一色いろはは狡さと可愛さと素敵な何かで出来ている。 作:囃子米
「せーんぱいっ!」
大学の学期も終盤、ボッチ継続中により特に焦ることなく提出の課題や試験を終え、悠々自適にキャンパスライフを送っていた。
と思っていたのも束の間に、街中で小悪魔に遭遇してしまう。大魔王よりかはマシなのかもしれないがこいつもこいつで中々だ。
「せんぱいっ!」
後ろに聞こえる甘ったるい声はもはや胸焼けがする。
というか誕生日に家に来てから味をしめたのか度々俺の家に凸るのはやめていただきたい。
「……せんぱい?」
「ひっ!」
何こいつ、何なのその冷たい声思わず変な声が出ちゃっただろ!!
そうして思わず後ろに振り向いたのが事の始まり。もう策略の中に嵌ってしまっていた。さながら蜘蛛の巣に絡まる蝶。やだ、俺ってば蝶みたいに綺麗なのかもしれない。
現実逃避も束の間に横腹を手で突かれ意識を引き戻される。
「やっとこっち向きましたね」
いやウインクしても遅いから。怖いからお前。
「む、何ですかその怯えてる顔は」
「何なの? 心読めるのお前? すごくね?」
「はぐらかさないでくださいよ!」
「はぐらかしてはない。話題を変えただけだ」
「一緒ですよそれ」
とはいえ往来も往来、東京の街中は人が多くその割には面積が小さい。故に邪魔ではあるし腐っても美女なコイツと話す俺の構図が出来上がれば疎ましく思う者も決して少なくはない。
「とりあえずなんだ。近くのカフェ行くか。邪魔だしここ」
「ふーん」
一色がニヤニヤとこちらを見てくる。なんか腹立つなその顔。
「……なんだよ」
「いーえ。別に何にもありませんよーだ」
その態度がなんだか癪に触り、こちらもこちらで意趣返しをしてやろうと画策する。いいぜ、お前がその態度ならこっちだって策がある。
「あーあれか? 声かけただけ? なら帰るわじゃあな」
「待って! ごめんなさい! 本当に! 行きましょ! すぐ行きましょう!」
そう言って一色が俺の腕をがっしり掴む。それはもう、とてつもなく。色んなものが当たってるしいい匂いするしでなんだかそれも腹が立つ。腐っても美女だわ。
意趣返しをしたつもりが思わないところで意趣返し返しをされたような気になり複雑な心境になる。
とは言え誘い出したのはこちらなのだから帰るのは道理にそぐわない。一度言った事はある程度守るで定評のある俺はそのまま大学近くの行きつけのカフェへと歩き出した。
「ねぇ先輩?」
「なんだ」
「今日って何の日か知ってますか〜?」
道中、一色は隣に並んでそう尋ねてきた。
今日は二月十四日。さしもの俺もこの日が何の日か知らないわけではない。中学時代は苦汁を舐めさせられたこの日。
そう、バレンタインデーである。
一般的には世の女性が好いている男性にチョコレートを渡し、想いを伝える日である。最近なんかは親愛や友情を表すものとして義理チョコなるものが存在している。なんなら表面上を繕ったビジネスフレンドとも交換するというのだから薄っぺらな行事も甚だしい。滅べばいいのに。
だからこそ一色に俺は自信を持ってこう答える。
「第一回箱根駅伝が開催された日だろ? 確か大正9年に」
そう、今日は第一回箱根駅伝の日である。箱根駅伝は普通に好きだし、加えて走行ルートのポイントに戸塚という名前もあるしとても好きだ。
チラと横目で一色を見遣るととても引いている。視線の温度も0Kになってる。絶対零度である。あの技中々当たらないんだよな。
「非リアってそういうの詳しいですよね」
「やめろ悪かったから、ちゃんと答えるから」
「最初からそれでいいんですよ。じゃあはい、今日は何の日です?」
「…………バレンタイン」
「うわすっごく嫌な顔しましたね」
「そりゃもう嫌だ。クリスマスの次ぐらいに嫌いだからな」
一色が今度は悲しそうな目でこちらを見ている。やめろ。やめてくれそんな目で俺を見るのは。
「なんだ、まぁ小町からは毎年、もら、え、てる?」
「なんですかその言葉覚えたての機械みたいな発音は」
「いや、そう言えばこっち来てから誰にももらってないなと思って」
「元からじゃ?」
「ばっかお前小町からはずっと貰ってたし高校入ってからは戸塚からも貰ってたわ。あいつ絶対俺のこと好きだよな」
「妹と男友達から貰ったチョコ自慢して楽しいですか?」
