けものフレンズR 星色の記憶   作:檻人

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もう少し投稿ペース上げないとまずいですね……これはまずい……


デイ・トゥ・リメンバー その③

「際限なく拡散するテープッ! 湯気が付着し水滴となった箇所を覆いながら確実にあたしの方へと近付いて来ている! だけど、少し勝負を焦りすぎたみたいだね。これであたしはもう100%決定的にッ あなたを見付けられるようになったッ!」

 

 鍋を起点として広がる湯気と、それを追うようにして這い広がっていくテープ。この無敵とも思える布陣であるが、その規模の大きさ故だろう。今まで気が付かなかったとある事実があたしの目の前に表れていた。

 そう、これこそがあたしが笑みを浮かべた訳の一つ──

 

「あなたのテープは『一本』だけだッ! どれだけ沢山広がろうと! どれだけ遠くまで伸びて行こうとッ! 少なくとも今伸びているテープは一本だけなんだッ! それをあなたは図らずもあたしに教えてくれたみたいだねッ!」

 

 キッチンを封鎖し、リビングへと広がりつつある湯気とテープ。しかし、湯気による水滴の付着の進行と比べて明らかに、テープによる封鎖の速度は追い付いていない。

 キッチンカウンターに隣接するリビングの壁。その左右どちらも湯気による水滴に覆われているのに、テープの侵食が広がっているのはあたしから見て右側の壁だけであった。そして壁を這うようにして動くテープも、一つだけしか確認できない。

 これがもし、複数のテープにより行われる封鎖であったならば、とっくにあたしのいるリビングの中央まで到達していただろう。しかし現状は、廊下へと続く扉を今やっと封鎖し終えたところであった。

 

「それはつまり、リビングの完全封鎖が完了するまでにはまだ時間があるということッ! そしてあたしは既にッ あなたの居場所の見当をつけているッ!!」

 

 最初のきっかけは、不自然な場所に落ちていた「埃」であった。

 丁寧に掃除されている部屋に落ちていた、ある筈のない埃。あの誠実そうな(実際そうなんだけど)イエイヌちゃんが、あんな大きな汚れを見逃してしまう可能性はまずあり得ない。ならば一体埃はどこから来たのか。

 一つだけ思い当たる場所があった。

 掃除する際に、簡単には取り除けず、それ故に一番埃が溜まりやすくなってしまう場所。この部屋に実は沢山あった、そんな条件を満たす場所。

 それは──

 

「家具と壁の隙間、あるいは家具と家具の隙間! あなたはそこに隠れ、移動していたんだッ!」

 

 普通はありえない、ブッ飛んだ発想。だけどイエイヌちゃんから聞いていた「フレンズは元の動物としての特技を残したまま人の姿を持てる」という情報が頭の隅に浮かんだからこそ、あたしはこの可能性に至ったのだ。

 元の動物がとても小さな、隠れるのがとても得意な子だったならば、フレンズになってもその特技を強化して有しているのではないかと。それこそ、ほんの数センチ程の隙間を移動できてしまう程に。

 しかしこれは同時に、あたしにとって非常に不都合な事実でもあった。あたしの腕力では重い家具を動かしてその隙間に隠れているこの子を見付けることは出来ないのだ。全力で力を込めてやっと少し引き摺ったところで、既にこの子は別の場所へ移動してしまうし、あたし自身がテープに絡め取られるのがオチである。

 正直、当初の状態のまま持久戦を続けられていたらあたしに勝ち目は無かっただろう。

 そう、当初の状態のままだったならば──これが笑みの、最後の理由。

 

「けれど、今は違う。あなたがテープを部屋中に広げて真っ先に、あたしの逃げ道を封じてくれたから。このリビングとキッチンを、奥の部屋へと続く廊下から『隔離』してくれたから、イエイヌちゃんの安全が確保されたから、あたしは思う存分『奥の手』を使えるよ。まぁ部屋は滅茶苦茶になっちゃうんだけど……」

