出会いは本当に偶然だった。
道端で転びかけた彼女を、たまたま近くにいた自分が咄嗟に受け止めた。ただそれだけ。
触れ合った部分を不思議そうに確認する彼女を、こちらも不思議に思って眺めていたが、それ以外特に何事もなく。日々起こる些細な出会いの一つに過ぎない、はずだった。
この出会いが特別なモノになったのは、その後。
我が
さらに、運が良いのか悪いのか。その場にいた自分に気づき、驚く彼女を見て、知り合いだと勘違いしたらしい団長は教育係を自分に
もちろん最初は、冗談じゃないと思った。
エルフの例に漏れずやたら頭は固いわ、買い物に行けばぼったくられて帰ってくるわ、料理を作らせれば炭が出来上がるわ。
もはや、「何ならできるの?」と問いかけたくなるレベルだった。
しかし付き合いを重ねていくにつれ、それを補って余りある彼女の"良さ"があることに気付いた。
エルフらしく高潔で義理堅く、決して自己研鑽を怠らず、いつ何時も仲間への思いやりを忘れない。
ハーフエルフである自分にとって、自らの血がどうだとか種族がどうだとかは大して興味のあるモノではなかった。それでも彼女と接していく中で、自分にも彼女と同じエルフの血が半分流れているということを、少しではあるが誇りに思うようになった。
自分の価値観を変えた存在。そんな彼女への
〇
―――ヒュッ、ヒュンッ、ガコンッ。
風を切る音、そして堅い木材が激しくぶつかり合う音が、早朝の青空に響く。
「……ふッ……ハァッ!」
身の丈に迫る長さの木刀と、それを自在に操るエルフの少女―――リュー・リオン。【疾風】の二つ名を与えられた彼女の繰り出す剣戟は、吹き荒れる風のように激しく、速く鋭い。恐らく生半可な冒険者が見ても。いや、相当な実力者でなければ。その眼に彼女の動きは残像程度しか映らないだろう。
「―――ンのッ! ……らァッ!」
しかし、彼女に相対するハーフエルフの青年―――アル・チュールは、その熾烈な攻撃を全て躱し、また捌き続けていた。
くせっ毛気味の茶髪。それを耳にかかる程度まで伸ばしている彼は、一見華奢な体格に見合わず、リューの扱うモノよりさらに長く、刀身の大きな木刀を器用に使いこなしている。
【雷】が
―――ガコォン……!
一際大きな音が
木刀を振り切った体勢で静止するアルに対し、何も手にしておらず、悔しげな表情で固まるリュー。数瞬後、カランカランと乾いた音を響かせて、リューの得物が地面へと落下した。
「……ふぅ、ここまでかな。おつかれさま」
「くっ……。今日もダメでしたか。……おつかれさまです」
お互いに汗を拭う。まだ朝にも関わらず、ダンジョンで数度激しい戦闘をこなした程度の疲労を、アルは感じていた。
「いや、結構危なかったよ。ほんと、
「……はぁ。言葉は選んでください。でも、もう駆け引きが重要なのは理解しましたから」
「はは、そりゃよかった」
そう笑いながら、なんとなくアルは今までのリューを回顧する。
初めのころの彼女は、潔癖でお堅く、その上世間知らずだった。
世間知らずなのは別にいい。大きな不利益でもぼったくられる程度なのだから。一番困ったのは潔癖すぎること。
リューは、自らが小狡い真似をするのが許せないのだ。そのせいで、広い意味で相手を騙すことができなかった。人付き合いにおいてそれは好ましい。が、戦いにおいては直すべき欠点となる。
少なからずあった戦闘経験のおかげで、一応は駆け引きと呼べることを、彼女は無意識に行えていた。しかし、これから長く続いていく冒険者としての生活の中で、それを頭で分かっていないことは難点だと言えた。
だから、アルは稽古で曲がった戦い方をする所から始めた。自身の考えが、決して相手には通用しないということを頭で理解させるために。リューが、正道とは外れた狡猾な戦い方に慣れるために。
