水平線にぽつりと浮かぶ点。
伊予島杏は海上のヘリから、双眼鏡でその点を見つめていた。
『見覚えがある個体ですか?』
「見た事の無い個体です。バーテックスが危険を感じた際に融合体を形成するのは知っていますが、あんなに大きな融合体は初めて見ます」
『具体的な大きさ、形状はわかりますか?』
「通常のバーテックス、星屑のサイズが米粒に対して、融合体は私の掌くらいあります。形は星形・・・・・・円から放射状に、六本の槍のような棘が生えています」
冷静な口振りで報告するが、杏は内心、心臓が張り裂けそうだった。
こちらから見えているという事は、あちらからも見えている筈。
そんな不安を胸に、杏はバーテックスの特徴を護衛艦へ伝えていた。
「ただ、融合体は未完成なのか、体のあちこちに欠損があります」
『撃破は可能ですか?』
「相手の武装がわからないので、まだ何とも言えませんが・・・・・・」
「杏、何か撃ってきたぞ!」
「砲撃を複数確認! 回避行動に移ります!」
融合体から火球らしきものが飛来したのを確認すると、杏は身構えた。
そして、このタイミングで勇者の奥の手を切った。
杏が奥の手で宿す精霊は"雪女郎"、冷気を操る力を杏に与える。
「下位蜃気楼を展開! 回避は成功! 弾着は"近"です!」
轟音と共に水柱が立つ中、杏は護衛艦との情報連携を続ける。
下位蜃気楼は、下方より上方の空気密度が高いと発生する現象だ。
地表付近の空気が熱せられた場合の"逃げ水"が代表例で、遠くの物を近くに見せる。
杏は逆に上空の空気を冷やす事で層を作り、それを発生させたのだが、杏達の手前を撃ち抜いた相手はつまり蜃気楼に映る杏達を狙った事になる。
「不規則な軌道を描いた、同地点への着弾が複数! 誘導弾です!」
火球の着弾音が途切れず次々に海面へ炸裂する様子を見て、杏はぞっとした。
敵がこちらを正しく捉えていたら、ヘリは撃墜されていただろう。
『煙幕を張ってください!』
「はい! 海面付近の空気を冷やして、霧を展開します!」
護衛艦からの指示に従い、杏は奥の手の出力を上げた。
夏の海でも、湿った空気が冷やされれば霧は発生する。
蜃気楼に惑わされる、視覚に頼っている相手であれば、これで狙いを外せる。
幸いにして、蜃気楼と切り替えるタイミングも相手が作ってくれた。
特大の火球が着弾して、大量の海水が蒸発させられた。
湯気のカーテンがかかったのを機に、杏はそれより後方に霧を展開した。
「タマっち先輩、船は霧に隠れて小鳴門海峡を通過するって」
「よし、杏はこっちに飛び移って来い!」
ヘリは護衛艦へと帰還、杏と球子は霧の維持に前線へと残った。
ヘリから撮影された記録映像は護衛艦から大社へ送られる。
きっと、人類の対バーテックス計画に生かされる事だろう。
「タマっち先輩、艦長さんから伝言。無理せず帰って来いって」
「了解。そんなに攻める気は無いからな」
「あれ、タマっち先輩なら『別に倒してしまっても構わないんだろう?』とか言うと思ったのに・・・・・・」
「護衛艦のカレーは美味いって聞いたからな! うっかり怪我をして、一人だけ病院食になったらタマったもんじゃない!」
「あはは、やっぱりタマっち先輩だった・・・・・・」
その後、杏と球子は霧を利用して追尾してくる火球を振り切りつつ、遠距離から杏がボウガンでチクチクと攻撃を加えて気を引き、護衛艦が十分に距離を取るまで、時間を稼ぎ続けたのだった。
―――――――――――――――――――――
あれー、どうして歌野を連れて来ないのかなー?
ボウガンで倒せる程、ボクのバーテックスくんは弱くないのに。
ボクが歌野にあげた腕で、ドカンとかましてやらないと。
海の上で遮蔽物になる霧を出したのは誉めてあげるけどさ。
バーテックスくんの自動追尾改め、誘導弾の性能にガッカリだけどさ。
いや、兎に角、チクチク攻撃しているだけじゃ埒が開かないよ。
ひょっとして、護衛艦の連中が我が身を惜しんで歌野を出し渋ってるのかな。
だとしたら、サイテーだなー。
歌野も護衛艦も霧に隠れてどこにいるかよくわかんないけど。
バーテックスくんの周囲では火球の熱で霧も蒸発するから、霧に隠れて接近して一気にガオンといかないのはわかるよ。
でも、なんかガッカリだなー。
もっと頑張りを見せてくれると思ったのに、幻滅だよ。
あぁ、奥の手のスタミナが切れてきたのかな。
霧がだんだん薄れて来たけど、ひょっとして撤退かな。
ここで死なずに済んだのは褒めてあげるけど、なんだかなー。
歌野の視界も晴れてきて、ここは・・・・・・あれ?