 

 バットの件は未遂で済んだけれど、これは確実にイエイヌちゃんの逆鱗に触れてしまうだろう。もしかしたら、本気で嫌われてしまうかもしれない。

 

「その時は本気で謝らなきゃね。そして、あなたにもお部屋の片付けを手伝ってもらうよっ!!」

 

「『デイ・トゥ・リメンバー』は既に、仕上がっているッ!!! あなたが水をゆっくりと『忍び寄るように静かに』使うというんなら、あたしはもっとド派手に使わせてもらうよ!!!」

 

 ページが光ったと同時に、リビングの壁という壁から水が勢いよく溢れ出した。鍋からの湯気とは比較にならないレベルで部屋はあっという間に水浸しになっていく。

 そして、壁と家具に挟まれ圧縮を受けた水は、その隙間という隙間から噴水の如く水を吹き出して隙間を徹底的に洗い流し始めた。

 ──あたしが描いたのはこのおうちのリビングの光景。ただし、流れるプールのように水が壁から流れ出しているという粋な創意工夫が施されている意欲作だ。

 

「うーん……描いてる分には楽しいんだけど、いざそれが現実になっちゃうと結構怖いね。このスケッチブック、使う時は気を付けないと……」

 

 あたしは足とスケッチブックが濡れないようにテーブルの上へと避難して、膝を抱えながらことの成り行きを見守ることにした。

 

「きゃあああああああぁぁぁ────ッ!!!」

 

 やがて悲鳴と共に、水の流れが集まる部屋の中央、つまりあたしの目の前に一人の女の子が仰向けの姿勢で流されてきた。やっぱり、どこかの隙間から洗い流されて来たんだろう。

 

「初めまして……ようやく会えたね」

 

 うん、この子にもしっぽが付いているし、予想通りフレンズさんなのには間違いないみたい。でもイエイヌちゃんのとはしっぽの質感も違うしお耳もついていない。

 身長は、多分あたしより少し小さいくらいなのかな? 殆んど変わらないくらいだと思う。

 ずぶ濡れになった彼女の衣服は、半袖のカッターシャツと長いでも短いでもない普通くらいの丈のスカートと合わせて、純朴な女学生のような印象を受ける。ただ、シャツの上に羽織ったフード付きのマントのようなものがとても印象的だ。薄いクリーム色のシャツに対して、スカートとマントはやや濃い砂色で迷彩柄の模様が織り込まれている。蝶々のデザインが入ったネクタイもとっても可愛らしい。

 でも一番目を引いたのはそのフードに何やら目のようなものが付いていたことだ。

 イエイヌちゃんに犬のお耳が付いていたように、この子のこの目も元になった動物の姿を幾らか反映した故のものなのだろうか? 

 

「というか、さっきからぴくりともしないけど、大丈夫かな……? まさか流される途中で頭を打っちゃったとか!?」

 

 怪我を確認しようにも、彼女はフードを目深に被っていて頭の状態どころかお顔もよく窺えない。仕方がないので、フードを脱がして確認させて貰うしかなさそうだ。

 テーブルから降りて彼女の側に駆け寄る。壁の滝は落ち着いたものの、まだ具現化した水までは消えておらず、ぴちゃりと足の裏に冷たい感覚が走った。

 床には水が溜まっている。ほんの数センチ程の水溜まりだとしても、このままだと溺れちゃうかもしれない。早いとこ介抱してあげないとね。事情を聞くのはそれからにしよう。

 彼女のフードに手を掛け、頭の怪我の様子を探ろうとする。

 

 ──瞬間

 

 彼女のフードについている大きな目のような模様。フードへと視線を向けた際にちらりと見えたその模様は、ぎょろりと瞳を動かしてあたしの方へと向け、ぱちりと瞬きをした。

 目が合う。

 

 ぱしゃり

 

