『神』が死に、美浜奈保子が世界的アクション女優となってから、数年と三ヶ月後――。
都内にある城聖大学の研究室にて、竹内多聞はパソコンに向かい、自分宛のメールをチェックしていた。届いているのはダイレクトメールばかりで、重要なものは無い。いつものことであるが、竹内は落胆した。昨日、大阪で大きな学会があったのだが、竹内はそこで、『
ガラガラと扉が開き、かつての教え子で現在はこの大学で准教授を務める安野依子が入ってきた。
「あ、先生。帰ってたんですね」竹内に気付いた安野は、学生時代からのトレードマークであるお団子ヘアーの頭をペコリと下げた。「お疲れ様です。昨日の学会は、どうでしたか?」
「別に、いつもの通りだな」
「つまり、全く相手にされなかったワケですね」
「ほっとけ。それより、そっちはどうなんだ? 次の論文は順調か?」
「もちろんですよ」安野はパチッとウィンクした。「この安野依子ちゃん史上最高の論文になりそうです。これを発表すれば、世界がひっくり返るかもしれませんよ? まあ、見ててください」
「フン。毎回同じようなことを言っているな。まあ、楽しみにしておこう」
「はい。期待しててください」
安野は機嫌良さそうに笑うと、自分の机に座った。
「あ、そうだ。先生――」安野が振り返った。「先生が留守にしている間に届いた郵便物、そこに置いてます」
竹内は安野が指さした先を見る。机の上に山積みにされた本の上にプラスチックのトレーがあり、その中にたくさんの手紙やはがきが入っていた。手に取り、ひとつひとつ確認していく。パソコンのメールと同じく、ほとんどがダイレクトメールや知人からのあいさつ程度のもので、さして重要ではないものだったが、一通だけ、見過ごせない差出人の手紙があった。差出人の住所はH県堀北市とあり、名は、渡瀬亜美となっている。
「また渡瀬教授からですか」竹内の背中越しに手紙を見ていた安野が言った。「世紀の天才が何度も手紙を送るなんて、先生のこと、よっぽど気に入ったんでしょうね。良かったじゃないですか」
「バカを言うな。渡瀬教授は天才である前に死刑囚だ。そんな人物に気に入られたところで、迷惑以外の何ものでもない」
竹内は肩をすくめ、渡瀬教授からの手紙を見つめた。
渡瀬亜美。世界中で高い評価を得た論文を何本も執筆し、その名を轟かせた天才だ。同時に、研究のために多くの人命を奪った殺人者としても知られている。その数は確定しただけでも十三人にもおよび、『堀北十三人殺しの渡瀬亜美』として、こちらも世界中に名を轟かせた。現在は死刑が確定し、堀北市の勾留所に収監されている。
そんな渡瀬教授が、以前、竹内宛に手紙を送ってきたことがあった。内容は、竹内が数年前に発表した論文『羽生蛇村における一三〇〇年の呪い』に関することだった。竹内はこの論文内で、羽生蛇村を襲った一連の土砂災害は、一三〇〇百年前に受けた神の呪いである、としたのだが、渡瀬教授はこれに異を唱えた。彼女によると、羽生蛇村の神は宇宙から飛来した未知の生物であり、その生物には寄生虫が寄生しており、それこそが呪いの正体だ、というのである。
「先生の論文もかなりイカれてましたけど、渡瀬教授の説も負けず劣らずぶっ飛んでましたよね」安野が呆れ声で言う。「それで、今度はなんなんですか?」
「さあな。この前の手紙には返信しなかったから、また送って来たのかもしれん」
「渡瀬教授のような世紀の天才が、先生みたいな凡講師にわざわざ手紙を書いてくれたのに、それを無視したんですか? それは、相手はさぞ怒ってるでしょうね」
「ふん。あのような荒唐無稽な話、学説ではなくただの妄想だ。相手にする気にもなれん」
「たぶん、日本中の民俗学者が、先生に対しても同じことを思ってるはずです」
「ほっとけ。真の天才とは、常に周囲から疎まれ、排斥されるものなのだ」
「はいはい。それより、早く手紙を開けてください。殺害予告とかだったら、巻き込まれないよう逃げないといけませんからね」
「いま読もうとしていた所だ。少し黙っていてくれないか」
「あたしは、ずっと静かにしてます」
大きくため息をつく竹内。安野が学生だった頃から何度も繰り返しているやりとりだ。いまだ安野には、自分がうるさいという自覚がない。
気を取り直し、竹内は渡瀬教授からの手紙を開けた。
《拝啓 竹内多聞様
何度もお手紙を送り、申し訳ありません。
