収穫は有った。
夜にざっと見て回っていたリヴィラの様子。
昼に遠くから眺めたその街の活気。
偶然道案内することになったベルとレフィーヤ。
その道中でベルから伝えられた、『自分と思しき特徴を持つ男』を探しているヒトの情報。
そして何よりも、あのエルフの女性。
一目惚れだなんて恥ずかしいことを言うつもりは無い。
けれど間違いなく。自分はあの時、あのエルフに目を奪われていた。心が彼女に惹きつけられていた。
その原因が分からなかったのは、何とも消化不良感はある。
彼女と直接会話することが出来なかったことも、後悔に似た感情が残る。
けれど、さすがに時間切れだろう。
(長居しすぎたな……)
じめじめして妙なニオイの
しかし、レヴィスの言っていた59階層に侵攻していたであろう一団―――昨夜道案内した
つまりは、結構な時間自分はこの階層に居座っていたのだ。
長い間行方を
寝床にしていた大木を降りて、【
そして、脚を踏み出す前に。その場で一旦リヴィラの街の方角へ顔だけを向け、木々の間から僅かに見える様子でも最後に記憶に残しておこうと考えた―――その時。
唐突に、足元が低く激しい轟音と共に揺れ出した。
「―――っ、なんだ!?」
咄嗟に姿勢を低くし、強くなっていく揺れへの対応を試みるエル。
見れば階層全体の木々は全て左右に揺さぶられ、木の葉が擦れる音を撒き散らしている。
所々に散在する切り立った崖からは、砂埃と共に小石がパラパラと落下していた。
とすると、この揺れはエルの足元だけでなく、この階層全体で発生しているものだと推測できる。
つまりこれは、あまりにも通常とはかけ離れた状況―――明らかな
そんな状況で、揺れる足元に対し何とかバランスを取ろうとする中で。
ふっと、まるで室内で一部の灯りが落ちたように。
階層の天井からの光に、大きな影が混じった。
恐る恐る見上げてみると、木々の切れ目から顔を出す天井部の水晶内には黒い影が視認出来た。
それはまるで生き物のように、有機的に
「まさか、モンスター?」
天井まで相当な距離があるが、それでも容易に視認出来る程のサイズ。
それはもはや、
(『
『18階層ハ、基本ハ安全ダ』と。
目が覚めて早々色々理解が追いついていない自分に対し、基礎的な情報を必要最低限の言葉で教わる中でエインから伝えられたこと。
聞いていた話と違うぞ、と。異常事態にしても限度があるぞ、と。
そう思いながら、エルは足を止めたまま天井の光景から目が離せずにいた。
数秒の後。
バキバキ、と音を立てながら。天井の水晶に、大きく歪な割れ目が
パラパラと、光の代わりに降り注ぐのは水晶のカケラ。
元々一本の線に過ぎなかった亀裂は、続く音と共に範囲を拡大していく。
中に見える黒い影が、更に大きく蠢く。
そして。
水晶を突き破り、一層大きなカケラを撒き散らしながら。
「―――ゴライアス!?」
確認できたのは、通常の個体と異なる漆黒の体躯。
異常な状況の中で産まれた、明らかに異常な個体。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
階層中を隅まで埋め尽くすような雄叫びを上げながら、巨人は地面に向かって
直下の大樹をその巨足で踏み潰し、一層激しい揺れと共に地表へ降り立つ。
階層はもはや、"夜"のようだった。
太陽の役割を果たしていた天井の白い水晶は巨人の誕生により粉々に砕け散り、殊更にこの状況の異質さを際立たせる要因となった。
砕けた水晶塊は方々に散らばって、大きな塊として地表に付き刺さる。それは階層中で例外なく、エルの周囲にも。
歪な表面で乱反射する
不規則に辺りを映し出すその水晶は、いっそ幻想的とさえ言えた。
しかし、今のエルに―――この階層中にいる冒険者たちに、それを気に出来る余裕は無く。
全ての視線が、
着地から程なくして、17階層の主であるはずのモンスターは、場違いな階層の中央でその暴威を振るい始めた。
その巨足で地面を踏みつけ、大樹程もあるその巨腕を地面に叩き付ける。
周囲の樹木が遮ったせいで殆ど満足に視認出来ないが、ゴライアスが行動するたびにその衝撃が地面を通じて伝わってきていた。
けれど、今の所巨人は着地した場所で暴れていて何処かへ移動する様子は見られない。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
その時、再び響くのは叫声。
階層中のモンスターが、巨人の下へ集い始めたのだ。まるで、ゴライアスに召集されたように。
それは無論、この森を徘徊していたモンスターも例外ではなく。
「っ!」
唐突に襲来するこの階層の棲息者達。
意識外の方角からの強襲だったことに加え想像以上に数が居たこともあり、エルは一瞬たじろいだ。
しかし、それもほんの一瞬のみ。
「―――邪魔だ!!」
ここは、あくまでも中層。その程度のレベルのモンスターに彼が遅れを取ることは無く。
荒れ狂う暴風にも似た斬撃で、エルをその歯牙に掛けようとしたモノ達は総じて断末魔と共に両断されていった。
襲い来るモンスターを返り討ちにしている間、響く音の種類が増えたことをエルは認識した。