 あたしの一瞬の隙を見逃さず、彼女のしっぽが水を撥ね飛ばし、あたしは思わず手でそれを防いだ。防いだ右手が水を浴びて濡れている。

 いや、水だけではない。あたしの右手に、あのテープが巻き付いている。

 そのテープは、目の前の少女の手の中から伸びていた。

 そして彼女はテープを強く、握り締める。

 

「……え? し、しまったッ! うわぁッ!?」

 

 そのまま勢いよく床へと引き倒され全身に水を浴びる。

 右手に巻き付いたテープはあたしの全身が濡れるのと同時に、あっという間にあたしの全身をぐるぐる巻きにしてしまう。体は指一本どころか、瞬きする力すら受け付けず、完全に固定されてしまったのだ。

 

「……確かに、広い部屋を覆おうとすると遅くなるってのは弱点だと言えるよね。わたしの『アローン・イン・ア・ルーム』は元々パワフルなタイプのスタンドじゃあないから、それだけのパワーを出す分には、どうしてもスピードを犠牲にしなくちゃいけないもの。まさか閉じ込める力の方を甘くする訳にもいかないしね」

 

 あたしの目の前で倒れていた少女はゆっくりと上体を起こして立ち上がる。

 その手にはあのテープ、そして、何か四角形の箱のようなものが握られていた。どうやらテープはあの箱の中から引き出されていたということらしい。

 あの箱とテープがこの子のスタンド? と言う能力なのだろうか。

 あたしの不思議なスケッチブックも、もしかして同じようなものなの? 

 少女はそのまま、今度は逆に床に倒れているあたしを見下ろしながら語りかける。

 

「でも、そんなの最初から知ってたよ。自分自身のスタンドのことなんだから、知ってない方がおかしいよね。それでも敢えて部屋を覆う手段を取ったのは、あなたのスタンドにまさかあの状況を切り抜けられる程の力があるとは思わなかったからだよ。今みたいに、面と向かって直で巻き付けてればすぐに済んだことなんだけど、用心して姿を見せないようにあの方法を選んだ。でも失敗だったな……せっかく雨に濡れないようにと努力したのに、こんなずぶ濡れになるなんて……それに結局は見付かっちゃたし……」

 

「わたしっていつもそう……何をするにしてもいつもろくでもない結果にばかりなっちゃう……。今回のことだって、ただ間借りするのに良さそうな棲み家の下見に来ただけだったのに……こんな大事をしでかしてしまうなんて……」

 

「やっぱりもっと用心しとかなきゃいかなかったんだ……そうしておけば、この人たちにも迷惑なんか掛けずに済んだのに……わたしが用心をしていれば……」

 

 段々と少女の声が涙声になっていく。

 どうやらこの子は、とても用心深い性格をしているようだ。しかしあまりにもそれが行き過ぎて、脅迫的になってしまっているらしい。

 そうだ、そもそも倒れたイエイヌちゃんを奥の部屋のベッドに運んだり、口をテープに塞がれている今のあたしが呼吸出来ていることからしてそうなのだ。

 この子は元から、誰も本気で傷付けようとはしていなかったのではないのか? 

 本当はこんな手荒な手段なんて取りたくはなかったのではないのか? 

 それなのに、どんどん自分から自分を追い詰めていってしまったのではないのか? 

 

 ──あなたは、ただ、怖かっただけなんじゃないのかな? 

 

 彼女にそう問い掛けようとするも、テープで塞がれた口は息こそできるけれど言葉までは発することはできない。なんとか力を込めて口元のテープだけでもずらそうとしたものの、全く叶わなかった。

 

「むぐぐ! うむーッ!!!」

 

「あぁ、心配しなくても大丈夫。もう雨も止む頃だろうし、このまま奥の部屋にいるイヌ科のお友達の所に運んであげる。わたしがここから出ていけばそのテープも解除されるから。安心して、もう乱暴なことは絶対にしないから……」

 

 違う! そうじゃない! 