先日のお手紙でもお知らせしましたが、竹内先生の論文『羽生蛇村における一三〇〇年の呪い』は、非常に興味深く拝見させていただきました。竹内先生にお手紙を送付して以降も、何度も読み返しております。
今回ふたたび筆を執りましたのは、この論文内で先生が詳細不明とした点、『SDKなる人物が羽生蛇村を訪れた理由』についてです。私なりに仮説を立ててみましたので、お読みいただければ幸いです。》
「やっぱりあの論文の件ですか」と、手紙を覗き見していた安野が言う。「あんなイカれた論文を何度も読むなんて、渡瀬教授、よっぽど拘置所でヒマなんでしょうね」
「それは違うな。拘置所の中でも本や手紙は読める。まして渡瀬教授ほどの天才ならば、例え拘置所の中でも世界中の論文を読むことができるはずだ。そんな無数の論文の中から、特に私のものに注目しているということだ」
胸を張る竹内に、安野は冷たい視線を送る。「さっき、死刑囚から気に入られても迷惑だ、って言ってたクセに。それより、『SDKなる人物が羽生蛇村を訪れた理由』って、アレでしょ? 『××村三十三人殺し』という都市伝説に興味を引かれて羽生蛇村を訪れた少年が、実はその三十三人殺しの犯人だった、ってやつ」
「……そうだな」
竹内は、表情を引き締めて頷いた。
SDK――本名を、須田恭也という。二〇〇三年八月三日、偶然羽生蛇村を訪れ、怪異に巻き込まれた少年だ。
須田恭也が村に訪れたのは、怪異の数日前、『オカルトランド』というインターネット掲示板への書き込みが原因だ。『血塗れの集落』と題されたその書き込みの中に『××村三十三人殺し』というのがあった。戦時中、もしくは戦前に発生した事件で、村の若者が突然おかしくなり、一晩で村人三十三人を殺害した、というものだ。このウワサ話に興味を持った恭也は、村を訪れ、怪異に巻き込まれた。その後、様々な紆余曲折があり、二〇〇三年八月六日未明、恭也は異界にて三十三人の屍人を虐殺した。その様子は、まさしく村人三十三人殺しのようであった。
この数ヶ月後、現世では、『都市伝説調査隊』というオカルト系ホームページの管理人が、『××村三十三人殺し』に関して調査を始めた。管理人はまず、羽生蛇村にて村人三十三人が惨殺された事件が本当にあったかを調べたが、公式にはそのような事件は存在しなかったそうだ。そこで、管理人は直接現地に足を運んで聞き込みをしてみた。何人かの村人に話を聞くと、この『村人三十三人殺し』のウワサは、二〇〇三年の八月中頃から流れ始めたということが判った。朝方、霧の中に日本刀と銃を持った少年の亡霊が現れるというのだ。その姿は、異界で屍人を虐殺した須田恭也そのものだ。
ここに、この出来事の大きな矛盾点がある。
『都市伝説調査隊』管理人の調査では、『村人三十三人殺し』のウワサ話が流れ始めたのは、八月の中旬ごろだった。
しかし、『オカルトランド掲示板』にこのウワサ話が書き込まれたのは、七月の下旬だ。
二〇〇三年の八月以降発生したウワサ話が、それより以前の七月に、掲示板で話題になっていたのである。
この話を聞いたとき、竹内の脳裏に、ひとつの考えが浮かんだ。
須田恭也が村を訪れるきっかけとなった村人三十三人殺しは、後に須田恭也自身が行った屍人三十三人虐殺ではないか、と。
つまり、恭也の未来の行動が、過去の恭也に影響を与えたのだ。
仮説を立てたものの、なぜ、そのようなことが起こったのか、竹内にも全く判らなかった。人知を超えた力が働いた結果としか言いようがない。
今回の渡瀬教授の手紙は、この件に関することだ。竹内の論文を読み、自分なりに仮説を立ててみたのだろう。
ふん、と、竹内は鼻を鳴らした。「あの件は、実際現地で怪異を目の当たりにした私が、熟考に熟考を重ねても解き明かせなかった謎だ。拘置所で私の論文を読んだだけの者に、解けるはずがない」
「しかし、相手は世界に名を轟かせた世紀の天才ですからね。学会の誰からも相手にされない凡講師なんかとは、格が違います。少なくとも、謎が解けず、『人知を超えた力』なんて適当な言葉でごまかした先生より、とりあえず仮説を立てた渡瀬教授の方が、はるかにマシでしょうね」
「どうかな? 仮説だけなら、いくらでも立てられる。問題は、その仮説にどれだけ信憑性があるかだ。信憑性の無い説など、ただの妄想だ」
「そういうの先生にだけは言われたくないと思いますけどね。まあいいです。まずは、渡瀬先生の説を聞きましょう」
