古い建物が軒を連ねる市民街。小高い丘の上にあるこの国の最も重要な施設である城を囲むように街は出来ている。朝は新鮮な野菜や果実、肉や魚が軒先に所狭しと並び朝市では人々の威勢の良い声で賑わっている。そんな人々の間を縫うようにして歩き店で食材を手に入れていく青年がいた。20代前半の青年は人込みを縫うように歩きこの後必要である食材を調達する。
この街で彼を知らない者はいない。
市民街に合わせて着ている服は確かに周りの人々とたいして変わらない。だが明らかに良質な生地に細かな装飾が施された服は素人目に見ても高級品であると言わせている。しかし本人は自分の服が市民街で浮いている事に気づいていないようだった。
身なりも良く、どこか気品も漂わせている彼は、主婦顔負けの値切り交渉術で安価で質の良い物を購入していく。本人は街に溶け込んでいるつもりだが、しかし着ているものが高級な物だとか、時折垣間見る気品の良さはどこかいい家の出のお坊ちゃまではないのかと噂になっていた。そんなギルバートはため息をつくと近くの出店で揚げパンを一つ購入して人気のない建物と建物の隙間に入り込んだ。
あまりに狭く暗いその隙間を誰一人として気にしないからこそ選んだ。
これから出会う少女の為に。
「ったく、いるんだろう?アリス。」
誰もいないはずの空間に向けて、まるでそこに誰かがいるかのように声を掛ける。
「いるよー。」
ギルバード以外に誰もいないはずの空間から声が聞こえた。それもギルバートのはるか頭上から。
顔を上げると建物の窓の僅かな突起物に赤いローブを羽織った白髪の少女が立っていた。紅い瞳をキラキラ輝かせ面白そうにギルバードを見下ろしている。
「呼んだぁー?」
「ずっと俺の後をつけていたくせになんの用だ?」
「あれぇ?ばれてたぁ?まぁいっか。こうして会えたんだし!」
ぴょんっと子猫のように軽やかにギルバードの前に降り立つ。そして何かに気づいたのか形の良い小さな鼻をクンクン動かして満面の笑みを浮かべた。
「揚げパンッ!」
好物のいい香りにつれられギルバードから買い物袋を引ったくり中を覗き込む。そして遠慮という言葉を知らないのか、知っていても気にしていないのか買い物袋の中に手を突っ込み、楽しそうに中を漁る。
「そっちにはない。ほらよ。」
「むぅ、早くくれないと冷めちゃうのに。まぁ揚げパンに免じて許してあげる。」
文句を言いながらも差し出された揚げパンを受け取ると買い物袋をギルバートの腕に押し付けた。そして待ちきれんばかりに紙を破り捨て揚げパンを頬張る。嬉しそうに目を細め小さな口をいっぱい開きかぶりつく。
齧り付いた瞬間口の中に香ばしい香りと油が入り込む。外はサクッと中はふんわりした食感。パンにまぶしてある砂糖と中に入っている新鮮で甘酸っぱいイチジクのジャムの程よい酸味と甘味のバランスが口の中に広がる。
「あのなぁアリス、前にも言ったと思うがこの国でお前、見つかったらやばいことになるって分かってんのか?」
「ぅんっ!」
「一部の組合じゃユーグスタクトの首は賞金物だ。国に差し出せば一生遊んで暮らせる額はもらえるんだぞ?」
「知っているよー。でもただの人間相手にユーグスタクトは捕まらないわ。」
呆れたように話すギルバードを鼻で笑い揚げパンに意識を戻す。
やはり揚げパンは世界で一番美味しい食べ物だ。ジャムを入れたパンを油で揚げ砂糖をまぶすなんて、発明した人の顔を見てみたいと一人満足気に頷く少女。
「だったらさぁ、ギルが私を殺して首を国に持っていけばいいわ。どれくらいのお金になるかなんて人間のお金に興味はないから分かんないけど、今みたいに従者じゃなくて一生遊んで暮らせるじゃないの?」
「おまっ!冗談でもそんなことを言うなっ!!」
慌てて否定してくる姿が面白くクスリと笑う。
「―――ほんと、ギルって優しいねー。初めて会った時からなぁんにも変わらない。そういうところ、好きよ。」
指についた砂糖と油を舐めとり、紙をくしゃくしゃに丸め空中に投げ捨てる。紙くずは綺麗な放物線を描き地面に落ちる直前に激しく燃え炭となって跡形もなくなった。
「うんっ、やっぱり美味しかったわ。人間の食べ物なんて口にする価値なんかないって思っていたけど揚げパンだけは別ね。美味しいわ。」
パンパンと手を叩き、満足したのか頷きフードを被る。
「ギルはこれからお仕事なの?」
「あぁ」
「そう、もうちょっと遊ぼうと思ったけど仕事ならしかたないかぁ。じゃあまたいつか会おうね。」
「あ、ちょっと待て!」
「――――なによ。」
立ち去ろうとした所を呼び止められ面倒くさそうに振り返る。
「今度はどこに行くんだ?」
「私が何処に行くかなんて、ギルが知る必要、あるの?」
すっと紅い瞳を細める少女。見た目は自分よりもかなり幼いが、それでもただ睨まれただけのはずなのに蛇に睨まれたネズミのような威圧感を覚え恐怖で身体が動かなくなる。そして少しでも動けばその場で殺されるような錯覚にまで陥る。