 今ここでこの子とお話し出来なかったなら、彼女はもう二度とあたしの前に姿を見せることは無いと確信できる。

 それだけでなく、誰かを攻撃してしまったという負い目からますます彼女の不安は高まり、これまで以上に苦しむことになってしまうかもしれない。

 今ここで、この子を行かせちゃダメなんだ! 

 

「うごごごごご!! ふんが────ッ!!!」

 

「ダメだよそんなに暴れちゃ……! 一度固定されてしまったなら、わたしのスタンドの束縛からは決して逃れることはできないの。逆にあなたが怪我をしちゃうよ……!?」

 

 彼女の言う通り、無理な姿勢で暴れまわった為に身体中に変な負荷がかかり軋むような痛みが走る。

 それでもあたしは諦めたくなかった。この子とどうにかしてお友達になることを。

 というよりも、この子の悲しみをここで見て見ぬふりをすることを、あたしはしたくなかったんだ。

 

「むぐぅあ────ッ!!!!!」

 

 渾身の力を込めて身体をバタつかせる。実際にはテープに固定されているので、僅かに床の上を転がる程度の力しか出せていないだろう。残りの力の殆んどはテープの内側にいるあたしの方へと痛みとして返ってくる。

 全身の関節が、骨が悲鳴を上げる。筋肉にビリビリと電流でも流されているかのような刺激が起こる。

 痛い。とても痛い。

 でも、あたしにとってはこんな身体の痛みよりも、目の前で悲しんでいる女の子になにもしてあげられないことの方がずっと苦しい。

 だから、これから行うことに一つも後悔なんてない。

 覚悟はもう、出来ている。

 

「ぬぅぅぅ、うっがぁぁぁ────ッ!!!!!」

 

 身体がバラバラになるんじゃあないかって思うくらいの激痛と引き換えに、あたしは漸く動くことが出来た。

 床を転がり、水を掻き分け、すぐ側のテーブルの足へと思い切り激突する。

 

 ドシン! 

 

 その衝撃はテーブルへと伝わる正の方向だけではない。あたしへと伝わる筈の反動も、テープに覆われている故に更にテーブルへと跳ね返される。

 テーブルの足は本来ありえない「二重の衝突」を受けて大きく揺らいだ。接地面となっている床が水に濡れ滑りやすくなっていたことも、それに拍車を掛けたのだろう。

 その揺れにより、上に置かれていたあのスケッチブックがテーブルの縁へと揺り動かされる。半分はテーブルの上に、そしてもう半分は支えのない空中へと浮かんでいる。

 

「ぐふっ……!」

 

 けれどあたしの方も無事ではなかった。激突の衝撃はテープによりテーブルへと受け流されたものの、その内側、体内で起こったエネルギーも代わりに外へ放出されずに身体の中を縦横無尽に駆け巡り筋肉や内臓にダメージを与えるのだ。

 喉の奥から鈍い鉄の味が広がってくる。

 

「止めてッ! そんなに暴れてしまったらあなたの身体が持たないッ! 箱に入れた豆腐みたいに中身がぐちゃぐちゃになって潰れてしまうッ! 今すぐテープを剥がしてあげるから大人しくしてぇ────ッ!!!」

 

 少女が血相を変えてあたしへと向かってくる。いや、そうに違いないだろう。相変わらずフードを深く被っているから表情は分からないのだけれども、この子は優しい子だから、今のあたしの行動に危険を感じて必死に止めようとしてくれているのだ。

 

 ──やっぱりあなたは、悪い子なんかじゃあないよ。

 だからこそあたしも、あなたの優しさに報いないといけないね。

 

 ドシン! 

