ふと思う時がある。
一体どうして、自分はここにいるのだろう。
それは那岐という男にとってはいつ如何なる時も付き纏う命題。
そして、決して答えの出ないはずの命題だった。
「もう、今はどうでもいい」
だが、その命題を彼はかなぐり捨てる。
目の前に立つ、殺しあう相手を前にしてそれが失礼だからというわけではない。
何よりも、誰よりも、彼自身がその相手を尊敬しているから。
己の全霊を賭して勝利したいと願う相手だから。
その命題を心の全てから消しとばす。
──お前は、どうしてそこにいる?
──知ったことか。
消しとばす寸前、最後に問いかけてきた心を蹂躙する。
それと同時に生まれるのは──歓喜だ。
ああ、待たせてしまった。
待っていてくれてありがとう。
これでようやく、貴女に全力を見せることができる。
今この一戦で命尽き果てようともきっと悔いはない。
どうか、見て欲しい。
これが、俺が貴女に贈る
戦いなど好きではないはずの那岐が、どうしても己の手で殺したいと思った者が今目の前で、彼のことだけを視界に入れている。
そのことが、どうしようもないくらい嬉しいのだ。
斬魄刀を正眼に構える。
以前は、何をどうしようとも目の前の相手の薄皮一枚すら切り裂くことができなかった。
今は斬れるという自信がある。
いいや、斬れずとも斬り裂く。
その思いを込めて、那岐は己の相棒の力を全て解き放つための音を世界に響かせる。
「──卍、解」
その言葉とともに、世界に災害が現出した。
護廷十三隊。
山本元柳斎重國が総隊長を務める、
十三の部隊で構成され、一隊二百人強、総勢三千人程度の死神によって構成されている。
真央霊術院と呼ばれる死神の育成機関を卒業した者が入隊試験を受けて入るのが一般的な部隊。
その中の一つ、十三番隊にも当然のことながら今年の卒業者から何人かは所属することになった。
「おら、お前ら腰が入ってねえぞ!」
死神としての基本に位置する『斬拳走鬼』の四つ。
”拳”は白打、素手による攻撃のための体術。
”走”は歩法、攻撃のためではなく移動のための体術。
”鬼”は鬼道、死神が戦闘に用いる霊術。
そして、今この場で行われているのは”斬”。
死神の基本となる、斬術である。
斬術指南の先生の元で平隊員たちは、己が真央霊術院で貸与され、護廷十三隊に正式に所属した時に正式に授与された『浅打』を振り続けている。
声を張り上げる先生の視線が向いているのは、去年や今年に入ったばかりの未だ新米隊士とでも呼ぶべき面々。
先達となる死神方に比べればあまりにもひよっ子と言わざるを得ない連中に対してだった。
(どうして、こうなったんだっけ……)
そんな、特に怒られている組の中の一人に那岐もいた。
流魂街にいた頃は自らの名前すらも覚えていなかった彼は、巡回中だった平の隊士によって見つけられたことによって真央霊術院に連れてこられた。
そしてそのまま、『死神としてやっていけるだけの最低限の霊力があるのかどうか』を確かめられて、霊術院に入ることになったのだ。
そこに、彼の意思なんてほとんどなかった。
それが他の隊士に比べて怒られる回数が多い理由。
名前すら存在していなかった少年に那岐という名前をくれた人がいた。
たまたま巡回していた死神によって死神になれるだけの才能を見出された。
名前をくれた家族たちは皆喜んで、そして彼が良い生活をできるようにと願って送り出してくれた。
そして、それらすべてをどうでも良いとしか思えない那岐がいた。
「おいこら新入り! やる気あるのか!」
なので必然的に自分がどうしてこんなことをしなければならないのかという思いが強くなり、刀を振る時に注意散漫になる。
エリートだけが集まる一番隊や戦闘狂が集まる十一番隊ならばともかく、ここは隊員同士の結束が強く暖かい空気が蔓延する十三番隊。
斬術指南が終わった後に話しかける面々も、見下すよりも先に何があったのかと心配する隊士の方が多い。
特に去年入ったばかりの先輩たちに関しては、初めての後輩ということで目にかけてくれる。
