目を覚ますと、知らない天井が見えた。
どうやらあたしはどこかのお部屋のベッドの上にいるらしい。不思議に思って辺りを見回すと、もっと不思議なことに、動物のコスプレをした女の子が横で眠っていたのだった。
なんだかふわふわでもこもこな印象を受ける女の子である。着ている服はなんだか制服のようであるけれど、こんな制服の学校があるのかはよく分からない。
それにしても、この耳と尻尾はよく出来ている。女の子の寝息に合わせてぴこぴこと動く様子はまるで本物のワンちゃんのようである。
「ちょっとだけなら触ってみてもいいよね……?」
おそるおそる女の子が付けている尻尾を触ってみる。なめらなか毛並みと手触り、芯の通り方やその温もりまでまさしく本物のそれと全く遜色がない。
あまりのリアルさに驚いていると、女の子が「うぅん、やぁっ……!」と何だか色っぽい寝言を立てているのに気が付いて思わず手を放す。目の前の女の子にとても申し訳ない思いを抱いていると、お部屋の中央にあるテーブルの上に、何やら青いバッグが置いてあることに気が付いた。
この子の持ち物なのだろうか? 勝手に中身を見る訳にはいかないけど、せめて名前くらいは知っておきたいなと思った。
バッグの表には特に名前らしき表記は見当たらない。後ろを見てみてもそれは同じだった。
仕方がない、やっぱりこの子を起こして事情を聞くしかなみたい。そう思いバッグをテーブルの上に戻す。
そして改めてベッドの上の女の子の方を向いた時に、どさり、と何かが床に落ちる音が聞こえた。
慌てて振り返りテーブルの上を見ると、さっき置いた筈のバッグがない。それはやはり、床の上に落ちてしまっていた。
あたしの置き方が悪かったせいだろう。急いで元の位置に戻してから、真っ先に女の子に謝らなくちゃ! そう思い床に落ちたバッグに手を伸ばした時、バッグのチャックが開いて中から何かがはみ出しているのに気が付く。
それは何か大きな本のようなものだった。はみ出した部分から僅かにタイトルらしき文字が窺える。
「なんだろう? ア・デイ……?」
その文字は英語で書かれていることもあり、はっきりとは判読できなかった。もう少し真面目に勉強しておけば良かったなぁと後悔してしまう。
昔から勉強は苦手であり、暇さえあればあたしはいつも──なんだっけ?
あたしは、昔から、何をしていたんだっけ?
あれ、ちょっと待って、そもそもあたしって、何て言う名前──
「あーーーーーっ!!!」
背後から聞こえた大きな声であたしの考えは一時中断される。ゆっくりと振り向くと、先程までベッドの上で眠っていた女の子が、あたしを見てとっても驚いたような顔をしていた。
ぽかんと開いた小さなお口からは、可愛らしいちょこんとした犬歯がちらりと覗いている。眉の形から少しつんとした印象を受ける大きな瞳は、左右の色がそれぞれ違っていた。所謂オッドアイというものだろう。改めてしっかりと見ると、すっごくきれいで可愛いい子だなぁ──って見とれている場合じゃあない!
「あー、どうも。おはよう? こんにちは? こんばんわ……は違うよね明るいし」
あたしがテンパった挙げ句にトンチンカンな挨拶をかわしたところ、目の前の女の子は途端に涙目になる。まずい、あたしがバッグを落としてしまったところを見ていたのかもしれない。この子の大切な物に傷をつけてしまったことで、この子を悲しませてしまったのかもしれない。
「あの、ごめんなさ「良かったぁーーーーっ!!!」
あたしが言い終わるよりも先に女の子は私に飛び付いてきた。そのまま押し倒され床に頭を打ち付ける。幸いカーペットが引いてあったので大したことはなかったけれど、頭がヒリヒリ痛む。でもそれ以上に、目の前の女の子がさかんに顔を舐めてくるのが恥ずかしくて仕方がない!
