ここは18階層、『夜』の時間帯。
静寂が包む森の中で、草や枝葉をかき分ける音が響く。
その音の発信源には、さして周囲を気にせずに前だけを見ながら進むハーフエルフ―――
周囲を警戒しながらも、何とか遅れまいと足を踏み出し続ける中で
自分の先を進む人物は、もしかしたら担当アドバイザーのエイナ・チュールが探していた"亡霊"―――彼女の兄ではないか、と。
視線の先の人物が、そのフードを脱いで見せた風体。
それは、エイナ・チュールと同じ
そして男女という決定的な違いこそ有れど、どことなく似た雰囲気の漂う相貌。
『―――その"亡霊"を見たら、私に教えて欲しいの』
脳内に反響する、中層域に進出する前の彼女の依頼。
ベルは少し歩く速度を速めて彼との距離を縮め、会話を試みる。
「あ、あのっ! 助けてくれてありがとうございますっ」
「あぁ、気にしないでくれ。本当にたまたまのついでだから」
この場所であんなにデカい声が聞こえるとこっちも気になるし、と。
笑いながら答えるハーフエルフに、ベルは言葉を続ける。
「そうは言っても……えっと、なんてお呼びすればいいですか?」
僕はベルです、と付け加え。なるべく自然に。
白兎は、生い茂る樹木など関係無いようにズンズン進む目の前の男の情報を得ようと試みる。
「……そうだな」
彼は歩みはそのままに、考えるように少し上を見上げて口をつぐむ。
「おじさんでも、お兄さんでも、アンタでも。何でもいいよ、ベル」
好きに呼んでくれよ、と。
何故かその名を隠すように、進行方向の邪魔な枝を手で払いながら男は返答した。
「えぇっ……じゃあ、
「……さっきも言ったけど、
「こ、こんな場所をですか?」
ベルは、前を進む"お兄さん"と呼んだ男の回答に、辺りを見回す。
"夜"となった今の時間帯。階層の天井も、周囲さえも満足に把握できないこの森。
『
他の階層から移動してくる個体は所々に存在し、その中に夜目の利く種族もいくつかは確認されている。
そんな、危険としか言えない場所で、
ベルの言葉には、そんな意味も多分に含まれていた。
「まぁ……色々と事情があって、だよ。他の人も―――ベルもほら、ここに居るってことは何かしらあるんだろ。たぶん」
彼―――エルは、自身の名と同様に再度
「そ、そうですか」
"あまり詮索しないでくれ"。そんな意思を言外に感じ取ったベルは、それ以上踏み込むことを躊躇してしまった。
しかし。
ベルの脳裏を
今まで見たことも無いくらいに、悲しみを蓄えた表情。
もうあんな顔はさせたくない。自分が頑張ることで笑顔を取り戻せる可能性が有るなら、出来る限り協力したい。
―――彼女の為に。
日頃、お世話になりっぱなしなアドバイザーに何とか報いんが為に。
弱気な自分を否定するように、ベルはぶんぶんと強く首を振る。
尻込みしそうになった自身の心を蹴り飛ばし、更に前へと身体ごと踏み出した。
「
「―――なんだって?」
ハーフエルフの青年は先程までと比べ物にならない程ベルの言葉に反応し、回転の速かった足を止め振り向く。
そして、進行方向から逆走する形でこちらへ近付きながら言葉を続けた。
「それは一体どこの誰かな」
「ギルドのアドバイザーの、エイナって人です」
「エイナ……エイナ? どうだろう、なんだってその人は俺みたいなヤツのことを探してるんだ?」
思いのほか食いついた相手。
しかし、その反応は依頼者の名前を聞いても余りにも脈が無さそうなモノ。
ベルは振り絞ったなけなしの意地が、尻すぼみに無くなっていくのを感じた。
「え、えっと……、エイナさんの"兄"に似ている人だからだそうです。ダンジョンの中で行方不明になったそうで」
「そっか。ダンジョンの中で、ね」
そう言うと口元に手を当て、考える仕草を見せる
けれど、もし仮に
それなのに何か思考を巡らす目の前の男に、ベルは大きな違和感を覚えていた。
そしてそれは、今まで黙って話を聞いていたレフィーヤも同様だったようで。
無意識に可愛らしく首を傾げながら、彼女は口を開く。
「あの、何か分からないところがあるんですか?