 

 もう一度、ありったけの力を込めてあたしはテーブルの足へと身体を叩き付けた。

 更にテーブルは大きく揺らぎ、上に置かれていたものは次々と床の上へと落ちて行く。水に浸った床の上へと。

 

「うぐ……ぉぇ……」

 

 口からつうと一筋の液体が伝い落ちる。

 血だ。

 今のでどこか内臓が傷付いてしまったのだろうか。

 でも、それはどうでもいいことだ。

 口から流れた血は()()()()ぽたぽたと滴り落ちている。

 

「どうにか……うまく……いったみたいだね…………」

 

「な、なんで……! わたしのテープがいきなり消えたッ!? い、いや、それだけじゃあないッ わたしの服が乾いているッ! 部屋中の水が無くなっているッ!!」

 

「あたしのスケッチブックに描かれた絵は紙を飛び出して現実になる……スケッチブックにそういうことが出来る力が宿っているからなんだろう。それが、あたしの能力……」

 

「ゲホッ…… なら、そのスケッチブックが『無くなってしまった』なら……スケッチブックとして使えなくなってしまったのなら、その力はきっと失われるはずだと思った……」

 

「この部屋に溢れる水、あたしを覆っている水も共に消滅するはず……成功するかは分からない、一か八かよりも断然分の悪い賭けだったけどね……」

 

 倒れたまま状況を語るあたしの側には、水に濡れて変形してしまったスケッチブックが落ちている。

 多分もう、絵を描くことはできないくらいに紙が痛んでしまったに違いない。

 

「……スタンドへのダメージはそのままあなたへのダメージとして跳ね返ってくる。既に少なくないダメージを受けている上に、そんなにスタンドがボロボロになってしまったのなら、結局もうあなたは動けないよ…… どうして、どうしてこんな……」

 

「……ちゃった……からね……」

 

「え?」

 

「濡れるのが苦手なあなたを、あたしがお話がしたいからって理由でずぶ濡れにしちゃったからね…… ごめんね、寒かったでしょ?」

 

「あ、謝るのはわたしの方じゃないの!? そもそも、わたしがこんなことしなければッ! わたしさえ、ここに来なければッ!」

 

「こんなに弱くて臆病なわたしなんか、いなければ……」

 

 最後は消え入るように呟き、彼女はその場に膝をついて押し黙ってしまった。

 顔を隠したフードの中から、涙が次々と溢れ落ちてくる。

 ああ、この子も、自分を許せなかったんだなぁ。

 さっきのあたしと、おんなじじゃない。

 

「ねぇ、あなたが言う『弱さ』や『臆病』って、本当に、駄目なことだけなのかな?」

 

 ──なら、あたし自身、どうしてほしいか知っているはずだよね。

 

「あなたは今はフレンズだけど、元々は動物さんだったんだよね? きっと、あなたの『弱さ』も『臆病』も、その頃から持っていたものだと思うの。そしてそれは、あなたが今ここに生きていることを一番助けてくれた、生まれもっての『贈り物』なんじゃあないのかな?」

 

「この世界に生きるいのちは、ほんとうに、あたしが知りきれないくらいに沢山の形がある。そのそれぞれが、それぞれに合った『生き方』に則って生きている。その生き方は、前に生きていたいのちから受け継がれてきた生きる為の『知恵』であり『贈り物』なの」

 

「その『贈り物』があったからこそ、あなたはここまで生きてくることが出来たんだよ。確かに動物からフレンズになった今、それがあなたを不安にさせ、負担となってしまっているのは事実。でも、元々は『生きる為のもの』なんだもん。きっと、あなたがフレンズとして幸せに生きていくことにも役立てられるはずだよ」

 

「あなた一人じゃ見付けられないのなら、あたしも一緒にあなたの『弱さ』と『臆病』の良いところを見付けてあげる。それも不安なら、それが役に立つところを作ってあげる。だからさ、あたしと友達になろうよ?」

 

 ボロボロの身体をゆっくりと、相手に心配を掛けないように無理をせず起こす。

 口元の血を拭う。新たに流れてくることはない。どうやら、そんなに大きい傷じゃあないらしい。

 泣きじゃくっている女の子の目の前に、あたしも座り込む。正直立っていられないくらいにフラフラなのもあるけれど、泣いている子には、こちらも視線を合わせてあげるものなのだ。