「レロレロレロレロレロ……ああ良かった! もう丸一日眠り続けていたから、このまま目が覚めないんじゃないかって、とってもとっても心配立ったんですぅ! レロレロレロレロ」
「ちょっ! ダメだって! 舐めるのはまずいよ!」
「そんなことないですぅ! こうやっていつまでも舐めていられますゥ!! レロレロレロレロレロレロレロレロ」
「うわっぷ! 待って! ステイ!!」
「はいッ!」
「はぁッはぁッ、分かってくれて嬉しいよ……!」
「ハッ! ご、ごめんなさい! ヒトと会うのは本当に本当に久しぶりで、私はイエイヌのフレンズだからその、顔をねっとりと舐め回す本能の抑えが効かなくなってしまってて、あぅぅぅ……。これ、どうぞ……」
申し訳なさそうに女の子が渡してくれたハンカチでべたべたになった顔を拭く。
理性を取り戻したらしい彼女は、そのまま真っ赤になってうつ向いてしまった。
付けている耳も尻尾をしゅんと垂れ下がってしまっていて、顔を舐め回されたのも相まって、この子は本当にワンちゃんなんじゃあないかという気がしてしまう。
でもまさか、そんなことはあり得ないよね。ファンタジーやメルヘンじゃあないんだから。
「そんなに気を落とさなくても大丈夫だよ! 確かに最初はびっくりしたけど、嫌でたまらないって訳じゃなかったし」
「じゃあ! また舐めてもいいでしょうか!?」
「うーん、今は遠慮しておこうかな。あなたに色々と聞きたいことがあるからね」
「あ、はい。私に答えられることなら何でもお答えしますっ!」
「ありがとうね。じゃあまず……あたしは誰なの? あたしはこんな所で何をしているの?」
「……え?」
すっかり元気を取り戻したらしい女の子に、あたしは今一番疑問に思っていることを正直に伝えてみたのだけれども、あたしの質問を受けた彼女は、再び沈黙してしまったのだった。
☆
そもそもの始まりは、空から落ちてきた星の欠片だという。ひょっとすると、まだヒトも動物もいなかった程の遠い昔にそれはやってきたのかもしれない。
そして更に長い時間が経って、その星の欠片の中に眠っていた不思議なパワーはある日突然目覚めた。
「サンドスター」と呼ばれるその物質は、自然の常識を超える沢山の奇跡を人々にもたらした。その中でも一際特別な奇跡は、「人と動物が友達になれる」というものだった。サンドスターは動物に人と同じ姿と知識を与え、両者が共に暮らせるようにしてくれたのだ。
かつてそんな奇跡が起きた島に作られたのが、大規模複合型動物園─ジャパリパーク─。動物の保護とふれあいを目的として作られたこの施設に、再び星の奇跡が降りかかった。多くの動物達が、人と同じように話すことができるアニマルガールズとなり、また新しい人と動物の歴史が紡がれ始めた──
「これが私が聞いているこの場所、ジャパリパークの成り立ちです。長い間このジャパリパークは人と動物達が共に暮らす素晴らしい場所だったそうです。でも、今は……」
「人はパークからいなくなって、あなた達のようなフレンズだけが暮らしている、ってことなんだね」
「はい……だから、どうして人であるあなたがパークにいたのか、どうして記憶を失っているのか。私には分からないんです、ごめんなさい」
「そんな、謝る必要なんてないよ。むしろあなたは一人で眠っていたあたしを見付けてくれたんだよ? お礼を言うのはこっちの方だよっ!」
「くすっ、そう言ってもらえると本当に嬉しいです」
柔らかく微笑んだ彼女を見て、あたしの不安もなんだか共に安らいでいく。まだ自分のことが何一つ思い出せないという状況なのだけれど、目が覚めて一番最初に出会えたのがこの子であたしは本当に幸運だったと思う。
疲れた身体もすり減った心も、この子の笑顔を見ていると全部吹き飛んでしまうんじゃないかなぁ。
そういえばこの子はイエイヌのフレンズだと言っていた。昔もきっと、その笑顔でたくさんの人々を癒していたんだろうね。
「そういえばまだあたし、あなたのお名前を聞いていなかったね。あなたは、何て言うお名前なの?」
「あ、私はそのままイエイヌです。フレンズの皆さんはだいたい元の動物の名前をそのまま自分の名前にしているんです。たまに違う方もいますけど」
「そっか、じゃあよろしくね。イエイヌちゃん!」
「はいっ! よろしくお願いします! ……えっと、私はあなたをどう呼べば……?」
「……あちゃあ、そうだったね」
さすがに名無しのままではあたしも辛い。かといって、適当な名前をつけてしまうというのもどうなんだろうか?