「ん? あぁ、そうだな……。確かにそうだよ、その通りだ」
彼は苦笑いを浮かべながら、少女の言葉を間を置いて何度か肯定する。
それはまるで、おかしな行動を取っていたことを自分に認識させているようでもあった。
そんな彼は、小さく『まぁ、少しくらいは話してもいっか』と呟いて、ベルとレフィーヤに向かって言葉を続ける。
「こんなとこで話すことでもないけど、実はちょっと記憶が無くてさ」
「「えぇっ!?」」
日常会話と変わらないように、事も無げに話をするハーフエルフ。
しかし、彼の特殊過ぎると言ってもいい状況に他の二人は驚きを隠せなかった。
そんな少年と少女をよそに、青年は言葉を続ける。
「今はとある場所に置いてもらってるんだけど、俺を探してる人がいるなら会ってみたいな」
ちょうど色々記憶の手掛かりが欲しかった所だったし。
そう付け加えて、ベルに対して追加の情報を促す
「どこに行けば、そのエイナって人に会えるんだ?」
「え、えっと……とりあえず地上に出ないと……」
「地上かぁ……。
「アドバイザーなので、ダンジョンには入らないです」
「あー……そうなんだ?」
青年は何故か見て分かる程に肩を落とし、身体を向け直して再びキャンプの方角へと歩き始めた。
ベルと後方で話を聞いていたレフィーヤも釣られて歩き出すが、心なしかスピードは先程よりも遅かった。
見るからに"地上"というワードに反応したことは明らか。けれどその理由が、ベルには分からなかった。
「あの、地上だと何か都合が悪かったりしましたか?」
「そういう訳では……あるけど。ちょっとした
すぐ後ろまで追い付いて歩きながら問いかけるベルに対し、またしてもハーフエルフはぼかして答えた。
「少なくとも、しばらくは難しいかもな」
「そうなんですね……」
奇跡的とも思える巡り合わせで目の前に垂らされていた糸口。
それが今、途切れかけていた。
困っている人を放っておけない気持ちもあり、ベルは何としても
「あのっ、もし手伝えることがあったら言ってください! 僕に出来ることなら、何でもやりますから」
投げかけられた言葉に肩越しに後ろを向き、目を丸くしてベルを見る茶髪の青年。
その顔からは、こちらのことが理解出来ないといった含意が読み取れた。
「なんでそこまで親身になってくれるんだ? 俺もエイナって人に会いたいのは会いたいけど」
「それは……エイナさんの役に立ちたいのが一番ですけど、お兄さんの記憶探しにも協力出来ればと思って」
「俺なんか、さっきそこで会ったばかりだけど?」
「関係ないです! お兄さんが困ってるなら放っとけません」
ハーフエルフへ真直ぐな目を向けるベル。
「そっか。……ベル、ちょっとお人好しすぎないか?」
「そ、そんなこと無いですよ!」
「ははは。まぁ、ありがとうな。お願いすることがあったら頼ることにするよ」
いつの間にか
「会う時は、さっき言ってたギルドってとこに行けばいいんだろ? その内良い状況になったら行くことにしようかな」
「はいっ、エイナさんと一緒に待ってますね!」
周囲の暗さを他所に、人懐っこく明るい笑顔をベルも向け返した。
それは、そこだけ温和な空気が流れていると錯覚させるようでもあった。
「
会話がひと段落するのを待っていたように。
続いて響いたのは少女の声。その声の主、レフィーヤはエルの"どうぞ"という手振りを確認し言葉を続ける。
「―――私、お兄さんと何処かでお会いしたことがありますか?」
●
エルは、少女の言葉に胸の内が一際大きく跳ねたことを認識した。
あわよくば何事も無く済んで欲しいと思っていたが、物事が思い通りに進まないことは常だった。
「……気のせいじゃないかな。なんでそう思ったんだ?」
「いや、その……お兄さんの声を、聞いたことあるような気がしたんです」
どこかは忘れちゃいましたけど結構最近に、と言葉を重ねて。
エルフの少女は記憶を