 

「どうして、どうしてあなたは……そんなに優しいの? あなたとあなたのお友達を攻撃したわたしに、なんで優しくしてくれるの……?」

 

「正直に言うとあたしは、あたし自身のことが全然分からない。というよりは、覚えてないんだよね。長い間ずっと眠っていて、ついさっき目覚めたばかりなんだ。自分の名前すら分からない。あたしがこうしているのも、目覚めてから初めて出会ったあの子にしてもらったことを、そのままあなたにしているだけなんだよ」

 

「あたしにとってその優しさは、何よりも暖かくて嬉しくて、安心させてくれるものだった。なんにもない空っぽなあたしを『ここにいてもいいんだよ』って認めてくれている気がしたから。あたしは、あたしを救ってくれたその子と、そしてこのジャパリパークが持つ優しさに報いたいって思う。だから、どんなに困難で不可能に思える状況でも、あたしもみんなも幸せになれるような道を進んで行きたい。そんな『誇り高い優しさ』を絶対に正しいことだって信じたいから」

 

「それにあなたも、あたしと同じだって感じた。自分が嫌で、怖くて、ここにいる価値なんてないんじゃあないかって、苦しんでるって伝わってきた。そう思うと、なんだかほっとけなくなっちゃったんだよね」

 

 あたしはゆっくりと、女の子が被っているフードに手を掛ける。

 彼女も、もうそれに抵抗するようなことはなかった。

 そのままフードを外すと、涙で顔がぐしゃぐしゃになった、それでもとっても可愛らしいって分かる美少女さんが現れる。どことなく薄幸そうな印象を受けるけれども、その分笑ったらとんでもなくイイんだろうな。うん。

 明るい砂色をしたさらさらの髪の毛は、少し肩にかかるくらいの長さでまとまっている。色々とお洒落ができそうな、シンプルで良い髪型だ。

 でもまずは、一番大切なことをしてあげないとね。

 

「あたしのハンカチでお顔を拭いてあげるね。泣いてちゃあせっかくの美人さんが台無しだよ?」

 

 バッグの中に入っていた白いハンカチ。小さな花の刺繍が入ったこのハンカチは、きっとかつてのあたしが使っていたものなんだろう。

 そのハンカチで優しく、彼女の涙を拭う。

 

「……ありがとう」

 

「えへへ、どういたしまして。そういえば、まだあなたのお名前を聞いてなかったね。あなたは、なんていうフレンズさんなの?」

 

「ヤモリ……ニホンヤモリ……小さくて臆病で、隠れることに定評がある爬虫類よ」

 

「よろしくね! ニホンヤモリちゃん!」

 

 グゥ────ゥ!! 

 

 その挨拶と合わせるようにあたしのお腹が鳴る。

 そういえば、お腹が空いていたことをすっかり忘れていた。

 ものすごく恥ずかしくなってしまったけれど、その音を聞いたニホンヤモリちゃんがちょっぴり微笑んだのを見れたので、まぁ、良しとしよう。




爬虫綱有鱗目ヤモリ科ヤモリ属
ニホンヤモリ
全長は10~15cm程。扁平な体により壁の隙間等の狭い場所にも潜りこむことができる。
発達した趾下薄板(ミクロ・マイクロサイズの非常に細かい毛の集まりを持つ器官)による表面張力を利用し、ガラスの壁や天井にも張り付くことができる。
人が造る建物の周辺に多く生息しており、かつてパークに住んでいたヒトの近くで暮らしていた野生の個体の子孫がフレンズ化した。
性格は臆病で自分よりも大きな生物に対しては積極的に関わろうとしない。しかし、追い詰められると噛みつく等の抵抗は見せる。
フレンズとしての彼女は精神的ストレスによりこの性質が暴発してしまった故に今回の騒動に至る。
最近、不思議な力に目覚めたらしい。
好物は蛾。そして生食派。

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