一応フレンズ式につけるなら、人だから「ヒトちゃん」とか?
うーん、何かしっくりこないなぁ……
「あの、もしかしたらあの荷物の中に何か手掛かりになるものが入っているかもしれません」
そう言ってイエイヌちゃんはテーブルの上に置かれているバッグを指差した。
「えっ? あれってイエイヌちゃんの持ち物じゃあないの?」
「あれはあなたを見付けた時に、あなたの眠っていた機械の中に一緒に入っていたものです。だから多分あなたの持ち物なんだと思いますけど、私は中を見ていないからはっきりとは……」
「じゃあ、開けて中身を見てみようか? 何が入っているのかすごく気になるし」
テーブルまで歩み寄りバッグのチャックに手を掛ける。何が入っているのかドキドキしているせいなのか、チャックを開ける手にうまく力が入らない。
この中にあたしの正体の手掛かりになるものが入っているのだろうか?
仮にそうだとして、一体何が入っているのだろう?
期待と少しの不安を伴いながら、あたしは一気に残りのチャックを開けた。
「タオルにハンカチに、空の水筒……白紙のメモ帳に筆記具まであるね。探検に出掛けにいく為に今すぐ準備したぜって感じだなぁ」
中身を一つ一つ取り出して確認していく。けれども、出てくるのはごくごくありふれたものばかり。それでもそれらのどれか一つに名前でも書いてないかと期待したけれど、空振りに終わる。
「これは地図、でしょうか? このちほーの大まかな見取り図になっていますね。それとこっちは図鑑ですね。色々な動物のことが書いてあります」
「ねぇイエイヌちゃん、その図鑑のタイトルってなぁに?」
「えっと、『ジャパリパーク公認 フレンズ&動物パーフェクトガイド改訂版』ですね。いつの日にか人のお役に立てるように私、ずっと文字を読めるよう練習していたんですっ! でも、どうしてタイトルが気になったんですか?」
「うん、ちょっとね」
あの、妙なタイトルの刻まれた大きな本のようなものがどこにも見当たらなかったのが気になった。
あたしは勿論取り出してなんかいないし、イエイヌちゃんがそんなことをする理由もない。第一、今まで一番バッグに近かったのもそれを最初に開けたのもあたしであり、そんな状況で彼女が本を隠すのは物理的に不可能だ。
それに、イエイヌちゃんを疑うだなんて絶対にありえない。
やっぱり、あたしのしょうがない見間違いだったんだろう。
結局、バッグの中身はあらかた全部出し終えたけれど、手掛かりになりそうなものは何もなかったのだ。
「……どうしたんですか? そんなに、難しい顔をして」
「あはは、結局何も手掛かりが見付からなかったな、って。ここまでイエイヌちゃんが手伝ってくれたのに、あたしは、自分の問題を何一つ解決できてないのが、情けなくなっちゃってさ……」
期待を削がれたことで残された不安だけが急速に頭の中に広がっていく。
これからどうなるのだろうという不安に、イエイヌちゃんへの申し訳なさに、自分が何者なのか分からないという恐怖。色んな感情があたしの中で渦巻いていき、訳が分からなくなる。
嫌なことなんて気にしていないつもりだったけれど、今ここになって、それが溢れだしてきたんだろう。
気が付くと、一言一言絞り出す内に、涙がぽろりぽろりと零れ落ちていた。
「っ、ごめんね。辛気くさいこと言っちゃって! 今、泣き止むからさ!」
必死になって涙を拭おうとするあたしを、イエイヌちゃんは無言で抱き締めてくれた。
「大丈夫です。泣いてもいいんですよ」と励ましながら、優しく頭を撫でてくれている。
「今は何も手掛かりがなかったとしても、知ろうとすることを諦めなければきっと前に進むことが出来ますよ。それに、私はイエイヌのフレンズですから、人であるあなたが困っているならばいつまでも全力で力を貸します! だから、心配しなくても大丈夫です。あなたは、一人じゃありません」
なんだかとっても心が落ち着く声だった。