「勘違いしないでよね。私はギルで遊ぶのが楽しいから一緒にいてあげているだけなの。それ以上私に関わろうとするなら例えギルでも殺しちゃうよ?」
気分を害されたのか先程の少女らしい華やかな顔とは全く違う顔を、人間の命なんて全く興味がなさそうなユーグスタクトの本来の顔をする。
その顔を見てギルバードは思い出した。姿は幼い少女そのものだがコレは、この少女の姿をしたコレは紛れもない化け物だった事に。気まぐれで街を破壊し、息をするかのように破壊や殺戮をすることが出来る化け物。人間の命なんて欠片ほども気に留めていない相手に魔法の一つも使えないようなただの人間が対処出来る生き物ではない。
冷や汗が背中を伝い、足が震えそうになるのを必死で抑える。そんなギルバードの様子が面白いのかコロリと表情と雰囲気を変えクスリといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「あはは、ギルっておっもしろーい!この程度でそんなに怯えちゃって、可愛い所もあるのね。いいわ、揚げパンに免じて今日は特別に教えてあげるから光栄に思いなさい。今日はね、東に行くの。そこから欠片の気配がするの…この国の御子に壊されたママの魂は絶対にそこにある。間違いないの。」
「そ、そうか。気をつけろよ…」
「うん!バイバイ、ギル!」
アストリッドはまた表情を変え今度は無邪気に笑いながら軽く手を振り軽快なステップを踏むように建物の壁と壁を蹴り上げ屋根の影に消えた。ようやく殺気めいたものから解放され肩の力を抜く。
「――――たく・・・自分がユーグスタクトだって自覚していんのか?あいつは…」
自分より幼いとはいえ相手は魔女。魔女の気分次第で非力な人間は一瞬で跡形もなく消されてしまう。再びため息をつきポケットに入れていた懐中時計の時間を見る。
「って、いけね!遅刻する!」
会う予定のなかった少女との出会いのせいで時間がだいぶ押してしまったらしい。買い物袋を持ち直し走って表に出て混雑する人込みを掻き分け走る。人の波をかき分け走るギルバードを人々が迷惑そうに見てくるが関係ない。職場に遅刻すれば周りから小言や嫌味を言われるのは分かりきっている。
幸い職場に遅刻をするという大失態は犯さずにすんだが走っていた為、買い物袋の中身がかき混ぜられてぐちゃぐちゃとなりその原因を作った白い少女を恨んだのは別のお話し。
ギルバードの朝は主である少女を起こすところから始まる。閉じられたカーテンを全開にして部屋の中に朝日を取り込む。朝が苦手なのか少女は不満そうな抗議の声をあげながら寝台から身を起こした。
「おはよう、ステフ。」
「…おはようございます、誰かさんに起こされるまでは素敵な時間を過ごしていましたわ…」
「そうか」
15歳ほどの少女は可愛いらしく小さなあくびをすると化粧台を指差した。
「髪を梳いてくださいますか?」
「はい。」
慣れた手つきで主であるステファニーの繊細な金色の髪に櫛を通していく。櫛を通す必要なんてないのではというほど柔らかく絹のようにサラサラとした金色の髪が背中に垂れている。
「また揚げパンを買いましたね?そういう偏った食事ばりでは身体を壊してしまいますわよ?」
「確かにそうだな。以後気を付けるとしよう。」
「そうしてください。でも今日は食べていませんね?あなたが以前お話してくださったアリスさんという方にお会いになったのですか?」
「そうだ。まぁ、すぐに別れたがな。」
「そうですか。一度でいいからお会いしてみたいですわね、とても素敵な方なのでしょう。」
まだ見ぬ少女の顔を思い浮かべているのかうっとりと目を細める。
「―――前も言ったがそれだけはやめとけ。あいつはやんちゃすぎる、貴女の手には負えない…終わったぞ。」
そもそも相手は魔女の中でも最高位の存在。そんなユーグスタクトにとって御子は自身を破壊できる敵。お互い嫌悪する存在同士を引き合わせたら城が吹き飛ぶだけで済むはずがない。無理やり話を終わらせ櫛を片付ける。
「ギルバード、今日の予定はなにかしら?」
「午前午後ともに王族会議が入っています。」
「あらまぁ今日は退屈な日になりそうですわね。どうせ飾り物として扱われるのは目に見えていますのに…他にはなにかありますか?」
「別件でユーグスタクトが東に向かいました。」
「東…となると目的地はアルトですわね。あそこにはユーグスタクトの魂の欠片が保管されていますから目的はそれでしょう―――動いている者は?」
「市民街の組合数団体と王族管轄の遊撃隊、それと煉獄部隊が独自に向かいました。」
「あらあら、煉獄部隊まで出るとは随分物騒になったものですね。」
「相手はあのユーグスタクトだ。遊撃隊程度でどうにかできていたらこの国に組合も煉獄部隊も必要なくなるな。」
「確かにそうですね。わかりました、午後の会議で報告でも聞きましょう。」
ステファニーはようやく寝台から下りると部屋の隅に待機させておいた淑女に声をかけ部屋を出る。取り残されたギルバードは会議の準備をするため足早に部屋を去った。