疾風迅雷   作:袈裟固め

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03.『凶兆』

白濁色の床が、地震の如く揺れていた。

 

「―――おい、来るぞッ! 気を付けろ(・・・・・)ッ!!」

 

果てしなく高い天井、広い空間。

僅かな光源が頼りなく照らすダンジョン深層域(・・・)の、とある場所。

 

死が蔓延するこの場所で、隻腕片耳の猫人(キャットピープル)が叫ぶ。

その顔には幾筋もの汗が伝い、緊迫した状況をよく示していた。

 

猫人の背後には、その仲間と思しき数人の男。

周囲を警戒しつつ、皆一様に張り詰めた表情で武器を構えている。

 

全員が、等しく理解していた。

この"揺れ"は目的のモノであると同時に、"死"が近づいている合図だと。

 

そしてこの"揺れ"は実の所、数刻前に経験したモノと合わせて"二度目"だった。

 

「分かってるよ。今度は上手く(・・・・・・)やる」

 

言葉を受けたのは仮面の男、エル。赤茶色の外套(がいとう)を身に纏い、フードを被り。

普段よりも、外に晒す情報を極力抑えた身形(みなり)

猫人達とは距離を置いた場所に一人で立つ彼は、他の一行(メンバー)とは異なり、武器を下げたまま脱力しているようにも見えた。

 

あまりにも無防備なその姿は、およそ危険だらけの深層に居るとは思えない。

しかし、彼はそれで良かった。いやむしろ、そうでないといけなかった。

 

奇跡的に発生した、この"二度目"のチャンス。

それを、間違えても無駄にするワケにはいかなかったからだ。

 

「―――次は、潰す(・・)んじゃねぇぞッ!?」

 

そう。先程の猫人―――ジュラ・ハルマーの『気を付けろ』という言葉。

それは、メンバーに警戒を促す言葉であると同時に、エルに『やり過ぎるな』と釘を刺す言葉でもあった。

 

エルは、ジュラの悲鳴にも似た叫びに自分の失敗(・・)を思い起こす。

 

 

 

一度目の遭遇。

 

目的は、その相手の生け捕り。

 

その時、エルは力加減が分からなかった。

その力を振るった相手は、一般的に"強敵"だと言われていたからだ。

経験を積んだ屈強な冒険者であろうと、容易に命を落としてしまう程の危険な相手であると。

 

だから力一杯殴るくらいはしないと、きっとそんなに効果が無いのだろうと考えていた。

少なくとも、レヴィスであれば力を籠めて拳を叩き込んでも、しばらくすると回復して何事も無かったかのように斬り返してくるのだから。

 

結果は想像と違った。

 

"強敵"と言えど、意外と脆いモノなのだとエルは思い知った。

いや、自らの"力"を妙に過小評価してしまっていた。

まさか渾身とはいえ、ただの一撃で戦闘不能を通り越して、中身の魔石まで砕いてしまうとは思いもしなかったのだ。

 

あの時のジュラ他一行の唖然とした顔たるや。

一時的に恐怖までもが全て吹き飛んでしまったような、有り得ないことが眼前で起きてしまったかのような。

とにかく、命懸けで掴んだ千載一遇のチャンスが文字通り灰となって消えた光景は、さぞ衝撃的だったことだろう。

帰り道、深層であるのに注意力が散漫になっていた節さえあった。

 

しかし、その道中唐突に巡って来たこの奇跡の二度目。

エルはこの後の安全を期すためにも、さすがに続けての失敗は出来ないなと思っていた。

 

 

 

揺れが一際大きくなり、エルの視線の先―――地面が、破砕された欠片をパラパラと散らしながら大きく盛り上がる。

そして、地を砕く轟音と共に姿を現したのは、一体のモンスター。

 

巨大な蛇のような外見の稀少種(レアモンスター)―――"大蛇の井戸(ワーム・ウェール)"。またの名を"凶兆(ラムトン)"。

 

深い青色の体皮に、大型のモンスターをも丸呑み出来そうな大顎(おおあご)

口の両側には九つの孔。相対する者を圧倒する恐ろしい形貌(けいぼう)

そして様々な厄介な特性。

 

通常であれば。

きっと遭遇した冒険者はどうやってこの"窮地(きゅうち)"を切り抜けるか、どうやって被害を受けずに振り切るかを考えるだろう。

 

けれどそれは、エルには当てはまらなかった。

 

しばし値踏みするように。

ラムトンはその胴を乙の字型に持ち上げ、琥珀色の複眼で自らの正面に立ち相対するちっぽけな仮面の男を見下ろす。

 

エルは先程までと変わらず。

構えず、力を籠めず、(そな)えもせず。

 

(はた)から見れば大蛇とエルは、諦めた()とその捕食者のようにすら見えた。

 

「下がってろ」

 

エルが後方のメンバーに言葉を投げる。

それと、ほぼ同時だった。

 

『アアアアアアアァァァァァァァアアアアァアアァァッッ!!』

 

巨蛇は唸り声を上げ、エルに向かって猛スピードで突進した。

 

その大口を上下に大きく(ひろ)げたままで、周囲ごと呑み込むような勢いで。

地面を激しく抉り取り、その破片を撒き散らしながら、脇目も振らず一直線で。

 

ラムトンが地中を掘削しながら移動していた時とは、また違った強い振動がエルに伝わる。

巨体に似合わぬ素早さで、間にあった距離は一瞬で無くなった。

 

そしてその威容に見合う大顎が、容易に収まるであろう(エル)を遂に捉えた――はず(・・)だった、その瞬間。

大蛇を襲ったのは、頭部を上から激しく叩き付けられた衝撃。

蛇が打ち付けられた地面は、移動により抉り取られた跡に加え、その衝撃で大きく円形に窪み四方に罅割(ひびわ)れが走った。

 

