世界で唯一のダンジョンをその領地に持つ都市―――オラリオ。
その都市には今、とある噂が流れていた。
曰く『"正義の亡霊"が出た』と。
曰く『ダンジョンの中で彷徨う怨恨が形を成した』と。
誰と無く
それは無論、とあるエルフが勤める酒場も例外ではなかった。
●
いつもの喧騒。
訪れた客は誰も彼もが酒を煽り、ミア母さん特製の飯を喰らい。
そして最後には満足そうな顔で帰って行く。
給仕である一人のエルフ―――リュー・リオンは緑色の髪を揺らしながら、そんな中を忙しなく動き続けていた。
「あ~も~、引っ切り無しニャア~~」
厨房からは、同僚の
続くのは、店主の怒声。
「
「ウニャア~~~!!」
再び聞こえる、猫人の叫び声。
(あぁ。もう、そんな時間ですか)
頭の端でその声を認識したリューは、現在の時間が夜営業の折り返し辺りであることを理解した。
繁忙な日は大体いつも同じ時間にこの会話と悲鳴が聞こえてくるので、ある意味時報のようなモノだった。
いつもよりは少し忙しいが、いつも通りに従業員が働き、いつも通りに接客をこなしていく。
そして今日のピークも過ぎようとしていた、そんな時。
「―――いや、俺はこの目で見たんだよ! 間違いねぇって!」
何故か喧騒の中で一際目立ったのは、ほろ酔い気分の客の声。
「ありゃ
ピクリ、と。
細く長いエルフの耳が、嘗ての所属ファミリアの名を捉えた。
(……亡霊?)
既にファミリアの名を出された程度では動揺しなくなって久しいが、引っ付いていたその前の言葉に違和感を持つ彼女。
気にはなる。
しかし、ボロを出してこの店に迷惑をかけるような真似はしない。淡々と仕事をこなしていく。
すると。
「―――どんな亡霊さんだったんですか? 気になっちゃいました!」
シル・フローヴァ。
鈍色の髪に、天真爛漫な性格。
その整った愛嬌のある顔立ちも相まって、『
彼女は、ヒョッコリと【アストレア・ファミリア】の話が出た卓に顔を出し、得意の可愛らしい笑みでその続きをねだっていた。
(本当に気が利きますね。シル)
恐らくシルは、こちらの気持ちを察した上で行動に移したのだろう。
いつも積極的に近い距離で接客する彼女は、相手の懐に入り込むのがめっぽう上手い。
少なくとも、色々な意味で自分が動くより効果的だった。
「お、嬢ちゃんも気になっちまうか! いやぁなに、俺も最初は見間違いかと思ったんだけどな。どう見ても
看板娘が興味を持ってくれたことが嬉しいのか、単に酔いが更に回って気持ち良くなっているのか。
どちらかは分からないが、その男は機嫌を更に良くして促されるままに言葉を続ける。
「間違いねぇ! アレは―――」
そして、一番良い所。核心とでも言うべき部分で溜めを作りながら仲間たちを見回し。
「―――【
瞬間。
(……え?)
リューは、肺の中の空気が一気に消え失せた感覚を覚えた。
まるで心臓が握り潰されている途中かのように、鼓動を忘れていた。
視界が、歪む。
手に持っていたハズの、片付け途中だった陶器の皿。
いつの間にかその手を離れ、音を立てて床に落下した。
その衝撃で、いくつかのカケラに分かれて飛散しながら。
ガシャンッ、という甲高い音に、従業員と近くの客の視線が向けられる。
「リュー!?」
驚きの色を含んだ、こちらを心配する声。
しかし、それに応えられる余裕はなかった。
よろける身体。近くの机を掴み、何とか倒れることだけは防いだ。
その机は丁度片付けるタイミングで、空席だったことは幸運だった。
―――何で?、何故?、有り得ない。
混乱するリューの思考。
【迅雷】は―――
全てを失った、あの忌まわしき日に。
記憶の中に今も尚留まる鮮明な光景が、視界を覆う。
地面に残された大量の血痕と、護身用の武器。
そして、数体のモンスターの死骸。状況からして、彼の死は決定的と言えた。
しかし。
(―――私は、彼の"亡骸"を見ていない)
身体の一部たりとも、見ていない。結局の所何一つとして、見つけることが出来なかったのだ。
つまり。
まだ、彼が生きている可能性を、否定することは出来ないのでは無いか。
―――逃げ延びた?
いや、あの身体の状態では不可能だ。
―――他の冒険者に保護されていた?
ならば何故、この五年間欠片の痕跡も残していない?