「うるせぇ。無駄口叩くなら奢らねぇからな」
「先輩って友達想い妹想いで素敵ですよね」
現金な奴め。金の話になると180°言動を変えやがった。
とはいえもう店の前には着いたのでそそくさと入ることとする。
「え、何これ映える」
一色がカフェの外観を見て思わず2、3枚はパシャリした。どうも最近の子はやれインスタ映えだのが多くて困る。
だがまぁ便乗しないのは失礼にあたるので一応俺も写真を撮っておく。
そうして木製のドアを開ける。
カランコロンとドアベルの音がなり、店内のBGMはアコースティックギターの落ち着く音色。人はちらほらと見受けられるがお昼時を微妙に過ぎてる今は繁盛と言えるほどの人はいない。
「はぇ〜先輩こんなところ知ってるんですね」
一色は古洋風じみたカフェの内装を見てそう言った。
たしかにお洒落ではある。なにせ明治時代後期に創業してからずっとあるらしく、所々にこのカフェの写った褪せた白黒写真も見受けられる。
「二名様で?」
ウェイターの一人がそう尋ねてきた。俺がただ頷くと席を案内される。
対面に座れる場所で、陽の光もちょうどよく差し込む。
ほんのすこしだけ、教室を思い出した。
「で、なんでわざわざ呼び止めたんだよ」
「そりゃ先輩がいたからですよ」
さも当たり前のようにこいつはそう言った。すげぇな、生粋の陽キャは思考回路が違う。
感銘を受けていると一色はでも、と言って続けた。
「先輩だったからっていうのもあるかもですね」
「……はいはい」
少しだけ頬が紅くなるような気がするが、これはこいつのあざとさ由来。言うなれば人工甘味料だ。何言ってるか自分でもわからんが。
「本当ですよ?」
「先輩と話したいなーって思ってたら先輩がそこにいて」
なんなのこいつ? あざとすぎない? 何それ。小町なら愛おしくて抱きしめてる。その後多分怒られるけど。
「まぁだから、世間話、ですかね?」
「語尾をあげるな。俺に聞かれても分からん」
「先輩ですもんねー」
そう言っているうちに先程と同じウェイターがやってきて氷の入った水を二つ机上に慣れた手つきで置いた。
そのまま流れるように注文を尋ねられる。
「俺はブラックと季節のタルトで」
いつもの流れなので普通に答えたのを一色は目を見開いて見ている。多分失礼なことを考えている時の顔のそれだ。
「あ、じゃあ私はラテとガトーショコラで」
そう言うとウェイターが注文を確認して、それに返事をすれば奥の厨房へと歩いていった。
「先輩他の人とも話せるんですね」
「お前は俺を何とお思いで?」
「ぼっち、コミュ障、へたれ、八幡」
「最後のがおかしい」
「ぼっち、コミュ障、へたれ」
「やっぱり全部おかしいにしても?」
「ダメですかねー」
一色はニコニコとそう言った。こいつ笑顔で悪魔みたいなことを言いよる。
それにしても何故だろうか、ひどく懐かしい感覚を思い出した。
度々一色が俺の家に来るとしてもあの日以来そんな感覚はなかったはずだ。雰囲気に絆されているせいなのだろう。らしくないことを考えるのは。
「せんぱい?」
「あ?」
「めちゃくちゃ遠い目してましたよ今」
「あぁ悪い」
「最近何かありました?」
「ある人に度々訪問されては飯を作らされる」
「……誰ですかねー。ってそういうことじゃなく」
「……何もねぇよ」
そうですか、と一色が目線を落として俺に返した。
「ただ、懐かしい気分になっただけだ」
「はい?」
「ほら、生徒会室ではお前がこうやって対面にいて黙々と仕事してたろ? 俺が」
「あぁ、なるほど。なんですかそれ、ロマンチスト? ノスタルジック? アイロニー?」
「最後のは多分違うな」
なんだか横文字を羅列されてあの海浜総合の生徒会長を思い出す。名前はえーと、玉、玉な、多摩川? 多分それだ。
「でも先輩がそう言うこと言い出すの珍しいですね。レアですよ」
「うっせぇ。平塚先生と飲みに行く時はずっとこんなんだわ」
「……あの人まだ結婚してないんですよね」
ちょっと? 本当にあった怖い話をいきなり始めるのやめない? と思ったけれど言葉には出さない。なんだか腹に衝撃が走りそうな気がする。主に外的要因のやつ。
そこまで考えて咳払いをする。一色も触れてはいけなかったようにして少し沈黙が続いた。
「……まぁ、なんだゴーイングマイウェイってやつだ」