安野に促され、竹内は続きを読んだ。
《論文内では、SDK氏が村を訪れた理由を、人知を超えた力により時空が歪んだ、というように表現されていましたが、一連の出来事は、相対性理論に基づく因果律の破れによって、説明できるはずです。
博学な竹内先生ならばご存知のことと思いますが、念のために、順を追って詳しく説明いたします。
まず、因果律とは、「全ての事象には必ず原因があり、原因無しには何も起こりえない」という考え方です。ただし、これはあくまでも哲学に基づく考え方で、他の学問では、多少意味が異なります。例えば、古典物理学においては、全ての原因と事象の間には一定の関係が存在し、原因は事象よりも前の時間に存在すると考えます。よって、ある時刻の系の状態が与えられれば、それ以後あるいは以前の系の状態が必然的かつ一意的に決定するのです。これは、哲学における考え方とあまり変わりません。一方、量子力学においては、系の状態に因果性はあっても確率的に記述されるため、系の物理量の測定値を確率的に予測することはできなくなります。さらに、相対性理論においては、事象の時間的な前後関係が観測者によって異なる場合がある為、事象が光速を超えてはならないという制限を課すことで因果律とされるのです。逆に言えば、事象が光速を超えた場合、因果率は破たんします。これが、因果律の破れです。この因果律の破れが羽生蛇村で発生していたと仮定すると――》
「……先生」
「なんだ」
「ちょっとなに言ってるかわかんないです」
「まあ、世紀の天才が書いた論文だからな。貴様のような凡人には、到底理解できないことだろう」
「では、先生は理解していると?」
「いや、さっぱりわからん」
「だと思いました」安野は肩をすくめた。「まあ、仕方ないでしょうね。あたしたちの専攻は民俗学。バリバリの文系ですから。物理学なんか持ち出されても、チンプンカンプンですよ」
「これは、ひとつひとつの言葉をゆっくり丁寧に解読していく必要があるな」
「ですね。では、恒例のホワイトボードを用意しましょう」
安野が研究室の隅に置いてあるホワイトボードを持ってきたので、竹内はマジックを取り、きゅぽんとフタを取った。
「まずは『因果律』についてだな」竹内は、ホワイトボードに因果律と書いた。「これは、要するに『原因があるから事象がある』という哲学的考えだ。例えば、とある天才の名言に、『ギョーザを食べたらギョーザクサくなった』というものがある。これは、典型的な因果律だ。この場合『ギョーザを食べた』が原因で、『ギョーザクサくなった』が事象だ。つまり、『ギョーザクサくなった』という事象には『ギョーザを食べた』という原因が存在するのだ。ゆえに、仮に『ギョーザを食べた』という原因が無くなれば『ギョーザクサくなった』という事象は存在しなくなる」
「そんなの当たり前って気もしますが、まあ、哲学なんてそんなものかもしれませんね」
「そうだな。そして、『相対性理論』だが」
竹内がホワイトボードに『相対性理論』と書くと、安野が手を挙げた。「あ、それは、なんか知ってます。物体は、光の速さに近づくほど、時間の流れがゆっくりになる、ってやつですよね?」
「そうだ。よく知ってるな」
「ネコ型タヌキロボットが主人公のマンガでやってました」
「まあ、そんなことだろうと思った。それで、この相対性理論に基づけば、恭也君が未来で行ったことが過去の自分に影響を与えるという出来事にも説明がつく、と、渡瀬教授は言っているのだな」
「ほほう」
「つまりだな――」
1・村人三十三人殺しのウワサが流れ、恭也が興味を持ち、村を訪れる(原因)
2・恭也が屍人を虐殺(事象)
「これが、本来の時間の流れだ」
「はい」
「しかし、事象が光速を超えた場合、時間の流れはゆっくりになる」
「その辺がよく判らないんですが、まあ、続きをどうぞ」
「しかし、事象の時間の流れがゆっくりになっても、原因の時間の流れはそのままだ。そうなると、原因は事象に追いつき、やがては追い越してしまう」
1・村人三十三人殺しのウワサが流れ、恭也が興味を持ち、村を訪れる(原因)(通常・時間は普通に流れる)
2・恭也が屍人を虐殺(事象)(光速・時間はゆっくり流れる)
