう、小町さん」
「お茶出しますねー…ってあー!? その猫!」
あ、終わった。朝の珍事を小町が覚えていない筈がない。これから俺どうされるんだろう…。煮るなり焼くなり好きにされるのかな…。
「…! やっぱり、この猫は比企谷くんなのね?」
「朝食の準備してお兄ちゃん待ってたんですけど、いきなり聞き覚えのない猫の鳴き声が聞こえたと思ったらその猫がお兄ちゃんのトーストを食べたんですよ!」
「それって、やっぱりこの猫がヒッキーだってことだよね…?」
三人全員の視線が一匹の猫__俺に集まる。俺は、首肯した。ああ、さらば、日常よ。猫になった時点でサヨナラしている気もするが。
「お兄ちゃん…」「ヒッキー…」「比企谷くん…」
「「「可愛いっ!」」」
へ…? あれ? なんで? キモいとか貴方が猫になるとか寒気がするわ、とか罵倒されるものだと思っていたんだが。全身を撫で回されている。というか由比ヶ浜、お前猫苦手じゃなかったっけ。
「だぁぁ! うざってぇ!」
八幡は 逃げ出した。