巨人が暴れる音だけでなく、ヒトの雄叫びや堅いモノがぶつかり合う音、果てには爆発音までが階層に響き始めていた。
察するに、一方的な蹂躙では無く何か戦闘が起きていてるようだった。
恐らく階層にいた冒険者が巨人と戦っているのだろう。
こちらとしては、
そして周囲を片付けた後、状況を整理するために目を閉じて思考に集中する。
今直ぐは
何よりも、アレは
立ち向かう冒険者があのデカブツに蹴散らされてしまう可能性だってある。
そこまで思考が行き着いたエルは、まずは戦況を正確に把握しようと一足飛びに戦場の方向へと向かった。
行き先は、漆黒の巨人が降り立った場所を俯瞰できる切り立った小高い丘の上。
万が一ゴライアスが
そして、彼がその丘に辿り着いた頃。既に戦闘が始まっていくらか時間が経過していた。
冒険者たちとゴライアスの姿を横から眺望できる位置の丘からは、戦野の臨場感が先程にも増して伝わってくる。
しかしながら、一見してその戦いは既に趨勢が決しつつあるように思えた。
小人のように頼りない輪郭の彼等は、まだ健在な数名がなんとか踏ん張っているような状況だった。
ただ、それも精々気を引くか足止め程度で、有効打には遠く及ばないように思えた。
「時間の問題か……?」
そう遠くない内に決着がつきそうな気配を感じるエル。
当然、生き残るのはゴライアスで壊滅するのは冒険者。
労せずして相手が戦力を大きく擦り減らしてくれるなんて、考えるまでも無く
それは、彼らと敵対している
それなのに。
何故だか、エルはこの状況をあまり喜ばしいと思えていなかった。
むしろ、冒険者側に何とか被害を抑えて巨人を倒して欲しいとまで思ってしまっていた。
それはきっとこの階層に来てから見てきた物や、ベルとレフィーヤと少しではあるが会話してしまったこと。そしてあの黄緑髪のエルフを見てしまったことが影響しているのだろう。
―――介入した方が、良いんじゃないか。
敵味方という立場をすっ飛ばして、そんな考えがエルの脳裏を
そう。自分が介入すれば、恐らくは。
冒険者たちはこれ以上の損害を出さずに巨人に打ち克つことが出来るだろう。
しかし、冒険者が
つまりは、わざわざ敵の窮地を救援することになるのだ。
もっと言えば、敵が
それは自身の味方にとって、一つたりとも利が無い行為。
けれどエルは、自分が
論理的に考えれば、言うまでも無く今手を出すべきではない。
感情的に言えば、彼らに出来る限り犠牲が出ないよう手助けしたい。
その
その時。
戦場に
それが、ゴライアスの頭部を大方消し飛ばした光景。
凄まじい威力の発生源に目を凝らすと、そこには昨夜出会った少年―――ベル・クラネル。
(すごいな……幼い顔をしてあんな魔法を)
単独の魔法としては、相当なモノなはず。
それをそこまで経験を積んで無さそうなあの少年が生み出したことに、エルは驚きを隠せなかった。
圧倒的なダメージ。もはや自分が手を出すまでも無く、決着は付いたかのように思えた。
しかし、それでも通常とかけ離れた
「……アレでも回復するのか」
そう。ゴライアスは、致命傷と思われた吹き飛び消えた頭部さえも回復させたのだ。
加えて回復の過程で
強大な衝撃で弾き飛ばされる二人の冒険者。
少しして、身体を万全に戻し終えたゴライアスの足止めを再度図る他の冒険者たち。
「マズいな」
更に悪化した状況。絶望的と言ってもいい。
驚異的な回復能力を持つ巨人と違い、摺り潰されていく彼らはもはや満足な人数もおらず、僅かに残った精鋭が必死に対応しているようだった。
その中に見つけた、一際動きの良い二人―――緑色の外套を身に纏った冒険者と、水色の髪を持つ女性の冒険者。
エルは
水色髪の方は、レフィーヤ同様
そして、もう一人の緑色の外套を身に纏った方は。
「あれは、
外衣で情報を隠していても。
戦闘の端々で見える髪や身体、流麗な動作。
それらすべてが、昨日自分が心を動かされた女性だということを示していた。
そして、その緑色外衣の女性に視線を再度奪われたその時。ゴライアスの巨木のような腕が、視線の先のエルフを
「―――っ!!」
一瞬、巨腕に姿を掻き消された女性。思わず息を呑むエル。
しかし。
掻い潜るように腕の影から姿を現す緑色の外衣。当たったように思えたが、間一髪で回避していたようだった。
けれど、それは明確に紙一重。死とほとんど隣り合わせになったような瞬間。
そんな、彼女がギリギリで死を
何故か、エルの脳内からすっと迷いが消えた。
一度目を閉じ、覚悟を決めた
―――死なせたくない。
不思議なことに、バラバラの方向を向き合っていた思考が一斉に同じ方向へ足並みを揃えたのだ。
彼らを―――
とは言え、これは言うまでも無く敵を利する行為であることに変わりはない。
だからエルは、自分の中で折り合いをつけるために介入は
たとえそれが、敵に手を貸した時点で同じだと分かっていても。現実的にほとんど意味を持たない詭弁だとしても。
エルはただ自分の中で区切りを付けるために、そう決めた。
そして彼は、その
正義の派閥の先槍として【疾風】と並んで名を馳せた冒険者―――【迅雷】と呼ばれた男の姿と。