なんで紀伊水道に出ているのさ。
いやいや、おかしいよね、ボクはちゃんと見ていたよ。
鳴門海峡を通過した船なんて一隻も無かったよ。
まさか、明石海峡の方を通って行ったのかな。
あっちのバーテックスくん達がわりとやる気満々だったけど。
えっと、どういう事かな?
うん、えっと・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・もしかして、ボクが出し抜かれたとか?
えー、いやいや、まさかだよ、ボクに限ってそんなのあり得ないから。
うん、そうだよ、ボクに限ってあり得ない。
ボクはあんまり地理とか知らないけど、他に抜け道なんてあった?
ちょっとバーテックスくん、日本地図とか持ってない?
・・・・・・バーテックスくん?
終始やられっぱなしだった、バーテックスくんやーい。
固定砲台の癖に砲撃も役立たずだった、バーテックスくんやーい。
おーい、反応くらいしろよー。
あ、強く叩いたら外殻が壊れちゃった。
あれ、おかしいな、どうして中身が空っぽなのかな。
さっきまで修復作業をするのに、小さいのがモゾモゾしてたよね。
なんか今見たら、そいつらも居ないし。
うん、壊れた箇所で、思いっきりモゾモゾしていたんだよ。
まさか、修復作業をしてたんじゃなくて、ガワを捨てて逃げてた?
いやいやいや、逃げるとか無いでしょ。
ボクが散々殴り倒して、しっかり上下関係を叩き込んだんだから。
逃げるとか無い・・・・・・よね?
・・・・・・・・・。
・・・・・・バーテックスくんやーい。怒らないから出ておいでー。
―――――――――――――――――――――
勇者達を乗せた護衛艦は無事、太平洋へと進出した。
そして、護衛艦は航海の傍ら、大社と連絡を取って戦闘の情報も共有した。
杏と球子が戦ったバーテックスは大社で"獅子座"と呼称される事が決まった。
発見された時期もあり、八月の火を司る黄道星座の名を取ったらしい。
巨大な体躯に圧倒的な火力は過去に類を見ず、大社は大急ぎで獅子座が四国へ侵攻してきた場合の対策を練り始めたそうだ。
「ナイスファイト、二人とも」
「ありがとうございます、歌野さん」
「タマはちょっとだけ不完全燃焼だけどなー」
杏は労いの言葉をかけてきた歌野にお辞儀をしつつ、尋ねた。
「ところで、四国の結界は鳴門海峡が境と思っていたのですが・・・・・・?」
「あぁ、アレは私も驚いたわ。元自衛隊が四国外で監視活動をしているのは聞いてたから、天気が荒れた時に使う港があるくらいは予想していたのだけど、正直アンビリーバブルよ」
そう、杏の記憶では"小鳴門海峡"は四国の結界内にある筈だった。
しかし、現実の動きにおいて、結界外を航行していた船が、どういうわけか結界内にある海峡を通過して、紀伊水道へ出てしまったのだ。
だが、歌野が事情を知っているようなので、杏はじっと話を聞く事にした。
「なんでも、四国へ上陸するには坂出市のゲートを通らないといけない一方で、海から海へと抜けるミステリックなルートがいくつも存在しているらしいの。最初から抜け道として設計されたわけではなく、四国の土地神がバーテックスを混乱させる為に作った偽の玄関、中へ入ったと思ったら外へ出てしまうミステリーハウス的な仕掛けを、元自衛隊が抜け道として利用しているみたいね」
それは、土地神による対バーテックスの仕掛けだったらしい。
異界から来た者がルール違反で元の異界へ帰らされるのは、異種婚姻譚でよく見られるパターンだ。この仕掛けもバーテックスを四国へ受け入れる入り口が複数あるように見せかけて、玄関を間違えればルール違反者として排除してしまう、土地神の呪術の一種なのかもしれない。
「この間違ったドアから入ると、結界内では位相がズレた道を通る事になって、結界内の船と衝突しないし人目にも触れないらしいわ。四国の結界は、ひたすら頑丈な柱で囲っていた諏訪の結界と、かなり毛色が違うみたいね」
四国の勇者達は、三年間バーテックスと交戦する事が無かった。
だが、土地神がこういった仕掛けでバーテックスを食い止めていたのであれば、どうして四国が三年ずっと平和だったか理解できる気がした。バーテックスが土地神の用意した迷路を探索し尽くして、正解の道を見つけたのが偶々三年目だったのだろう。
「とはいえ、坂出市の入り口が見つかっている以上、これからは四国も諏訪と同条件、勇者とバーテックスのガチンコ勝負に入る事になるわ」
「それなら、北海道の勇者との合流は成功させたいですね」
「・・・・・・うん、よくわからんが、とりあえずタマも仲間が増えるのは賛成だ!」
バーテックスが四国を警戒して小規模な威力偵察に留めている間に、戦力拡充へと乗り出せるのは本当に幸運だった。