「つまり、『恭也が屍人を虐殺』という事象が光速を超えた場合、時間の流れがゆっくりとなるため、やがて通常通り時間が流れている『村人三十三人殺しのウワサが流れ、恭也が興味を持ち、村を訪れる』という原因が、事象の時間を追い越してしまうのだ。よって――」
2・恭也が屍人を虐殺(事象)
1・村人三十三人殺しのウワサが流れ、恭也が興味を持ち、村を訪れる(原因)
「――というふうに、事象があって原因がある、という、因果律とは全く逆の形になってしまうわけだ。これが、因果律の破れだな」
「なるほど。わかったようなわからんような、という感じです」
「さらに、渡瀬教授は、これと同じことが、求導女の八尾比沙子にも起こっている、と考えているようだ」
「八尾比沙子さんというと、神様の首をもって奈落に堕ちていった人ですね」
「そうだ。彼女にも、恭也君と同じく、彼女の未来の出来事が彼女自身の過去に影響を与えている」
二〇〇三年八月二日未明、村では、神を迎える儀式が行われていたが、儀式に必要な御神体・神の首が破壊されていたため失敗。村は異界に取り込まれた。しかし、八月四日早朝。うつぼ船に乗った老女が八尾比沙子に御神体を届けたことで、儀式は再開された。この、うつぼ船に乗って現れた老女は、後に恭也によって斬り落とされた神の首を拾った八尾比沙子自身だった。
「この出来事を因果律で考えると、こうなる」
竹内は、マジックでホワイトボードにさらさらと書く。
1・失われた首が届き、儀式を再開。神が復活する(原因)
2・神の首が落とされ、比沙子が首を届ける(事象)
「これも、事象が光速を超えると、『比沙子が首を届ける』の時間の流れがゆっくりになり、やがて――」
2・神の首が落とされ、比沙子が首を届ける(事象)
1・失われた首が届き、儀式を再開。神が復活する(原因)
「――となるわけだ」
説明を終えた竹内は、マジックにフタをして、ボードの下に置いた。
「なるほど」と、安野はあごに手を当てた。「恭也君と比沙子さん、どちらも、事象が光速を超えることで原因との時間関係が逆転し、未来の出来事が過去に影響を与えることになったわけですね」
「そういうことになるな」
「なんとなく判るような気もするんですが……しかし、先生。この説には、ひとつ、大きな疑問があります」
「なんだ?」
「事象が光速を超える、なんてことが、起こりうるんでしょうか? まさか、ネコ型タヌキロボットのマンガみたいに、宇宙船に乗ってたとか言うんじゃないでしょうね?」
「さあな。手紙にはそこまでの記述はないが、あり得ない話ではないかもしれん」
「というと?」
「須田恭也と八尾比沙子に起こった現象は、どちらも、原因と事象が別次元で起こっているのだ」
「はい」
「例えば恭也君の場合『村人三十三人殺しのウワサが流れ、恭也が興味を持ち、村を訪れる』という原因は現世で起こり、『恭也が屍人を虐殺』という事象は異界で起こっている」
「確かに」
「八尾比沙子も同じだ。『失われた首が届き、儀式を再開。神が復活する』という原因は異界で起こり、『神の首が落とされ、比沙子が首を届ける』という事象は常世で起こっているのだ」
「つまり、『異界』と『常世』は、それぞれが別の宇宙船……というよりは、もっと大きな、マクロスやデス・スターレベルの宇宙要塞の中で、要塞は光速を超えて飛行していて、異界に取り込まれたみんなは、なんらかの力で要塞の中に転送されていた、と、考えることができるわけですね?」
「そうなるな。あくまでも、渡瀬教授の説に基づけば、の話だが」
話を聞き終えた安野は腕を組み、「ふうむ」と、感心したような呆れたような声で唸った。「今回も、なかなかぶっ飛んだ説ですね。前回の手紙でも、神様は宇宙生物だ、とか言ってましたし、渡瀬教授は、宇宙科学の研究もしていたんでしょうか?」
「さあな。専門は寄生虫のはずだが……まあ、なんと言っても世紀の天才だからな。寄生虫のついでに、宇宙についても研究したのかもしれん」
「寄生虫と宇宙を繋げるあたりが、天才のなせる業ってことですかね。で、結局先生は、渡瀬教授のこの説を、どう思うんです?」
竹内はホワイトボードをしばらく見つめた後、目を伏せ、首を振った。「なんとも言えんな。寄生虫も宇宙も、私の専門外だ。正しいかどうかを判断するための知識がない」
「つまり、今回も無視するんですね」
「そういうことだ」
竹内は手紙を封筒に戻すと、引出しの中にしまった。そして、二度と読み返すことはなかった。