「多分、そう、ですよね。あはは」
乾いた笑いが鼓膜を揺らす。あぁ、早く誰か貰ってやってくれ流石に。
そうこうしているとまた仕事の早いウェイター君がこれまた美しい所作で注文の品を持ってきては机上に並べた。
「ふはぁ、美味しそうですねこれ。写真撮りましょう」
「え、なに? 一緒に?」
「もちのろんですよ。ほら、一回撮ったことあるじゃないですかー」
そんなこと忘れてたじゃないですかー。しかも緊張しますよー。
「先輩入って下さいね」
一色はそういうと慣れた手つきでインカメにして画角内に俺と一色とケーキ達を写す。
元JKすげぇやぁ。
一色とは打って変わり、不慣れな手つきでピースをした俺が写り、その横に笑顔の一色も映る。その後にはパシャリと機械音。色合いも光彩もバランスが良く、一色の笑顔がよく映えていた。
なんだか鼓動が早くなるように感じた。
「さ、食べましょうか」
「お、おう」
フォークを手に取り、タルトを一口大に分けて口へと運ぶ。季節のタルトということで上に乗っているのはいちごのようで仄かな酸味とクリームの甘味が良く伝わる。美味い。
「先輩のおいしそうですね」
「お前もこれ頼めばよかったじゃねぇか」
「はぁ、これだから先輩は」
「……なんだよ」
「先輩口開けて下さい」
「は?」
思わぬ提案に素っ頓狂な声が出る。マジで意味がわからん。
「いいから」
とりあえず口を開ける。なんだか給餌を待ってる雛鳥みたいですっげぇ恥ずかしい。と思考が至った時には既に口の中にビターな甘みが広がっていた。
驚いて正面を見遣る。
「……こういうことですよ」
頬赤くすんじゃねぇよ。こっちまで照れるだろ。とはいえ口に入ってきたガトーショコラが美味い。なんだかとっても甘い。
「……俺がこれすんの?」
「だってそうする為にこれ頼みましたから、私」
いじらしくそう言う一色に思わず鼓動が逸る。
ほら、と言って一色に催促される。眼前には口を近付ける一色。あぁもうままよ。
俺はフォークに一口大に切ったタルトを乗せて一色の口へと運ぶ。もうどうにでもなれ。
「……おいひいでふよ」
「食い終わってから喋れよ……」
その後からはただひたすらに恥ずかしく、なにがなんだかよく覚えていない。覚えていることと言えば、俺の頬が熱を帯び、対面に座る一色の頬も紅くなっていたということだけだった。
***
「ふぅ、美味しかったですよ」
「そりゃ良かった」
話しながら夕日の東京を歩く。人々の喧騒も増え始める。その中に紛れるようにして影を並べた。
「それにしても結構高かかったのに、ありがとうございました」
「まぁ俺が誘ったと言えばそうなるからな。気にすんなよ」
「私後輩ですしね」
「図々しいな」
「だって後輩ですし」
一色が胸を張ってそう言った。その後気の抜けたように力を抜いて手を後ろで組んでから俺を見上げた。
「……今年はどんなバレンタインデーでしたか?」
聞いてきたのはそんなことだった。
答えは当然決まっている。
「周りを見てから俺の顔を見ろ」
「嫌いなままなんですよね」
一色は仕方ないように眉を下げて、それと同時ににこりとこちらを見る。
「じゃあ私が先輩のバレンタインデー嫌いが治る薬を処方します」
「薬剤師免許は?」
「持ってないです」
「却下」
「じゃあ服毒させてやりますよ」
怖いことを言う後輩だ。そんな風にして笑ったと思う。
「はい、先輩にあげます」
一色は持っていたコサッシュから小さな箱を取り出して手渡してくる。
それを受け取ると、少しだけ重さを感じる。
察しが良くなったのかなんだか流れからは予想できたが、思ったよりも心が躍り、内心驚いている。
あぁ、俺は
「先輩、それ、本命ですから」
人々の喧騒が遠のく、鼓動の音が耳を支配して、視界は頬を染まる彼女に奪われる。
あぁ、俺は、やっぱり、
「あざとい後輩が好きだ」
震える声でそう言った。一色は豆鉄砲を食らった鳩のようにこちらを見る。その後に破顔して、あどけなく微笑んだ。
「なんですかそれ」
嬉しそうに、目から一条の煌めきを伝わせて、彼女はそう言った。
「私も捻くれてる先輩が大好きですよ」
きっと、俺たちは笑っていた。
やはり、バレンタインデーは憎んでも憎みきれない。
甘々に書いたつもりです。
バレンタインデーに後輩から本命チョコをもらってみたい人生だった