杏はこの作戦を必ず成功させて、北海道の人々を四国へ連れ帰ろうと改めて心に誓うのだった。
―――――――――――――――――――――
護衛艦が太平洋へ出た一方で、香川丸亀。
上里ひなたもまた、個人的な戦いに臨んでいた。
「見つけたぞコイツ! ボクを出し抜くとか、どうせお前だろ! お前なぁ! 美少女だからってなぁ! もう、堪忍袋の緒が切れた! 今日こそ物理的に顔面パンチを叩き込んでやる!」
北海道に向けて出航した護衛艦から新型バーテックスの映像が送られてきた。
そんな大社の知らせを受けて、ひなたは寮の自室を出たところだった。
そこにひどく興奮した、褐色肌の千景もどきが襲いかかって来たのである。
「良いでしょう。私も前回の借りを残していたところです」
「あぁ、アレ? アレはホントに傑作だったなぁ。まさかあんな予想外の形でダメージを与えられるなんて想像すらしてなかったけど、お前があんまり良い表情してくれるもんだから、笑っちゃって笑っちゃって」
「覚悟は出来ていますか?」
「ふふん、ボクに手加減されてかろうじて命を繋いでいる美少女が随分と偉そうな口を利くじゃないか。ボクをコケにした罪は、顔面パンチからの全裸土下座で贖わせてやるから、そっちこそ覚悟するんだね!」
ひなたは見慣れたテレフォンパンチをダッキングで避ける勢いそのまま、ボディに拳を叩き込んだ。相手が人外で身体構造が不明ゆえ、拳を痛めないよう手ぬぐいを巻いたうえでの様子見のボディブローだったが、拳に感じた手応えは予想外に柔らかな物だった。
「うっぷ・・・・・・」
「おや、存外に柔なのですね」
「あ、当たり前だ! ボクみたいな美少女は全身柔ら――がっ!」
「まるでやる気を感じられない身のこなし・・・・・・これも貴女の拘りですか? 歌野さんの腕がバーテックスに振るうような力を発揮すれば、私など簡単に殺せるでしょうに。あるいは、それをできない精神的な弱点が、そのまま肉体の強度に反映されている・・・・・・?」
「やめっ、考えながら殴――ッ、このっ、ぶべッ!?」
泣きながら反撃してくる相手にカウンターを決めても、拳はまったく痛まなかった。相手にもカウンターで肉体的なダメージは入っていないようだが、精神的にはダメージが入っているのか、動きに怯えが見え始めた。
ひなたは頭をロックして、膝蹴りを何度も打ち込んで様子を伺う。
「やめっ、おなかはやめてっ、かおもやめっ・・・・・・!」
結論だが、千景もどきは格闘初心者のひなたが完勝できる相手だった。
相手の拘りがここまで強固だとは思わなかったが、結果的には歌野の腕が拘束着を引き千切る一方であっさり捕まる理由がわかった。おそらく、この千景もどきは相手によって無意識に手加減を強制される存在なのだ。それもなぜか本人はそれに無自覚。
「少しやりすぎてしまいましたね・・・・・・大丈夫ですか?」
「やめろぉ・・・・・・ひぐっ・・・・・・殴っておいて優しくするなぁ・・・・・・」
それが本人の性格と噛み合っておらず、何かの拍子でリミッターが外れてしまえば大事だろう。
しかし、ひとまず今は大丈夫そうだった。
「許さない・・・・・・ぜったいに許さないからな・・・・・・」
「最初に、自分がされて嫌な事をしようとしたのは貴女では?」
「そうだけど、関係ないし・・・・・・痛いし・・・・・・」
「あら、どこか怪我を? 医務室までお連れしましょうか?」
「白々しいぞ、DV女・・・・・・。若葉にもこんな風に暴力を振るって、弱ったところで餌食にするんだろ・・・・・・。このケダモノ女・・・・・・」
「この口が悪いのですか?」
「いひゃい! いひゃいひゃめろぉ!」
手錠であれば千切られる可能性があるが、ひなたが取り押さえるぶんには相手は何も抵抗ができないらしい。こんな難儀な生態を持ちながら堂々と喧嘩を売りに来た、自身の特徴にそもそも気づいていない可能性を考えると、頭にも何か欠陥があるのかもしれない。
「さぁ、きびきび歩いてください。貴女を知りたい人は大勢いるのです」
「やだ、やだぁ! 大社のモルモットは嫌だ!」
「そんな事しませんから。大丈夫ですよ」
「嘘だ! 人間は嘘吐きだって知ってるんだぞ!」
「ハァ・・・・・・。良いから歩いてください」
「痛っ! やめて、腕を捻らないでっ!」
しかし、ひなたは千景もどきの扱いがわからなくなりつつあった。
そして、如何ともしがたい状況をどうにかする為にも話を聞かねばならず、強引であろうと大社施設へと連行していくのだった。
(つづく)
改変箇所:四国の結界にギミック追加
原因:なし(諏訪にバーテックスの襲撃がある一方で四国が平和な理由づけ)