手を変え品を変え、本当に色々とやった。落とし穴を掘り、良く滑る液体を地面に撒き、団員お手製の"すごく目に染みる煙玉"を使う。
『せっ、正々堂々戦いなさいっ―――!!』
その度に、リューが叫んでいた言葉。それこそ耳にタコができるほど聞いたが、しばらくすると諦めたのかサッパリ言わなくなった。その代わりか、何日間か口をきいてくれなくなったのは少し辛かったが。
ただ、そんな稽古を続ける程リューは見違えるように力を付けていった。紆余曲折有れど、Lv.3になり―――現在Lv.4にまで至って多くを学び経験を積んだ彼女は、もはや十二分に相手を考えた立ち回りができていると言っていい。
今ではもう大抵の相手、例えば同じLv.4の誰かしらを向こうに回したとしても、万が一にも引けを取ることなどないだろう。ともすれば、相手がLv.5であっても何とかしてしまうかもしれない。そのくらいのことを想像してしまうだけの実力が、今の彼女にはある。
と、そんな風に考え事をしながら、一人で勝手にウンウンと頷いていると、どうにも瞼が重くなり意識がぼやけてきた。
「ふぁ……ふう。なんか眠くなってきたな」
重度の疲労感。まだ朝だというのに、全身を重ったるしく覆うソレは、睡眠が必要だと脳に直接訴えかけてくる。
「アルはいつも寝ているでしょう」
木刀を拾い戻ってきたリューは、アルの言葉に呆れた様に顔を緩めた。
「いやいや、"いつも"は言い過ぎだって。ちゃんとダンジョンにも行ってるし、雑用の手伝いだってしてるだろ? ああ、この朝稽古も」
「それ以外の自由な時間のことですよ。それに、眠りすぎだからあなたの言う
「うぐ……まぁ、確かに」
痛い所を突かれたとばかりに、アルの顔に苦い笑みが浮かぶ。
変な魔法。簡単に言えば、眠って回復するというもの。それだけなら、睡眠の度に色々回復できて便利だとも思う。が、つい昨日発現したことに加えて
―――え、……これが俺の魔法?
あれは、更新されたステイタスの紙を見て、困惑しながら顔を上げた時。目が合ったアストレアの何とも言えない微妙な顔を、きっと忘れることはないだろう。「もう少し、活発に活動しましょうね?」と、遠回しに"眠りすぎ"と受けた指摘も相まって、良くない意味で印象深い場面だった。
本当は、例え身内とはいえスキルや魔法を大っぴらにするのは良いことだとは言えない。しかし、その内容が内容だったため、愚痴兼笑い話のような感覚でリューには話してしまっていた。反応は、"まったく遠回しじゃないアストレア"だった。
「今は、割と頑張って起きてるんだけどなぁ……」
「出歩けと言っているんです。最近あなたが頻繁にする日向ぼっこは、眠っているのと変わらない」
「って言っても行きたい所なんて……あ、そうだ」
何かを思いついたように、ポンと手を叩くアル。人差し指を立て、名案とばかりに言葉を続ける彼を尻目に、リューは自分の木刀の状態を念入りに確認していた。
「リューが興味あるとこに連れてってくれよ。その方が俺も楽しめて気分転換になりそうだし」
―――ゴトンっ、カランカラン。
さっき聞いたような、乾いた音が響く。リューに目を向けると、彼女は足元に木刀を落としたまま、なにやら硬直して目をパチクリさせていた。
「……こほん。手が滑りました」
何故かワザとらしく咳ばらいをし、腰を曲げて木刀を拾う体勢を作るリュー。なんとなくぎこちない動作に見えたが、アルは特に気にせず話を続けた。
「えーっと、それで。リューは行きたい所、ある?」
「……今すぐには思い浮かびません」
「そうだよなぁ、いきなりだもんな」
こんなことなら自分でも色々調べとけばよかったな、とアルは小さくため息をついた。
日頃から都市の巡回をしてはいるが、自分の担当はかなり治安の悪い区域。言うなれば、"【闇派閥】のお膝元"。