暴力的な風と音が、周囲を襲う。

エルは、その手に持つ武器を振り切った体勢で空中にいた。

 

衝撃の正体は、彼による峰打ちの一撃。

 

大顎が触れるその直前。

十分に引き付けたと判断したエルは、軽く跳躍し真上から武器を振り下ろしたのだ。

 

腹の底に残るような重い音と土煙を残し、大蛇は沈黙する。

峰打ちを直接受けたその頭骨は変形し、口腔内の複数の牙も所々が欠け、辺りに散らばっていた。

 

「―――どうだ?」

 

手応えは程良くあった。先刻の失敗よりは、狙い通り軽めの手応え。

灰と化さないことから魔石は健在。後は、息がまだあるかどうかだった。

 

恐る恐る近づいてくるジュラ一行を、着地したエルは横たわる"凶兆"の様子を伺いながら待つ。

 

顎が外れたのか、噛み合わないままの口元が開いたまま、ピクリとも動く気配が無い。

少なくとも、直ぐ起き上がることは無い程度に伸びていることは確実だった。

 

「ま、まだ生きてるぜッ! おい、例の『魔道具』持ってこい!! さっさと嵌めるんだッ!」

 

聞いたことが無いほどの歓喜の色を(にじ)ませて、ジュラが声を上げる。

どうやら、今度は上手くいったようだった。

 

「これで目的は果たせたか?」

 

エルは、彼らの嬉しそうな様子を眺めながらも特に自身の感情は無く、一応までに確認した。

 

「あぁ、アンタのおかげで完璧だ」

 

興奮冷めやらぬといった様子で、鼻息荒くジュラが答える。

そりゃ良かった、と手をひらつかせながらエルは興味無さげの返答。

 

「―――コイツが居れば、【疾風(リオン)】を()るのに一歩近づくぜ」

 

しかし猫人が血走った眼で小さく付け加えた、一言。

他には聞こえない程に微かな声だったが、しかしエルの耳は一言一句聞き逃さずその音を認識した。

 

そして何故か。

 

「―――っ」

 

それを聞いた瞬間に、心臓がドクンッと一際大きく跳ねるように鳴動した。

 

(……リオン? 誰だ(・・)?)

 

知らないはず(・・)の言葉。

少なくとも、目覚めてから今まで聞いたことの無い言葉。

そのはずなのに、どういう訳か明らかに身体が反応したのだ。

 

今までに無い経験に、エルは仮面の下で困惑を覚えながら目を細める。

 

ジュラが何かしら個人的にこの蛇(・・・)を使おうとしていることは、正直どうでも良かった。

そんなことよりも、自分は今。

彼の"リオン"という言葉を、どういう訳か文脈と無関係にヒトの名前として認識していたのだ。

 

それ故に、恐らく。いや、ほぼ間違いはなく。

"リオン"とやらは、失った記憶の中で身近に有った存在か、只ならぬ因縁が有った存在なのだろう。

 

他のどんな存在をも上回る程に。

無くした過去の中に在って尚、自分自身の奥深くに刻み込まれている程に。

 

それだけ、自身にとって強く関係のありそうな者なら。

もしかしたら記憶を取り戻すキッカケになるかもと思い、エルは一行の作業を待つ間、(くだん)の"リオン"という存在に関して、思いを馳せてみる。

 

(リオン……リオン……?)

 

しかし、やはりというべきか。

いくら頭を働かせてみても、記憶の扉は固く閉ざされたまま。

まるで最硬金属(オリハルコン)製かの如く、いつも通りびくともしなかった。

 

胸の奥にモヤモヤとした感覚を、エルは感じていた。

気になっているのに分からない。

掴もうとしても雲のように掴みきれない、何とも表現し(がた)い感覚を。

 

けれどきっと。

 

ジュラの言葉の人物が、今自分の心を動かした者と同一であれば、残念ながらそれは敵対する陣営に属する者であることを意味するのだろう。

順調に役割をこなしていけば、その内に敵として相見えることもあるはずだ。

 

直接聞けば一番早いのは分かりきっているが、どうにも、このジュラという男と必要以上に会話をする気にはなれない。

 

これが"生理的に無理"とかいうやつなのだろうか。

もしかしてオリヴァスも、自分にこんな感情を抱いているから、あんな態度を取るのだろうか。

 

エルは、オリヴァスとの会話で向けられる一歩的な嫌悪の念に対しての悲しみを思い出し、この感情が態度にだけは出ないようにしよう、と心に決めたのであった。

 

 

 

 

 

『―――ヤツガ、再ビ仕事ヲ果タシマシタ』

 

男性とも女性とも区別の付かない、幾つもの声が折り重なったような、不気味で抑揚の欠けた無機質な声が響く。

 

『今回ハ、因縁深キ者ト近付ケマシタガ、ヤハリ明確ナ反応ハ無ク』

 

それはまるで、独り言のように。

 

暗示(・・)モ、効果ハ継続シテイルヨウデ』

 

そこには安堵も落胆も、喜びの色すらも無く。

 

『アノ強靭ナ膂力(リョリョク)ハ、見込ミ通リ使エル(・・・)カト』

 

唯々(ただただ)淡々と、壊れた機械仕掛けの人形の如く言葉は続く。

 

『今後ハ活用(・・)スル幅ヲ、広ゲルコトニ』

 

そして、一呼吸置いて。

 

『―――全テハ、(エニュオ)神意(イシ)ノママニ』

 

その声の主は、エニュオ―――都市の破壊者という意味の名を持つ者に対し、そう言って報告を終えた。

 

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