覚えてないけれど、多分、おかあさんに慰められるっていうのは、こういう感じなんだろう。
「ごめん、もう少し、こうしててもいい? 泣いても、いいかな?」
「もちろんですよ」
そうして暫く、あたしは泣き続けた。
今まで溜まっていたものを全て吐き出してしまうみたいに。
その間、イエイヌちゃんはずっとあたしの側にいてくれた。何も言わずに、ただ抱き締めてくれていた。
それが──本当に嬉しかった。
☆
「うん、もう大丈夫。落ち着いた」
「本当にいいんですか? なんならもう少し抱き着いていても……」
「え? 何か言った?」
「いえっ! 何でもないですっ!」
どのくらい泣いていたんだろうか。すっかり赤くなったあたしの目を見てイエイヌちゃんが「少し顔を洗ってきた方がいいですよ。涙と鼻水で色々と凄いことになってますから……」というので洗面所へと向かう。
鏡を見た瞬間、確かにこれはひどいなと妙に冷めた感覚を持ちながら、あたしは顔をすすいだ。
顔を洗いながらゆっくりと考える。結局あたしは何者なのか。どうして一人でパークに残されていたのか。他にも誰か同じような人はいるのか。これからどうするのか。
色んな事を一気に頭の中で巡らせて、深く深く考えてから、結論付ける。
──まずは、何かを食べることにしよう。
鏡に凛とした顔で向き直るのと、空腹を訴える腹の虫の音が鳴ったのは、ほぼ同時のことだった。
★
洗面所で彼女が顔を洗っている間、イエイヌはキッチンで今晩の夕食の事を考えていた。
火が苦手であるイエイヌであるが、この家はそんなフレンズ達の為に電磁調理器具が完備されており、知識さえあれば誰でも料理を行うことが可能になっている。
「今日はとってもおめでたい日ですから、何か料理を作りたいところなんですけど、材料を切らしてしまっていますね……」
文字を勉強した時のように、いつか人の役に立てる為に色々と料理を習得していたイエイヌであったが、食材が傷みやすいこの時期はついつい食事をジャパリまんで済ませていた為に、材料切れになっていたことを忘れていた。
かといってこの時間では材料の補給に出向こうにも間に合わないので、どうしたものかと頭を悩ませる。
「うーん、やはり今日はジャパリまんで夕食を済ませるしかなさそうですね。その分、明日の夕食は美味しいものを沢山作ることにしましょう!」
そうして備蓄してあったジャパリまんを取り出そうとして、急に視界がぐらりと揺らぐ奇妙な感覚がイエイヌを襲う。
──あれ?
ふらついた足取りを修正しようとするも、身体に力が入らずその場にへたりこんでしまう。
体から沸き上がるようにして熱が高まり、全身に冷や汗が流れ出す。
頭に鈍い痛みが走り思考を維持していられない。
激しい熱さの中で朦朧としていく意識の中で、彼女はどんな味のジャパリまんなら一番喜んでくれるでしょうか、とイエイヌは考える。
イエイヌがその場に倒れるのと、玄関の扉が静かに開いたのはほぼ同時のことだった。
○不思議な力
通常フレンズは元々の動物の特性が強化され、一種の得意技のような物を有していることが少なくない。またセルリアンとの戦闘においては「野生解放」というサンドスターの力を消費してその特性を更に引き出すことが出来る。これらの力はすべて、サンドスターの恩恵だと言われている。
しかし、中にはそれらとは完全に異なった力を持つフレンズたちが存在しているらしい。元々の動物の特性に縛られないまったく未知の能力とは、一体どんなものなのだろう。
是非ともそんな力を持ったフレンズ達を取材してみたいものだが、残念なことに彼女達の特別な力を認識できるのは、同じく特別な力を有しているものだけらしい。
これもやはり、ジャパリ七不思議の一つとして最近有名になっているそうだ。
そういえばこの不思議な力には何か固有の呼び名があるそうなのだが、インタビュー対象のフレンズの誰もが思い思いの言葉を並べ立てたため結局どれが本当の呼び名なのかは分からなかった。
――タイリクオオカミのネタ帳より抜粋