01.『プロローグ』
木々の間を、
全ては、瞬きの間をも無駄にしないために。一つ呼吸をする時間さえも削るために。
しかし。
辿り着いた目的の場所に、焦がれた者の姿は無く。残されていたのは大量の血痕と、護身用の武器のみ。
口元をキツく結び、
周囲をくまなく、一部の見落としも考えられない程隅々まで。
―――結局、妖精は"彼"を見つけることが出来なかった。
それは則ち、"間に合わなかった"ということを意味していた。
響く慟哭。
頬に小川の跡が出来る程に、妖精は涙を流し続けた。
そしてその叫ぶ声も、涙さえも枯れ果てた末に。
残ったのは"復讐"というドス黒い感情のみ。
今まで強く理想として掲げていた"正義"の二文字は、もはや
これが"彼女"にとっての悲劇の日であり、正義の翼失墜の日。そして、その結末だった。
●
迷宮都市オラリオ。その第七区画に分類される場所の、とある廃教会。
誰にも必要とされなくなり、ただ朽ち行くのを寂しく待つだけとなっていたその建物に、一人のエルフが居た。
凛とした佇まい。華奢な身体に、
(……今日は、良い天気になって良かった)
彼女の名は、リュー・リオン。
【疾風】の二つ名で知られた、かつて壊滅した正義の派閥の生き残りだ。
リューは、建物の上階へと繋がる階段を静かに踏み締め、慣れた動作で一歩一歩登っていく。
コツ、コツ、と。規則的な足音が、無人の教会内でよく反響した。
教会とはいえ、彼女はここへ祈りに来たワケではない。
ただこの場所の、屋上からの景色を眺めに訪れたのだ。
辺りを広く、遠くまで見渡せる見晴らしの良さ。
それでいて、街の人たちの活気を肌で感じることの出来る絶妙な高さ。
以前、
それはいつの間にかリューにとっても、日々の労働で疲労した心身を癒すモノとなっていた。
"お気に入り"だと言っていた当の本人は、生憎
その時の光景―――自分に付いて来ようとして捕まり、首根っこを掴まれ引き摺られて行く姿―――を思い出し、同情と同時に少し微笑ましい気持ちになる。
口元が僅かに緩むのを感じながら、リューは屋上に通じる扉を開いた。
―――心地よい風。
そして、都市の住人達が日常生活を営む雑多な音が身体の正面から吹き抜ける。
先程までの静かな教会内とは、まるで別の世界になったような都会の喧騒。
子供達の遊ぶ声、商人の客寄せの声、昼間から酒を浴びてバカ騒ぎをしている声。
様々な声やそれに関連する音が、青空に響いては耳へと届く。
けれど、その中に悲しみに満ちた悲壮な声は無い。恐怖に怯える悲鳴は無い。
(―――本当に、平和になった)
ここに来る度、実感すること。
それはかつての知己達が、文字通り命懸けで取組んだ行いが実を結んだということ。
当たり前のように子供達が笑顔を振り撒き、当たり前のように商人が商いをし、当たり前のように住人が外へと繰り出す。
そんな、今のこの『当たり前』が、リューにとっては多分に心を癒すモノだった。
ここに、そんな尊い『当たり前』を取り戻すことが出来たのだと、知己達の行いを肯定することが出来るモノだった。
しばらく、周囲の雰囲気を全身で感じる。
以前
混沌を望み、愉悦に浸る神々の手によって。無秩序の中でしか生きる術を持たない無法者の策略によって。
【
時に他派閥の優れた仲間を失い、時に『正義』を見失いそうになり。
一進一退と言うには、余りにも大きすぎる後退を余儀なくされたことさえあった。
しかし、『正義』を掲げ続けた自分達は決して屈さず、諦めず。
闘争に継ぐ闘争を重ね、最終的には有利に戦いを進め、遂には目前の光景を実現したのだ。
けれど、その"過程"で。
何よりも大切だった仲間達は、皆自分の前から
「―――っ」
穏やかだった心の
屋上の
【
次々と斃れていく仲間達。そして、自分が
次々と移り変わり行く、"思い出"と呼ぶには余りも惨たらしい光景。
パラパラと本を捲るように、仲間一人一人の最後の姿が頭を過ぎる。
あの時の記憶は深い傷痕となって、癒えることなく心に残り続けている。
その傷は、今日のように平和と孤独を同時に感じた時、殊更に疼くのだ。
独り生き延びた後、【闇派閥】への復讐に身を投じた自らを戒めるように。