彼が生き延びていたと言う可能性と、それを完全に肯定できない思考が、頭の中でぶつかり合う。結論は出ない。
情報が、欲しい。
リューの瞳の奥に、
もっと知りたい、詳細を。
どうすれば得られるのだ、求める物を。
―――簡単だ。
話をしていた
逃れることは許さない。全てを吐き出すまで、解放などしない。
そうすれば、自分の望む物は全て得られるハズだ。
迷走する思考に基づいて、リューは身体を目的の方向へ向き直した。
しかし。
「失礼しましたニャ~」
「直ぐに片付けますね~」
まるでいつもの手慣れた作業かのように、片付けの動作に入った。
「邪魔を―――」
するな、と口に出す前に。
ルノアがこちらにだけ聴こえる声で、小さく囁く。
『ここは
「―――っ」
リューの気持ちも分かるけど冷静になりなよ、と付け加えて。
【黒拳】は、割れた皿の破片を拾い集め始める。
その場で呼吸を大きく取りながら、感情を押し殺さんと、歯をぐっと食いしばるリュー。
一拍置いたことで、急速に頭が冷えていくのを感じた。
(私は……何を……)
きっちり当て嵌まるのは、我に帰ったと言う言葉。
片手で前髪をかき上げるリュー。
まるで復讐をしていた頃のような衝動。
それに再度駆られてしまったことに、自己嫌悪が込み上げる。
「ほら、さっさとやろうよ。
ルノアの優しさが、今は胸に酷く沁みた。
「ありがとう……ございます」
そう言って、リューも片付けに取り掛かった。
その心情を示すように、単純なハズのその動作でさえも多分に迷いが見て取れた。
●
「リュー、大丈夫?」
「ええ。すいません、シル。もう大丈夫です」
少し時間が経って、場所は『
心配して様子を見に来たシルと、休んでいたリュー。
休みを得て気分が回復したリューは、立ち上がって店内に戻ろうとしていたところだった。
「……さっき、冒険者さんから聞いた話。今でも大丈夫?」
「―――っ」
他の店員が居ないこの場所で、シルは心配そうな表情のままリューに確認する。
トクンッ、と跳ねる心臓。
不安はある。しかしシルから得られるであろう話は、自分が心の底から求めるモノ。
答えは一つだった。
「……はい、お願いします」
「わかった。あのね―――」
それから、シルの口より紡がれた話。
伝聞ではあるが、彼女が『嘘とは思えなかった』と言った上に、脚色されていると考えても相当に具体的な話で、ある程度信じる価値は有ると言えた。
それは、『窮地にあった自分達の前に現れ、そして直ぐに姿を消した』という話。
冒険者の一団。
先程話していた男が、他の一行と中層域―――25階層で探索をしていた時。
唐突に発生した
自分達が囲まれる形となったその場所で、救援を受けられそうな他のパーティも見当たらず。
モンスターが急激に数を増やしていく光景を目の当たりにして、彼を含めた一行は自分たちの準備不足を呪い、およそ生きた心地がしなかったという。
が、その時。
抉じ開けられたようにモンスターの集団の一部が割れた、と。
そしていつの間にか、彼らの前に立っていたのは一人の男。
彼が姿を消す度、大量のモンスターが斬り刻まれていき、端から薙ぎ倒されていくように屍が積み上がっていった、と。
そして、その
礼をしようと駆け寄ったその男が見たのは、確かに記憶の中の【迅雷】―――アル・チュールその人だった、というのが話の全て。
話す間もなく、魔石だけさっさと引き千切るとまるで消えたように居なくなったことから、あの男は"亡霊"と表現したようだった。
そして、シルが男との会話の中で確認できたそのアル・チュールと
耳にかかる程度の
身長や体型も含めて。それは、全くもってリューの記憶の中の彼の姿とも一致していた。
まるで五年前から
リューは、記憶の奥底に留めていた彼との記憶が、溢れ出てくるのを感じていた。
強く鳴動する胸の上に手を置き、目を閉じて落ち着かせようと試みる。
「リュー。これが、聞いた話の全部だよ」
「ありがとう、ございます。……もう少しだけ、心の中を整理させて下さい」
「うん。それじゃあ、私は戻るね。―――しばらくは、ミア母さんも大丈夫って言ってたからっ!」
そう言って、シルは小走りで厨房へと戻っていく。
一人の時間を残してもらえたリューは、シルの心遣いに感謝しつつ。
再び飛び跳ねるように休まらなくなった心情を落ち着かせるために、目を閉じゆっくりと呼吸を繰り返す。
「……アル」
無意識に口から出た言葉は、普段のリューからは想像も出来ない程にか細いモノだった。
―――俺が、死ぬわけないだろ?
彼の最後の言葉が、再び聞こえた気がした。
(やっぱり、リューさんの話は筆が乗るなぁ……と)