そう言った人たちに当たり障りのない答えを返して、那岐は次の場所へと向かう。
刃禅。
そう呼ばれる行為を行うための場所へと。
そこには何もない。
ただ、己の斬魄刀と対話をするために精神世界に向かうだけの場所なので、必要な機材なんてものは何一つとして存在しないのだから。
基本的に、刃禅を行うのは未だ始解を習得できていない者のみ。
実力不足を感じた場合には申請すれば使用することはできるが、この施設そのものは十三番隊の隊長である浮竹十四郎が『少しでも部下の死ぬ確率を減らしたい』という思いからできたもの故に、優先権は未だ始解すら身につけていない者が中心となる。
無論、今年に合格したばかりの那岐もその一人。
(やっと楽なのになったか)
そして、実は彼の得意分野でもある。
己の中に埋没する、というのは彼にとっては得意なことなのである。
結構な頻度で『どうしてこうなった』なんてことを考えているから。
そうなった理由を己のうちに探しているから。
だから、厳かな雰囲気すら見えるこの空間で、十数人程度いた未だ始解すら身につけていない死神たちの中で最も早く己の精神世界に埋没することに成功したのは那岐だった。
「君が、俺の斬魄刀?」
埋没した先で、一番最初に見つけたのは彼の問いかけに対して喋ることはなく、頷くことで返答とした一人の少女。
那岐の精神世界は何もない。
平らな、あるいは無味乾燥とした世界という他ない。
そこに、彼が来るよりも先に色をつけていた者など、彼の斬魄刀以外にあり得るはずもなく。
だから、その少女の頷きに対しても納得以外のものが混じる余地などなかった。
これまで、那岐はこの精神世界でその少女の姿を見たことはなかった。
正確には、光の玉のような見た目をしていて意思疎通など図る余地もなかったというほうが正しい。
初めて見たその少女は見惚れるほどに美しかった。
それこそ、天上の神々が造形したと言われても納得できるほどの。
黄金の髪は腰元まで無造作に伸ばされながらも気品を失わず、少女から女性に移り変わる時期のような瑞々しさと色香を同時に併せ持った起伏のある肢体を雷のようなスリットの入ったドレスで隠している。
耳元には稲妻を模したイヤリングが存在していて、彼女が小首を傾げることでゆらゆらと揺れていた。
ニコニコと微笑むだけの彼女は何も喋ることはなく、ただただ見つめ合うだけの時間が過ぎていく。
(対話って何をすればいいんだろう?)
それが那岐にはわからない。
斬術指南の時には明確にやるべきことを口にしてくれる師範がいた。
それを那岐が実行できたかはともかくとして、やるべきことははっきりとしていた。
けれど斬魄刀との対話は、刃禅までは説明されていてもそれ以上のことは説明されていない。
するべき会話が、彼にはわからない。
「君の名前を教えて?」
対話と同調が必要とされる斬魄刀の始解。
されど同調も対話も彼にはどのようにして行うべきことか全くわからない。
知識としては真央霊術院にて学んだ中にあるのだが、まるで実感がないのだ。
だからこうして、いきなり名前を問いかけていた。
「……」
けれど斬魄刀らしき相手は何も語らず、ただ微笑みを絶やさぬのみ。
喋らないのか、それとも喋れないのか。
そのことすらも大したことではないという認識。
斬魄刀が喋らないのならそういうものなのだろうと納得してしまっている。
「うん、それじゃあまた来るね」
だから時間にして數十分程度の沈黙を保っただけで此度の刃禅は終了。
精神世界から出た場合、どれくらいの時間が経っているのかはわからない。
だが、流魂街への見回りが仕事な死神としては長いことここにいるわけには行かないので、彼は精神世界から浮上するようにして現実へと立ち返る。
「う、浮竹隊長!? どうしてこのようなところに!」
それと時同じくして、十三番隊隊長である浮竹十四郎は刃禅を新入りたちが行なっている場所にまでやってきていた。
彼が意識を浮上させ始めてから現実に戻るまで、現実時間では少々のラグがある。