"彼"と彼女達を為す術なく失った、自分の無力さを強く刻み付けるように。
(もう、あれから五年になりますか……)
リューは、その整った顔を僅かに歪めながら、過ぎ去った歳月を改めて認識する。
復讐を完遂し、『
生きる意味を見失い、全てが灰色の景色に見えていた時。
知己達と命を賭して、都市の平和を、人々の笑顔を取り戻したことに対して。
許されたような想いがあった。
暗闇だった道の先が、光で照らし出されたような気がした。
その感謝の言葉があったからこそ。
自分の中で、前を向こうと区切りをつけることが出来ていた。
しかし、それでも。
自分がもっと強ければ、と。自分が、もっと速く
"彼"が、血溜まりを残して姿を消した光景を思い出しては、胸の奥が締め付けられるように痛むのだ。
"彼"を殺したのは、間違いなく無力だった
『―――なぜ、お前だけが残ってしまったんだ』
そんな言葉が、頭の中に
耳を塞いでみても、その声は消えない。むしろ、より鮮明に聴こえるようにすら思えた。
つまりこれは、他ならぬ自分自身の心の声だ。
それ故に、耳を塞ごうが何処まで移動しようが、逃れることの出来ない声なのだ。
そう。
消えない後悔を責める自分は、前を向くことの出来た今でも尚、自分の中に在り続けた。
心の隅の奥底の、復讐の炎によって自らを燃やし尽くし、黒い炭と化してしまった部分に。
これは、一度正義を棄ててしまった自分に対する罰なのだろうか。
見境のない復讐鬼に堕ちてしまっていた自身への報いとでも言うのだろうか。
リューは自身の胸元を、その細く美しい指できゅっと握り締める。
胸が、心が、苦しい。……"アル"、助けて―――。
(―――っ、いけない。また、思考が悪い方に)
亡くしてしまった
袋小路に陥っていた自らの思考を自覚し、振り切るように一度、
目を瞑り、長い深呼吸。気持ちを改める。
辛気臭い顔をするのは止めたのだ。
生き残った意味を考えようと決めたのだ。新しい居場所ができた、あの時から。
目を開けて、再び前に広がる光景を見据える。
その景色は、間違いなくあの時の"希望"と呼べる物。
想起されるのは、
『"正義"を、捨てなさい。……けれど、"
彼女達を目の前で失い、"彼"を死物狂いになって探しても見つけられず。
激情に駆られ復讐を決意していた
マトモに顔を見て話もせず、ただひたすらに『都市を離れて欲しい』と懇願した、そんな自分に最後に与えられた言葉。
その時は、"希望"と言う言葉の意味が理解できなかった。
よく知っているはずなのに、どうしても心が受け入れることを拒否していた。
擦り切れ、荒み切った心身に、その言葉は余りにも眩しすぎたからだ。
今でも、あの言葉の真意は分からない。
あの時に与えられた、"希望"の二文字が何を意味していたのか、正確に把握することは出来ない。
けれど、今の目の前に広がる景色を見れば。
あの時の"希望"という言葉が示していた先なのではないか、と。
そう考えても良いような気が、リューはしていた。
「希望、―――これが、アストレア様の言っていた"希望"」
まるで、その思考に何故か違和感を持ち続ける自らの一部に言い聞かせるように。
【闇派閥】は駆逐された。
都市は平和になり、人々が笑顔を取り戻した。
知己達の願いは、悲劇の果てに叶った。
違和感があろうが、納得するべきなのだ。
自分も新しい居場所を得た今、復讐に身を焦がした昔に想いを馳せるようなことは、断じて許されない。
これ以上、自身の中で燻り続ける火種に僅かでも薪をくべる様な行為は、絶対に行ってはならない。
だから、心にきつく蓋をする。
知己を亡くした喪失感も。
残り続ける【闇派閥】に対する怒りも。
"彼"を見捨てた自分を責め続けるこの
そのどれもが、滲み出てこないように。漏れ出てこないように。
全ては、"今"を大切にするために。
(―――そろそろ、帰りましょうか)
自分の、"今"の居場所へ。
もう二度と手放したくない、心の底から大切な場所へ。
そしてリューは、
あと8話か9話分くらいはストックがあるので、ひっそりと定期的に投下していきます。