であるからして、あまり他のことを気にかける余裕はなかったし、そもそも遊びに行くような場所でもない。潜入のために賭場や歓楽街へ通っていたことはあるが、趣味にするのは止めておいた方がいいだろう。
難しい。非常に難しい。ある意味、【闇派閥】共の相手の方がよっぽど楽だと感じる程度に。
アルは人差し指を額に当て、眉間に皺を寄せながら頭を悩ませる。しかし天を仰いでみても、こめかみに指で刺激を与えてみても、一向に良い考えは浮かばない。
加えて、頭を左右に振って物理的に働かせようとしても、まるで効果がない。
(……これはもうアリーゼとか輝夜とかに聞いてみる方が早いかもしれないなぁ)
アルが、自分で考えることを諦め始めた、そんな時だった。
「―――ぷっ、ふふ……ふ」
唐突に、すぐ近くから漏れ出たような笑い声が聞こえた。
「……なに笑ってんだよ、リュー」
その笑い声の主は、口を手で隠し、愉快そうに小刻みに体を震わせていた。
「いえ、あなたが……そんな難しそうな顔をしているのがとても珍しいので……くっふふ……」
「ほー、人の気も知らないでまったく。リューだぞ? 出掛けろって言ったの。少しは考えろよな」
アルは半目で、リューを咎める。すると、彼女は「分かってます、分かっています」と、アルに掌を向けながら少しだけ乱れた息を整えた。
「分かっていますよ。だから―――」
そして、滅多に見ることのできない陽だまりのような笑顔を咲かせて。
「一緒に考えましょう。今でなくても、すぐ後で。私も、楽しみにしていますから」
そう、結論を出した。
「…………あ、ああ。そうだな、今じゃなくてもいいよな。また後でにしよう、か......」
一瞬、ほんの一瞬だけ。アルはその笑顔に見惚れてしまった。そのせいで、返答がオウム返しになってしまっていた。それに気づき、アルは呆けていた口元を掌で覆い隠し、視線を逸らす。
―――正直、ずるいと思う。その顔は、反則だ。
アルは、心の中で強くそう思った。
普段は無表情に近く、愛想笑いの一つも見せない。ともすれば、仏頂面とも取られかねない表情しかしないのに、稀に見せる柔らかな表情が、こちらの心までも解きほぐす。有り得るとは思えないが、彼女がこの笑顔を武器にしだしたら、世の男どもはコロッと騙されてしまうのではないか。そのくらい、魅力的で価値があると思えるものだった。
「そ、そういえば、
半ば無理矢理、話題を変える。このままだとおかしなことを口走ってしまいそうだった。
「ええ。私も小耳に挟みましたが、下層域で【
なんか胡散臭いよな。そう相槌を打ったアルに、リューは軽くうなずいて応える。
「しかし、だからと言って無視するわけにはいかない。どんな企みであれ、阻止する必要があります」
「リューらしいな。でも、今回が最後の足掻きに近いかもしれない。これを潰せば、少しは俺たちも休めるかもな」
「ええ、そう信じています」
お互いに視線を交わし、頷き合う。
この先に待っているのが、明るい未来だと信じて疑わない表情だった。
「では、私は着替えてきます」
「ああ、俺はちょっと身体を
「分かりました。……くれぐれも、集合時間に遅れないで下さいね? あなたはいつもその辺りが―――」
「はい、はい。存じてます。分かってまーす。ちゃんと間に合うようにするから、また後で、な?」
「……はぁ。えぇ、また後で」
どこか釈然としない表情で部屋へと戻るリューを、ぱたぱたと手を振りながら見送る。
そして、建物の中へリューの姿が消えるのを確認してから、アルは一息ついて自分の手を見やった。その雰囲気は、先ほどまでの緩やかなものでなく、いつの間にか真剣で鋭いものへと変わっていた。
(―――まだ、痺れが残ってる)
アルは、相当な速度で成長を続けてきた。それこそ、期待の若手と評されるのに全く異論が出ない程に。しかしリューの成長速度はそれを優に超えており、Lv.2へのランクアップ最短記録を更新した