そして、彼がやってきたのはそのラグの間に済まされてしまう程度の確認を行うためだった。
「いや、今年の新入りのことを見ておきたくてな」
新入りに対してはできる限り舐められないようにするために態度を厳しくする指南も、さすがに隊長を相手にしては下手に出るしかない。
隊長が病弱であるために心配もしているのだが、それを浮竹も理解しているのかできる限り心配をさせないように笑いながら新しく入ったばかりの死神たちに視線を向ける。
新入りの死神に関しては真央霊術院時代の成績表に目を通しているので、大体の能力については予測がついているのだが、その中でも一人だけ他の面々に比べて特殊な人物がいた。
(彼がそうか。……確か、那岐だったか)
まず、名字がないということで目に留まった。
他の新入りは全員名字があったし、流魂街出身の死神だって基本的には名字は持っているのだから。
二つ目に、彼の成績。
他の新入りたちはまあよくある成績だった。
斬拳走鬼の四種類、そのどれかに得意分野が存在して、そのどれかに苦手な分野が存在する。
現役の死神と勝負して勝てるような異常者は稀にしか入ってこないので、彼らの成績も『真央霊術院の卒業生として』の予想の範囲内のものだった。
しかし、そんな中で那岐の成績に関しては異常と言わざるを得ない。
斬術と歩法のみ満点に近く、瞬歩も扱えることを考えればすぐにでも死神として戦場に出せるレベルなのだが、逆に鬼道と白打に関しては目を覆いたくなるような酷さ。
十番代の鬼道すら詠唱しても失敗してしまうレベルだ。
そして、筆記に至っては明確な答えが存在する問題は正解しているのだが、『当人の意見を述べる』形式だったりと明確な答えがないものに関しては回答がちぐはぐになっている。
つまり、『どうすればいいのか』という答えを先に示されているならともかく、自分で考えて動くのが苦手な死神と見ていい。
(さて、彼に関してはどう運用するべきか)
こうして見ていると、纏う霊圧はすでに席次を持つ死神よりわずかに下回る程度、いいやあるいは匹敵するかもしれない。
始解を会得していないことを考えれば十分すぎるほどの逸材だろう。
ただ、同時にこれから先実力をつけてのし上がることになった場合は那岐自身が考えて動く必要もあって、その経験も積ませなければならない。
(鬼道の実力も高く、斬術に関しても問題なく、彼がちゃんと自分で考えて動けるのを待ってあげられるような人材で手が空いている者……誰がいたかな?)
席次を持った者、というのがまず最初に出てくる。
優秀な死神を死なせるのは惜しいし、自らの部下にはできる限り死んでほしくないからだ。
会話を終え、確認もまた終えることに成功したので、浮竹は執務室に戻る。
その最中にも、誰とコンビを組ませるべきなのかを考えながら。
『ふふ……次は今晩にでも呼ぼうかしら』
思わず、といった様子で殺風景な世界で少女は謳う。
那岐の精神世界で鈴の音を転がしたような声を響かせるのは彼の斬魄刀。
初めて出会ったこの瞬間、いいや出会う前からその少女は恋をしていたのかもしれない。
近い未来を夢想して、少女はただ微笑んでいる。
何色にも染まっていない彼は、ただそれだけで彼女にとって愛おしい。
次はどんな会話をしよう。
今度来た時にはちゃんと声が届くといいな。
どんな反応をしてくれるのだろうか。
そんな未来のことを考えて、少女はただ彼のことだけを思っている。
『でも、名前を覚えてくれるかしら?』
けれど同時に、少し不安そうにイヤリングに触れている。
彼は
斬魄刀としての存在意義と、少女としての感性が同時に漏れ出る。
求められれば応えるし、求められずとも無理矢理に応える。
彼を死なせたくないという意思は強く、彼女の思考を一色に染め上げて、幼い少女の持つ純粋な精神性が那岐の肉体にすら影響を及ぼすのではないかと疑うほどに精神世界を蹂躙し始める。
『次に会う時には、ちゃんと私の声を聞いてね』
何もない世界に轟く雷鳴の中、
実は初めてのはずのBLEACH……頑張れ……頑張れ俺……OSRを獲得するんだ……