その様子を肩越しに確認し、エルはまだ彼女が確信からは遠い位置に居ると理解した。
強引に誤魔化す方向で進める。
「似たような声の人が居たんだよ」
「そうなんでしょうか……」
「きっとそうだよ」
レフィーヤは伸ばした人差指をほっそりと整った自身の顎に当て、しばらく頭を左右に揺らしながら先程同様に何とか思い出そうと試みていた。『似た声の人、居たかなぁ』と呟く声がエルの耳に届く。
「……ふー」
エルは二人にバレないように、努めて動揺を押し殺していた。
(さすがに手練れだし、
相手の認識を改める。
見た目は子供そのモノだが、その実は経験を積んだ冒険者。
こちらの正体に繋がらなければ多少は良いが、喋り過ぎは良くない。
下手なこと言わないように気を付けないと、と。
エルは緩んでいた気持ちを引き締め直した。
「それにしても、二人は何でこんなところに?」
話題を変えがてら、平静を装いながらそもそもの疑問を投げてみる。
痴話喧嘩じみたことをしていた段階で気付いたのだから、そこに至るまでの経緯は何も分かっていないのが現状だった。
「「……」」
しかし、返って来たのは沈黙。
「……?」
前に向けていた視線を後方に向けると。
そこには気まずそうな表情を張り付けたベルとレフィーヤ。
「あのー……」
「えーっと……」
どちらも、何かを言い淀みながらあらぬ方向を向いていた。
「……どうしても聞きたいワケじゃないし、言わなくても大丈夫だよ」
その様子をしばらく見ていたエルは、助け船を出した。
「
「「―――ちっ、違います!!!」」
先程までとは打って変わり、顔を真っ赤にしながら同時に否定する二人。
エルは、彼と彼女の行動があまりにも似すぎていて思わず吹き出しそうになってしまった。
「仲直りは出来てそうで良かったよ」
笑いを噛み殺しながら、再び前を向くエル。
最短の経路を歩いてきたおかげで、大体の道のりは消化し終点近くまで来ていた。
目的地であるキャンプまでも既に程近い位置に居る。二人はまだ気付いていないが、ほんの少し灯りが視認できた。
そういう訳で、もう案内を続ける理由もあまり無い。
「二人ともいいか?」
「は、はいっ」
「何ですか?」
「あっちをよく見てくれ。ちょっとだけ灯りが見えるだろ?」
「え―――あ、見えます!」
「あれが目的のキャンプだよ。無事に着いて良かったな」
「はいっ! ―――はー、よかったぁ……」
目的地を目にして、安堵の溜息を吐く二人。
エルは言葉を掛けつつ、気付かれないよう自然に彼と彼女の後ろ―――視野の外に位置を変えた。
周囲へ目を向け、丁度よい位置にある大木に目星を付ける。
そして。
「じゃあ、俺はこれで。もう迷わないでくれよ」
そう言って、彼は跳躍し目的の木へ一息に登った。
前を向いていた二人からすれば、一瞬で姿を消したように思えただろう。
「―――お兄さん!?」
「え―――あれっ? どこに?」
声に反応し振り向いた後、姿を
木の上からその様子を見ながら、エルは心の隅に残念に思う自分が居ることを確かに認識していた。
二人とも悪いヒトでは無かったが、さっきまでが特殊な状況だっただけで確実に敵同士。
けれどきっと出会う形が変わっていれば、もっと良い関係を築けていたかもしれない。
仕方がないとは言えちゃんと別れも出来なかったことには、小さい針が刺さったようにチクリと心が痛んでいた。
そんな時。
「お兄さーんっ! 地上で待ってますからねー!!」
響いたのは少年の声。
周囲全体で聞き取れるようにと、出来る限り大きく声を張り上げていた。
「エイナさんと一緒に、待ってますからー!!」
(……お人好しめ)
余り自分が触れてこなかった
それを敵に当たる側から受けたことに、少しだけエルは複雑な気持ちがあった。
叶うならば、
けれど、それは中々に難しい話。
エルは少なくとも彼らと直接戦うことは無いように願いながら、その場を後にした。