『あなたを、超えて見せます』
あれはまだリューが入団して間もない頃、アルに向かって言い放った言葉。
ダンジョンでモンスターに囲まれ危険な状況だった時、ちょうど近くにいて助けに駆け付けたアルが、ほどなく周囲を一掃した後の言葉だった。「すみません」や「ありがとうございます」の前にそう言われたことに、苦い笑みを浮かべて「期待してる」とだけ返したことをアルは覚えていた。正直なところ、ただの強がりだろうと考えていたりもした。
しかしその考えとは裏腹に、言葉通りそれからのリューは目に見える程メキメキと成長していった。当初駆け引きにこそ多少問題はあれど、それ以外では何年も早く冒険者になった者達を、あっという間に追い抜く程に。
そんなリューを最も近くで見て、アルが心に抱いたのは"嫉妬"とも"羨望"とも異なる感情。
それは、"熱狂"。
自分を目標とする彼女が、凄まじく早いペースで力をつけていく。日課の朝稽古では、三日もすれば同じ攻め方は通じなくなり、逆に想像を超える力で切り返される。
―――彼女は、いったいどこまで行くことができるのだろうか。
そんな興味に頭が支配され、胸の内から湧き上がる熱いものを堪え切れずにいた。彼女なら、もしかしたら誰も知らない高みへと上り詰めることができるかもしれない、と。
分かっていた。今、自分が彼女よりも上に居るのは、単純に数年早く冒険者になったからに過ぎないということを。きっと、同時に【
だからこそ自分は、努力し強くあり続けなければならない。絶えず、彼女の目標たり得なければならない。超えられたとき、「こんなものか」と落胆されるような壁ではダメなのだ。死力を尽くし、全身全霊を懸けてぶつかり、乗り越えたときに新たな景色が見えるような壁でないと、彼女の成長の足しにはならない。
これは、アルにとって初めて目的と呼べるモノだった。
実は、アルは【アストレア・ファミリア】に入団していたとはいえ、あまり目的など考えたことはなかった。
適当に入った
そう。言ってしまえば、誘われたから入っただけ。単純に曲がったことは好きではなかったが、【アストレア・ファミリア】に入らずとも積極的に行動していたか、と問われれば答えはNoだろう。"正義"という曖昧なモノに特別興味が有るワケではなかった。
しかし、だからと言って不満があったわけでもない。皆と平和な都市で暮らしたいという想いもあったし、仲間の夢を叶えたいという意欲もあった。ただ、そこに自身の強い意志が存在しなかったため、目に見える光景が少し色褪せていただけ。
そんな時に、自分の心を突き動かしたリュー・リオンという存在。夢中にならないワケがなかった。
アルは、未だ痺れの残る手をグッと握り締める。
世間の噂とは裏腹に、残念ながら自分の成長はそろそろ頭打ちの気配を見せてきた。彼女の成長速度を考えれば、もうそう遠くないうちに超えられるだろう。けれど、少なくともそれまでは出来る限りの努力を続けなければならない。
(まだまだ……頑張らないとな)
自分のためにも、リューのためにも。
「―――あ、……やばい」
と、そんなことを考えて気持ちを新たにしたアルだったが、リューを見送ってから少々時間が経ちすぎていることに気づいた。
彼女の部屋は集会部屋から近く、また彼女は着替えに時間をかけるタイプではない。ともすれば、もう準備を終えている可能性まである。
毎度思うが、リューを団員が集まっているところに一人で行かせるなど、飢えた猛獣の檻へ新鮮な餌を投げ込むに等しい行為だ。
このままだと、また祭り(三日ぶり)が開催されてしまうかも。
「……」
少しだけリューへの同情心が湧き上がったアルは、着替えるため急いで自分の部屋へと向かったのだった。